語るべきことがある。
1945年3月26日。沖縄本島が、絶海の地獄と化した日だった。
第二次世界大戦末期。沖縄へと、連合軍が到達したのだ。日本全土でぼんやりと厭戦の風潮が漂う中のことだった。4月の始めには大小合わせて200隻からなる軍用艦が10万発に迫る砲弾、後に『鉄の暴風』と呼ばれるそれが本島西部目掛けて叩き込まれる。島の形状が一部変形するほどの超火力砲撃を皮切りに米陸軍の段階的な上陸が行われ、その後の地上戦はさらに苛烈を極めた。
約3か月の激戦の後、6月22日。本島に残留していた部隊や民間人の殆どが降伏し、後に『沖縄戦』と呼ばれる一連の戦闘は幕を閉じた。両軍及び現地の民間人も含め約20万人が戦没し、とりわけ沖縄県民については当時の住民の内4人に1人が死滅する被害状況。長きに渡る地獄が過ぎ去った朝空の下、その焦土には瓦礫すらも残っていなかったという。
或る少女の産声はこの僅か1日後に上がった。単独出産に挑んだ母親は栄養失調などにより衰弱死し、防空壕の中から響き渡る産声を聞きつけた米軍兵士が遺体と新生児を回収する。その後本島に設置された捕虜収容所にて身元不明新生児の育児担当者が一斉募集され、夫と生後2ヶ月の我が子を喪ったばかりの女性がこれを担った。
結局この育ての親も終戦直後の混乱の最中に病で命を落とすが、若干6歳の少女は3人目の母親に遭遇することなく、以降ほぼ自力で混沌の時代を駆け抜けた。恐らくは2人の母が心の底から願ってくれたのであろう自らの生を貫徹するために、少女は『島袋』の姓を背負い、貪欲に生き、貪欲に学び、孤独に戦い続けた。一時は孤児院に身を寄せ、その折に米軍兵士の見様見真似からギターを極めた。成人後は食品工場での労働と米軍基地内でのバンド活動で日銭を稼いだ。
一度だけ恋心を抱く機会はあったが、もはや青年期にはギターと工場と飽くなき生存が彼女のすべてと化していた。メンバーの1人が暴力団員に刺殺されやむなくバンドを解散した後も、ギターと労働に明け暮れ、その代わり以前より人との関りを拒みながら、1人で生き続けた。
"それ"を知覚したのは23歳の夏だった。
丁度『本土』の人間が挙って「戦後からの脱却」を騒ぎ立てていた時代、後に高度経済成長期と呼ばれた一連の時代の真只中である。育ての母が眠る集団墓地に向かう最中、ギターを背負ったスカジャン少女は三叉路の手前で目を閉じ、そしてもう一度見開く。ある筈のない海が眼前いっぱいに広がっていた。
正確に言えば、この場合「ある筈がない」のは海のほうではなくスカジャンギター少女の方である。那覇市郊外を歩いていた筈の島袋紀子は、遠く石垣島の小規模な集落の路地にその身を転移していた。わけも分からぬままこの日の内に3度の転移を行うも、日を跨いだ深夜4度目の転移でついにその法則性と扱い方を心得る。以来凡そ50年間、特に誰に伝えるともなく、この能力を密かに生活の一助としながら沖縄諸島を生きた。
転移能力者『島袋紀子』。御年76歳、夏。
独りを体現していた彼女にとって、それは初めての"同族"との出逢いだった。
"ババア"
イニシャル: BBA
種族: 人間
性別: 女
生年: 1945年6月頃と推定
職責: 転移術者
「──人のクレームを横から邪魔しやがって。ナニモンだガキ共」
「こっちの台詞だ。アンタは誰でここは何処でさっきのは何だ?」
そう聞いた瞬間、買い物袋を片手にサンダルの婆さんが不敵に笑む。出汁が取れそうなほど古びたスカジャンを海風にはためかせながら。今のご時世には時代錯誤も甚だしいツッパった不良少年の目で俺を見つめながら。
「ただの婆さんで、お前らの同族ってとこかね」
