「最初から普通の人じゃないなとは思ってましたけどね。例えばその手ですけど」
何かに指を向けるわけでもなく青年は答える。空のプレートを2セット挟み、相席に座る女は自らの両手の平を見つめた。
「結構重めに粉飾してらっしゃいます?」
「ああ」
「ですよね。でも絶対に美容目的の化粧じゃないなって感じしたので」
若干申し訳なさそうに後頭部をさすり、青年はしばらくして再び口を開く。
「本当に不躾な質問で申し訳ない、普段刀とか握ってらっしゃいます?」
「……大昔に振り回していたな」「なるほど。あとはなんというか──」
午後5時。6月某日。2021年。東京都内、渋谷。
路地を二本程裏に回った場所に位置する老舗のステーキハウスの片隅。この男女以外に人影の存在しない店内は必要以上に薄暗く照明不足で、窓の外はまだそれなりに明るい。梅雨時にしては珍しい、よく晴れた夕方である。
スラックスとワイシャツで身を固めたオールバックの青年と、恐らくは米軍の放出品と思わしきミリタリージャケットを羽織った長髪の女の間には、未だ異様な空気が滞留し続ける。
「──アオさん凄く手慣れてますよね。避難経路の確認」
「……」
「ここに入るときもそうだった。それほど首を動かさずに目の動きだけでサッと確認して。消防士みたいにね。……でもそれだけじゃない」
「貴女は同時に監視カメラの位置把握も行っていた」と独り言のように呟き、青年はテーブルの上に手を組んで再びアオと目を合わせる。
「カタギの人じゃないけどソッチの人間の匂いがあるわけでもないから不思議だなって思ってました。あとそんな寂しそうな顔でサイコロステーキ食べる人を俺は知らないです」
「降参だ」
予想外の反応に青年は一瞬言葉を失う。アオは少しばかりの笑みを浮かべながらそのまま続けた。
「参考にさせてもらおう。まだまだ俺も手練不足だったようだ」
「踏み行ってしまって申し訳なく思ってます。……いやホント何言ってんだろうな俺」
アオは席に座り直し、がま口の財布をやけに嬉し気に開きながら青年に目をやった。
「アオだ。呼び捨てで構わない」
「……改めて、国頭改。君と話がしたい」
「──超常に蛇の手に青大将、財団にGOCに日本政府にヴェール政策……」
「理解してもらえたか?」
「一応理解したつもりです」
"君をスカウトしに来た。"
青年──国頭改はふと思い返す。突如として己をこのステーキハウスに導いたその言葉を突然現れた女性から突然ぶつけられた時の、突拍子もない困惑を。
「まさか直後に今日一を更新するとは思いませんでしたけどね」
「少しくらい動じて貰わないと逆にやりにくいんだが」
「動じすぎると寧ろ冷静になるタチでして……」
指定超常団体“青大将”。
日本国内を専門に活動する蛇の手が分派。戦後壊滅から実に半世紀以上の時を経て2年前に再び発足し、以来蛇の手の末端とは到底考えられないほど平和主義な活動方針を貫き通している、少数精鋭の独立組織。
の、リーダーこそが眼前に座り遠慮がちにサイコロステーキを頬張る女性であり、更に自分がその本人から直々にスカウトを受けているらしい。とは言ってもこちとら現在進行系で本当にただの25歳、趣味は酒、クソ安月給のリーマンでしかなく、当然超常社会とやらで生きてきた訳でもない。
普通なら──というより今迄歩んできた二十数年の人生経験がある限りほぼ必ず──その荒唐無稽さに思考を投げる程の情報の中、改は"事実は承認したが納得はしていない"といった様子で眉を掻いていた。
「その大将様が何故わざわざ俺なんかをスカウトに」
「コレに覚えはないか?国頭改」
本来無限に開かれるべき質疑応答の全てをすっ飛ばして話が進んでしまった。自分の言動を少し後悔する彼をよそに、アオが隣に置かれたナップザックから何かを取り出し、二人の間に置いた。
それは古びた、辛うじて機械と呼べるようなゼンマイや歯車の取り付けられた装置。基礎的ではあるものの、通信機器のような見た目をしている。
改は変わらず斜め下にちらと視線を合わせながら眉を掻き、アオはそんな改を眉一つ動かさず見つめている。
「いや、見た事はないと……」
「『褒めるくらいなら給与上げとけカス』という旨に聞き覚えは」
改の目が微かに見開かれた。
咄嗟に上げた視線はアオに捉えられる。彼女は表情を崩さないまま、ただこちらの目の奥の奥を覗いている。
「……届いたんですか」
刹那に再生される記憶。遡りに遡って先々週の夜のこと。
