エリアトリトンTale


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1. 人魚

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 あぁ、この絵ですか? そうですよ。人魚です。

 いやあ、昔から言いますよね。人魚の肉は食うと不死身になるって。誰が言い出したかも、なぜそんな俗説が生まれたかもわかりませんけどね。でも確かに全国いろんなところでそんな話が根付いている。なんでだと思います?

 日本ですからねえ。確かに、島国じゃあ大抵どこでも賓だの来訪神だの言われて、外海から流れ着いたものを神様にしちゃいますねえ。
 まあ、人魚もその類という場所もあるんでしょうね。でもここじゃあ一味違いますよ。

 あぁ、残念。そうでもないんですよ。
 そりゃあ、確かに学問やら交通やらの発展でそう言う話が公に浸透するなんてこともあるのかもしれませんけどね。
 もっと単純です。とっ捕まえたんですから。

 信じられない? まあ無理もないでしょうねえ。だって今までそういったものは猿と魚の合いの子だったり、全くのおもちゃだったり、動物の骨だったりするのが常ですもんねぇ。
 ……えぇ、その木箱です。開けて構いませんよ。うちの御神体なんです。
 大丈夫、目が潰れたりたたられるなんてことにゃならんでしょう。


 ……どうです。見事なもんでしょう。驚きましたか? まあ、ちょっとばかし乾燥してますが、見るからに新鮮ですからね。これでもざっと五百年はこの神社に納められてるんですよ。

 あ、少しばかり肉の抉ったところがあるのにもお気づきですか。
 まあ、だってねえ。気になるのも無理はないでしょう。人間、不死身になるなんて話を聞いておいて、実際にそれが目の前にあるんですから、つまみ食いもしたくなっちゃうでしょう。

 いえいえ、誰かの悪戯とかじゃないですよ。ちゃんと管理はされてますから、安心してください。
 あ、まあ悪戯といえばそうなのかもしれませんね。好奇心で肉を口にしたってことですから。

 いやね、そう言う時期だったんでしょうかね。年に一度の祭りの日だったんですよ。あんたも知ってるでしょう。今もこの時期にやってますからね、波跨祭。
 まあよくある大漁祈願のお祭りです。石川とか静岡とかのが有名でしょ。あれみたいに神輿作ったりはしないんですけども、辺り一体の村ぐるみでね、ここを降りた先の砂浜で底引きで魚を獲るんです。まあここの地曳漁は400年くらいまえに途絶えちゃったわけですが。そんときにね、網に掛かったってわけなんです。これがまた酷いくらいのおぼこ顔で。

 それを一番に見つけた男が、こりゃあエラいもんだとなってこっそり隠して持っていっちまったんです。それで最初の方こそこれはきっといや間違いなく神様だっていうんで大事にしつつも扱いかねてたんですけれど、ついに好奇心に負けてその身を一口、包丁で切り取って食べちゃったと。そん時の包丁は刃先が欠けちゃって、こんなもんが本当に食えるのかなんて思いつつ、しかし一度神に刃を通しちまったんなら祟り死ぬまえに味見せにゃ気が収まらんと舌に乗せたらこれが美味い。濃厚でムツの特別いいやつを食った時に似た感覚でね。

 それで食ったあと、流石にこりゃあいけないと思ったんでしょうかね。この神社に預けて今日までそのままってことです。

 ……人魚の肉が不死身だなんて言われる理由がなんなのか、なんて答えは単純でね、どうせみんな一口、もしくは全て食べ尽くしちゃったんでしょう。
 そりゃあこんなふうに人魚が腐らないんだから、食ったら不死身にくらいはなりますよね。そこにはなんの不思議さも違和感もないでしょう。

 一口いただきますか? 何、まだまだ新鮮ですよ。この人魚は。それに、特別美味い。


アレらは不死身だ。それに特異。海は広く、深淵で、時折変なものが打ち上がる。


2. 有人潜水

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 いや、すまない。今の私は気が動転していて……うまく話せるように、その、頑張るが期待はしないでくれ。
 ……いや、ディティールなんて忘れようもない。忘れたくても、絶対。金輪際忘れるなんてできない。ただ……ただ、あれの姿は……何と言えばいいのか、わからない。
 だって、途中で電話線が切れて、酸素チューブは残ってはいたが……バートンも取り乱すし、振動だって……!

 いや、落ち着かないとな。君に絵を起こしてもらわなきゃいけない。その、どのあたりから話せばいい? ちなみに実況の音声はどこまで放送されていた?
 あぁ、わかった。じゃあ、そこから。


 俺とバートンが水深600mを超えたところだったはずだが、その辺りまでは色々な生物を時折目にして実況もしていたはずだ。
 最後に見たのは確か……紫のクラゲだった。手のひらサイズのだ。サイズと色は実況した気もする。
 それがこう、群れを成してフワフワと漂っていたんだが、そいつらが一斉に、急に歪んで窓枠の外にいっちまった。

 その瞬間だ。
 俺らの乗った潜水球が何かにぶち当たって大きく傾いだんだ。バートンはひっくり返って肘を強打して、俺はバートンの足をモロに顔面に喰らいはしたが、意識は明瞭だった。バートンの足臭が気付け薬だ。
 ともかく、それでまさか海底にでも着いたのかと思って窓の外を見たんだよ。