「同族の定義によりけりだが、つまりは何だ。アンタ──」
パチン、と文字起こしする他無い、やけに残響が耳に残る音と共に、風が止んだ。ユタ(の身体を借りっぱなしの落武者殿)に続いて一気に周辺を見渡す。食卓だ。一戸建て平屋の。俺達の位置関係だけは一向に変わらないまま、位置情報だけが切り替わっている。
アポートだ。アーティファクトを使用した形跡はない。正真正銘この婆さんの体に刻まれた能力らしい。しかもとんでもない精度で転移させやがった。座標ずれを起こして構造物にめり込み死亡するといった図書館で閲覧したような転移事故あるあるを綺麗に、しかも全自動で都合よく回避してやがる。
「……俺の同族ではないと思う」
「だったら帰んな。さっきの店までなら送り返してやる」
「同族かもしれません」
「土足で畳を踏むな。ぶっ殺されたいかクソガキ」
「アンタが上げたんだろうが」と動転しながら柄にもなく焦って革靴を脱いだ。玉城サキも続けてサンダルを脱ぐ。婆さんは満足したように胡坐をかき、しかしその両足にはめた土足は決して脱ぐことなく、俺に問う。
「……で、ナニモンなんだガキ共」
「……国頭改。“蛇の手”の構成員。アンタみたいな連中を探していた」
不自然な量の汗と共に目覚め、やがてその不愉快の正体が他人の素足による理不尽な圧迫であることを知る。
ババア宅に転がり込んでから3回目の朝日を拝んだ。絶妙に汐臭い布団から顔を引き剥がし、色気もクソもない寝相のユタをそっと退かしながらカーテンを開く。
「んぃ……」
「……」
無防備に寝返りを打つついでにもう一回俺に蹴りを叩き込み、社会不適合成人女性が髪を乱す。黙って寝てりゃ可愛いかもしれん。事実聞くに忍びない声を上げられてこっちの気もそこそこ動転しているし、昼間の煩さを鑑みればそのまま一生寝ていてもらって構わないくらいだ。
自分の布団だけ畳んで詰めて、さっさと部屋を後にする。襖を挟んだ西隣の部屋に移動し、夜逃げ用にまとめておいた荷物類から例の脇差を取り出した。薄暗がりの中で三回ほど撫でさする。
「朝っス」
「ここにいるが」
「どわぁッ!!!」
都内では絶対に出せない声量で振り向く。部屋の奥の方に幽霊そのものが突っ立っていた。食らうのは二度目だが二日も間を置いたせいか耐性が無くなっていた。もう少しで腰が抜けるところだったのは多分向こうにも悟られている。
「居ったんかい」
「驚かせてしまったか」
「本物の幽霊に背後取られて声まで掛けられてンスよ俺は。勘弁してください」
「久方ぶりにサキ以外と話す機会があったせいかもしれない。時々自分が死んでいることを忘れてしまう」
「良いことなんじゃないすか」「死人のように彷徨うよりはな」「死人は彷徨わねえんです」とグダグダ応酬しながら、その足で縁側の戸を開け庭先に出る。太陽は未だ完全に昇り切っていない。
「良い日課だな」
「記憶が正しけりゃ三回目っスよそれ」
「猶更都度褒めるべきだ。武人の生命とは即ち継続の姿勢にあり、その点そなたは生きた武人そのもの故な」
「生憎ただのエンジニアなもんでね」
裸足のまま土を踏み、前へ。これから先30分間は大地そのものが味方となり敵となる。胸中にぶら下げた重心を適切に揺らし、前へ。前へ動く。
「下手な柔軟体操は怪我の元だ。起き抜けにいきなり身体を動かすからこそ意味がある」……と、姉貴が言っていた。兄弟子の受け売りを自信あり気に。同じ内容を教わった筈なのに、思い出すのはいつも姉貴の顔と、少し大きめの背中だった。直接会わなくなってからどれほどの時間が経過したのだろうか。
