中毒少女のアピランス
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20██年██月、韓国の山中にてSCP-████-JPを確保。
近隣住民の通報により、地元警察が検挙に乗り込んだことによって発見された。
その別荘のような大きな家の内部では乱交パーティが行われていて、多数の男女が敷地内の至る所で全裸になり行為に及んでいた。
その場にいた人物が次々に拘留されていく中、山小屋の奥の部屋のさらに奥で、見つかった。
小脇に2人の男性を抱えた、桃色の瞳でツノと尻尾を生やした異形の少女。しかし背丈に合わないその荘厳な雰囲気は、彼女こそがここの主人であるかのようで──

『新宿発→ムベべ星行 深夜バスの運行を再開します』

ポスターを破かないようにするのはもちろん、電柱に元々貼られていたシールの類や汚れをつられて剥がさないように。

"異常なものなんて存在しなかった"ように。

周囲と監視カメラの位置を確認して、その隊員は目配せを送る。"消せ"という意味である。

歌舞伎町1丁目を巡回していた機動部隊け-14("収集家")に所属する五泉は、SCP-2163-JPの出現を検知し素早く回収へ向かった。深夜とはいえ人通りの少なくない東新宿を抜けて、自然な動きで異常物品の回収を行うことにかけては、彼の他に類を見ないほど優秀な隊員であったらしい。

彼がSCP-2163-JPをポリエチレン製の袋に収納し、撤収しようとしたその時。

「あの」

周囲の人の気配は完全に消えていたはずなのに。都会の夜が似合うような、儚げな雰囲気を纏う少女が背後で仁王立ちしていた。その片手には、ストローの刺さった缶が握られている。

「おじさん、何してたんですか」

「……いやぁ。この辺りにイタズラの貼り紙が増えててね」

都の職員なんだよ、そう言って懐の記憶処理剤(噴射型)にさりげなく手を伸ばす彼を、強く制止するように。少女は声を張る。

「イタズラなんかじゃないですよね」

五泉隊員は一瞬、狼狽えた。ほんの一瞬だった。

「そのバスに、乗りたいんです」

自炊が苦手なので、朝食は財団の食堂で摂りがちだ。その朝食というのもセブンイレブンのコールスロー。こんな中継地点としての小さなサイトの食堂が朝早くからやっているわけが無いので、私はいつも誰もいない、高い机と高い椅子が数個あるだけの食堂で朝食を食べていた。首都高の小さなパーキングエリアの、コーヒーをその場で淹れるタイプの自販機と申し訳程度のカウンターがだけがあるような空間。あれを想像して欲しい。

午前中から外でバリバリ動くような仕事でもない。今朝だって、サイト-81B12のある新宿周辺の情報について纏める事務作業が待っている。昼食や間食は随時摂るので、朝は体が起きる程度に味覚を刺激できればいいと考えているタイプだ。私は自分の食欲に対しては無頓智だと、以前とある先輩職員に指摘されたことがあった。

「おはようございます。毎朝、こんな感じなんですか」

廊下の奥から物音がしていたので、誰かの気配は感じていた。別にひとりでいる事にこだわりがある訳でもないし、私は咀嚼中の口元を手で覆って会釈する。

ごくん。

「おはようございます。ええと──」

「ああっすみません。食事中にお邪魔しましたね 」

部屋に入ってすぐ鞄をまさぐりだす彼の顔色は良くない。私は目の下にクマのある男と縁でもあるのだろうか。初対面の彼は疲れ目のやや老け顔だが、実際は私より少し歳上ぐらいだろう。

「初めまして。榾火です。数時間前に東京に着いたばかりで。慌ただしくしてすみません」

イ・ハクと申します。歓迎する準備ができてないのはこちらでございますから。お気になさらないでください」

小さなコールスローの容器はすでに空になっている。私は名刺を受け取って彼に向き合い、内ポケットから自分の名刺ケースを取り出す。エージェント・榾火は私の対面の椅子によじ登って手帳を広げた。

「定期面談ですね。本日はよろしくお願い致します」

「ハクさん。とても礼儀正しい方だとは伺っていましたが……あまり気張らなくても大丈夫ですよ。勤務時間前なのに」

「お伝えしたスケジュール通りに行ってくれるとは限らないものですから。朝からいらっしゃるということだったので、その方が確実に時間が取れるなと。お言葉に甘えさせて頂きました」

