五槍 水。それがあの転校生の名前だった。
小さなシルエットを覆う毎日同じパーカー。襟元から覗く細い首。血色の良い頬。長いまつ毛。男にしては長く重たい緑髪。そのパステルカラーの前髪から覗く、何よりも深淵に近い、漆黒の瞳。
その視線は常に黒板か、本のページしか見ていなかった。近寄り難いオーラを自ら放っていた五槍のことは、長らく誰も相手にしなかった。五槍は声も発さない。授業中担任に指名され起立したときでも、力なく掠れるリコーダーから出た音のよう。
「声ちっさすぎて聞こえないでーす」
五槍は誰の相手もしなかった。常に本を読み、黙々と課題をしていた。誰がどんなことを尋ねても「別に」「何も」「あんまり」「よくわかんない」。奴はどうやら同年代のガキなんかよりも大人が好きらしく、学校生活や勉強における質問をしによく職員室を訪ねていた。テストで100点が取れるのはクラスで俺と五槍の2人だけだった。
次に五槍に手を出したのは俺ではなかった。次の授業中に当てられ起立したそいつの椅子を後ろの奴が蹴飛ばした。膝カックンの要領でバランスを崩した五槍は転びかけただけで態度変わらずに、小さな声でいてっ、と声を漏らしただけだった。くすくす、くすくすとあちこちから声がする。五槍の間抜けな姿を見て笑っているわけじゃない。授業中にもかかわらずふざける後ろの奴の挑戦を称えているのだ。
初めは下校中のピンポンダッシュに等しいチャレンジだった俺たちの行動は、やがて、小石を蹴飛ばしながら家まで帰るような、なんの意味もない暇つぶしへと変わっていった。
こちらを見下しているような視線を向ける五槍が気に入らなかった俺たちの間で、こちらを相手にせずあらゆる物事に無反応でいる五槍に対して"どこまでやれるか"というチャレンジが流行りだしていた。奴の後頭部には何をぶつけても無反応だったため、背面の襟元をゴミ箱に見立てて消しカスを投げ入れる遊びが生まれた。
漢字ドリルを墨汁に沈めた。ランドセルの中に枯葉を詰めた。トイレの個室に入った奴に花を摘んで作った色水を被せた。五槍の醜態を見るだけでは満足できなかった俺は、奴のスニーカーの中敷きに針だけが出るように画鋲を仕込んだ。その日、五槍が転校してきてから1番の大声を出させた者として、仲間から賞賛を受けた。
誰かが机に花を供えた。また誰かは奴のノートに悪口雑言を書きなぐり、机の上に開いた。青白くなった顔で登校した五槍はいつもと同じように口を一文字に結んで席に着き、無言で机の上のものを片付ける。朝の会が始まるまでのしばしの間、突っ伏して待つ。最近本を読まなくなった五槍のいつもの行動だった。
いつも、いつも。
「俺がこんなことされたら絶対嫌だけどね。Mなの?お前って」
机の上に伏す五槍の腕を押さえつけながら、俺は頭上から問いかける。ここをうまく抑えつけると、血液が止まって腕が痺れて痛くなる。
「ていうかなんの反応もしないよな。実はもう死んでんの?顔白くてキモいし」
この間大声出してたじゃん、と言ってきたクラスメイトの方に顔を向けて、あれは怨霊の叫びとかそういうのだよ、と返す。
「今日も学校きてくれてありがとな。ずっと死んどけよ五槍」
俺はズボンのポケットから、理科室から持ち出したマッチ箱を取り出す。腕を付いていた左側の髪の傍で、マッチを擦る。それまで反応が無かった五槍はその音に驚いたのか、勢いよく顔を上げる。
俺の手にあったマッチ棒は当初の狙いを外れ、五槍の、震える左目に触れた。
ちゅっ、という小さな音がして、奴のまつ毛とそこに被さる前髪に火がついた。一瞬のことだったが前髪の一部はちりちりに焦げ、めくれ上がって露わになった左目を抑えて五槍は息を漏らす。浅く、焦るように。
「前見えてなさそうだったしちょうどいいじゃん。かっこよくなったぞ」
奴は残った右目を使い今まででいちばん強くこちらを睨みつけると、乱暴に椅子を下げて立ち上がった。そのままランドセルを乱暴につかんで、教室のドアへと向かっていく。はじめての挙動を見せた五槍を前に教室は鎮まり返り、その足取りを止めるものは誰もいなかった。
奴は後ろ手でドアを閉めた。前髪と左目の焦げた少年がいなくなってからやがて、だれかが、あーあと口をつく。俺はこの状況が当時心底つまらなくて、誰にも聞こえないように舌打ちをしていた。はじめて、五槍が反抗した相手になったのだ。ただの人形、的、サンドバッグであればよかった五槍が俺に対してだけ示した態度は、俺が仲間たちから舐められることを決定づけている。盛られた砂の上の枝を誰かが倒したときは、そいつの負け。
その日五槍はそのままどこかに行ってしまったようで、授業には戻ってこなかった。時間になって入ってきた担任は教室中央あたりの空席を一瞥すると、遅刻か?珍しい、とだけ言っていつも通りの諸連絡を話し始めた。五槍が登校してきたことも知らず、教室で何があったのかも知らず、大して確認もせずに奴への関心を無くした担任の姿を見て、俺は子供ながらにこんな無責任な大人には絶対ならないと心に決めた。
次の日の事だった。俺が準備するまでもなく奴の机の上には花瓶とノートがそれぞれ用意されていた。いつもと違うのは、五槍がいつまでたっても登校してこないことだ。流石に机の上のものを担任に見られたらヤバい。ただいつごろ登校するかわからない五槍には、絶対にこの景色を見せたい。そんなところにも俺たち同級生はチキンレースのようなスリルを見出すようになっていた。
そんな中、五槍は朝の会が始まるギリギリに登校した。担任よりも早く入ってきてくれた奴に対する安堵──ではなく、俺を含めクラスメイト達は違和感を覚える。
眼帯。五槍は昨日負傷した左目を覆う眼帯をしていたのだ。前髪も下ろしっぱなしだった以前とは違い、焼けた部分が目立たない様に切って、外に向かって跳ねさせていた。それ以外の後頭部のぼさぼさ頭は、そのままで。いつも以上に勢いよくつかつかと歩いてきて、ランドセルを抱えたまま席についた。
「その眼帯どうしたん?厨二病みたいじゃん」
少し離れた席の俺がわざとらしい台詞を投げかけるのと、教室の前のドアから担任が入ってくるのがほぼ同時だった。ふざける時間は一旦やめにしなければいけない。俺は間の悪い担任にいらいらしながら自分の席に座り直す。