 真っ暗なんだ。
 いやまあ、200mを超えたら人に感知できる光なんて差しやしない。だから暗闇なのは間違い無いんだが、少なくとも、俺らの潜水球は外側のライトで周囲を照らしてた。だから真っ暗なんてのはありえない。だから顔面を押し付けて外の明かりがあるべきところを覗こうとした。ギリギリ見えるからな。

 結果としちゃ、普通にライトはピンピンしてた。
 だが同時に……同時に何かと目が合った。色は紫……いや、青かったかもしれない。ともかくそれは暗闇で薄く発光していて、さらにバカみたいにデカかった。
 さっきは目が合っただなんだといったが、目しか見えなかったんだ。他の器官なんてわからない。見えたのはギョロっとした目ん玉だけだ。どう言えばいいんだろうな……ボステルマン。多分、君が想像するような目じゃ無い。瞼があったり、鯖みたいだったりするわけじゃない。でもそれは人間の目玉……そうだ、まさに黒目と白目があって。


 ……あぁ、あぁそんな感じだ。すごいな君は。黒目のサイズもそんな感じだよ。

 んで、それがこっちを見てた。気づいたんだ。さっきまで、潜水球の窓をこいつが塞いでた。そんなことができるだけの巨大な何かが、今窓の数メートル先にいるんだ。ゾクゾクするだろ。
 それで、それを夢中で電話口に叫んでたんだが、ふと我に帰った。そっちの声が聞こえない。応答も返事もない。あれだけ聞こえてきたオペレーターの声が一切途絶えたんだ。
 こうなるともう絶望だ。どうやって今すぐ引き上げてもらおうって話になる。そもそも電話線が切られたんだとして、そうなると酸素の供給だって怪しい。タンクの残量には限りがあるからな。それどころか海水が漏れてくる可能性だってある。そうなったらこれは棺桶だ。大人三人隙間なく詰めていっぱいになるこの鉄の塊が俺の墓になっちまう。

 そんな予想が簡単にできちまったらもうたまんねえ。
 バートンはなんとか復旧しないかとひきつった小声で救援を繰り返してた。外のやつに声が聞こえたらまずいって判断だったんだろうが、だとしたらもう目が合ってる時点でおしまいだ。大体今まで散々騒いでたしな。
 かたや俺はやつがどういう挙動をするかを、心臓を喉元で抑え込んでずっと見てた。いや、目が離せなかったんだ。これは俺が生物屋だからじゃあないぜ。断じて恐怖からでもない。

 いつの間にかバートンも電話握りしめて壁に寄っかかって、上の方を見てるんだ。それを横目に捉えてた俺は、心底気味が悪かった。だって彼は今、バケモンの目の位置なんて知らないんだ。潜水級の壁は鉄だから彼は目を合わせられるはずがないんだよ。

 そのままどんくらい見つめ合ってたか知らないが、天の加護あってのもんか、俺の日頃のゴミ拾いの賜物か……奴は俺の視界の限界から潜水級の影に消えていった。そしたらまたあたり一帯真っ黒の水だ。底も見えない深海のど真ん中。まるで最初から存在しなかったかのように、なんの痕跡も探せなかった。

 だが俺は確かにそれを見たし、実際に電話は繋がらなかった。酸素はしっかり通じてたから低酸素の幻覚じゃあないはずだ。しかも確かに俺らと潜水球は一緒に傾いて、中身をもみくちゃにした。ほらみろ、俺のポロシャツに奴の足蹴りで出た鼻血がまだ残ってる。

 ……今思ったんだが、やつが俺らの周りから離れるまで、潜水球は傾いたままだった。いなくなった途端に底が見えなくなる深海で? 傾いたまま……? もしかして、乗ってたのか?




 ……は、ははは。鳥肌立っちまった。なぁおい、深海ってのは面白いとこだよ。

 不思議だ理解できないって顔だな?
 でも考えてもみろ。有人での深海調査なんて、大航海時代の先人がやるような前人未到の地を見つけ出す垂涎の行為だ。それどころか、何回も見てきたその風景の未知さでいったら宇宙探索並みなんだ。
 それをやらせてもらってる。その結果が、人間の想像もつかない巨大生物だぞ? これは生物屋としての好奇心だ。スリルじゃない。




 もう一度あの青紫の目玉を見つけ出して、その全貌を見つけ出してやろうと思ってる。
 あぁ、一刻も早くまた潜りたくなってきた。あの世界には多くの価値とロマンが埋まってるんだ。




深海は未知だ。だからこそ唆られる。奴らはどうやって生きている? 奴らはどうやって生まれる?