「なるほど」

机の上にゴミが置きっぱなしだったので、私はサラダを買った時のレジ袋にそれを入れ、背もたれの榾火から見えない位置に引っ掛けた。

「近頃のお仕事は……聞くまでもないでしょうか。年末頃から、慌ただしくされていたようで」

「多大なるご迷惑、ご心配をおかけしました。最悪の事態はどうにか避けられましたが……無力な私を助けてくださったかたがたの方を労って差し上げてください」

「いえいえ、ハクさんのご活躍もあってこそだと思います。お若いのに大変な苦労をさせてしまいましたね。体調にだけはお気をつけください。栄養も大事ですよ。サラダだけじゃなく、お肉も食べるとか」

「……恐縮です」

元旦。2024年の幕開けと同時に発生したとされる新宿歌舞伎町の収容違反を受け、東京都庁の地下、サイト-81B12に在籍するエージェントはこの案件の調査に追われていた。

あれから1週間の間にやったことといえば、歌舞伎町に出入りしている超常組織や、それらに所属している人物の調査。粗方の人物は我々の立ち入りに応じ、データベースの調査にも承諾した。

しかし、いずれも元旦の事件との明確な関わりが判断できないことや、SCP-1489-JPの存在を認知していなかったことから、捜査は難航していた。収容違反が誰の手によって引き起こされたのか、歌舞伎町にどんな影が潜んでいるのかについての手がかりは掴めないままだった。

「それでですね、ハクさん。今日はもう1つお話が」

一通り簡単なカウンセリングが終わると、彼はこちらに向いて姿勢をただす。それでいて視線は明後日で、何かをもったいぶって伝える準備をしているかのような、謎の表情。

「なんでしょうか」

「……五泉さんについてなのですが」

五泉。1週間ほど前に、東京の西からこちらに移動になってきた職員で。

「この度は、ご愁傷様です。近頃の彼はお変わりありませんでしたか」

昨夜、歌舞伎町で死んだ機動部隊員だ。

歌舞伎町1丁目の路地。監視カメラの視野のど真ん中で五泉は息絶えた。

「周囲にアノマリーの痕跡はなかった。死因もただの爆死……まぁ普通に生きてたら爆死なんかしねえから、十分異常すけどね」

漆原常任監視員の姿を初めて見た。声と見た目にギャップありとは聞いていたのでその分慣れるのは早かったが、見た目も落ち着いていて、噂ほどの粗暴さは感じなかった。ブルーシートと規制線をくぐって警察の合間を抜けた先で、彼は仁王立ちを決め込んでいる。

「漆原様。五泉様が殺される瞬間は、記録には残ってないのでしたよね」

「あぁ。だからこいつを殺害した奴とは別に、外部から隠蔽工作をした奴がいますね。五泉の生体反応が無くなったのがこっちに伝わったのはすぐのはずなんだけど」

「目的は……」

「財団職員に対する襲撃。それそのものが目的」

漆原はそう断言し、TOHOシネマズに向かって歩き始める。職員の労働環境や異常存在・異常現象の監視、曰く"傍観"を職務とする彼は、私が背を追っている間も街の様子を観察しているようだった。

「ああいう現場は何度も見てきた。こいつらが携える情報は最小限にしてあるとはいえ、所持品も巻き込んで破壊してあるんで、財団から何かを盗み取ろうとかは考えてない奴の犯行で、明確な敵意がある」

明確な敵意。

歌舞伎町では今、財団に対する報復が始まろうとしているとでも言うのだろうか。

「財団職員が突然死んでいるって状況を作りだせば、ここが活動圏の財団職員に対する警告になる。民間人に対しても、先手うって手がかりを抹消されてるから俺らによる隠蔽も難しくなる。厄介なやつらみたいっすね」

我々の当面の目標は歌舞伎町で異常物品が悪用されて、大衆が危険に晒される可能性を排除すること。その上で我々職員が危険な事態に突如遭遇する可能性も当然あって──輪郭の掴めない敵対存在を相手するということの覚悟を、改めて固める。

「ここいらの現状が把握できたから俺はこれで。それと、普段はこんなことまでしないんすけど……榾火サンから伝言を預かってて」

そう言って漆原は、私に1枚の名刺を差し出してきた。黒いハートのあしらわれた丸文字の目が滑る名刺で、歌舞伎町とある住所と電話番号、"れんてゃ"の文字。

「……これは?」

「この辺の事情に詳しいと思われる親財のフリーランスがいたそうです。昼前頃からこの通りに現れるらしいからコンタクト取ってくれって。じゃ、俺はこれからゴジマイなんで」

