タロ・セレクタ
/* source: http://ah-sandbox.wikidot.com/component:collapsible-sidebar-x1 */
 
#top-bar .open-menu a {
        position: fixed;
        bottom: 0.5em;
        left: 0.5em;
        z-index: 15;
        font-family: san-serif;
        font-size: 30px;
        font-weight: 700;
        width: 30px;
        height: 30px;
        line-height: 0.9em;
        text-align: center;
        border: 0.2em solid #888 !important;
        background-color: #fff !important;
        border-radius: 3em;
        color: #888 !important;
        text-decoration: none!important;
}
 
@media (min-width: 768px) {
 
    .mobile-top-bar {
        display: block;
    }
 
    .mobile-top-bar li {
        display: none;
    }
 
    #main-content {
        max-width: 708px;
        margin: 0 auto;
        padding: 0;
        transition: max-width 0.2s ease-in-out;
    }
 
    #side-bar {
        display: block;
        position: fixed;
        top: 0;
        left: -25em;
        width: 17em;
        height: 100%;
        background-color: rgb(184, 134, 134);
        overflow-y: auto;
        z-index: 10;
        padding: 1em 1em 0 1em;
        -webkit-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -moz-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -ms-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -o-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
    }
 
    #side-bar:after {
        content: "";
        position: absolute;
        top: 0;
        width: 0;
        height: 100%;
        background-color: rgba(0, 0, 0, 0.2);
 
    }
 
    #side-bar:target {
        display: block;
        left: 0;
        width: 17em;
        margin: 0;
        border: 1px solid #dedede;
        z-index: 10;
    }
 
    #side-bar:target + #main-content {
        left: 0;
    }
 
    #side-bar:target .close-menu {
        display: block;
        position: fixed;
        width: 100%;
        height: 100%;
        top: 0;
        left: 0;
        background: rgba(0,0,0,0.3) 1px 1px repeat;
        z-index: -1;
    }
}
評価: 0+x
blank.png
/* source: http://ah-sandbox.wikidot.com/component:collapsible-sidebar-x1 */
 
#top-bar .open-menu a {
        position: fixed;
        bottom: 0.5em;
        left: 0.5em;
        z-index: 15;
        font-family: san-serif;
        font-size: 30px;
        font-weight: 700;
        width: 30px;
        height: 30px;
        line-height: 0.9em;
        text-align: center;
        border: 0.2em solid #888 !important;
        background-color: #fff !important;
        border-radius: 3em;
        color: #888 !important;
        text-decoration: none!important;
}
 
@media (min-width: 768px) {
 
    .mobile-top-bar {
        display: block;
    }
 
    .mobile-top-bar li {
        display: none;
    }
 
    #main-content {
        max-width: 708px;
        margin: 0 auto;
        padding: 0;
        transition: max-width 0.2s ease-in-out;
    }
 
    #side-bar {
        display: block;
        position: fixed;
        top: 0;
        left: -25em;
        width: 17em;
        height: 100%;
        background-color: rgb(184, 134, 134);
        overflow-y: auto;
        z-index: 10;
        padding: 1em 1em 0 1em;
        -webkit-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -moz-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -ms-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -o-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
    }
 
    #side-bar:after {
        content: "";
        position: absolute;
        top: 0;
        width: 0;
        height: 100%;
        background-color: rgba(0, 0, 0, 0.2);
 
    }
 
    #side-bar:target {
        display: block;
        left: 0;
        width: 17em;
        margin: 0;
        border: 1px solid #dedede;
        z-index: 10;
    }
 
    #side-bar:target + #main-content {
        left: 0;
    }
 
    #side-bar:target .close-menu {
        display: block;
        position: fixed;
        width: 100%;
        height: 100%;
        top: 0;
        left: 0;
        background: rgba(0,0,0,0.3) 1px 1px repeat;
        z-index: -1;
    }
}

 

 

 

財布がサトイモになった。
結果、命の危機に瀕している。

 

 

 

茶色のコンバースが掠れた音を鳴らす。過負荷。頭蓋の裏、欠乏した酸素が痛みとなって響き渡る。アスファルトを抜けた先、ひび割れた石の階段。その前に設置された落下防止のバーを片手で掴み、強引に方向を転換する。左手を振る肩の筋肉が張っている。狭苦しい家屋達が足早に視界の後ろへ流れていく。引っ張られている右手のせいでバランスを崩しそうだが、んな事言っている暇は無い。
 

