──で、来たわけだ。[目的地]まで。婆さんの操作可能な石敢當はこの島にもちゃんと存在していたらしく、地図で目的地を指し示した結果十秒と経たずに浜辺のすぐ近くまで転移させてくれた。知る限りでは図書館の手にもこれ程のアポーターは存在しない。本人曰く沖縄諸島限定の能力らしいが、逆に言うと沖縄県内に限れば世界最速かつ最高峰の転移術者として君臨しているのがこの婆さんなわけである。よく今まで一般人に紛れて潜伏していたものだ。
夜中の砂浜なんぞに立つのは高校3年生ぶりだった。
といっても受験の鬱屈に負けて何度も地元の浜を右往左往していた程度しか思い出が無いわけだが、この潮風と無限に続く暗闇をそこそこ好いていたのは覚えている。実際いざ同じような景色を目の当たりにすればこの通りだ。沖縄に出戻ってコイツらと関わって以来一番胸が透いている。この土地に根差した数少ない「好き」が丁度自分の胸元を掠めている。
「カイ〜」
「……何ですか」
「眠い」
「結局寝てねえからだろ。ああヤニを踏んで消すな!捨てるな!」
「灰皿ねえんだから仕方ねーだろがい」
「買ってやるから二度とやんな」と叱咤しながら潰れた吸い殻を拾い上げ、丁度やってきた波のしぶきに浸して完全に鎮火する。二重三重にティッシュでくるんでスラックスのポケットにねじ込んだ。
割といい加減にしてほしい。何せそう遠くない場所からアオの選任した目付が俺たち全員を監視しているのだ。このやり取りも遠巻きに全部記録されている可能性だってある。「───して、伝えた話というのは何かね」と全てをガン無視して司会進行を務めてくれる平に向き直った。
「今回俺に課せられた任務は未確認ヒトガタ超常の保護だ。その過程でヒトガタを追っている別の何者かと戦闘行動に発展する可能性があり、これは極力避けたい」
「故に?」
「『全員手ェ出すな下がってろ姿は見せるな』。お前らに守ってもらうのはこの3点だけだ。安全を確保した後に婆さんの能力で一度セーフハウスまで退くからな」
「そんじゃ若造。一つ質問するよ」
「何ですか婆さん」
「アタシの同行についてはまあ理解できるとしてやる。何でクソガキと幽霊までここに連れてきた」
婆さんが親指でユタと平を指す。顔を合わせる二人を横目に、用意していた答えを滞りなく唱える。正直なところ、まあ聞かれるだろうなとは思っていた所だ。
「この2人だけをセーフハウスに置いてくるのは、危険だ。財団や連合の連中が押し掛けたとして平だけでそれを対処できるとは思っていない」
「尤もだな。数的有利を取られたら我には為す術がない」
「ンだったら猶更解せないね。固まってりゃ安泰と口にしておいてアタシらは手ェ出すなってのはどういう了見だ。何から何までお前さん一人でどうにかしようって腹かい」
全くもってその通りだ。
「……危険な任務に巻き込んでいる事は俺だって解っているし、アンタにも解っていて欲しい。それでも婆さん、ユタ、平、お前らは俺の、蛇の手の保護対象だ。守らなきゃならん」
「アタシらは重荷ってやつか」
「保護対象だ。それ以上でも以下でもない」
婆さんは半眼で俺を見つめていた。何か言いたげな、しかし何も言わないような。文句があるなら言ってくれたほうが嬉しいのだが。不和は後々響く。
「……ま、聞いといてやるよ」
婆さんはサンダルに入った砂を叩きながら、ぶっきらぼうに言った。「アタシらがお荷物だってんなら、お荷物らしく大人しくしてりゃいいんだろ。ガキじゃあるまいし、その辺の空気くらい読めるさ」「とりあえずさ、うちはカイの言うこと聞いとくから。手ェ出さない、下がってる、姿見せない。オッケー?」
ユタはユタでひらひらと手を振りながら笑う。些か緊張感がなさすぎて心配になってくる。本当にわかってんのかな。聞き分けがいいのも怖いが、信じるしかない。
[加筆]
「……カイあれ」
「あ?」
「……船?この時間に!?」
「例のメッセンジャーが申していたモノとみて間違いないとは思うが、偵察するか?」
「不明団体の詳細が解らん以上こっちから超常をぶつけるのは逆効果になりかねない!控えろ!」
「しかしどうするつもりだ。ここからどうあやつを助けるという?」
「ッ何かいるんスか!?」
「ああ、おるぞ。舳先の更に前の方に」
ショルダーバッグからケース入りの双眼鏡を引っ張り出し、素早くそれを目に当てる。上等な代物だが、灯りのない海面では、些か探し物には手間取った。
それでも、打ち寄せる夜光虫の青白い波間を目印に、目当ての船を捕捉する。舳先の前、海面を割る特徴的な背鰭と、人の腕も。
「カイそれ貸して」
「アオからの預かりモンだ貸せるか馬鹿。てか隠れる準備しとけ」
「隠れろったってどこにさ」
「どっかにだ。あれは───」
見つけた。ヒトガタ超常。
どことなく鮫のような部分的特徴を併せ持つ超常存在が一体。
が、不審船とほぼ同等の速度で追いかけっこをしている。推察するにあまり深いところまで潜る能力を持たないか、それを断念せざるを得ない何かがあるらしい。潜れるならとっくにあんな漁船撒いている筈だ。
速力から判断するにパターンDのコンタクトを取るのが無難かもしれない。正直一番やりたくなかった方法だが事態が事態だ。アオの評価なんざ気にしている場合じゃない。危険を冒すつもりは無いが踏み止まったせいで誰も助けられないなんてのはもっと御免だ。スマホを起動し、カメラライトを最大出力で点灯しながら沖合に向かって全力で振る。
「こっちだァ!!」
「うわ何急に」と飛び跳ねるユタを尻目になおもスマホを振る。ババアは一応、ユタを連れて林へ下がる動きを取った。それでいい。
にしたってあまりにも後手後手の対応すぎる。ヒトガタがこちらの誘導に気付いてくれるかどうか、気付いたとして方向転換した後にこちらを目指すだけの余裕があるかも分からない。なんせ不審船は彼/彼女のケツに今すぐにも追い付かんとしているのだ。
我武者羅にスマホを振り続ける中、後ろで平が声を上げる。
「打ち上がったぞ」
平が指す波打ち際、闇と砂浜のわずかな反射光にぬらりと光る何かがあった。
不審船は波を割りながら、依然全速で突っ込んでくる。もう猶予はあと僅か。
「意識レベルを確認する!」
「周辺警戒を行うべきではないのか?」
「ンなモンにリソース裂く余裕がない!」
細かい珊瑚砂を一人、滑るように怪人に駆け寄る。闇の中でも視認できる程度の速度でシルエットが変形していた。陸に上がって以降はかなり人間に近い、というか肌の色含めて人間そのもののような風体に変異している。性別は恐らく男性。上半身には何一つとして纏っていないが簡素な短パンを履いているのは解る。
図書館の文献にあったサミオマリエ人とはまた別の存在らしい。が、人間相応の文明の中で生きてきた固体か、或いは既存人類の文明のすぐ隣で生きてきた痕跡とみて間違いない。そうとなれば後は発話能力次第で言語による相互コミュニケーションも確立できるかもしれない。
「何処から何処まで人間なのか」はこの際考慮しない。重要なのは意思疎通レベルの確認と意識の有無の把握、必要に応じた各種対応だ。特に患部の確認は必須である。
「現在日本語標準語彙で発話中!聞こえているか!!」
「……キミは……」
「……!国頭改だ。“青大将”の命の下お前の保護を委託されている!」
「……あお……だい…?」
