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タイトル: モノノケ・アッチムイテ・ヴァンパイア・アンドロメダ
著者: ©︎EianSakashiba
作成年: 2024
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大阪から東京に家族総出で引っ越す直前、父の職場に連れていかれたことがある。
そこはビニールハウスだった。父が土に種を撒いたり、時には被せたりしているのを当時の私はそわそわしながら見ていた。親の業種に特段興味はなかったが、小学校を休んでの見学だったので、小学生らしい重量の罪悪感と小学生にはキャパオーバーの非日常感がそこにあったから。
「元来は乾燥地帯の植物だった葉たばこは、日本みたいな湿気も栄養もある土地では育てん」
ただ見るだけでなく、父の解説を聴く必要があった。言葉少なで誰にでも自分のペースを崩さない、ぶっきらぼうだが腹の内で奸計など行えない性格の父は、その相手が小学生だろうと娘だろうと言葉を置き換えたり口調を変えることなく、誠実に自らの仕事を述べる。
「葉や茎が成長しすぎて、煙草としての品質を落としてしまう。なので本来はじっくりと育てる必要があるが…」
そういって隣のビニールハウスに移る、そこには青々と成長した葉っぱがたくさん。
「市俄会いちがかいのしのぎとして安定した収入を得るためには、異常な力でその過程を短縮する必要がある。ここにあるのは1週間前に撒いた種が、きっかり1年過ぎたものだ」
「いじょうな、力」
「…魔法のようなものだと思え」
小学生のあどけない疑問に対してあまりにもぶっきらぼうすぎる返答である。もっと他にもいなし方があるだろ。しかし壊滅的な口下手とは裏腹に、手作業で葉たばこを収穫していく父の手腕は仕事の熟練度を如実に表していた。早く、正確であり、商品を傷つけない優しい手触りだった。
「葉たばこは現状の青い状態だと煙草にならん。熱や水分で分離させやすい柔らかさにしてから肉と脈に分ける」
葉肉と葉脈に分けられた葉たばこが、これまた別の建物の中に置かれている。ビニールハウスとは違い太陽の光は全く当たらない。
「そうしたら乾燥、熟成のためにケースに詰め1年ほど保管。ここではこの年月も短縮する」
なんだか流れ作業みたいだ。その考えは実際的中しており当時の父はこの仕事にもう、やりがいを感じていなかった。
そこから父は分離させた葉たばこの葉肉と葉脈を手作業で配合し、刻み、臭いのついた水を霧吹きで葉につけて、紙とフィルターを巻いた。
「…こうして巻き煙草は出来上がる」
驚異的な速度だった。どのように手を動かしているのか分からず、当時の私には父の手捌きのほうが余程魔法に見えた。悔しいことに食いついてしまったのだ。後ろで父の何十倍の速さで煙草を量産している工場の機械郡よりも、1人で黙々と作り上げる職人に。
「おう、おう、倫。やってん、な…お?」
一連の説明を終えて工場の休憩室にいると、おじいさんが私たちの苗字を呼びながら入ってきた。びっくりするぐらい剝げ散らかして、びっくりするぐらい背が小さく曲がっているのに、びっくりするぐらい元気だ。これも異常な力のおかげだろうか。陽気な挨拶が途中で疑問形になったのは、明確に私を認識したからだろう。小学生の私は手早く立ち上がり
「お父さんがいつもお世話になっています。娘の弥琴ともうします。今日はお父さんのお仕事見学にやってきました。お邪魔して申しわけありません」
と言った。あんまり畏まるのがにあっていなかったのか、おじいさんは呆然と見た後
「か、か、か、か。お前さん蒼次郎の娘か。ほんまか、お父ちゃんと違ってようベラ回るお嬢さんやんか。でもクソ真面目なとこは一緒やな。か、か、か」
…嬉しそうに大爆笑した。遅れて父が、明らかに一般社会の上司と部下以上に隷属を示しながら言う。
「真新木のオヤジ、申し訳ありません。どうか龍添右衛門のオジキにはこの子のことは…」
「言うとらんのか」
「へえ」
「良い良い、分かっとるわい。ゾエモンもこんな娘っ子1人くらい見逃してええのにのう」
「オジキの性格的にそれは…」
「無理やろな、全く頭が固いのう」
おじいさんは私の方を向く。柔らかい笑みにも関わらず、目はギラギラとしている。
「ヤコトちゃんは、自分の事、あー…」
「妖怪だと分かっています。もう血が薄まって、体の特ちょうは人間の女と同じことも、分かります。」
「ほうか、ほうか」
「お父さんがたばこ職人じゃなくてヤクザだってことも、分かります」
父とおじいさんの表情が、ぴたと止まった。
「…嫌やろな、お父ちゃんがヤクザもんちゅうのは」
「いえ、むしろ逆です。なぜ父は妖怪でヤクザなのに、人間を脅したりしないで、煙草を作っているのですか」
「弥琴」
父がぴしゃりと怒鳴った。腹の底から響くような低い声で。
「お父さんは黙ってて」
「言っていいことと悪いことがある。俺にとってじゃなく、お前にとってだ」
「蒼次郎、やめい。…ヤコトはヤクザもんになりたいんか」
「ヤクザじゃなくてもいいです。私は、誰かにバカにされたくないんです」
おじいさんが父と一瞬目くばせをして、私を見据える。
「お父ちゃんが舐められてるか確かめるために、無理言って飛び入りしたんやな」
「はい」
「でものう、ヤクザもんやなくても妖怪やなくても相手を怖がらせる方法はあるぞい」
おじいさんが一拍置いて言う。
「例えばお前さんの目の前、このじじいが人間や言うたら信じるか?」
「え」
よどみなくそう言った。いや、今までもはきはきと喋っていたのに私を見る目が、まるで獲物のようだった。
「ほれ、ヤコトは今びびった」
「そんなこと、ありません」
子供の虚勢も、眼前の老人に簡単に看破させた。今日この日を私は、永遠に焼き付けるだろうと幼心に思った。
「良いか、人も妖も皆一様に同じではない。首が伸びる奴と腕が取れる奴、口が2つある奴に目が1つしかない奴、大きい奴と小さい奴、男と女。同じ枠組みの中ですら差異とそれによる嫌悪が現れ、恐怖に繋がる」
「違いを愛せ、ヤコトよ。恐怖を愛せ、ヤコト。そうすればお前さん、誰もが怖がる『妖怪の親玉』になれるぞ。真新木 聡がこの言葉を請け負おう」
突然だが質問だ。大丈夫、答えたからって呪いとか死ぬとかそういう罠の類じゃないから。
人1人監禁するにあたって、それなりの丈夫さを持ち非常に安価で手にでき周囲から怪しまれないような空間、そんな都合の良い牢獄は何か知っているか?