「急いで。このままだと追いつかれる」

 
右手を引っ張る少女から喝が飛んできた。なら一回その手を放してくれ、なんて言えもせずに必死に階段を駆け下りる。彼女曰く、姿を眩ませられるのはもってあと40秒程。何を以て"姿を眩ませている"のかは見当も付かない。だが、距離を稼がないとブチ殺される。それだけは体で理解できている。僕のポッケに突っ込まれたままのサトイモは、相変わらず土に塗れて沈黙している。

 
現実改変。後から聞いた、僕の力だ。現実を思うままに操り、改変する能力。
只、どうやら僕の場合それは絶対的にサトイモだった。
 

 

何?"絶対的にサトイモだった"って、マジで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

.01

 

財布がサトイモになった。

 

 
正直な所意味がわからない。僕は今、昼飯を調達しに途方12分のスーパーへ赴いて、蔓延的な希死念慮に胃を満たしながら帰ってきた、その直後だ。え本当にわかんない怖いんだけど。

2個程のサトイモが狭苦しい居間を転がる。そして僕は只、それを呆然と眺める事しか出来ない。目の前の現実を処理するのに手間取る感覚。かつて母が乗った自転車が眼の前でトラックの車体に消えた当時のものと、この感覚はどこか似ている。今確定している事。買って2週間と経っていない僕の財布は、どうやらサトイモに生まれ変わる事を強いられた様だった。
 

「人生詰んだくね?」

 
率直な感想である。

財布の中には札は勿論、ありとあらゆるカードが入っている。つい先日6時間程待ってようやく受け取れたマイナンバーカードだって入っているんだ。いや財布が突然サトイモになって紛失するなんざ思うわけもないだろ。本当に何なんだよ、という行き場の無い憤りを募らせた所で、僕の財布だったサトイモが床にふてぶてしく居座っているのは変わらないのである。

ひとまずこれからの事はともかくとして、原因を洗い出そう。そう思って理由と思える理由を探る事にした。とは言っても「財布がサトイモになった」事の原因なんて、知恵袋を漁ってもTwitterで呟いても解明できる筈もない。困り果てた後、適当なメモ帳に思い付いた要因を書き殴ってみる。

 

『普通に怪奇現象』
『疲労が溜まり過ぎてどっかのタイミングからサトイモが財布に見えていた』
『何なら今現在僕の目がおかしくなっている』
『何かしらの化学反応で奇跡が起きた』
『僕が突然超能力を手にした』

 

……。

 

◇◈◇◈◇

 

座布団がサトイモになった。

 

マジかよ。本当に、マジかよ。まさかヤケクソで書いた一番最後の仮説が当たってたなんて思いもしなかった。只何と無く僕の目の前に置いてあった座布団がサトイモに変わるイメージをしてみた所、一瞬で僕が愛用していた座布団は大量のサトイモへと置き換わったのである。普通に返して欲しい。

深呼吸を一回。ともかく僕は"物をサトイモにする"という能力を得た。と、いう事で受け入れる。混乱に混乱を重ねる様な真似はしないと決めている。


「目の前の物をまずは受け入れる」。

僕の抱えた信条、な様なもの。現状をそういう物として受け入れる。その上で"適応"に全身全霊を注ぐのだ。例えば聳え立つ六段の跳び箱が現状の自分では跳べない事。幼き僕はそれを受け入れた上で、全力で体を鍛えまくった末に無事八段の跳び箱を越えた。

初めて受けたバイトがドがつく程の超絶ブラックだった時も、目指していた夢を追う事がまず不可能になった時も、母親がトラックに潰されて死んだ時も。僕はそうやって、立ちはだかる壁を乗り越えてきた。今回の「突然物をサトイモに変える能力を得た」という事象にも適応してみせる。


状況を整理。要は僕が座布団を頭の中でサトイモに変えたら、それが現実に反映されて座布団はサトイモと化した訳だ。つまりこの現象を僕の能力と仮定すると、この能力は「頭の中で起きた事象を現実にフィードバックする能力」だと推測できる。

つまり、だ。
これ、好きな物を好き勝手生み出したり、作り変えることが可能なのではないか!?万札とか増やし放題じゃん、いや犯罪だけど。他にもパソコンとか何もかも生産できれば全て解決できるポテンシャルを秘めているのかもしれない、のか。……そんな事が罷り通るのか?いや、罷り通っていいのか?正直財布が消えてからずっと困惑しっぱなしだが、ここに来て少しだけテンションが上がっている自分もいる。まずは、まずは取り敢えずお試しで消しゴムとか作り出したりして───。

  

 