その時だった。五槍のいるあたりから、ぼとぼとと何かをころがす音が聞こえた。
奴の机を見る。ランドセルを逆さまにして、大量の丸い物体──カプセル状の何かを机の上と周辺にぶちまけている五槍の姿があった。その全てからは導火線のような紐が伸びている。
五槍はその1つを手に取り、もう片方の手にマッチを構えた。担任は流石に声を張り、五槍なんだそれは、と制止する。すると、奴は見たこともないような、邪悪な笑みで──右目を見開き、口元をつりあげて、叫んだ。
「我が名は"ヴァーミリオン"!貴様らを地獄へ堕とす、魔王だ!」
それが、俺たちクラスメイトが小学三年生の頃に聞いた、奴の最後の言葉だった。
俺が目を覚ますと、病室のような場所のベッドの上だった。点滴、というよりももっと大掛かりな"生命維持装置"とも言うべき機械を付けられ、身体中に管が取り付けられていた。体の節々が痛い。俺はパニックになって、その全ての管や針を外そうともがいた。髪も、体毛も、ましてや身長も──俺の最後の記憶よりも明らかに成長している。一体どのぐらいの時間が飛んだんだ。
やがて白衣を着た大人たちがぞろぞろと部屋に入ってきて、俺を制止した。その中の一人が重たそうな口を開く。君は、5年間ここで眠っていたんだ。と言った。
5年間──意識が混濁していて正常に思考できないのを自分でも感じる。記憶が正しければ俺は9歳だったんだ。14歳になる年を迎えるまで、俺はここで眠っていて……言い表せないショックを受けながら俺は、そのきっかけを思い出そうとした。
────爆弾。
あの教室で起こった爆発を覚えているか、と、先程の大人が言う。あの場所に持ち込まれた数十個の手製の爆弾は、その見かけによらない強大な威力を持ち、教室中の机、椅子、そして生徒たちを木っ端微塵にし、吹き飛ばしたのだという。クラスメイトは全員死亡した。俺だけが奇跡的に、昏睡状態で一命を取り留めたらしい。その爆弾の威力、製造方法、そしてその後の痕跡が完全に消えた五槍 水という少年自体が……理論的に不可能な、異常なものであるそうだ。
小学校の一室を爆破するという、凶悪事件の唯一の生き残りである俺から詳細を聞き出すため、仮死状態だった俺を保護し回復を待っていたらしい。彼らは自らを、「SCP財団」と名乗った。聞きたいことは山ほどある。焦らずに1個ずつ、今の状況を整理していくべきだ。俺は9歳にしては頭の出来が良かったから、そうやって冷静になることができた。
そうして5年の眠りから覚めて、最初に放った言葉。
「……ヴァーミリオン様は、どこへいったんですか」
その言葉を聞いた財団の職員たちは──みな一様に、ぽかんと口をあけたのだった。
そのはずだ。ヴァーミリオン様が自らをヴァーミリオンと名乗ったのは、あの日が最初で最後。なんの記録にも、俺以外の記憶にも、残っているはずがない。だが俺が勝手に五槍をそう呼んでいるわけじゃない。確かにあの日、かの魔王は自らをそう名乗ったんだ。
超能力で生み出した超性能の爆弾で、憎む世界を爆破した。あの日の言葉どおりクラスメイト達は皆地獄に落ちたのだろう。その姿は、魔王に相応しかった。小さなシルエットを覆う毎日同じパーカー。襟元から覗く細い首。血色の良い頬。長いまつ毛。男にしては長く重たい緑髪。そのパステルカラーの前髪から覗く、何よりも深淵に近い、漆黒の瞳。彼の姿を思い出してみても、俺には、魔王そのものの姿としか思えない。
格好良かった。惚れ込んだ。彼の本性がこんなに魅力的なものだなんて知らなかった。俺が唯一地獄へ落ちなかった──いや地獄から蘇った理由は、この高ぶる気持ちを本人に告げて、今一度、身も心も、魔王に支配されるためだと、確信せずにはいられなかった。
ヴァーミリオン様のことを考えると頭がズキズキする。思わずこめかみを抑える俺を見て、職員が脳のダメージだの記憶障害だのなんだのと言っていたが、その通りかもしれない。俺は頭をやられてしまったんだ。あの魔王に。俺が彼を魔王にして、彼は魔王となって俺の心を支配した。身体中にもう痛くない火傷の跡がある。しかし酷い傷も癒えるほどの年月が経っても消えないこの思いが、治療で治る傷だなんてこと、あるだろうか。きっかけがあの爆発だったとしても、これは紛うことなく俺の本心だ。
興奮して息を切らし始めた俺を、職員たちが改めて抑えつける。彼らはゆっくりと話し始めた──心身に5年のギャップがあり、全身に障害も抱えた俺を今すぐ元の生活に戻すわけにはいかないらしい。どのぐらいかかるかわからないが、リハビリが必要だ。そのために、君には我々の一員になってもらう。そうして異常現象として記録された5年前の事件についても、共に解明していこうと。
俺は考えるまでもなく喜んで引き受けた。必ずかの魔王様を見つけだす。そのためにこの身を削ろうともできることはなんでも協力する。いずれ、全身を彼に捧げるのだから。
五槍 水。それがあの転校生の名前だった。
今の名はヴァーミリオン。俺が信仰する、記憶の中の魔王の名だ。
Eternal Darkload
はあっ、はあっ。
どうしてこんなことに!私、封間えら。プリチャード学院の中等部2年生。1年以上履き続けてすっかり仲間になれたと思ったローファーは、私のことを思ったよりもまっすぐ学校まで届けてくれないみたい。
何度も転びそうになりながら、フラつく足を全力で動かす。せっかく涼しくなってきたところなのに大汗をかいて、大っきく口をあけて息を切らしてる私、今きっと誰にも見せられない顔してる。
遅刻なんてするつもりなかった。なんなら今日はいつも通りの時間に起きて、部屋でゆったり朝の時間を過ごしていたのに……カレンダーを見てはっとした。私、今日は日直さんのお仕事があったの!
しっかりしなさい、封間えら。私は魔法少女である以上に、学校の生徒なの。教室での役割はしっかり果たして、先生やクラスメイトの前で恥をかいちゃいけないの。にしても変身してない状態の私がこんなに体力がないなんて、本当に嫌になる。
コーヒーカップに乗った時みたいに目の前がぐるぐると回りはじめた。遅刻なんて許されない。でもこのまま、さっき食べたばかりのフレンチトーストとミルクティーが、お腹の中からでてきたりしたら……私、この学校にいられなくなっちゃう!
ぐきっ。視界が突然真横になる。すってん!