庭の中央。踵同士を均等に触れ合わせた直立姿勢。尾骨から頭頂部に掛けて一直線に通された体軸を起点に、両手の平を腰の前に重ねる。まずは右拳から。西の空に夜を控えたまま、夜のうちに雨に降られた泥を左足で蹴り潰し、小学校の入学以前から一度も忘れたことのない体動作を開始する。
開脚。文字通りの空手が空を切って太陽光を捉えた。“ナイファンチ”と呼ばれる沖縄空手全般に共通する基礎の型。そして最も練度が如実に表れるフォーメーション。両肩より若干幅を取って広げられた脚を起点に左右へ状態を捻れば、少なくとも徒手空拳にて敵と対峙した場合万全の戦闘態勢が確立される。姉のついでと送り込まれた空手教室で教えたがりの補助教員に齧らせてもらって以来、毎朝勝手に庭先に出てはこの型だけをトレースし続けていた。姉と一緒に。
別に完璧に出来ているわけじゃない。学業に専念し始めたとかで途中から道場を辞めた姉も、最後までこの型の神髄に辿り着くことは無かった。空手の型稽古にもそれぞれの難易度や習熟までの想定期間というものがあるが、とりわけナイファンチは「達人をして生涯未完成に終わる」などの逸話を残すほどに奥が深い。奥が深いというか、辛うじてモノにしてから更にレベルMAXまで持っていくのに骨が折れるのだ。
右基準の動作が終われば同じ動きを左半身でもう一度再現する。この再現を及第点まで洗練するだけで中学校入学から卒業までの歳月を要した。モーションをそれっぽくトレスするだけなら呼吸と同じだ。それで終わる筈が無いから何ともタチが悪い。ゆらりと規則的に伸ばされた無手。握り込まない拳を仮想の敵に突き付ける。身体を貫く一本線を軸に何度も地を踏みしめる。忘れないために。いつでも完全体に戻るために。
「……毎度思うんですけど」
「何だね」
「見ていて楽しいっすか」
「楽しいというか、懐かしんでいるのは確かだ」
「誰を想っての懐かしいかによるな」
「叔父の息子」
「……何歳頃の」
「数えで八」
「……」
随分な言われようだ。右の拳を向かって左方向に、今日一番のキレで突き付ける。その軌道に沿って重心そのものを動かすよう横歩きに移動した。
「良い動きだ。十歳頃にはなったかな」
「受肉でもしてくれりゃ間違いなく立ち会ってるぜ」
「サキの身体は貸せんが、試してみるか?」
「俺にも沽券ってものがある。格上相手に無計画のまま挑むつもりはない」
「賢明だな」
「そりゃどうも」
言い切ったはいいものの何だかとても格好のつかないことを言ってしまったかもしれない。たかが正常性維持機関相手にこんな孤島まで逃げ隠れして、しかも肝心の逃げ隠れは他人の能力に頼りっぱなしだ。現状俺の気にするべき沽券が何処にある。
何より相手は何百年か前に本物の実戦を経験してきた武の大先輩だ。喧嘩吹っ掛けるような真似しておいて自分から引き下がるのは流石によろしくない。型の途中で平に向き直り、とりあえずオーソドックスで構えた。半分は好奇でもう半分は前言の撤回を兼ねている。
「お互い寸止めは必要無いっスね」
「そういうのが流行り始めたのはずっと後の時代の話だ」
「子供相手でもそのスタイルで教えたと?」
「痛みを伴わねば武が身に付かず、秘めたる才もまた日の目を見ることはない。そなたに不足しているかは某も知らなんだが」
「是非とも教えてもらおうか。先輩」
人んちのガラスを蹴り破るのもよろしくない。「アンタから斬り込んで来い」とジェスチャーを飛ばして半歩下がる。
アルファ値70%の髭を少しだけ傾け、平安武士がヌラりと眼前に迫った。
「──で、負けたんだ」
「死人相手に十回死んだ。お前もうちょいあの人に敬意払った方が良いぞ」
「死人にぃ?」
「一番霊能力者やっちゃダメな奴の発言を容易く更新すんな」
「ノロだっつってんだろ」