別に意地悪したい訳じゃないし正解言っちゃうか。答えは「車」。鍵もかかるし道端にぽつんと乗用車があっても、精々無断駐車だな程度にしか怪しまないじゃん?それが不法投棄された廃車の山にポツンと1つだけ、人が監禁されている車を置いたら尚更だよな。事情を知らなきゃ近寄ろうとすらしない。オマケにどうやら日本の自家用車というものはとても丈夫に作られた高品質ばかりらしい。窓ガラスだったら割れるかもしれないけど、まあ手錠なり縄なりで縛っておけばその可能性はグッと減る。全く企業努力様々だ。
わかっている。この理論は色々穴がある。まず牢獄というには水道もトイレも車には存在しない。更に車内に監禁されているということは牢獄の鍵は看守が持っているということ。エンジンをかけてエアコンを付けることすらできない。被監禁者の気持ちを全く、全く考えていないバカのアイデアだ。この2日間嫌というほどその身にわからされた。監禁に車は向いていない。
「ええ〜?そんなノータリンのちょっと考えればロジックエラーがすぐ分かるような発想する人いるんですの〜?姫こわ〜い」と思った君、安心して欲しい。ここは君が知る日本国ではなく、本当なら日本は何百倍も治安は良いはずだ。次はロケーションの話をしようか。
ここはO/Oアウターオーサカと言う。どの宇宙からも切り離されて、土地神の怒りが神聖な廃棄物となって垂れ流され、空間の拡張を抑制する壁が無くなった結果治安の良さがマイナスにまで振り切った無法地帯。家に引きこもっていても死んじまうし、外を歩けば死ぬより酷い目に会う、そういう所だと思ってくれればいい。治安が悪ければそれだけバカも生きていける。このアイデアを考案した馬鹿野郎はなんとマフィアの幹部衆だ。学歴関係なく誰にでも等しく雇用と昇進の機会を、素晴らしきかなアウターオーサカ。
「はぁ〜…あ…」
いい加減虚空に独り言を呟くのも虚しくなってきた。俺の体は普通の人間より食事や水分補給を必要としなくても生きていけるけど、別のエネルギー補給手段を用いる必要がある。何日も監禁されたら流石に限界というものがある。
充電が5%になったスマリンのボイスメモを起動する。これは独り言ではない、誰かに届いて欲しいと言う意思をのせて喋る。
「あー、マイクテストマイクテスト…いいかな?」
「というわけでオォヨウ派に捕まって2日、貴女には随分ご迷惑と心労をお掛けしました。ごめんなさい」
「貴女が気に病む必要はありません、俺は貴女がマフィアの娘だからって差別をしたことはありません。まあ、俺自身がこう思っていても無意識に貴女へ遠慮するような行動をしていたらごめんなさい」
「流石にオォヨウ派のトップが自分の愛娘を殺すようなバカではない…とは思いたいですが、貴女はこれから俺を忘れて幸せな毎日、を…」
「…?」
さっきまで異常な蒸し暑さだった車内が急激に冷え始めているのに気付いたのはその時だった。録音停止のボタンを押す事を忘れて周囲を見渡そうとした時、俺の座っている助手席の後ろから何か引きずる音が聴こえたのだ。
「オイオイ…虫って大きさじゃなさそうだぞ…」
今まで知覚していなかった「何か」が自分の後ろにいる。その恐怖は計り知れないもので、ボロ車の中で辛うじてひび割れ程度で済んでいるバックミラーを通して恐る恐る確認する。
そこにいたのは、女だった。下を向いていた顔をゆっくりと正面に戻すと、まず明らかに異常な黒目が目に入る。次いで剥き出しになった溶けた歯、血だらけの髪、全体から漂う殺気。それらが車という閉鎖空間と合わさって俺の体から目一杯の恐怖を絞り出すのは十分だった。
「うおおおおおおおお!?」
拘束されている手と足をあらんかぎりの力で振り回す。もちろんこうすると外に出られるとか除霊できるとか、そういった打算はゼロの無意味な行動である。
「お、おい来るなよ!なんだお前、俺みたいになってここで死んでいった霊とかそういう感じ!?俺もそうなるの!?」
悲しいかな、何故世間一般の幽霊とは意思疎通が出来ないのだろう。この女も例に漏れず反応も返答もしないタイプだった。
「イヤー!!どうせほっといても死ぬのになんで今更こんな目にー!!というかそれ以前に死にたくないー!!」
女の推定幽霊はその手を前に、つまり俺を掴まんという意思と共に向けてゆっくりと迫ってきた。それが触れるか触れないかのうちに、俺の横にあった忌まわしい開かずのドアがあっさりと開いた。
「お〜い囚人、なんだお前メチャクチャに暴れやがって!外から見ても横転するかって所だったぞ」
「兄ちゃん兄ちゃん、オレ知ってるよ!死ぬ前の最後の足掻きってやつだ!静かにしてた方が苦しまずに眠ってイケるってのに、こうするやつはみんなバカなんだ!」
そのドアから現れたのは俺を捕らえたマフィア、オォヨウ派の一員であるゾキー兄弟であった。正直最期に見る顔が「おでき」塗れと「顔面ブラウン管」のこいつらにはしたくなかったが、俺は今明らかに動転しているのでしょうがない。
「う、う、後ろに、ゆ、幽霊、女の幽霊が…!」
「はあ?侵入者か!?…バカが!人間どころか虫1匹いねえよ!」
「オレ知ってるよ!幻覚ってやつだ!栄養が頭まで回らなくなったとか、極限?状態?とか、そういうのでコイツバカになってるんだ!」
「お〜よしよし何でも知っていて賢いなあ我が弟は、眼前にバカがいるとより際立つわ」
「兄ちゃ〜ん!」
最悪だ、なんで俺は潔く死のうと思った矢先にこんな劣悪環境に閉じ込めようと提案した張本人たちのイチャコラを見せられなければならんのだ。いくらアウターオーサカがこの世の地獄と言われようとも地獄の刑罰を生きてる内からやることはないだろうが。実際の地獄ってO/Oここみたいに「あとちょっとで死ぬんだし今から刑罰執行しても問題なし!」的どんぶり勘定が通常営業なの?
