華の金曜日だ。指も自然と弾み、キーボードの上を軽やかに滑る夜。
「先行っちゃっててください。切りいいところまでもう少しなんで」
「わかりました。黒原さん、あっちの仕事も大変だろうに偉いね」
「こっちが本職ですから。他の皆さんにも伝えといてくださいよ?最近のこの辺また治安が悪くなってきてんですし、気抜きすぎないようにしないと」
「この時間から行くんだから、そんなハメ外しすぎる事ないですって。久々に集まって飲み行けんだから黒原さんも楽しみにしときなよ。」
「ありがとうございます。じゃ、また後ほど。」
まぁ、私は明日も仕事あるんだけど……と思いつつ、同僚たちを見送る。ドアの向こうに見えなくなったあたりで私はLINEを開いて、ひとりに「すみません、西口側のいつもの所で良いんでしたよね?」とメッセージを送信した。
「だから、買ってきた檸檬を本棚に置いてみたら、爆弾仕掛けたみたいになって面白いね、って話でしょ」
「え、そういう話なの?」
汗が引いて、長いこと経過した。氷を掻き分け、コップの底に残ったレモネードを啜る。店内は昼間の客数のピークを過ぎたのか、落ち着きを取り戻していた。
夏休み終了間近。近所のファミレスに晶野を呼び出した俺は、そこで現文の課題を一面に広げていた。ちなみに晶野は「俺もなんかやるもん持ってくわ」と言って持ってきた、どこかの国立の過去問を開いている。ギリギリまで課題を追い込んでる俺なんかとは違う。
「日記じゃん」
「日記よ。エッセイっつーんだけどな。色んなことが重なって、精神的にキツくなってた時の梶井基次郎が書いた話って感じ。近代の文豪だとよくあるよ」
「やっぱわかんねぇ……俺の読解力が足んないだけだろうけど、どこがこんなにウケてるのかわからん」
「ハハ。まぁわかんなくていいんじゃね?お前理系だろ」
「関係あんのかなぁ……」
写真同好会の初期メンバーである俺たちは、クラスも科目選択も違うし、成績に天と地の差があるにも関わらず、3年の間で親密な関係になれていた。晶野は良い奴だ。人を見下さない。正直、一緒の高校に入ってるって時点で、俺の事を買い被ってるんだとは思うけど。背伸びして受験した高校に俺は着いていけず、クラスでも肩身の狭い思いをしていた。自分の努力不足のせいで。
俺はコップの中でストローを1周させてから、レモネードが薄まった水を啜る。対面に、ドリンクバー行ってくる、と一言告げる。
「大瀬、来たらいっつもそれ飲んでんな」
「いいだろ別に。炭酸飲めないし、これぐらいしか好きなのないんだよ」
「炭酸飲めないんだお前。かわいいじゃん」
「うるせえって」
「俺もレモネード取ってこよっかな」
ファミレスは本当に快適だ。俺はひんやりとしたレモン味で一息つく。今日はもう日が沈むまで外には出たくない。軽やかな酸味が喉を潤していくたびに、基次郎のことがわからなくなる。別にそれでも良かった。対面でやかましいこいつと、レモネードさえあれば、いつまでもここにいれる。
「じゃあ次は赤い繭、お願いします」
「まだあんのかよ。ちゃんとやっとけ課題」
「残念なお知らせがあります。」
校長による始業式の第一声がこれだったので、体育館中を緊張感が走ることになる。俺は背筋に力を込めた。
「昨日、新宿にある飲食店で爆発事故が起きたことニュースなどで聞いた方はいますか?」
俺はちっちゃい頃一度だけ行ったことのある、西口のバスロータリーを思い浮かべた。バスが渦を描くように、大穴に向かって潜っていく。ニュースも見た。吹っ飛んだ窓枠が、向かいの自動ドアを突き破っていた監視カメラの映像が、すごく印象的だった。
「我が校の生徒2人。3-Cの晶野君と、1-Cの前端さんが、現場でその事故に巻き込まれ、亡くなってしまいました。」
喉の奥に蓋ができたのを感じた。
晶野?晶野が?髪の薄くなった校長の額あたりを凝視する。死んだって?死んだって言った?俺は耳鳴りがしていることに途中まで気づかなかった。