そう考えてる時間だけが結局一番楽しいんだよな。

 

 

何ッ一つ上手くいかん。もう本当面白いくらい何も生み出せねぇ。自分の能力らしき物の可能性に目を輝かせてから2時間半。もしかして、僕は物をサトイモに変える事しかできないのか? そうだとしたら中々に嬉しくないぞ。せいぜい就職先が芋煮会の英雄くらいしか無いじゃないか。もしもこれの対価として財布を失ったのならばあまりにも痛手すぎる。

 
ふと、スマホが振動した。何かと思って画面を見る。交番からの3回目の着信だった。話を聞くと、「あんたの言ってた特徴に当て嵌まらなくも無い財布が何個かあったから一応見に来い」との事らしい。机に目をやれば、先程サトイモを片付けたついでに家中全部探しまくって発掘したいつだかのへそくりである2万円が綺麗に畳まれている。

どうしよ。

行くか。

先程掘り出した2万円をスマホカバーの裏に挟み、ポッケへと突っ込んだ。茶色のコンバースに足を掛けて玄関を開けると、空は少し赤く濁り、無様な夕焼けの気配を満たしている様である。

 

 

 
夕暮れ時の街は暗く朱く影を落とし、豆腐屋のよく分からん音の残響が住宅街に巡り続けている。駅前に出れば、無駄に爽やかな雰囲気を醸し出しているオッサンからポケットティッシュを二枚配られた。普通一枚だろ。
何とも無くポケットティッシュを一枚しまい、手の内に収まったもう一枚を凝視する。次の瞬間、右手は突然凡そティッシュでは無い重さを覚えている。土の匂いが香っている。ティッシュが、サトイモに変わっている。

この意味のわからない能力を僕が突然持たされた、という事は順調に事実へと昇華されてきている。駅前の喧騒から少し遠ざかり、交番までは後5分程。マジでこれ終わったら酒でも買おうかな。そんな現実逃避の算段を立てていると、突然、身体が止まった。

 

反射で振り向く。右の手首を掴んでいたのは、白く小綺麗な手。細めの腕は捲られたデニムシャツへと吸い込まれ、その下にはベージュ色のゆるいTシャツが覗いている。"黒っぽいけど黒ではない"色をした髪はさっぱりとしたボブで(多分刈り込み入れてるし)、フレームの細い丸眼鏡の奥に構えた瞳は確かに僕を捉えている。背負われたギターケースは、深く使い込まれた跡がする。
 

つまる所見知らぬ女子に手首を掴まれていた。サトイモ握ってる方の。

 
「え、あ、え……?あの、すいませ」
「君。今すぐ逃げた方がいい」
「は?」

突然の出来事に滅茶苦茶キョドった反応をしてしまったが、その後思わず出た滅茶苦茶無礼な反応によって打ち消されたと思いたい。ともあれ僕がこんなクソどうでもいい事をつらつらと考えているのは、今僕の手を握ってる彼女の何もかもに処理が間に合っていないからで。

 
 
「このままだと君、脳天ブチ抜かれて殺されるよ」

  

ふくらとした唇。
ほんの少しだけ垂れた目。
何処か気怠い口調。

それに全く似つかわしくない、意味不明な発言。

 

これが僕達のファースト・コンタクトだ。
 
 


 

「殺されるんですか」
「うん」
「僕がですか」
「そうだって」

 
意味不明である。

というか、ここまでずっと意味不明だ。何一つ納得できる事象は起きていない。だが、ここで不審者だと一蹴するにはあまりにも状況が特殊すぎる。故に、まずは受け入れて話を聞いてみる。最早少し楽しくなっている自分がいる事は否めない。

「あの、それは理由とかあるんですか」
「何故ってそりゃあ、その」


彼女の視線の先、土塗れのサトイモ。
この時点で、一つの仮説が僕の頭の中で繋がる。

いや待て。理解はできても頭は追いつかないぞ。口を開閉させるも一切の言葉が出て来ない僕を前に、彼女は少し戸惑った声で「……自分でも何となく分かってるでしょ?」と続けた。確かに理由は何となく察せられる。がそもそも君は誰で僕は何にブチ殺されるんだ。目の前に広がる状況を処理するには、まず一個づつ順序立てて整理していく必要がある。