3. 神

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 皇軍および我がじよう船するせん水艦は、この頃になるとしばしば損害が目に付きはじめるようになつた。
 まず一月十七日に伊六十潛がスンダ海きょう南の口で英と水上で砲戰をして沈んだ。一月二十一日以降、伊一二四潛が消息不明。

 このことを知つたのは隨分後になつてだつたが、艦内には内地の空気を敏感に掴むものが多く、何より前線で度々戰果を逃している我々と、大本營發表だいほんえいはっぴょうを勇猛果敢・戰果豐冨ほうふと發表する新聞を買つて讀むことには、明確な齟齬が發生していることは明らかであつた。

 だからこそ、この戰果はかず少ない嘘いつわりの存在しない戰果として色濃く記憶にこびり付いている。

 一九四二年二月廿九日。私が玉體ぎよくたい以外に神と定義する存在と邂逅した、最初で最後の日付だ。

 天気は快晴である。波は低く、東の空が薄明を湛える頃、本艦は水面に搖蕩たゆたつて發電機をあやしていた。この艦も古く、改修など滅多に入らないから、濕気しつけと振動にやられつぱなしの賴りないコイツをどうにか騙し騙しでこんな洋上ど眞ん中に放り出されている。コイツがイカれたとあつては二進につち三進さつちも行かないのだから、つまるところこいつに全員の命を預けているというわけだ。
 なかなかゾツとしないものである。

 なんとか船を走らせることが叶つたのは日も上がりきつた正午の頃である。そのかん見張りは交代で外に立つて濕気た煙草をふかすばかりで、一本せびられて惡態をついた相手が艦長であつた以外に危うい場面はとんと來なかつた。ほかは、度々甲板に飛び込んでくる飛び魚をしめしめと手で掴んで糧食長にけん上するばかりだ。

 巡航する私たちの耳に、そのうち他の哨戒にまわつていた他の艦から、

 「──近海に空母を旗艦とする米空母艦隊現わる」

 との電報が入り、十ノツト待機として次の命令を待つた。乘員一同は好天気の中、依然交代で見張りに立ち、目を皿が如く見開いて、寢不足の赤い目をしよぼつかせていた。天気は徐々に曇りはじめ、風も緩いところから肌寒いとも言える溫度まで低下している。水雷長はしきりに魚雷を撫でまわして囘つている。魚雷頭部には「よおーく走れよ」とこえをかけながら注液していた。

 天候の不順もあつたのだろう。それを見つけたのは普段と比較にならないほど近距離であつた。特徵的な3本煙突は空母艦隊の外緣に位置する驅逐か輕巡であろうと判斷し、艦長へ方向と距離を叫び、ハツチに滑り込む。幸にして波も髙く、相手からも船體を見つけるのは至難であつたであろうということに、胸を撫で下ろした私は、すぐさまちよう音室に驅け込んで報告を待つた。
 この艦はそう長くは潛れない。發電機の不調を依然として抱えていて、つまり浮上して發電し直さなければ全ての電源が落ちてしまう。だから洋上航行十ノツトで無防備な薄板の船體を不用心にも晒していたのだ。いち早く射擊位置に陣取つて、全てを靜止して機を伺わなければならない。にわかに船内は熱気を帶びる。

 戰鬪の赤色燈が暗い室内を不安定に搖らす。寫眞現像の暗室の中よりも暗いその室内も、五分といれば順應もする。位置について、水雷兵たちの「裝填よーし」やら「注水よーし」と威勢のいい聲を受け、いよいよごぼんという射出音を全身で聽く。
 無骨な聽音機に耳を傾ける聽音員の、逼迫した聲が響くのはその直後だつた。前振りなどない。
 響いて刹那、艦體は丸ごと大きく右に傾ぐ。その傾斜の仕方といつたら、オランダ坂程度はあつたと記憶している。普段前後に傾ぐ事こそあれど、左右にここまで搖られたことはなかつた。あるとすれば爆雷を閒近で喰らつた時くらいのものだろうと思つていたし、思つていてもまさかそうくるとは誰も思わないから、私はそのまま艦の鐵牀てつしように强かに己の尻を打ちつけてしまつた。
 艦體は大きく軋み、すわ眞二つかと覺悟したが、どうもその一かいのみであつたようで、いくら身構えても二度目はない。

 意地で聽音機に齧り付いた奴が大聲で不明音の遠ざかるのを叫び、唐突にそれを投げ捨てた。その理由は同時に理解できた。聽音機を介さずともだ。船體の向こうから、奇妙な重低音がする。これを增幅されて聽いたのだからそうもなろうという大音量だつた。
 總員そういんが耳を塞ぎ、少し落ち着く頃、何やら水上が騷がしいらしい事に勘付く。先ほどのものより比べるほどもない微かな重低音と微振動は、水上艦の砲火に違いない。一體何と戰つているのであろうか。

 こちらは最大の武器を全て吐き出し終わつて素寒貧の身であるから、この混亂こんらんこれ幸いと退避方向に舵を切つている。しかし發電機に無理をさせすぎたらしい。機關きかん員が怒鳴り込んできてしばらく、どうも浮上するしかないと言うことになつて、艦長は苦澁じゆうの顏でそれを許可した。直前で潛望鏡上げの令とともにいそいそと上げた艦長は、しばらく無言で覗き込みつづけ一言。

海祇わたつみじゃ」

 とだけ呟いた。
 私はこの時の艦長の聲と表情を全て克明に記憶している。私にの心得があつたならシワの一つ薄い頭の毛一本逃さず書き上げられたはずだ。

 ともかく、その言葉に我々は息を呑んだ。先ほど艦を傾けたものの正體しょうたい合點がてんがいつたからである。
 すぐ橫で崩れた神棚を恭しく元に戾して敬禮けいれいをする者もいた。どうも我々は神に救われたと言うことらしいと言うことは、すぐに全乘員の知る所となつて、艦長の許可の出るや、我先にとハツチまで驅け上つて封鎖を解き、隙閒から目下荒れているであろう方をまなざす。

