1400字サンプル

硝煙のかおりとは、このかすかに纏わりつく白い粒子であろうか。膝の上で今しがた一枚になったカードをぬくめつつ、片手は無意識に鼻頭にふれていた。やわい線の指先には戦からほど遠い、枯れた古紙のかおりが染みついている。どこか鉄くさい硝煙に張りつめた心が、慣れ親しんだ書庫を想起してわずかに解れていく。俯いた視線をあげると、未だなれきらない糊がしゃりり、とちいさく鳴いた。

無心で引きぬいたカードは抵抗なく手のひらに滑りこんだ。もう何度目かの帰還を果たした道化師のどこかうつろな瞳をじっと見かえす。彼はいつ僕を殺すのだろう。脳裏のとおく、金属音がこだまする。かちり、きっと僕は知らなかった、撃鉄のおと。一週間と二日まえ、ひとひらの紙片が僕を呼んだ。紙魚相手の戦しか知らなかった僕はただ、叱責に疲労をかさねるばかりだった。

吹きこんだひとすじの風が、鉄くささを孕んだ香のかおりを運ぶ。煩くない、気品あるかおり。視界のすみににじむ豪奢な肩章もまた、目前の男の高貴さをしめしているようだった。彼はこの場にあることをみずから望んだのだろうか。

なめらかな手袋の指のあいだ、道化師はするりと引きぬかれていった。緻密に描きこまれた彼と目が合った気がした。自然と僕を狙う銃口を想起した。黒い、くろい穴のむこう、穿たれてしまえば僕はひとりも殺さないでいられる。ふたりきりの勝負、彼が向かいの男を選ぶとき、僕の指先は罪に汚れないでいられるだろうか。道化師から逃れ、赤い心の臓を解き放つとき、そのひとつは鼓動を止めるのだ。

文字数: 8208

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