「何回蹴ったら気が済むんだお前は!!」
「これが一回目だが!?」
午後12時と30分。例によっていつの間にか本島での買い物とサ店での一服を済ませた婆さんが新聞を広げる中、俺の昼飯及びユタの朝飯を用意する。
居候2日目にコイツの生活能力を試した折、そもそも包丁の握り方もロクに学んでいない事は確認している。この女に俺たちの生活を左右させるつもりはない。水とそうめんを突っ込んだだけの耐熱容器を電子レンジに放り、未開封のめんつゆと冷凍の小葱を取り出す。買ったばかりの箸も。タンパク源は冷凍のフライドチキンで確保することにした。
例によって野菜が足りない。茹で野菜でも作っとくか。
「婆さんは食べないのかい。今からでも素麺作れるけど」
「外で食う」
「本島?」
「何処だって良いだろ」
「財団の目があるっつってんでしょうに」
「アタシがタダで捕まるかよ」と一蹴された。朝から上機嫌っぽくて何よりだがこちとら人んちに2人+幽霊1体で押しかけ中の身である。おまけに台所まで借りている始末だ。強気に制止できないし下手に文句を言える立場でもなかった。
婆さんは恐らく誰にも捕まえることが出来ない。下手に触れると知らない三叉路に飛ばされるか、逆に婆さんそのものが消失して事が終わる。恐らくは能力を行使される直前に意識を奪うなどの措置を取らない限り捕獲は厳しく、更に言えば捕獲したところで覚醒後脱走されない保証は何処にもない。アポーターは正常性維持機関にとって悪夢そのものである。財団に顔が割れていない今なら特にそうだ。
「カイのご飯美味しいよ。食べてきなよオバア」
「レンチン素麺食わされてヘラヘラ笑えるほど腐った舌じゃねンだよクソガキ。洗濯物と皿洗いはお前らでどうにかしとけ。晩飯は家で食う」
「何か希望あります?」
「6時までに米炊いて待ってな」
「ウス。行ってらっしゃいませ」
もはや聞き慣れた軽快な破裂音と共に婆さんが消失する。同時にレンジが素麺の調理を完了した。
取り出してから内容物の半分をもう片方の容器に移し、麺つゆと冷凍ネギをさっと振りかけてから居間の卓袱ちゃぶ台に搬送する。ユタは庭の方をぼーっと見つめながら胡座をかいて静止していた。その先を追いかけてみても、あるのは無限に打ち寄せる白波と浜くらいのものだ。何か変なものと交信してそうな面構えだ。
「宇宙に意識でも飛ばしたか?」
「……」
「囚人番号002。配給食だ」
「誰が囚人だこら」
「返事しろってんだ。ちょっと怖えんだよその交信モード。昨日のアレ普通にビックリしたからな」
夜中に尿意で目を覚ました際この状態のユタと遭遇して軽い悲鳴を上げた。幽霊といいコイツといい瞬間移動で帰宅する婆さんといい、どいつもコイツも心臓に悪い真似ばっかしやがって。俺は兎も角よく共存出来るよお前ら。
恐らくロクに俺の文句を聞いていないユタに箸を勧める。二人して卓袱台を囲み手抜き素麺を啜り始めた。
「美味い」
「そーだな」
「平の分ある?」
「は?え、何、素麺食うのあの人」
「食べるよ」
「先に言えよ」
「茹でるの一瞬じゃん」
もちゃもちゃと素麺を啜り、タンクトップの襟の辺りに若干麺つゆを飛ばしながらユタが箸を振る。あんまコイツと一緒に外食したくないな。
「御供え物的な何かを提供すりゃいいのか?よくわからんが」
「いやあたしの身体に憑依させて味覚共有する感じ」
「想像の5倍根性だな。旦那ー!」
「何かねー」
「素麺食うー!?」
「1人前頼もうかー」
「茹でとくわー」
「……マジで食うんだ」
「あたしらを何だと思ってんのさ」
「人んちの墓場で酒飲んでガキにボコされるヤニカス霊能力者と平家の落ち武者」
「あんだとー」
