以下の『リミナル・スペースについての空論』文書は、2024年第三四半期を以てエルマ外教先駆者データベースシステムへと掲載されたものである。この文書の著者として、エルマ外教の崇高な指導者の1人・老師ノストラムに感謝の意を表する。
サム・リンゼイ
空論を好む者はいない。私たちは証明できない哲学的問題を好んで読んでいる訳ではなく、綿密な世界観の中に発生する異常現象を科学的に説明し、何とか恐怖を克服するために空論を読んでいるに過ぎない。世界中に存在する異常現象の多くは科学的に説明できないが、空論によって抒情的に書き表すことはできるだろう。
この文書を読む際に注意していただきたいのは、全ての情報は限りなく類推的であり、決して学術的な研究の結果として出力されたものではないという事である。これを「空論文書」として認識しても構わない。この文書を学術的に検討してほしいという意図は全くなく、むしろ小説や文芸作品として、この文書に描かれた世界観を主観的に読書するという事こそが重要だ。『リミナル・スペースについての空論』が何かと問われれば、私は間違いなく「論文形式のフィクション作品」に過ぎないと答えるだろう。
フィクション・ノンフィクションという観点で『リミナル・スペースについての空論』を説明すると、この文書のほとんどの情報は虚偽的であるか、または捏造であり、作者の妄想に過ぎないという結論に至る。この点からの否定的見解は、あなた方の大多数がこの文書を「不気味なもの」としては認識せず、ただ単に「虚構=フィクション」なのだと認識する結果を残すのみとなる。この文書の抒情的な部分をフィクションとして認識できるなら、私の伝えたいことは全てあなたが認識した通りとなる。
その上で、あなたが異世界跳躍で多元宇宙を旅する時、この文書を思い出して、可能世界に存在する無限の可能性(あなたにとっては単なるフィクション程度のもの)に思いを馳せてほしい。こんな非現実的な体験の中で得たものは全て虚構だと無視する前に、少し感傷に浸ってほしい。そうする事で、あなたは並行世界の奇妙な確率現象に、安全な方法で足を踏み入れることになる。
これは、あなたが異世界を旅するために必要なマニュアルの更なる手引書だ。多元宇宙の不気味さを知ることなく立ち寄れば、如何なる脅威にも知らず知らずのうちに飛び込んでしまうだろう。もしくは、これを空論だと軽んじて、彼らアナーティストの先駆者集団を後追いする形になっても構わない。どちらの場合でも、私たちは脅威を警告するミームベクターとなる。私たちは多元宇宙に存在するリスクを潜在的に把握しているからこそ、それを避けて通るにはあまりにも従順すぎるのだ。
リミナル・スペースについての空論
An Empty Theory About Liminal Space
異常芸術コミュニティ (AAC) 所属 超常写真家 サム・リンゼイによる寄稿
異世界跳躍ライブラリ 第III版に収録

近年、異常芸術コミュニティの一部の過激派がソーシャルメディアへ投稿した写真が話題を呼んでいる。リミナル・スペースという名称で流通しているこれらの画像群は、2017標準年から現在に至るまで、ユニバース01のソーシャルメディアなどで拡散され広まった、インターネット・ミームの一種である。例えば、漂流者コミュニティのIRCチャットでは、少なくとも24の接続済み漂着前宇宙で同様のミームが拡散されていたとする言及が存在する。偶然か必然か、そのようなミームは再帰的に形成される集団幻覚のようなもので、断続的に消費されるコンテンツの一つとして、様々なユニバースで親しまれているような印象を受ける。
ユニバース01の著名な美術情報ファンダム Paraesthetics Wiki では、リミナル・スペースというジャンルを次のように定義付けている: 「単一・複数の入力画像の相対的な配置による無人の合成写真。または、写真の部分的要素を引用し、美術目的で制作された無人の写真作品」。その名前を知っている人間がいれば当然納得するように、リミナル・スペースというのは実に一般的な技術の産物で、異常な手段を用いて実現する必要はなく、美学的な合成プロセスによって完結する。無人であることを除けば、不特定多数のモンタージュ画像と何ら変わりはない。ではなぜ、特別なジャンルとして確立できるのか?