「……いったあい!」
ローファーでかけっこなんてしたことなかったのに、焦って全力で走ったりしちゃったせいで……私はとうとう、目の前の地面に飛び込んでしまった。
両手にできた小さな擦り傷が、うっかりやさんの私を責めたてる。あぁ、神様。こんなにおっちょこちょいな女の子、歴史上存在したでしょうか。未来の王子様どころか、こんな私の醜態、誰にも見られたくない……
「大丈夫?」
「んひっ!?」
私の頭上にできた影は空にうかぶひつじ雲なんかじゃなく、もっと低い位置。そう、転んだ私を覗き込む人の影。タイミング的にきっと……私がドタバタ走ってずっこけるところまで、全部見られてる……つらい。そうしていきなり声をかけられた私が変な声をあげるところまで含めて、あまりにも恥ずかしすぎる。きっと今私の顔は、むこうの花壇に植えられたダリアみたいに真っ赤だ。
そんな私に、その人……私と同じ中等部2年生の柄のネクタイをつけた男の子は、続けて声をかけた。
「そんなに急がなくても間に合うって。落ち着きなよ」
「ごっ……ごめんなさい……!」
「別に謝ってくれなくていいから。封間さん」
「あれ、わ、私のこと知ってるの……?」
「いや同じクラスだし。俺、走処はしりどころ 緒狼おおかみ。封間さんと同じで俺も日直」
……そうだ。この銀髪は……同じクラスで私の前の席に座る男の子、走処くん。授業中、よく机に突っ伏して寝ていて……起きたと思えば、少し背の高い体のせいで前の黒板が見えづらくなる、走処くんだ。お話ししたことなかったとはいえ、クラスメイトの、しかも同じ日直さんの子を覚えてなかったなんて……私自身の記憶力のなさに、ため息が出ちゃう。
「あ、あぁ!走処くんかぁ!いや、ちょっとだけ大きめの石があったみたいで!焦ってたってわけじゃないんだけど!早く学校行きたいなって、気持ちがはやっちゃって!」
焦ったせいで何もないところで転んだ自分のことをなんとか誤魔化そうとしたら……走処くん、もう私の数歩先を歩いて学校に入っていってた。私が制服の裾をはたいて立ち上がったのを見て、大丈夫だと思ったみたい。それはよかったんだけど、私、気づいたら置いてかれてるし、相手に聞こえてないのに必死に弁明しようとしちゃったし……
せっかく今日男の子の友達ができそうだったのに……私、朝から恥ずかしいところを見せちゃった。今すぐ井戸の底へ行って、誰にもみられずに大声で泣きたい気分。むこうもむこうでマイペースというか、私のことなんか一切気にしてないみたいだし。いつか素敵な王子様と出会うっていう私の夢が……また1歩、遠のいた気がした。
私立プリチャード学院で教師を務めるようになってからすこしの月日が流れ……29歳になる俺は、中等部2年のとあるクラスで担任を請け負っていた。
「失礼します……ポラリス先生、いますか……?」
「はーい、封間さん。今日はお疲れ様」
「はい!こ、これ今日のみんなの提出物と出席簿です」
「ありがとねー。走処くんは?まだいる?」
「走処くんなら、私と役割分担して黒板を掃除してくれてるので……教室にまだいると思います」
「うん、分かったー。封間さん明日も元気でおいでね」
「は、はい!先生、さようならっ!」
1日の授業が終わり、日直の生徒を見送った放課後のこと。
エージェント・ポラリスこと俺のもとに、財団本部から一通のメールが届いていた。人事局からだったりしたらまだよかったものの、今回のメールはとあるSCPオブジェクトの研究担当の人物から。
それはつまり、俺のクラスの生徒の誰かが、大なり小なり異常現象に巻き込まれたことを意味する。
プリチャード学院という場所であってもあまり起きないことではある──しかし、財団職員を血縁に持つ生徒や、アノマリーによる事故に巻き込まれて財団に保護された生徒が大半を占めるこの学校に置いては、他の一般的な学校よりかは珍しくないのかもしれない。異常存在と身近な場所であることは、誰しもが認めざるを得ないことだった。
俺自身も、財団職員であると同時に、教師だ。生徒たちの体の安全だけでなく、彼らの人生を保証しなければならない立場。それがなかなか難しいこととはいえ、外的要因によって彼らの生活が損なわれるようなことはなんとしても防がなければならない。楽なことばかりじゃない教師生活でも、俺は大事な生徒たちへの責任感を忘れたことはなかった。
と、財団からのメッセージを開いた俺は手を止める。記されていた生徒の名は「走処 緒狼」。うちのクラス、中等部2年出席番号10番の生徒。アノマリーと遭遇し、財団に保護された……と連絡があったのは数日前だ。一時期は取り乱していたらしい彼も回復し、今日のうちから元気に登校できていたはず。
To: エージェント・ポラリス
From: 見滝原 久治
Subject: 走処君の経過観察と、SCP-3726-JPの研究へご協力のお願い
SCP-3726-JP研究チームリーダーの見滝原です。
この度はエージェント・ポラリス殿が担うクラスの生徒である走処 緒狼君と貴殿に対し、プロジェクト・フェアリーゴッドマザーに則りSCP-3726-JP-2類似アノマリーの収容及び研究についてのご協力を依頼するため、ご連絡させていただきました。このプロジェクトの詳細については添付ファイルをご覧ください。
走処君は"魔法少女条件"を満たす人物の中でも異質なため、より深く研究するべきであるとの判断が下されました。本人からは既にこのプロジェクトへの協力に承諾頂いているものの、彼の精神面や学校生活におけるサポートの方を担任教師である貴殿にお願いしたく存じます。
また走処君は機動部隊ま-7"ガラスの靴よ消えないで"へ配属予定でもあります。つきましては後日、本人を交えて詳しい内容を──
んん……?ちょっと待て。
要するに、SCP-3726-JPの異常性を引き起こす"影"を視認し、対峙できるのは現状"魔法少女"の条件に選ばれた者のみ。彼らは皆魔法少女に変身する力を宿していて、SCP-3726-JP-2を確保するために戦う運命が待っている。
そしてうちの生徒である走処にその素養があったため、彼が魔法少女として生きるためのサポートを俺にお願いしたい、ということだった。
うん、わからないことは沢山ある。それは後日確認できるとのことだし、どんな難解なオブジェクトを相手にしたとしても、言われた通り真摯に対応するのがエージェントの役目だ。
ただ……
いったんPCを閉じて自分の教室へ向かう。さほど距離は離れていないが、階段を登っているうちに走処が帰っていたらどうしようと、ほんの少しだけ焦る。今日のうちに彼と話しておきたかったからだ。
さっき封間が言っていた通り、走処はまだ教室にいた。今日の分の片付けを終えカバンを抱えていたところで、引き戸を開けた俺と目が合った。
「あ。先生お疲れ様です。日直の仕事も終わらせたんで、ちょうど職員室にいこうとしてたとこで」
「……」
……普通に男の子なんだよな。彼。
クラスの中でも、いや学年の中でも背が高い方で、すらっとしているものの年頃の男子らしく筋肉もついている。帰宅部だが家で空手の稽古を受けているそうだ。普段は寡黙だがクラスメイトや先生ともそれなりに交流している。授業中によく居眠りしているし、成績も良くないのが玉に瑕な至って普通の少年だ。
彼が異質って、魔法少女に変身できる"少年"だからっていうことか……教室まで来たはいいもののなんて声をかけるべきか分からなかったので、俺は言葉を選ばずに告げた。念の為、廊下付近に人がいないことを確認して。
「……走処さんって、魔法少女になるの?」
「あー……」
開けっ放しだった窓でカーテンが大きく揺れる。風になびく彼のシルエットが、一瞬、カーテンの手前を通過して消える。
「俺もまだよくわかってないんですけど、俺、魔法少女になれるらしいです」
無表情だが少し気の抜けたような彼の目は普段通りのはずだったのに、傾き始めた日を逆光に浴びていたその時だけは、彼なりの覚悟が決まっているように見えた……気のせいかもしれないけれど。
「ただこのこと、他の誰にも内緒にしてもらえませんか」
「え……わかった。なんで?」
「……だって、俺が魔法少女やってるなんて、恥ずいじゃないですか」
そう言って走処は俯く。俺には彼がただひとりの思春期の少年にしか見えてない。いままでもずっと。
☽
財団がSCP-3726-JPの収容にこの手段しか取れない理由は、セキュリティクリアランスの都合上俺は知ることができない。ただその代わり、財団が現状彼ら魔法少女の力を借りる以外の手段を確立できていないこと、存在が稀な適正者の研究が至上命題であること、うちの生徒の封間が突然、体調悪いので保健室に行ってきます!と言ってそのまま1時間以上帰ってこなかったりしても許されていたことの理由など、様々なことを知ることができた。
見滝原の説明を隣で聞いていた走処は相変わらず眠たそうにしていたが、魔法少女としての力を手に入れた以上は人のために戦わなければいけないことについて、思っていたより意欲的だった。まぁこれを拒否するような人物はそもそも魔法少女になる素養がない、ということだろう。
でも走処が何を考えているかぐらいわかる。授業中に任務に招集されたりすれば、眠たくてつまらない授業を合法的に抜け出せるとか、そんなことを考えてるのだろう。俺は彼の事情をある程度鑑みつつこれまでどおり成績をつけていくことを心に決めた。魔法少女のアニメとかだとその辺どうなってるんだ?
