本三話 -「三原」
 

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「げっとぉ〜!」
「……あの神様、死んだと思う?」


 現状の混沌の中において、明らかに場違いなほどに冷静な声。景色さえ差し替えてしまえば談笑とも取れる。


「ともあれ……っ! 今回は間に合ったって言っていいんじゃないの」
「言ってもいいんかなぁ……」


 手に巻きつけた黒々とした縄を細かくる。白髪の少女が現状評価を下し、黒髪の少女が、それに返す。
 至極平常の温度で会話を続けながら、目線は各々の持つ綱に繋がれたそれから片時も離していない。ちょこまかと逃げられてフラストレーションも溜まっていた頃だ。この機を逃したくない。
 私は前日までのあれこれを思い出し、綱を一層強く握り込む。

 今、参道近く、神様の半分が落ちる。
 参道入り口に立っていた少女の姿が、消えた。




懐疑かいぎ



 2015年7月27日。
 千葉県香取かとり市。
 農道を突っ切る白いワゴン。硬い後部シートに揺られているのは穴蔵・無所属フリーランスら計四名。
 乗る際に見えたドアには『上総一ノ宮かずさいちのみや』と神紋の五七桐ごしちのきりがプリントされているが、財団のカムフラージュ車両である。
 サイト-81SR-にて『信仰喰らい』に対する即応依頼を受注した私たちは、すぐさまの出立のためにJR香取駅まで送り届けられていた。

 旅館の祖父母に関しては、夏休み期間中は友人の元へ泊まり込みで遊びやバイトなどという、一般家庭ならば到底許されるはずもない理由をつけていても、相手を東国先輩の家とでも言っておけば許されていた。
 一応祖父母と先輩も面識はあるし、サキも一緒にいるので、菓子折りを持たされてさぁ行ってらっしゃいなどと送り出される程度の仲である。昔の価値観で生きているとも言えるが、おそらく祖父母としては自分たちがあまり活発に動けない歳と業種だから、先輩が私たちを旅行や遊びなどに連れ回してくれることを期待しているのだろう。そのための資金と思われるお小遣いも渡されるのでこれは多分当たっていた。

 運転手と面識がないから、特に話すことがない。
 幸いにして神宮と駅は近傍に位置しているから、考え事を巡らせるうちに停車する。微妙な空間の車内など、すぐ終わるに越したことはない。送迎に対する感謝と共に下車し、スーツケースをトランクから受け取る際、運転手から交通費の給付方法の伝達と航空機チケットを3枚受け取る。広島が2枚、名古屋が1枚。

 ここからの予定としては、羽田はねだまで電車に揺られ、国内線で広島空港まで飛び、あちらの財団サイト麾下へ編入される。交通費の支給は後々申請。少なくとも本件の進行中は継続されるそうだ。東国先輩の帰路分のチケットも出してくれるとは、財団にしては資金の出し渋りが少ない。それだけ本件は重要度が高いとも言える。なまじ熊野依頼を経験しているため、待遇差が際立つ。

 なおさらフリーランス雇用に疑念が膨らむが、こちら側がいくら勘ぐっても詮無きことだ。





「無理はすんなよ」
「わかっとるよ〜」
「何、一丁前に心配するじゃないですか。え、保護者?」
「みたいなもんだろ」


 羽田空港の搭乗口前で先輩を茶化して遊んでいれば、やがて広島行きのゲートが開く時刻。
 見送りまでは残っているくせに、特に手を振るでもなく突っ立っている先輩に軽く会釈だけして、ぶんぶんと可動域いっぱいに手を振っているサキを引きずっていく。普通に客の邪魔だった。





「酷いハシゴ移動だと思わない? 跳躍ポータルが使えたらいいのに」
「無理だよ〜あれ高いもん。大体恋昏崎とのコネも足りないんだし高望み〜」


 席を見つけ、荷物をしまいながら愚痴る。
 超常社会のマスメディア、恋昏崎新聞社は日本各地に跳躍ポータルを所有している。そんなだから情報を得るのが早いのだろうが、許可を取れば一般人にも使用が可能な代物。実際に使用したことはない。斡旋業者から聞いた話だ。そもそも一度の使用料がぼったくりだった。利権ったってあれは酷い。
 そんなわけで、飛行機やら電車やらを乗り継いで遠方まで行くのが常だ。

 トラブルもなく離陸した広島行き機内でシートベルト解除のアナウンスを聞く頃には、やっと夢川ゆめかわは大きく息を吐く。
 スマホは機内モード。本格的にやるべき事にひと段落着いた心持ちになる。隣で狭いながらも精一杯伸びをしているサキを見やり、改めて弾丸スケジュールすぎるとため息が漏れた。

 ここ数日の予定を見返そうと手帳を取り出して開いてみれば、なるほど。17日から今日に至るまでおよそ十日間、中に完全な休みを一日挟んだが、ほぼ依頼のために動いていたらしい。過去の私も余白に「我ながらハードワーク!」などと走り書きしている。なんの因果か、熊野で厄介ごとを拾わなければ、今頃は先輩宅の畳の匂いでも嗅ぎながらラムネを飲んでゴロゴロしていたのではないか──などと考えて、すぐに捨てる。


「ねぇサキ」
「何?」
「なんか、ここまでやけに準備が良すぎない、って愚痴」


 今は夏休み真っ只中である。遠距離旅客輸送は繁忙はんぼう期。
 機内は満室。旅行客も多いのに、今日依頼受注を取り交わしてから、よく横並びの席を取れたものだ。


「このチケット、まるで私たちを元からこの依頼に充てるつもりで買ったんじゃないかって、連中ならやりかねないじゃない」
「まっさかぁ。急ぎの依頼だったっぽいし、あらかじめ人員派遣用に押さえてたやつを私たちにスライドしたんじゃないん?」
「まぁ、そう考えるのが普通なんだろうけど」


 「なんか、穿った見方したくもなるじゃない」などと零せば、サキは苦笑する。やはり財団の向こうの都合の良いように動かされている感はムカつきが勝つ。フリーランスの職務的に、ある程度そういう駒としての動きは求められるとはいえ、それでも癪である。己の性格的なものもあるとは思うけれど。



 
「まぁでも、私だって昔から正夢とかデジャブっぽい事よくあるし〜」
「……あぁ、いつもの勘ね……例えば?」
「熊野旅行は途中で帰る夢見たし〜、依頼受ける夢も見たし〜花畑が燃える夢も見たし〜東き──「そんなのあるあるじゃない」」
「はぁ〜〜……私の好奇心が損したかも」


 サキは「ひどぉ〜」と膨れて、アメニティの有線イヤホンで機内ラジオを聴き始める。途端に手持ち無沙汰になってしまった。本の一冊でも用意しておけばよかっただろうか。

 どうしようかと思案して自然と目を遊ばせた窓の外。よく晴れた関東が広がっている。先ほどまでいた香取神宮の位置に、大体で目星をつけてみた。

 思えば不思議な職員だった。
 あの、チャラついた職員は、名を羽倉栄はくら さかえと言っただろうか。


 ──しっかりと職務怠慢の雑な人間。


 それが第一印象。しかし、それはすぐに改められた。もう一人の職員が緊急地震速報の直前に退出してから本格的な交渉に入った途端だ。彼の雰囲気が財団のそれになったという点で、あの態度はあえてだった可能性が高い。後半の職員然とした態度を見たからこそ、違和感が際立つ。
 ではなぜ? と問われるとそれは掴めない。単純にこちらをガキだとあなどっていたか、はたまた。

 私が“お膳立て”を感じた箇所はここだ。最初、メール問題の確たる証拠であるガラケーを出し渋ったあの行動。あれは不可解極まりなかった。しらばっくれるなら最初からあの場に持ってこなければ良かった話である。その後も、まるで元から提示するつもりであったかのように依頼契約書類が差し出されたのも、この感覚を一層強化している要因。

 意図の掴めないまま手駒になるのは職務内容を別として私が一番避けたい部分だ。
 彼は、一体何を考え、何をやりたい。




 サイト-81SR-阿。聴取室。

 白を基調に、可能な限り角の削られた調度品が並ぶ部屋。
 羽倉栄は、机を挟んで対面に座るベスト姿の男に対して、どう声をかけたものか、何から聞くべきかを決めかねていた。

 名を暫定的に鈴木橙すずき だいと置いたその男の見てくれは、遭難者としては妥当で、しかし現状と照らし合わせればどこまでも奇妙だった。
 ベストとグレーのシャツは煤けていて、ところどころに傷みが目立っている。毛束の荒れた白髪と銀縁の丸眼鏡。その奥には色素の薄い瞳が不安げに揺れている。どこか親しみを覚える顔で、疲れた人間の顔だ。


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 彼の疲労と不安は理解はできるつもりだ。発見したフリーランスの報告によれば、この男が目覚めて最初に見たのは荒れた廃墟の天井。事態の把握もろくにできないうちに500キロメートルほどを移動し、今は無機質にも程があるこの部屋で、全く知らない男が目の前で黙っている。こうもなろう。


「ア〜、なんだ。まァそうだな……」


 しかし相手を慮ってばかりもいられない。
 そろそろ何かしら情報を得に行かなければならない。俺だって色々一杯一杯なんだ。勘弁してくれ。


「まずは自己紹介からか。羽倉栄だ。財団の神話やらをこねくり回す部門の枝部署で管理官をやってる。質問があるなら簡単なことだけ答える」


 「……では、財団」という言葉を鼓膜で捉えた瞬間、露骨にテンションを下げる。
 面倒くせぇ。こいつが超常側の知識を有していなかった場合、遡る基礎部分は気の遠くなるほど順序立てて説明する必要がある。この男にとっては気の毒なことに、しばらく身柄は財団に飼い殺しになるから教えることは可能だ。しかし、そんな労力を割くよりも聞くべきことがある。その辺りの詳細はおいおい高辻たかつじあたりにでも投げるとして。


「この世界は『不可思議』に溢れている。それらは人類に力をもたらすこともあれば滅ぼしうるものもある訳だが」
「不可思議」
「あぁ、大前提だ飲み込め。そう言ったものどもは適切な管理と調査をすることで既知に落とし込み、科学することができる。『不可思議』を知らない人間がそれを知らず平和に過ごすために『不可思議』を確保、収容、保護するのが我々財団の業務内容ってェわけだ」


 控えめに首肯しゅこうするのを見届ける。どうやら、理解したらしい。そういうことにしておく。


「さて、我々財団から見た君はまさに『不可思議』なわけだが……君の携帯から送られたあのメールは一体なんだ?」
「いえ、その。私はどうやら……過去の記憶を失っている状態であると、先ほどのお嬢さんたちから説明を受けていまして」
「そうだ。そうだとも。そうなんだろうなァ。別にそこは疑ってるわけじゃねェ」


