御嶽に喰む 雑書き

潮騒のしじま。波消しブロックに砕ける白波。足元から仄かに薫る磯の香り。上を悠然と羽ばたき朝餉を探すアジサシや、波に帰り損ねた小魚を浜で啄んでいるカモメ。沖縄の暁にそれらの陰を眺め、壊れかけのこぢんまりとした船着場で竿を振っている。

朝と呼ぶには些か暗すぎるこの時間帯は、気持ちのいい孤独感を感じられる。東京のそれとは比べるべくもないほどに。

ふと後ろを見れば、ここ何十日か、流れ流れてたどり着いたババアのセーフハウス。今や離島でしか見ることのない琉球瓦に掘立てみたいな一軒家が、暗闇に佇んでいる。


怒涛の数週間だった。

そもそも俺はなんのためにこの地に舞い戻ってきたのかと言えば、よくわからないガラクタ通信を直すためである。それ以上でもそれ以下でもなく、決してドンパチしに来たわけじゃない。

つまり俺は浜で取り残される魚と同じだ。踏み留まるべき部分を見誤った、戻る機会を拾えなかった、愛し難い土地に縛られ、この狭い場所で己の身を守るために身を投じることしかできない人間である。それは、マングース戦を超えた後も変わらず俺を苛む棘であって、ユタに諭された言葉をもってしても抜けない。

舌打ちが漏れた。自分の身を振り返るにはまだ、暗すぎるだろうか。

振り払うように首を振り、竿を引く。何度目かの同じ動作の末に、指先に伝わる手応えに合わせてアタリを入れて、ぴちぴちとぬたる魚を波から引き上げると同時、横殴りされるような日差しが半身を焦がした。波の燦爛に目を細めながら、針先の獲物を確認する。

サンバみたいな厚化粧の魚。ケバい。名前には詳しくないが、見るからに食えないやつ。

あぐらを解いておもむろに立ち上がる。いつの間にか灯りの灯った家へ足を向けた。ババアの朝仕込みだろう。今日は使い回しの油で揚げたサーターアンダギーか、はたまた白米onそうめんか。針から外した雑魚を、マングローブの陰で機械を伺い続けていた猫にくれてやる。こっちを一瞥もせず去りやがった。


「お前はご馳走にありつけて良かったな」


こっちは大学生の限界飯みたいなメニューだババアのクソッタレ。




「今夜は荒れるからね。お前らにも働いてもらうよ」
「なんでもいいけどよ。そろそろ新しい食いもんが見てえよあたしはさ」


茅で編まれた籠に雑にキッチンペーパーを敷いた上に、こんもり積まれた茶色い団子。それをモソモソと喰らいながら、ユタはダルダルのタンクトップとボサボサの髪そのままの、寝起きの初期装備みたいな格好で毎度お馴染みの愚痴をもらす。


「そんならあんたが作りな。もちろん食費はお前持ちだよ」
「ババアは飢餓知ってる世代だろうが。あたしたち未来ある若者の食に彩りを与えようってぇ気概はねぇのかよ」
「ないね。お前ら自身は自立できるじゃないか。今すぐ外に放り出してやったっていいんだ。文句言うんじゃないよ!」


キッチンの玉すだれの向こうからにべもない返事。ユタも愚痴りたいだけなのは見え見えであって、初期のようなガチバトルには発展しない。現に本人は質の悪い油で表面が黒ずんだサーターアンダギーを口いっぱいに頬張って、畳に寝っ転がって動く気配もない。まぁ戦ったら高確率でユタは本島のどこかに飛ばされるしな。指一本触れられず。


「で、何が荒れるって?」
「台風」
「あぁ、そういやそんな時期だったな」


蘇るのは昔の記憶。そこら辺に落ちているリモコンを拾ってテレビをつければ、画面の端っこに『大型で強い台風』などと見出しが踊っている。予想進路によれば昼頃には暴風域。


「なぁババア」
「なんだい」


追加の揚げたてサーターアンダギーを抱えて茶の間へ入ってきたババアに疑問を呈す。


「俺らがいなかった頃の台風対策どうしてたんだ」
「本島に行ってた」
「……対策は?」
「ンなもん無いよ。外付けで鎧戸立てるくらいさ」

「今年は人手が居るからね。家賃分は働いてもらうよ。食ったら外に鎧戸立ててきな」


我らがセーフハウスはどうやらセーフでもなんでもなかったらしい。縁側からサンダルをつっかけて、石灰質の砂利を踏みながら倉庫へ向かう。明朝と打って変わって、風が出ている。晴天の夏、生温くも肌寒さを覚える強風を首筋の産毛で感じながら、ガムテと鎧戸で窓を補強し、小物を中に引き上げる頃には、空も風にふさわしい雲模様になってきた。沖合ではいつも見える島影が、雨の煙にぼやけていた。そろそろだ。

文字数: 1990

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