手をゆっくり離してもらい、一度大きく深呼吸をする。2秒程の間の後に、改めて口を開いた。

「……この世の理に反するとかで消される感じですかね?」
「平たく言えばその通りだね」


当たってしまった。最悪の仮説が的中するのは、残念ながら今日で二回目だ。

身体中の力が一気に抜けそうになる。つまる所僕はこれから電気椅子だか麻紐だかに座ったり括られたりしながら殺される運命にあるという事か。どうやら二時間程前の僕は財布と共に人権も消し飛ばしたらしい。理不尽の極致すぎてとてもにわかには信じ難い事だが、いつもなら働く筈の一般常識は"財布だったサトイモ"という常識の破壊者に一蹴される。

勿論分かっている。これはこの女の子の言うことが事実ならの話だ。
まずはそれを見極める。

「……それで、貴方が僕を消す人なんですか?」
「随分と状況の飲み込みが早いね」
「いや勿論、半信半疑です。えっと、それで」
「答えはノー。どちらかと言うと私は君を逃がそうと───」


途切れた言葉、見開く眼と外れた視線。


僕の後ろ。


つられて振り向いた先には、黒い薄手のコートを着た長身の男が6m程先に佇んでいた。纏う雰囲気は希薄で、油断したら視界から取りこぼしてしまいそうな程にその気配は静謐としている。その様相は一周回ってある種の不気味さを醸し出しており、それでいて改めて注視しないとその異質さには気づけないであろう事も察せられた。短く切り揃えられた髪。使い古されて僅かにくたびれた革靴。要素の全てに、どこか人間味が失われている。

男が動いた。と言うより滑らかに数歩前に出た。そのまま何気なく仕舞われた折り畳み傘を取り出し、折り畳み傘から引っこ抜いた異常な程に太いハンドルが音も無く変形して折れ曲がり、流れる様に男が構えたその体勢は、これはまるで───

「待て」


少女が前に出た。僕を庇う様に、射線を切る様に。

銃。男が僕らに向けた物は確かに銃口だった。自分の積み重ねてきた人生とリアリティラインが脆くも崩れ去った時、人は思考と運動をやめて文字通り時間を止める。だが、そうして鈍くなった脳みそにすら無理矢理ブチ込まれる現実。男は僕を狙っている。彼女は僕を庇っている。

彼女と男。この二者間で、僕が台風の目になっている……。

『………!』
「貴方達なら、まずは私に用があるでしょ」


男の目が明らかに見開いたのが分かる。彼女が片足を一歩前に出す。一瞬で張り詰めた空気はひび割れて、微かに両者の虹彩を揺らがせる。彼女が緩やかに掌を男へ向ける。数秒の膠着。

男が口を開いた。

『PoI-789。アラズ確認』

銃声。


─────刹那、光。頭を抱えながら膝から崩れ落ちた男を認識、する間もなく手を引かれる。動き出した時間と届いた騒音。為されるがままに走り出し、駆ける僕らは加速していく。尻のポケットにサトイモを突っ込みながら、伸び切った影をコンバースで踏みつける。

「ええッ何何何──」
「逃げよう!まじで走るよ!!」
「でも、アイツなんか倒れて」
「んなもんすぐに追ってくる!角曲がったら姿眩ますから」


姿を眩ます。随分簡単に言うね。さっきから聞いた事の無い単語の波に溺れてしまいそうだ。
只今の僕ができる事は必死に呼吸する事と、後は走る事。角を抜けて、瞬間一瞬だけ世界にモヤがかかる。恐らく"姿が眩んだ"のだろうがそれらしき報告はない。公園を足跡でぶった斬り、明らかに私有地の駐車場を抜ける。思考がとっくに追いつけない程に、僕らは夕暮れを駆けている。

 
 

◇◈◇◈◇

 
 

「ねぇ、まだ走れる」
「……ッ頑張れば!!頑張らないときついです!!」

 
ひたすらに足を動かす。

ひたすらに息を吸う。

この並行作業の繰り返し。引かれっぱなしの右手はとうに痛みを叫びまくっているし、何よりも途中から酸素が足りていなさすぎる。明らかにゼェハァ息を喘がせている僕に対して、眼前の彼女は未だそんな気配を微塵も感じさせていない様だった。角を曲がって街を駆け降りて駆け上がって、僕らは一本道の路地を真っ直ぐに走っている。

それなりにデカいギターケース。それを背負いながらこんだけ走れているのは並の体力じゃない。彼女の正体についてまた疑念が一つ増えたと同時に、彼女が唐突に言葉を続ける。