通りを見ると、メイド衣装に身を包むキャッチと思われる女性たちが現れ始めていた。フリーランスは神出鬼没だが、歌舞伎町の出来事や怪しい人物などを、我々に近い視点で共有してくれるかもしれない。

「漆原様」

「何でしょう」

「スーツ、着替えてきてからでもよろしいでしょうか」

「もうじき現れるはずだし、向こうにはイハクサンの容姿も伝えてあるらしいんで。厳しいかも」

「……承知しました」

「コンカフェでーす!お兄さんお仕事帰りならご飯とかいかがですか!」

「すみません、こちらのお店を探していまして……ご存知ないですか?」

マップのピンはこの周辺を刺している。店には確実に近づいているのだが、ほぼ全ての建物の前にキャッチが立っており、中に入っていきづらい。

自分のとこに興味がないとわかる途端にそっけない対応に変わるコンカフェ嬢に会釈をして、それらしい入口を探していると……

「お兄さん、こっちこっち」

入口の狭い雑居ビルの入口に、メイド服の女性が収まっていた。ドアのない入口で上の部分に手をかけて寄りかかり、私の少し上部から声を降らせてきた彼女は、不敵で、それでいて幼気な少女のような笑みを見せる。厚底を含めて190近い身長だった。

「……貴女が"れんてゃ"様ですか」

「そうそう。とりま上がって」

名札は首輪から胸元に向かって下げられていた。れんてゃに手を引かれて狭い階段を登るとまたしても狭い部屋に上がる。彼女が姿を現すと部屋のメイドたちが一斉に立ち上がって、後ろ手を組んで私達を出迎えた。

「ご主人様お帰りになられました〜」

「お帰りなさいませ!ご主人様〜!」

こういうコンセプトカフェは、もちろん初めてだ。私は帰ってきたんじゃなくて……と言いかけたところを、ぐっと飲み込む。こういう場所だ、と受け入れようと思わず緊張してしまう。フェミニンかつ、露出多めな彼女らの姿を見ていると、私は思い出したくないことも思い出しそうだった。

「ハクぴって呼ぶね?」

「はぁ……ぴ、ですか」

「ここ初めてだよね?わたしたちはみんなご主人様の奴隷メイド。でもご主人様はわたしたち一人一人と関係を持った恋人同士でもあるの」

「れんてゃ様すみません。私は接客を受けに来たのではなく──」

「でも実は私たちはみんな、天才科学者のご主人様が作り出したクローン人間。私たちの仲間をもっと増やして、世界を征服しようって目標があるんだよね」

「……」

混み入りすぎじゃないか?

本題に入っていけないもどかしさを感じても仕方がない。彼女は超常フリーランスかもしれないがここは普通のコンカフェで、私が財団職員だと知ってるのは彼女だけのはずだ。どこに敵の目が潜んでるかわからないこの街で、迂闊なマネはしちゃいけない。

それにしても、れんてゃは何故ここで働いているのだろうか。正月の事件直後、新宿付近で活動していたフリーランス達に連絡が取れなかった時期があった。彼女はその間、何をしていたのだろう。

「……ご主人様が何かを焦ってるの、見れば分かるよ」

テーブルに置かれたメニュー表は金属質のフレームのおかげで重たく音を立てる。何かを言うわけでもなく、しかし私がここに来た理由、2人の目的を、れんてゃはしっかり理解しているようだった。その上で、今はキャストに徹してくれているのだろう。

「せっかく来てくれたんだしさ、ハクぴに楽しい時間過ごしてもらわないと帰せないよ……ご主人様、今日のご気分は?」

二人称が安定しないな……と思いつつ、"1番人気!"と書かれていたオムライスを選ぶ。これを、と目線を上げれば、胸元、首輪、ブラウンの瞳でこちらをまっすぐ見つめるれんてゃの顔が映る。

……私は思わずうつむく。気づけば2人だけになっていた店内は壁も床も紫一色で、妖しい雰囲気を醸し出していた。

「あははー。ハクぴこういう所初めてでしょ」

「はい……場違いではありませんか、私」

「そんなことないよ!みんな最初は初めてなんだし、気にしないでいいよ。それにこういう秘密組織みたいな所、ハクぴ好きでしょ」

「えぇ、まぁ」

いいえ、とは言えなかった。職場みたいだし。別に職場もこんな風ではないし。

「今ごはん作ってもらってるから、ちょっと待っててねー。来たばっかであれだけど、ハクぴにはまたここ来てほしいな。わたしの他にもかわいい子いっぱいいるからさ」

「……ぜひ。その……何度も申し訳ないのですが、今日この後って」

「え、お散歩しよ!いいじゃんハクぴ意外と積極的なんだね」

見るからにわざとらしい仕草をとる彼女には、私の今日の本命がこの店ではなく、れんてゃ本人であることが伝わっているはず。それを周りに不自然なく伝える為の行動だろう……と、思う。コンカフェ嬢と外で密会だなんて、普通に考えていかがわしすぎるし。