ビンゴ。現代日本語での会話が可能なのは非常に助かる。一番厄介なのはこの状況でまともに意思伝達手段が確立できない事態だったし、実際そういった事態を想定して諸島周辺地域で使用するであろう言語は非常に簡単な受け答えが出来る程度に学んできていたわけだが、何にせよ非常に助かる。ありがとう。日本語話してくれて。
それにしても出血が酷すぎる。痣として把握可能な打撲箇所の多さにも目を見張るが、特に大腿部に突き刺さった銛モリは現時点での対処に難を要する。専門の医療機関で摘出すべき異物だ。素人考えで引っこ抜いたら出血多量で最悪死なせかねないし、運よく傷が塞がったとしても壊死なんぞを起こされてはたまったものではない。
「傷むか?」
「身体が萎んだせいかな……何か逆に痛みが無いとこまで来てるっていうか」
「……お前の生命を保証し安全を提供するために行動している。もうすぐ──」
低く、腹の底を震わすような音が会話を遮った。見れば、黒い鉄の塊がすでに俺達の背後に座している。
予想外だった。小型漁船の強硬着岸。何の躊躇もなく座礁覚悟で突っ込んで来やがった。後先考えて行動してるなら、まず取らない選択肢だ。一体全体何考えてやがるんだ。
違う。違うぞ国頭改。敵を甘く見るにはあまりにもこの世界の方が残酷過ぎる。認識を改めろ。常識に縛られたまま超常と相対すれば足元を掬われる。
「──は!?」
風切り音。
反射的に回避行動を取る。0.5秒前まで俺の正中線があったエリアを何かが駆け抜けた。
飛翔速度とその大きさから逆算する。矢ではない。そしてやけに覚えのある残像だった。幼少の折から俺は残像を何度か間近で目にしている。
水中銃だ。ちょっと大きめの魚に打ち込むような威力のゴム動力式水中銃で銛を人に発射。正気の沙汰ではない。
「……気狂いどもが!」
叫んだ瞬間更に発射音が聞こえて来た。正気の沙汰ではないが、悲しいことに向こうはいたってクソ真面目に俺とこの怪人を殺しに来ているらしい。正気を疑っている場合では無かったし、連中以上に正気でなければこの先確実に判断を誤る。
満身創痍のサメ怪人を引きずり全速力で後退する。耳元をカーボン製の銛が駆け抜けた。熱い。恐らく出血しているが、耳たぶは辛うじて消して飛んでいない。思考は及ぶ。まだ生きている。俺は生きている。生きている。生きている。生きているからまずはコイツを救う。この身を賭してこの初対面の怪人を守る。それが蛇の手だ。それが俺のなすべきことだ。
「あーぇーーーそのー……お前。君!アンタ!!」
「……!?ぼく?ですか?」
「君!名前!何!」
「……ブニ!」
「ブニ!?ブニね!」
鮫見てえ奴だと思ったら本当に鮫だった。ブニ。なるほどね。覚えやすくて良い名前だ。
飛来するモリを半ばフルオートで叩き落とし、再度出血箇所に目を向ける。貫通している銛は一本。少なくとも2本脚でズンドコ歩けるようなお優しい傷ではない。傷ではないが、そこを圧して動いてもらわねばならない。
「あの、あなたは」
「蛇の手のカイだ。君を守るためにここにいる」
「守るってその、僕は」
「守る。守って見せる。から──」
「あの林まで逃げてくれ」と一言付け足し、とりあえずは強硬着岸した船に仁王立ちで向き直った。船上に動く光源。数は丁度10。単純計算でこっちの戦力の丁度10倍の敵が俺1人を狙っている。
走馬灯ってのは段階的に訪れるものなんだろうか。姉貴と一緒に部位鍛錬に及びものの数秒でリタイアした日の景色が段階的に脳裏をよぎった。
アオと出会ってからの1年、他人の生物学的な死に近づく機会は幾度となくあったが、死そのものが全力で俺に接近するケースはこれが初めてかもしれない。死という可能性が鼻先に迫っている。不可逆の結果が俺と目を合わせている。妙に現実味が逆に笑えてくるし、何ならアレだ。「ようやく俺の出番が来た」という妙な感慨深さがあった。
「逃げてくれ。頼む」
足元に転がったまま唖然としている“ブニ”に再度告げ、漁船目掛けて一歩踏み出す。
事の主体は俺の命のあるなしではない。まだ見ぬ超常の安全保障である。これ以上は追わせない。目先の金銭目当てに鮫の怪人を追っかけ回した挙げ句ここまで傷を付けやがったカス共はここで俺が絶やす。
未確認超常は守る。それを追う者は蛇の手の敵であり、少なくとも俺は手の一員だ。超常性は持たず、無論超常技術的な技術を持ち合わせているわけでもない。せいぜい旧日本軍のトンチキな通信設備を空手チョップで復旧させた程度しか「そちら側」に接近した試しの無い真人間だが、それはアオとて同じ事である。
「振り返るな。全力で生き延びろ」
アオは強い人だ。
血縁が災し理不尽にも命を狙われる境遇に置かれたというのに、最終的には自力で生き残り、それどころか非暴力路線で蛇の手運動を貫徹するという馬鹿げたムーヴメントを本当に実現した。大陸に取り残された妖怪兵器を国内に輸送し保護する作戦すら完遂した。
軽トラの助手席に引きずり込まれゲロを吐いたあの日から、俺はあの人に憧れていた。真の孤高。自己犠牲を顧みず声なき弱者に手を伸ばす生き方。決して恋愛的な感情でないと断言出来るが、一言で簡単に言い捨てるには余りに大きな尊敬の念は抱いていた。
「逃げろ!」
最早振り返ることもない。浜辺に降りた合計10の光源が一斉に俺を照らす。直後逆行を帯びて飛来したモリを型通りの廻し受けで逸らし、摩擦火傷と軽い出血で地味な激痛の滲む腕を振りながら、駆け出す。
沖縄が嫌いだ。そう自分に言い聞かせて県立高校での上位成績を勝ち取った。AO入試で都内の大学を認めさせた。テンプレ通りの上京ルートを辿った。
別に上京はゴールじゃない。入学2日目から就活を始めた。足繁くインターンに通い、正式に所属しているわけでもないゼミに顔を出した。「境遇に抗う者の在り方」を何度も自分に言い聞かせ、その都度実行に移した。
「これが趣味だから」と自分に言い聞かせながら参考書片手に電子工作に打ち込み、卒業後も大手インフラ企業でIT土方としてのキャリアを積みながら「有意義な人生」のテンプレを歩んだ。沖縄はクソだ。沖縄県民は更にクソだ。どいつもこいつも楽観を人型に鋳造したような連中だった。俺はクソじゃない。クソじゃないから抗った。抗った先にはテンプレート通りの「成功者の道」が一本だけ伸びていた。
貴女がぶっ壊してくれんたんだ。アオ。境遇に抗うことそのものを人生の目標にしていた俺に、貴女が意味を与えてくれたんだ。
貴女が与えてくれた意味を、完遂したい。変な話だよな。たったそれだけの使命感で俺は、吹っ掛けられた命のやり取りを正面から買っているってんだから。
敵はわざわざ船から降りてじりじりと俺を囲みに来ている様だった。上等だ。行きます命のやり取り。ありがとうアオ。全員ぶっ飛ばしてアイツらのアホ面拝んできますから。安心して本土で待っててください。行きます。行くぞコラ。
近場の光源に約1mの距離で接近する。何せ丘の側からの光源が何も無いせいで射手の表情すら拝めないが、少なくとも光源の正体が高出力の懐中電燈であったこと、及びこのクソ野郎の体格が概ね160cm程度の人間であることは把握した。前方から殺意。来る。
「──ตายッ!」
全長1m弱の飛翔体が脇の下を通り過ぎると同時に、光源の約30cm左上に上段蹴りを叩き込んだ。ジャストミート。人間の頭部がそこそこ駄目な方向にズレた感触が骨越しに伝わってくる。
ほぼ同時に懐中電燈が地に落ちた。一瞬見えた水中銃射手の顔立ちは大凡日本人的とは思えず、直前俺に吐きかけられた罵声からしても明らかに日本人ではなかった。
「อะไรนะ!? เกิดอะไรขึ้นッ!?」