「それで、走処くん」
眠たそうにしていた隣の走処が、名前を呼ばれて肩を震わせる。ここからは彼自身の話になるらしい。
「財団のもともと所有する魔法少女に類似するアノマリーのほかに、機動部隊ま-7に配属されているSCP-3726-JP-2の収容に特化した魔法少女は3人います」
"確保"の魔法少女、ヴェイルサンベリーナ。
"収容"の魔法少女、チェンバーシンデレラ。
"保護"の魔法少女、クラッチオデット。
「走処君は彼女らとはまた違った、新たな個性を持った戦士になるわけです。君はどんな魔法少女になりたいですか?」
見滝原曰く、自分がこうなりたい、こうやって人を救いたいと強く願うことで、魔法少女に変身できるようになる可能性が高まるそうだ。ヒーローが変身するきっかけなんかも割とそう。変身ヒロイン系には疎いが仮面ライダーやスーパー戦隊は昔よく見ていた。
そう言われて走処は、少し考えるように目を伏せた後、目を覚ましたかのようにはっきりとした表情で告げた。
「……強く、なりたいです。強い人に」
これから魔法少女になるとは思えないほど、男の子らしく、単純な言葉だったが……戦う運命にある者の言葉としては、十分な覚悟を感じさせる。
彼が強くなりたいと言う気持ちもわかる。ただ……あまりに、力そのものを求めているというか。強くなりたいという気持ちを、人のために尽くすという気持ちに変換できないままだと、力に溺れてしまうかもしれない──具体的なことは浮かばないけど、人として正しい道に思えなかった。
彼が習っている空手とも関係があるかもしれない。彼自身が今までどんな考え方で生きてきて──今後どうしていくつもりなのか、個人的に話し合う必要がありそうだ。
「うん。わかりました。貴方には素質がありますから、きっと望むような魔法少女になれますよ」
さて、と見滝原は手を叩いて更なる資料を開く。そこに映し出されていたのはプリチャード学園の教え子によく似た、お姫様のような姿をした少女たち。
「条件を満たしている人物に変身能力を与える具体的な手段は判明していません。ですが、一定の状況下で偶発的に能力を得ているらしいというサンプルは集まっています。走処くんにも、変身のための訓練、戦闘訓練、仮想のシチュエーションを作った上でのテストなど、いろいろなことに協力してもらいます。学園にも通いつつできるようにするので」
走処が魔法少女になったらどんな姿になるだろう。それってまさに教え子の成長した姿のような気がして、早めに見れるのが楽しみだった。彼は、どんなヒーローになってくれるのだろうか。
「先生も学校側で封間さんたちのサポートすることになったんだー」
ある日の放課後。ついさっき学校でわかれたはずのポラリス先生と、財団サイトの中で、ばったり。
えぇっ!?じゃあポラリス先生もわたしが魔法少女だってこと、知っちゃったってこと……!?財団職員とも繋がってるプリチャード学院の先生にわたしの正体が伝わってるのはわかるけど、ポラリス先生はどちらかというといつも会ってて家族に近いような感覚だったから……やっぱり恥ずかしい。
でもわたしは魔法少女だから!わたしは手を後ろに回して胸を張った。チェンバーシンデレラとしてふさわしい女の子だと思ってもらえるようにしなきゃ。
「せ、先生!これからもよろしくお願いします!わたし、みんなのために戦いますからっ!」
「封間さんがいつも頑張ってたこと、なんとなくわかってたよ。だけど仲間の子たちもいるんだから、あんまり気負わないで。辛かったらいつでも誰かに相談するんだよ!」
ポラリス先生……!先生の朝露みたいにきらきらした瞳を見て、わたしも少しじーんとしちゃった……わたしの手を握るその手で、きっとわたしたちのことを守ってくれる。
とっても優しい担任のポラリス先生なら、わたしたちのことも受け入れて一緒に戦ってくれるはず!そう思ったら、先生の手も心も、すごく暖かく感じて。
それでもわたしは魔法少女として、先生よりも強くなって、先生のことも守らなきゃいけない。わたしはポラリス先生に負けないぐらいに強く、手を握り返した。
そのとき。
「あの」
「わっ!はっ、走処くん!?」
ポラリス先生の後ろの方、廊下の遠くから男の子が……同じクラスの走処 緒狼くんが声を投げかける。どうして今ここに……?
さっきの先生との話、聞かれてないよね?
