人を殺した。
死ぬ理由ならそれで十分と思える程度に良識は残されていたわけで、唯一、決行能力の不足を理由にこの場へ赴いている。
「柳葉太一です」
現時点で残っている数少ない記憶情報の一つを教団員に伝え、雇用者名簿にチェックマークを記入したのち荷下ろしエリアへ移動する。薄く遮られた日光が停滞する教室ふたつ分程度のスペース。大小と老若男女様々な人々が無造作に整列する中、その末端に立って点呼の時を待った。
川崎市内に位置する貸倉庫の一棟。教団が拠点として徴用している施設の1つであり、最大で20人程度が寝食を共にできるよう改造された偽装拠点でもあるらしい。フロント企業としての体を装うため1階広間は貸倉庫としての機能を維持しており、同時に2階の指揮系統と儀式の間を守備するための緩衝エリアとしても使用されていた。フリーランスとクライアントの混成部隊が集まってもそれなりの余裕を残せる程度に広い。ジャンクロイドに事前送信された情報の通りだ。
どうやら僕で最後だったらしい。ひときわ目立つ禿げ頭の教団員が視界の端から現れ、やがてこちらに向き直りながら口を開く。
「“鉄錆の果実教団”関東支局代表代理だ。現時刻を以て貴様ら22名のフリーランスを臨時教団員として迎える」
“アパート”の管理者が僕に提示した業務。その中でも特に危険度の高いらしいものを選んだ。変な宗教団体の内輪揉め。火器とアーティファクトを交えた大規模な戦闘が予想されるこの一夜で、僕という破綻した連続性を終わらせる。償いの意図はない。逃避の願望もない。そうしなければならないと判断したから、そうする為に戦場を選んだ。
人を殺した。僕は死ぬためにここにいる。
人を殺す。
あたしに課せられた使命の具体。生存の手段。それの意味するところは今も漠然としか知らないし、大人の言う“教義”についても結局あたしの理解が及ぶことは無かった。確かな事は一つだけある。あたしが超常の行使者であるという事実だ。
制裁用の直刀を携え、戦闘服の上からローブを羽織り階段を駆け下りる。自分が一番自分でいられる服。それを着ている連中が他にもいることが気に入らないけど、この装束があたし自ら望んだ姿であることに違いはない。実のところ人が死ぬのは嫌いだ。戦いを好むつもりもない。そういう良識の一切を胸中の高揚が否定してくれる。あたしの本来あるべき姿を。戦うべき戦場を教えてくれる。
1階で待ち受けていた先輩と小走りで通路を渡り、倉庫中央の広間に集められた集団の元へ向かった。
「遅いぞユーリ」
「カップ麺が熱々で。食べるのに難儀してました」
「ふざけんなカス」
先輩がどんな経緯で教団に所属したのかは知らないけど、少なくともこの人はあたしよりも腕が立つ。あたしよりも超常の行使に優れる。その一点については評価に値するから口答えはしなかった。それはそれとして後輩相手にこういう暴言吐くのって本当に良くないと思うんだよね。末端の組織統制が腐ってるからどの支部も簡単に壊滅するんじゃないかな。
「ハゲの小言を減らす努力をしろ」
「どうせハゲの小言じゃないですか」
「小言で済めばいいがそれ以上の制裁もある。規律を乱すな」
しかし何故この人たちはこうもハゲを怖がるのだろうか。たかが一日飯を抜かれたり顔が腫れ上がるまで殴られたりにそこまで怖気づく理由が解らない。法衣で着飾り教義を振りかざすだけで所詮は人間の枠組みに胡坐をかき未知を畏れているだけの存在に、超常の行使者たるあたしらが畏怖する謂れなど何処にも存在しないというのに。
教団に拾われて学んだことはいくつかある。人間は弱い。弱いが故に群体として逸脱の脅威に立ち向かうことを選ぶ。その点先輩は人間そのものだった。言ってしまえばこんな弱小カルトの中でしか機能しない矮小な権威にわざわざ媚び諂い、規律戒律を重んじ自らの役職を全うする在り方でこの仕組みに適用している。
「鞘にステッカー貼るなっつったろうが」
「以前の取り違えの件を踏まえた識別用の処置です。不当でしたか」
「教団の支給品だ。下手に汚すな」
血税で揃えた官品どころか社会貢献を常とする企業の貸し出し品でもない癖に何を言っているんだろうこの人。まあ教団の保有する希少なアーティファクトであることに変わりはないけどさ。