「ฉันโดนเตะ ฉันโดนเตะจนล้มลง!!」
残り9人。感触と倒れ方からして一人目のカスが起き上がることはないと判断する。念の為骨の1、2本は叩き割っておきたいがその猶予は無い。
そもそも飛び道具持ちに完全なる素手で応戦している時点で無謀この上ないが、黒帯一歩手前まで沖縄空手に打ち込んだ俺だ。昇段試験とは一切関係なく、道場の内弟子による十人組手を自力で制した経験がある。即ち「1対1での全力の殴り合いを10人連続、1人あたり2分書けて、休憩を挟まず捌き切る」だけの技量は保証されている。
つまるところ、残る9人同時の処理を極力避け、1対1での対処を貫徹できれば、理論上コイツら全員を倒せるということだ。理論上は。
「理論上はなァッ!!」
理論上はどうにかなる。後はそれをやるだけ。やったな国頭改、受験と何ら変わらんぞ。足元数センチ先に転がった懐中電燈をひったくり、右から左へ撫でるようにザッと照らした。当然のように下手人全員の身体が硬直する。
次の獲物。縮れた髪の毛を雑に後ろでまとめている半袖短パンのお前。お前だ。水中銃の代わりに何かトンカチ持ってるそこのお前。飛び道具持ってねえな。持ってねえならそれで良いんだ。ぶっ飛ばしてやるよタコ。
ライトを顔面部に照射したまま低姿勢で突進する。途中足元を何かが掠めた。当然ながら5人以上の人間から一方的にライトアップされている状況は変わらない。集中放火もやむなし。デッカーの旦那曰く「移動目標を正確に射抜くには血の滲むような修練と長い年月、継続的な練習が必要」とのことだし、少なくともこんな連中が水中銃如きで全力疾走中の俺を射抜けるわけがないんだ。多分。仮に被弾したとするなら相当な不運と割り切るしか無い。止まるな。
トンカチが大振りに振り下ろされる。握り手は見えた。錆びた金属が俺の頭皮を穿つ手前、指先をすぼめたまま瞬間的に硬直させた左手首を、軌道上に、置く。
互いの手首が接触した瞬間、少なくとも人体から聞こえるべきではない破壊音が夜の砂浜に響き渡った。トンカチは闇夜目掛けてすっ飛ぶ。表皮の中で細かく砕けた右手首を押さえ男が絶叫する手前、その口元に正拳突きを叩き込んだ。
虚空に飛び散る赤。或いはそれ以外の色。明度と彩度を失った世界において物事の輪郭を一番正しく読み取る感覚は案外触覚なのかもしれない。振り抜く手前で照射を止めてしまったから敵の顔面部がどうなっているのかは判別しかねるが、接触直後の痛みが、熱が、吐息の感触が、前歯か何かが拳の皮を突き破って俺の骨を削った時の「ザリッ」としか形容できないあの感覚が、ある。俺のものとも敵のものとも判別しがたいヌルヌルが潮風と共に味気なく乾燥していく。その全てを脳が言語化して処理している。アドレナリンのせいだ。
[カイがボッコボコにされるパート]
「は?」
男の頭部の上半分は若干形を変えていた。
「──すっげえ反動!」
振り返る。白いタンクトップ。ロクに整えていない短髪。不健康を絵に書いたような顔色の女が1人。
ユタが笑っていた。グロック片手にケラケラと。
「……何で戻ってきた」
「カイ頭下げて」
乾いた爆音が続けざまに3発響き渡る。襲撃者たちはようやく状況を把握したのか、口々に罵詈雑言を吐きながら漁船の方まで後退した。
もう一度ユタの方を振り返る。半身に構えて左肘を前方に突き出し、その上に握り手を添える姿勢でグロックを把持していた。その姿勢なら通信機復旧の旅の最中“図書館”で目にしたことがある。旧日本軍の正式な拳銃の構え方だ。
「……何で戻ってきた!?」
マジで何してんのコイツ。
待ってくれ。財団から鹵獲した銃器を発砲したのかこの女。アイツら目掛けて。状況の理解が追いつかないまま棒立ちしていた俺を挟んで何発も。
俺は指示した筈だ。「お前らを巻き込むわけにはいかない。隠れていろ」と。実際コイツらが対超常戦闘の前線に立つ理由はなにもない。一切ない。お前らには享受すべき平穏がある。保証されるべき生活がある。それを守るのが蛇の手だ。それが俺なんだ。
お前は駄目なんだよユタ。お前は確かにクソ女だし、ヤニカスだし、大凡まともな社会性があるとは思えないろくでなしだけど、俺はお前を守るためにここに来たんだよ。
「ソイツを降ろせ馬鹿野郎!」
「やだね」
「自分が何と戦ってんのか解ってんのか!」
「何だっけ。“世界”ってやつ?」
言葉に詰まる。そうかな、そうなのかもしれねえな。何でその自覚がありながらこの女は。
人が死んだ。脳みそをぶちまけて砂にまみれながら。別にそれ自体は何ら驚愕に値することではない。俺とて手として殉ずるつもりで殺すつもりで事に及んでいたのだから。本土での修行時代に何度か他人の死に立ち会ったから、その編は折り合いはついていた。何でお前が真っ先に手を汚しているんだよ。
何でそんなに平然としていられるんだよ。
「あたしの敵なんでしょ?」
射撃姿勢を解き、引き金に指を引っ掛けたままユタが歩き出す。こういうのに関してはまるっきり素人だ。右手にだらりと握られたグロックを奪取出来ないまま接近を許す。保護対象は俺の隣に立った。
「……ッ!そうだお前の敵だ。金品欲しさにお前みたいな奴を攫うような連中だ。この世界のためにお前を否定する連中だ!」
「じゃあぶっ殺さないとね」
「それとこれとは──」
左手を突き出す。4日間の共同生活を経て最早慣れ切った冷気が背中を襲った。俺達のすぐ横を“何か”が掠め、はるか前方の闇夜目掛けて加速していった。
漁船のからひときわ大きな叫び声が一瞬聞こえ、途絶えた。誰がどう聞いても断末魔だったし、俺の首根っこのすぐ真横を通り過ぎた物体はどう思い返しても連中が打ち込んできた水中銃用の銛だった。
昨日の今日の話だ。俺はこの能力を知っている。
「──無事か?若大将」
「何でアンタまで出てくるんだ」
「『玉城サキを守れ』。そなたの命だ」
「言いましたよ。言ったんスけど──」
幽霊テメエこの野郎。お前が一番聞き分けあるもんだと思っていたのに。
ああ言ったさ。言いましたとも。そういう話じゃないんだこういうのは。貴方が取るべき最良の選択は戦闘への参加じゃない。この馬鹿の身体を乗っ取って戦線から離脱することだろうが。
カーボン製の銛を傍らに1本浮遊させ、落ち武者の地縛霊が右隣に顕現した。幽霊ってのはどうにも昼間に限って見えづらいものらしい。夜の闇の中に“平”は確かに存在していた。死に装束を身に纏った無精髭のオッサンがそこにいる。900年前に散った筈の戦士が俺と同じ方向を向いている。
揃いも揃って俺の隣に。
なおす
衝突音。鏃にあたる先端部が俺の胸元を貫く直前、蒼い軌道が扇のように薙いだ。
ユタの背中が俺の眼の前にある。先程まで浮遊していた銛を左手に握り、ホームランを放った直後のような立ち姿で。
大気中で最高速度に達した狩猟用の銛を同じく銛の一振りで迎撃しやがった。時代の変化とともに潰えた技術の1つ。戦国以前の武士は自由落下する矢の数本程度なら刀で撃ち落とせたと、高校の日本史教諭が雑談交じりに話していたのを思い出す。
蛇の手失格だ。保護対象に命を救われるなんて。否。失格ならずっと前にしていた。
足の着きやすいタクシーでユタの生活圏に向かい初日でこちらの動向を掴まれたことも。財団相手に無謀にも武力で抵抗した事も。最終的には現地の未確認超常の力を借りてその場を切り抜けた事も。婆さんとの偶然の出会いだってそうだ。
