砂時計はがらんどう
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「気になっていたのですが」

私は口を開きながら、先輩のデスクの隅、パソコンから少し離れた位置に置かれているそれを指差した。

「それは、どういったものなんですか?」
「ああ、砂時計か」

「砂時計」と小声で先輩の発言を反芻する。ひっくり返して砂が落ちる時間を測定する代物のこと。白砂のそれは私がこのサイトで職務を始めてからずっとデスクの上で一際存在感を放っていた。何かしら意味──例えば形見のような品なのか気になったのだ。

「いやあ、なんだろうねこれは。わかりやすく言えばおまじない、みたいなものなのかねえ」
「手のひらに人の字を書く、みたいなものでしょうか」
「ちょっと違うかなあ。そんな大したものでもないんだけど」

先輩は少しだけ困った顔をしながらそれを手に取り、私へと差し出す。元々垂れ気味だった眼が、さらにハの字に傾く。

「ひっくり返すと、気持ちを切り替えられるんだよ。ほらこのサイト結構危ないのも多いし、そのせいで殉職者も……ってそれは榾火君の方がよく知っているか」
「確かに脅威となるアノマリーは多いですね」

故にこのサイトでの死者を減らす必要があるんですよ、という言葉を飲み込み、話を続ける。

「つまり、感情に整理をつけるためのルーティンのようなもの……でしょうか」
「的確な表現を、どうも」

感情に整理をつける。正しく私に最も求められているものである。砂時計とは言わずとも、切り替えの手段を探す必要はあるだろう。

「もしよかったら、ひっくり返してみても良いでしょうか?」

そうした感情から出た言葉だった。

「ああ、やってみるといいさ」
「では」

そう言いつつも、少しだけ躊躇いながら、慎重に。

砂時計に触れる。


25:12。俺がその薄暗いデスクで、時計を見つけた時間である。

といっても時刻は俺の腕時計でちょうど眺めていたものだったから、そいつで読んだわけじゃない。秒針も文字盤も無いそれは、即ち砂時計だった。

指でくるくると職員証を回しながらデスクに近づく。案の定指からすっ飛んで、机上に俺の職員証が着地した。マズった、此処は普通に先輩のデスクなのだ。漆原常任監査員と書かれたそれをそそくさと回収する。

当デスクの主たる先輩は少し垂れ目で、少し猫背で、少しどころじゃなく優しい。俺が常任監査員になる前から良くしてくれていた───というより、人に平等に善意を分かち合う善人だ。俺が勝手にデスクで遊んでても怒りはしないだろうという確信がある。が、敬意というものは常に絶やさず懐に持ち続けるべきだろう。

そんな事を考えてる時に目に入ったのが砂時計だ。

 
ふと、先輩が前に話してくれたことを思い出す。砂時計の上下を入れ替える。管を滑り落ち、底へと溜まった砂が一瞬で天井から降る砂へと早変わりする。本来不可逆なはずの現象が、また始点から繰り返される。まさしく、リセットボタンのように。

ほんの少しだけど、その様が僕の背中を押してくれるんだよ。と、先輩は笑っていた。

そんな事を思いだしたのは今日の業務が随分しんどかったからで、未だ残った重めの業務に挑む俺に、何か励ましが欲しかったからでもある。微かに痛む頭を振って、慎重に砂時計へと触れた。

 

    • _


    榾火君は、葬式にはなるべく出るようにしているのかい?」
    「……可能な限りは」

    死期を見た人物は特に、とは言えなかった。それがただ観測したというだけであっても、弔わないというのは酷く気が引ける。予定調和の死を無味無臭だと断じれるほど、この目は霞んでいやしない。

    「そうなんだ。僕もだよ。フィールドエージェントの死なんて、特に有り触れたものだけどね」

    コルクボード質の掲示板に貼り付けられた「葬式は本日20時より」の文字を見て、先輩は言った。「僕も」とは言葉にされたものの、先輩の行う弔いは自身のものよりも遥かに高尚だ。少なくとも罪悪感が参列に赴く動機の一因となっている私よりは死者を慮れていることに間違いない。