ていうかお散歩って……私、外では都の職員ということで通してるんだが、大丈夫か?だからスーツで入りたくなかったんだ……。

するとれんてゃは端末を取り出して、Googleマップでとある店を表示した。私に見せてきたのは、西新宿の居酒屋。残業がなければ0時には行けるから!と付け添えて。

「じゃあそれまでにわたしとご主人様の仲、もっと深めておかなきゃさ。ご主人様って男の子にしてはかわいい顔してるじゃん?」

「そうでしょうか。こんな顔ですから、今まであまり褒められたことありませんでした」

「ハクぴももっと笑ってよー!ほら一緒にチェキとってあげるからさ。今他にお客さんいないしサービスしちゃうよ」

そう言ってれんてゃは私の肩に寄って、すぐさまカメラを取り出す。とっさに表情を作ろうとするものの、自分自身でも顔が引きつってるのがわかる。

「あはは!ハクぴめっちゃ真顔じゃん!笑ってって言ったのに」

カメラ本体の下部から出てきたシートには、メイドと、真顔のままの私が写っていた。私が自分で想像するよりずっと、私の表情筋は動いてくれていなかったらしい。

「すみません……やっぱり、笑うのは苦手で」

「しょ~がないな~ハクぴは、まっそんなところもご主人のかわいいところだと思うけどね!ほらっオムライス出来たって!待っててね」

明朗な振る舞いを見せるれんてゃは私とも、かつての私とも、全く違う。裏側なんて存在しないかのような顔で客を迎え入れるその姿は、まさしく人に愛されるために生まれてきたのかのような。

……私は今、彼女に羨望のような目を向けているのかもしれなかったが、それすら自分ではわからなかった。でも私はただ彼女から目が離せないのを、なにかただの浅い理由だとは思いたくなかった。

「ご主人様が開発した特殊な食材は、わたしたちで最後に呪文をかけてあげることで、二人だけの思い出の味にできます。だからご主人も、怖がらないで。うまく表現出来なくても一緒に楽しめればそれでいいから!いくよ、せーの、萌え、萌え、きゅん♡」

零時を回った頃。

私は待ち合わせ場所にてれんてゃを待っていた。コートを着込んでいようと1月の西新宿は十分に寒くて、腕を組んだり手を揉んだり落ち着きのない挙動を繰り返していた。普段から特段寒がりというわけではないのだが、冬場になると職員たちからイさんは細身だから寒そうだね、とよく言われていたのを思い出す。その度に、果たして体型は関係あるのだろうかと、向こうの角から頬を赤らめて大声を出しながら歩いてくる恰幅のいい男性たちは、この寒さを全く感じていないのだろうかと考えていた。

「ハクぴ〜」

と、気が抜けていた方角から突然声をかけられる。体向き直した方向にはれんてゃが居た。

ロングブーツにスカート……スカートは昼間のユニフォームと同じものの用だった。その上にダウンコートを着込んだ彼女は、まさしく新宿の住人という感じで──ファッションに疎いのが憎い。そういう拙い語彙力でのイメージでしか、彼女の風貌を表現できないけれど。とにかく、引き込まれてしまいそうな妖しさ、触れれば壊してしまいそうな儚さ、幼い少女のような愛らしさ。その全てを内包するような。

「お疲れ様です。駅の反対までご足労お掛けしました」

「大丈夫だよー、場所決めたのわたしなんだし。ハクぴはこの辺迷わなかった?」

これから向かう先の個室居酒屋は、サイト-81B12の管轄であり、個人経営だった店を財団のフロント企業が買収している。財団職員が安心して飲み食いができる機密性の高い構造になっているのだ。東京都庁に近い繁華街のいくつかは財団の目が行き届いており、異常存在の発生を抑制したり、急速に事後処理を行うことができるシステムが確立されている。財団職員たち──いや、世の大人たちにとっても、定番の憩いの場。それが西新宿。