「それぞれの保護者の方に連絡を取ったところ、お2人ともバイトの時間だったそうです」
俺は最後に晶野に会った時の顔を思い出そうとしていた。
「この学校では、バイトは校則で禁止されているはずですね?」
鮮明に思い出せた。ファミレスのソファー席で、飲みかけのコーラを持つ晶野。
「お2人が校則で禁止されていることを行い、このような事態になってしまったことは非常に残念です。」
その状態のままで、コップにレモネードを注ぎに行く晶野。
「二度とこのような事が起きないよう、休み明けすぐではありますが、今日は総合の時間を使ってみなさん1人1人に調査を行います。もし校則で禁止されていることをしている方がこの中にいれば、絶対にやめてください。」
レモネードとコーラのブレンドは、結構いけるらしい。ガキじゃねえんだからって俺は断ったけど。
「校長、すごいイヤな感じじゃなかった?」
俺の舌にはレモネードの味もコーラの味も残っていない。今にも腹の底から顔を出しそうな、ご飯、卵焼き、味噌汁、納豆。けさ口にしたものの味を明確に思い出していた。
「あ、俺?なに」
「なんかさ、2人が校則破ってバイトしてたことについてばっか喋ってたよね。生徒死んでるのに。」
そんな内容の話してたっけ。奥田はいつも突然話しかけて来るから苦手だった。
「晶野くんって、大瀬くんと同じ写真部なんだっけ?」
「写真同好会ね。部活じゃない」
「大瀬くん関わりとかあったのかな?と思って」
「まぁ……ね。今も死んだって聞いてちょっとびっくりしてる」
「わ、そうだよね。気遣えなくってごめんね」
別に俺に気を遣う必要なんてないよ、という言葉は、何かおこがましい気がして口に出せなかった。奥田は、もう一言だけ続ける。
「ねぇ、晶野くんって、前端さんと付き合ってたのかな」
知らねえよ。
今度は口に出そうになった。
ログインパスワードは出席番号3301。弊同好会のパソコンの中は晶野の作品で溢れていた。作品ていうより、晶野の仕事だけど。
「先輩、今日ぐらい休みにしませんか?」
不快な音を立てながら、1年の林が入口の引き戸を開けた。一人だけだった部屋に西日がなだれ込んでくる。
「すぐ閉めて。クーラーついてるから」
「なんか、マジでなにもありませんでしたね。喪に服すというか、悼むというか。」
「触れづらいだろ。普通に。学校も今頃、校則破ってバイトしてた奴らを親とか世間にどう説明するかしか考えてないよ」
同じ学校に通う生徒の死のことを躊躇わず話題にできる奴、意外にいるな。俺の精神はようやく落ち着いてきていた。体の方はというと、昼飯を抜いたことへの抗議の声を、午後の間あげ続けていたけど。
「俺たちはいつまでもクヨクヨしてちゃダメなの。部長の分まで頑張って、この同好会を発展させてこうぜ」
どこかで見たような激励のセリフを羅列してみたが、思ったより元気が出なくて驚いた。
「そうですよね……私が昔撮った写真でも見て元気だしてください」
そういう林のカメラロールを見てみたが、思ったより元気が出なくて驚いた。
パンケーキ、名前の知らない韓国料理、渋谷の路地裏、イルミネーション。俺は林の宣材写真のような切り取り方に正当な審査をくだせない。どういう気持ちで撮った写真なのかが、いまいちわからないからだ。
俺と晶野はずっと、撮った写真に全てタイトルをつけている。シャッターを押したその瞬間、当時の心情を、写真が代弁し始める瞬間が好きだった。特に晶野は何気ない日常に潜む発見だとか、普段じゃ気づかない角度の景色だとかを切り抜く能力があった。将来は写真の仕事がしたいとも言っていた。
林は年下で陽キャの女。俺の完全なる対極に位置する存在だ。二人だけだった写真同好会に入ってきてくれた大事な後輩ではあるのだが、同好会での活動があっても正直関わりたい相手じゃないんだよな。林は撮った写真をインスタとかに載せて、特定の人間に自慢するという使命感のため義務感でシャッター押してそうな人間だ……今のは偏見だけど。