諸々への怒りは湧かない。単純に哀れだと思った。先輩も含めて教団員の殆どは人間の放棄を畏れている。人間という規格から脱する事を頑なに否定している。一歩踏み出せば人間どころかこの世の理から脱する事が叶う立場にありながら、彼らは一様に摂理や常識という呪縛を受け入れて手放そうとしない。その執着が理解できなかった。
「──“鉄錆の果実教団”関東支局代表代理だ。現時刻を以て貴様ら22名のフリーランスを臨時教団員として迎える」
集会エリアに足を踏み入れた瞬間、整列する直前で代表代理による仮受け入れ宣言が終了した。これ以上立ち会う必要は無い。フロント組織の作ったクソ不味い弁当が待っている。踵を返して配給所へ足を進めた。
「ユーリ」
「年頃の女の子とごはん食べたいなら他の少年兵でやってください」
「身内に敵を作るような真似は止せ。俺じゃ庇い切れなくなる」
「感情に任せて暴言吐くような育ちの癖に常識人ぶるの辞めた方が良いですよ。代表代理が怖いなら1人で怯えてください」
何も言い返すことなく立ち止まった先輩を放置し、備蓄食料の詰まったコンテナの角を曲がって配給所に着く。一番乗りだ。当番の教団員とは目を合わせることなく弁当をひったくる。縁日の焼きそばとか詰めておく用の薄いプラスチック製容器。和洋折衷のパッとしない構成が未開封状態でも見て取れる。今日も変わることなく不味そうで安心した。カップ麺で多少膨れた腹も相まってストレートに食欲が減退する。
そう。カップ麺食べちゃったんだよね。どうしよう。先輩を振り切るためにわざわざ立ち寄ったようなものだけどこの弁当は正直要らない。何ならこれを食べたくないがために先にカップ麺啜ったんだあたし。捨てるのも忍び無いし次出くわした誰かにあげようかな。何せ今日は教団の外から人が来ているわけだし。
と、逡巡しながらどこへとなく足を進めた矢先のことだった。
「……フリーランス」
早速出くわした。超常フリーランス。諸団体へ直接的に所属することなく、何らかの事情により独立状態を保ったまま業務を請け負い収益を得る個人の総称。近年教団の他支部で発生した抗争にも必ず彼らの姿があった。最近になって傭兵市場としての土壌がある程度整ってきたとか、フリーランス側でも企業間抗争などの戦場を求める風潮が高まりつつあるとか、そういう話は下っ端少年兵のあたしもある程度は把握している。
といっても実物を目にするのはこれ初めてだ。そして実際目にしてしまえば大したこともなかった。メガネ汚れを服の裾で落とす無表情の男。歳は多分私よりも一回り上。背丈はちょっとだけ高いんだろうけど、全体的な猫背と片足重心のせいでお世辞にも強そうとは思えない風体だった。今回集めた補強人員も実力はピンキリらしいけど、まあこの人は間違いなくピンの方だと思う。押したら倒れそうというか、正直この制裁刀があれば問題なく処理できそうな風体だ。銃器とか警戒するまでもなく。
「ふーん」
弁当容器を持ったまま、制裁刀の柄に左手を掛けながらしばらくその様を眺める。しかし本当に覇気が無いな。下手したら伝手も知り合いも無いままここに飛び込んだボッチだったりするのかな。凄い借金背負って已む無くこの業界へ来たみたいな人だったりするのかな。何にせよ覇気が無い。何で生きてるのか自分でも理解してなさそうな面構え。その癖今この場にはちゃんと存在しているんだから不思議だよね。
ふと、柄を握る手が引き締まった。何でかは解んないけど。無意識化で身体がそうしていた。
「──弁当こっちで配ってるってさ」
「流動食しか食えねえんだわ俺」
聞き慣れない声。他のフリーランスたちが配給所に向かい始めたらしく、眼鏡もそれを察知したのか顔を上げる。そして丁度、というか偶然、目が合う。
固く閉じた口元。言葉通りを地で行く無表情。そしてやたら弱そうな立ち姿。超常の行使者としても、超常社会の住人としても大したことはない。顔にそう書いてある。どうせこのまま市場に残ったとしても何処かしらのタイミングで死ぬとしか思えないし、何なら今日の抗争で真っ先に死ぬんじゃないかとすら思える程度に、か弱くて、取るに値しない存在だと思える。