 それは異樣であつた。
 まず夕景をさらに赤く舐めあげるような業火と爆炎をふきあげる敵艦隊を目にした。ついで、まだ生きている艦が水面まで俯角ぎりぎりに砲を傾けて擊ち込む姿を見た。まるきりこちらが蚊帳の外である。この分では魚雷の被害かどうかもわかるまい、そう私は苦笑いしたことを覺えている。

 一應いちおう磯と鐵くさい機銃に齧り付いては見たものの、おそらく使うことはない。それよりも今しがた、先ほどまで海を擊つていた重巡が爆沈したことの方が大事である。爆沈の要因はすぐさま理解した。
 黑い波を割る靑白い尾鰭が見える。それは敵艦の煙突ほどの髙さがあつて、長さはもはや想像もつかない。今、確かにあの海面には己の想像もし得ない巨體の生物が優雅に敵艦を爆沈して囘つているのだ。決して寢不足の祟つた幻覺でないことは、その戰果が物語つていた。

 それはしばらく艦隊を食い散らかした後、忽然と何處かへと姿を消していつた。まさに神出鬼沒というべきもので、總員甲板上で敬禮を向けていた。自然とそうすべきだと感じたのである。


 私は、あの時艦長が呟いた、漢字にしてたつた二文字の言葉が、これ以上に當てはまるものもないほどに腑に落ちた。


 海祇


 それがあれの正體だ。海は人の知識の空白だ。水中を主戰場とする我々ですら、この鐵缶の中に引きこもらなければ生きることすら許されないのだから、當たり前である。だからこそ、彼らはもしかすると無數むすうにいるのではないか。水の下は異界だ。我々は閒借りしているに過ぎない。ここで死んだあの艦隊もすぐに黃泉に沈むのだ。未だ現世に搖蕩う我々も、常に黃泉が口を開けて待つている。海軍に入つてから、この艦で何人か同僚を亡くしている。事故に砲擊に、色々あれど、いずれも例外なく海が飮み込んでいつた。

 なにか、無性にしんみりした気になつて、私は夜に沈む黑い海と、橙の輝きを見つめていた。


彼らは度々人に害をなす。気まぐれに人は翻弄される。故に神だ。
そして彼らの住まう海は、水底は。人の行き着く先なのかもしれない。



4. 政府機関

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「この紙束が、か」


 簡素な机を囲む面々。対面する男は先ほど投げられた紙束に対して訝しげな目線を向ける。

 無言で読むように促すと、机上で組んだ手を徐に解いて、ぺろりと指先を舐めてから無造作にページを捲り出す。

 この紙束は世界全体に大きな意味を持つ。
 つい先日公表された国連議決に伴う新規部署設立の公式文書。その写しである。一般公開されていない箇所まで網羅された極秘資料付き、という但し書き付きだが。

 いくつかページを捲るごとに、尚更つまらなさそうな表情を色濃くした彼は、あるページを巡った途端、驚愕に目を見開いた。

 想定通りの反応で大変気分が良い。対する男の口元はニヤリと面白そうに上がる。


「……把握した。そうか。そうかなるほどなぁ。こんな興味深ぇモンを独占しようってのが奴らの魂胆か?」
「ええ」


 そこには、表向きの機関説明で取り繕った、大変興味をそそられる情報が並んでいた。深海域の生態系、環境、資源、そして霊素結晶。表にはこれらの情報は一文字も露出していなかった。


「この霊素ってのは聞いたことがねえな。結晶化するってことは鉱物か?どういう使い方ができる」
「成分報告及び探査記録によれば、水と比較して高比重高密度の難溶性を持つ気体であると。回収されたサンプルからはこれが一瞬で揮発し、深層水自体に検出はされませんでしたし、深海では青みを帯びた白銀と表現される発光も確認できませんでした。深海の高圧にあって初めて溶解できると考えられています。地上に於ける扱いには最高難易度を誇る代物であると考えて良いでしょう」
「だが、結晶化した場合はその限りじゃあねえと。気体が結晶化するというのもよくわからんがね」
「そのようです。霊素結晶は純粋な結晶化による形成と、水晶やレアアースなど他鉱物に含浸、濃縮することで結晶の形を取る2種類が確認されています。そのどちらも地上でも成分が定着しているようです。……やはり前者の方が純度が高く高品位のようですが」


 「まさにお宝ってことか」と口角を上げる男の目は、すでに爛々と輝いていた。


「後者は深海域の鉱床を採掘すれば低品位のものがごろごろと出てくるでしょうが、前者の鉱物は生成が少々特殊です。具体的には生物の摂食活動に伴い、内部器官の一部に結晶化するようですね」
「で? まさか宝飾品としての価値だけってことはないだろう?」
「……単体での霊素結晶それ自体は弾力のある非金属にすぎません。しかし、他鋼材と合わせると、水圧を無視する特性を得ます。これは疏水性と呼ばれているらしいのですが……これを一部の深海生命体も有しているらしいのです。よって従来の予測に反して、大型の硬骨魚類も多数生息していると報告があります」
「ならなんだ? まさかそのうち深海で人間が海水浴できるようになんのか」
「ええ。可能性は大いに」