「……君、自分の能力の事分かってる?」


内容も唐突だな。質問がくると同時に走る速度が少し落ちたので、さりげなく手を離してもらう。
僕の能力。まぁ当たり前だがハッキリ言って、

「全っ然分かってないです。今の所物をサトイモに変える能力だとは思ってます」
「だよね。まぁ突然の事だし……サトイモ?」


彼女が怪訝な顔をして聞き返してきたので、真剣な目で「サトイモです」と返す。何か冗談を言ってると思われてるのかとも思ったが、彼女はピンとは来てない表情ではあるが流してくれた様である。彼女は続けて「まぁザックリ言うとね」と唇を動かした。

「君は現実改変者だ。この世にいてはいけない存在だよ」


現実改変者。明らかに物騒な響きだ。
冷静に言葉の残響を分解してみれば、それはつまり現実を改変するという事である。

「えっ、それってつまり、」
「うん。願えば叶う。それが現実改変者だ。故にその存在は許されていない」


それだけ言って、彼女は急に立ち止まった。少し遅れて立ち止まって、背後へ位置が入れ替わった彼女の方を振り返る。
少し荒くなった呼吸、微かに歪んだ顔。その手は左の腹部を押さえていて。

「……だから、"私達"は理不尽に殺されるんだ」


流血。

流血。二度見た。腹から血が流れて、いる。彼女の血がそのシャツに滲んでいる。地面に膝をつけて蹲った彼女を見て、僕は咄嗟にスマホを取り出していた。適応するんだ、この状況に。119。救急車を呼ばなければ。でもダメだ。待っている間に男に追いつかれる。そうだ、男だ。あの時確かに銃声は鳴っていた。何で気づかなかったんだ。クソ。クソ。一瞬にして思考と焦燥が溢れ出し、結果立ち尽くす事しか行動の余地は残っていない。余りにも情けない。彼女は僕の方をちらと見て、言う。

「大丈夫。私ならこれぐらいすぐ回復できる」
「いや、でも……!」
「大丈夫だ。私は死なない」


「……でも、逃げ切れない」


気配。咄嗟に見れば、さっきの男が道路の向こうから曲がって現れていた。思わず目を見開く。マッッズイ。
男はこちらを見るなり全速力で向かってくる。目測で距離は120m程。大体一般的な成人の100m走タイムが13秒程度だ。例え途中の信号で詰まっても、30秒も猶予は無い。絶体絶命。ふと目線を下に下げれば、彼女が慣れきった手つきでギターケースを開けていた。

ケースの中。収まっているギターの代わりに、バット程の長さの棒がそこには有る。
彼女は僕にそれを差し出して言う。迷いの無い口ぶりで。

「君はこれ持って逃げて。殴れば威力関係無しに倒せるから」


えっ。反駁しようとする僕の口は開閉するだけで言葉は出なくて、手は従順に棒を受け取っていた。男はもうすぐ近くに迫り、仕込み銃は既に構えられている。陽の光が世界に影を付けて、この一瞬は運命の分岐点の様にいつまでも視界に焼きついていた。彼女が立ち上がり、僕の方へと振り返る。

そうして彼女は笑った。

「私が巻き込んだからさ」


ポンと優しく胸を押される。今、僕がすべき事。彼女が僕に伝えたい事。

弾かれる様に走り出す。反対に彼女が男の方へと走り出すのを振り向き様に捉えるが、直ぐ様脳内を逃走のみに切り替えた。一発だけ背後で響く銃声、されど騒音は止まず。靴紐の緩んだコンバースを強引に踏みつけて、推進力を求めて全身の筋肉を躍動させる。極限まで圧縮された久遠の一秒、足裏を小突くのはコンクリートから逸れた砂利の粒。何処からか溢れた冷や汗だか何だか分からん一滴が今、顎を伝って落ちようとしている。


が、自分でも自覚していなかった。少し遅れて気がついた事だ。

前に進む筈の足が、止まっている。

僕は結局今の今までずっと流されてばっかりで、でもそれこそが僕の生き方だった。取り敢えず現状は否定せず、現実を受け入れて、そこから適応すればいい。それで取り敢えずは何とかなる。喩えバイトがクソ程酷い労働環境だったとしても、進路へ歩む道が閉ざされても、母親がトラックに轢き潰されても、突然財布がサトイモに変わっても。

知らぬ少女が僕を庇って鉛玉に血を流しても。

なのに。僕の脚は何故か止まって、もう一度振り向こうとしている。そのロジックの一切は説明できない。何なら僕自身理解も出来なかった。それでも身体は止まらなくて、右足を軸にして180°半身を回転させた先。恐らく肘打ちの後備動作をしている男と、思っきし顔面から吹っ飛びながら地面を転がる彼女がいた。男は最小限にまで無駄を減らしたコンパクトな動きで銃を構える。銃口が彼女に向いている。一瞬だけ息を吸い込む。棒を構える。歯車が動き出す直前、ちょうど今の僕に似合う言葉があった事を思い出す。