 考えうる可能性は時空間異常。でなければ、確かに10年前に届いたこのメールと、この記憶喪失者の身体的状態の辻褄つじつまが合わない。

 単純かつ、一番筋の通る推論としてはこうだ。
 彼と共に発見されたガラパゴス携帯によって、10年前私の携帯に問題のメールを送信。その後ほどなくして、彼の周囲が時空間異常に巻き込まれ、時流が極端に遅滞する。
 これであれば彼の衣服の損傷具合、体毛、フリーランスの証言などが合致する。廃墟内部の食品が腐敗しきっていないという特徴と、廃墟内植生の繁茂はんも速度に矛盾が見られることだけが、懸案けんあん事項だ。

 また、私の携帯にメールが来たということはまず間違いなく交流はあったはずであるが、全く記憶のないことを鑑みるに、その事案発生の際、なんらかの記憶阻害系事象が作用し、我々が彼に関する知識を認識できなくなった可能性がある。
 そうなると気になるのは、彼の正体だろう。
 財団から廃墟へ調査チームを派遣することになるから何かしら情報が得られるならばいいが、何も得られなかった場合、この男は人間でない可能性すら拭えないのだから。





 俺の後方のドアから硬質なノック3回。金属質のロックが稼働する音がして、入ってきたのは高辻だった。


「片付いたのか」
「記録はしてきた。まぁ、今すぐどうということはないかな」


 高辻は鈴木に対して律儀にも会釈をしてから、彼に対して今後の展開をかいつまんで伝える。


「今日付けで、鈴木さんは我々の用意した区画で入院措置という扱いになります。こちらの都合で申し訳ありませんが、ご協力をお願いします」
「……警察病院のようなものでしょうか?」
「えぇ、そのように思っていただければと思います。少なくとも、衣食に関しては問題ないよう手配されますので、心配はありません。ひと通りの検査や聴取が終了して周辺が落ち着いた頃に、また詳しいことは話しましょう。どうせこの男からは大したことは解説されなかったでしょうから」
「いえ、まぁ」


 俺を貶しながら、高辻は部屋のドア前に立つ。医療班が到着するまでここで待機するらしい。
 そのまま二言三言、鈴木の疑問に高辻が答える形で応酬を続けていると、鈴木は先ほどの面子めんつに言及を始めた。


「私を助けてくれたあの子達は、どういった方達なんでしょうか」


 フリーランスについてか。
 確かに年端もいかない少女が一丁前に交渉の場に立ち、書面上の契約として責任を負うという一連の場面を見ていれば、気になるというものか。


「彼女らは通称フリーランスって呼ばれてる区分の職に就いてる」
「見たところまだ若かったと思いますが……」
「中学生だ。どっちも両親はいないことがわかってる。事故死か離縁かの差はあるがな。そういった連中で、少しこっちの世界に足を踏み入れた連中のセーフティーネットにもなってるのがフリーランスって仕事だ」


 違法就労や搾取じゃねえぞ、と念を押す目線を鈴木に飛ばした。


「まあ君を助けた片方は祖父母宅に引き取られて比較的マシな道を辿ってる。金が稼ぎたい理由は切実だがな」
「そういう人たちしか、いないんですか?」
「いや、古くから異常の側にいた家の人間が、そういった職について仕事をやる場合もある。君を助けた中に男がいたろう。あの子は……まぁ、そういう類の出自だ」 


 再びドアがノックされる。
 高辻は内側からドアを開け、半身だけ出して何やら話し合っていた。
 しばらく続く無言の時間に、腰を深く据えなおそうとしたところで、高辻が戻る。


「すみません、席を外していました。この後、鈴木さんにはCT等の精密検査を行なっていただきます。扉の外で医療班が待機しておりますので、そちらの指示に従ってください」
談話お守りタイムも終いだ終い。お疲れさんだァ」


 俺の言葉に何か言いたげな目配せをして、高辻は鈴木を誘導し、医療班に引き継ぎをし始める。
 机の下に足で椅子をしまい込んで、最後に部屋を出る。「ではまた」と見送る高辻の隣で、鈴木の背中に「次会うまでには、なんかしら思い出しといてくれや」などと呼びかけて、白衣のポケットに片手を突っ込んだまま見送った。




 研究室に戻った高辻は、想定外の連続で疲労を感じ始めていた。
 自分のデスクに置いたマグカップには、普段より気持ち濃いめのインスタントコーヒーが湯気を燻らせている。
 机上のラックには進行中プロジェクトの諸資料や、参考文献や論文のコピーファイルが綺麗に整頓せいとんされ、高辻の性格が色濃く出ている。

 まだ熱いコーヒーの苦さで喉を焼いて疲労を誤魔化し、起動したPCで先ほど対応してきた地下での観測結果を取りまとめる。
 22の時にサイト-81SR-うんに配属され、もう12年ほど経っている。すっかり慣れた作業。
 手早くまとめたレポートをコピー機に転送し、また一息つく。傍らのコピー機が規則的な電子音を鳴らし、稼働中を示す緑色の動作灯をしばらく見つめる。それが赤く停止を示すまで、そう時間はかからない。

 高辻は、ラックから【サイト-81SR-阿吽 合同収容神格収容事例 | 第五◯七一】と表記されたテプラの貼られた無機質なファイルを抜き出して、たった今吐き出されたコピーを綴じた。

 手の中のファイルは、ずしりとした質量を伝えていた。随分と膨大な資料だ。この五千冊越えのデータ全てを私が記録したわけではない。かつて閉架資料室で閲覧した限りでは、サイト-81SR-阿吽が設立された時期よりも前、蒐集院の記録したものがこの資料の初記録だった。現在の観測業務を担うのが、私の所属する神話・民俗学部門の専門チームたる信仰消却対策課であり、私がプロジェクトの第一責任者であるために、偶然にもこの資料の厚みを増やす仕事をしている。
 この課自体は私がこのサイトに所属する一年前に発足したもので、歴史は浅い。トップの席に、あのおチャラけた私の同僚がいることはにわかには信じ難いことだ。

 ひとまずのデスクワークを片付け、今後の調査のすり合わせるために羽倉のオフィスへ向かう。
 ヤツに聞きたいことは山ほどある。



 ──煩雑はんざつ

 この部屋に入室した人間は、誰でも似通った印象を抱く。
 入ってすぐのハンガーラックはとうの昔に飽和し、溢れた上着が無造作に積み重なってたわんでいる。
 デスクの隅にはオートクレーブや、シャーレ、パスツールピペット、培養器なんかが並んでいて、低い振動音がこの部屋唯一の環境音だ。デスクの上は何やら配線が入り乱れていて、かろうじて結束バンドでまとめられている。そしてそのデスクの余った部分に肘を置いて無気力そうなのが、この部屋の主である羽倉栄、神話・民俗学部門 信仰消却対策課 管理官。与えられた部屋に対して、あまりにその姿は小さく見える。デカいのは態度ばかりだ。


「つまんねえ用事かァ」
「つまんなかったらこんな部屋来ないだろうね。片付けたらどうだ」


 不機嫌そうな彼は、こちらを見ようともしない。デスクの上では、羽倉のガラケーが赤く光っている。充電中らしい。
 適当に段ボールを脇に避けて、本来なら来客用であるはずのソファに腰を下ろす。財団の空調システムのおかげで、あまり埃っぽくはない。これで空調が貧弱なら病気になる。


「何モンなんだろうなァ奴はよ」
「俺に聞くなよ。一番関わりのありそうなお前が知らないんじゃな」


 俺のしたい話は直近で何も掴めない鈴木橙に関わるものではないのだ。
 彼の独り言とも問いかけとも付かない言葉をにべもなく切り捨てて、本題に入る。


「あのメールだが」
「……」
「お前、なんであの時忘れていたフリなんかした」


 ずっと気になっていたことを問う。さきほどは緊急事態が挟まって場を逸してしまったから。
 耳に微かに張り付いたままだったサイレンの残響を意識的に追いやって、羽倉の方をまっすぐ見据える。
 黙ったままの彼の表情は俯いていて知れないが、わずかに身じろぎをしたことだけはわかった。


「……フリってぇとなんだァ? お前、俺が芝居打ったと思ってんのか」
「この後に及んで惚けるのか?」





 オートクレーブの振動音が間を埋める。
 明らかに適正のない羽倉栄という男が管理官クラスのポストについた理由を、俺は知らない。

 かつては幼馴染。そして同僚。今は、上司。

 同僚から上司への関係性の変化は、彼との非接触期間を経て達成された。しかしそこには、己の記憶からして埋められないほどの溝と違和感が立ち塞がり、彼の連続性に靄をかけている。
 彼のかつて吸っていたマイルドセブンと、酵母培養が三度の飯よりも好きだという二点だけが、こいつが間違いなく昔の羽倉と同一人物であることを確信する根拠だ。
 
 だが確信することと疑念を抱くことは背反ではない。


「……ダテに昔馴染やっちゃいねえなァ」
「俺はお前の下で動いてるんだ。隠し事も大概にしろ」



 ありきたりな皮肉で言葉を濁す羽倉に、小さく、苦言を呈す。
 諦めたようにため息をついた羽倉は、憎らしげな表情で顔を上げた。その眼差しに向けて、俺は歯に衣着せずに言い放つ。言えない事情なぞ、俺には関係がない。愚痴くらい言わせろ。


「お前の行動は不可解でな」


 羽倉は、片眉をぴくりと上げて、あごに手をやる。腹の中に何かあるときの癖だ。

 大体さっきのメールだってそうだ。ガラケーだって今まで来た時に充電されている姿なんて見たことがない。充電コードもなかった。あの特徴的な平形端子はこの乱雑な内装の部屋にあってもよく目立つ。明らかに釣りの時の電話を受けた後、充電コードから引っ張り出してきたということになる。電話口での会話を知っているわけではないから、その中でメールの文言を先に伝えられていた可能性はあるが、だとしてもあれだけ最初に素知らぬふりなどしたのか理解に苦しんだ。そのくせ以前の話の通り、あの穴蔵2名を派遣する方向性で準備を万全にしていたことも一層謎を深める要因になっている。
 そう、そのあたりの行動が不可解。


「なぜこれだけ派遣までに時間を要した? 穴蔵を待つ必要性はあったか?」


 サイト-81BK──厳島からの「信仰喰らい」発生報告は19日に受電。実際に派遣したのは今日、27日。

 経過期間は実に一週間以上だ。22日には厳島を襲撃した連中の逃走先を選出した報告と、再度の派遣要請が飛んできたが、ここから更に5日も時間を要したのは、判断ミスと言わざるを得ないのではないか。ああも遅滞させるのは、単なる怠慢ではないのか。今回派遣が間に合うのは、ひとえに相手が未だ致命的な破壊を引き起こしていないからに他ならず、薄氷の上でタップダンスするようなものではないか。