「……ッ最高のシノギだ!!!ただでさえ俺らは深海の未知ってやつを追ってる。フロンティアであってロマンだからなぁ。それが制限されるなんざ知ったこっちゃねぇ。制限したら噴き上がる、それが摂理ってもんだろう?」


 男は、豪快さに乗せて拳を机に振り下ろす。もう慣れたものなのだろう。机を囲む者たちは、慣れたようにカップを持ち上げてそれとなく大惨事を回避していた。

 彼らのような海洋探査個人事業主や、サルベージャーたちは、今回特別被害を受ける。かねてより人類は海のたたえる圧倒的な未知に対して、冷めやらぬ好奇心と溢れんばかりと探究心を燃やしてきた。
 そしてそれは、ある時期に確定的となる。

 通信ネットワーク。インターネットの開発に伴う全世界への海底ケーブル敷設は、1851年、ドーバー海峡に端を発した。続く1857年、大西洋横断を望まれたそのケーブルは、しかし散発的に寸断され使い物にならない。当時潜水技術はたかが知れていたため、多くは引き直しという甚大なコストを支払う手法を取られていた。しかしそれも、八回目となり他通信手段の開発により中止されることになる。
 これが戦争工作などでないことは明白と見られ、長らくその原因に関してはお蔵入りとなっていたわけだ。

 第二次世界大戦後。アメリカ-イギリス間に再びケーブルを敷く計画が持ち上がり、アメリカ主導で実施された。結果として、敷設中に全てが寸断される結果となった。その回数、実に十八件。材質、敷設場所全てを変更したその全てが、失敗。

 この頃から、まことしやかに囁かれることがあった。それは半ば陰謀論じみてはいたが、巷に溢れるそれらよりは何倍もの物証や伝承が存在した。そして第二次大戦によって向上した海洋技術を基礎として、遂に、世界各地の特定海域に何らかの動的物体が観測される。これは政府機関及び国際連合と一部企業を除いて公表されなかったが、国連程度の組織に海洋全体にわたる完全な情報統制などできようはずもなく、確度の高い御伽噺として、一部が漏れ出すのは必然と言えた。陰謀論の行先も大概正解のようなものである。

 何はともあれ、この未知を受け取り、己の目で確かめようと、主に企業バックアップを獲得した個人やチーム、特定の政府は独自にその海域の神秘を暴きに向かうことになる。

 目の前にいるのは、そういう人間たちの集まりだ。金儲けは二の次。深海の神秘とロマンを追い求めることを至上とする知識欲ジャンキーども。


「で、あんたは何でこれを持ってる? ……持ってるだけならまだわかる。そちらさんは世を統べんばかりのコングロマリットだ。こういった裏事情は簡単に手に入るだろうさ。だが、なんで俺たちなんざに公開した? 俺たちの性格はあんたらが一番ご存じのはずだろう?」
「知っていますとも。だからこそです。独占管理下において技術の進歩は停滞します。そこには様々な市場があるべきであり、価格調整は正常な市場でのみ機能します。あなたたちは、そのためにロマンを求め続けてもらう」
「つまり、ロマンのついでに奴らやコイツを獲得すりゃいいんだな? あんたらはコレを得る。俺らは資金の元さらに深みを目指せる。あの神秘の海域を。そういうことか。プロメテ……いや、ここではプローテウス研究所だったか?」
「どうです悪くないでしょう? プロメテウスはこのままでは、冷戦終結後に起こりうるバブル崩壊の煽りを食らいます。確実に。そうなれば少なくない打撃を受けるでしょう。ですが今海洋市場に手を伸ばせば必ずや! 新たな需要を牽引できます。まさにブルーオーシャンというわけですよ。……あなた方ハンターさん達のおかげで今までもこれからも、食い扶持と面白い研究を確保できる。これはいわば、その感謝と誠意でもあります」


 今後ともご贔屓に。と差し出した手を、相手は強く握り返す。節くれ立った、海の男たちの手だ。




 ある港町の町工場。
 ここから、海洋フロンティアを取り巻く競争は加速の一途を辿る。

 彼らはいつからか、向こう見ずどもハンターと呼ばれるようになった。


 彼らは未だ未知のヴェールに包まれている。その特性、存在意義、知るべきことだらけ。
 ただ一つ言えるのは、我々は着実に彼らを既知に置き換え、被捕食者の立場を脱しつつあるということだろう。



5. ディープブルー・ロマン

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 未明。

 漁船の後部が観音開きに開放される。
 その後部から滑るように排出されるのは、ディープブルーに鮮やかなカドミウムイエローのラインが入った潜水艇。定員3名。市場ではミドルクラスと呼ばれるランクに当たる。

 それは静かに、かつ迅速に外洋特有の塊のような高波に潜り込み、姿を消した。

 周囲には同様の改造が施された漁船が数隻配置され、漁船団を装っている。全ての船体後部ハッチからも同様に、先程のそれよりも一回り大きい黒色の潜水艇が水面を潜っていく。




「各種電源装置、異常なし。こちら潜水艇ヘリング。本艇を確認できるか? OVER」
「こちらSPCSpecial Pacific Command警備第15隊旗艦オルカ1。現在本隊は、貴艇の後方100m後方に左右それぞれ1隻ずつ、貴艇の左右100mにそれぞれ1隻ずつの計4隻からなる警戒陣で追走中。目標深度まで継続する。OVER」