俺は何一つとして、俺だけの力で状況を打破していない。何も守れちゃいない。こいつらを付け狙う「敵」を指し示して逃げろ隠れろと叫ぶだけ叫んで、挙げ句未確認超常の救出の半ばたかが人間如きにいいようにやられて、最終的にはこいつらの助太刀に命を助けられた。
アオ。姉貴。ユタの背中に重ねて2人の女の影を見る。教えてくれ。俺はどう在るべきだったんだ。
「ったく馬鹿ばっかりだね。どいつもこいつも」
「……俺は、どう在るべきだったと思う」
もうこの人でいいや。不在の2人にこれ以上疑問を投げたところで返ってくるのは闇だけだ。わざわざ徒歩でこの砂浜を歩いてきた婆さんに思わずこぼした。
「俺は多分無力だ」
「そうかもしれないね」
「あんたらに助けられなければ今日この世には存在してなかったし、俺の努力だけじゃ誰一人として守れなかった」
「そうだろうとも」
「俺はどう在るべきだった」
「逆に1つ聞くよ若造」
婆さんが言う。戦後混乱期を駆け抜けた女傑。半世紀にわたり己の超常を隠し続けたという三人目の保護対象が。6月中旬では無理のありそうなスカジャンを夜風にはためかせて。
「アオとかいう女がどんな人間なのかは知らない。蛇の手ってのが何を目的にこの世界と殴り合ってんのかもあたしゃ知らん。興味がない。お前らは兎も角この能力だ。誰にも負ける気がしないからね」
そういう連中と戦ってもいないくせに何を宣うとツッコむ他ないが、それにしては説得力のありすぎる出で立ちだった。年の功ってやつか。俺の喉が発声を許してくれない。
「そういうのは関係なしに聞くよ若造。アオってのは今のお前みたいにつまらん自己犠牲で人様にお節介焼くような大和モンなのかい」
「そうだってんならここで終いだ。帰って寝る」と、両手をポケットに突っ込み老婆は不敵に笑った。カミソリみたいな目つきで。落ち武者幽霊に負けず劣らず若々しく。
アオは、そういう奴じゃない。
俺が青大将にいた頃から、アオは常に前を向いていた。自己犠牲とか、お節介とか、そういう言葉で括れるような薄っぺらい人間じゃなかった。ただ純粋に、超常の居場所を作りたいと願っていた。そのために必要なことをやる。それだけの人だった。
婆さんの言葉で、初めて気づいた。
俺はアオに憧れていた。アオみたいになりたいと思っていた。だから無意識にアオの真似をしていたのかもしれない。守るべき対象を前にして、自分を犠牲にしてでも守り抜こうとする姿勢。それがアオの姿だと勘違いしていた。
違う。
アオはそんな風には戦わない。アオはもっと、もっと実直で、もっと計算高く、もっと格好いい生き方をする人だ。自分を大切にしながら、仲間を大切にしながら、それでいて目的を達成する。そういう人だ。
俺がやろうとしているのは、アオの焼き直しですらない。ただの自己満足だったじゃないか。
「……アオは、そういう奴じゃない」
俺は婆さんに向き直った。
「あの人は俺みたいに独りで突っ走ったりしない。仲間を信じて、仲間に頼って、それで勝つ。だから──」
「だから?」
「……俺も、そうする」
婆さんは満足したように頷いた。
「……キミらが何者なのかは僕も解らないんだけど、なんというか──」
「キミが助けてくれて嬉しかった、とは思ったかもしれない」
胸の奥が熱くなった。
助けてくれて、嬉しかった。
明確に感謝の言葉を向けられた。俺の行動が、誰かの役に立った。誰かを救えた。その実感が、言葉として返ってきた。
「そうか。良かった。間に合って」
「うん。間に合ったよ、カイさん」
ブニの言い方は、どこか曖昧で、はっきりしない。「思ったかもしれない」なんて、随分と遠回しな表現だ。でもそれが逆に、この場の空気を少しだけ和ませた。
命がけの戦闘の最中だというのに、何故か少しだけ肩の力が抜ける。
「で、誰なんだっけ。あたしら」
恐らく漁船に積み込まれていたのであろう、まだ生きていた投光器2つが俺達を正面から照らした。残存敵数7。多勢に無勢の状況は幾らか好転しているらしい。気まぐれでもなんでもない、こいつら一人一人の明確な意思によって。
戦後混乱期を駆け抜けた一匹狼。没後900年の暗闇に漂っていた幽霊。自称沖縄最後の霊能力者。そして何処の鮫の軟骨とも知らない怪人。そういう連中が俺を見ている。俺の声を待っている。
声を、待っている。“蛇の手”の声を。
「……俺達は」
見せるのは背中だ。追随するに値する背中。肩を並べて立つに相応しい背中。
島の外に消えた姉貴の背中。アオの背中。
「俺たちはこの島々に潜む。踏み躙られる弱者に“手”を差し伸べる」
「この毒牙を以て、“人道”の敵に仇為す」
「俺達は──」
星の一つも見えない曇天を指さし、本能のままに名乗った。
「──“波布”だ」
ハブ。諸島に住まう毒蛇の名。本能でその2文字を口にしたわけじゃない。この諸島に蛇の手活動を再興すると決まったその日から何となく考えていた。仮にまだ見ぬ蛇が集ったところで、「それらは決して青大将たり得ない」と。
御免アオ。俺は多分青大将には戻れない。戻ったところで俺の役割があるのかは疑わしいところだけど、それだけはいつか謝らせて欲しい。市井の草むらに潜み、助けを必要としている誰かにその手を差し伸べる無毒の蛇であってくれ。俺より強い貴女ならきっと為せる筈だ。
「平!憑依と霊障は同時併用可能か!?」
「可能だが双方とも精度が落ちる。どちらか片方しか使えぬものと考えてくれ」
「前進して道を開く!飛翔体の迎撃はアンタに任せた!ユタ!」
俺は行くぜ。アオ。非暴力の人道支援を世界屈指の超常密集地帯に掲げた貴女を誇りに思っている。貴女と同じ場所で同じように肩を並べてみたかった。貴女が俺を変えてくれたんだ。クソみたいに燻ぶっていただけの俺を。
けど、俺は貴女になれなかった。成れるわけが無かったんだ。ここは沖縄で、コイツらは殊の外孤独な連中で、その存在を脅かす連中は想像の何十倍かクソみたいな奴らで、俺は何処までいっても俺だったから。
「──あと何発残ってる!?」
「わかんね!」
「牽制射だ!合図したら全弾船に叩き込め!その隙に俺と平が前進する!」
「あはは!銃刀法違反じゃんね!?」
「テメエに言っとけ!婆さん!」
揃いも揃って目ん玉キラッキラさせやがって。人のこと言えねえよな。聞かせてやりてえよこの鼓動を。半開きの口角が徐々に持ち上がる。知らない音楽が頭ン中でフル回転してる。脈拍とドラムロールが戦闘本能を駆り立てる。安上がりなライトアップ。切り裂かれた半袖ワイシャツ。革靴の中に混じった砂。流血。波の音。前方から聞こえる怒声。疲労とは無関係に正される体幹。鈍い痛み。握りしめた拳。重症者1名。3人の超常。“人間”が1人。腹の底から怒りを燃やし、胸中で誓う。
今からやるのはある種の原点回帰だ。
「悪いがアンタが最重要戦力だ!前線には出るな!」
「聞こえは良いね。だからどうする?」
「だから……その……どうしたら良いと思います?」
「……」
「ぶはははッ!!」
「うっせバーカ!バーカ!ておい銃口こっち向けんなユタ!」
図書館という絶対的な領域を拠点に現体制へ仇為す攻勢の人道組織が蛇の手であるならば、基底現実に潜み専守防衛に徹する支援組織が青大将だった。
いわばこの二者の間に立つことを意味する宣言だった。俺たちはこの島に潜む。この牙に毒を宿す。基底現実での直接的な実力行使を以て障害を排除し、世の理不尽に抗う。
「──婆さんは何書いてんの」
「手向けってやつさ。持ってきな」
「……石敢當?」
「石ころにそう記せばそれで終わりさね。使い所は考えな」