「えぇ。庭のようなものです」

東新宿──歌舞伎町周辺もそうであったはずだった。しかしあの一件でヴェールは破られかけ、財団や警察による監視システムは遮断された。それ自体は復旧したものの、明らかな隠蔽工作の痕や、何者かによって財団の痕跡が排除され続ける動きはとどまる所を知らない。件の機動部隊員も、その犠牲であった。

入店して、普段通り座席のタブレットから注文する。私はホワイトサワー、れんてゃはジントニックを。ただ私の方はまだ任務中のため、アルコールは自動的に抜かれることになっている。れんてゃは兼ねてより財団と提携しているフリーランスということだが、当然ながら全面的に信頼されているわけではない。この事実をれんてゃは知ることはないものの、私の財団職員としてのパーソナリティは、機密情報を与えない範囲で明かすことが可能となっている。

それも、超常フリーランスとの円滑なコミュニケーションのため。当然のことである。

「ハクぴ帽子取らなくていいの?」

帽子。私の頭と一体化しているような気がしてすっかり忘れていたが、世の中の常識的には外食時は上着や帽子は外した方がいいらしい。──人前でこれみよがしに取るようなものでもないから、私はれんてゃの視線から逃れようとしつつ、ニット帽に手をかけた。

「……すみません、こういう感じでして」

「おぉ……!何そのツノ、かわいい……!」

ニット帽の猫耳のように尖った部分にすっぽり収まっていた、2本のツノが外気に晒される。といっても、特に感覚はないのだが。幼少期はもう少し大きかったから、人間社会に溶け込めるぐらいの見た目になっていってるのは個人的に喜ばしいことだった。

ソフトドリンクを飲みながら彼女の方を見ると、なんというか、多くの人間と同じ驚いたような表情を見せている。

「ハクぴもアノマリー?スキップって言うんだっけ?」

「そうです。おそらく、れんてゃ様のような人間とも違う種族なんだそうで」

「体が機械になってる人とかはたまにいるんだけど、そういう特徴持ってる人見るの初めてだ……ハクぴって鬼?それか悪魔とか?」

「いえ、サキュバスです」

「……サキュバス?サキュバスって、エロいやつ?」

「はい。エロいやつです」

「真顔で言ってんのおもろ」

シーザーサラダを頬張る私の事を興味深そうに見つめてくるれんてゃ。外部の人間に私の素性を明かすのは本当に久々な感覚だった。

「え?えっと……ハクぴって男であってるよね?」

「あってます。幼少期の性別は当然女だったのですが、性転換したんです。男になってからはもう長いですね」

「そうだったんだ……サキュバスの能力みたいなのって今も使えるの?」

「当初の異常性はもうほとんど残っていないようです。昔は食事もままなりませんでしたが、今はもう人間と同じ生活ができています」

「へぇ……あっごめんねいろいろ聞いちゃって。ノンデリだったよね」

「いえいえ。話し慣れてることでもありますから」

思わずホワイトサワーに手が伸びる。どうしてこんなに緊張しているのだろう。

幼少期──財団に保護された当時の私の催淫の能力は凄まじく、生身の人間は傍でまともに立っていられないほどだったらしい。収容されている間は特殊な薬剤で耐性をつけた、一部の人間としか会話することができなかった。

エージェントにはなりたてだが、部屋の窓から見ていた人間たちと同じ生活ができるようになって、だいぶ経つ。話慣れてるとは言いつつ、私のことを何も知らない人間に会うことも久々のことだった。

「私から異常性を取り除くことは財団の意図するところではなかったのですが、人間社会で"普通"を知ってしまった私は、以前の体を手放したがっていました。それで性転換手術を希望して、こんな風に」

「男になったら前の力なくなっちゃうんだね……まぁ今までそんなことしたサキュバスいなかったんだろうけど」

「そうだろうと思われます。……私の存在については、未だにわかっていないことばかりで」

私は、人間たちの中にひとりぼっちで放り込まれた状態で見つかったらしい。当時韓国で私を匿っていた男2人が、山奥のどこかから拾ってきたということが分かっているが、それ以上の出自は判明していないし、私の記憶も曖昧。どこか別の世界から迷い込んでしまったのかもしれないし、突然この世界に生まれ落ちたのかもしれないと、かつて私を担当していた職員から聞いた。正常の中を生きる世の人間からすれば馴染みの無さすぎる話だが、ありえない話ではないらしい。