    有り触れた死と一息で言ってみせた先輩も、たった今見たこの告知文へと想う感情は少なくとも私が死期を見た時よりずっと心に刻むべきものとなったであろう。私はただただ再び死地へと送ってしまったという事実だけで心が苦しくなるばかりで、何も他者へと指向するものはなく、その客観視さえも災苦のように自分を蝕んでいくのだった。

    先輩のくたびれたスーツの肩の上には錘が載っているように見え、自身を重ねているのか、一段と草臥れてるかように感じた。

    「有り触れたものだなんて、そんな」
    「榾火君はそうは思わないのかい?」
    「いえ、確かに数で言えば多いでしょう。ただ私が見てきたものの中では」
    「中では?」
    「後悔、を有り触れたで片付けることはできないと思います」

    その私の呟きに、先輩は「きみは優しいね」とだけ返し、葬儀場に向かって歩き出す。彼だって幾多の死を見ている筈だ。その背中は明らかに多くのものを乗り越え、それでいて切り捨てはしない温かさを帯びていた。

    「わかりやすく言えばおまじない、みたいなものなのかねえ」

    ふと、以前の発言を思い返す。感情に整理をつけるためのルーティン。今はまだ私が持っていないもの。それがあの温かさの由縁なのだろうか。はたまた、乗り越えるための鍵なのであろうか。ただ少しでも自身の罪悪と訣別するために、白い机に置かれている砂時計を想像しながら。

     

      • _


      「先輩じゃあないですか。お疲れ様です」
      漆原君もお疲れ様。今回の件も君が担当なのか」

      俺は浅く広くやらせてもらってるんでね、と軽口を吐いて互いに笑う。笑って、細く、長く溜息を吐いて、その全部を飲み下す様に缶コーヒーに口をつけた。屋外に設置された自販機前に差し込む陽射しがやけに眩しくて、俺が観測する朝の世界は白く眩んでいる。

      故こそ、現場に残る乾き切った血潮の朱は目立った。今回の件で亡くなった研究員助手が遺してったのは散った毛髪と右足の中指、ただそれだけだったと記録にはある。顔見知りの、割と新人の子だ。

      「優しい子だったのにね。異常性の時間差曝露だっけか」
      「っスね。俺この前アイマスク貰いましたよ。クマ酷いからって。形見になっちまった」

      本来形見の役を背負うには不相応なはずだった物が、この組織で生きていると増えていく。だから俺たちは葬儀でそれらを棺に詰めて、散っていた彼等と共に弔う事がよくあるのだ。遺体の全く残っていない、空っぽの棺に。

      そういった合理と倫理の歪みが生んだバグの様な儀式、そこに参列する職員達の面を眺めるのが俺は嫌いだった。誰も彼もその眼に諦観を宿していた。納得なんてしちゃいない癖に、「そういうもの」だとへらへら笑いながら。

      「───さて、仕事と洒落込みますか」
      「きみは随分と頑張るねえ。休める時は休みなよ」

      軽く首を鳴らして、歩き出す。
      空き缶をゴミ箱に捨てながら、一言だけ言葉を返した。

      「諦めたくないんですよ」

      散りばめられた死にいちいち心を痛めていられる程、我々の進む道は整備されてはいない。その言葉に全く異論はない。それでも、例え俺達が立つのが暗闇の中だとしても。その死を「そういうもの」なんて言葉で飾って受容する事を、俺は良しとは思わない。

      痛める心は不要だが、噛み締める奥歯はあったっていい。二度は起こさない。そう宣うことに、きっと意味はある。

      次の手だ。

       

        • _


        避け得ぬ未来を映すの虹彩は、きっと酷く黒ずんでしまっているのだろう。カウンセリングルームの一室で今日退室した人の死期をまとめ終え、空席を対面にして深呼吸をする。空気が線香の煙のようなものをまとっていて、一段と重い。

        思えば、この連続であった。幾度も幾度もどのサイトにもある寂しいカウンセリングルームに人を呼び込み、ただただ他人の未来を安直な数字に置き換えていく。その度に座り心地の良くない席に座る人が変わっていく。代り映えのない景色が恐ろしく、変わっていく。