「あぁ……封間さん、この子も実はダークネスの被害者で、アフターケアのために財団でたびたび面倒見てて」
「そ、そうなんだ!走処くん!わたしも!わたしもそうなの!大変だったよね、走処くんのほうは怪我とかしなかった?」
「……別に」
し、知ってる。わたしがこの間──走処くんのこと、助けたから。
彼の目は、わたしが彼をダークネスから助け出したときのようで……ガラスの破片とか、剣を突きつけられたときのような気分になって、息が詰まる。
「あんたに心配される筋合いないから。俺、あんたより強いから」
向けられた切っ先はわたしの胸にそのまま、さく、っと。わたしが魔法少女だってバレてたらどうしようとか、そんなことはどうでもよかった。1度たすけたはずの相手から告げられた言葉で、わたしは動けなくなって。
「ちょ、ちょっと!走処くん!」
そっぽを向いた男の子を追いかけるポラリス先生、その背中が廊下の奥に消えると同時にわたしは冷たい床に膝をついた。
わたしが魔法少女になりたかったのは、誰かにお礼を言われたかったからでも、強くなりたかったからでもない。
それなのに、どうして。
「ずっと言ってやりたかったんだよ。いい気になるなよって」
「走処くん、どうしてそんなことを言ったんだよ。君を助けてくれた子に」
「助けてほしいなんて誰も頼んでない。俺達でどうにかできた」
「そんなわけないよ!ダークネスの力も魔法少女の力も君は知ってるのに」
「俺だって魔法少女になれる。そうなったら封間はライバルだから、宣戦布告しただけ」
「向こうがそれをわかると思う?彼女はただの心優しい人なんだよ」
そんな人をむやみに傷つけるようなことを言うなんて、まるでいじめっ子じゃないか。
サイト内の空き教室内で走処を問い質している。普段は寡黙な彼から飛び出す暴言の数々に、俺は動揺を隠せない。どうしてそこまで強さに固執し、魔法少女にコンプレックスを抱くのか。
「走処くん、君のことを教えてくれ。心優しい人にしか、魔法少女はなれないんだ。今の君じゃ……」
「……あの時、俺には確かに黒い影が見えた。財団の検査でもわかってるはずだけど」
つい先日の報告書を思い返す。休日の電車内に現れたSCP-3726-JP罹患者が乗客の一部を襲いだした。その時に走処とその父親は、同じ車両に乗っていたそうだ。
「男が若い女の人を殴ってたんだ。席を譲れとか言って。俺が止めに行こうとしたら親父に余計なことすんなって制止されて、親父がおっさんを止めに行った。周りの乗客はみんなドン引きして距離置いてるだけだったけど」
財団職員である父親も、この原因がアノマリーの発生によるものだとは瞬間的に判断できなかったらしく、己が身一つで男を止めに行った。
しかし。
その瞬間に現れたのが、魔法少女ダーリンピンクと、チェンバーシンデレラの2人だった。
「ピンクの方が男と親父の間に割って入って、白い方──チェンバーシンデレラの封間が、周りの人間たちを保護してた。急にどこから現れたのかもわからないまま、俺達は保護されて、あっという間にダークネスは確保されて……」
魔法少女、チェンバーシンデレラとしての彼女の働きぶりは見事だそうだ。元々が怠け者というわけでもないが、普段の控えめな性格からは想像しづらい。変身すると、性格にも変化があるのだろうか。
「俺は茫然として何もできなかった。暴れてた男の背後にいた影が、すうって消えていくのが見えただけだった。でも、親父の方がうろたえてたみたいで」
「うろたえてたって……何で」
俺がそう聞くと、走処は制服のワイシャツを、自身の肌着ごとたくし上げた。
彼が自ら鍛えた筋肉質な体と……その腹筋をえぐるような、赤茶色の大きな跡が……三か所ほど見える。俺は何かを考えるかのように手を口元にやったが、手か口のどちらかが震えているのかさえわからなかった。
「……卑怯だろ。普段隠れてるところばっか狙うんだぜ」
様々な衝撃が眼前に流れ落ちる。家庭内暴力、それも、財団職員の父による──暴力の痕に関しては彼は平気そうな顔を見せる。
「親父から稽古つけられてるときに拳食らうなんて昔からよくあったけど、ただのストレス解消として殴られるのは、母さんの役割だった……離婚して経つけど。あんな魔法少女に助けられたのが嫌だったのか、それを俺に見られて舐められると思ったのか知らないけど」
俺が今すぐすべきことは、財団にこのことを報告して走処を保護することだ。教師として、彼を一番に救うべきだ。そんな状況の少年に魔法少女なんて、尚更──
「俺がもっと強かったら、あの魔法少女たちに助けられるなんてこともなくて、親父のクズの部分もこれ以上見ずに済んだ。でも自分に魔法少女の素質があるって知ってからは、少し希望が見えたんだ。誰かに助けてもらわなくても一人で戦えるし、母さんに酷いことをしたクズ親父にも報いを受けさせられる」
彼の瞳に、力がこもっていくのを感じた。
違う。
魔法少女に必要なのは、力でも、報いでもない。優しさと、人を救うこと――
「走処くん」
そう伝えようとした時だった。
俺の端末に着信。走処がもたれかかる壁に背を向けて、懐から震える端末を取り出した。
「……プリチャード学園に爆破予告!?」
「はあぁぁぁ〜〜〜〜〜……」
「封間。そんなに大きなため息をついていると幸せが逃げますよ」
「うぅ……そうだよね……」
えーっと、未来の王子様。見ていますか?
私、ほとんどしゃべったことのないようなクラスの男の子を怒らせちゃったみたいです。
というかあの感じ、絶対嫌われちゃってるよね……?
「まいさん、実は、かくかくしかじかで……助けたはずの人に助けてくれなくてよかったのに!って睨まれちゃって……私はみんなのために戦ってるだけなのに〜!」
「助けられた立場でずいぶんなことを……まぁ、私たち魔法少女は助ける人間のことまで選んでいられません。気にすることはないですよ」
図書館棟の下、私とまいさんで張ったグリーンカーテンのそばのベンチで、魔法少女たちは秘密のお話中。私の胸に刺さったガラスの破片の痛みがどうしても消えなくて、うなだれているところに、ベイルサンベリーナ……まいさんが来てくれた。
「それに、一人に嫌われたところで大丈夫ですよ。私や他の皆がいるんですから」
たしかに……今の私には一緒に戦ってくれるまいさんもいるし、頼りになるダーリンピンクたちもいるし、優しいポラリス先生もいるし……で、でも生きてて誰にも嫌われたくない!というか、嫌われたらやっぱり凹んじゃうというか……
私は魔法少女、チェンバーシンデレラなんだから。ダークネスを退治するために戦って、みんなを救うことが使命。そのために、もっと心も強くならなきゃいけない。もう、負けたくないし。
やっとできた友達のことも絶対大切にしたい。王子様は、普段から頑張ってる女の子になら振り向いてくれるはずだもん。継母たちにいじめられてたシンデレラが、誰よりも幸せなお姫様になったみたいに!