「……わたしはさ、家族ともう何年も会ってなくてさ」

頬がにわかに紅潮しはじめているれんてゃが語りを紡ぐ。フリーランスはあらゆる超常組織と繋がりを持つが、都会においては、その実はどこにも属せなかったり、繋がりを失ってしまったような孤独な人間が多いのだと、先輩職員に聞いたことがある。

「中野の辺りに住んでたんだけどね。普通の家族だったんだ。いや、わたしには何か隠してたのかな。家に帰ると誰もいなくなってて、とある人が現れて言ったの。エルマの人が、わたしの家族を連れていったって。元々親がそういうとこと繋がってたのか、目をつけられたのかは、わからないまま」

私と同じだ。当たり前になんの疑問も抱かずに過ごしていた空間が、突如破壊されて、外部の人間に事情だけを告げられる。そうやって生活は簡単に一変する。違ったのは、ヴェールの向こう側のことをそれぞれが反対側から覗いてしまったことと、私には、過去に未練がないことだ。

「わたしと同じフリーランスだった人で、仕事斡旋してくれる人にもすぐ紹介してくれてさ。わたしって体力ないから初めの頃は大変だったんだー。鼓膜張り替えたことあるし拷問されたりもしたし。見てこれ手術した跡」

新しくしたネイルを見せてくるように指を差し出してくる──実際れんてゃの爪には塗りたてのようなくすんだ紫の上にパールが散りばめられていた。ただその指の方は、今までの怪我や、治療の痕や、あるいは汚れ仕事なんかの痕跡が読み取れるようで。人目を気にして綺麗な手指を保っているようで先程までは特に気にならなかった。カフェの時より2人の距離を離しているテーブルに少しだけ身を乗り出してみれば、雰囲気に反して骨ばったような彼女の指が良く見えてしまった。

思わず息を飲んだ私はそれを悟られないように、続きの会話から情報を引き出そうとする。

「れんてゃ様はいつも、新宿でどのようなご活動を」

「いつもは総武線沿線あたりで依頼受けてるんだけど、普段はあそこでコンカフェ嬢してるかな。わたし家ないしトー横にいた事もあるよ。ただ年末年始は少しだけ離れてて……後になって、そういう繋がりから何があったのかを知った。財団のおかげで、目に見えた変化はなかったんだけど……」

交流のあった新宿フリーランスのほぼ全てが、行方をくらましたのだと。

自分以外の人間への突然の喪失感を2度も経験して、よくこんなに表情豊かに振る舞えるものだなと思う私の羨望は、見当はずれな感情なのだろう。彼女は私と同じで20代かそこらでしかない。私はれんてゃが差し出した傷だらけの手指ばかり見ていたが、それと同時に、その時ブラウスの袖口から見えそうになった手首の奥から目を背けていた。

「めちゃくちゃきつかったよ。でも死ぬのが怖かったから毎日死に物狂いで働いてた。わたしの目の前で死んだ人もいて、わたしの最期はこうなるわけにはいかないって。家族も仲間も、大好きだったんだ」

「心中お察しします。既に、我々に相談はされてるのですか?」

「……ううん。当時の痕跡は何も残ってないし私もまだなんにも手がかり掴めてないし、言ってもしょうがないよ。もう、死んでるかも」

「エルマ外教絡みの何者かが連れ去ったということは聞いているのですよね。私は、都会における超常組織の監視やアノマリーの行使を追跡する職に務めております。歌舞伎町の事情のみならず、貴女のご家族ご友人の消失についても共に調査させていただければと思いますので、いつでもご協力致します」

伏し目がちにグラスを揺らすれんてゃに極めて業務的な言葉を投げかけ、乾いた口でソフトドリンクの残りにつける。目の前のフリーランスと比べれば、私は環境に色んなものを与えられてきた方だ。少なくとも失ったものはあまりない。なのにどうして自己表現、感情の開示にここまで差が出るのだろうか。それは私が人間ではないから、なんて簡単な理由なわけがない。

産まれた時──いや、正しくは私の記憶の1番古い時。子供だったイ・ハクは実の親ではない数多の人間たちに囲まれて暮らしていた。しかし、あの場所で"暮らし"が行われていたようには思えないし、私が与えられていたのは愛情ではなかったのだろう。幼少期に周囲から与えられる愛情が子供の人格形成に与える影響なんてものは語られ尽くしていて。暖かい家庭で幸せに暮らした人間と、獣として産まれ檻の中で育った存在ならその差は歴然だった。