懐から取り出した意思にマジックペンで3文字。県民なら見飽きている文字列を記し俺に託した。それも2個セットで。
「説明は必要かい」
「合図したら頼むわ」
「ここで待っててやる。行ってきな。ガキ共」
石ころにそう記せばそれは石敢當たり得る。なんともテキトーな仕様だ。それ故に仕様法は本能で理解できた。滅茶苦茶だなこの婆さん。これで戦闘経験が無いんだから尚更滅茶苦茶だ。
これ以上ウダウダ考えている時間はない。対人間の戦いにおける定石はルールに保護された殴り合いだろうが単なる殺し合いであろうがさして変わらないところがある。「崩した後は決して立て直させないこと」もそのうちに入る。それを許した瞬間から敗北は始まるのだ。
俺達は絶望的状況から立て直した。そして連中全員を崩した。機はここにある。右手に即席の石敢當が2つ。左手には銛を3本。
大きく息を吸い込み、右斜前方に駆け出した。
「ユタ!」
「っしゃあ!」
手の平サイズの業火。鹵獲品グロックが残り少ない残弾を一気に吐き出す中、そのけたたましい発砲音を背中に闇を這う。一匹の蛇が如く。
投光器の射程の外側である。おまけにユタの発砲に対し連中は対抗手段を持たない。顔を出してその様を確認する術すら与えていない。約30mの道のりをあっという間に駆け抜け、船の反対側を一望できる地点に辿り着く。たかが拳銃一丁に怯える男が恐らく5名。他2名は船内に存在するものと仮定し、低姿勢でその様を観察する。
「旦那」
「おるぞ」
「5秒後に2本ブチ込め。1本は保険としてアンタに預ける」
「心得た」
息は整った。目は慣らした。鈍痛は噛み潰した。敵は依然崩れたままだ。すべての銛を何も存在しない筈の中空に預け、石敢當の1つを足元に設置する。ユタの集中砲火は止んだ。残り2秒。
俺の頭上で2本の銛が浮遊する。立ち上がり、石敢當のもう1つを連中目掛けて投擲した。
「……婆さん!」
叫ぶ。風切り音と共に銛が飛翔を開始した瞬間、半身に構えて地面を踏みしめ、構えた。
ナイファンチの姿勢。同時に俺の周辺空間が爆ぜ、収束する。眼前には船の腹。襲撃者が4名。いつの間にやら腹を銛に貫かれた重症者が1名。技術憑依と霊障。そして転移。3人分の超常を即席で合わせた奇襲だ。送り出された俺が生身であること以外、負け筋は、無い。
衝撃で砂地が沈み込む。土踏まずと足の全指で砂を掴み、前へ跳躍。想定外、そう顔に張り付けた無様な男に膝蹴りを一発かませば、砂を巻き上げ、2回3回と跳ね転がっていく。頬骨の一片くらいは持っていった感覚があった。
殺気、右。横目に捕え、迷わず右手をねじ込む。理論値そのまま最高出力の正拳突き。叩き付けられた身体が船体全部を揺らす。拳面の指4本を介し、この男の胸骨が拳半個分は内側にめり込んだことを察した。運が良ければまだ生きている。悪けりゃ死んでる威力。
「อะไร!?」
俺は蛇だ。一匹の毒蛇だ。などと、どれだけ自分に念じてもやはり中身は人間である。感情は揺らいだ。さっきの2人にしたってそうだ。殺すつもりで打ち込んだのだから死んでいてもおかしくはない。これら全てが未遂に終わったとしてもとっくに越えてはならない一線を越えている。感情は揺らぐ。冷や汗は吹き出る。呼吸は揺らぐし体軸は乱れる。動かしてなけりゃ手元は震える。崩れ落ちる人体から引き抜いた拳に俺自身が恐怖している。後悔している。
それで、構わない。大義を掲げた既存事実からの逃避など、蛇の手の、ましてやその首領の行いとしてあってはならない所業だ。噛み締めろ現実を。それでも前に進め。少なくとも俺は──
「──カイ!」
──俺は、一人じゃない。共に命を賭し、隣に立ってくれる仲間がここにいるのだ。今は預けるに値する背中を見せる。彼らが俺を信じたように、俺もまた彼らの信頼に答える。それだけだ。
平が俺の名を呼んだ直後、俺の視界の外側でもう1人が倒れた。恐らく緊急用に残しておいた銛が活きたものと仮定。鉈か何かを振りかざしている1人を前蹴りで押し倒し、数歩引いて距離を取る。
乱戦状況で一番喰らいたくないのは死にもの狂いのタックルと複数人がかりでのテイクダウンである。押し倒されれば滅多打ちにされる。その危険を僅かでも削ぐための奇襲だった。地上にいるのは残り2人。まだ姿を現していないのが2人。削ぎに削いでやったりだぜ馬鹿野郎。
「クソが!」
勝てる。勝ってやる。俺が3人。ユタが1人。平が2人仕留めた。数的優位は最早存在しないのだ。十人組手みたいなクソの理論が無くてもどうにかなる。刃物持ちがいること自体相当な劣勢ではあるが戦闘開始時点よか幾分マシだ。
「やったらァッ!」
啖呵切って再び脚を踏み出した瞬間、閃光が俺の視界を潰した。
続けて腹に何か、線が通る。
「……お?」
勢いそのまま吹き飛び、後頭部から硬い砂地に激突した。
何が起こった。閃光は船に搭載された投光器による目潰しだと思う。問題はさっきの打撃だ。身体は浮いたが腹は貫かれていない。内蔵も潰れていない。多分。解せないのはあの状況からあの打撃を俺に与えた手段だ。飛び道具とは思えないが、同時に飛び道具で無ければなし得ない距離からの攻撃だった。
「旦那!俺は今何を食らった!?」
いずれにせよこの直射光だ。ネタを確認しようにも眩しすぎて目が開けられん。平に聞けばどうにかなると思ったが応答はない。
無けりゃ無いで俺が動く他ない。防御姿勢を取る。取ったはいいが──
「──っツァッ!?」
もう1発デカいのが来た。今度は左膝をおもっクソ打ち抜かれ、そのまま顔面から砂浜に叩き付けられる。やはり何をされたのか解らなかった。しかし今度は確信を持って言える。これは恐らく超常、特にアーティファクトを用いた攻撃だ。やってることは海賊だが仮にもブニの捕獲を委託されるような連中である。クライアントだか元締めだかに超常物品の1つや2つは供与されていてもおかしくない。仮想的を完全に見誤っていた。仮に奇跡術の類が行使されていれば俺の肉体が丸ごと消失していた可能性すらある。
反動を付けて立ち上がる。歩行走行ともに支障なし。前方に人影。恐らく鉈を持ってた方の野郎。大声と共に水平に空を薙ぐ巨大な刃物を間一髪回避し、やはり前蹴りを叩き込んで転がした。
「あーもおぉー畜生ッ!」
刃物野郎はとりあえず放置。まずは船にいる奴らから潰す。一直線に突っ走ってもいい的にしかならないから、姿勢を低く、重心を前に、自然に足が出るように。水をいなす海蛇が如く。
俺の後ろを追いすがる気配にも気を配る。そうだ、愚直に着いてきやがれ。船体は見る間に接近する。夜闇に塗装もはっきり視認する距離まで迫る。ふと、船体に鈍い輝きを見る。
──くる。
重心をなめらかに後方に移動し、姿勢をさらに低く。スライディングの容量で浜を滑る。すぐ頭上を風切り音が抜ける。鈍い転倒音も。バカが。暗闇じゃ、俺の背後の影に気が付きようがない。生死の確認すら惜しみ、船へ駆けようという刹那。
浜を踊っていた投光器が不意に機能停止した。再びこの場に闇が降りる。気合で閉じて闇に慣らしておいた右目を開放し、一応諸々の輪郭が見える状態であることを確認しながら船体に駆け寄った。
「……平?」
「無事か?若大将」
凝視船上に人影が3つ。恐らく平が憑依している状態のユタ。もう一つは婆さん。そしてユタに後ろから首をへし折られたと思わしき野郎が1名。
足りない。後方から自主的に奇襲を仕掛けてくれた事自体はまあ有り難いとして、船内に戻ったと思わしきもう1人の影が見あたらん。というか婆さんはさっきの指示聞いてたのか?