別に間違っちゃいないだろうに。続けてレンチンを終えた冷食フライドチキンを皿に盛る。ユタとほぼ同時に貪った。若干冷たい部分が残っている。若干薄くなった麺つゆと一緒に素麺を啜る。溶け切っていない小葱が唇に跳ねる。
海風。離島の静寂。遠く聞こえる波の音。
縁側の先に滞留する熱。人為的に設計された開放空間。亜熱帯への適応のみを目的に受け継がれた建築様式。畳や梁など日本建築の要素を秘めながら何処となく「日本」の枠組みからは零れ落ちた生活の場。啜る素麺。
生まれは宮古だが、そこから遠く数十キロ離れたこのセーフハウスにも少なからず生家との共通項は見出だせる。紛うことなき沖縄の地であった。
「……んで3日目か」
変な食べ合わせの昼飯を惰性で咀嚼しながら、霊能力者と幽霊と転移能力者に出会って以降の4日間をダイジェストで振り返る。
1日目。何の気まぐれか婆さんは俺たちをしばらく匿うつもりでいるらしく、とりあえず一時身の安全が確保されたものとして接触した超常存在の全員から事情聴取する事にした。1人目は地縛霊のオッサンこと平。平家の落ち武者を自称するクラスⅣ霊的実態。一番会話が通じそうだったから消去法だ。
「──というわけだ。本土に更に詳しく出自を示す文献があるやもしれぬが、ひとまず某の過去については概ね話し終えた」
「ご協力マジで感謝ッス。出るとこ出れば日本史研究がウン百年のレベルで進みますよ」
「そうしてやりたいのは山々だが、何ぶん諸島に根を張る地縛霊ゆえ、な」
聞けばこの地縛霊、“平”を名乗りながら血筋的には平家の血をミリほども引いていないという。血縁関係を結び平家付きの戦力として汎ゆる騒動に従事した分家の末端であり、源平の小競り合いでは1184年の宇治川の戦いにて初陣を飾っている。当時は数えで14歳だったらしい。なおWikipediaに記載された史実の示す通り大敗北で幕を閉じたとのこと。
その後源氏による追撃作戦に幾度なく応戦するも奇跡的に生き残り、壇ノ浦合戦では早々に敗色を見極め身内の数名と共に戦線を離脱。九州伝いに半年かけて逃亡し、やがて沖縄本島に吹き溜まるに至る。
その後相当数の平家落人が続々と沖縄に流れ着くも、この通り霊的実体として死後残留したのは平ただ1人だったらしい。享年39歳。以来これの供養を担当したユタの血族から適性のある能力者が生まれ次第意識を回復し、何だかんだで2022年現在までその存在を保っている。
少なくとも俺はこのオッサンを「霊体化」という超常災害に巻き込まれた一種の被害者であると認識する他無かった。差し当たって思い浮かぶ未練もなく、義を重んじ恨み晴らさんと本土の源氏にカチコむには余りにも遠く離れた地に根差したまま、今に至るまで霧散を許されない魂。平は多くを語らないが、語らないからこそ俺には計り知れない心中を案じる他ない。
俺はこの人?に対して本来どう在るべきなんだろうか。
2日目。ユタ。玉城サキ。ヤニカス女。自称「最後のノロ」
「玉城サキ。最後のノロだ」
「バリエーションとか無いわけ?」
「うるせえ」
ノロ。琉球王国時代から続く女性の祭祀者。ユタが民間の霊能力者であるのに対し、ノロは王府によって公認された、いわば公的な神女である。琉球処分以降その多くが廃絶され、戦後の混乱期を経て完全に途絶えた……と公的な資料群には記載されている。
だが、血筋はそうそう途絶えるものではない。とはいえ目の前の女がまるでノロらしさのかけらもないのも事実。
「お前、平さんにあんま迷惑かけないほうがいいぞ」
「目にみえるようになったのは、あたしが願った事じゃねえし」
「ノロってだけであんなことできるもんか?」
「さぁ」