「なら賢い弟よ、このバカをどうすればいいかも分かるか?兄ちゃんに教えてくれ」
「オレ知ってるよ、ここまで来たらオレ達が殺しても問題ないって!」
「フフフ…そうだなあ弟よ、あの「星見蝙蝠」も、ここまで弱らせればオレ達でやれるよなあ!?」
あーあー結論を急ぎやがって、どうしようもないから封印して衰弱死させようとしたんだろ?返り討ちにあってもらうぜ…なんてキリッとしたキザなセリフは今言えない。肉体的疲労がピークかつ逃げ場のない車内だからだ。無言でゾキー兄弟を睨み返す。
「反抗的な目だなぁ。どうせ死ぬなら教えてやった方がいいかぁ?」
「何を、だよクソッタレ…」
「お嬢の行方だよ」
瞬間、俺の目はカッと見開いた。
「オレ知ってるよ!ここに来る前お嬢がドンと話してた事!そしてオレは、お嬢がきっと六頭体制ヘキサド社員の誰かに嫁ぐ事になったのも知ってるよ!」
「それは本当か?弟よ、本当ならばオレらオォヨウ派は安泰だなあ!」
「ともすれば政府の神経官僚ニューロジェントよりもヘキサドの会社員の方が資産?って奴がでかいのも知ってるし、ドンが持ってきた見合い話ならかなり上のポストであろうこともオレ知ってるよ、兄ちゃん!」
「いやぁ〜お嬢は結婚、一派は安泰、弟は賢い、そしてオレはそんな弟の兄だ。最後にこいつを殺せばみんなハッピーだなあ!」
2人の会話を俺はさっきとは違う、脱力しながら聞いていた。そうか、貴女は無事なのか。嘘でも本当でも俺は今から死ぬ。ならそれは俺にとっては事実だ。
俺自身さっきも言ってたろ、貴女はこれから俺を忘れて幸せな毎日を。きっとその言葉通りになる。この瞬間が俺の望みならば、足を止めていい瞬間なんだ。きっと。
きっとそうである、はずなのに。
「アッハッハ…いや〜ところで弟よ、お喋りなのは大変結構だが兄ちゃんはもう少しツバを飛ばさずにお前の話を聴きたいなあ。さっきからこっち側が濡れて敵わんよ」
「えっ、いやそれはオレ知らない…」
「えっ?」
俺とゾキー兄弟は目をパチクリさせて互いに見合わせる。兄貴の方を見やると真上からポタ、ポタと確かにひんやりとした水滴が垂れてきている。3人、打ち合わせなんてしていないのに同じスピードで上に顔を向ける。
そこにあったのは車内の風景ではなく、水面だった。そこから無数の触手がだらんと垂れ下がり、吸盤の中にびっしりと埋め込まれた目玉がもれなくこちらを見ている。集合恐怖症ではない人間でも正直ウっとなる量。
「ほら言ったじゃん!だから言ったじゃん!」
「ナニコレナニコレナニコレ知らない知らない!!」
「おおお落ち着け!まずは距離を取って遠距離攻撃じゃクソが!」
明らかに俺を盾にするような形で前面に出し、ゾキー兄弟が後ろに下がる。俺の処刑用だったサバイバルナイフを素人丸出しで触手目掛けて投擲した。絶対振り回した方がまだマシだと思う。
「いった!」
なんと予想外な事に触手は痛覚が存在しているかのような悲鳴を発し、ナイフが刺さった傷口から赤色の液体を垂らし始めた。なんでさっき俺の命乞いに反応しなかったのかとかそんな事は今はどうでもいい。
ゾキー兄にかかっていたような液体ではなく、生温かい。それでいて目が覚めるような赤、粘性を少し感じる床への広がり方、何より俺の嗅覚と味覚が告げている。これは、血だ。
たまらず俺は今持っている在らん限りの力を使って触手の傷口に吸い付く。「ひゃうん!?」という甲高い声が聞こえた気がしたが気にしない。こちとら人間の皮膚に歯を立てようとしたら逆にポッキリ行くくらいには衰弱しているのだ。なりふり構っていられない。
「そうだよなあ…!」
全身に力が漲る。頭が思考する余裕が出来る。
「に、兄ちゃん!アイツが!」
「しまった!」
「足を止めたとしても、腹は減るもんだよなあ!こんな簡単な事すっかり忘れてたぜ!」
傷口に刺さっていたサバイバルナイフは血を吸うときに邪魔だったので回収しておいた。それをそのまま兄の後ろから顔を出していた弟の顔面にダーツの要領でヒットさせる。義体改造で顔面を安いブラウン管テレビに変えられていたゾキー弟の顔面は砂嵐に覆われて車のすぐ横に倒れ込んだ。
「弟…?弟よ!どうし」
「ハイハイハイハイお前はこっちですよ!」
助手席の座席を倒し、ほぼ同時に余った片手で兄の方を車内へ引きずり込む。弟が倒れたショックでここの力比べは俺の方が勝ったがここからはこう上手くいかないだろう。2人ぶんを助手席にぎゅうぎゅう詰め、車内の内壁は忌々しい対吸血鬼用祝福加工鉄ロザリオ・ホープレスで囲まれている。激しく暴れるとせっかくの力がまた吸い取られる、出来るだけ壁に触れないようにするには…
「んぐっ…!」
右腕で首に巻き付き、左手は相手の腕を手錠の要領で封じ込む。足は胴体にホールド。技名なんてない即興のお粗末な寝技だ。
「ハハ、ハハハハハ!バカかお前!?そうだバカだった!」
「何が」
「俺とパワー比べで勝てないから不意打ちをしたんだろ!?何が飛び出してくると思ったら「パワーが必要な」寝技じゃねえか!素人の見様見真似なんざ強引に溶けるわ!」
ゾキー兄の読みは当たっている。このまま続ければ力負けするのは俺、さらに体格からしてこいつは格闘技をやっているか、その手合いと何度も相手しているのだろう。こうなった時の対処法を知っている口ぶりだ。いや、知っているからこそテンプレートから外れた相手には弱いと確信していた。俺がなぜお前が動揺した時に一気にとどめを刺さなかったのか、そして
吸血鬼を前にして一瞬でも無防備に首筋を晒す行為に、一体何の意味があるのか。そこまでは頭が回らなくても当然だ。
「っ…!ァ、エァ…?」
血を吸った事により歯の強靭さが復活したのを隠していたこと、寝技に持ち込んだということは寝技でとどめを刺そうとしているという固定概念、何より生き血が欲しいからとどめを刺さなかったという理外の理由。
まあ、普通は全部たどり着けるわけないからな。お前はよくやった方だよ。
皮肉交じり100%に心の中で呟き、無心で血を吸う。この体にどれくらい入るのか容量体積の問題は気にしなくていい。吸えば吸うほど俺の力は強くなり、相手の力は弱まっていく。
「んっ、んっ、んっ…ふぅ~」
兄の体は文字通り血だけが抜かれていた。皮から骨が浮き出て、内臓を含めた肉と血管はその内側でカピカピになって崩壊するだろう。こちらも物理法則ガン無視の惨状、俺が限界まで血を吸えばこうなるから仕方ない。
「まっず」
一旦車内から降りて弟の方に駆け寄り胸ぐらを掴む。いくら時代錯誤な代物とはいえ義体施術を施した人間がナイフ刺さっただけで死ぬはずがないだろう。
「結婚の仲人は誰だ。オォヨウ派にヘキサドと繋がるようなパイプがあるとは思えないんだが?」