2017年の第一四半期に、匿名型ソーシャルプラットフォーム blackpost.com に投稿された1枚の画像が、この概念の発端となったと考えられている。@MissingLiminality (アカウント削除済) による投稿で、blackpost.com上のポストは現在閲覧することはできない。原因として考えられているのは、投稿された画像に深刻な構造災害反応が確認されたという説や、単に激甚性のミーム災害が付与されていたとする見解がある。幸いにも、当時の投稿はウェブアーカイブを通じて回収する事が可能だったため、ここに災害除去したバージョンを添付する事ができた。
ここに掲載されている画像は、切り取られた「子供部屋」の写真を編集して制作されたものだ。写真は無人であることが確認できるが、何度か加工を繰り返した影響なのか、出力された画像は非常に荒いノイズが載ってしまっている。そのノイズを除外して調べると、この画像の中に人影と思しき加工跡が薄っすらと写っているのが分かる。
あなた方や私は、2017年からソーシャルメディアを眺めているうちに、一度や二度はリミナル・スペースを目にしたことがある。@MissingLiminalityによる投稿を皮切りに、あらゆるメディアが急速に投稿を拡散したことで、この画像=ジャンルは大きなインターネット・ミームと化したからだ。様々な模倣者によって同様の画像が作成・投稿されていたが、2023年のとある投稿を目撃するまで、個人的にはそれほど興味を惹かれるものではなかった。単純で量産的なコラージュ作品だというのが正直なところで、驚嘆するような出来でも、芸術性があると認めたわけでも無かったからだ。
2017年末にblackpost.comが経営破綻したため、私はソーシャルメディアを巡回する癖が無くなってしまい、そのうちリミナル・スペースに対する認識も弱くなっていった。しかし、世間的にもブームが廃れていく中、2023年に別のソーシャルメディアに投稿された興味深い投稿がきっかけとなり、リミナル・スペースは再び注目の的となった。これらを引用するメディアが再び増加する中で、人々はそれについて論争し、リミナル・スペースの存在意義について問うようにもなった。
人々が再注目するきっかけとなった投稿とはどんなものだったのか。現代の言論や主義主張を「芸術」として形作るアナーティスト (Anartist) でもある私サム・リンゼイは、その本質的な面に興味を抱き、リミナル・スペースに関する独自の調査結果を先駆者データベースへと寄稿することにした。
2017年末、ウェブアーカイブ上に存在するblackpost.comの最後のスナップショットによれば、この1件で最も精力的に活動していた匿名アカウント「@MissingLiminality」は14万以上のフォロワーを持ち、このジャンルのトレンドに君臨し続けていた事が分かる。しかしその活動の裏では、アカウントの投稿した画像群に一連の潜在的ミームベクターが含まれているとか、暗号であるとか、陰謀めいた言説が横行している。

「@MissingLiminality」が投稿したメディアファイルは90万件を超え、そのほとんどはリミナル・スペース主題の作品だと推測されている。興味深いことに、編集されている画像の参照元はこれまで明らかになっておらず、いつ、誰が、どこで撮影した写真を合成したものなのか、全く判明していない。リミナル・スペースとして定義されたメディアファイルの多くは人々によってカルト的な人気を得ており、その人気の本質はメタデータの不在、つまり「意図が具体化されていない不気味さ」という点にあるのだと考えられる。こういう観点では、リミナル・スペースの元祖は「都市伝説」的な恐怖心を煽る、つまりクリーピーパスタとしての本質を持つといって差し支えないだろう。
リミナル・スペースには、無人と化した建築物が必然的に描写されている。家屋、地下、空港、駐車場、独房、繁華街、路地裏 — 我々が見たことのある多くの建築物は、それらの基盤となる文化性に強く依存している。そして文化性は、その地域を統括する人々の宗教性、極端に言えば人間性に直結する。ロンドン市街に刑務所がポツンと存在するわけではないし、日本の伝統的な城下町に近代的な景観が混在することもない。もしそんなものを見かけたのなら、あなたは恐らく基本合意現実のどこかを眺めているわけではなくて、たまたま落下した異世界で別の文化性を眺めているのだろう。
「@MissingLiminality」の投稿には (投稿者が1人であるという前提だが) 一貫性のない建築物の写真が連続している。地域性が混在しており、投稿者の普遍性を感じさせる。例えば、前記のような作品はある種の通路空間を撮影したものだと思われるが、具体的な所在を特定することは難しい。このような空間は、特にある種の特異性や歴史的重要性を兼ねないため、普遍・一般的な性質が特定を難航させている。少し引用を含むが、フランス (合意的共通形成宇宙内) の人類学者マルク・オジェは、彼の著書『場所―スーパーモダニティの人類学に向けて』において関係性の高い題材を取り扱っており、そこでは共通する概念を「非—場所 (Non-lieux) 」として提唱している。
場所とは、アイデンティティを構築し、関係を結び、歴史をそなえるものであると定義できるならば、アイデンティティを構築するとも、関係を結ぶとも、歴史をそなえるとも定義することのできない空間が、非―場所ということになるだろう。ここで主張する仮説は、スーパーモダニティが数々の非―場所をうむということだ。
『場所―スーパーモダニティの人類学に向けて』[1]
