Cage
「どうも。久々に食事でもどうです?」
「あぁ、久代くんか……そうだな。たまには外に出るのも良いかもしれないね」
お昼時というには些か時を逃した時分。午後2時。財団形象部門管轄工房区画。そのロビーにて。
あくびを噛み殺しながら食事の誘いに答えるのは、工房管理官 薄霧希。
彼女は枝の目立つ濡羽の髪を雑に梳いて、窓口に昼休憩の札を下げる。
「また、徹夜ですか? 変わりませんね」
呆れたような久代の物言いに何を言い返すでもなく、薄霧は戸に鍵をかける。
ただでさえ日に当たらず白い肌には、より一層隈が目立った。
久代とて、似たようなものである。
「人の心配をするだけの余裕はあるんだね? 君も大分キているようだけど」
そりゃあ部署が部署ですから、とは口にしない。彼女の憎まれにも聞こえる物言いには、確かに体調を慮る含意が読み取れた。そちらも、他人に気を回すだけのリソースは残っているようで一安心だ。
区画外へ出るゲートに差し掛かり、彼女は首元から下げた職員証を警備に渡す。
「さて、今の口はなんの口です?」
「君に任せるよ」
「それは困ると一度でも言われたことは?」
「知らないんだよ。私は滅多にここから出ないからね」
「……いや」
返却された社員証と簡易的なミーム接種を終えた彼女は小さく笑う。
「──出られないと言った方が正しいかもしれないな?」
meme
財団の活動において、今やなくてはならない存在となっている超常というものは多い。
それは時に職員のクリアランス合不合の管理を担い、時に機密情報の完全な統制を担い、時に情報伝達を担い、時に生命の破壊を担う。そして、それらには多くの人的、資金的コストを投入し維持されてきた。
ミーム性情報媒体。財団の収容対象であり、財団の保有技術。
すなわち、薄霧希は技術である。
「随分と渋いチョイスですね」
「そんなにかな」
薬味のネギをこれでもかと絡ませた温蕎麦を上品に啜り、一息ついて薄霧が言う。
「蕎麦ほど軽い気持ちで食べられるものもないと思うけどね」
「まあ……何も食べないだとか、カップ麺だけ食べるだとか言われるよりかは健康的なのは良いことかもしれませんが」
「大体ここ二日は何も食べてないんだ。あまりカロリーの高いものは食べられないよ」
久代はその返答を予想していたらしい。さして驚いた様子も見せず、ただ呆れたようにため息をひとつ吐いて、ずるずると蕎麦を啜った。我ながら随分とはしたない音だと思うが、目の前の研究者ほど無音で食うものでもないだろう、と意識から外す。
「だからと言って私に合わせる必要はなかったんじゃないか?」
「いえ、私も麺類の口だったので」
「蕎麦の口と言わない辺りが怪しいけどね」
「本音を言って良いのなら、待ち時間を減らしたかったんですよ。蕎麦はだいぶ提供までが早い料理ですからね」
薄霧は蕎麦を含みながら探るような目線を向け、ふと興味をなくしたように、ふん、と鼻を鳴らした。しばらく様子を窺うも、特に向こうから何か話題の提供をするつもりは一切ないのを理解し、久代はブランチの賑やかしを用意する。
「今回は何日振りの外出ですか?」
「ざっと二ヶ月振りかな? あまり気にしたこともないけど」
「うん、そうだな」と中空を見つめて思い返すようなそぶりで、薄霧は自身の感覚が鈍っていないことを確かめるように頷す。その仕草に、久代は自分の眉間が顰められていることを自覚した。彼女がそれに気がつく前に、蕎麦を口に運ぶのにかこつけて、顔を伏せて誤魔化す。
財団職員がいかに研究者肌であって、昼夜問わず研究室に篭ることが苦でないとしても、二ヶ月間外部へ出ないということもそうそうない。その点、彼女の生活環境は異色だった。さらにいうならば、薄霧希という人間そのものも異質である。そしてその異質さ、特性が故に、彼女は財団技術の一端に多大な貢献を積み上げてきた。それも、必要不可欠なほどに。
「そんなに惹かれるものですか? ミームって代物は」
「うん。君にとっては一つの仕事道具にすぎないかもしれないけどね。私にとっちゃ生きがいだ」
「生きがい……本当にそうでしょうかね」
「何か?」
「いえ」と誤魔化して、曖昧に視線を濁す。
ミーム性情報媒体の解析・開発。それが薄霧希の業務。そして、それら業務のコストの大幅な削減と、これに伴う技術の一般化。これが彼女の貢献である。
そして久代は同時にそれを、罪と呼んでいた。
久代
記録情報セキュリティ管理室、あるいは記録情報保全管理局。もっとも、普段使いには長すぎるこの部署は往々にしてRAISAと呼ばれる。
情報保全管理などという局名が愚直に示す通り、財団内の記録を管理する部署であるが、特筆すべきはそのセキュリティとその制御方法。ネットワークやクラウド上の、しかるべきデータベースに紐付けされたセキュリティシステムは、閲覧者に対して適正を問うでもなく、ただ無機質にその認識を介して他者を識別し、場合によっては破壊せしめんとする。対抗する手段は、"接種"という形態を伴って人間の記憶や脳組織に永久に刻み込むというものであって、事実上の人体改造に類する。
この手段は、ミーム媒体なくして成立しない技術体系だ。
久代想は、このシステムに懐疑的だった。
ミームを用いたセキュリティのために、人間は超常を体に刻み込み、徐々に人を外れてゆく。対抗ミームだとか、ミーム抹殺エージェントだとか、さまざまな名前がついてはいるが、本質は同じ超常の代物。本来ならば毒だ。財団の収容対象に明確に分類される。
章題a
「ミームは必要だと思いますか」
「それが財団にとって、という話なら答えは、否だ」
「……あなた自身にとってなら?」
「もちろん、是だね」
何を当たり前な、とでも言いたげな目線を投げかける彼女の器は、とうにつゆまで飲み干されていた。
「話はそれかな?」
章題b
章題c
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