「知ら、ねえ…」
「予想でもいいから。義体の血は俺飲まないぞ、この意味分かる?」
「ま、マヨネーズの御仁だ…」
「…亡霊元帥「魔米津」か。胡散臭いと思ってたが何企んでる?」
「見た目は、同意する。でも中身は、いい人だろうがよ…」
「GOCすらほとんど消息を追えてねえ人型実体を何十人も懐柔している時点で個人が所持していい兵力を超えている。このままだとかつての都抗争よりとんでもない事になるんじゃねえのか」
「…ぅ…これ以上は、オレも知ら、ねえ、よ…」
「いやいや、1番知りたいことがあるんだけど。結局あれは何だったのよ?お前らが用意した車だろうがよ?」
「………」
「おい、おい..はぁ~あ」
義体だから大丈夫だろうと殴りながら質問をしていたら力尽きてしまった。まあしゃあないか。もうこの場を去りたかったが、これを対処しない限りは追いかけられて呪い殺されるともわからん。脳裏によぎるは、懐かしい声。
あなた吸血鬼の中でも相当お強いのだから、振る舞いも高貴にしていればいいのに。
少し深呼吸して、自分でも似合わないのが分かる声を作り、それっぽいセリフを言いながら振り返る。
「先ほどは血を吸ってしまいすまなかったね。私自身生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだ、どうか私に出来ることがあれば言ってくれ。特徴的なボディーの君、よ…」
車内には幽霊も怪物もいなかった。後部座席に座っていたのは女、だが最初とは違い、ピンクと黒を基調とした服装に短めのツインテール。丁寧に作られた「かわいさ」とは裏腹に、腕をラーメン屋の店員よりガッツリと組み、恥じらいもなく足をおっぴろげて座っているその態度から、もう既にお腹いっぱいになりそうなキャラの濃さを感じた。
「おうおうおう!物の怪の類の横っ腹に嚙みついてチュウチュウやるたあ相当にふてえ野郎だ!他人様の食い方と性癖にケチはつけたかねえが、もう少し忍耐ってもんをあんちゃんは知らなきゃなんねえなあ!」
想像の5倍は濃すぎて、ニンニクを食べていないのに胸焼けがしてきた。
「は..?え、なに、モノノケ…?」
「そぉともさ!」
女の子はそういうと腹をポンと叩いた。フリルでキュートな服の右脇腹にナイフで切られたような跡があり、鼠径部が見えそうなほどザックリ深く切り込んだ素肌から点状に並んだ2つの噛み跡が見える。
「我ら生まれも育ちも物の怪の類!映えや盛りを携えて、人間どもの驚く顔を見るためにちょっかいを出す傾奇者サァ!」
「十八番の変化術で度肝抜かした奴らは数知れず、フォロワーは10万人突破目前!動画チャンネルもそのぐらい登録してくれればいいんだけど世間様は甘くねえナア!」
「性は倫、名は弥琴!とりあえずはオトシマエと服の弁償頼むわな、吸血鬼のあんちゃんヨオ!」
なるほどよし、無視が丸いな。何も言わずに踵を返し歩き始める。
「ああ!?オイちょっと待てって!」
今行くべきはオォヨウ派のドン、貴女の娘だろう。貴女は婚約に乗り気かもしれない。それでもどうしようもなく会いたい気持ちがあるのだ。この悪徳都市に住み着いた蝙蝠野郎にお似合いなのは、天地逆さになった城の塔に閉じ込められたお姫様を窓から見る構図だろう。
「驚かしたのは謝る!最初に言ったろ「物の怪の類」って、俺ァ純粋な妖怪じゃないんだよ!人間共の驚きって感情が生きてく上で不可欠なんだ!」
いや…それよりもまずは事実関係の確認か。結局こいつらが言ったことが本当かどうかもわからん。ヘキサドの一社員に喧嘩を売るよりかは、地元密着型のマフィアをぶっ潰した方が抗争的観点から見ても楽だろう。それほどまでにヘキサドの力は強大で、それほどまでに彼女は遠い所へ行ってしまったのだから。
「だからあんたらをちょっとばかり驚かしたわけ!死活問題だったわけ!頼むよぉ無視しないでくれよぉ!」
「謝んなくていいぞ、あいつらに監禁されてた立場だったし助かったわ」
俺が無視をやめると弥琴の顔はぱあっと明るくなった。
「ホントに!嬉しすぎる…!」
「なんかすごい名前ね、ヤコト・リンて。どっかの名家?」
「むふふーん!まあちょっとした───」
ああ、こいつバカだ。喋り方に知性がない。まあ「手駒」はいないよりましかあ…
「じゃあ弥琴、ここら辺の車全部調べて1番状態のいいヤツ教えろ」
「あ?」
途端に弥琴の顔が曇りドスの利いたものになる。これも怖がらせるための一環だろうが俺はお前の情緒が怖い。
「手前ぇこの倫 弥琴様が話してるのに割り込みたア随分粋ってもんを学んでこなかったみてえだなあ!?倫家が代々『怪談はなし』で有名なことを知ってて───あれ?」
弥琴がベラベラ身の上話をある程度進めた所で、彼は自分の身体が自分の意図とは全く別に手頃な車に近付いている事に気づいた。
「オイオイオイ…こらぁなんの妖術だよお!」
「なんでそんな喋れるんだ…お前が強情なのか俺がそこまで弱ってんのか分かんねえよ」
「この車はダメです!マイ・マスター!」
命令通り弥琴が知らせてくれた。コイツ目上にはマイマスターって言うんだ…
「オッ、そう言ってるうちに命令のかかりが良くなった」
「ふざけんな!俺ァ手前の都合良い手脚じゃねえ!」
「吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になるか、そいつの下僕になる。社会常識とまでは行かねえけど…知らない?」
途端に江戸っ子少女の顔が青ざめる。
「う、嘘…私このまま一生あんたの奴隷なんてことないよね…?」
「そう出来たならどんなに良かったんだろうな」
弥琴はいくらかホッとした様子で落ち着きを取り戻した。慌てると素が出たっぽい辺り、まあ奇行と口調はキャラ付けか…。コッチもホッとした。
「まあもう1つの方、吸血鬼にする方でも良かったんだけど…オイ落ち着け最後まで聴け。お前の血、なんか変な味がしたからやめたんだよな。長年アウターオーサカで血ィ吸ってるけど流石に初めての味わい星1つですわよワタクシ」
ここまで言い切ってマズいと思った。以前貴女に、
「ある程度気心の知れた間柄でも、その人の血の味を説明するのはセクハラに相当します。初対面なら尚更でしてよ?」
と言われた事を思い出したのだ。別に俺はこんなションベンと厨2特有の制汗剤で臭くてたまらないガキンチョの好感度などは興味ないが、貴女に洒脱だと思われないのは嫌だ。それにコイツオーバーリアクションだから面倒なんだよな…
「あー、その血の味というのはだな。別にプレイの一環みたいな温度感で言ったわけではなく純粋な気持ちでお前をバカにしようとして…」
