天国には天気雨が降っている
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「人が死ぬってイベントはさ、なんでこうも陳腐なんだろうね」


まるで自分が狭い部屋の主であるかのように振舞いながら、少女は言う。それが独り言なのか、自分に話しかけられたものなのかの判断が付かなくて、男はとりあえず鼻を掻いた。

物少ない無機質な部屋には、ただぱらぱらと軽快な音が鳴っている。外では雨が降っている。

「ありきたりすぎるよね。何回擦るんだって感じ」
「あ、俺に話しかけてる?」
「他に誰がいんの。妹が話しかけてんだから、構え」

んな理不尽な、と男は小さく鼻で笑って、その後で「そうかもな」とだけ付け足した。日々の疲労と一周回った諦観由来の深い皺が、ただでさえ悪い人相に拍車をかけている。短く刈り揃えられた髪も、印象に良くない作用をもたらしているように見えた。

「けどさ、その上でありとあらゆる物語が語る"擦りつくされた死"を見た時、やっぱり感動しちゃうよね」

少女はやや持て余した学校指定のスカートを抱えて三角座りをしながら、部屋の隅で漫画本を読んでいた。朝特有のやや忙しない雰囲気が、煙のように燻っている。

「ほら、この刊とかさ、何度読んでも泣けちゃうもん」
「それ、もしや実家に俺が置いてたやつだろ」
「どうせ読まないしいーじゃん。でも、なんでそうなんだろう。どうしてたかだか死なんかに、新鮮に心を動かされるのかな」

妹が投げるふんわりした会話のパスに、男は少し考えてみることにする。死やら何やらについては意識するとそれがずっと近く感じられる気がして、長らく無意識で思案を避けていた。それでもすんなりと彼なりの答えが見つかったのは、きっとずっと前に結論は出ていたからだ。「──それが、絶対だからじゃないか」

「死ってのは陳腐で意外性がなくて、つまり"絶対"で、なんとそれが他人事じゃ済まされないからだ。こんなしょうもない物を受け入れるしかない悔しさとか、何もなくなる恐怖とかを、みんな腹の底でじわじわ飼い殺し続けているからなんじゃねえかな」

んで、そんなんだから、みんな死から逃げられない。

男が付け足した言葉に、少女は「確かに」とだけ短く返した。俯いても、笑ってもいない顔だった。雨音は鳴り続けていた。しばらくは止まないだろう。

少しの沈黙のあとで、少女は思いついたように呟いた。じゃあ、じゃあさ。


「天国は、どうだろう?」


「天国ぅ?」
「うん、天国。死と同じくらいありきたりな概念」
「あんま変わんねえだろ」
「でも今の時代、みんな天国になんて行ける訳ないと思いながら生きてるでしょ。天国については、みんな当たり前に他人事だよね」

そりゃそうだ。男はその皮肉にまたしても小さく笑う。

そんなんじゃ当然天国にいける訳もないよね、と続けながら少女は漫画本を閉じて、立ち上がった。一歩、二歩、跳ねるように移動して、男の前へと立つ。その地点は、ちょうど窓際で。

「ねえ」

「私が天国にいるってなったら、あんたの心は動くかな」

雨音に似合わない朝の白めいた陽射しが差し込んで、男が着た橙のツナギを照らす。

どうだろうね、とは言えなかった。

上手い返事も、情けない言葉も、何もかもが出てこなかった。自他ともに悪い人相で、それでもなるだけ柔らかい視線で、彼女を映すことしか男には出来なかった。

少女はまるで納得のいく解答が返ってきたように頷いて、かすかに目を伏せる。

「みんなが行けるわけないと思ってる天国はね。おかげさまで、ありきたりなのに誰もいない場所なんだ。私は別に一人が苦じゃない性格だけど、それでも寂しいんだよ、ちょっとだけ」

だから、ひとつだけ教えてあげるね。

少女の身体で遮られているはずの太陽光が眩しくて、男は目を細めた。Dクラス職員の居住区に設けられた窓硝子は固く閉じているが、光だけは柔らかいままに両者を照らす。

少女の姿がぼやける。少女は白靴下ごしのつま先で床をとんとんと叩く。少女は少しだけ言葉を選ぶ。どこか名残惜しそうに息を吸う。雨音がぱらぱらと鳴っている。

そうして少女は、はにかみがちに笑った。

「知ってるかな。天国にはずっと天気雨が降りやまないから、写真映りが最悪なんだよ!」

男が父親と母親を殺す一日前に、男の妹は自殺した。

学校帰りの制服のまま、自室で首を吊っていた。その決定的な理由が、最後まで男には分からなかった。当然のように捕まり、死刑が決まり、この世の理から外れた物共と相対する日々を送るようになってからも、その疑問は咀嚼されず喉元に突っかかったまま。

理由自体はいくらでも考えられた。男が両親を殺した訳と、それこそ同じ位には。
けれども、浮かぶどれもが何処かしっくりと来なかった。

「事情調査はこれにて完了です、D-18571。では当初予定されていた通り、本日あなたにはアノマリーの実地調査を行っていただきます」

恐らくはどこか荒れ道を走っているのだろう大きな車の中で、白衣を着た研究員は言った。温和を前面に押し出したような振る舞いで、Dクラスもその例外ではないという意識が感じられる。相対した男は一言、「ああ」とだけ返す。

男の元には、一冊のそこに在るはずがない漫画本だけが残された。それ以外は、まるで何もなかったかのようだった。少女が纏っていた柔軟剤の香りすらも、居住区画には残っていなかった。男は研究員に報告して、かつて男が実家に置いていた古びた単行本が回収されて、全てはそれだけだった。

車の揺らぎを感じながら、男はふと思う。

彼女は天国には行けないはずだ。自分で自分を殺したから。

自身も天国には行けないだろう。この手で両親を殺したから。

両親だってそうだ。己の役割をこなさず、子供達を苦しめ続けたから。

きっと眼の前の温和な研究員だって、自身が天国にいけるとは微塵も思っていないだろう。理由は男でも簡単に想像がつく。大義の為に、捨てざるべき人道を捨ててきたから。

何かをこっそりと奪い取ったから。

誰かに嘘をついたから。

虫を踏みつぶしたから。


きっと、誰も、誰も、天国には行けないだろう。

停車した車から降ろされて、男は今日も業務につく。超常と相対する、死の限りなく近い仕事に。この先に研究員たちが欲す何かがあるのだろう山道を前にして、男は耳元の通信機を軽く叩いた。

「聞こえるか。こちらは問題なく目的地に着いた、天気は雨天。ヘッドカメラや装備も今んとこ不調はない。さっさと進んでいいか」
『全て了解しました。何かそちらから支給品の申し出などありますか? この場で用意できるものなら用意いたしますが』

聞こえてくるのは、先程の温和な研究員の声だ。「特にないよ。ないけど──」とまで言いかけて、男はふと上を見上げる。ちょうど木々の隙間が広がっていて、空がよく見えた。

「強いて言うなら、日焼け止めかな」

風が、遠い彼方から雨を運んで、大粒の雫が額を濡らす。その一粒一粒が、果てしない青空とパステルの光を反射していた。

やや白めいた世界のずっと向こうに、荘厳に膨らむ雲と煌めく太陽がある。誰も手の届かない空の果てから、天気雨が降り注いでいる。

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