「結果論という反論は受け付けねェ。その上で、だ。あちらサン随分とロストが早ェもんで、こっちにゃ事案の発生とロストを一緒に送ってきやがった。だから初回の派遣は断念、様子見に徹したってわけだが。再捕捉される前に送ったところで専門性の異なるフリーランスが腐る。どうしたってェ後手には回るやな」
「確かに間に合わないこともあるだろう。むしろその場合が八割だ。だが、逃走者の捜索の人員補填、後詰めとしての役割は担える。それこそフリーランスならすぐにでも派遣できたはずだ。異論は?」


 サイト-81BKや我々のサイトは神格研究サイトという区分にあたり、要注意団体に分類される宗教団体の監視や牽制けんせい、神格の調査や管理、信仰の観測などの任務を担う。人的リソースに余裕があるわけではない81管区において、基本的に神格研究サイトの人員は最低限に留められる。無数のオブジェクトを管理する必要がほぼないことと他にいくつか理由はあるが、どこも似たような状況だ。
 羽倉は脱力した全身を急に起こして「オーケー」と一言、器用に散らかった部屋を歩いて壁際へ向かう。
 唐突な彼の行動にいぶかしげな高辻を尻目に、羽倉は乱雑に壁際に押しやられたホワイトボードを引き摺り、俺のソファの前まで持ってくる。落ちの悪いクリーナーでガシガシとインクを削り取って出来た空白に、羽倉は口頭で説明しつつ、マーカーで整然とした字を書き始める。


「お互い忙しかったからなァ、こっから先も荒れるだろうなァ」


 とん、と書き終わり特有のピリオドを打って、彼は振り向く。


「見ての通り、サイト-81BKから初めて『信仰喰らい』の通告があったのは19日。報告は後でログでも漁れ。その後潜伏状態に入り、EVEから再捕捉を目指すと情報共有があったから我々はここで一旦立ち往生だ」


 出来事の要点箇条書きには、私向けに来た富多楽豊会の活性化の報告も記されている。十中八九『信仰喰らい』に対応した動きだ。サイト-81BKはそちらの監視を行うことでも対象の位置測定を試みていた。数少ない人員で良くやるものだと思う。なまじ非異常性のカルトである上に、信者も日常に多く潜む。これも非異常性だから判断がどうも困難を極める。実質的に人員を割かざるを得ない。
 しかし、富多楽豊会の活性化とはつまり、本拠の連中もそちらに流れていることを意味する。内部にメスを入れて情報を更新するのにはもってこいとも言えた。ゆえに明日あたり、東国斎と丸山結と名付けられた神霊体を餌にした現状の内部事情依頼をかけようとしているところだ。


「あちらさんのサイトが伝えてきたここからの方針と、その後の進展はこうだ」


 かつかつ、という音と共にマーカーの先が指し示すのは、その後のサイト-81BKの対応方針。
 EVEの極端な励起場所の特定と、富多楽豊会の人流から見る対象の推測を並行し、対象の目的地を割り出す。
 確定した場合、速やかに『信仰喰らい』事案の本部である我々サイト-81SR-阿吽に該当能力を有する人員を地点へ派遣する。
 サイト-81BKとの合同作戦を行い、事案の発生に合わせて呪術的手段によって神格を固定し、術者の確保、神格の剥離を行う。

 21日。当初想定されていたフィールドエージェントの派遣をフリーランスに変更。ロストによる『信仰喰らい』事案の一時膠着がサイト-81BKから通達され、EVEの再捕捉による目標推定の方針が発表されたことで、より対神格において融通の効く人員を選定する時間を得たためだ。この後、羽倉から夢川初および現田さき2名の穴蔵所属フリーランスが候補に上がった。
 なお、この段階でサイト-81BKから補填人員を再度要請されている。25,6日には何をとち狂ったか、羽倉は業務規定に則り無理やり夏休みを消化し始めた。ただ、26日午後には例の電話が来て撤収した上、夜にはサイト-81BKから『信仰喰らい』の次点目標が「広島中東部」であること、また富多楽豊会が集結した旨を通達される。
 そして今日。27日に依頼を正式に契約したわけだ。が、


「なぜ穴蔵F組に固執する? 何か意図があってのことか? 他にも候補はあっただろう」
「固執してたわけじゃあねェ。熊野依頼を対応していたお前の元に東国から熊野依頼の団体申請が来たろう。あのメンツに穴蔵二人が含まれてるのを共有された時点で、俺は別のフリーランスも選別中だったさ」
「そんなに時間がかかるもんかよ。さっさと検討段階にはいりゃいいものを、何をしてたんだ……たまたま鈴木橙という人間を見つけてお前に連絡をとって来なけりゃ、今頃後手だったかもしれないんだぞ」
「奴らが戻ってきちまった結果として、事態は良好だがなァ」





「……クリアランスか?」


 羽倉はその軽薄な表情を崩さない。しばらく見つめあって、一向に口を開く気配がないのを悟って目線を下げる。
 結局何の答えにもなっていない。むしろ、整理されるほどに杜撰という言葉が脳裏に浮かぶ。利敵行為にすら。

 幼馴染。そして同僚。疑いたくなどない。
 羽倉栄という人間はなぜこうも変化した?
 そうさせる理由はなんだ?

 眉間の皺を親指で二、三度ほぐしながら「そうか」とだけ呟いて、ソファから腰を上げる。
すっかり張りを失ったソファは座っていたところが落ち窪んで戻る気配もない。





「とりあえず掃除はしろよ」


 ただ沈黙を貫き続ける羽倉の姿を置いて、静かな白基調の廊下を戻る。
 このサイトにおいて、不和は致命たりうる。ただ幸いにして、個人的な不信と疑念を滲ませないすべは心得ている。すでにあの部屋の空気は消え去っていた。
 質素なビジネス用の腕時計をチラリを見る。用意したチケットから考えれば、そろそろ東国は空の旅から帰っている頃だ。あとで連絡しなければならないが、その前に一つ片付けねばならないこともある。

 スーツの内ポケットからスマホを取り出して、手早く電話帳をスクロール。目当ての名前を見つけて、躊躇なくコール。
 1コールで、無機質な女性の機械音声が聞こえた。


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後手ごて






「この作戦班の主任だ。君たちは本依頼中に限り、我々財団の結成した対神格班に編入される」


 広島空港に舞い降りて十数分。実に利便性に乏しいで有名な空港で、偽装されたミニバンに形式だけの合言葉を唱え、あれよという間に地方都市の主要道路を少し逸れたところに降ろされた私たちはコンクリートの建物にいた。一見して事務所のようなそこは、しかし内装は随分と荒れていて、デスクの類は一部を残して壁の端に押しやられている。残された長机は複数繋げられ、地図やピンを広げ作戦机として使われているらしい。中央で周囲に指示を出しつつ、私たちに肩書きと所属を伝えた男は、名を佐伯さえきと名乗ったきり、挨拶もそこそこに指示を飛ばす作業に回帰した。
 部隊特有の規律の取れた返事の応酬。さながら記録映像で見る自衛隊の作戦風景のような風景の中に、無知で踏み込むほど不躾ではない。ただ横で情報を整理に努める。主任といった男は筋骨隆々というわけではなかったが、スーツの中にはしっかりと身が詰まっているらしい。佇まいがビジネスマンのそれではない。周囲の班員に関しても、総じて身は細めに見えるが、こちらも主任と同じようなものだろう。インテリヤクザだけを詰め込んだ暴力団事務所にしか見えなかった。


 ──遊撃させては、くれないんだろうな。


 班に遊撃がいて成立するのは、あくまで全体の練度が高い場合に限られる。フリーランスなど信頼関係のしの字もない連中を組み込んで、あまつさえ遊撃など、常人であればやらせはしない。


「続いてフリーランス」
「……はい」
「我々の活動方針は理解したか、したな? していないなら後で聞きに来い。我々は今この時点からEVEの極端な励起場所を特定し、対象の位置する目的地を割り出す。先日、我々のサイトにカチコミに来た時にEVEの特性はプロファイルしてあるから、発生すれば特定は容易だ。発生地点に速やかに向かい、呪術的手段によって神格を固定し、術者の確保、神格の剥離を行う」


 黙って聞きに徹していたことを把握していたのだろう。こちらが事態を理解していることを前提で話を進めてくる。しかし、実際のところすべきことは単純。財団の駒に徹し、指示された場所で神様を磔にして“えんがちょ”するだけ。となればその手段に加えて、対処すべき神性の詳細も知りたい。
 差し当たっては神性が神妖どちらに近いか。その問いに、主任は「おそらく」という枕詞をつけ妖怪に近いと判断していると答えた。


「先日の一件で、対象はEVE拡散による計器撹乱かくらん……失礼。つまり一般に神気、霊力などと言われる力で神隠し現象を引き起こし、逃走を許すことになった。その際に残した霊力EVEから、妖怪や零落神に見られる特有の情報・形状が見られたことが判断の要因だ」
「……はい! は〜い質問! それって神隠しされたら取り逃さんの?」
「肉眼での補足は可能だ。影響を受けるのはあくまで機械系らしい。熟練した神性の神隠しであれば人間の目も誤魔化せることも今回の神性存在を妖怪側だと判断した理由の一つだ。とはいえ不確定情報も多い。逐次情報は更新されるだろう」
「おぉ〜承知しました!」


 いささか場違いなサキのテンションと疑問にも淡々と答える主任は職務に忠実で、まさに財団といったところだ。
 ともかく、明日朝財団が対象を捕捉し次第、任意の交通手段で移動。事案発生先に急行し目的を達成。班全体で地域移動を行うことは理解した。
 現段階で可能なことは、本活動に必要な装備の受領と休養くらいしかないらしい。主任はこちらの情報共有に一旦の区切りがついたと見るや、私たちをここまで移送した運転手に指示する。装備の説明と配布はここで済ませるらしい。いつ捕捉されるともしれない対象に対して即応するには、これらを身に付けた上で就寝する方が理にかなっていると言えばそうだが、いかんせん寝心地の悪くなりそうなもので、内心で渋い顔をしておいた。
 案内されて入った、一見して普通の更衣室に見えるロッカールームは、しかしそのいずれにも重厚な鍵が鈍く蛍光灯を反射している。おそらく班員に支給される装備類の収納なのだろうそれの一つを慣れたように開け、中からいくつか貸与呪具の説明と分配を行った後、早々に四畳間へ籠ることになった。この宿直室もどきの部屋に生活感はない。ペーパーカンパニーここにありといった感じだ。


「対象の捕捉次第、こちらに連絡が飛びますんで、すぐに出れるようにしてください。明日以降は交代制での追跡にはなりますが、今のうちに寝るフリでもしておいた方が楽です」
「……はい」
「では」


 室内の軽い設備案内だけをおいて、案内は早々にドアを閉めて出ていった。あのオールバックは空港の送迎時からずっとそっけないが、退出時に一度会釈して出て行くくらいに社会性を残してはいるらしい。


「少なかったねぇ、人」
「人間と違って特殊な捕捉方法があるから……とは言え、それでも少なかったわね。精鋭ってことなのか、単に人員不足なのか」
「でもみんなシゴデキそうだったで〜」