        安直な数字に置き換えられた他人の結末を不躾に覗き見る度に、その人の顔に見たくもない死相がへばりつく。カウンセリングなどと謳っておきながら、歪んだ私の瞳に映るのは未来ばかりで、確かに彼等が存在する現在など見ていない。

        人を死地に送ることではなく、他の多くを救うことを考えよ。プリチャード学院時代の先生の言葉であった。救うの意味は重すぎるし、肯定するには私の背負い込んだ罪は重すぎる。力不足なのは自覚している。荷が重すぎることも分かっている。しかし、この席に座り続けているのは、私である。目の前にあるはずのない数字が、人影が、重なる。幾重にも、幾重にも重なっていく。視界が歪む。空席に向かって深呼吸をする。

        ふと、窓の外が暗闇であることに気づく。ただ予定表は機動部隊員がカウンセリングを申し込んでいる、と私の意識を現実へと戻す。

        ドアを叩く音。また業務が始まる。

        次。

         

          • _


          ドロップキックをかましてから24分。火煙の立ち昇る廊下をはひた走る。

          幾度目かも分からない不祥事鎮圧、小規模な収容違反。機動部隊員の増援などもあって比較的スムーズに再収容が遂行された怪物は、しかしそこそこの犠牲者と血痕・裂傷を残す程度には暴れまわった様だった。

          死体の転がる廊下に辿り着き、足を止めた。報告書に記される人員損失、その漢数字の一つにしかならない彼等を速やかに見て、眺めて、記録する。一度監査した人物は基本覚えているから、当然彼等も覚えていた。

          業務内容、実績、カウセリング記録。その人が積み重ねてきた過去を眺めて、俺は人を見る。歩んできた足跡こそが人を語ると思っている。いるからこそ、無残に転がった死体を見る度に、「何をやっているんだよ」と誰かが耳元で囁いた。

          今現在の彼等に手が届かないのなら、お前が眺めていた意味はどこにあったんだ?

          「……知らねえよ」

          誰へともなく呟いた。業務で収容違反やインシデントに立ち会う度に、余りにも大きな無力が俺の身体の中の空洞を覗く。諦観ですべてを塗り潰すにはまだ俺は絶望を知らなすぎる。現実に潰れて放り出すには些か俺は強すぎる。

          だから、今はひたすらにやるしかないんだ。
          まだ負けてやらねえ。

            • _


            2日。先輩が死ぬまでの時間である。

            には受け入れられぬ事実、と呼べないことが何よりも自責の念を抱く材料となる。ドミノ倒しが然るべき場所を通過している、それだけとしか見えない瞳が霞む。

            「何かついてるか?」
            「い、いえ。何とも」

            加えて、著しく近い。このサイトでどのように死んでもおかしくないと考えうるだけの期間しか残されていない。早急に取れるべき手段を取るべきである。そして、その時のマニュアルは既に手元に存在している。後は、それをただ一歩進めるだけであるのだ。

            「エージェントの経験は。まだ染みついておりますよね?」
            「もちろんだとも」
            「であれば……」

            その一言は、口にするには重すぎるものだった。しかしながら尚且つ、私にしか口に出せないものでもある。エージェントの不自然な遠方地派遣。わざわざ先輩を引き抜く理由の一切が存在しない、有り得ない行為。これは、私の押さなければならないミノなのだ。

            「次の派遣先を相談させていただいても良いでしょうか?」



             
            「先輩」
            「ああ、漆原君。お疲れ様」

            振り向いた先輩の顔は相変わらず柔らかくて、その瞳に反射したの仏頂面だけが余計に物悲しく映っていた。23:12。半端に点灯した廊下の照明は薄暗くて、先輩が歩く先さえもよく見えないままで。

            「派遣、決まったんすね」
            「……ふふ、相変わらずきみは耳が早いね」

            その派遣通知をみた時、思わず腹の底から「は?」という低い声が唸ったのを覚えている。課せられた業務は、とても現場から長らく離れていたエージェントがいきなり投入されるには重すぎるものだった。余りにも不自然な人事異動。それは文字通り死地になる。