衝動。

「待ッてぇやぁぁぁぁ゛ぁぁッ!!!!」


緊張でガラッガラに掠れた声をレッドシグナルにして駆け出した。敵味方両者がこちらを向く。咄嗟に銃口も向く。意味ねぇんだ。瞬きも許さぬ刹那、仕込み銃だったサトイモが一個男の手から零れ落ちる。男が目を見開いてサトイモを追っている、隙。全身全霊で走ったその先で、思いっきり持ってる棒を振りかぶった。初撃。上からの単純な振り下ろし。呆気なく棒自体を掴まれる。

『ぐッ……ぁ゛!?』
「!?」


初っ端詰んだと思ったのも束の間、男が掴んだ右手を離して怯み、一歩距離を取った。何が起こった? 男と僕、互いに混乱が走る。状況を処理する為に振り返られる数秒の過去、浮かんだのは彼女の言葉。「殴れば威力関係無しに倒せるから」。再び足が動き出す。無駄な思考を切り削る。情報源はそれだけで充分だ。

反射で男の身体が動く。防衛反応。迎撃に構えた足が接地する筈の地面。僅かに視線を下にズラし、一瞬で足下のコンクリートを数十個のサトイモに置換する。着芋した足裏の軸。しっかり踏み外しているのを僕は見逃していない。腕をぐるりと回し、今度は下から棒を振り上げた。狙うは股間。二撃目、着弾。今度は金的がバッチリ決まった。

追撃に行こうとした刹那、足元がガクンと落ちる。見れば、僕自身もしっかりサトイモを踏んでいる。瞬間、衝撃。頭の横から勢いよく蹴り飛ばされた。脳が揺れ、視界がぼやけて、痛すぎる。歪む視界に映る男も股間を抑えながらのたうち回っている。つまる所場の全員がダウンしていた。なれば後は根性勝負、だが僕がそれで勝てる訳も無く。鼻血垂らしながら動けないでいる手前、最初に動いたのは───他ならぬ彼女で。

「腹の……穴が、何っだってんだ!!」
「待っ───」


駆け出した彼女は僕が転がした棒を拾い、間髪入れずに思いっきり棒を振りかぶる。決死の一発。振り下ろした先に男の頭は既に居ない。咄嗟に身体を捩らせて、且つ男は地を這う右足の一閃で彼女の脚を掬っていた。互いの高度が入れ替わる。展開が入れ替わる。背筋と腰筋を畝らせて、同じく鼻血塗れの男が手を使わずに立ち上がる。カッケェなクソ! 呻き声を上げて倒れる彼女、酷くなる眩暈。必死に立ち上がろうとする僕を他所に、その思考はぼんやりと鏡像を作り出している。

僕は何でこんな事をしてるんだろう。噛み締めた鉄の味はどこか甘くて、ダメだ今そんな事考えてる暇はなくて。でも僕は何故今鼻と顳顬から血を流しているんだろうか。塀に手を当て、細く長く息を吐きながら立ち上がる。僕は何がしたい。何を求めてる。一体全体何なんだ? 

「もう一丁だあ……ッ!?」


彼女の声。その言葉の意味、"もう一丁"。銃。思考が二丁目の存在に追いつく。何とかコンクリートから視界を上げるも、ぼやけていてシルエットしかそこには映りやしない。だが分かる。今度は仕込み銃ではない。黒い殺意の塊、冷徹な凶器。最後の手段だな。考える直前、更に早く脚は動いていた。銃をサトイモに変換、否。視界の回復がギリッギリで間に合わない。シルエットが鮮明を帯びる直前、耳を劈く様な銃声。脳天目掛けて放たれた最高速度の鉛玉が、僕の視界を一瞬だけ通過する刹那。

鉛玉だったサトイモが、ぽとりとその場に落下した。

駆けろ。彼女が微かに伸ばした手の先、握られた棒を受け取る。銃は既にサトイモになっている。呼吸は、とうに忘れている。一体全体何がどうなってるかなんて僕には分からない。自分が何を求めてるのかも知らない。棒を振りかぶる。外さない確信がそこにはある。何でこんな事をしてるかも当然分からないし、もう何かもが分かっていないんだ。それでも。