「今!今、アウターオーサカって言った!?」
「ん!?あ、ああ言ったけど…ここがアウターオーサカだけど…?」
こちらが想定していた面倒な反応ではない。弥琴はどこか緊張したような、もう後戻り出来ない切羽詰まったような雰囲気で呟く。もう自分の味が次の車をチェックしようとしている事すら気にしていない。
「来た、私来たんだ…外法大阪に…理外の境に…」
「なあにお前、O/Oに来たばっかり?」
「それ!オーオーって言うのはまた別名なのか!?」
「そうだけど…え?来た事ないけど存在自体は知ってたの?」
そういう存在がいない…とは言わないが、アウターオーサカから別の世界に脱出する方法は限られ、非常に困難だ。ションベン制汗剤のガキのバックにこの多元宇宙のダストシュートを抜け出した傑物が存在している光景は…正直想像しにくい。
そして、おそらく弥琴が掴んでいた数少ない手がかりであろう呼び名。「外法大阪」「理外の境」、アウターオーサカをこう呼ぶ集団に俺は心当たりがある。
「なるほどな…だから妖怪か」
「妖怪じゃねえ、物の怪の類だ!俺ァ奴らとは明確に違え…!」
…多少は外している箇所もあるようだが、おおむね俺の推理は当たっているであろうと確信した時。
「マイ・マスター!この車使えそうです。サイドミラーのヒビ割れと塗装部分がカラーボールで汚れている以外はピンピンしてます!…んで、どうすんだよお前さん。車探したけど?」
ちょうど弥琴にかけた命令が執行された。
「どうするって、そりゃ運転するんだよ。観光ドライブと洒落込もう」
弥琴は自分自身の体を両の腕で抱きしめ露骨に警戒の目を、している。
「…知らねえ兄ちゃんに付いてくほどガキじゃねえや」
「オイオイ眷属ゥ〜、俺のことは高貴たるサンビセイッゲン=Ⅲ世とフルネームで呼びたまえ。そして歓喜に打ち震えろ、助手席で目一杯の景色を見せてやる」
「ああああああ畜生!」
シャカシャカと動く手足を制御できないまま、みっともなく弥琴は車のドアを開けた。
ツルミトレインが謎の知性体にハックされて以来、アウターオーサカにおいて乗用車の所持率というものは確かに上昇した。それによってタクシーの運ちゃんたちも、簡単に札ビラを切ってくれる「当たり客」に邂逅することが多くなった。
だが、この時期においては既存区に敷かれた道路を走る車は稀である。
「喉乾いた、腕出せ」
「意味が分かんねぇ…なんで喉乾いた奴に俺っちの腕出すんだい」
「初回限定サービスで警告してやる。チクッとするからな…んっ、んっ、んっ…」
「痛あ!?」
「フゥ〜ご馳走様、これでまたしばらく眷属関係は続行だな」
「ざけんなこんなの無限ループじゃねえか!血を吸ったら眷属として言うこと聞かされて血を吸わせろって命令に逆らえなくてまた眷属にされて…」
俺たちが走っている高速道路は高所に作られている。下り側含めた4車線しかここにはなく、あとは紫色の朝宵闇が広がるばかり。遠くてぼんやりとしか見えないネオンの無機質な明るさがより静寂を引き立たせているような気がした。
「んで、お前どこまでアウターオーサカのこと知ってて来たんだ」
「…この世界には俺っちの知ってる大阪府とは別に、理外と外法で構成されたオーサカが存在する。そこはあらゆる不条理が罷り通り、異常犯罪天国…パラ・クライム・ヘイヴンなんて呼ばれている。それと同時にそのオーサカはあらゆる境界の線引きたる『サカイメ』でもあり、そこで清濁を併せ呑む決断を迫られようとも、何かを成そうとする人々がいる…」
「以上か」
助手席のガキンチョは頷いた。フーンと息を吐き、少しの間ハンドルを動かす事に専念する。
「まあ、何だ。いささかラストの言葉はヒロイックすぎるな。そんな上等な連中はここにいない」
「…だろうな、短い間にさんざ思い知らされた」
「はっはっは、良い洗礼ダッタダロー」
「教えてくれよ。外法大阪ってどんなところなんだ?」
「どんな、かあ…」
漠然とした問いに、ほんの少しだけ戸惑った。
「俺みたいな最低最悪の吸血鬼が住むには悪くない、大っ嫌いな街だ」
「矛盾してらあ、結局どっちだよ」
うるさい、意趣返しではないがこちらも漠然とした質問から入るか。
「弥琴、今何時だと思う?出来るだけ正確に予想してみろ」
「あん?…23時とか?」
「そうか、俺は昼の3時くらいだと思う」
「は!?」
俺は残り充電1%のスマリン、スマートリングの起動ボタンを押した。手首に長方形のロック画面が映し出され、そこに見える数字を弥琴に見せた。
「2046年7月31日、16時46分…?」
「ッ、予定より遅れてるじゃねえか…急ぐぞ」
「何で!?お天道様が出てねえじゃねえか」
「太陽なら出てるよ。それも1度も沈んだ事ねえ」
俺はスピードを100キロからじわりと上げ、虚空を睨む。
「アウターオーサカの土地神、
信仰を喰らいこの空間を半永久的に拡充させ続けるゲニウス・ロキ、
太陽と流水を司るもの、
月と夜を呑み込んだネオン、
O/Oの基盤たる黒けき太陽。
それがH.R.K.ヒ-ル-コ」
「土地神…?産土のケツカッチンと同類みたいなもんか!」
「ウブスナもケツカッチンも知らねー…まあこの空間を隔絶宇宙にしたのも、膨張し続ける都市の仕組みも、全部ヒルコの思し召しだ」
「空間が永遠に拡充するっつーのは?」
「H.R.K.ヒ-ル-コによるアウターオーサカの『繁栄』は2種類、『元となった土地の拡充』と『宇宙領域におけるアウターオーサカ自体の膨張』。土地から何まですっかりそのまま大阪をコピーしているわけじゃなくて、まあ地名だけ借りている感じだな。こんなに治安悪いの大阪に失礼だし」
「マジの無法地帯ってことか」
「まあどこも今や『三鳥』の餌場だ、奴さん達この時期は流石にピリピリしてるよ」
弥琴は質問すればするほどに新たな疑問、聞き覚えの無い単語が出てくることに口を尖らせていた。
「H.R.K.ヒ-ル-コの御使いなんて大袈裟に言われてるが、まあ権力者層のお抱え兵士たちが『三鳥』だ。彼らを始めこの街には、太陽が沈まないことを望む生命体が数多くいる」
お前たちは空を見上げないのにな。神様が「そこにいて当たり前」なんて全くすぎる思考処理だ。
「オイオイ…お前さん上を余所見しながら運転しなさんなよォ」
「吸血鬼の嫌いなもの、その中にバッチリ入っているのが『陽の光』と『流れる水』だ。一見すると常夜の独壇場に見えるここは、俺に毎秒デバフを与えてくるんだよ。もっと強いはずなのにあんなクソ共に封印までされるしなあ…」
俺が封印されたのはO/Oのせい、それは確かだ。でも、それだけじゃない。俺の捕縛には間違いなく貴女の手引きがあった。