産業的に形成されただけの通過空間や、保存を目的としない・単に放棄されただけの非居住区など、歴史的側面から一切の価値を持たず、そのような価値を持つ他の建築物によって代替される空間は、この場合における非—場所 = リミナル・スペースとして考えることができる。一般化された通過儀礼が繰り返され続ける空間の中では、他に代表されるような文化性が形成されず、場所-場所を節合する「中間地帯」としての役割以上のものを持たないのである。
「リミナル・スペース」画像の多くは、存在する空間・部屋部屋の一部を切り抜いて保存し、その空間の色相と彩度が近似する相対配置を加味した上で、単一・複数の画像を合成する。このような「イメージキルティング」の適用後に生まれる世界は、存在する空間・部屋部屋の間、即ち狭間の世界である。廊下から始まった世界は、その道の途中で外階段に出くわし、その後にビルの頂上へ辿り着く… 本来は存在しない中継地点が発生することで、合成前の世界は強引な結び付けが行われ、あたかも一つの節合点で交わるようにして融和する。リミナル・スペースの核となっているのは、このような「存在しない中間地帯」の形成である。
逆説的に、リミナル・スペースに用いられている画像アセットの大部分は、私たちの直感の限り存在すると考えることができる。過去に、著名なハッカー集団はこれに関する調査を開始した。「@MissingLiminality」にペアリングされたビジネスアカウントの解析や、大規模言語モデルを用いた「AI生成」の可能性の調査 (犯罪関与の疑いがあるため、ここでは言及しない) 、しかしどのような調査の結果も、リミナル・スペースの「アセット」が人工的なものではなく、あくまで実在の風景を撮影したものに過ぎないという事実を補強するだけだった。これらの撮影場所に関する真相は、2023年に新たな投稿があるまで不明なままとなる。
ここで、リミナル・スペースの保有する「存在しない中間地帯」について詳しく考えてみることにする。都市伝説として名高いリミナル・スペースの始祖は、クリーピーパスタの本質的な「恐怖」を全面的に表現しており、その様子はソーシャルネットの反応を伺う事で確認できる。恐怖は典型的な情動反応であり、有害であったり、危険な事態が起こっている場合に対処が難しいと判断した場合に生じるとされる。その具体的な事態として「存在しない中間地帯」が印象付けられているのであれば、(特に)私たちのようなエルマ外教の同胞が強く誘引される、その理由は何なのだろうか?
我らはエルマ。未踏の異域へ歩み渡り、遍く世界の階となる者。
— 同胞S.エンガントの手記
エルマ外教の熱心な宗徒は、世界間を跳躍する唯一の手段である「異世界跳躍」について熟知している。しかし、多元宇宙を航行する人々は、そうでない人々よりも拡張された世界観を持つことで、多元宇宙を構成するシステムの存在についてより理解していると錯覚することがある。日本の心理学者である河合隼雄によれば、恐怖は「人間は自分の人生観、世界観やシステムを持ちながら生きているが、それをどこかで揺り動かすもの[2]」だと言及されている。
この観点から、特に私たちのような宗教観・世界観を持つ者が、非合理的な理由で明確化できない事象に遭遇したことで、リミナル・スペースを「恐怖」の対象として見るようになったと捉えることができる。特にエルマ外教の宗徒にとっては、自らの足で発見できないという事実自体が脆弱性となり、恐怖へと直結する。私たちは、自らの世界観を構築している多重の認識フレームが脅かされることを非常に恐れており、そのような事象に遭遇したときの本能的な情動に逆らうことはできない。
2023年第二四半期、異なる匿名投稿プラットフォーム extravaganza.com が有名なソーシャルメディアとして頭角を現し始めた頃、@TeamEndObservationというユーザーIDの共有アカウントが積極的な活動を開始した。このアカウントは「@MissingLiminality」の使用者とは別の人物によって利用されていることが後の調査により判明しているが、問題はその投稿内容に存在する。@TeamEndObservationの言及によれば、どうやら「@MissingLiminality」が投稿したリミナル・スペースのアセットに心当たりがあるようで、それは彼ら自身の所属元宇宙と関係がある、と説明した。何十、何百と確認されるポストの大部分はそのような内容で埋め尽くされていた。
残念ながら、この共有アカウントの使用者の痕跡を追うことは難しい。彼らが投稿したメディアの大多数には検出率の低い致命的ミームベクターが含まれており、その事態の発覚後、extravaganza.comがこのアカウントを永久凍結したからだ。更にウェブアーカイブは本アカウントの情報を保存しておらず、どのような人物が「@MissingLiminality」の実態を知っていたのかを推測以上の範囲で述べることはできない。
コミュニティは様々な見解を表明しているが、中でも最も興味深いのは 先駆的未検閲図書館 (PUL) の管理者による発言だ。PULは、アトラルと相互接続する多元宇宙に関する研究文書を包括的・未検閲的に集積しているデータベースであり、あらゆる権力の規制を排除することを目的としている。この代表者の発言は、大きく要約すると「@MissingLiminalityが投稿したメディアの素材は全て終焉済み世界で撮影されたものである」という事だった。
似たような用語として、エルマ外教のデータベースでは度々「終焉観測」というものが存在する。これは、あらゆる外的要因によって崩壊・滅亡した文明所属宇宙に関する統計情報を管理するドキュメントの事であり、多元宇宙に存在する終焉済み世界を説明し、その場所へ誤って異世界跳躍する事態を未然に防ぐ目的のため公開されている。
私はPULからの情報収集を目的とした申請を行った。その申請の結果、興味深い情報の幾つかを入手することができた。
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