「もう1人は!?」
「あ?」
「まだその辺に1人いる筈だ──」
言い終える直前、4つ目の影が婆さんの後方に立ち上った。鈍器だが刃物だか判別のつかない装備を片手に振り被っている。
「しまっ──」
「婆さんッ!」
多分間に合わない。平が中に詰まっているユタであっても介入の余地がない。実際間に合わなかった。憑依状態の平では捕捉のしようのない闇討ち。奇襲に対する奇襲。取手を真下に向け勢いよく振り下ろされたトンファーは婆さんの頭頂部を直撃し、そのまま自由落下のままに甲板へ転がったらしい。
下手人の姿は影も形もなくなっていた。婆さんはまるで何一つとして問題がなかったかのように、座礁してかなり傾いている筈の甲板からこちらを覗き込む。
「アーティファクトとやらには触らんほうが良いのかね」
「……いや、あの」
理解が追いつかねえ。背中からぶん殴られておいて何で無事なんだこのババア。
嘘だよな。フルスイングで頭かち割られたよな。この場合どっからどこまでが俺の想像だったんだ?何で?てか婆さんに殴りかかった奴がいたんだよな?奴はどこに行った?
「……御仁」
「そのガキの口から言われると中々面白い響きだね。何だ若僧」
「若……消したのか?あの一瞬で?」
「だーれが消すもんかい」
「4日もタダメシ食らっといて思い出せないのか?ええ?」「実際食したのはサキだけだが……」など人生の先輩方が応酬を繰り広げる中、5秒ほどかけてようやくトリックのタネを想起する。
マジだったとしたらこの婆さん相当イカれてるが。
「……生ゴミと一緒に海の藻屑ってことッスか」
「お前はお前で頭の回転が速くてつまらんね」
うん……うん。
思えば事情聴取の際にそれとなく口にしていたんだ。魚の骨やら野菜クズやらはゴミ箱に突っ込むのも面倒くせえから取り除き次第転移で海に捨てていると。何ならそれらしき現場には立ち会っている。居候2日目の夕方に台所からあの特徴的な転移音が立て続けに鳴り響いたのがまさにそれだったらしい。
環境保護団体が拳を握り締めながら辛うじて助走に踏み切らない程度の不法投棄。亀やら魚やらがある程度群がるエリアに石敢當を配置してどうにかしていると確かに言ってはいたが。
「特にマークしていなくても触れりゃ飛ばせるモンらしくてね。蚊やらハエやらも同じ原理で防いでんのさ」
確保された安全と共に確信した。この婆さんが一番おっかねえ。アーティファクト1個で俺を転がしまくった野郎をただ突っ立っているだけで制圧しやがった。平もユタも凄えよ。よくやってくれたよ本当に。お前らの憑依とポルターガイストが無けりゃどうにもならない局面は無数にあったんだから。
各々が自らの超常を単一の目標のため行使した結果だ。まずは完全勝利という結果が出来た。ロクに歳月かけて互いの理解に徹したわけでもないくせに、俺たちの即席の団結は蛇の手運動の一形態として、「在野の超常性保持者に対する非人道的な捕獲行為」の1つを完膚無きまでに叩き潰した。
では、まあ人が死んだり、この後新たに1人救助する予定であったりと覆らない現実と後に引けない事実を残してしまっているものとして、この場合──
「……俺たちの戦った理由ってのは、何だ」
「──カイ」
いつの間にかユタから離脱していたらしい。平は俺の隣に浮遊していた。野郎の獲物。多分恐らく推定、伸縮自在という機能を持つ1本のトンファーと共に。
「ユタは?」
「甲板で吐いている」
「……それ多分アーティファクトなんだが」
「発見時は極力触れてはならないと聞いていたが、生憎とも諸手が無いものでな」
「屁理屈め」と半分笑いながら浮遊中のトンファーを手に取る。
やはり正確なカラーリングについては判別しかねるが、道場で数度握らせてもらったものとあまり大差のない木製だった。
沖縄空手には櫂やトンファー、棒、そしてサイ等を用いた武器術が数多く取り入れられている。武器術の存在意義は色々あるわけだが、噛み砕いて話すと武術的な身体動作の正確性確認という重要なチェッカーとして機能してくれるのがこういうガジェットなのだ。徒手空拳と武器術をある程度織り交ぜ練習することで、双方の練度向上と新たな発見に繋がる。棒術の練習とか結構楽しかったんだよな。手放した後も自然体で背筋が伸びるあの感覚が好きと言えば好きだった。
最もトンファーは本当に上級者向けというか、少なくとも俺みたいに島ごと途中離脱するような奴が扱わせて貰える代物ではなかった。道場でも本格的な訓練は内弟子の成人組しかやっているところを見たことがない。
「この島の拳法を扱うとなれば多少の心得があると判断したが、どうだ?」
「どー……ッスかねぇ」
まだそこにいる。鉈で斬り掛かってきた奴が。
捕獲船は座礁。船員も大半は死亡し、実働要員は壊滅した。今更コイツ1人逃したところで大したことは無い。無いんだが、それでも尚俺たちに刃物を向けてくるってんなら話は別だ。
「やれるか?」
「……やれますとも。首領ですから」
扱った試しはないが、扱い方そのものは何度も見てきた。今の俺なら多分できる
右手に握って駆け出す。接触。縦一線の一撃を左側面への回避でいなし、空いた土手っ腹に左のショートフックをねじ込んで距離を取った。肉が厚い。伊達に超常の闇社会で稼業に就いているわけじゃないってことかもしれない。さして効いた素振りも見せず、鉈の使い手はサーベル術よろしくデカい刃を振り回して迫ってきた。
左右アンバランスの重量差、打突の際意識すべき握りの違いなど一々考慮しながら真に洗練された基本形通りのカラテへと修正していく必要があるわけだが、これは実戦だ。ンな悠長なことを考えている余裕はない。真下から突き上げてくる切っ先をトンファーの一閃で体軸の外側に弾き、右のローキックを大腿骨へ直に叩き込む。敵の足が止まった。中空で膝の向きを変え、膝から先の重量全てを投じて側頭部への上段蹴りにシフトする。
「……ははっ!」
視界がクリアだ。上段蹴り自体は髪束を掠めただけで留まったが、次にどう動くべきなのかが明瞭に判断できる。自分の身体がずっと、前に押し出されていく。蛇の頭のように、果てなく、前へと。
拳の底を叩きつける形でトンファーを振り下ろし鉈野郎の左の鎖骨を強打した瞬間、死に物狂いの雄叫びと共にヘソの高さで刃が唸った。間一髪で後方へ離脱していなければ内臓撒き散らしてあの世行きだった一撃。敵ながら残った方の片腕だけでよくやる。
視界が、クリアだ。2人の女の背中は瞼の裏から消え失せていた。代わりに横並びで立つお前らを時々思っている。
刺突と斬撃が徐々に加速し、鈍重な刃が嘘のように空を切る中、その一切に触れることなくただのステップワークだけで全てを回避した。振り抜き際に右腕を合わせるだけで簡単に敵の骨を砕けた。握り拳の甲にねじ込んだトンファーの先端部がある程度の血に染まる頃、男はついに柄を取り落として後ずさった。
両腕を潰されフラつきながらも2本の足で立ち上がってくるその姿勢については感心するが、お前らは人道に反した。テメエの都合で踏み躙ってはならないものを踏み躙り、剰えそれを生業としていた。故にこれは俺が今行使できる最大の情けだと思え。