貴女の裏切りによって貴女が幸せになれば、俺に未練はない。そう思っていたのに目の奥と頭蓋の間がズキズキと痛む。これは喉の奥の小骨などと揶揄されるものなのか、それとも…
「おい、マジかマジかマジか…!」
完全にしくじった、よもや楽しいドライブトークと郷愁に駆られて危険察知が鈍ったとでも言うのか。
「ほおーん…聞けば聞くほど産土とは違う、聞いたことねえ文化の話だなァ。神様にお祈りしてれば永遠に土地の繁栄が約束されるなん───」
「弥琴、両腕出せ」
「アァ?腹減りすぎだろォ?それともアレか、これもそのデバフとやら」
「早く!」
俺のただならない気迫に押されたのか、眷属は勢いよく腕まくりされた腕を差し出した。左手をハンドルから離し勢い良く空を切る。指先に無数の切り傷が生み出され、そこから勢い良く滴るサンビセイッゲン=Ⅲ世の血が、弥琴の両腕をドス黒い網目状に色付けてる。
「は!?は!?は!?吸うんじゃねえの!?」
「運転変われ!」
俺は運転席の開いた窓に足から突っ込み席を譲る。今や常人のそれを遥かに凌駕した弥琴の両腕が胴体をムリヤリ運転席に着席させた。
「無理無理無理無理!未成年だよ私!」
「ブレーキは踏むな、全力でエンジン踏むことだけ考えろ。ハンドル捌きはお前の腕が勝手にやる!」
「サンバは!?どこに───」
「俺が戻ってこなくても気にすんな、そのまま走れ!」
「え…?」
右手の鋭利な爪を弥琴の右腕に当てる。
「『蝉時雨霊園』まで、この車で行け」
より強い「命令」で拘束された俺の血が、鮮やかに胎動した。
「よし───行ってくる!」
「サンバ!」
そうして俺は頭痛の原因、おそらくこちらを追って来ている何かを迎撃するために車上部分に乗っかった。それにしても緊急事態だから突っ込まなかったが…
「いやアイツ俺の名前とんでもない間違え方してたな!?」
一般人たちのイメージする吸血鬼の特徴、それは概ねコウモリのそれと合致している。夜行性で鋭い牙を持ち、飛ぶ時はバサバサと煩い音を立てる。首の部分に白いフサフサがあり、足は鳥類のそれと似ている。
その中で一際目立つ特徴と言うなら、上下逆さになって洞窟に潜むことだろう。足を上に引っ掛け頭を下に洞窟で潜むコウモリの画像を見たことがある人間も多いはずだ。
この俺、サンビセイッゲン=Ⅲ世ほど高名な吸血鬼ともなるとその上位互換も容易い。例えば今のような、時速100キロ以上で高速道路を走行する車の上に、その流れに逆らいながら足を貼り付けることも。
「あぶばばばばばばば…ふう、頬っぺた痛え」
ただ先述のように俺はこのアウターオーサカで致命的な弱体化をしていたので、顔面だけがすぐに空気抵抗に慣れることなく歯茎丸出しで風を受けていたことは見逃してほしい。サンビセイッゲンの名を継承した誇り高き吸血鬼がそんなアホ面を1秒でも晒していた事実を知られたくない。というか普通に人として恥ずかしい、なんなら白目も向いてたと思う。
「敵の気配からしてこの速度…」
敵と言う単語を使ったが、これはただ武器や肉体から迸る明確な害意を第六感で察する吸血鬼特有のセンスに依るものだ。それが果たして文明的な目的を持っているのか、野生動物の如くただ己の力の誇示を生き甲斐にしているのかまでは分からない。
「車…だけどただのそれとは違うな。改造車くせえ」
果たしてそれは2つ、スロー連写で撮影されたうねる光の如く急接近して来た。なんの変哲もないタイヤはその無難な外見とは裏腹に、アスファルトを抉るほどに強烈な回転を以ってマシンの強靭さを示している。2階建ての平行四辺形を模る車体部分には黒く煤けた板金にこれまた物騒な棘まみれだ。車ではなく「タイヤの4つ付いた要塞」と言った方がまだピンとくる。それが、2台。
「まともにやり合うつもりねえんだよな…っと!」
親指の付け根あたりの皮膚を切り、やや粘性のある血を出す。沸々と湧き出す程度だったその赤色は俺が振りかぶって敵方向に投げた途端物理法則を無視し、アスレチックコースでしがみつくロープの如く太く長い射出でタイヤ部分に食らいついた。
「…!なる、ほど、な…!」
トリモチの如く車輪に絡みついた血、しかしマシンの走行自体は止められていない。想像以上にイカついカスタムを御施しのようだ。ならばやることは1つ。
全身を影で形どられた蝙蝠のシルエットに変化、どれだけ棘に覆われていようが窓や空気孔自体はあるだろう。スピードが著しく落ちたマシンに飛び移り観察していると、程なくしてそこだけ設置面がガラス張りになっている棘を1箇所見つけた!
「ウッラア!!」
「は!?」
「良い車乗ってんのね、運転変わろっかァ!?」
運転席に恰幅の良い男性1人、乗り込んでいる人間はそれ以外にいなかった。助手席と後部座席にガン積みされた兵器たちが乱雑に置かれていた点から、自立行動AIを搭載していない事に賭け運転手の無力化を最善とする。
「うわあああ!辞めろ離れろ!あっ…」
影がたかる。服を翼で切り裂き、皮膚に歯を通し、その中にある血という砂糖を飲む為に真っ黒な蝙蝠たちがうぞうぞと、バサバサと運転手の全身を飲み込む。
そうして全身カピカピになった、人間だったものから影は離れ、見慣れたサンビセイッゲン=Ⅲ世の姿に戻った。
「…ぅぁ」
呻き声を上げたのは苦しさすら感じない運転手の男ではなく、他ならない俺だ。
「う…ン…めぇぇ〜〜〜っ…久々だ、ああ久々だ!こんなに血を『イッキ吸い』したのは!」
血の吸い方。これに関しては吸血鬼たちが各々のこだわりを持ち、各々の体質に適した飲み方というものがあるだろう。イッキを御法度とする一族もいれば、余興のために洗礼として新人にやらせる吸血鬼の結社もある。
だが俺にはちびちびと飲む方にも、ぐいっと飲む方にも良さがあると考えている。数日間血が吸えず、お預けのように妙齢の女性の腕にカプカプしていた情けなさも相まって、俺はこの瞬間歓喜に打ち震えた。
「ホント、割に合わない強がりしたわ…」
弥琴の手前色々と披露したが現状はミイラ同然で脱出して、それこそ家族を乗せて運転中のパパさんがブラックコーヒーをチピチピ飲むがごとく意識を保つためだけに吸血行為をしていた。まあこれからより血が必要になるだろう、大規模な補給は必須だった。…うん、必要だった。
「えっと~、スマリンスマリンスマートリング~」
枯れ木同然の相手から腕輪を奪い嵌める。手首に映し出される長方形の画面はホログラム製であり、はしたなく血に塗れた俺の手首でも問題なく映し出された。スマリンの個人情報を素早く流し見する、身元から察するにオーサカでは変哲もない暴走族…
「…?」