 そうね、と呟いて、さっき支給されたばかりの護身装備を手に取る。二十センチくらいのシンプルな樹脂製グリップ。側面のストッパーを握り込むと、シャッと軽い擦過音と共に金属製の棒が伸びきる。何回か振って見て、空を切る音を聞いた後、サキに目線と愚痴を投げた。


「ねぇ、いくら神格相手で一般の物理攻撃が意味をなさないからって、特殊警棒一個じゃ心許なくない?」
「……でも銃持っとっても私まず当たらんしぃ〜」


 それもそうだと、体温より数度低いグリップを数回握った後、右の腰まわりに取り付け直す。外部の人間にそう簡単に超常のハイテク武器を与えるわけもないし、サキの言う通り、よそで軽い射撃訓練しかしなかった私たちが本番で扱えるかといえばNOだ。サキはサキで「なんこれぇ〜」とか唸りながら支給された呪符を室内灯に透かしたり、至近で睨めてみたりと興味津々の様子。
 それで違いがわかれば苦労はしないけど。私たちの手製呪符だって、必要な効果は発揮するのだしストックが増えたくらいに思っておこう。


「……あ、サキあれ頂戴」
「櫛?」
「そう。神様相手取るなら身につけた方がいいでしょ」


 彼女は自分の荷物を漁って櫛笥くしげを紐解くと、その中から一本ほいと抜き出して、こちらに投げてよこす。
 挽歯式の素朴な木製横櫛よこぐしだ。それを何度か自分の髪に通して、自然に抜けた毛を巻き付けてから、後ろでまとめた髪に髪に差す。


「やっぱ印象変わるなぁ、お初がそれつけるとさ」
「言っときなさい」


 適当に流して、煎餅布団を敷く作業に入るところ。





 急な警報音に、飛び起きる。
 ここ数日で何度も聞いた音。すっかりだらけきって、ゴロゴロとスマホを眺めていたサキが軽やかに身を起こす。備え付けのラジオからは、地震速報のあの警報音と男性の無機質な声のループ。落ちるものなど天井以外にないから、憂うべきはこの建物の耐震性程度か。

「おっきいなぁ……最近多くて困るぅ〜」「慣れるよりはいいでしょ」などと平常の延長のような会話を交わしつつ、一応ドアを開けておく。もうこの辺りは四年前の教訓で多くの人が当たり前にやるようになった。良いことと言えば良いことだが、起きないに越したことはないわけで。
 小型の直置きテレビのリモコンを探して適当に情報番組に合わせる。ちょうど夕方ワイドの時間だったらしい。枠外に地震の情報が示されていて、最大震度は4。震源は広島南西部。アナウンサーが断層地震であると発表している。


「断層地震だって。ま、職員が飛び込んで来ないんだから、のんびりしてましょ」


 せっかく敷いた布団に転がって、適当にSNSを流し見る。横になると急激に体の疲労が全面に滲み出す気がする。朝から熊野、千葉、そして広島。まともではない。いくら若くて体力をつけていても疲労もしよう。
 まぶたを押し下げようとする眠気になんとなく抗いながら色々と情報を拾うと、先ほどの地震の影響で、トレンドは地震一色。どこぞの山で土砂崩れなんかも起きているらしいから、被害は出ていそうだ。何やら陰謀垢らしきものも活気付いて、街中で撮ったであろう椋鳥の大群をあげて嬉々として予兆だなんだと喧伝けんでんしている。都会じゃ駅前で無限に見るからか異常と言われてもいまいちピンとこない。自宅の窓から撮った雲ひとつない宵の空、石川や静岡の方で揚がった深海魚、政府は人工地震をやめろ、原発、テレビの専門家が素人でも言えることしか言わない、地震速報の音が嫌い、録画の邪魔……この四年で人間はあまり学ばなかったらしい。

 情報と不安と楽観と愚痴で彩られた濁流を流し込むうちに、自然と意識は落ちていた。




 最悪な寝覚めの朝。7月28日。
 叩き起こされる覚悟はしていても、普通に六時置きだとは思わなんだ。もう少し早ければ逆に寝覚めが良かったのに。というより、そんな早くに捕捉されたということは、向こうはとことん隠密する気だということである。
 それなりに人の居る車内で吊り革を眺めながら、インカム越しに流れてくる情報を頭に詰め込む。
 山陽本線上り列車。その車窓からは、ちょうど潰れた県道33号と寸詰まりになったいくつかのトラックが、荷台の上面を光らせているのが見えた。昨日の地震の影響で発生した土砂崩れらしい。……あそこが通れていれば、車で移動できたのだが。
 起きるや否や車に詰め込まれて駅に行ったのには驚いたが、ここは山間部、そんなこともあるし、ひとつ道が潰れると大回りを要求される。

 ともかく、曲折がウヨウヨして、私たちは今ひと足先に電車で財団が割り出した地点へ急行していた。日はそろそろ山嶺を超える頃で、各駅でドアが開くたびに湿った温風が顔を撫でる。
 対象は現在再び潜伏している様子ではあるものの、最終捕捉地点を照らし合わせると、鉄道を用いて瀬戸内を東へ移動している。使用路線はJRくれ線。このままなるべく餌となる信仰が多い場所を選ぶならば、降りる場所は三原みはら駅。山陽本線と呉線の合流する地方都市だ。



 何度目かの停車と発進を繰り返し、車内アナウンスが三原を口にすると同時。荷物を持ち、席を立ってドア前に立つ。名古屋のそれより十倍は長い時間を持って、南から合流した車両と競うように並走する最中、首筋に特有の気配が触れた。


「──隣やね」


 並走する車両。窓越しに見える赤銀の真新しい車体に目をやったサキが言う。それはほぼ同時に別々のホームへ滑り込んで、私たちはドアが開くと同時にホームへ飛び出した。向こうの人混みの中でひときわ神気の強いところを探して、それを見つける。


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「見つけた……ポニーテールッ!」


 下階段へ駆け出す後ろ姿と靡く特徴的な黒髪。それを横目に捉えて、少し離れた階段へ飛び込む。
 一段飛ばしで駆け降りて、改札へ差し掛かる頃には、気配が拡散していた。


「──あぁっ! もう気付かれた〜」
「まだ遠くには行ってないでしょ」


 改札を出て呉線改札側。遅れて降りてきた会社員たちが、まばらに出てくるだけで、あの女の姿は見えない。先に出たと判断して、構内から出て周囲を見回せば、すでにだいぶ離れたところを走っていく姿がある。それは早々に路地裏に入り込まれて、ロストするまでそう時間はかからなかった。
 遅まきに追っては見たけれど、やはり気配を捉えないことには見つけようがない。





 数時間置きに発生する捕捉報告に、あの後遅れて到着したワゴンに乗りながら急行すること数回。見つけるのはいずれも食い散らかされた神気ばかりで、フラストレーションばかりが溜まる一方。


「ゴキブリ退治よりも効率が悪い」
「口悪ぅ〜 マイルドに! マイルドに!」
「知ってる? サキ、外のゴキブリはね、黒いの。だからあのすばしっこい黒髪にはぴったり」


 へ〜知らんかった、とかなんとか感心するサキは無視して、座席をリクライニングさせて全身を溶かす。
 駅前に停まった軽ワゴンの中、閉められた車内用カーテンから少し見える街路樹には、椋鳥むくどりの大群がゲーセンレベルの騒音と糞を撒き散らしていた。その上では街路樹が満室なのか、あぶれた連中がマーマレーションをっている。もう五回は天井から糞の被弾音を聞いていた。もう夕方である。


「あいつら本当にハイドしかしないじゃない」
「だって向こうは捕まりたくないもんな〜……そりゃ慎重にもなるが〜」


 耳につけたインカムは定期報告だけで、ここ一時間ほどは何もない。あっても到着する頃にはとっくにもぬけの殻で、一帯に漂う薄い神気と、中身の割れた祠なんかが残されているのだから、徒労感もひとしお。食い散らかされた料理をボランティアで片付けている気分になる。心中で何度親指を下げたか分からないが、あと十回くらい下げてもバチは当たるまい。

 大体、最終目標として財団が目星をつけた神社で張っておくのが最適なのでは? まぁ、被害に遭う寺社は多くなるのだけれど、完璧を期すならば最適解はそれだろう。現に全て手遅れなのだからあまり変わらない気もする。白昼堂々出待ちしておいて、街中で下手に暴れられても始末に追えないと言うことなのだろうか。
 財団が目星をつけたのは『信仰喰らい』依頼受注の時に言及された中抜き鳥居が目印と言われた場所だが、名前は知らない。祭神に関しては、ここらの土地を鎮守する産土神、そして五穀豊穣の神らしい。宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ、つまりお稲荷さんと呼ばれているが、本来の産土は別の神だろう。なんでも気性の荒い神だったらしく、たびたび山肌を崩したり下流を氾濫させたりするものだから、祀って祟りを鎮めた祟り神なんだそうだ。


「昨日の土砂崩れだって、そこの神様のせいだったりするんじゃないの」
「そういった報告は上がっていない。まぁ、土砂崩れだの洪水だのは、古代の農耕にあたっては新たな栄養素を運ぶ貴重な手段ではあるからな。祟り神であって、豊穣の神なんだろうさ」


 喃語じみた曖昧な返事を運転席に返す。別に返事を求める呟きではなかったのだけど、運転席の職員も暇をしていると言うことだろうか。少し見える指は、ハンドルをテンポ良く叩いてFMで誰かがリクエストした音楽にノっている。暇なんだな。
 確信して、また窓の外を覗く作業に勤しみ、船をこぐ。

 結局、今日再びこの車両がエンジンを吹かすことはなかった。





 車を降り、心許ない街頭が照らす住宅街の小道を行く。
 最悪な寝覚めの朝。再び。7月29日。

 前を行くサキから微かに鼻をくすぐる虫除けの残り香と、露の香り。深夜4時の三原。
 輝度最低に設定したスマホでマップを開き、指示された待機場所まで歩く。サキは特に指示するまでもなくさっさと先に行ってしまうから、はぐれないことに意識を割かなければならない。


「結局ここが残ったのね」


 低木の垣根のなかほどに設けられた木製のフェンスゲートに手をかければ、鍵などはかかっていなかったようでキィと開く。特段腐食もなく、地域住民の手で綺麗に管理されていそうだ。内側に入ると風景はがらりと変容を見せる。私たちの入り方は一般参拝客としてみれば邪道も邪道であるが、ともかくこの境内であの憎きポニテ女を待ち構えるわけだ。

 まず私たちが神格を固定して、職員が後を詰める。一番槍、捨て駒とも言えるだろう。だが同時に神格相手に慣れている少数精鋭であることも事実。境内は祭りの準備途中らしく、参道は組み途中の屋台が連なっている。一番拝殿側の屋台影に身を隠して、参道入り口を見張れる位置を取った。