……ならば何故に、あたしは彼に向って一歩を踏み出してしまったのだろうか。
「……?」
多分困惑を意味しているのであろう目で見つめ返される。眼鏡の下の表情筋は少しも動いていない。御免ねあたしも何してんのか解んない。お互い様だね。でも歩き始めちゃったんだから仕方ないよね。理屈なら捏ねてる最中だから勘弁してね。
「……仕方ないね」
「……!?」
身体が未知に反応した。それは理屈あっての結果だ。理屈は言語化して解釈できる。
──あたしは超常の行使者だ。アーティファクトを操り既存科学を逸脱する戦士。人間という規格から脱した存在とも言える。それ故に本来であれば「人間的な摂理」に生きる必要は無く、執着する謂れもまた持ちえない。同時に「人間を主体とする団体に帰属すること」自体があたしには相応しくなかった。
超常フリーランスは何者にも帰属しない。超常の世界にその身一つで存在する孤高だ。
それは多分あたしが本来持つべき称号で、本来辿るべき生き方なんじゃないかと、今になって考え至った。だから確認する。実物に触れて調べる。今のあたしが本当の自分じゃないことを、本当は別の何かとしてこの世に在るべきという事実を証明してみようと思う。そのための材料なら既にこの手に持ってるわけだし。
「ふむ」
「……っ!?」
相変わらず棒立ちで往生する男のすぐ目の前に立ち、ちょっとだけ骨ばった顔を下から見上げる。当然ながら眼を逸らされかけたけど、それで構わない。こっちから覗き込んで引きずり込むことにした。
「暇?」
何てことはない。これは単なる好奇だ。
何てことはない。それは単なる好奇の眼だった。
「暇?」
すぐに目を逸らす。そのまま引き込まれそうな気がしたから。
直視したくないのは誰の好奇の目であろうとも変わらないことだが、彼女の場合は少し違った。つま先に引かれたツートンカラーの警告線をアクティヴに越えてくる未知というか、少なくとも人間が最低限持っておくべき警戒や遠慮の姿勢がこの少女には欠落しているように感じる。長々語る必要も無いな。普通に怖い。目が合うなり弁当容器片手にこっちの暇を確認してくるなんて頭おかしい奴の挙動でしかない。
歳は多分僕より一回り下。眉の少し上でパッツリ切れた前髪を揺らし、外ハネの目立つ頭を左に傾けながら相変わらず僕の鼻の穴を見上げていた。緑色の迷彩服の上から白いローブを羽織って帯刀しているのは教団の戦闘員であることを意味しているんだろうけど、なら何だってその教団員様が僕みたいな、フリーランスの中でも更に最底辺の人間に声を掛けてるんだ。
「……ヒマ?」
「暇じゃな……暇では、あります」
「フリーランスの人だよね。暇じゃんね」
「そうらしいですけど……」
そうらしい。そうとしか答えられない。何せ“アパート”で覚醒してから2週間と数日経った今ですら、僕の日常生活には凡そ確約された自由というものが存在していないのだから。
で、仮に僕が暇だったとしてこの少女は何をしたいんだ。言っておくが異性と食事に興じるようなタチじゃないぞ僕は。記憶を失う以前の僕なら猶更そうだったと思うぞ。言わなきゃ伝わらないのはさておきそういうのは察してほしかったぞ。言わなきゃ伝わらんか。言おう。言わせていただこう。
「あの」
「お弁当ある?」
「ぼぅ……あの、今から受け取りに行こうかと」
「要らないからあげる」
有る無しの確認に意味あったか?とは思いつつ、この期に及んで一切挙動しない自分の表情筋を片手でさする。言葉でも顔でも返せない代わりに了承の意を込めて軽く会釈した。プラスチック製の弁当容器を両手で受け取りながらもう一度少女の風体に目を向ける。
教団の共通装備であるローブと、その下に着込んだインナースーツ。東側の匂いがする戦闘服だった。濃い緑色の迷彩パターンで埋め尽くされた戦闘服が一周回ってローブの白を自然体で強調しているが、そういう変な組み合わせとは裏腹に、丁寧に短く切り揃えられた茶髪の女の子っぽさは異常なまでに普通そのものだった。それでいて変にコスプレチックな素人臭さが無いからこそ余計に怖い。