「うん!そうだよね。ありがとう、まいさん」
魔法少女になってから私の身に降りかかる試練のぜんぶに、きっと意味があるはず。そう信じて──
「あの」
そんな話をしていた私たちの前に、まさに、ちょこん、という感じで。
子供が立っていた。
「はい。どうしましたか」
大きめサイズの黒いパーカー姿で、緑色のもさもさの髪で顔が隠れてる。ランドセルを背負ってるから小学生だと思うんだけど、声を聞いたうえでも男の子か女の子かわかんない風貌だ。
というか、そんなことよりも──
「中等部にいきたいんですけど、迷子になっちゃって。どの建物ですか」
「……中等部だったら、この図書館棟の隣で……あそこに入口があります。一緒に行きましょうか」
「だいじょうぶです。ひとりでいけます」
まいさんがそう声をかけるも、子供はぺこりと頭を下げて、中等部の棟に向かってしまった。
その子供が顔を上げた瞬間に前髪からちらりと見えた──真っ黒な。雨が上がってもいつまでもなくならない水たまりの泥みたいな、底が見えるようで見えない真っ黒な瞳。
「……封間」
「まいさん」
「私にも、わかりました──嫌な予感がします」
真っ黒のパーカーの子供から感じたのは、まるでダークネスを対峙した時のような――嫌な感じ。でも、肝心のダークネスの姿はどこにも見えなかったし、そもそもあの子の言動からは悪意は感じられない。
「先生たちに報告しましょうか」
「ちょっと待って……ダークネスの雰囲気を感じたわけでもないから、変身して対処しなきゃいけないとは思えない。でも私たち2人とも嫌な予感がしたことは、偶然とも思えない」
「そうですね……」
妙にぴりっとした空気だけが、そこに残されていた。
今の子は、何者だったんだろう……
俺は急いでプリチャード学園の職員室に戻って、経緯を聞いた。不明な発信元からの、学園への爆破予告。財団が特定に当たっているがいまだ身元も発信元もわからないままだそう。もうだいぶ日が傾いているが、今日中に爆破は行われるらしい。
足早に職員室を一人抜け、中等部じゅうを見て回る。放課後に残っている生徒たちがいないか。爆破予告が嘘で、何も起きないことを祈りながら、生徒の無事を確保するために俺は足早に廊下を巡る。
そして――俺は、ひとつの直感を手にしていた。
爆破を予告してきた人物についてだ。
いつ爆破が実行されるかわからない。もうすでに爆弾が仕掛けられている可能性もあるわけで、本来であればむやみに校内を歩き回るべきではない。
でも、俺は一刻も早く彼に──
いや。
かのお方に会うために。
廊下の奥から。圧倒的な気配を感じる。
自分が普段授業をしているクラスの中から圧倒的な存在を感じて、俺は扉を開けた。
「……!!」
「はは」
小さなシルエットを覆う毎日同じパーカー。襟元から覗く細い首。血色の良い頬。長いまつ毛。男にしては長く重たい緑髪。そのパステルカラーの前髪から覗く、何よりも深淵に近い、漆黒の瞳。
「あーっはっはっはっはっ!!!!!!!」
暗黒のオーラとも言うべき、小さな体に見合わない圧倒的な存在感。
忘れるはずがない。
「ヴァーミリオン様……」
10年前の事件。5年前に俺が財団職員になったきっかけを作り出した、俺の根幹。
魔王。それらすべての記憶が鮮明に思い出された。
「久しいな。貴様、今はポラリスと名乗っているのか?」
いや、待て。
俺は何度も目を擦る。ヴァーミリオン様が記憶のままの姿でいるというのは、絶対におかしい。
なぜ10年前から姿形が変わっていない?
立ち尽くす俺に、小さな魔王は一瞬で距離を詰め、俺を少し見下ろすような形で空中に漂う。少女のような風貌でありながら、今にも膝をつきそうな強烈な威圧感。
「笑い話だな!!少年期にあれだけ他人を苦しめ、我をこのようにまで歪めた貴様が他人を導き救う立場になれるなど本気で思っているのか!!我はあの日の屈辱を一時も忘れたことはない!!いや違う、貴様が我を魔王にしたその時から我の時は止まったのだ!!我の体も心も、あの日々の記憶に縛り付けれているのだ!!貴様と、貴様を取り巻く世界のすべてを破壊するために我は戻ってきたのだぞ!!」
俺は膝をついた。頭上に浮ぶ彼に向かって、額でタイルの冷たさを感じて。
そもそもプリチャード学園で働こうと思ったのも、他の小学校などのデータや異常に関わった子供たちのデータから、10年前の事件のその後を追って魔王様に再びお会いするためだった。いつからか俺は教師としての自覚が芽生え、子供も他人も大切にするものだと大人としての意識ができていた。成長したのだ。
"いたずら"を繰り返していたあの日々だって、友達はいたし他者は大切にするものだとわかっていたはずだ。俺は"ヴァーミリオン"を追うことに固執し──"五槍 水"にした所業から目を背けていたのだ。その結果、どういう原理かはわからないが……この世界に、本物の、永遠の魔王が生み出されてしまった。
俺は彼が哀れで仕方ない。
「お許しください……!俺は、ずっとヴァーミリオン様のことを考えて生きてきました……魔王様に、この身を捧げるために、ずっと貴方のことを探していました……!貴方に、永遠に服従する覚悟はとうにできています……!どうか命だけはお助けください……!」
「ほう……自分の立場をわかった上で、我に服従すると言うか……少し想定外だが、大体は我の見たかった景色だ」
土下座する俺の頭の少し上まで降りてきた魔王は、空中に腰掛けるようにして足を組む。
そうして片足を、俺の眼前に差し出した。
「契約だ。貴様の一生、いや、永遠を我に捧げると言え」
「はい……わかりました……永遠に、忠誠を誓います。我が魔王」
その瞬間、脳を揺らすような爆発音。どこで爆発が起きたのか理解に時間を要したが、俺たち2人がその中心にいた事にすぐに気がついた。10年前のように、壁と天井が崩れていく。昔と違うのは、俺はこんな状況でもまだ意識を保っていたこと。
明らかに正気じゃない。俺も、魔王も。ただ魔王の力は間違いなく本物だ。魔王の威厳とその力に魅入っている俺は、永遠に彼のもとで生きたいとずっと願っていた。
「そしてもう一つだ。ポラリス」
「はい」
「貴様、魔法少女を知っているか」
「……」
「隠さずとも、貴様が奴らの育成に関わっていることはわかる。邪魔な存在だ……我の崇高な目的を、"子供のいたずら"とコケにしてくるような連中だ。世界の破壊は我が使命であり、改心などという概念は存在しない。貴様には分からないだろうがな」
いじめられっこの髪をライターで炙るようないたずらごころで、彼は学校に火をつける。教室を爆発させる。魔王にはその自覚がないんだ。さながら永遠に治らない厨二病。魔王が魔法少女を認知しているところからも、人々に軽微な悪意を抱かせるというダークネスに近い由来の力を得ているのだろう。俺にはダークネスは見えない。しかしそんな一般人にも伝わるような圧倒的な悪のオーラをまとっている彼は、それらの上位の存在、に成り果ててしまったのだろう。
哀れだ。やはり、俺が一生そばにいるしかない。彼をこんな存在に堕とした罪を償うために。
「わかりました。魔法少女を、我が手で排除してこいということですね」