 各々、ベストを隠していたオーバーサイズの衣服を脱ぎ、装備の確認を行う。


「準備はいい?」
「ばっちし!」


 参道を挟むように左右に展開する。あとは待つだけ。
 途端に生まれる手持ち無沙汰。深呼吸と装備の確認を無意味に繰り返す。この光景には既視感があった。ちょうどこの前の禁足地のような。
 ……そういえば、あの時も蛇だったか。

 時計を見れば午前5時。そろそろあちらのリミットになる。
 人目を気にする連中だ。これ以上は隠密に支障をきたす。来るとするなら──。


 ──きぃ。


 真ん中のない鳥居と、徐々に青の混ざる空を見上げる私の耳が、そんな音を拾う。
 咄嗟に足に力を入れて、音の出どころを探す横目でサキを見ると、彼女も抜け目なく警戒に入っている。
 数秒もせず、原因は目に留まった。拝殿の観音開き。ゆったりと、しかし明確にそれは開き切って、中から白いものが抜けてくる。
 自然と息を殺し、身じろぎもせずそれの動向を追う。その白いものの足元で落ち葉が渦巻いているのを見て、風を知る。背後で屋台の垂れ幕が揺れていた。


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 三面九尾。


 ──これがここの、祭神。


 それは私たちに目もくれず、横を抜けて参道入り口へ向かう。祭神の目的は、ポニテ。予想通りだ。リュックサック、竹刀袋、首元の蛇。蛇は首元が薄らぼんやりと発光して見える。
 女は微動だにしない。肝が据わっているというより、どこか怯えて見えるその女と祭神の距離は刻一刻と縮んでいた。あの神格が解決してくれれば世話はないのだが、と楽観しながら、ここまで微動だにしないことに一抹の不安を覚え、緊張の帯を締める。

 だからこそ、だろう。次の瞬間、拝殿の目の前でかろうじてこの蛇を空中に縫い留められたのは。

 それは、ある種フリーランスとしての経験からくる勘ともいえた。





邂逅かいこう



 ──ぷつ、ぷつ。
 音が鳴る。掌の中、綱がささくれ立つ。指の薄皮に刺さっていく。握り込んだ指先に絡んで鬱血うっけつする。


 ──限界が近い。


 この縄はサイト-81BKからの供与品。人の髪で編んだ綱であって、呪術的措置の施されたもの。左撚りの毛束をさらに左巻きでい、非実体に神妖問わず接触できる呪具。現に今、拝殿まであと少しというところで、もやのような蛇は止まっていた。
 しかし本来は半日持つはずの綱は、靄に触れているところから徐々に解け始めている。


「随分と好き勝手やってくれたじゃない?」


 軽口と共に次策を模索するために存在の特性把握に努めていると、靄が笑う。何を──


 ばつんっ。


「っ……は!?」


 まだ少し持つ目算の綱は、目の前を過ぎ去った何かによって寿命を迎えた。
 想定外。手の重みが消える。思わず目で追う想定外の正体。拝殿の半開きの戸に突き刺さるのは、太刀。

 なぜ太刀──ッやば「お初っ!」

 切羽詰まったサキの声。同時に、理解する。優先順位を違えた──っ!


 「──ぐぅ」


 脇腹に衝撃。鈍痛。喉から空気が漏れる。相手の方へ顔を回すと、視界になびくポニーテール。据わり切った切れ長の眼と交錯する。潜り込むように姿勢を低くして私の脇腹に押し当てているのは、さやか。
 しかし今分かったとて対処のしようもない。そのまま横殴りに突き飛ばされる。無理やり受け身を取り、流れで体を起こした。

 来るべき追撃は、来ない。

 私を殴り倒したポニーテールは見向きもせず拝殿の太刀に駆け寄ってそれを抜いていた。
 一人、今も耐えているサキへ呼びかける。


「綱は!」
「もう無理っ!」
「あ〜もうっ」


 ポーチから無造作に紙をばら撒く。「斬水鬼勅轟鬼」「斬精急奉紫微帝君」「勾雷」の文字。手製の呪符。


唵吽吽をんほんほぅ


 真言マントラを呟き、片手で手印を組む。それらは青白く発火し、自立して靄の方へ飛散する。同時に、私は太刀を回収したポニーテールに走った。
 彼女が太刀を構え切る前に。自分の右腰に下げた棒状のガジェットをむしり取る。残り3メートル。
 握り込む。金属が擦れて星が散る。


「ふッ!!」


 踏み込み、脇腹に一振り。キンと硬質な手応え。

 また鞘ッ!。

 認識するや、踏み込んだその足で、相手の前足の膝裏目掛けて足を差し込む。体勢を崩す彼女の背中に回り込み、ポニーテールごと上半身を引き倒す。その後頭部に膝を入れようとして、逆手に持った太刀が見えた。
 咄嗟に特殊警棒で刃先を滑らせ、飛び退すさる。鼻先三寸を、刃先が掠めていく。
 くそっ。リーチ差が痛い。ただ、相手は刀の扱いに慣れていないらしい。そこだけが救いだ。


「ねぇポニーテール。水蛟みずちなんか従えて何が目的?」
「みずち……? とんべ様を返してほしい。それだけ」


 間合いを図りつつ、言葉をかわす。
 肩で息をしながら、彼女は太刀を握り直し、中段に構える。殺陣のように最適化されたものでない。刀身も揺らいでいて、重心の取り方がなっちゃいない。まさか、刀全般を扱ったことがないのか。


「とんべ様?」
「貴女に答える義理は、ないでしょッ」


 左足を軸に踏み込み。先に仕掛けたのはポニテだった。太刀を横ぎ。それをバックステップで回避する私に間髪入れず、返す刀で逆袈裟けさ。白い髪が中を舞う。間一髪。


「ガキがっ」
「あなたよりは……っ!年上ですけど……!!」


 相手の踏み込みで玉砂利が飛んだ。どこからか、サキの声が聞こえた気がしたがそれどころじゃない。咄嗟に足元のそれを掴めるだけ掴んで、顔面へ投擲とうてき。散弾のように拡散するつぶては、刀の扱いで精一杯の人間であれば、怯む。
 目論見もくろみは、どうやらハマったらしい。
 幸い彼女は一瞬目を瞑って顔を防御した。一瞬できた隙に、一気に距離を詰める。


「手こずらせないでッ!!」


 ガラ空きの腹目掛けて、特殊警棒を突き払って、くうを切った。


 ──ッ消えた!?


 辺りを見渡しても姿がない。サキの方を見ると、無惨に溶けくすぶる綱を投げ捨てて、サキが走り寄ってきた。


「お初ごめん逃した!」
「サイトの連中は何してんの」
「何や知らんけど外で制圧中」
「何を!」
「知らん急に出てきた〜って」


 簡素な情報共有。同時に周囲を見回す。
 穴が開いて燻っている呪符。
 きれて散らばった髪綱。
 社裏の山中から飛び立つ鳥の群れ。


 ──あれか。


 すぐ背後まで来ていた、組み途中の屋台。紅白幕の白い部分を小刀で手早く切り取り、筆ペンで「急準雷師火師勅」と書き記す。最後に息を吹き掛ければ、それが浮いて、山に飛んでいく。道教において掃討符そうとうふに類する術式。
 目を閉じれば、簡易的な視覚共有ドローンになる代物。視覚を用いない念視に近く、集中を切らすと全くもって景色が見えなくなる問題があるが、安全面の確保された場所であれば安全に追跡が可能。つまり、周囲の職員からの援護がなかった現状では、リスキーすぎる行為だ。

 サキに周囲の護衛を頼み、インカムを手早く装着。
 戦闘中、五感を活用するために外していたそれと付属するピンマイクで、合同作戦中の人員に通達する。


「犯人逃走。追跡中につき、応援を求みます」


 答えたのは、班の半分ほどだった。




「……っ! なにこれ!?」


 目を醒ませば、とんでもなく視界を揺さぶられていた。
 混乱。先ほどまで切り結んでいた境内など影も形もなく、湿っぽい森の香りと共に、木々と緑が、相当のスピードで後ろに流れ去っていく。
 私は、子供の肩に抱えられる形で、山の斜面を駆け上っているらしい。お米様抱っこだ。
 子供の背中側しか見えないが、足元は草履で、下草の多い山中を苦にもせず駆け上る。


「とんべさま? 無事だったんですね」
「奴らはまだ追ってきているぞ」
「助かり、ました」
「ふん。契りを結んだ以上はな」


 直前の光景。負けたと思っていた。砂利の礫に怯んで視界を外した次の瞬間には、鈍く光る特殊警棒が迫っていて、あのままであれば確実に貰っていた。あそこからどうやって?


「奴らの拘束を解いて君を攫った。それ以上でも以下でもない」
「……やっぱり、伊達に妖怪じゃないですね」
「当たり前だ。あんなしょうもない拘束で止まるほど柔じゃない、が」


 とんべさまは、前を見据えたまま愚痴る。その足はいつまで経っても速度が衰えることはない。


「どうにかせんと、撒くのも難しい」
「え」


 顔を上げる。木々を縫うように走る私たちの後ろ。何か小さなものがひらめいている。それはまだ弱い木漏れ日に当たるたび、薄青く反射していて、それはぴたりとこちらを追尾しているようだった。


「何、なんなんですあれ」
「式神の類だ」
「……式神」


 とんべ様は忌々いまいましげな声で「どうせあの女子二人の仕業だ」と愚痴る。ああいうものがあるとはとんべ様から聞いてはいた。いたが、少なくともこのようなおおやけで行使しないものと思っていたのだが。
 距離は、一向に離れない。あれは切り落とせるものなのか? そう考えて、アドレナリンが過剰に分泌されているのを自覚する。だいぶ血気盛んな思考回路になっているらしい。
 思えば、真剣を振り回して人に振るうのは初めてだ。剣道でしか習ってこなかったためか、あの時は勝手の違いに苦労して自らの身を守ることと、とんべ様を取り戻すことだけに躍起になっていたから、人を斬るという事象の重みに鈍感になっていた。

 自覚して、手の力が抜ける。冷や汗が浮かぶ。動悸が上がり、呼吸が浅くなる。彼女は、怪我をしていなかっただろうか。


「お前にも気骨があると思ったが、間違いだったようだ」


 とんべ様が呆れたように呟いた。


「人殺しになるならヘタレのままがいいです」
「ふん」


 面白くなさそうに鼻を鳴らしたとんべ様は、それから会話を投げようとはしなかった。気分を損ねてしまっただろうか。私は人殺しをしたいわけではない。ただ、家柄を解消したいだけ。ここは譲れない。
 そして、そのためには今、あれをどうかしなければならない。
 しかし、どうすればいい? 人間が追っているならまだしも、とんべ様の速度に追いつく程度の式神。とんべ様のいう通り、どうにかしないことには撒けない。