今、何かを変えたい。



一閃。

全力で振り抜いた棒は男の頭をかっ飛ばし、長身の体は夕焼け空に宙を舞う。

そうして落下音が響いて、代わりに場を満たしたのは静寂。ただ息を切らす二人と、泡を吹いてノビている成人男性が一人道路に転がっている状況で。念の為もう二、三回くらい男の頭を棒でブン殴って、深呼吸と共にへなへなとその場に座り込んだ。何だ、何だこれ。最早疲れたとかそういう次元じゃない。なんか気づいたら死線を潜っていた事実に乾いた笑いが出るものの、痛みとアドレナリンでもうどうでも良くなっている。

ふと、差し伸べられていた手に気づく。手を引いて再び立ち上がり、僕は彼女と相対して顔を見合わせた。3秒程の無言が続いた後に、何だか全部が可笑しくなって。鼻血でべちゃべちゃな僕と、同じく鼻血とついでに腹から血を流している彼女で声を揃えて笑う。ひとしきり笑って、次の言葉を二人で探して。夕陽に目を細めながら首を傾げた後、僕はとある事に気が付いた。


僕ら、互いの名前を知らないじゃないか。

「……有恒ありつね そうです。想って呼んでくれて大丈夫です」
「私はアラズ。ふふ、さて想、これからどうしよっか?」

 


 

 

.02

 
 
「君、マジのガチでセンス無いね。それはもう笑える程に」

そんな言われる?

どうやらその疑問は口から漏れていたらしい。思わぬ反駁に丸めの眉を上げた彼女が、少しむっとした顔で「そんな言われるくらいだよ」と返してくる。良い返答が見当たらないので代わりにグラスに溜まった水を飲み干せば、残された氷はカラカラと揺れる。


PM21:35、代々木上原駅前のフレッシュネスバーガーにて。夜の長さに対して些か早い閉店時間まで半刻を過ぎた店内は、何処か温い諦観が緩いジャズと共に薫っている。人権喪失1日目の終わり、事態の割には平和すぎる夜食の倦怠を場の全員が演じていた。

「正常性維持組織──さっき言ってた規模"不明"ってのは」
「そのまんま。まあ、少なくとも国は動かせると思ってくれていい」
「デカすぎて全体が見えない方ですか」


僕達はというと、アボカドバーガーに二人してかぶり付きながら唯ひたすらに彼女───アラズさんが語る超常社会とやらについての講義を受けている現状だ。今のところ知らない一つの神話大系を突然眼の前で広げられている様な、余りにも他人事じみた感想しか口からは漏れてこない。

昼間男をぶっ飛ばした後、僕等二人が取りあえず出した結論は「状況整理と逃亡」だった。アラズさんが気絶した男をどこかに隠している間に戦闘で出たサトイモの片づけをして、電車に飛び乗って東京まで移動。たどり着いたフレッシュネスバーガーにふらりと入った時点で時刻は21時を回っていた。そこから先はずっと座学が続いている。


「僕等一応お尋ね者でしょうにこんな呑気にバーガー食ってていいんですかね」
「食わねば戦は務まらん!でしょ」


この世で数少ない絶対的な正論である。そういう物かと納得して、そんな訳でこの奇妙な夜会は開かれていた。今日の昼間に初めて会った僕等、出会って20分そこらで成人男性一人を鼻血まみれでリンチするに至った僕等による。

小さい口を精一杯広げてバーガーを頬張り、案の定ギリギリ頬張りきれていないアラズさんを見る。率直に、美人である。というより別嬪さんという形容が似合うような顔立ちだ。口についた玉ねぎを拭ったアラズさんが、丸眼鏡のレンズ越しに僕を覗き込む。

「さて、君の話」
「僕ですか」
「ずっと思ってたけどタメ口でいいよ。改めて確認。君は、現実改変者だ」

現実改変者。

曰く、この世に溢れる超常保持者の中でも一際異質な存在。基底現実を根本から揺るがす存在悪。「願えば叶う」という単純かつ理不尽極まりない能力により、扱いを一步間違えれば気軽に世界が終わる爆弾である。

その当人次第すぎる危険性から超常社会を牛耳る二大組織である"GOC"と"財団"の両者が現実改変者を積極的に狩って回っているのは有名な話であり、その飛び火を恐れるのもあって現実改変者の居場所は超常社会に用意されていない。多様性を超えて混沌がうねる超常社会で排斥される数少ない存在が現実改変者だ。