なんとなく、本当になんとなくだが一抹の不安がよぎる。急いで車外へ出て速度を落とした改造車を蹴るために足に力を込める。目標はもう1台の車。手を宙ぶらりんにさせながらもクラウチングスタートの要領で突っ込み、外装のトゲトゲごと破壊して突入した。
「お元気ぃ~?ちょっと血ぃ吸わせてくれや!」
正直に白状すると、俺はこの時点で「三鳥」のいずれかが出張ってくるものかと思っていた。特に「屍喰鴉」ならば身分や外見の偽装など容易い。O/Oでは常に想像できない、理外の展開を想像して動くのが鉄則。突入前から蝙蝠を纏い速攻で吸血する、これこそが吸血鬼の第六感が見出した解法。
しかして今回のなんとなくによる答案は、大外れであることを「味覚で」悟ることとなった。
「オ、ッエ!?」
血ではない、血の味じゃない。美味い不味いではなくそもそも食い物ではない何かだ。蝙蝠を迅速に跳ね除け運転手を確認すると、そこには人間の形をしただけの
膿の塊がハンドルとアクセルに張り付いていた。
「これは…」
その塊を構成しているのは膨張してはち切れそうな衣類、スマートリング、そして黄色く濁った等身大の膿。血も骨も筋肉も見えることなかった。そうしてリングが勝手に起動し、ホログラムの液晶に「Dr.」のロゴを映し出す。
『ハァ~イ、借金王サンビセイッゲン=Ⅲ世。楽しんでる?』
その言葉を皮切りに車は急加速、膿を剝がそうにも車内が揺れるわ頑丈に出来ているわでアクセルに張り付いた部分ですら破壊は困難だった。というか気色悪くて触りたくない。
「マジかよ…」
「三鳥」は体制側の戦力でも特にずば抜けた集団で、アウターオーサカで敵に回したのならば最も絶望的と言われた相手だ。しかし今俺の名前を呼んだ相手は、敵対するも味方にするもアウターオーサカで最も厄介かつ疲弊する存在。
「無駄なあがきかもしれないけど、やるか…!?」
ある程度血液を摂取できたため、先刻使ったトリモチ血で今なら停止できるのではないかという逡巡。
その直後に、鈍い音とガラスが割れる鋭い音。強制的に前のめりにされる衝撃。
「っ…!」
「キャアアア!!何何!?」
衝突した2台の車の破片が光り、細かい粒子になり、渦を巻くように収縮する。
「弥琴!どこでもいいから俺に捕まっとけ!」
衝突の勢いで俺と弥琴は地面に放り出される事なく、上空1.5mあたりの場所にピタリと固定された。車の形を成していた鉄とゴムとガラスは別の存在に変化していく。それは長机程度の大きさを持つ舞台を虚空に形作り…
そうしてその舞台の上に、教育番組で見かけるような円らな瞳の人形たちが、黒い操り糸を伴って行進してきた。
「「「「「みんな~!ドクターズ・ジャンプスケアの時間だよ~!」」」」」」
「かわちいお上りさん連れているみたいじゃあないか、星見蝙蝠。昧境祭は明日だぜ?」
「“博士”DOCTORS…!」
「ど、ドクターズ…?ていうかこりゃア!」
わあぎゃあ騒ぐ弥琴のリアクションに“博士”御一行は随分と満足しているようで、早送りしたようなトーンでいわゆる「ガヤ」の声を各々出している。茶番だ。
「最初から俺狙いか、あんな悪趣味な膿人形まで拵えて」
「人形だなんて!酷いこと言うなあ…あれでもちゃんと人間だぜ?生きてたんだ!」
「要件は何だ、てめえらから借金したこともねえし取り立てる気もねえ」
「ねえ待って~?せっかく初見さんもいるんだし説明させてよ~」
そういってパペットたちは大袈裟に咳ばらいをしたり、前もって知らされていたであろう何らかの位置に付き始める。
むか~し、むかしある所に…それはそれは自分勝手でわがままな“博士”がいました…
「オッ、人形劇たぁ今時だねェ」
「なんでお前は普通に観劇して…今時なの!?」
“博士”は子供たちの楽しいと感じる心が大好き!なので色々なおもちゃを作って子供たちの所へ届けていましたが…問題があったのです。
“博士”の感じる「楽しい」とは、子供たちの「楽しい」とは大きくずれていたのです。そして“博士”は自分の信じる「楽しい」を疑いませんでした。
ある時は眼球を抉る眼鏡、ある時は実際にプレイヤーを酷い目に遭わせるボードゲーム、ある時は体をスライム状に溶かす自由研究キット…“博士”の贈り物に子供たちは阿鼻叫喚の地獄絵図。大人たちが黙っていません。
そうして邪悪で悪趣味でテメェが子供のことを何よりも、ワンタメ博士よりも分かってるなんて思い上がった汚物は姿を消しました…
だが、だがな。俺らはそういうチャレンジ精神だけは尊重するんだ。
そ〜そ〜!だからその空位となった名前を拝借してるわけ!
“博士”の意思を継ぐ“博士”、それが私たち“博士”DOCTORSだ!
君たち〜?劇はまだ終わってないんだから。
みみっちく子供を盾にして
しょうもないアノマリーで連続快楽殺人をした
他に生き甲斐の無かったしみったれたボケ老人の半生を伝えなきゃ。ハハハハハハ!!
茶番はまだまだ続く様相であったが、間抜けな表情の人形どもを睨む弥琴はその流れをぶった斬った。
「…言ってる事は良くわかった。要するにだ、手前ェら全員ダチとして付き合うニャアいけすかねェ奴らって事だ」
「ちょっとちょっと!?そういう話じゃなかったでしょ???」
「それさえ分かってれば上出来だ」
どうやら我が新しい眷属は審美眼に問題はないらしい。少しご満悦になりながら“博士”DOCTORSに宣言する。
「それじゃ、何のために接触して来たのか結局分からずじまいだけど俺ら行くから」
全て血で連結しなくて良い、必要なのは足を付ける僅かな地面とエンジンの機構だ。
「あ、新しいオーサカの観光客と友達になりに来たのかな?なら残念〜返事は聞いた通りだぜ」
弥琴をお姫様抱っこの形でしっかり捕まるよう促しながら、ガラクタを連結させ簡易的なスノーボードを作る。もう少し大盤振る舞いして血を付着させた瓦礫は、勢いよく人形どもに突き刺さり内部を露出させた。
「「「「「クソ…待て、待て!」」」」」
「バッハハ〜イ」
瓦礫が混ざる、人形が混ざる、声が混ざる。八つ足を地に着く巨大な化け物へと変貌していく。
「「「「「待て!!!!!名も知らぬ少女よ!!!!!君は世界に辟易している、世界なんか壊れて仕舞えば良いと思っている!!!!!君を勧誘しに来たんだ!!!!!君なら“我儘女王”クイーン…いや“女の子”アリスの名位を渡しても構わない!!!!!一緒に世界を楽しもう!!!!!世界を僕たち“博士”DOCTORSの楽しい世界にする活動を…!」」」」」
目と口をギュッと瞑る弥琴はもう“博士”DOCTORSの話を聞く必要はないと判断している。俺は結局そういう話じゃねえかと呆れながら、怪物ドクターとのチェイスを開始した。
「お前、博士に聞き覚えは?…おい、普通にして良い。ただ俺にはまだ捕まってろ」