「……海の向こうで振れ回れ」
正拳突きの構えで立ち向う。ボタンもレバーも何も見当たらない以上操作法は限られている。
せめてもの情けだ。一発で消し飛ばしてやる。
「波布が生まれたってな」
一撃。
腹にめり込ませたトンファーの先端部がギチギチと唸りを上げ、猛スピードで、伸びた。暗黒の海岸線を斜めに突っ切るように。恐らく70kg近い体格の男を先端に固定し、海面で引きずりながら。遥か彼方へと。
伸ばした右腕を勢いよく引き戻した瞬間、如意棒よろしく異常な長さにまで成長してしまったトンファーは綺麗さっぱり元の形状に戻る。当たり前の話だが男はくっついてきていなかった。
戦闘終了。短いんだか長いんだか解らん死闘だったが、少なくとも十人組手よりは遥かにキツい試しだった。ふらつく膝を叩いて直し、船の方に戻る。3人ともいつの間にか浜の上で俺を待っていた。
「あ、カイ来た」
「帰って寝るよ」
「鮫男がほったらかしのままだが、アレはどうするつもりだ」
「いっぺんに喋るな。……そろそろ警察か海保が来てもおかしくない」
体力が限界に近い。「故に?」「アイツ回収して婆さんちに帰宅だ」と全員の背中を軽く叩いて促す。何も問題が起きていなければ今も懐中電灯の散乱している方に転がっている筈だ。
疲れた。マジで疲れた。立て続けの実戦もキツかったが心境の変化でハイになりすぎていた面はある。走って転移して殴って転がされて最後はアーティファクトで人間1人ぶっ飛ばしたのだ。やった本人ですら頭の整理が追いつかん。
「……一度に10人か」
「幸いなのはたかが素人10人だったことだな」
「単身嬲られかけた身でそれを言うかね」
「うるせー。……まあ、マジで助けられちまった。礼は後で言わせてくれ」
髭を微かに傾かせ、幽霊が肩を貸す素振りを見せてくれたため反射的に腕を回す。何もない中空に思いっきり体重をかけて転倒した。
「ぶはははッッッ!!」
「幽霊テメー!!」
「いやまさか本当に引っ掛かるとは……カイ」
「あんだよ!!」
「我々は都合何人の敵を屠った計算になる」
「そりゃお前」
まず俺が単独で2人倒しただろ?ほんでユタが1人射殺して、船に奇襲仕掛けて以降は平が2人、俺が2人倒して、船の中に戻っていた輩のうち平inユタが1人捻り殺して、婆さんが1人海の藻屑にしたわけだ。合計9人だな。
やらかしたかもしれない。
「──周辺警戒!まだ1人残っている!」
「今一番危険なのは保護対象なんじゃないのかい若僧!?」
「その通りだ婆さん!1列縦隊でブニの元へ向かう!絶対に散開するな!」
砂に塗れた半袖ワイシャツを叩きながら走り出す。ヤバい。完全に失念していた。転移後の乱戦で誰か1人取り逃がしてんだ。予め敵の最大人数が割れておきながらなんて失態を。
無論捕獲船はあのザマで仲間も全員倒してしまった。雑魚一匹残ったところでブニをどうこうできるとは思わないが、人間一番とは言わずとも二、三番目に怖いのはヤケクソで全てを終わらせに掛かるあの無茶っぷりだ。初手で独り善がりの十人組手に挑んだ俺だからこそ理解できる。
というか、仮に取り逃した場合俺たちの人相やら能力やらが全部バレる可能性すらある。この島での蛇の手活動が初手からハードモードに早変わりだ。それだけは困る。マジで
「ブニの安全確保は婆さんに一任する!平は上空から偵察!俺とユタは二手に分かれてあのカスを探す!」
「見つけたらどうすんのさ!?」
「始末するしかねえ!俺たちの存在がこれ以上バレんのはヤバい!」
「その必要もなさそうだぞ」
50m前方に人影。ラスト下手人発見。向こうもこっちの存在に気づいたのか全速力で海の方へ逃げて行く。
このクソ暗い海を泳いで逃げるつもりだ。見上げた犯罪者根性だがそれをやられると本当に勝ち目が無いんだ。何としてでも奴をこの場で処理する必要がある。
「婆さん!」
「石敢當が無いんじゃ飛べないよ」
「平!」
「飛ばして当てるものが無いぞ」
「ユタ!」
「何するってんだよアタシが!てか足早い!止まれ!」
「ヤニカス……ッッ!」
異変はそれだけじゃなかった。ブニの姿が見当たらん。目下対処すべきは恐らく泳いで逃げようとするアイツなんだろうが本当に何処に消えやがったんだあの鮫。この期に及んで何でこんなマルチタスクを負わにゃならんのだ俺たちは。
「カイ!もう無理だってアレ!」
「うるせえ死活問題だ!今後の生活難易度に関わってくる!」
「じゃあ今関係ないじゃん!」
「クソの損得勘定しかできねーのかお前は!?」
通過の途中で懐中電灯をひったくり、海面を照らす。10人目の敵は何故かバタフライで夜の海を泳いでいた。既に波打ち際から結構な距離が空いている。何でバタフライなんだよ。普通に平泳ぎしとけよ。着衣泳じゃ尚更体力持たねえだろ。
「グロック!グロックはどうした!?」
「何か弾出なくなって壊れた!」
「スライドストップしてるだけだそれ!てか婆さん大丈夫!?」
「ババアに走らせておいてそれを聞くか!幽霊!お前何とか出来んのか!?」
「出来はするがサキを溺死体で返す羽目になる」
「あたし嫌だかんなバタフライで死ぬの!」
だから何でバタフライする前提なんだとツッコむ余裕すらない。文字通り老若男女4人が揃って足踏みしながら、もはや手持ちの懐中電灯では捕捉できない距離まで遠ざかりつつある異国の民の背中をただ見つめている。この状況下で同じように泳いで追っかける程の無謀さは生憎誰一人として持ち合わせていなかったらしい。それ自体はまあ結構なことなんだが、本当にどうすんだこの状況。
「──ねえ平あの船どうにかできないの!?」
「サキの憑依と同じく厄払いなどの限定的な目的でしか霊障は発動しない。座礁した船を引きずって戻すのはその範疇外だ」
「万一回復したところで誰が操縦するんだいあんなモン。出来んのかお前ら」
「無理!オバアは何だっけ、石あったらどうにかなりそう?」
「緊急用の丸石はどっちもあの辺に転がってんだろうね。取りに行く暇は無いだろうさ」
「……帰って寝ない?」
「賛成だね。どうするつもりだい若僧」
歯噛みする。随分と離れた洋上を、バカにするかのように頭をひょこひょこさせて撤退していた姿はどこかへ行ってしまった。
己の慢心により敵一名逃走。保護対象、ロスト。既存人員の喪失こそないが、最悪の部類だ。威勢よく波布だなんだとカッコつけておいて、落第確定である。
名残惜しげに、海面を左右に照らす。
「……このまま夜の海をあてもなく探すのは分が悪すぎ、る……?」
「……あっ!」
鮫の頭部が海面に突出していた。
そして恐らく上下で真っ二つに両断された人体が漂っている。
「……ブニ?」
「どうもどうも」
まるで何でもないかのように、サメの怪人が浜に上がってきた。
「僕は、海が本領なんで。これくらいならね」
「……怪我は」
「少し引き攣れはするけど、まぁ包帯巻いとけば治りますよ、たぶん。人より治りは早い方なんだ」
「馬鹿野郎それはこっちが何とか手配する」