 堅苦しい応酬をこなし、男は不満そうに顔を顰める。タンクトップ姿の男の肩幅は広く、筋肉質な腕をガッチリと胸の前で組んで、大きいとは言えない耐圧ガラスの先を望んでいた。この潜水艇の艇長に当たる役職を担っている。

 それを横目に捉えた操舵手は、とっくに毛根の死滅した頭皮を掻きながら、しかめ面の艇長に対し軽口を投げる。見慣れた光景だった。


「連中、同じ海に生きてるタァ思えねえな。分類上じゃ俺ら側だろうに」
「……あぁ、いけ好かねえ。自分らは正規職だと思って軍隊の真似事だ。野郎共の得意は無節操と暴力だろう。だいたい何で太平洋外まであいつらの業務管轄なんだ」


 艇長の言に「でも」と応を返したのは、この潜水艇の中では一際線の細い男だ。海洋学者である。複数のモニターからは片時も目を離す気はないようである。


「でも、奴らの腕は確実ですからね」
サメに会わなきゃ腐るがな。……いや、デコイくらいにはなるか」
「バカ言え。奴らの本気なんざ見ない方がいいんだ」
「そりゃ違ぇねえな」


 軽口の合間にも、モニターの深度表示は順調に数字を重ねている。横には海図がモニターに展開され、自らを示す白点の周囲の等深線が、少しずつ画面を流れていく。

 そのうち、白点が海図の海域名表示に差し掛かった。

 《Puerto Rico Trenchプエルト・リコ海溝

 モニターを見ていた男が、その名を告げる。深度400m。




「気ィ引き締めろ。こっからが本題だ」


 操舵桿を握りながらいう男に呼応するように、ガラスの向こうに何かが光る。
 青白い光だ。それは群体で、ふわりふわりと海中を漂っていたが、潜水艇の投光器に照らされて暗黒の背景にその姿を浮かび上がらせる。


「……珍しいな。この深度にヤツらが上がってくるのは」


 タンクトップが身を乗り出し、耐圧ガラスを挟んで睨みつける。
 男は、おもむろに組んでいた腕を解くと、通信機のレバーを握りこんだ。


「こちらヘリング。前方にケートスを視認。群体系のクラゲだ。目測体長およそ100m。手は出すなよ? 敵対性はないが、念の為下をくぐる形で通過する。OVER」
「こちらオルカ1。了解。OVER」


 潜水艇は潜航角度を修正し、ケートスと呼ばれたクラゲ群体は潜水艇の頭上を後方に過ぎ去っていく。その姿は、一般に知られるそれらとは遥にかけ離れたものだった。クラゲにおける笠に当たる部分は、およそ50mほどに広がり、ゆっくりと揺らいでいる。笠は歪で、何かの金属や木片、錨のようなものまで一体化していた。そこから下に向けて、ケルプのような太さの半透明の触手が、流れに身を任せるように流れている。さながらレースカーテンのようなそれらには、筋のようなものが走っていて、その筋は定期的に青白く発光を繰り返している。
 その体全体からは気泡のように同じ青白いとも、白銀とも表現できるような粒子が拡散して、彼らの通った軌跡を描いている。ケートスとは要するに、“そういう奴ら” を指す呼び名だ。その中でもこっちを襲う奴らを、ハンターはサメと呼ぶ。

 潜水艇は、しばらくこの粒子に包まれて航行を続けることになるだろう。


「こんな浅瀬まで来たところで自壊するだけだろうに」


 操舵手がつぶやきながら、周囲の粒子を目で追う。船体が海水を掻き分ける動作に沿って、耐圧ガラスを滑るように後方へ流れ去るそれらは、発光しながらも海底を目指すようにゆったりと沈降してゆく。水よりも比重が重いのだろう。マリンスノーとも違う、しかし神秘的な、小宇宙のような光景だった。


「もったいないですね。WMSWilson's Marine-life Solutionsが見たら喉から両腕出しても欲しがるでしょうに」
「あんなサイズの高圧ケージなんざ用意できるかよ。だからちっこいのを狙うんだ。それだけでも値8桁はくだらねえんだから」
「今日は捕獲業務じゃねえぞ。……あの分なら、まァあと100mも上がったら完全に崩れるだろうな」


 学者と操舵手の駄弁りに、慣れたように艇長が予測を立てる。
 男たちがこの海域──俗に《バミューダ・トライアングル》と呼ばれる──に潜るのは今回が初めてではなかった。
 潜水回数56回。最高到達深度4000m。国際探索免許、無し。世間一般にモグリなどと呼称される無免許ダイバーである。


ピークォドOCEANからもモグリからも分け隔てなく回収する、それがWMSのいいトコですよ。彼らのおかげで俺たちモグリもアイツらの特性を知れるんですから」
「あいつらの触手少し千切ってプローテウスに売り付けてぇな」


 無免許ダイバーはその性質上、全てが自己責任であるが、その数は増え続ける一方であった。OCEANが海洋探索管理と称して始めた事実上の独占は、海洋の、とりわけ深海域のブラックボックス化を招いた。表向きは、探索には探査契約を要し、審査によって拠出金と明確な研究目標や実績等を揃えれば誰しもが契約可能であるはずだが、蓋を開ければ各国政府と一部企業や実業家のみに与えられた特権となっている。