「無理無理無理私怖いもん目が痛くなる舌噛む…アレ?平気だ…サンバがやったの?」
「サンビ=セイッゲン!愛称で良いから主人の名前くらいさぁ…んで?どうなんだ?」
「いや、そういう奴がいるたァ聞いた事はある。数年前に姿消したって話だからこの目で拝んではいねぇけどよ…」
江戸っ子キャラに戻った弥琴だが、視線は俺の後ろに泳いでいる。落ち着きがない。
「今の奴らは“博士”と関係はあるが良好じゃあない。元の人物は俺も会った事はないが、大半のタイムラインで“博士”という要注意人物は西暦2010年代か20年代に廃源郷という場所を最後に目撃情報がなくなる」
「じ、じゃじゃじゃあ…アレは…?」
弥琴が俺たちの後方、恐ろしい鳴き声を響かせ高速道路をぶっ壊しながら爆速で這いずる化け物を顎で指す。
「「「「「オオオオオ…!!!!!」」」」」
「“博士”から“博士”という名前を奪おうとしてる粗悪品。名辞災害ってご存知?」
「ふへぇ…?何ぃ…?」
「ま、知らんか…名辞災害は本来名前を奪う、1度使用した名称は使用できないといった特徴があるがあの怪物は粗悪品だ。名称縛りのルールを敷けるほどの理不尽感はない」
血の味が常に変わりゆくあの場所の動物たちは名前を奪う。悪辣な言葉遊びを相手に強要して。だが確かに基本的な所は紅に頓着無きつまらん生物どもの名辞災害と同じと言えど「悪意」側の名辞災害は比べられるほど強大でも高い精度でもない。理不尽さは顔負けだが。
「「「「「アリス、アリスよ…!!!!!僕たちのアリス!!!!!遊ぼうよ!!!!!楽しもう!?!?!」」」」」
怪物ドクターが何かを投擲してくる、吸血鬼の第六感でノールックで避けるしかない。
「正当に“博士”という名前を継承した二代目とは別の愉快犯。その中に“もう一人”アケルだとか“篝火”アースニストだとか“水槽脳”B.I.V.なんて位階が存在している。お前それにスカウトされたんだよ。まあ今は“もう一人”アケルしか来てないっぽいけど」
弥琴は目を泳がせたまま顔を青くさせる、器用なリアクションをするヤツだ。
「わ、私も名前無くすところだったの!?」
「それで済めば良いんですがねえ…」
左右にジグザグ避けながら肩をすくめて見せる。勧誘を止めるどころか全く諦める気配すらない。
「「「「「楽しいよ、“女の子”アリス。みんなで一緒にいるのは楽しい!!!!!一緒になるのは楽しい!!!!!」」」」」
「だってさ。別に良いんだぞ?お前がそうしたいならそうすれば」
半笑いで震えている眷属を一瞥したが、弥琴はどうしたのかそれを冗談と笑い飛ばせなかった。
「…ふざけんな。ひとつになる?名前を捨てる?そうすれば楽しい?俺ァまっぴらごめんだね!」
「あ?どうしたお前…」
「やい!気色悪ぃクソッタレよぉ聞いたか!?」
身を乗り出して俺の体から顔をヒョコッと出して大声で叫ぶ。何何何何どうしたの???
「良いか?手前ら自分が神様になったみたいにふんぞり返ってるだろうけど、その実はひとつにならないと耐えられなかった連中だ!孤独という恐怖に耐えられなかった連中だ!」
「今すぐその『ありす』とか言うの止めろ!俺ァ俺だ!手前らの活動とか何も知らねえけどナァ!俺の知らねェとこでウジウジお互いに慰め合ってな!消えろ!」
弥琴は吠えた、尖りたての犬歯を剥き出しにしながら。そこに何らかの矜持か不快感か、意固地になる何かは俺が知らずとも彼女の心に存在していたわけである。そういうものを嘲笑う余裕も心も俺にはない。ここは彼女を尊重する意志で何も聞かないことにした。それに…
「あー…ま、丁度いいか。今のうちに言っとけ言っとけ」
「へ?何が丁度いいって?」
「あとはまあ、衝撃に備えとけ」
怪物ドクターは弥琴の啖呵に何か反応しようとした。しかしその前に衝撃が、ヒルコによる「天罰」が彼らを貫いた。
「「「「「ギャアアアアア!?!?!?」」」」」
目視こそ出来ないが「天罰」であれば鎮圧は容易だろう。それを示すように怪物の断末魔は1度きりで、それに続くように鈍く落ちる音、そしてバサバサという羽音、にちゃりと何かを食む音が聞こえた。
「到着遅かったじゃねえの、まあ“煙り子”シガレッタあたりが前もって妨害でもしていたか」
「な…何が」
状況がわからぬまま驚愕する、弥琴の眼前に何かがふわりと舞い降りた。
「カラスの羽…?」
「さあこっからがフルスピードだぞ、あいつら撒くにはこんなんじゃ無理だ!」
「待って!あいつらって何!?本当に説明してー!?!?」
エンジン代わりの血液をさらにぶち込む。ショート寸前のスケボーは紅蓮の軌跡を描きながら轟音を響かせて、ヒルコの「天罰」たる『三鳥』、治安維持のため駆り出された屍喰鴉を全力で振り切ろうとしていた。
「ちゅ、ちゅいたぞ〜…」
「お前さんヨォ、エンジンに血を使うなら先に言えや!」
「せ、せっかく補給しちゃのに…またスッカラカンちゃ…」
偉大な吸血鬼サンビ=セイッゲンⅢ世は不潔な鴉共を歯牙にも掛けず振り切り、シワシワのヨボヨボになりながら約6時間前に作った眷属である倫 弥琴におんぶされて地へと降り立った。目的地、蝉時雨霊園。
「“博士”DOCTORSは?死んだのか?」
「“博士”DOCTORSもどきな。死んじゃあいないと思うなあ…捕まってはいるだろうけど。あいつら鎮圧される時も自分達が悪役だと思い込んでるのか芝居がかってて余裕だし、何度も娑婆に脱獄してるし、出張ってきたのだって大群に見えるけどもう一人アケルだけだし」
「あいつ大将格なのに本性は事故現場をかぶりついて見たい野次馬なんだよ」
だからこそ気になる、なぜこいつにお粗末な接触をしてきたのか?この疑問は俺の口から出さなかった。明らかに弥琴は何か、多分ここに来た理由だとは思うが、を隠しておりせっかく久々に作った眷属の機嫌を損ねたくなかった。本当に、なんだ太陽と流水の神って。そんなにヒルコは吸血鬼が嫌いか。O/Oじゃなかったら眷属の意識掌握なんて簡単なのに…
「んで?目的地に着いたんだけどどうすんだぃ」
「ああ、そうね…墓参りともう1人味方が合流する感じかな」
弥琴の肩から離れ歩く。蝉時雨霊園に居つく幽霊の青白い発光や鬼火を頼りにして、街よりも暗い砂利道を進んで行く。墓石の合間を縫って曲がりくねった道の先に古く大きな、しかしよく手入れされている墓石があった。
「ここだ待ち合わせ場所。まあ…お前も拝んでくれるか?本当は花とかお供えしてほしいけど、他人の墓だから勝手にやっちゃうと迷惑かもだし」
「なんでだよ。いや別にいいけど」
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