一人で見返してニヤついてる俺と、どっちが良いのかって話ではある。
「でもなんか、前端さんは正直そっか……って感じで。驚いてないんですよねみんな」
そうだ。前端とかいう奴のことも聞いておきたかったんだった。晶野と俺の2年間と少しに及ぶ交流の中で、一度も登場していない名前──多分。
「え何、不良なの?林さんは関わったことあんの」
「いやないですよ。みんなないと思います。不良というか、学校来てないんですよねあの子」
不登校か……理由は知らないが、高校1年のこの時期にもう登校しなくなったとなると、理由はだいたい察しがつく。
同情できる人がいるとしたら俺かもしれない。
「最近流行ってますねー、不登校」
コイツには無理。
「学校で数回しか会ったことないから、プライベートも全然わかんないですよ。本人視点辛いことあったのかもしれないけど、やっぱズルいな……って思っちゃいます」
「何が?学校サボってること?」
俺は『同好会 2023』のカメラロールをとある場所で止める。春に同好会の紹介資料を作った時の晶野がいた。満点の笑顔を誇張なしで出来るのがこいつの特技だった。カフェやファミレスを巡って晶野を撮りまくっていたら、「俺の写真集作るんじゃねえんだぞ」って笑われた。
「学校行きたくないとかバイトしたいとか、甘い事言っても許してくれる人が周りにいることが、ですよ」
晶野はいつも協力的で、他人に親身になれる奴だった。パソコンの中からは、いつもの鈴みたいな笑い声が聞こえてくるようで。
迷路と呼ばれる新宿に、一人で降りるのは初めてだった。件の事故現場は、西口のバスロータリーのさらに奥にある。家電屋、カラオケ、居酒屋が犇めき合うこの路地裏は、加齢臭のようなもので満たされていた。酒を飲めるようになる数年後のことさえ、俺には果てしなく先のことに思える。
事故現場は地上2階の居酒屋だったらしい。黒焦げになっている壁から、規制線の上にぱらぱらとホコリが舞い落ちる。壁を思い切り蹴り飛ばしたら、あのそろそろ外れそうな塊も落ちてくるんだろうか。と思いながら、俺の足はそれに近づこうとはしない。危ないし。
今日の目的を、忘れるところだった。
一眼は苦手だ。父親から譲り受けたものとはいえ、重くて高価な代物を、出先で扱うのはいつも緊張する。まるで借り物みたいに。
俺はビルの大穴のあいた場所に向けてレンズを覗く。
「君、ちょっといいかな」
声をかけてきたほうに立っていたのは、二人のお巡りさんだった。二人とも身長は普通ぐらい(俺より少し大きい?)だし、何もやってない俺に後ろめたいことはない。なのに今から怒られる時のような、威圧感を感じた。
「写真撮ってたんです。あそこの」
俺は聞かれてもない事情を話す。
「それは別にいいんだけど、君学生?この辺の人?」
「はい。ちょっと離れたとこですけど。」
よくある巡回だろうか……まぁ新宿近くの治安が悪いって話はよく聞くし。俺もそれが少しだけ怖くて、今まで近づかなかったのだ。
「竹谷高校です」
警官二人は顔を見合わせる。だから高校の名前を言いたくなかったのだ。爆発事故の犠牲者が判明した旨のニュースが流れるようになってから、誰もがこの反応だった。嫌なこと言われるとか謎に慰められるとかはないけど、知られてること自体がなんとかなく嫌だ。警察ならなおさら当たり前か。
「あー……君さ、晶野リョウくんと、前端ミヅキの知り合いだったりする?」
頷いた僕は、そのまま連れていかれて、新宿警察署の別の警察官に事情聴取を受けることになった。ずっと眠そうで姿勢の悪い警察官が相手だった。名前とか、住所とか、晶野の学校生活のこととか。この間校門でマスコミに捕まった時と同じで、大したことは話せなかった。クラスも違うし部活や放課後での姿しか知らないから。
夏休み明けの登校日で初めて友人の死を知る。俺とあいつはそういう間柄だったんですよ。そう伝えた時の警察官の顔は心底つまらなそうだった。
