傍観し、傍観し、傍観する
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命題。

漆原常任監査員は、他ならぬ傍観者である。

 


 

Q.1

漆原常任監査員は、20██年██月██日に財団に雇用された財団内部常任監査員です。

財団内部常任監査員の職についており、財団職員の勤務内容・職場環境・実験における安全確保等、日々多種多様な物を監査しています。この監査内容は財団環境部門や生活委員会、[データ編集済]に報告される他、場合によっては不祥事の際における職員の処遇決定や場の調停も本人が担当します。

 
暖色を伴った日差しがオフィスを照らし、柔らかな眠気がふと瞼を押し下げる。財団に勤務して既に三年が経過して、少しづつ生活の焦燥の様な物が融けて来た感覚。さて早い内に睡魔を殺すかとデスクを立って給湯ポッドへ向かう私を出迎えたのは、ぽつんと置かれた一つのコーヒーカップだった。

AM9:43、サイト-8181。区画██オフィス四階。
カップの中には、インスタントコーヒーの袋がセットされたまま蒸れている。

 
「すいませんすいません、俺の奴ですそれ」

 
背後から話しかけられ、振り返る。声の主は随分見知った顔である。中肉中背、年齢不詳。緑色のネクタイを揺らす男は私の隣を悠々と歩き、横切り、給湯ポッドを手に取った。

 

漆原六郎うるしばらろくろう。役職────財団内部常任監査員。

 

「漆原さん。朝から珈琲ですか」
「碌に仮眠してませんからね。美味い珈琲を作る一番のコツは焦らない事スよ」

 
そう言いながら彼は二度、三度に渡りカップにお湯を注いでいく。「この時間帯に珈琲を淹れてる奴に碌な奴はいない」というのは漆原さん本人が兼ねてから公言している持論だけど、このオフィスでそんな事をしているのは彼だけである事を私は知っている。残り少なくて申し訳ない、と彼が手渡したポッドを受け取ってカップに湯を注ぎ、積まれてあるティーパックから一つ抜きとってカップへ落とす。最近の私はもっぱら紅茶派だ。

 
「紅茶ですか。分かってない、分かってないですね」
「カフェインの過剰摂取を常になさってる方の気が知れませんが」
「ふふ、正論は時に人を傷つけますよ。俺からのアドバイスです」

 
彼はそう笑いながらカップ片手に背中を向けて去っていき、そのまま定位置の壁にもたれ掛かる。どこか覇気の欠けた振る舞い、故に底知れぬ眼光。コーヒーを啜りながら「あつっ」と顔を顰める漆原さんは、正直言って割と得体の知れない存在だった。

 
彼の仕事、常任監査員。詳しい役職はクリアランスレベル3、一端の研究員である私はよく知らない。只強烈に印象として残っているのは、彼自身がオフィスや研究室の壁にもたれ掛かって何かを傍観している様以外の姿を碌に見た事がない事である。何ならさっきの珈琲注いでる姿もかなり物珍しい光景だった程に。

曰く漆原さんはその役職も相まって「何かを眺めている姿」か「誰かにドロップキックをしている姿」でしかほぼ観測されないらしい、とはもっぱらの評判だ。私としては、そんな怪異みたいな言い草はあんまりだとも思う。ドロップキックについては悪ふざけにしか思えないし。

もちろんそれが冗談交じりの噂でしかないことは理解している。
でも、私はそんな事をとても言えるような気はなれない。私も最初の頃は、なんだろうあのずっと眺めてる人、と思っていたのだけれど。

 
彼は全てを傍観する。
それは、徐々に場の全員が理解していく事だ。
 

普段のオフィスにも、研究員室にも、収容違反の現場にも。いつも気づけばそこで傍観していて、気づけば凡ゆる事象が彼の手元に収まっている。そうして時たま何かが効率化された時、その名義には彼の名前が乗っているのだ。事実彼が何食わぬ顔で調停した事案は数あるし、彼がいる限り不祥事の内部隠蔽は叶わない。

毒にも薬にもならない隣人として扱うが吉、しかし敵にしたら厄介極まりない。それでも小さな部分で気を利かせてくれる、話自体は通じる方である、など色々鑑みてみると変人ぞろいの財団職員の中では何だかんだで接しやすい人、といった感じだ。

瞬間。

 
「───!」
「おっと」

 
鳴り響いたのはサイレン。一気に緊張感が職務室に満ちる。続いて流れた機械的な音声が伝達したのは、この区画からそう遠くない収容棟で発生した収容違反だった。

『区画内にいる職員は落ち着いて避難を開始してください。繰り返します。サイト-8181第四区画東収容棟で収容違反が───』

財団で働く者にその四文字の恐ろしさを知らない者はいない。アナウンスに言われるまでもなく場の全員が迅速に仕事を畳み、最低限の書類だけ持ってマニュアル通りに退避を開始する。人と人が忙しなく避難経路に目掛けて流れてゆく。私も飲んでいた紅茶のカップを置いて避難しようとして。

一人、真反対の方向に向けて歩き出す人物が眼に入った。

 
「漆原さん」

 
彼の名前を呼ぶ。

避難しないんですか、とは言わなかった。人には役割があり、時にそれに深入りする事は褒められた選択肢ではない。だからこの言葉は単なる最低限の、暗黙の確認に過ぎなかった。呼び止められた彼は「ちょっくら現場を見に行ってきます」と淡白に言いながらこちらへと振り返る。

 

そうして───漆原常任監査員は、口角を微かに歪ませて笑った。

 
「最後まで眺めるのが俺の仕事なんでね」

 
 


 

漆原常任監査員は、他ならぬ傍観者である。

水面下で彼の為す事を知る者には、決して言えぬ事だろう。

 


 

Q.2

漆原常任監査員は"周囲を傍観している"状態か"誰かにドロップキックをしている"状態で観測される事が非常に多く、基本的に彼を収めた記録は前述のどちらかの動作を行っている姿が残されています。

その人格面について、周囲からは「常に書類片手に周囲を眺めている」「基本的に不動、の癖に神出鬼没」「いつも気付けば後ろで場を眺めている」「テンションが高いのか低いのか分からない」「常に七割位のやる気を出している」との意見が寄せられています。 

 

「なあ、あんた」

 
僕は声を掛けた。

 

文字数: 2901

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