            「ま、久々に腕が鳴るといった所かな」

            笑う先輩の顔、そこにかつて葬式で見た奴らの表情が重なったから、上手く返答が出てこなかった。隠す気も感じられない様な諦観。腹立たしい。あんたこのまんまじゃ死んじまうよ、なんて言葉が喉を通過しては、薄い吐息となって空気に霧散していく。

            俺が監査員としてしっかりと派遣を評価し、上に抗議・代替案を持っていけば、ひとまずこの派遣は止めることができる。これもまた分かり切っていた事だった。倒れ続けるドミノを前にして、動く者がいるならば、それは間違いなく俺だった。

            代替?
            じゃあ、他に誰を立てればいいって言うんだよ。

            先輩が不思議そうに俺の顔を覗く。どこからか鳴る時計の音の残響だけが、息苦しさを伴いながら廊下を圧迫している様な気がする。俺は息を吸う。合理と感情の狭間、刹那に俺は行動を選択する。

            「───せっかくだし、良いお土産でも待ってますよ」

            傍観者は。

            ただ、へらへらと見せかけだけの笑みを浮かべた。

              • _


              インシデント記録


              場所: ██県██市██町周辺

              状態: 収束済

              時刻: 20██年9月2日 15:00 —

              脅威レベル判定:


              事象概要: ██市の沿岸部にて未知のオブジェクトに関する情報提供がなされた。周辺にカオス・インサージェンシーの放棄された基地が存在していたために、極度の指向性を持つ兵器であることが明らかになっていたものの、詳細な特性が判明していなかった。沿岸部を閉鎖し周辺に配置していたエージェントを派遣したところ、上半身が単分子レベルで分解される事案が発生。その後正式に当該SCP-████-JPとして登録され、収容スペシャリストによる初期収容が行われた。エージェント1名は殉職が確認された。


              その訃報を聞いて、何処か安堵の息を吐きながら、そんな自分をまた恨みながら、私は先輩のデスクに向かった。

              持ち主を失ったデスクは、何も変わっていない筈でも、すっかり脱け殻の様な虚ろに染まっていて。


              その隅に置かれた砂時計だけが、ただ物悲しく佇んでいる。

              砂時計を返す。砂が落ち切ってしまった砂時計の、天地を返してやり直す。提示されたタイム・リミットを、最初から。

              人の死を否応なしに覗き見る私は、そういう心の整理を欲していた。未来は変えられず、結末は無情かつ不平等に訪れる。だが、気の持ちようは変えれるかもしれないと、そう思ったのだ。

              死を決して忘れず、しかし受容していく為に。

                • _

                そうして、また砂が落ち始める。また最初からやり直す。

                俺が見てきた記録、人、物、過去として山積された全ての物ども。その全てに、当然終わりが存在する。納得できる結末もあった。けど、大抵は圧倒的な無力が悪趣味に嗤うだけのものだった。

                傍観者として、すべてを見届ける覚悟があった。それでも、できる事なら結末は変えてやりたかった。命を呆気なく散らし、過ぎ去った過去へ呑み込まれていった彼等の存在に、確かな意味を捧いでやりたかった。

                理不尽な死を「理不尽な死」として、俺は決して受容しない。

                だから、前を向き続ける必要がある。積み重なり続ける死に、理不尽に突きつけられた終わりに対し、「次こそは」と中指を立ててやる必要があるんだ。

                諦観を殺し、再挑戦の啖呵を切る。取り敢えず、また砂が落ちきるまでは。

                  • _

                  再度、砂が落ち始める。
                  何回目かも分からぬカウントダウンが刻まれ始める。

                  何も変わらずに私を苦しめ続ける日々は、当たり前に続いた。慣れない息の詰まる感覚が、眼の前で吹き消される命のろうそくを見る度に私の喉を圧迫する。

                  この罪悪と私なりに向き合い、別れを告げる方法がある筈だ。
                  その答えがずっと見つからないまま、何かを咀嚼し続ける。

                    • _

                    砂が最初から落ち始める。

                    死を憂いてる訳ではない。理不尽が嫌いなだけだ。それが闇の中だからといって、負ける訳にはいかない。

                    見て眺めて記録して、時に血まみれで奮闘し、また眺めて記録する。この繰り返しに意味を宿すのは俺自身。だから無力に打ちのめされても、素知らぬ顔でやり直す。

                      • _

                      私は──私達は、いつまで続ければいい?