「時間取らせてごめんなさい。ご協力ありがとう。今日はもういいよ」
「あの、いいですか」
我慢しきれなくなった俺は、席を立たずに続けた。
「なんで晶野は死んだんですか。」
「事故だよ。鑑識が捜査進めてる」
「原因は何なんですか。」
「今君に報告できることはないんだよ。何がそんなに気になるの。それとも、晶野くんが何かするような心当たりでもあった?」
「違います」
俺がこんなふうに大人に向かって啖呵を切るのは、親以外で初めてだった。
「晶野のお母さんから聞きました。遺体を引き取らせてもらえなかったって」
「よくあることだって知らないかい?検案書が出せるまで数ヶ月かかることもあるんだ。ご遺族にも説明して納得いただいてる」
「本当に今検視してるんですか」
「僕らの何がそんなに疑わしいの。漫画の読みすぎだよ」
言葉に詰まった俺を見て、男が今日何度目かのため息をつく。
「友達が亡くなったことは気の毒だと思うけどさ。君みたいに突っかかってくる子は初めてじゃないんだよ」
聞きたいことは聞けたから。と、俺は外に追い出されてしまった。
なんであんなにまくし立ててしまったんだ。ニュースで流れてる通り事故だったんだろう。別にあいつが誰かに恨まれてたんじゃないかとか、あいつが死ぬ原因になったやつを恨みたいとか、そんな感情もない。
ただ俺は、あの日からもずっと、晶野がまだ生きているような気がしているだけなんだ。
俺はカメラの中の真っ黒こげのビルを覗いた。あいつが働いてた時に客として行けば驚かせられるかな、なんて、想像にしても少し意地悪か。
「君。話は終わった?」
警察署の入り口で立ち止まっていたところを、また話しかけられた。
「……なんですか」
「晶野くんのこと、慕ってたみたいだね。事故のこと気になるの?」
一呼吸おいて、俺は謎の男を見上げて言う。先の事情聴取の間、ずっと我慢していたことをようやく口に出せた。
「俺、晶野のこと知らなすぎるんです。3年間も一緒にいたのにですよ。勉強とか俺にたくさん教えてくれたのに、あいつ自身のことは何も教えてくれなかったんです。俺はアイツを親友だと信じながら、それを確かめられなかったんてます。そのまま死んでいなくなるなんて、そんなの」
俺が晶野のどこを好きになったのかわからないままじゃないですか。
正直、晶野の死は全くと言って受け止められていなかった。どうしていなくなったのかがわからない間、俺はずっともやもやして、あいつがいた頃の幻想にすがり続けるだろう。独りよがりのわがままだってことは分かってる。晶野が死んだことを家族からの連絡ではなくニュースで知るし、重要な友人としてまず俺に事情聴取しに来るようなこともない、所詮はそういう関係だったということも。
俺は嗚咽を漏らしていたことに気づいた。最後の一言は聞こえてないかもしれない。
「……話すことがあるから、ついてきてくれる?大瀬ケイゴくん。」
まだまだ日は高いところにある。俺は考えもせずに後を追った。前を進む背姿を眺めて、彼が服を着替えたさっきのお巡りさんの片方だったことに少し後で気が付いた。
【恋昏崎の「歌枕」という男に新宿歌舞伎町周辺の拠点に連れられる。晶野は死んでおらず行方不明になっているとした上で、同じく行方を探し求める大瀬と協力したいと持ちかける。】
「はああぁぁ……」
取調室のこの椅子で天井を仰ぐと、首が痛めそうでいつも気を使う。間違いなく今日一番のため息だ。遮光カーテンによる適度な暗さが、私の視界を歪ませる。
「ああいう役回りは苦手なんだよ」
見ず知らずの子供とはいえ、人を突っぱねて気分が良くなる人間がいるのだろうか。私はここ一週間ほどの激務で心身ともに疲労をため込んでいた。気を抜くと瞼を閉じそうになる。だが夜になると、不思議なことに睡魔は勝手に退散してしまう。
優秀な仲間を4人も失った私は、自分でも驚くほどに動揺しているのだった。