「さっきカップ麺食べちゃってお腹減ってないんでね」
「……大丈夫なんですか。これからその、諸々が控えているのに」
「控えているからこそだよ。人の手が作ったものを胃袋に詰めたまま人を殺す気にはならないってば」
「僕に弁当食わせる手前それを言いますか」
「あんま気にしなさそうだしね」
「気にするも何も」
「気にする暇もなかったというか」と補足して歩く。少女もつられて歩き出した。振り切っているつもりが随伴を許したらしい。これ以上逃げても無駄であることを悟り、やがて乱雑に積み置かれたコンテナ群の隅に腰掛ける。案の定少女はその横に座った。勘弁して欲しい。それを保証してくれる過去が無いなりに断言できるが、女の子と食事を共にするなんて経験は恐らくこれが初めてなんだ。身体の動揺がそれを物語っている。せっかく貰ったとはいえこの食事が果たして喉を通るのか。
こっちの事情を知ってか知らずか、少女はお構いなしに居座り続けるつもりらしい。こうなった場合こちらから事情を伝えるのが得策と判断する。別にどうして欲しいとは言わないが、人間一番辛いのは自分を真の意味で理解するつもりのない他人に隣で居座られることなのだ。今まさに僕が体験しているそれだ。
「暇ないんだ」
「いや全然暇ではあるんですけど。ドリフターって解ります?」
「あ々ゝ〜ぁ記憶消されてほっぽり出された人」
「仕事の時以外は斡旋業者の管理するアパートに監禁されてました。何も無いですよ話せることなんて」
「かわいそ。マジの重罪じゃんね」
想定より優しさのある反応で弁当の開封が遅れる。憐れんでくれるだけマシだ。以前の仕事仲間によれば、記憶を消されいきなり前線フリーランス業に投入されるなんてのは何らかの組織が斡旋業者に委託して執り行う、私的かつ遠回しな死刑なのだという。要するに僕は「超常的な組織を相手に何かしらをやらかした挙句、その罪状も知らないまま殉職を待っている」状態らしい。それで何にも怒らず運命を受け入れるくらいには
その癖本来ならば犬死で事が終わるはずだった初陣からまんまと生還し、挙句縁も所縁も無い人の命を手にかけながら今日を生きている。ロクなもんじゃない。本来なら飯を食って人と話す資格すら持ち合わせていない。
「んでもドリフターかぁ。ちょっと外したな」
「暇すぎて本当に何もないんです。業務も1回しか」
「じゃあ名前」
「はい」
「名前教えなよ」
「はい?」
「あるんでしょ暇人」
座ったまま拳1個分の距離を詰め寄られる。改めて何だこの状況。何で推定高校生程度の年頃の女の子にこう、左隣から顔を覗き込まれたまま飯を食わなければならないのだ。本当に困る。
本当に困るが、思い返してみればこの少女が聞いた通り、そして僕が答えた通り、今の今までが十分暇すぎたのもまた事実である。窓の内側から鉄格子の嵌められたキッチン付きワンルーム空間に監禁され、斡旋業者に指示された体力練成に励む以外は座して次の仕事を待つ生活がこれだけ続いたのだ。今更誰かに名乗って会話を始めたところでバチは当たらないかもしれない。ついでに言えば僕は死ぬためにここにいる。今度こそ死ぬためにここにいるが、それはそれとしてこの瞬間はただの暇人を名乗っても何ら吝かではないと考えた。
自分の名前を憶えているだけの死を待つ暇人。それが僕だ。それ以外に何一つとして持っているわけでもないが、さておき死ぬ前に暇を潰す選択肢を提示された以上はそうせざるを得ない。良いだろう。ちょっとばかり付き合ってやる。というか付き合わせていただく。
「……ヤナギバ。柳葉太一。です」
「ユーリ・シェルコヴィツァ。ユーリでいいよ」
少女の両目が細く閉じる。初めて互いに目を合わせた。
「ロシア系の名前……?」
「日本国籍ファッキンジャパニーズ。ほんとのところは解ったもんじゃないけど。これは偽名ね」
「教団の少年兵ですか。孤児院から寄せ詰めたとかいう」
「そんなとこ」
ヤナギバがようやく弁当を開封した。箸を付けられる前に卵焼きを回収して頬張った。全部冷めてて不味いけどこの一品だけはほんのり甘くて好き。指に張り付いたスパゲッティを容器に戻した後は二口に分けて食べる。ほら美味しい。ちょっと白身が多すぎる気もするけど、この一品だけは食べてて一番味がする。純粋な素材の味が。あと砂糖の甘みも。