 だからこそ独自に海の底を目指す人間が現れた。そして、そういった人間は、同じく特権を得られなかった組織、企業の補助により世界各地で増加した。この潜水艇の警備に就くSPCこと環太平洋特務調査艦隊も、先ほど名の出た海洋生物保護や水族館経営に勤しむWMSも、海洋資源研究を行うプローテウス研究所もそれらにあたる。




 しばらくして、潜水艇が粒子帯を抜けた。深度1100m。


「やっぱり霊素帯を突っ切ると急に沈みます。SPCは付いてこれてますかね?」
「問題ねェ。さっきから短く応答はきてる。この沈降も想定内だ……が」


 艇長は少し下を見つめ、ニヤリと口角を釣り上げた。


「どうやら今日は底が騒がしいらしいな」



 
 果ての見えない暗黒。上下すら見失うような空間のある一面。さながら夜空のような、無数に瞬く光の数々が、どこまでも続いていた。それは波打ち際の夜光虫のようにも、光苔の絨毯のようにも、天の川のようにも見える。


「こりゃあ、あの日と同じだな」
「いえ、あの日よりも……とにかく膨大です。海溝を埋め尽くしてるみたいだ」


 艇長は興奮を抑えながら通信機を取る。わずかに震える指先で、いつもより強くレバーを握り込む。


「こちらヘリング。進行方向に見渡す限りのケートス群だ。俺たちゃ今からこいつらの中に突っ込む。ついてくる気概があるなら、ついてこい。OUT通信終わり


 一方的にそう告げて、操舵手の方を見やる。


「いくぞ。まさか怖気付いたわけじゃあねェだろう?」
「まさか。この日を待ってたんだろ。艇長、そのしょうもねえ武者震いをさっさと止めるといい。さぁ、行こうぜ」

「ベント開け!!!!」


 後部からごぼんっと排気音が響く。桿は目一杯に引かれて、推力はゼロに戻り、船体は徐々に沈降速度を上げてゆく。艇長の手元の通信機のコールは鳴り止まない。




「野郎共、今頃おおわらわだろうな。清々するぜ全く」


 操舵手は豪快に笑いながら上を見やる。3000m。
 学者はため息をつきながらも、計器を睨みつけ、深度を読み上げる。およそ100メートル毎分の沈降速度だ。

 もはや光の数々は、その正体を視認できる距離にまで迫っていた。無数の群体クラゲ。その隙間を、大小、長短さまざまな異形が泳ぎ回り、全体としては上昇を見せていた。そのいずれもが、薄青く白銀に発光する粒子を拡散しながらである。


「今回は耐えるかねェ」
「耐えなかったら藻屑でしょうが」
「俺ら気狂いは死ぬときゃ海で、だろ?」
「……ライトオフ!」


 号令に遅滞なく、すべての電光が落ちる。むろん船内もだ。天井から弱く赤い専用灯が、心許無く男たちを照らした。


「……大丈夫だ。以前と同じならサメも俺らを襲わない」
「あぁ、やっぱ危険個体も混ざってんのか」


 確証に欠ける物言いと同時、異常なほど牙の発達した、太刀魚然とした見た目のケートス群体がすれ違う。長さは30mほど。外側には装甲のような硬質さを感じる鈍い光沢の板皮があって、その関節部から銀光沢の表皮がのぞいている。一部個体はクラゲに取り込まれたのか、笠に同化したものもいる。こいつらの板皮は潜水艇の外郭の材料になる。ハンターたちのごく一般的な獲物だ。ただし、ライトでこいつらを照らしたばっかりに船体に大穴を何個も開けられ、文字通り爆縮で藻屑になった初心者は数知れない。
 そんなおっかない連中を見送ると、いよいよもって特殊な深海の異様をガラス全面に迎える。
 肉塊状でブヨブヨとしたフグのなり損ないみたいな奴や、他のやつの体に張り付いて寄生する人間サイズの多足類みたいな奴、半透明の魚群、本来何かの船舶部品であったであろう物に魚の半身のようなものが何匹も生えたような奴まで、まるで百鬼夜行である。その中を、静かに、時に姿も知らないケートスを引き潰しながら沈んでゆく。

 あの時もそうだった。

 10年前。
 艇長だった男が、初めての潜航で目にした光景と同様。あれはバラストタンクの不調によるトラブルが引き起こした偶然だったが、当時観測手として乗船していた彼はこれと全く同じものを目撃していた。
 この現象の示すものはすなわち、捕食者からの逃避行動である。

 あの日、男が神経質に睨みつけていた魚群探知機は、このケートス群を抜けた瞬間、確かに何かを捉えたのだ。それは全体像ではなかったが、確実に全長1000mはくだらない、そんなナニカの影を。

 そう、丁度今のように。群層を抜けようかという瞬間で──


「──っ!? 海底まで3000ありません! そんなバカな!?」


 そんな学者の叫声が上がる。
 艇長はレーダーを覗き込み、横の深度計に目をやる。そして、すぐさまその野太い声で叫んだ。


「メインタンクブロー!! 浮上しろ! 今すぐにだ!」
「クソッなんなんだ!」


 喚きながらも圧縮空気が注入される。先ほど過ぎ去ったケートス群が上から迫り、あれよという間に下に過ぎ去ってゆく。


「どういうこった艇長!? 説明する時間がないなら作って共有しろ!」
「海底、2800、2700、2600……2500を切ります!」
「そりゃおかしいだろうがよォ!!!」
「ありゃ海底なんかじゃねえ。お目当てのケートスだ」
「は!? ケートス!?」