                        • _

                        わからない。

                        また砂が落ち始める。リセットボタンが押される。

                          • _


                          砂時計を、返す。


                            • _


                            返して、


                              • _

                              ふと、気がついた。

                              自らの手元、ずっと返し続けていた筈の砂時計。

                              そこにはもうとっくに砂なんて残っていなくて、ただ透明ながらんどうだけが、硝子の中には満ちていた。


                              「あんた、煙草吸えたんだな」

                              その言葉の返答として、榾火はその細い手で漆原へと一本、差し出す。カチというライターの音が響く音が会話の少なさを暗示している。

                              「ええ。最近、スーツについた線香の臭いが取れなくなってきてしまって」
                              「何ともその場しのぎな」

                              普段は気休めために人が多く集うはずの喫煙所の中に二人。葬式の前に煙草を吸うような人間は確かに少ない。ただ彼らがいる理由はあくまで、喫煙者であった先輩のことを思い出すことだけだった。

                              「気休めにはなります。思い出す必要が無くなるので」
                              「……今回ばかりは違うって事か?」
                              「ええ、思い出すための、になってしまっていますね」

                              本末転倒、という言葉が脳裏に浮かぶ。浮かんだ言葉が榾火に届かないように、煙草をくわえて口を噤む。

                              煙が、部屋の中に充満する。視界がぼんやりと灰色になり、揺れる。漆原はその煙の中に、先輩の机を幻視した。カーテンの閉じ切った、先輩の薄暗いデスク。そこにぽつんと置かれた淡い白色の砂が入った砂時計。それは記憶にこびりついていて、それでいて何度もひっくり返される。ただ砂の量はどんどんと減っていき、そこにはがらんどうだけが残る。

                              記憶を振り切るために、漆原は強く、煙を吐く。

                              「……先輩の私物な。あの砂時計の話、知ってる?」
                              「ええ、丁度先日聞きました」

                              静寂。

                              数少ない話の種は芽を出さず、しかしその沈黙こそが何よりの対話となって両者の間を燻った。本来踏みしめているか確認しなければならない足跡を、何故か互いに踏んでいるのだという、そんな気がした。

                              だから、漆原は続ける。「……俺達は」


                              「俺達は、歩き続けなくちゃならないんだ」


                              歩き続ける。やり直し続ける。自らの心を切り離しながら、それでも地獄を歩み続ける。

                              例えその歩く先が、伽藍堂の虚無だとしても。

                              「歩き続ける、ですか」

                              榾火は小さく相槌を打つ。ただ、ただそれだけに留める。

                              ───わからなかったのだ。自身の役目を演じ続けることが、自身の手で人を殺し続けることが果たして前進と呼べるのか。榾火の出す答えは、否であった。

                              ただ、否定するべきではないことも同時に自覚していた。死者を裏返せば生者へ繋がる。一粒の死が無駄であるとしても、それは零れ落ちなかった他の者たちが生き行く地獄を否定する理由にはならないのだ。

                              だから榾火は、静かな部屋でぽつんとこう告げる。

                              「我々には、それしか残されていないのでしょうから」


                              棺桶の前で、静かに手を合わせる。煙草の匂いがする彼ら二人の姿の後姿は、煌びやかに飾られた菊の間に静けさを伴っている。

                              彼らが無地の棺掛けを静かに捲ると、そこには先輩の私物だった物などが、空っぽの棺を埋めるかのように置かれていた。死体が残らなかったのだから、当たり前だ。その片隅にある、一つの砂時計。

                              砂が抜かれ、ただ空洞を内包するだけのそれが、静かに二人を見つめている。

                              砂時計を返す。きっとその行為に先輩が込めた想いごと、数刻後には焼け落ちてしまう。だから、今のうちに手を合わせる。微かに目を瞑る。

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文字数: 13927

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