相変わらず微塵も動かない表情でずっと押し黙っていたから、とりあえずあたしの方から説明した。
「一番美味しいんだよねこれ」
「人の作ったご飯食べないんじゃないんですか」
「一番美味しいって言ったじゃん」
「僕に譲るって」
「あたしが譲ったんじゃん」
「じゃあ最後まで全部譲りましょうよ」
数秒遅れてヤナギバも弁当に箸をつける。モチャつくだけでそんなに美味しくない食感のスパゲッティが容器越しの振動で小刻みに揺れていた。
水分と栄養の不足、あとは精神面での純粋な不安からくる震えかもしれない。元からこういう瘦せ型なんだろうな。無理矢理ご飯食べられないタイプだ。教団少年兵にもこういう子がたくさんいる。配給食の半分くらい食べたらギブアップしちゃうような体質の子が。
「美味しい?」
「解りません」
「解りませんってことは無いでしょうに」
「食感はまあ。工業製品というか。……人の作った飯かこれ……?」
「あたしってさぁ」
聞いてもつまらないだけだから次。味覚の粗末な他人にこれ以上弁当の話を聞いても無駄なのは解り切っている。今私が伝えるべきはこれだ。
「フリーランスを知りたいんだよね」
反応は無い。こっちの真意を処理している最中なのか左から右に聞き流しているだけなのか。ともあれヤナギバは一度スパゲッティを嚥下し、箸の先を虚空に向けながら口を開いた。
「……僕ではなく、フリーランスそのものを知りたいと」
「君を通じてフリーランスを知りたい」
「待遇とかですか?」
「生き方とかですね」
メガネのずれを直し、ヤナギバは一瞬固まってから改めて箸を動かした。トンチキな要求だったのは自覚しているけど、顔が動かないなりにこういうお手本みたいなリアクションはできるんだこの人。
少しだけ間を置いて、答えが返ってくる。
「元より故意に生かされてきた身なので何も解らないです」
「じゃあ今。今見えてる景色とかそういうの」
「貸倉庫の中」
「国語の授業ちゃんと受けたことある?」
「記憶ないって言ってんでしょ。今のところ僕が理解できないのは」
「僕みたいな明日の無い人間に、貴女が向けるその好奇心です」と、ナゲットの下に敷かれたスパゲッティを更に頬張る。やっぱりシンプルに不味かったらしい。解りやすく咀嚼が一瞬止まった。
明日が無い。なるほど。まずは一つ知ることが出来た。ヤナギバタイチは暇人の癖に明日が存在しないらしい。衣食住を提供されながら明日の存在を疑わない教団少年兵とは根本から正反対の概念だ。
「明日が無いんだ。へえ」
「在るべきではないんです。僕みたいな人間は特にそうだ」
「聞きたいなその話」
「聞いたところでどうにもなりませんよ」
「聞く前じゃ何も解んないね」
「逆にもう一度聞かせてください。何が目的なんですか」
「だから言ってんじゃん」
生産性のない問答の末に弁当だけ消費されてトンズラされるのも困る。容器を持ったまま微弱に震える左手を制止して改めてこっちの意図を示す。
「フリーランスを知りたい」
「知りたいって……」
「知りたい。それだけ。理解できない?」
「──理解できねえよ」
2人して顔を上げる。まず見えたのは2本の素足だった。
更に目線を上げる。やけに嵩張るリュックサックを背負った青年が1匹。青いパーカーに安物のダメージジーンズを合わせた青白い顔の青年が、靴も靴下も履かずにあたし達2人を見下ろしていた。
「好奇心を抱くこと自体理解できないな。そう思わんか柳葉とやら」
「僕には記憶がない。そうと断定するには判断材料に欠ける」
「ドリフターか」
「ドリフターです。こんにちは」
青年──ヤナギバとほぼ同年代と思わしき男──は巨大なリュックサックを足元に降ろし、降ろした矢先素足でペタリと立ち直した。左右均一な肩の高さと、左右で不均一な前髪の長さが一発であたしの脳裏に印象を焼き付けた。口元に生やした無精髭は恐らく1週間近く剃られていない。