「あはは。ありがとう。ハクぴのこと頼りにしてるね」

彼女がこんな風に笑える場所が、これ以上失われないことを願って。

「それと……もう1つ。つい昨日、1人の財団職員が歌舞伎町で殺害されました。れんてゃ様は本件のことはご存知でしたか」

「うーん……知らないや。昨日も歌舞伎町にはいたけど、遅くならないうちに寝床に帰ったはずだから……ごめんね、何も教えられなくて」

彼女が何にも惑わされず、自由に生きていけることを祈った。

西新宿の街灯の光が地上への階段に差し込んでくる。目が回ってきてしまったらしいれんてゃを支えながら道路に出た私達は、1月の深夜の空気に2人して震えてしまった。

「それでは、私はこれで」

「……うん」

れんてゃがこの後どこに帰るのかなんて知る由もない。待ってる人は居るのか。それともこのままひとりになってしまうのか。

お気をつけて、またなにかあれば連絡していただければ。そう続けようとして、帽子とマフラーを軽く整えていると。

「ねぇ……ハクぴあのさ」

「……なんでしょう」

「わたし、行きたいところが──」

軽快な着信音が、冷えた空中を通り抜ける。すぐに口を結んだれんてゃがコートのポケットから大きめなスマホを取り出して私に背を向ける。ふたことみこと、声を抑えて何かを言っているらしいれんてゃの後ろ姿を、私も黙って見ていた。

すると、彼女はスマホを顔の横にあてがったままにして私に振り返る。

「ハクぴ、ムべべ星って知ってる?」

「なっ……」

「日付が変わる頃にバスタからエルマの深夜バスが出てるのってほんとなの?乗ると跳躍できるの?ムべべ星なんて名前の星あるの?そこに、みんないるの」

「待ってください!どうしてその話を」

「来ないで!」

吐き気にえづくような、苦しみが伝わってくるような顔で。質問の意図を理解しなかった私のことをれんてゃは強く突き飛ばした。

コンクリートの上に仰向けになった私の顔を街灯が照らしたその瞬間。

背後から炸裂音がして、飛沫が飛んできた。

身を打った痛みに歯噛みして、すぐさま私は体を起こして2mほど先に転がる彼女の体を見据えると、その周辺には血溜まりが広がっていた。

「れんてゃ様!」

彼女は両腕を広げた状態で仰向けになって、胸の上には先程のスマホが無傷の状態で乗っていた。

その両脇、腕の先からは未だ血が流れ続けている。

彼女の両手は砕け散っていた。

「なっ……何が、今すぐ救援を」

『そこにいるのはどなたですか?』

スマホの方から声がした。通話は続いていて、勝手にスピーカーフォンに切り替わったようだ。

動揺に苛まれた私は、血まみれの地面に膝をついてれんてゃの腕を取ってもたげていた。このままだと少なくない通行人が、異常事態に気づき始めてしまう。

『すっかり油断していたと思っていたのですが、運良く免れたようですね。ですが次またその場所から動いたなら今度こそ殺します。先日の職員と同じ方法でね』

傷だらけで治療痕のある手。塗り直されたネイル。

れんてゃの息は薄く、酷く狼狽している。今救援が呼べれば、助かるはず──

「貴方たちは、何者なんですか」

『財団に個人的な恨みが……いや、集団的な恨みがありまして。まぁ彼女はその辺で拾ったフリーランスだからあんまり逆恨みしないであげてください。詳しく聞こうにも覚えてないと思いますし』

「何故れんてゃ様が巻き込まれなければならなかったのですか」

『うおっマジか。よくその恥ずかしい名前呼べますね』

私の心臓が過去最高速で動いている。人間が爆発した衝撃は、冷めきった怒りで上書きされていった。れんてゃは、こんな風に他人に利用されてばかりで、幸せを奪われ続けるような、そんな生き方をさせてはいけない。

『家族や友達に会う方法を教えてあげるって言ったらほいほい着いてきたような、バカな女ですよ──次の起爆はこちらから行います。手指ならまだしも次の爆弾こそ再利用は出来なくなりそうですね……まぁ、貴方を殺すためなら仕方の無いことです。昨日の忠告も伝わらなかったようですから』

「……やめてください」

『随分と子供じみた命乞いをしますね』

「何故こんなことを、貴方たちはするのですか」

『我々のコミュニティから財団を排斥するためです。我々の生き方をあなた方正義ぶった財団様に否定されるのが本当に──なんでしたっけ。なんて言うんでしたっけ?人に触れられるのが嫌なデリケートな部分、ってやつですよ』