「だが……まぁ、無事で良かった。それに、尻拭いまでしてもらってすまない」
すっかりサメの頭が人のそれに戻った、ブニと名乗る青年に対して、頭を下げて感謝を述べる。
「やめてくださいよ! カイさん、でしたよね。僕だって今ここまで一緒に戦った一人ですからね! まぁ、助けられた比重の方が大きいといえばそうなんですが……」
ブニは「だから」と一呼吸おいて、顔を上げたカイの目をまっすぐ見て、手を差し出す。特徴的などんぐりまなこは、改めて見ると随分と純心な雰囲気だ。
「だから、僕ももうカイさんたちの仲間じゃだめですか、ね?」
「仲間なら尻拭いとかないもんな!」
「どうせ早いか遅いかの違いくらいしか無いだろうになぁ小僧」
「またそなたの寄り合いが賑やかになるな」
後ろでやいのやいのと騒ぐ連中を尻目に、目の前の青年に差し出された手をしかと握り返す。
そうだったな。弱者を踏み躙る敵に毒牙を掛け、弱者に“手”を差し伸べる。誰しもが肩を並べる共同体。それが俺たち。
「波布にようこそ。ブニ君」
「──だから靴脱げってんだよクソガキ!」
「せめて玄関先に飛ばせよババア!!」
「室内への直接転移は不合理極まりないな」
「黙ってな幽霊!本土の人間がアタシんちでガタガタ騒ぐな!」
「ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイ近所迷惑だ落ち着けアホ共!」
「誰がアホだ万年スーツ!!」
「お前だよヤニカス!」
5人揃ってセーフハウスの広間に飛んだ矢先これである。時刻は午前3時を少し回った頃。大体予想はしていたがブニが一番反応に困っていそうな気配がした。
これから先新たな聞き込み調査やらメンバー全員の手としての登録やら、及びアオに向けた報告書作成など明らかにめんどくさそうなタスクがアホ程待っているわけだが、ひとまずは危機を脱したわけだ。それ自体は祝うべきなのかもしれない。帰って来た。保護対象をちゃんと保護して。誰一人欠けることなく。あろうことかヒトガタ超常を蝕む脅威も排除してしまった。
「……カイさん?」
「カイさんだが」
「この人たちは」
「……波布?」
「それはさっき聞いたんですけどね」
ユタの悪い癖がいつの間にか伝染していたらしい。畳の間に投げ出されて流石に足腰も立たなくなって来た。靴を脱ぎながら血流の滞った頭を前後に揺らし、互いに別の理由で血まみれのまま改めて目を合わせる。
「……“超常”の存在を対象とした人道支援活動に従事する……ことになった、超常の皆さんだ。俺の仲間とも言う」
「僕みたいな境遇の人たちを助ける当事者主体の組織ってことかな?」
「ブニ君」
「何でしょう」
「君が一番話が早くて助かる」
「あはははは」
ギザギザの歯を剝き出しに笑うブニの少し向こう側で「俺は?」という顔で待機する超常3人を指さし、とりあえず今捻りだせる語彙力で現メンバーを紹介することにした。
「囚人番号002。霊能力者のヤニカス」
「あたしが先輩だかんな」
「霊能力者とセットで拾った落ち武者幽霊」
「恐らく何も見えとらんし聞こえとらんぞ」
「そんで全自動蚊取り線香の婆さん」
「海の藻屑にしてやるよ」
「2人しか見えないし2人とも物騒だ」
「で、脱サラ無職でここの臨時首領を受け持つことになった。国頭改だ。よろしく」
「聞きなれない単語が多くてちょっと困ったけどなるほど。ブニです。いわゆるサミオマリエ種の近縁だと思ってください」
「聞きなれない単語が出てきてちょっと困ったな」
「サミオマリエそのものが絶滅して久しい人種で昔は琉球の人たちとも交流あったらしいんだけど……えー……」
「後で聞かせてもらおう。婆さん、救急品とかってここにあります?」
「本島で24時間やってるドラッグストアがある。そこのクソガキでも遣わせておけばいいさ」
「ユタ。タバコ一箱奢ってやるから一通り買ってこい」
「っしゃあ」
婆さんから投げ渡されたがま口の財布を受け取った瞬間、ユタは破裂音と共に居間から消え去った。呆気に取られて虚空を見つめるブニに例の短刀を寄越して渡す。
「海に浸かるわ返信するわで傷口開きっぱなしだな。どうしたものか」
「……カイさん僕はたった今頭がおかしくなったんでしょうか」
「表現としてはあながち間違ってもいないだろうな。例の落ち武者だ」
「例の落ち武者だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします。本当に“そういう人たち”の寄り合い所帯なんですねぇ」
「そう見えるか」
「え、違うんですか」
アオの言っていた「居場所を作ってくれ」という話についてはひとまず達成できたものと考えてもいいのかもしれない。
「腹減った!!!!!!」
「うっせえぞユタ!! 四日前のサーターアンダギーならあるが」
「お前らいま何時だと思ってんだい! たらふく食ってさっさと寝ちまいな」
「四日前はもう乾パンじゃん!」
「ブニ君腹減ってる? てか油物食える?」
「人間の食べ物も大体食べられますよ」
何で帰宅早々ここまでうるさくできるのか解らん。コイツら多分出会ってから一番活き活きしている。相対的に元気過ぎてこっちの祝う気力を削られている気さえした。
目の前に山盛りのサーターアンダギーを詰め込むまで詰め込んで、1番うるさいヤニカスがぶっ倒れて早々。自分の瞼も重くなる。アドレナリンが抜けて来たらしい。全身の鈍痛にも優る、どこか心地よい疲労感のそのままに、いつの間にか眠りについていた。
欠伸と共に意識に滑り込むのは、ここ数日とまったく変わらない、遠い潮騒。
つい数時間前まで超常戦が繰り広げられたとは思えない、いっそ可笑しさすらある日常を、耳が、目が捉える。
あんな一瞬の出来事は、波と南風カーチーベーが全て攫っていくのかも知れない。
いつもなら、昼下がりまでカイの顔面を蹴りながら寝腐っているユタがいない事に、幾許かの新鮮さを覚えつつ、外の光を浴びようとサンダルを掛けて歩く。石垣のそばに生えていたマングローブの根元に、ユタを見つけた。どうやらタバコを片手にしゃがみ込んで、一服しているらしい。
かと思えばそのタバコを地面に擦り消火するそぶりを見せる。まだ大半が残っているのにもかかわらずだ。普段のヤニカスなら発狂もんである。そのヤニカスに似合わぬ奇行を少し遠巻きにセーフハウスの柱偽を預けて見物していると、もみ消したその跡地から何かが湧き出した。え、なに。何なの。
「おいコラ」
「……」
「何だソイツ」
慌ててユタの元へ駆け寄り、問いただす。
ユタは、今しがた湧いたソレをむんずと掴んだまま振り返る。それの見た目を形容するにこうだった。
ハンドボールサイズの頭部に左右不均等に大きな目玉を搭載し、その下部から小さな胴体をチマっと伸ばした、「黄色くてキモい何か」
「……何だ? ソイツは?」
「……した」
「……何て?」
「召喚、した」
「何を」
「コイツを」
「ナニコレ」
「……ムナー」
「……」
「キジムナー」
文字数: 26254