警察という立場を借りたところで、やはり有益といえる情報は向こうから出てきてくれない。友人の大瀬ケイゴという少年からも、晶野と前端の輪郭はつかめなかった。前端とは学年が違うだろうから仕方ない。晶野とは部活でも交流があってプライベートでも何度も会っているものの、普段の趣味や行動圏には詳しくないらしく、惜しい思いをした。まぁ、そのことと自分の睡眠不足を理由に八つ当たりしたことは別の話。
職員達の直接の死因は爆発ではなく、致死性のミームだ。財団による検視では少なくともそうなっている。それも、初心者でも扱いやすいが、確実に即死させる力は期待できないという、一部の異常団体が使うよくある安物だ。脳や心臓を捻り潰され、最後の瞬間まで苦しむ彼らのことを思い浮かべる。店を爆破したのも、死にきらなかった職員にトドメを刺すための雑なダメ押しだ。
少年と少女がまだ生きているなら、奴らに大して露骨に復讐心を抱いたりしたかもしれない。しかし私の厭悪の矛先は、別のところに向けられていた。
「子供の命はその分軽いってか」
独り言ちる。恋昏崎が新宿に来ているらしい。日々の何かから逃げ、また何かの操り人形と化している少年少女が、この街にはどれほど居るのだろうか。
新人は俺と同じ高校の、後輩の女子だった。
「晶野先輩。なんでバイトしてるんですか。校則で禁止されてるでしょ」
「そっちこそだろ?お互い内緒にしようよ、な?」
「私はもうあそこ行ってないからいいんですよ。先輩は、バイトなんかする余裕あるんですか?受験勉強とかは大丈夫なんですか?」
「俺は専門学校行くからいいの。学費の足しにしたくてバイトしてるわけだし」
接客未経験の前端さんはまだ幼さが残る雰囲気だったが、この辺には来慣れてると言っていたし居酒屋もたまに使うと言うので、俺は安心していた。
「3番テーブル呼ばれた!俺も後ろから見てるから、前端さん、さっそくオーダー受けてみようか。今日人いないし、さっき教えた段取り確認しながら、ゆっくりでいいよ」
テーブルの方を見ると、仕事帰りらしい4人のスーツ姿の男が、メニューを見ながら手を振っていた。そろそろ9時半を過ぎようという中であっても、彼らのグループしか来店していない。ここの居酒屋が新宿の穴場だということを抜きにしても珍しいことだった。
前端さんは少し深呼吸をしてから、フラフラとテーブルに向かった。
ちょっと!お客さんの前なんだから、緊張しないで!、声をかけようとしたその時。
「いら█████████████████すか?」
前端さんが何を言ったのか、うまく聞き取れなかった。でも不自然なことを言った感じはしなかった。
その声を発した時、男たちは同時に顔から血を吹き出した。胸を抑え、苦しそうに悶える4人の客。
彼女の後姿は肩が揺れている。絶句するしかない俺は何も理解できず、突然の惨状を前に膝をつきそうになった。
一人の男は、目、鼻、耳、口から絶えず血を流しながら、4人の中で唯一意識を保っている様子で、震える銃口をどこかから取り出して、彼女に向けていた。
「……ッ!」
何が起きているのか、まるで理解できなかった。彼らに何かを施した前端さんは、ひとりうわ言のように何かを呟く。その度に、対面の男は顔を歪ませていく。
目の前で人間たちが血を流して倒れていて、自分は拳銃を向けられているのに、全く動じていない様子だった。
彼女は足元に何かを落とした。
俺でもわかる、レモンのような形の爆弾だった。
これから激しい熱と光に襲われるそのときに、彼女は最後に笑顔を向けた。
「……先輩、私と一緒に逃げてくれますか」
言われるがままに俺は、初対面の後輩に手を引かれていた。そこからどう生き延びたのかは思い出せない。ただ当時の俺も、目の前の人間が助けを求めるなら俺ができることをしなきゃとか、そんなことが過ぎったのだろう。
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