 明確な対処法も見つからず悩んでいると、がくんと体の重心が移動した。傾斜が下りになったらしい。徐々に緩やかになる斜面。とんべ様の脇から垣間見た進行方向は開けている。
 数秒後、あたりが一気に開けて、世界が急に俯瞰ふかんになる。
 崖上から道路に出たらしい。同時に、内臓が浮く感覚と、重い衝撃。


「ぐぇ」


 慣性を無視したような挙動で停止し、内臓が戻ってくる感覚。
 涙の滲む視界の端で、燃え落ちる式神。


「え、なんで」
「よぉ。また会うたな嬢ちゃん」


 事態の飲み込めない私に向けられた、聞き覚えのある声。情けない姿で視線をやったその先には、


「元気そうでなによりじゃな」
「おぇ、お、お久しぶりです……でも、なんで」


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 袖を肩まで捲り上げた、肩幅の広いシルエット。力強い広島弁。
 ワゴンの窓から顔を出すのは、厳島での脱出を助けてくれた女性だ。




「対象……ロスト」


 サキに身体を支えられるような体勢で、目を開ける。頭痛がする。
 突如火に式神を焼かれた。あの子供……もとい変化へんげしたとんぼ様とやらの仕業だろう。背後の足元に目をやると、髪を留めていた横櫛が綺麗に二つに折れて落ちている。これがなければ私が真っ二つにでもなっていたかもしれない。あいつ、火を介して私の方に神気なんて流し込んできやがった。脳が焼き切れるかどうかの瀬戸際だ。手段はえにしの逆流あたりだろうか。呪い返しと大体同じメカニズム。


「対象は白の車に乗って逃走しました。運転していたのは、おそらく大人、体格は大柄」


 いかんせん暗い時間帯、山林からひらけたところを見るには逆光もあった。元々の式神の性能もあって細部の特徴は掴めない。ナンバーも、車体の向きから読み取ることが出来なかったのが悔やまれる。


「どうしますか。佐伯さん」
「一旦退去だ」
「……了解」
「こちらの処理が終わり次第、現状復帰のための人員を向かわせる。そこで現状の把握を行ってくれ」


 雑音を残して、インカムの通信が終わる。
 やっと、陽が差した。空は急に彩度を上げて、境内は静謐さを取り戻していた。風景は、とてもそうとは言えないが。

 人員の到着まで、サキと私は辺りの呪具を回収にまわる。
 鋭利な断面の髪綱。まさか太刀を投げてくるとは思いもよらなかった。あれだけここの神格を目にして怯えていた人間が、こんな大胆な手段を取るとは。根本、あの蛇を留め置いていた箇所を手繰り寄せて確認すると、全体的に満遍まんべんなく溶けて、嫌な匂いを漂わせている。半日持つはずの呪具がなぜ一瞬で? 財団側が評価を誤った? この土壇場でそんなミスを犯すだろうか。

 ふと、綱を持つ手の奥、石畳の上にピントが合う。燃え落ちた呪符。私が時間稼ぎの為に使ったお手製のものだが、神格相手にもそれなりに耐えうる代物である。過去、幾度かこれに救われた経験もある、効果は折り紙つきの代物。その一枚を拾い上げる。


「ッ……あつ」


 焦げは、とうに燃え尽きて熱もない。そのはずだが、指先に熱を感じた。濃密な神気を感じる。神気、あの蛇はやはり神に類するもの。


「──とんべ様」
「何それ」
「あのポニテが言ってたの。私たちの捕まえた蛇のこと」


 スマホを取り出して検索をかける。ダメだ、ヒットしない。声優やら、しょうもない知恵袋やらがサジェストの上位を占めていて、一向にそれらしいものに当たらない。

 ページを8回ほど遷移した頃、ようやくそれらしいものを見つける。覗くサキの頬を押し除けながら、ページを開いた。


「トンボ神だって」
「何それ」


 読み進めるに、四国、中国地方に分布する妖怪の一つらしい。10〜20センチメートルであることが多く、黒か白の体色に金の首輪のような模様を有していることが共通要素。これを飼う家は裕福になるとか、憎く思った相手を祟り殺すとか、そう言った諸説があって、基本は土瓶に入れて床下で飼うのだという。これを持つ家をトウビョウ筋などというらしいが、つまりは犬神筋や狐筋と同じ、動物霊の憑きもの筋と同じ類。
 総合して、とんべ様とはこのトウビョウ、つまり妖怪であるということになる。


 ──本当に?


 指に挟んだままの呪符をひらひらと揺らした。
 かの蛇はトウビョウらしく床下の土瓶で静かにしてはいないし、30センチメートル以上はあった。そして何より


「妖怪なら残るのは妖気のはずよね」


 この札が示すのは、あの蛇がとんべ様と呼ばれる存在でないということ。霧状になる憑きもの筋など、記憶の限りでは思い当たらない。あれは水蛟みずちの特徴だ。そして水蛟は神格。
 騙されている?
 あのポニテは、あえて自分の連れているものの正体を明かさなかった?
 至極妥当な行動だ。考えうる可能性としては、他に“正体を知らない”と言うものもあるが、あそこまで蛇の返還を求めてきた宿主に限って、そんなことがあるだろうか。





「お初ぅ〜来たで。職員の人」


 考え込む私の脇腹をつついて、サキは山道の入り口の方を指し示す。
 シルバーの軽ボックスから数名、宮司服姿の男が降りてきて、何かしら作業を始めた。あそこに転がる神様の半身を処理する人員だろう。

 遠巻きに眺めていると、最後にスーツ姿の男性が降車して、宮司服たちに何やら指示した後、こちらに向かって歩いてきた。片足を庇うような歩き方だ。びこを引き摺っていて、見ると太ももあたりをバンドで締め付けている。怪我をしているのは明らか。
 サキが言っていた、外の対処というやつだろうか。境内側の対処がいくら短期戦だったとはいえ、一向にカバーが来なかった理由があのレベルを負わせる相手の対処だと言うのなら同情はする。


「足の方は」
「それも含めた話だ。まずそちらでは何が?」


 辺りを見渡し、神格の半身をしばらく見つめた職員は、ひとまずの近況を把握することにしたらしい。私は簡潔に起きた事象を伝える。それを聞いた職員は、ひとえに私たちの優先順位の選択ミスと、財団側の把握していた存在との乖離、外部勢力の好戦性が問題となっていたと結論づけた。


「外部勢力?」
「富多楽豊会と言う宗教団体になる。我々の人員が手薄である主な理由だが……今回、ちょっかいをかけて来たのは奴らだ」


 「ただでさえサイトのリソースはかつかつだってのに」と愚痴る男。挙げられた名前には聞き覚えがあった。
 富多楽豊会。斡旋業者の顔がよぎる。
 あの時見せられたファイル、それに載っていた宗教団体。
 ──あの斡旋、こうなることを読んでいたのか? 穴蔵に入ったことはないが、範囲を聞く限り想像以上に広大なようであるし、そこの情報網もバカにできない。内容はたしか、自らの私欲を叶えるための神格を顕現させるとか言うものであるが、確か岡山の禁足地で大蛇を飼っていたあのラーメン屋の店主も一員だったはず。


「その団体と戦闘を?」
「不意打ちの形だ。配置していた連中は全員、密売ルートと思しき銃火器に手製の消音器をつけていたり、刃物を持っていたり、様々だったがね」
「本来うちら神霊特化の班構成て話やったもんな〜」


 当初の手順であれば、対象の捕獲に成功した後は、班員らによって無力化の補助が行われたはずである。そこを同時並行で襲われたと言うことらしい。彼らの身元はまだ照会中であるが、戦闘を行った人員は総じて確保に至っているそうだから、詳細は追って財団側で処理されるだろう。流石に財団側も護身装備は用意していたようだが、神格特化では防備にも限度もあろう。人死にが出たら撤収処理も数倍面倒になる。

 彼は拝殿前の階段に腰をかけ、太ももの止血帯を巻き直していた。紺のスーツがさらに黒く染まっている。しかし、顔色は特段悪いわけではない。大事と言うわけではないように見える。素人の視点だが。


 ──ともかく、逃走者追跡の報を入れた際に返答がままならない状態だった理由は把握した。


 今すべきは、ロストした彼女らの情報共有と、今後の対処。
 「彼女の発言を真と仮定した場合ですが」と言う前置きで、先ほどの情報と、呪具としての効果を喪失した髪綱および呪符を提供する。


「あれは、当初想定していた一般的な妖怪ではないと考えています」
「……というと?」
「たとえばこの髪綱ですが、宿主の少女に太刀で物理的に切られこそしましたが、一定の効果は有していました。しかし、もし断ち切られていなかったとしても保って五分だったと思います」


 彼は、懐からビニルの手袋を引っ張り出し、手早く装着する。
 私たちから綱を受け取ると、ちょうど蛇に触れていたあたりを見つめ、目を細めた。妖気の浸透ではこういった溶け方はしない。これはいわば、フィラメントが焼き切れるような溶け方で、容量を大きく超える霊力を浸透させられた場合か、他性質のものを強制的に浸透させられた場合。


「ここの神格を喰らった影響で、想定を超える神格強度を得てしまったか……? いやそれでも、綱が脆い理由にはならない……ならば我々の考える妖怪であるという判断が間違っていた? いや、神性を喰らい過ぎて格が変化したか──」
「あの」


 顎をさすり始めた男に、声をかけ、手に持った呪符を渡す。
 考え込むと身の回りが疎かになるらしい男は、それでも目の前に差し出されれば気が付いたようで、顔を上げる。眉を顰めて受け取った彼は、しばし無言でそれを眇めた。


「……これは我々の支給した呪符ではないな」
「緊急でしたので。おそらくですが……相手はすでに神格存在です。先ほどご自身で推測なさっていましたが、元が妖怪であろうとなかろうと、その呪符からは神気しか得られませんでした」
「なるほど……本当に君は、神気や妖気を判別できるのだね。羨ましい特質だ」
「あなた方は、そういった事象に関して第一線なのでは?」
「あまりに敏感でも困るんだ。前線にいればいるほど濃密な気に当てられる。神格存在を信じない人間には戻れないから、濃密な気の中では強制的に神威しんい畏敬いけいで威圧されるのさ。それ込みでのフリーランスでもある、と、羽倉からは情報をもらっているがね」


 神格を知っているのはこちらも同じだが、何が違うのだろう、とは口にしなかった。存在は知っていても、身近で生活に組み込まれない他所の土地神、産土神うぶすながみ程度では畏敬など最低限である。フリーランスなど、時にそれらと対峙し、祓い、時には信仰し祀る必要があるのだから、職場で常に携わる財団職員とは大きく違う。大体、他所の信仰に口を出すのは御法度もいいところ、最悪の場合、信仰に不均衡が生じかねない。単純に便利な特性とでも思っておいた方が平和だ。