さぁ、ですか。今把握している能力は、平による傀儡化。これは平の特性だから、この女が持っているのは平という存在の依代管理者という立場くらいなもんである。
「血縁者は他にいるのか?」
「知らね。だって母親はどっか消えたし」
「あたしの家系はここら辺のノロの末裔でさ。戦前は御嶽の管理とか祭祀とか色々やってたらしいんだけど、戦後にぐちゃぐちゃになって」
「お前はなんかノロらしいことしてんの? 今んとこ墓荒らししてる社不だけど」
「なーんも。でも平見えるしな」
そう言って煙草をふかしながら、ユタは遠くを見つめていた。
霊視。霊との会話。そして憑依による霊障の発動。言ってみればユタの体は、平が肉体を得て、己の武を借りて戦うことを可能にする稀有な能力者だ。ただし憑依中は平の人格が表に出るため、サキ本人の意識は後退する。完全に消えるわけではないが、主導権は平が握ることになる。正しく神懸かりと言えるだろう。
「……で、何でこんな話してんだっけ」
「俺が聞いたんだよ。お前の身の上」
「身の上って程のもんでもねーけどな。ここで生まれてここで育って、平に出会って、変な男に着いてきて今に至る。以上」
「雑すぎるだろ」
「仕事はやってない。金ならあったし」
なんだこの女、先祖の金を食い潰してなんとか今日まで生きてきたようである。よく沖縄の気候と周囲の人間関係を潜り抜けて生きながらえたものだ。ガキにすら負けるってのに。
「てかあの家帰れねえの?」
「戻ったら捕まるぞ。てかまず家ん中汚すぎな」
「んなこと言うならお前が片付けしてくれよなー」
「小間使いじゃねえんだぞお前」
で、3日目。別に1日につき1人ずつ聞く必要も無かったんだが外出続きでロクに話せてなかった謎の婆さん。島袋紀子。転移能力者。
「……お話聞かせてもらって良いっスか」
「応。何から話しゃいいんだね」
荒々しい言葉遣いとカミソリみたいな気迫に反して実直な性格であることは特筆すべきかもしれない。
曰くあの沖縄戦の直後に生まれたご老人らしい。戦争直後のゴタゴタや混乱、物資も薬剤も足りない状況下で生まれの親と育ての親を幼少期に亡くしたとのことだ。そのスタート地点から今やこんな大きい一軒家を持つまで行ってんだからパワフルな人だ。缶詰工場とギター、23歳の頃モノにした転移能力の3つだけが人生だったとか何とか。
しかしこの婆さんある意味ちゃんとしているというか、転移能力についてはその詳細を一切語らないのだ。このレベルまで精密かつノールール(に見える)転移能力者などそういたものではない。蛇の手の構成員としては早いとこそれを知っておきたいのだが。
「気まぐれにアンタらを匿ってやった。それに飽き足らず力まで教えろってのかい」
「申し訳ないが対価は用意できない。だが絶対に悪いようにはしない。約束だ」
嘘をつく己を許せるような性分ではないので、ここは正直に言うしかなかった。婆さんは煙草に火をつけながら、一瞬、黙りこくる。果たして呑んでくれるだろうか。
「ま、教えたところで小僧程度じゃあどうとも出来んか。教えてやってもええ」
婆さんはカカカと笑った。お気に召してくれたらしい。にしたって他ならぬ事実に過ぎないのだが余りにも俺を舐め腐りすぎていやしないかな。
「石敢當いしがんとう。流石に知ってるな」
「まあ当然に」
「そんなら話は早い。簡単に言えばそいつら間をひとっ飛びできる。それだけさね」
「はあ」
「……はぁ?」
一瞬間抜けな相槌を打ったあと、時間差で唖然の声が捻り出た。
石敢當。
丁字路の突き当たりに置かれる魔除け。伝承曰く、直進することしかできない魔物「マジムン」を祓うために設置されるもので、琉球王国が成立する前からざっと400年以上は受け継がれてきた歴史の産物だ。