「いや、違う。奴らは我が排除する。あるいはいずれ、我が支配下にするのも良いかもな」
「……では、どうすれば」
「そのまま魔法少女をサポートする立場を続けろ。我が直属のスパイという形だ。我に従って妨害工作をしてもらう──いずれ我に殺されるために、貴様は生徒を世話するのだ」
……なるほど。
それが、俺の贖罪というわけか。
「我は貴様を永遠に許すことはないぞ、ポラリス。自らの犯した罪に苛まれ続けて苦しむようにしてやるからな。それぐらいの覚悟などとうにできているのだろう?」
☽
「ポラリス先生!」
気がつくと俺は壁の崩れた教室に倒れていて、遠くから走処の声がしていた。
顔を上げることができないまま俺は、走処に抱き抱えられる。
「……もう、爆発があったんですね。大丈夫ですか」
「……あぁ。どうやら爆弾は既に、学校中にしかけられているらしい。君もすぐここを離れて──」
「いや」
走処が崩れた壁――すっかり暗い校庭の方を見る。同じ方向を向くと、ふたりの魔法少女が空中を駆け回っていた。俺には見えない巨大な敵と戦っているようだった。
早速、ということか。
「俺も変身してあいつと戦いたい。どうしたらいい」
「……その時になったら、変身アイテムが現れるはずだけど……君はまだ持ってないでしょ」
「クソッ……」
俺は。
エージェント・ポラリスという名前に、新たな意味が加わった今。
「逃げてくれ走処くん……!財団サイトまでいけば君を保護してくれるはずだ」
大事な生徒には、傷ついてほしくなかった。
既に魔法少女である彼女らも同様だ。しかし魔王は、我が忠誠を誓った魔王は必ず魔法少女を狙いに来る。既に新たな戦いが起きているように。
俺のせいで……俺のせいで、傷つく人間はこれ以上増えてほしくなかった。まだ魔法少女じゃないうちなら止められるはず。魔法少女になってしまえば、魔王に逆らうことのできない俺にできることはなくなってしまう。
君たちを大事に思う気持ちは、ずっと本当だったから。
「……俺は弱い。どれだけ体を鍛えても、どれだけ空手で結果を残せても、誰も助けられない」
走処が、目の端を光らせながら独りごちる。
「目の前の人間を誰も救えない。親父に殴られてた母さんも、クズ親父のことも、ポラリス先生のことも。今外で戦ってるあいつらのことも」
校庭の方から、悲鳴とともに衝撃音が響いてくる。わずかに校舎全体が震え、校庭を覆う悪のオーラがほんの少し強く感じられる。
「俺は……誰かを助けられなくて後悔したりしたくないんだよ……!」
それが、君の本心か。
走処が魔法少女になるのを止めたいと思いつつ、俺は、彼の口からその言葉が聞けたことがなんとも嬉しくて。
その時だった。
きらきらと。
彼の目の前に、真っ赤なコンパクトが現れて、浮かび上がった。
「これが……」
走処は勢いよくそれを掴み取る。
俺は身を起こして、複雑な気持ちを飲み込んで、大人としての言葉を選んだ。
「……頑張っておいで」
「あぁ。俺、全員のこと救ってみせる。見ててください」
赤色のコンパクトからは、とてつもない光が溢れ続けていた。
「輝け、月のティアラ」
きらきら、きらきら。
眠い目を擦って窓を開け真夜中に満ちた月光を浴びたような眩しさ。コンパクトのミラーは、緒狼の顔を映し出す。
教室のカーテンで揺れる影がミラーからぐぅっと集まって、身体を取り囲み、弾ける。赤ずきんの、真っ赤なケープが完成。
きらきら、きらきら。
風で舞い上がったカーテンが緒狼を覆い隠し、彼のシルエットを映し出す。少しだけ縮む背丈とは反対に髪は伸びて、ナイフのように輝く銀色のロングへ。緒狼が胸元の紐をきゅっと結ぶと、はじけるようにポニーテールの出来上がり。
きらきら、きらきら。
虹色のプリズムがきらめく瞳を見開いて、目の前のお城の階段を登る。
「ワン」
フレンチメイドのふわりとしたスカートに、真紅のエプロンと真っ黒の長手袋。
「ツー」
首元から下に向かって、彼の肌の上に締まっていくハーネスベルト。
「スリー」
頭にきらめくティアラと、大きな白いリボン。
最後に、窓の外から迷い込むように床へ降りて……両手でスカートを払う。狼の尻尾と、大きな耳の出来上がり。
きらきら、きらきら。
「月の秘密は……聞かないで。"隠匿"の魔法少女、プロタゴウルフ」
「……ほんとに、変身できたのか」
顔や仕草に彼の面影はあるものの、変身後に立っていたのは、紛れもない美少女。
やはりこのアイテムがもたらす変身は、魔法少女として戦うための姿を完全に変えてしまうらしい。
シンデレラが舞踏会へ行くために、魔法をかけられたときのように。
「あのさ、先生」
「どうしたの」
「俺、かわいいかな」
「えっ!?え、は、か、かわいいと思うよ……?」
この土壇場で彼から繰り出されるとは思えなかった質問に、俺がうろたえた回答をしていると。
彼……いや彼女はにこりと笑って。
「よかった。ダサい格好で女子の前出るの、恥ずいじゃないですか」
……中身は変わらない思春期の男子ということがわかって、俺は一安心する。
大丈夫。彼は強い。無事に戻ってきてくれるはずだ。
「きゃああああっ!!!!」
私は思いっきり壁に叩きつけられた──野良犬の突進によって。
さっきの悪い予感が的中したのか、学校内の複数箇所で起きた爆発と同時に現れたダークネスは、どこからともなくやってきた野良犬に取り憑いていたんだけど……今まで私たちが遭遇したダークネスと、明らかに性質が違う。
「シンデレラっ!!」
サンベリーナが即座にステッキから光線を放つ。
それが野良犬を飲み込もうとしたその時──その犬と瓜二つの姿をしたダークネスが、その大きな口で光線を飲み込んでしまう。そのまま、さっきみたいに平気なそぶりに戻って。
「……っ!効いてない……!」
まず今までのダークネスより、闇が強大すぎる。しかもその大きさのまま、ダークネスそのものもこちらに攻撃できるみたいで、今までみたいに、うまく取り憑かれた側と切り離せない。
「……どうしよう、他のみんななら、ダーリンピンクならどうにかできるかもしれない……みんなは!?今、どこに!?」
「さすがにとっくに要請が出ているはずです、ここは一応財団の敷地内でもありますから……なにかおかしいです。妨害されているのかも」
身を起こした私に向かって、ダークネスが大きな口をひらく。ただの影のはずなのにまるで本物の狼や熊みたいな、命の危機を感じた。
ま、まずい。どうしよう。このままじゃ、本当に──
「シンデレラっ!!危ない!!」
「オラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
視界の端からなにか、赤いものが飛んできて、ダークネスを弾き飛ばした。
大きな犬の影がゆっくり倒れるのを見ていると、空高くから、真っ赤なフードのついたドレスをまとう女の子が、ゆっくり降りてきた。
ぱっと見ただの女の子に見えたけど、シルバーのポニーテールの頭に狼の耳と、腰には同じ色の尻尾が生えている。
初めて見る子だ。この子も魔法少女……で、いいのかな?
「あの!あなたは……?」
赤ずきん?それとも、狼?