れんてゃの体の上のスマホの光は精神を逆撫でしてくる。どうやっても最悪の状況が避けられそうにない。それは私が死ぬということではなく、今まさに命をも奪われそうな彼女のことだ。

私に、見殺しにする以外の手段はないのか。

『最後にひとつだけ。動かずにその場所で答えてください。あなた方財団が異常から人々を守るため異常存在を確保する時、実際に守れる人間は具体的にどのぐらいなんでしょうね?』

「それは」

『5、4、3、2──』

「オラァ!!」

れんてゃの体とスマホが、私の元から離れていく。脇腹に鋭い痛みが走って、地面の上を何度も転がった私の視界の端で、大きな爆発、炸裂、破裂。1フレームほどの差で降った血飛沫の雨の向こうにあったのは──漆原常任監視員の姿だった。

「はぁっ……うぐっ」

「イハクサン。お怪我はなかったですか──俺の蹴り以外で、ですが」

至近距離での爆発に巻き込まれていれば、血溜まりはきっと2人分の広さになっていたはず。財団職員であれば、そうするのが正解で……本来必要な、とっさの判断というものだろう。

サイレンが近づいてくるのを浅い呼吸をしながら聞いていた私は、立ち込める酷い匂いに、またえづいた。

「以上ですかね。押しかけてしまって失礼しました」

「榾火様……こちらこそ、私が未熟なばかりにご迷惑をおかけしました。カウンセリングを追加でさせていただいて、ありがとうございました」

「いえいえ。あんな事があれば……私も心配になりますよ。ハクさんの体が丈夫でなによりでしたが……心はそうとも限りません」

私が標的となって敵対組織に襲われてから、丸1日後。サイト-81B12の広くない共有スペースで、東京から離れるのを1日ずらしたエージェント・榾火と私で、ひと息つく。

西新宿での人体爆発事件は、なんとか世間への隠蔽や記録されていたデータの消去がスムーズに行われていたようだった。超常フリーランスであったれんてゃの散らばった遺体も検査に持ち込まれ、財団との契約があった本人であるとの事実が特定されていた。別の組織とも繋がっていただとかスパイ活動を行っていただとかの形跡は、財団の把握出来るところではなかった。

彼女が財団職員に対して恨みを持ち、明確な敵対心を持って接近してきていたのかについては、私が証言し否定した。

「榾火様、最後にひとつ」

「はい。なんでしょう」

「……財団職員を続けていて……どうすれば、失われそうな命を救えるようになれるのでしょうか」

れんてゃが、一般社会で何にも恐れることなく普通の人間でいれたとしたら、ということに私は思いを馳せていた。彼女が異常存在に巻き込まれて死ぬことが運命のような何かで決まっていて避けられなかったとしても、この手が届く場所で命が失われなんてことは、我慢できない。傲慢で都合のいい考えだなんてことは、私は1番分かっていたけど。

「……」

榾火は難しい顔、複雑そうな顔、そのいずれでもないような……黒く、冷たい目をしていた。それは正解の出せない問題に悩まされるような表情ではなくて、すっかり、正解を求めることを諦めてしまったかのような。

「ハクさん」

「……はい」

「守ることができないものや、救うことができない人というのは、確かに存在します」

「……」

「ですが、それは、今存在する全ての人の安寧を死ぬまで守り続けるということを、諦める理由にはなりません」

「……ええ。勿論です」

「是非これからも模索していただきたい。目の前に広がる日常を生きている人間達を、彼らに死をもたらすような危険から遠ざける方法を。こんな突き放した言い方になってしまってすみません。私が財団職員として言えるのは、それぐらいです」

「はい……ありがとうございます」

この新宿という街で命の危険に晒されて、私はまた一段階、自分の使命を強く確信することとなった。他人の人生を搾取しているような邪悪を、人々から遠ざけること。まだ体の節々が痛んでいようとも、私は財団職員として、歩みを止めることは消してない。

「私の方からもひとつだけ……漆原さんから伝言を預かってて」

「漆原様ですか、漆原様は私を助けてくださって……私の方からも御礼を」

「『元人外だかで丈夫なら良かったんですが、体が細い人にドロップキックするのは罪悪感があるんで、肉食ってください』……とのことです」

「……善処します」

自分で思っていたより私の心には、今回のことで深めの傷が残っているらしかった。

彼女のようには、まだ笑えそうにない。

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