彼女は人形が好きだった。
ボディには無駄がなく、全体的に調和が取れている。顔は彫刻のように美しく、それでいていつまでも変わらない。いわゆる不変の存在だった。そんな「人形」を、彼女はひどく好いていた。
僕は、彼女に告白した。自分の抱えている愛の気持ちを解き放ち、彼女にこれでもかとぶつけた。プロポーズの文はめちゃくちゃだったのかもしれない。三流以下の詩人が読むようなポエムに成り下がっていたのかもしれない。それでも、これが僕の出せる全力だった。相手に応えてもらうためには、全力を出すしかない。当然のことだ。
「いいわ。付き合ってあげる」
彼女は柔和な笑みを浮かべながら、僕の告白を受け取った。
正しく夢心地。想い人と結ばれ、これからの運命を共にする。
まるで、ドラマのようだった。もしかしたら、これは本当にドラマなのかもしれない。でも、それでいい。僕と彼女が幸せを手にすることができるのなら、これが現実でなくともいいとさえ思う。
「でも、ひとつ言っておきたいことがあるの」
なんだい、と問いかける。
彼女はこちらに顔を近づけ、僕の双眸を見つめながら言った。
「私のことを、ずっと好きでいて頂戴?」
もちろんですとも。そう言葉を返して、僕は彼女とキスをした。何も知らないわけではない。彼女が人形を好きであることも、憧れとしていることも、全て知っている。そして、それを受け入れる覚悟でここに来て、彼女に告白した。
大丈夫。彼女への愛は、一生潰えない。
甘美で緩やかな雰囲気と、柔らかい愛情に包まれた空間で、僕はそう決意した。パートナーとして、彼女の全てを受け入れるんだ。
最初に違和感に気付いたのはいつの事だろう。
明確には覚えていない。強いショックが、思い出さないようにと記憶に蓋をしているのかもしれない。でも、違和感が確信に変わった日のことは覚えている。
秋の始まり。二人で散歩に行こうと、玄関で靴を履いている時、僕はさりげなく聞いてみることにした。
「ねえ、その腕──」
「気付いた? 義駆に変えてみたの」
「大丈夫? 不便じゃない?」
「大丈夫よ。それに、これはまだ始まりなんだから」
彼女はつま先を床にトントンと叩きつけながら、「前の腕よりも動くのよ」と言った。僕は、その言葉にえもいえぬ虚しさを感じていた。
彼女の腕が、知らないものになってしまった。
それは歪な独占欲だったのかもしれない。彼女に清廉潔白を期待し過ぎていたのかもしれない。それらしい理由はいくらか浮かぶが、明確な正体が分からない。心の底でどろどろとしたドス黒い感情が蠢いている。彼女は、僕だけのものだ。代わりなんてないんだ。
彼女に向けたにこやかな笑みの裏は、不安と焦りでいっぱいだった。
あれから、彼女の身体は義駆へと変化していった。
まずは右脚。膝の部分には球体関節が取り付けられ、動く度にゼンマイによるキチキチという音が鳴るようになった。筋肉の代わりに取り付けられたゴムパーツは冷たくて、かつての彼女の体温を忘れさせるには十分だった。
左脚も、義駆になってしまった。無機質な両足で屋敷の庭を駆け回る彼女の姿は少しばかり歪で、見ていて心が締め付けられた。これが彼女の望んだものなのだろうか? 確かに人形への憧れがあったことは知っているし、受け入れたつもりだ。でも、この形でその欲求たちが解き放たれてしまうのは予想外だった。
改造は、瞬く間に彼女の全身へと及んだ。消化器は全て類似の機能を持つ機械に置き換えられた。呼吸器はタービンとフィルターで構成された送風システムとなり、舌をはじめとした感覚機関は代わりにそれらしい刺激と錯覚を与えるだけの劣化品となった。聴覚から味覚までを代替反応で誤魔化し、そうして得られた情報を脳内で雑に素早く処理する。こんな身体で、彼女は幸せなのか?
「浮かない顔してどうしたの?」
「……あの、今って幸せですか?」
「どうしてそんなことを聞くの」
「不安なんです。貴女が幸せじゃないと、僕も嬉しくないんです」
彼女はゼンマイの駆動音と共に、人工的な笑みを浮かべた。表情は柔らかくない。金属をその形に歪めているかのような不自然な顔をしていた。かつてあった、優しさ溢れる笑顔はそこにはなかった。
「私は幸せよ。ようやく、憧れに近づけたんだから」
「ならよかったのですが……」
「ねえ、付き合う時に言ったこと覚えてる?」
僕の好きな彼女であることには変わりない。
「ええ、覚えてますとも」
変わりは、ない。
それから数ヶ月が経った。
僕の不安は拭いきれず、釈然としない日々が続いている。彼女との関係がおかしくなったわけではない。ただ、原因が彼女にあるのも事実だ。病院の待合室で考えながら、彼女の帰りを待つ。
彼女は脳までをも義駆にしようとした。脳情報を全て抜き出し、義駆の中に閉じ込めると。勿論、僕は反対した。でも彼女はそれを押し切り、自分のなりたい自分へと姿を変えた。僕は何もできなかった。変わろうとする彼女を止めることも、後押しすることも、何も。
手術中のランプが消えた。扉が開き、医師がこちらにやってくる。
「処置は完了しました」
「ど、どうなったんですか」
「今のところ、変わったことはありません」
ですが、と付け加えて医師が言う。
「脳の義駆化は前例のないことです。もし万が一おかしなことがあったら、すぐに私のところに来てください。いいですね?」
「は、はい。わかりました」
暫くして、彼女がやってきた。見た目だけならアンドロイドと変わらない。いや、もはや、見た目だけではない。構造も感情も全て作られたものであるというのなら、それはアンドロイドと変わらないのではないのか。
「大丈夫? 顔色が悪いようだけど……」
「ああ、大丈夫。大丈夫だよ」
「そう? ならいいわ」
機械の喉から発せられる音は、無機的で、所々にノイズが混ざっていて、人間のものではなくなっていた。
これは、僕が愛していた彼女なのか?
僕は「人間の彼女」に惚れた。でも、今目の前にいるのはなんだ。人間の彼女という体の、義駆によって全身を構成されたアンドロイドではないか。彼女の身体はもうない。温かみも優しさも、冷たい典型的反応によって取り払われてしまった。
「ねえ、貴方」
「なんですか?」
彼女が言う。もはやコンピュータによる予定調和の会話としか思えなくなってきていた。流れで答えて、あしらってやろうと考えていた。
「今でも私のこと、好き?」
それは間違いなく彼女の言葉だった。
思考が止まる。いつかの日に彼女が言っていた言葉。僕は彼女の想いに応えることができなかった。彼女のパートナーでいる意味はあるのだろうか、彼女を受け入れることはできるのだろうか。そういった疑問が次々と湧き出してきて。
何も答えられないまま、時間だけが過ぎていった。
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