今現在、石敢當は南西諸島や沖縄のあらゆる建物、石碑、塀に存在している。街角であればなんでもいいのだ。とりあえず家があればシーサーがあって石敢當がある。故に沖縄県民であればお目にかからない日はない。"よく見る"という領域すら超えて、最早意識すらしない程に生活に在る物である。
それらの間を、自由に転移ができる。
この島々に数千を超えて存在している、すべての石敢當から石敢當へを。
先日の転移現象を思い返す。パチンという音ひとつで500キロ以上の転移を成し遂げて見せた能力のからくりは、一見無法にみえて「石敢當の間限定」という割と重めの誓約があり、しかしこと沖縄県というフィールドにおいては無法そのものたる代物だった。
恐らく転移術者としても最高峰。たとえ財団でもこの婆さんはそう捕まえられない筈だ。
まさしく野良の怪物という表現がふさわしい。
「……確かに、俺には敵いそうもない能力ッスね……」
「あぁ? そんじゃあ、今まで敵うつもりだったんか」
婆さんはまたもやその特徴的な笑い声を響かせて、「生意気なんも嫌いじゃないがね」とぶっきらぼうに言葉を寄越した。パチンと音が鳴る。次の瞬間、俺の目の前には乾燥に乾燥を重ねたサーターアンダギーがカゴごと卓袱台の上に召喚されていた。
ここまでが今朝の話だ。その後は大雑把にしか覚えていないが、放置四日目だと思われるガッチガチのサーターアンダギーは控えめに一個だけ頂いた記憶がある。あれは、認められたということで良かったのだろうか?
「ユタこれ食わねえの?」
「これ硬いからヤだ」
もう昼頃になるというのに、卓袱台の真ん中には未だに乾燥アンダギーが放置されていた。カビる前にさっさと処理しておきたい気持ちはある。フライパンで焼いたらある程度味の回復を図れるだろうが、何度揚げまで許されるだろうか。
ともかくあとで試してみよう、と思いながら箸で麺を掬った、瞬間。
耳が確かに異音を拾う。セーフハウスの真ん前。玉砂利の音。
続く静寂。二人して箸を手に取ったまま硬直した。
「カイ?」
「お前は下がってろ。平?」
「おるぞ」
「偵察だけ頼まれてくれるか」
「承知した」
比喩とかそういうのを抜きに部屋の中から霊圧が消える。正真正銘俺とユタだけが取り残された。
インターホン如きにビビったのには理由がある。婆さんは俺達を匿って以降2、3回同じ話をしていた。「宅配は使わない、近所付き合いするほど近隣住宅地に近くない、町内会の役職についているわけでも無ければヘルパーも頼んでいない。家を購入して以来ほぼ初めての訪問者がお前ら」、と。
この家をわざわざ尋ねる奴はいない。いるとすればそれはつまりアレだ。招かれざる客というやつだ。
「……お客さん?」
「ある意味客だ。客だからよく聞け。荷物をまとめて例の脱出ポイントで待機。良いな?」
「客じゃねえんじゃん。ちょっと待ってよカイ」
「死にたくないなら隠れてろ」と頭のてっぺんをむんずと掴んで制止し、周囲を見渡しつつ襖を開けて玄関先まで最短ルートで移動する。
「旦那。いるか?」
「周囲300m圏内を偵察したが、銃器を携行しているのは玄関先の1名。持っているそれは、回転式拳銃というのだったか。種別までは解らなんだ」
聞けばこの訪問者、物騒な持ち物を除けば、衣服は歩き回っている観光客のそれに近いとのこと。とは言いつつも、前の接敵時にグロックを持ち歩いていた財団職員という線は、回転式拳銃というワードから除外できる。では、“何処”からの差し金か。
「害意は汲み取れん。が、そなたの話を聞く限り“財団”によるあやかしの排斥というのは中々どうして事務的な側面を持つとみえるな」