「それにしても、神格か。国津神くにつかみばかり喰っているのは……厄介だな」


 そう呟く彼の眉間には、何本も深い皺が寄っている。まだ若く見えるが、皺は年季の入ったもので、財団職務の大変さを物語っているように感じられた。

 神、と聞いて思い出したあの半身に目をやる。何やら四方にしめ縄を貼って、地鎮のようにしながら宮司姿の職員がぬさを振っている。何やら祝詞のりとのような声も漏れ聞こえていた。


「……あの神様は、どうなりますか」
「あれはとりあえず、帰ってもらっている。何をやっているかでいうなら、一般の神事と特別違うことはしていない。神籬ひもろぎ形代かたしろを置いてある神社は、ああいう神格存在にとって別荘のようなものだからね。半身でも残っていれば、ああやってお帰りいただける」


 幸いこの神社はもうそろそろ例大祭だそうだから、信仰に関しても地元の人々によって徐々に回復していくのだろう。どうやら、一応の神格消失は防げたらしい。万全、とはとても言えないが。
 今回の依頼の反省を行いながら、少しずつ拡散して薄くなっていくその半身を見つめている。夏といえど、そろそろ人の動き出す時間帯。それまでに、ここから何事もなかったかのように立ち去らなければいけない。目の前の男のように、足から流血などもってのほかだ。

 ここの神格ははっきりと見えた。明確に異形。この地域の土地神、それも祟り神。そんな事前の説明に偽りはなかった。参道の石畳の上を、男に肩を貸しながらシルバーの軽ボックスまで歩く。まさにここだ。神様の通り道たる、参道の真ん中。ここを歩いた神格の後ろには、無数の黒い鳥居が生えていた。のろいまじないは似て非なるもので、性質の違いによるところが大きいが、今回のそれは明らかに前者。


「佐伯さん、あの」
「何か」
「先ほど、国津神ばかり喰べているのが厄介だ、とおっしゃっていましたが」


 機密ならば聞かなかったことにしてくれ、と伝えつつ問う。


「財団から見て、天津神あまつかみと国津神では何か違うのでしょうか?」


 彼は前を向いたまま、びこを引きつつ進む。何か、どう答えるべきか悩んでいるふうだった。
 途中で、神格の後処理を終えたらしき職員から補助を変わろうという申し出があったが、彼はそれを辞退し、「話すことがあるから」と私の肩を借り続ける。


「国津神と天津神、その大きな違いは元々この地に生まれた神々か、天から降りてきた神々か、という部分にある。例外はあるがね。君たちはそれらの神格存在を在るものとして捉える、いわばこちら側の人間だから、今から話す事項は実際の事象であり現在まで連綿と続いているということを理解してほしい」


 そんな堅苦しい前置きを置いて、彼は語る。
 古く、国津神らが、まだ個々の共同体たるムラに住まう民たちから各々の信仰を受けて魑魅魍魎ちみもうりょうから民らを守っていた状態があった。ここに天津神が入り、出雲国譲いずもくにゆずりを起点として魑魅魍魎も国津神も全て平等に平定して今の世が築かれた。
 財団も、その前進団体も、天皇を天津神の末裔とする天津神信仰の基礎の上に成り立っている。ゆえに当信仰下で日本全土泰平を一律に維持し、オブジェクト抑制を出来ている現状は国津神統治下と比較してより良い状態である、と。
 有史以来、幾度となくこの国津神と天津神の均衡きんこう状態は、危機を迎えてきた。天津神による平定を快く思わない国津神勢力が存在するからだ。これが蜂起ほうきし、あまつさえ成功してしまえば、現状の収容体制が根底から揺らぐ。そんなことがあってはならないのだ、と。


「だから、国津神が力を得ていくのは好ましくない。神格全般が、現在の均衡状態のもとで管理下にあらねばならないんだ」
「……ありがとうございます」


 収容体制にどう関わるのかは、むろん機密事項に当たる。説明してくれた内容とて、大筋はただの国譲り神話だ。
 しかし、衝撃的であることに変わりはなかった。財団側の視点など、我々は知ることができないから、神格存在に対するスタンスを聞くのは初めてだった。
 しかし、なるほど。国津神は危険因子。という表現は、あながち間違いでもないのかもしれない。
 今回の蛇が、その説得力を高める。あれの目的は知らないが、他の神を喰い散らかす神霊には良い悪い以前に迷惑極まりないのだから。少なくとも、財団のいう均衡を崩すものには該当しよう。

 話を聞きながら、車両に乗り込み撤収に入る。
 徐々に陽が昇り、あっという間に気温が上がる。窓は全開だった。いかんせん、血の香りが籠るのだから仕方がない。残された被害は大きい。
 後部座席から見るワンセグでは、ところどころで画面を固めつつも、天気予報をやっている。向こう数日は晴れるらしい。合間のピックアップニュースでは、ここ最近ずっとやっている生態系異常を垂れ流していた。

 昨夜の地震についてはもう言及すらされない。



 車内に、初期設定の着信音が響く。サキはあっという間に眠りに落ちて、この程度の音では身じろぎすらしない。かたや私は、銭湯の疲労を硬いシートに流し込みながら、ぼうっとワンセグの画面を見ていた。
 電話に対応し始めた助手席の佐伯の姿に早々に興味を失い、惰性で朝の報道を見つめる作業を再開していると、彼からスマホが差し込まれる。


「……えっと」
「君たちの雇い主から話があるそうだ」


 まさか、今後の対応協議だかなんだかの電話なのだろうと判断していたところに差し込まれるのは慣れない。訝しみながら、今回の依頼失敗に関して何か言われるのだろうかと予想して、それを受け取った。


「お電話代わりました。穴蔵所属フリーランスの夢川です」
『あァ。声聞きゃ分かる。で聞きたい事があんだよ』


 軽い声がした。
 社交辞令にマジレスで返されるとは思わなかったが、そういえばこの職員はこういう人間だった。無駄な応酬をするほど元気が有り余っているわけでなし、さっさと先を促す。


「なんでしょう羽倉さん」
『まず現田げんだたちは依頼遂行に支障ないか?』
「私が髪の毛数本散った程度です。現田は無傷」
『なら良い。それで……今千葉近海でナマズがキショいくらい獲れてるらしいんだがなァ、鈴木橙すずき だいが難色を示してやがる』
「へぇ、ちょうど瀬戸内でもナマズ増えてるニュースやってますね。ほら、聞こえます?」


 ワンセグのボリュームを上げつつ、スマホのマイクを近づける。スピーカーから『いらんいらんいらん』などという拒絶が聞こえた気がするが、キリのいいところまでは聞かせてやった。


『てめェなあ……だが今はそれより、鈴木橙を見つけた時、何かしらこの生態系異常に関して思い当たる事があったかどうかの確認だ。無ェなら今すぐ電話を返せ』


 隣のサキの頬をつまみながら頭をひねり、ピンとくるものが無いことを再確認して、無言で助手席に突き返した。
 大体「山の中で魚介類の異常繁殖との関わりを見つけろ」という方が無理難題という話である。鈴木橙の記憶回復の鍵を渡せるなら協力しようとは思うが、無いものはないから仕方がない。
 スマホを突き返された彼は、そこから暫く真面目な会話を交わし、通話を終える。画面が暗転するのを垣間見て、今後の私たちの扱いについての質問をしようとして、相手から答えが示された。


「君たちは、しばらくサイト-81BK預かりになる。『信仰喰らい』の追跡と観測任務であるという根本は変化しない。よろしくどうぞ」


 どうやら、今回の失敗で契約の打ち切りとはならないらしい。今日失ったものといえば、己の髪の毛数本と絶好の機会。自分の髪など元々ブリーチングしてさんざっぱら痛めつけた人間だ、一本や二本どうと言うことはないが、よく継続判断を出したものだ。本当にこのサイトは人手も足りなければ、制約のある能力の中でやりくりしているのかもしれない。国難を防ぐためのサイトとは思えない。

 振動の大きめな窓枠に肘を置いて頬杖をつき、上下する山並みを目線でなぞりながら、小さく息を吐いた。




くさび



「──だとさ」


 通信端末を停止。部屋に静謐せいひつさが戻る。
 部屋の構成は3人。鈴木橙すずき だい羽倉栄はくら さかえ高辻祐たかつじ たすく。現在、三原に派遣した穴蔵フリーランスから、作戦失敗を確認したところである。
 鈴木橙に関しては、記憶の回復を最優先にすべきとの判断から、ある程度の情報開示が許されていた。それこそ、このサイト“本来の機能”に関する情報などだ。


「アンタがナマズに不安を覚える理由は分からずじまい。廃墟に調査が入る頃だが、何か見つかるたァ思えねェンだがな」


 「なんせ海が近いったって内陸だぞ?」と付け加えながら、ボールペンを回す羽倉は、鈴木の渋面を怪訝そうに見つめながら、椅子に雑に着席した。


「最近のニュース見てるか? 羽倉」
「うんにゃ、全然? なんだァ、模範解答でも全国放送されてたンか?」
「全国で生態系の異常が観測されてる。概ね震災の予兆になりうるものばかりだ。余震も増えてるしな。偶には外の情報を取ったらどうですか上司サン」


 そう言って、高辻は指折り例を挙げていく。海鳥のマーマレーションや集団墜落死、深海生物の浮上、海流および台風のない時期に発生する回遊魚の死滅回遊……
 鳥の墜落死に関しては磁力異常や、気圧変化。深海生物の浮上に関しては深海の環境変化。往々にして理由が存在する事象。世間ではオカルトの分野にあるこれらが、全国で一時期に集中するというのは、まさしく異常。


「今さっき電話越しにニュース押し付けられたからなァ。全国規模ではあるんだろうサ」
「場合によっては、彼の記憶の中ではこれに類する何かが発生していた可能性もあるな。熊野近海の水産企業から周辺年代のデータを収集するか」
「頼んだ」
「……財団というのは、そういう情報の入手も仕事の内なのですか」


 先ほどから不安そうに眉尻をさげる鈴木は、高辻に対して問う。すっかり質問すべき相手を理解したようだった。
 しかし、確かに他所のサイトなら、こういった観測は外部の民間機関に預けるものであろうし、そもそも精力的に集めるものでもない。その点でいえば、このサイト特有の要素と言えるか。鈴木の質問も真っ当なものと言える。


「このサイトの扱う内容に問題がありましてね。そうですね、少しその辺りを雑談をしましょう」


 鈴木の問いに丁寧に対応する高辻と対象的に、羽倉はここから先の長期化を察知し、早々に目を閉じて黙り込む。


「さて、このサイトの本来の機能ですが、役割として神格、妖怪、その他類似事案に対処するための関東圏前哨サイトの総本部、ということになっています。しかしその実態はサイト地下に存在する神格の監視、記録を行い、もしもの時があれば、我々ごとその神格を日本から消却する──」