 ソナーの返す深度を読み上げる声は止まらない。海底は、明確にこの潜水艇に追いつこうとしていた。


「ヤツと1500を切ってみろ、幻覚を見るぞ!!!」
「無理な相談だクソッタレ!」


 艇長は操舵手に無理難題を吹っかけながら、通信機のレバーを握る。


「こちらヘリング! オルカ1聴こえるか!? オルカ1、応答しろ! おい!」


 しばらく呼びかけて、応答のないのを確認して悪態をつく。そういえば行きも、ケートス群体に突入してからはぱったりとコールが止んだ。どうやらこの群体に阻まれて最新式の深深度通信も意味を成していない。


「兵装は」
「このミドルクラスに積んでる奴が海底に太刀打ちできるわけ!ねェだろうが!!!」
「2000m!」


 垂直浮上は行きの潜航の数倍早い。震度計の下二桁は、残像すら見える速度で切り替わっている。


「1800!」


 クラゲが上昇渦に巻き込まれて触手を螺旋に巻いている。


「1700!」
「層を抜けるぞ!」


 手元で通信のビープ音が復帰する。クラゲを数体挟んだ向こう側。レースの奥に、黒い潜水艇が見えた。


「──ッ! こちらヘリング! オルカ1聴こえるか!?」
「こちらオルカ1。状況は?なにが──」
「数秒後、バカでかいのが来る。緊急浮上と兵装準備急げ!OVER!」
「1600m!」


 一斉に浮上する潜水艇群。見る間に遠景に変わるケートスたち。
 その一部が楕円形に、一斉に突き上げられたかのように揺らぐ。目に見えない衝撃波に晒された雲のように、波紋のように。複数の波になって内から外に動揺が拡散する。

 そして、光が一斉に──消失した。


「……なんだありゃあ」


 無数のケートスを喰らったそれは、残されたケートスの光に照らされ、暗闇の中に朧げな輪郭を示す。あの日探知機で捉えたナニカであると、確信できる。

 それはゆったりと身を翻し、横に押しやられたケートスたちをさらに数回喰らい、すっかり光を失った海溝の奥底へと還ってゆく。こちらの事など眼中にもないかのように。

 複数の船体が生えていた。ガレオンからタンカーまで、伝承と記録の示す時代さまざまな沈没船なのだろう。


「こちらヘリング。オルカ1、攻撃はするな。OVER」
「こちらオルカ1。了解。しかし、よく逃げ切ったものだ。死んだかと思ったが? OVER」
「こっちはこれで2回目だ。だがまさかあんたらもケートス層に潜ろうとしているとは思わなかったぞ。その程度の気概はあったらしいな。OVER?」
「それが契約だ。それで、奴は追うのか。一度殴ってみたいが。OVER?」
「追えると思うか?」
「やりたくはないな」

「……今回はやめておこう。ただでは帰らんがな。雑魚狩りに付き合え。OVER」
「懸命な判断だ。OUT通信終わり


 一つ、深呼吸をした。

 この潜水艇はそれほど酸素が潤沢なわけではないが、一度くらいは許されるだろう。数度肩を上下させて、凝り固まった肩をほぐす。首筋が思ったよりも張っていたらしい。


「……これが。これが連中OCEANの隠したがる超常ってヤツなわけだ」
「あんなもんが本当に存在するとはなァ。俄然気になるってもんじゃあねえか」
「サンプル片の一つでも剥がれてませんかねえ」


「またそのツラ拝ませてもらうぜ。結晶育てて待ってろよ」






 潜水艇の乗員は、いずれもどこか狂っている。とはいえ、無許可で禁じられた領域を覗こうとする人間など、どこかしらトんでいるのだろう。

 ケートスは超深海において覇者だ。それに特異。海は広く、深淵で、頻繁に変なものと相見える。

 深海は未知だ。だからこそ唆られる。奴らはどうやって生きているのか。奴らはどうやって生まれるのか。その多くは未だ解明されていない。

 彼らは度々人に害をなしてきた。気まぐれに人は翻弄され、神と崇められた存在もいた。彼らの住まう水底は立ち入るべき場所ではない。その禁域は好奇心となって多くのハンターを誘い込み、引き摺っていった。やはり人の行き着く先は海の底だ。

 彼らが初めて世界に知られてから、まだ日は浅い。それでも、我々は着実に彼らを既知に置き換え、被捕食者の立場を脱しつつある。一部に対しては捕食者に回ってすらいる。

 現に今日も、男たちは彼らを狩る側に回るのだ。
 ロマンは何事にも変え難い、人類の根源的燃料だ。こういう人間たちが、往々にして世界を切り拓いてゆくのだろう。








深淵の最奥。悠久より臥していたその領域は、超深海帯Hadal-Zoneを潜って初めて目に出来る。

人々の知識の及ばぬ深海底。
光の差さぬ暗黒の世界。
この地球上で唯一つ、超常と呼ばれるものが存在し、生まれる空間。
未知と神秘で満たされた、好奇心と欲望を煽る魔の領域。

その領域はいつからか、こう呼ばれるようになった。









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