「……あたしは魔法少女、プロタゴウルフ。貴方たちを助けに来た。この学校がめちゃくちゃになる前にあいつを倒すぞ!!」
よく、わからなかったけど。
味方ならきっと大丈夫だ。
「はぁぁぁっ!!」
プロタゴウルフは大きく飛び上がる。大きなダークネスの背丈を超えて、校舎の屋上よりもさらに上まで。
「あたしがダークネスに物理でダメージを与えるから!サンベリーナは隙を見て背後から魔法で拘束!シンデレラはステッキで収容するんだ!準備しろお前らぁ!行くぞ!」
「わかった!……えぇ!?お前!?」
さっき貴方とか言ってませんでした!?
乱暴なプリンセスもよくいたものね……と思うのも束の間、ダークネスもこちらに視線を向けて攻撃の態勢に入ろうとしてる!
痛む腕でなんとかステッキを構える。サンベリーナも、反対側で拘束する準備をしている。
「ウルフ!今だよっ!」
上空のプロタゴウルフに呼びかける。届いてるのかな、でも、狼さんの耳が大きいのは、声をよく聞くためなんだっけ。
ウルフはまさに月に向かって吠える狼みたいに、夜空の月を背にして宙返りをする。
「プロタゴニストモーメント!!」
ダークネスの頭に、ウルフのヒーローみたいなキックが命中する。再度、大きな影が完全に地面に倒れたのを私たちは逃がさない。
「サンベリーナ!」
「はい!プリンセスアルグラフィ!」
サンベリーナの光の魔法が、今度こそ胴体に命中する。大きなダークネスの体も、本体の野良犬も、同様に縛り付けられる。
一時はどうなるかと思ったけど、これでなら……!
「宝石のティアラの名のもとに……"収容"っ!」
「2人ともっ!大丈夫!?」
駆け寄ってきたウルフに、私とサンベリーナは頷く。彼女はホッとした様子だったけど、サンベリーナは少しだけ訝しげに、
「あの……貴方は?」
と問いかけた。
「あぁ、自己紹介が雑でごめん。お……あたしはプロタゴウルフ。財団の機動部隊ま-7に新しく所属することになった魔法少女だから、これからよろしく。わけあって財団にはあんまり顔出せないかもだけど……」
「そうなの?なんで?」
「それは、その……あ、そうだ」
謎の魔法少女プロタゴウルフは無理やり話を変えるみたいに手を叩いて、校庭の真ん中の方をむいた。
「2人が"確保"と"収容"の魔法少女であるように……あたしにも役割があって。"隠匿"っていう」
まだ仕事が残ってる。そう言って彼女は、頭のティアラをそっと撫でた。巨大なダークネスとの戦いで、校庭や周囲の壁は凹んだり、崩れたりしていた。
「月のティアラの名のもとに──」
彼女がそう告げた瞬間、月明かりが校庭に降り注ぐ。そのまぶしさに私たちが目を覆うと、その間に校庭や壁は元通り――戦う前の、いつもの姿に戻っていた。爆発が起きて校舎に空いていた穴も、元通りになったみたい。これが、私たちの戦いの痕跡をなくす、"隠匿"の魔法少女の力……
それはそうと、プロタゴウルフ本人の姿もどこかに消えていた……きっとこの先また会えるよね。助けてもらったお礼、ちゃんと言いたかったな。
校庭に2人残された私たちが任務完了の連絡を取ろうとした、
その時。
「貴様らだな、魔法少女」
「貴方は──!」
さっき夕方に出会った、黒いパーカーの謎の子供!
さっきの猫をかぶっていた頃とは雰囲気が全く違う。しゃべり方も幼い感じじゃないし。
なによりこの……ダークネスを何体分も相手にしてるみたいな、すごい闇のオーラ!面と向かっているだけで吐き気がしてくるような、圧倒的な負の感情。まるで、苦しみや恨みを無理やり押し付けられてるみたいな……!
「貴様らだけなら倒せるはずだったんだが。邪魔者が現れたようだ」
「ねぇ!!貴方は何者!?ダークネスとはどういう関係なの!?」
「我こそは魔王、ヴァーミリオン。この世の悪の権化とでも言っておこうか。我が使命には正義の魔法少女は不要なのだよ」
「何を考えてるかわかりませんが……私たちがダークネスに負けることはありませんよ」
「まぁいい。何度でも貴様らと戦ってやろう。我は永遠に生きる魔王なのだからな」
そう言って、子供……魔王・ヴァーミリオンは、中空にふわりと浮かんで、消失した。
新たな魔法少女と、進化したダークネスと、敵対人物。あまりに変わり果てた状況に私たちは混乱してしまいそうだ。でも、この世の悪事は……許せない。私たちは正義の魔法少女だから。
ベイルサンベリーナも同じ気持ちなのだろう。私たちはお互いの目を見て、これからの戦いに覚悟するみたいに、ゆっくり頷いた。
俺のいる職員室の扉を開けて、走処が戻ってきた。外は暗く、校舎全体ももう電気が消えたあと。
「お疲れ様。よくやった」
「……ありがとうございます」
疲れ果てたのだろう。なかなか顔を上げずに目元をこすってばかりいる彼を連れて、校舎を去ることに。
「見てたけどさ」
「見てたんですか」
「結構ノリノリだったね」
「あれおかしいですってやっぱり変身するとなんかテンション上がっちゃうというか魔法少女用の人格になっちゃうんですよ」
「あはは。まぁ活躍できそうならそれに越したことはないよ」
一緒に戦っていた封間と保美も無事財団サイトに戻ったとの報告があった。大事な生徒が無事でよかった……と思うと同時に、俺の中にまだそんな感情が残っていたんだな、ということに気づく。
我が魔王の野望が果たされる時には、彼らは確実に邪魔者で、存在も消される運命にあるというのに。俺はただ感情を押し殺して、与えられた役割を果たすしか道は残されていないようだった。
「誰よりも強くなれるように、誰のことも守れるように、頑張ります」
「うんうん。それじゃ今度封間さんに酷いこと言ったの謝ろうね」
「……はい」
「女の子って苦手?」
「別に……」
「お母さんとはどうだったの?普段の関係は」
「いや。仲いいですよ。離婚はしちゃったけど今でもたまに会いに行くし。親父の愚痴言ったりしてる」
「お母さん好きなんだね」
「……うっさ」
彼らの成長を、俺はどこまで見届けられるんだろうか。
こんにちは!私、封間えらです!
保美まいです。
いろんなことが落ち着いてきたのも束の間……魔王?が現れて私たち、大ピンチ……!
今回は本当に危なかったですね。"隠匿"の魔法少女、プロタゴウルフが現れてくれたおかげで難を逃れましたが……
そう!新たな魔法少女、プロタゴウルフも登場しちゃった!不思議な女の子だったね……
冠する名前の通り、秘密だらけの魔法少女でした。変身者は誰なんでしょうか?
……もしかして、ポラリス先生が変身してるんじゃない!?だから自分のこと隠してるんだ!
さあ……?
今度、ポラリス先生が魔法少女なのかどうか調査します!さて、次回は!
「魔法少女の夏休み!?海水浴場は大騒ぎ!!」にてお送りします。ところで封間。
なあに?
今回のサブタイトルって、一体何だったんですか?
…………来週もまた見てくださいね〜〜〜〜!!!!
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