 高辻は一呼吸おき、ブラックのコーヒーを口に含んでから、続ける。


「信仰消却サイト。神道国家日本、最後の砦の一つになります」


 高辻祐一等研究員。羽倉栄管理官。2名はサイト-81SR-吽 神話・民俗学部門 信仰消却対策課所属の財団職員として国体護持の最前線を張っている。





「……最後の、砦」
「えぇ。そしてこれが生態系監視とどう結びつくのか、と言いますとね。度々言及していますが、このサイトの地下、我々の足元数百メートルの深さに位置する神格の存在があります」


 足元を革靴の踵で打つ乾いた音が響く。鈴木は下にチラリと目線を投げて、すぐに戻した。この先の答えを待っている。


「名を“建御名方神タケミナカタノカミ”。聞いたことは?」
「……書籍やネットで何度か」
「つい先日、貴方がここに預けられた日も地震があったと思いますが、古くは“なゐのかみ”つまり地震の神様と呼ばれました」
「……その、つまり……あの地震が、その神様を原因として生じたものであると?」


 にわかには信じ難いという風な口調で問い返す鈴木の姿は、一般人としては妥当な対応だった。


「えぇ。最近多い余震の正体もおおむね、直下の神格を起点としたものです。場所によっては断層型、プレート型の非異常なものもありますが」
「地震ともなると、先ほど例に挙げられたような予兆が見られると聞きますが……本当にそれを監視していると?」
「えぇ。いわゆるスピリチュアル、オカルト的な要素だと思われるでしょうが、財団は、それらの一部を明確に科学的なものとして観測しています」


 科学的に証明されている生物の行動もあれば、眉唾の域を出ないものもあるが、我々財団は、長期の観測データからある程度法則性を見つけ、生態系異常を日々監視している。
 2005年。利根公園にて、大量のスズキが釣り上がった記録がある。記録というか、あれを記録したのは我々なのだが、あれも生態系異常だ。あれは黒潮に乗って八丈島沖から流されてきたものだと結論が出ている。ちょうど黒潮海流の大蛇行があった時期に当たる。

 建御名方神は、ナマズの姿で描かれる。今回、異常が見られたのは汽水、海洋生物であるナマズ。あの辺りはおよそ三種の魚類が順繰りに生態系を構築するスパンが観測されるが、それをもってしても逸脱しているのが今回だった。


「我々がナマズの大量発生をこうも重視している理由は、理解されましたでしょうか。そして、貴方がこれに根拠不明な不安を覚えている、という点に関して興味を持っているのには、こういった理由が多分に含まれています」
「……不可思議が大前提、でしたね。えぇ、まぁ、飲み込もうと思います」
「我々が疑っている筋はこうです。貴方はその現象を目にした人間である可能性が高く、災害というのは往々にして超常事物の起点となります。貴方は震災によって生じた超常に巻き込まれたのではないか、と」


 えっ、と小さく漏らす鈴木は、やはり心当たりや思い出すことはないようで、行儀良く左右の手を膝上に乗せたまましばらく固まっていたが、やがて諦めたようにすみません、と一言謝った。ついで、災害に対する不安を吐露する。それこそ、先ほどのナマズの大量繁殖と建御名方神の関連性の理解が進んだことから、より一層の不安を抱えているようだった。


「根拠のない不安です。でも、先ほどのお話で言うなら、ここは危なくはないのですか」
「サイト上部に位置する香取神宮および鹿島神宮ではどちらも建御名方神を祀っていますが、由緒によれば『武甕槌タケミカヅチ神により頭を要石で抑えられ、封印された』となっています」
「封印……あ、いえ要石は分かります。鹿島神宮のものでしょう?」
「ええ、言及されるのは大体が鹿島でしょうね。知名度は一段劣りますが、香取にもあります。そしてその二つの要石で、地下に実際に縫い留められている。縫い留めている限りは、大災害には発展しない」

「建御名方神っつったら、他に有名なのは国譲り神話だがしかし、封じられたのは諏訪すわ。つまりは長野の真ん中だ。なぜ同じ神がこうも分散していると思う?」


 鈴木は、唐突に口を開いた羽倉に驚いたようなそぶりを見せつつも、考え込む。残っている記憶や知識をあさっているのだろう。ややあって、彼は自信なさげに顔を上げて、一応の答えを結んだ。


「……神話とは得てしてそういうものなのではないですか?」
「優等生の回答だな。比較神話だとか考古学的物証とかは今ここで捨てろ……答えとしちゃ、奴は一個体。要するにクソでかいのさ」


 まだこちら側の世界に順応しきっていないのだろう。一般人的感性で、理性的な思想から生まれる答えだ。
 俺たちが抑えているのはナマズの頭に過ぎない。頭だけ押さえていようと、暴れ回るのが魚。釣り人なら皆様で知っていること。
 ならば、本体も抑える必要があるのは道理。


「信仰消却サイトが、日本の最後の砦の一つと言ったのは覚えているな?」
「……複数ある、と」
「そうだ。建御名方神の体に沿って、複数存在する。ここ香取鹿島、広島県厳島、石川県毛谷黒龍けやくろたつ、その他前哨サイト。そしてそれらを取りまとめるのが、中枢サイト、諏訪だ」


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 2011年3月11日。
 東北地方太平洋沖地震。通称──東日本大震災。

 4年前、東日本を中心に襲った壊滅的な震災。その記憶は未だ衰えず、今なお避難生活が続き、爪痕を残している。
 財団も例外ではない。三陸を中心として、太平洋側に位置した一部のサイトやエリアは、オブジェクトごと喪失、あるいは壊滅的被害を受けたり、機能不全を引き起こしてやむなく移送の手段を取ったりといったところも多い。
 復興のフェーズに移行してからも、現在進行形で多くの困難を抱えていた。
 既存オブジェクトの再収容。そもそも地域・建築物等がオブジェクト指定されていた場合はその遺失調査、Explained等への再分類判断、人員不足や計画停電にあたっての諸対処、震災遺構や思念によって新たに発生するオブジェクトの捕捉……

 震災の爪痕は深く、多くのイレギュラーをもたらしていた。

 財団の定義する震災は大きく二つ。科学性震災と、神格性震災。
 あの震災は科学性震災に分類される。単純なプレート活動の産物であり、我々財団はこの震災を予知、回避する手段を持ち合わせてはいない。しかし、だからこそ我々は神格性震災を引き起こすわけにはいかない。それは我々の管理下にあって、震災を引き起こすということは、それを管理できていないということに他ならない。神格性震災は回避できる震災なのだから。

 しかしヴェール外の人間にその差はなく、全てが抗いようのない自然の暴力。ある日突然全てを奪っていってしまうものだ。
 人々の根底にはアニミズムがあって、神がある。震災はおしなべて人間の管理の外にあって、ただ享受し、適応し、そして傍観者にならざるを得ない、抗い難いものであった。だからただ、その震災を神として祀りあげ、一方でどこかの神に魂の成仏と無事平穏を祈る。
 失った物、家、思い出、故郷、そして人が、どうか私のもとに帰ってきてくれますように。
 まだ体や物には魂が残っていて、その魂は誰にも見つけられないままどこかに沈んで、流されてしまって。もう見つからないというのならば、せめて奪われた彼ら彼女らの魂が成仏するように。救われるように、と。
 その命を奪ったのは、同じ神という存在で。たとえ誰もが、科学的に解明されたメカニズムの引き起こしたものだと知っている現代でも。全てを流されてしまえば、縋り信じられるのは記憶と天の恵みくらいのものだから、どこかで信じている。

 高辻は手のひらに目を落とし、それを数回握り直した。

 ──私だってそうだ。

 財団は神の実在を知っている。多くの神が数多の被災者に何かできるほどの力を行使しないことも知っている。それでも、あの日行方も知れなくなった同僚の行方とその後を神という存在に託し、いまなお祈っている。

 6月下旬を境に頻発している地震は神格性震災。財団の管理する神格の振動、あるいは神通力が起こす震災の総称であって、これはなんとしても管理し回避する義務がある。規模から言えば、発生した時の被害は先の震災を大幅に超える。回避できる震災であるからには、あの震災の再演を許してはならない。
 神を認識し、しかしそれを科学で抑え込み、神という存在を科学的に解剖しなければならない。

 居るともしれないどこかの神に祈りながら、目の前の神を否定する。私はあの日からずっと矛盾していた。



 
「その、日本の各地にそのようなものがあるのは理解しましたが……信仰消却、とは?」
「簡単だ。その神格存在を人々の歴史から消し去る」


 過去にふける高辻の傍ら、握った手を頭の上でパッと開きながら羽倉は言う。


「消し去る、ですか。どうやって?」
「神っつうのはなァ、信仰をかてに生きてる。その信者たちがまるッとその神様のことを忘れたらどうなる?」
「……餓死、みたいな?」


 高辻は「惜しいですね」と置いてから、解説を変わった。私の方が、整然としていて解説には合っている。


「建御名方神のような神性と、我々がピスティファージ実体と呼ぶ神性は似て非なる物です。餓死にあたるのはピスティファージの方ですね。自分の体を信仰で生成されるEVEという素粒子で構成していますから、その供給が絶たれれば、いずれ体が崩壊に至るわけです。建御名方神の場合は、EVEが尽きても体は残ります。元々の肉体が普通に存在しますから」
「では、信者をゼロにした場合は?」
「後者の性質を持つ神格存在も、いわゆる神通力、御利益をもたらすためにはEVEが必要になるのですよ。供給を絶てばそれができなくなる」
「記憶を消す、というのはどうやって」
「記憶に作用する薬剤を散布した上で、私たちとこのサイトごと、人類の記憶から消却します」
「……サイトごと?」


 鈴木は、理解ができないと言った面持ちでオウム返す。


「ええ。我々ごとです。人類の認知外に弾き出された神格は、なおも管理する必要がありますから」


 まぁ、最終手段ですよ、と安心させるような言葉を付け加えると、鈴木はなんとも言えない表情で黙り込んだ。自分たちの身を犠牲にするような手段を自分の中で消化できないのだろう。
 しかし、財団の理念は光の元に過ごす彼らが、闇に呑まれることを許さない。それに個人の視点でも、あの光景を見たくないという一点だけで、私が身を犠牲する理由足りえる。


「そんなサイトだから、どこも人数はごく少数。カミサマが動き出したら一気にブラック企業の完成ってェワケだ」
「我々は、我々の理念に忠実であるために全力を尽くしますし、信仰消却の可能性があるサイトで仕事をする人々は、各々覚悟を持ってここにいます。その中でもとりわけ、諏訪は神話の観点からも最重要地域ですので、中枢として置かれているわけですね」
「諏訪にはこんな言葉がある。それはこんな具合だ」


 古く諏訪に伝わる言い伝え。
 それは神の位階であるとか、性格であるとかを理由に据えられてはいるが、かつて人々の意図したものは違った。異常を知るものと知らぬもので、受け取り方は大きく変わる。

 それは、かつて建御名方神を封じた側の忠告であって、現代まで正常性の守護者が守り続けた不文律。曰く──



「──諏訪を解からば日本が解ける、ってな」







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