その改変はヒューム値を参照して行われる。ヒューム値とは即ち現実強度の事であり、僕たちが生きる基底現実の強度が1と定められている。現実改変者は往々にして自らのヒューム値が1より高かったり周囲のヒューム値を1以下にナーフする事によって改変を行うらしい。らしいのだが


「これは目測だけど、今の君のヒューム値は70近くある」
「70」
「うん。ざっと世界の70倍」
「笑えますね」
「笑えないね。あらゆる勢力が眼の色変えて殺しに来る数値だ」


真に笑えないのはここからである。それは、ここまでのヒューム値を持った上で「僕は現実改変が出来ない」という事だ。

それは僕の圧倒的に乏しい想像力に起因する。一般的な現実改変者の改変プロセスである「改変対象の認識→脳内想像による改変命令の指定→改変実行」のうち、"改変後の世界を想像する"行為が文字通り全く出来ない。アラズさん曰く「最早才能レベルでセンスが無い」との事で、今の所僕は現実改変の出来ない現実改変者という人権が無いだけの悪性存在に成り下がっている。

唯一、"サトイモ"という要素を除いて。

「なんでよりによってサトイモなんだろう」
「……これは私の憶測だけど、君が財布をサトイモに改変できたのはその搾りかすみたいな想像力で起こした奇跡的な成功例の可能性がある。その成功体験が変に拗れちゃったせいでこんな事になってるんじゃないかな」
「そう言われたらそうなのかもしれない」


シームレスにタメ口に移行した僕をアラズさんが軽く小突いた。ずっと口調はぶっきらぼうだが微妙に上がっている口角を見るに拒絶はされていないと思われる。彼女がポテトを一本つまみ、つまんだそれで僕を指してくる。

「大事なのはここから。君は昼間、発射された銃弾をサトイモに改変してみせた。前方5mから秒速340mで迫る鉛玉に対して"認識"と"意識的想像"のプロセスを教科書通りに踏んだ改変で間に合う訳が無い。本来あの瞬間で全部が終わってた筈なんだ」
「……つまり?」

 

「つまり君は"物をサトイモに改変する"という一点のみにおいて、無意識レベルでの運用を可能にしている」

 

意味不明だよ、意味不明と彼女が笑うのでこっちの台詞だよそれ、と脊髄反射で僕も返す。強いてオノマトペを付けるならへにゃりという音が似合いそうな笑い方だ。その様は昼間っから見てる彼女の頼もしすぎる背中と少しだけ乖離している様に思える。ともかくこれにて状況の整理が一通り完了したわけだが、僕たちはこれからどうすればいいのだろうか。

 
「いやまだ完了してないよ」

 
完了してなかったらしい。アラズさんは「充電は完了したけどね~」と言いながらスマホらしき携帯端末に繋がれた充電ケーブルを引っこ抜き、画面をスワイプして地図を僕に見せてきた。特に変哲もない現在地のフレッシュネスバーガー周辺の地理が表示されている。唯一覚えた違和感、それはこの店の少し離れた周囲に正体不明のピンが4つ程立っている事。

 
「こいつら追手ね」
「追手。追手!?」
「そ。うちらが昼間シバいたのは財団のフィールドエージェントなんだけど、あいつを"隠した"のが鉄錆……野良の超常団体に探知されたっぽい。まぁ間違いなく想のサトイモのせいだね」
「ごめんなさい」
「許す。正常性維持機関にバレてないだけ120点満点よ」

 
アラズさんが端末の画面に表示された「会話秘匿」の文字列をOFFにする。瞬間、僕等を覆っていた軽いノイズみたいな物が晴れた。これも"超常"かと感心していると、立ち上がってささっと会計を済ませ、自動ドアを目指す彼女に気づく。慌てて追随する。

流れる様に奢られてしまった。というかこれからどうするんだ。外に出れば、生暖かい夜は風となって前髪を揺らす。
 

「多分あいつら出待ちしてるから、ぼちぼち出てくるよ」
「一体全体何をするおつもりですかアラズさん」

 
荒事は可能な限り勘弁してほしい。その意思を軽やかに汲み取ったらしいアラズさんが僕に向き直り、悪戯っぽく笑う。

 
「今から、奴らの拠点を乗っ取りにいきます」

 
最高だね。鏡も無いので分かったモンじゃないがほぼ確実に苦虫を嚙み潰した様な顔をして、僕は答えた。

 
 

◇◈◇◈◇

 

閑話である。僕は彼女の事を何も知らない。

文字数: 14085

アーカイブに移行

特に明記しない限り、このページのコンテンツは次のライセンスの下にあります: Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 License