「いや、違う。財団、だけはない」
「ほう。ただ、だったとして、どうするつもりだ」
「無視という選択肢は存在しない。こちらから打って出る」
「助太刀は」
「玉城サキの守護を優先しろ。アンタの本懐だ。こっちの戦いに巻き込むわけにはいかない」
「ふむ……」
また平の気配が消えた。恐らくは「避難部屋」に待機しているユタの方に移動したのだろう。それで良い。最前線に立つ際は無駄に保護対象がいない方が助かる。
偵察だけはどうしても力を借りる必要があったが、ユタも平も婆さんも実質的には俺の保護対象だ。俺には3人を守る使命がある。守るってのはつまるところ「危険から遠ざける」ことを意味している。
未知を相手に血反吐撒き散らすまで戦うのは。俺やアオみたいな奴だけでいい。アオは強い人だ。青大将で修行していた頃から色んなメンバーから教わった。超常のための平穏は俺が築く。俺が切り開く。
「……2手ってとこか」
曇りガラスの引き戸の前に立つ。目標はこの扉の数歩先。既に影が見えている。取っ手に手をかけた。その丁度直前のことだった。
「ラジオ料金の回収に伺いました」
ガラス戸の向こうから聞こえてきたのは、その一言。
「……うちにテレビはありません」
妙に聞き慣れたフレーズ。研修中に使用していた頃の共通暗号だった。
「……“青大将”からの言伝を預かっている。上がるぞ」
「靴は脱いでくださいね」
「どういう客を想定してんだお前」
早すぎだろアオさん。てか俺らの潜伏先、よく見つけたなこの人。
観光客風の訳アリ不審者様をとりあえず玄関まで招き入れる。この蚊の多い時期に何だかんだ1分近く待たせてしまったのはシンプルに申し訳ない。
「──国頭改?だよな」
「青大将構成員、国頭改です。どうも」
「他のはどうした。ある程度、メンツが揃っていると聞いていたが?」
「いることはいるんですが、2名隣の部屋にいて1人外出中で」
「イカれてんのか」
離島に潜伏しているからと油断しすぎではとご尤もなご指摘をいただきながら居間に着く。スラックスに半袖Yシャツ合わせた俺とまんま観光客ファッションのフリーランスが、先程までユタと共に素麺を啜っていた現場に立った。
「で、別室の2人ってのは」
「さっきまで素麺食ってたんですけどね」
「お前以外には1人しか気配を感じないな」
「本題入りませんか」
「本題入っていいのか。素麺伸びるぞ」
「お構いなく。伸ばしておくくらいが丁度良いっす」
半袖Yシャツは、左腕の時計を一瞥し、新卒1年目に上司が嫌というほど向けたあの目でこう告げた。
「“水棲ヒトガタ”について即時調査し、可能であれば手として対処をせよ」
「“水棲ヒトガタ”、っすか」
「そうだ。ただ、それ以上に具体的なことは何もわかっていない」
「ゴロツキ共は昨年の8月上旬から目を付けられてる“日本国内のクラス1パラクリミナルグループ”で、海保巡視船と鬼ごっこしながら“ヒトガタ”を狩っては卸しを繰り返してる」
手に襲われる為に活動をしているような組織。というのが、所感だ。でもそれ以上ではない。
「人を解体することには手慣れているだろう。そのあたりは頭に入れてから臨みな」
「ご丁寧にどうも。麦茶いる?」
「一本貰っていいか」
「どうぞ」
「健闘を祈る」と、言い残した男が暗闇に消えた場所をしばらく睨みつけるように玄関の先を見つめていると、事の終結を察知したか、奥からユタが顔を出した。
「カイ~」
「……」
「さっきのお客さん何だったのさ」
「ユタ。婆さんにも同じことを伝えておくから今すぐこれを実行しろ」
「ほ?」
「夜十時から行動開始。それまでにちゃんと寝ておけ。」
文字数: 13886