12時間の残業を耐えた果てに立ち寄ったリサイクルショップで見つけたガラクタを何の気なしに持ち帰り、自宅で発泡酒片手に遊びで修理を試みた。結果予想もしなかった"本当に原理が何も分からない技術体系が使われている"という壁にぶち当たり、半ばヤケクソで一晩中弄くり回した結果何故かガラクタの復旧に成功した。
そして酔いと達成感と勢いに任せて通信機らしいその装置に──中々見苦しい愚痴を、宛先も不明なまま送信してそのまま寝たこと。
「これは旧日本陸軍の異常専門集団……負号部隊が全国に埋めた遺物。の、小型受信機。超常発展社会の現代において尚何を媒介にして通信を成立させているかが未だに解明されていないオーパーツだ。故に」
「活かせれば傍受のリスクを限りなく排した情報共有が可能、スか」
「だが今までその復旧には成功していなかった。していなかったんだよ」
君が現れるまではな、と明らかに彼女は目で物を言っていた。空気が突然に張り詰めて、
「……偶然です。ほんとに偶々ブラックボックスに触れずに動かせただけで」
「そうか。では再現性は無いのか?」
明らかに誘導の混じった質問が鼓膜をつつく。その言葉の意図を、圧を。当然改は肌で察知していた。
していたから、なんだ。
「ありますよ。勿論」
弱気な嘘を吐く気は、無い。
負けん気を剥き出しにして己を見つめ返す改の姿を見て、アオは少しだけ眉をピクリと動かして笑った。それは微かな動揺。思わぬ牙を、彼女は微かにその眼に見た。
だからこそアオは嬉しげに微笑む。
「君には日本全国に散らばるこの装置を復旧してもらいたい」
「実の所、以前からこの装置の場所や存在はマークしていた。全国各地の特定のポイントでコイツの親機が保管されている」
「俺に直して回れと」
「長旅だ。いや、長旅で済めばいい。一般の通信技師に依頼する案件では到底ない、が」
「職業明かしましたっけ」
「ウチに似たようなのが1人いてな。スラックスのセンスと消耗具合が似ていた」
先程の仕返しだと理解し苦笑いする改とは対照的に、アオはあくまで大真面目に続けた。
「洞察力、最前線に立つ心得の有無、超常の住人を前に尚冷静で在り続ける胆力、動じずに現実を受け入れる力、そしてこの状況からいつでも脱出できるよう自然体を装って身構えるその姿勢。……青くはあるが十分すぎる素質だな」
「買い被りすぎです」
「いや、そんなことよりも遥かに重要な判断事項がある」
「見ず知らずの俺に対して無条件でここまで来て、話を聞いてくれた。その優しさだ」
恥ずかしげもなくそう告げたアオを前に、改はまた反射的に後頭部をさすった。
「本当に俺じゃないと駄目ですか?青大将が人手不足なのは理解してますけど」
「強制はしない。何ならこのまま黙って帰るのが一番無難だ。が」
「が」
「今の君が生き易いのは、寧ろこちらの世界かもしれないな」
「何故です?」
「君が俺の素性を遠回しに暴いたの同じ。何となくだ」
互いにカップを空にして、手持無沙汰に両手の指を組みながらアオは背もたれに身を引く。
「その上で選択してくれ。国頭」
一瞬の静寂が挟まる。
「一人の“蛇”として進むつもりなら、俺と来い。降りるなら財団へ通報しろ。警察へ連絡すればすぐに」
「行きます」
即答だった。
「そう来るだろうと思っていた」とでも言いたげな目でアオは笑う。
「ただ収入のシステムがどうなってるのかだけ詳しく教えてください。できる限り最速で退職の手筈を済ませるので……代行とかお願いできます?」
「給料は図書館を介して支払われる。代行も承ろう。最初に君に目指してもらうのは知床──そこから少しづつ南下して貰う」
「了解です。期間は短くて一年って所ですか」
「そうなるだろうな。後これは説得のカードに切りそびれた情報なんだが」
アオはスマートフォンからマップを開き、現れた緑一色の日本列島を指でなぞって一つの島を映し、改に見せる。
「最終到達地点は沖縄。君の生まれ育った島だよ」
「……はァ〜〜〜〜〜???」
改の眉間にこれでもかと皺が寄る。思わず身を乗り出した上半身にステーキの肉汁が跳ね、「あちっ」と間抜けな声が漏れる。思考の回転を司るかの様に組まれていた手は力なく開いてわなわなと揺れていた。
アオは数秒程ぽかんと目を見開いて眺めた後、思わぬ想定外に、初めて声を出して笑った。
「……今日見た中で一番動揺しているんじゃないか?国頭改」
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