特筆すべきは多々あるけど、素足以上に異様なのは目の下に蓄積された多重のクマだった。目の縦幅と同等かそれ以上に深いクマが両目の真下に溜まっており、その癖こんな重そうな荷物を背負ってうろつくだけの体力はあるときた。身体の健康度合いと比較して心の方はとっくに限界を迎えているようなのが嫌に歪だ。薬物中毒者とも一瞬疑ったけど、言葉の節々が社会生活において何ら問題の無いコミュニケーション能力の存在を教えてくれているから猶更理解できない。
最初に浮かんだ疑念の正体を遅れて知る。あたしは男が死にながら生きている事に驚き、死体に対して最初に投げるべき言葉を未だ編めずにいたのだ。
ヤナギバとは対照的に、このフリーランスは死んでいた。生きていると評価するにはあまりにもそれを否定する要素が多すぎる。
「貴方は」
「舟木。ここの弁当マジで不味いな」
「卵焼きってどうでした。まだ食べてないんですけど」
「知らん。全部不味かったし半分以上捨てた」
「……」
舟木と名乗るフリーランスをただ見上げ、箸を止める。青い遺体という印象の男だった。ちゃんと筋道立てた経緯があってこの稼業をやってる人なのだろう。記憶を消されて業界に売り払われたような人間には見えない。ちゃんと足跡を残しながら日々を生きている人の匂いがした。
否、少し違う。
僕には明日が無い。そんなものが在ってはならないと考え死地に赴いているわけだが、その点この死人のような風体のフリーランスは根本的に僕とは真逆の存在に思える。一度死に場所を失った僕が今度こそ明日を捨てるために生きている中、舟木は在るのかどうかも解らない明日のため無理やり生きている遺体に見えた。前の業務で遭遇した同業者の中にも似たような気質の人が1人だけいた。とっくの昔から死に体なのに自分が死体であることをまるで自覚していないような迫力の塊。舟木はそういう類だ。
「思い出した。卵焼きは何か普通に美味かったかもしれん」
「そうですか」
「食ってねえの?」
「この人に食べられました」
青いパーカーと所々に穴の開いた灰色のズボン。そして裸足。傍目から見て異常なのは裸足でこの場に立っている点だけで、他はまあ何か普通の成人男性という具合である。普通さの度合いで言えば僕も張り合えるような気がする。芋っぽいわけでもなければチャラチャラしすぎているわけでもなく本当に普通の人だった。生気、或いは活力と呼ぶべきモノを一切感知できない点を除けば本当にごく普通の青年だし、僕と違って表情筋もグリグリ動いている。
舟木は両ポケットに手を突っ込み、改めて僕に目線を向ける。例によって反射的に目を逸らすことしかできなかった。死体みたいなツラしやがってたまに動かれると気味が悪いんだこの人。生きてる人間は大抵気味が悪いかもしれないけどさ
「俺いると飯食えない?」
「食べて良いんですか?」
「逆に何が駄目なんだよ」
「人前でご飯食べて良いもんなのかと」
舟木が無言で指をさした先にはユーリがいた。当の本人は何故に自分が指さされているのかを理解できていなさそうだったので、とりあえず何も言わずにナゲットを口に運んだ。衣が歯の裏に張り付く。肉というか小麦粉の加工物の味がした。そして加熱していないせいでやたら不愉快な水っぽさがある。
「不味いよな?」
「食感は最悪です」
「あっそ。お嬢さん」
「あたし?」
「君以外どこにお嬢さんいるんだよ」
「アレとか?」
今度はユーリの指さした方向に2人して振り向く。確かにお嬢さんがいた。ユーリと同じ年頃の、何かフワフワした髪質の黒ジャージの少女が1人。僕と同じように猫背で弁当をつついている。絵に描いたようなぼっち飯の姿勢。というか代表代理の前で整列したとき僕の隣にいた人だった。全身黒ジャージの女の子だ。
人の事を言えた口ではないが、僕と比較しても明らかに落ち着きがない。動きの一つ一つがたどたどしく、下手に周囲を警戒しすぎている感じだった。失礼ながら同族意識を抱かざるを得ない。経験豊富なワケではなさそうな素人臭い風体に親近感を覚えた。事情は察しかねるけど僕以外にもニュービー?っぽい人はいるもんだな。
「……高校生か?」
「もうちょい若いんじゃない?」
「流石に大学生くらいの年齢だと思いますけどね」
舟木のようにやたら堂々と、妙に太々しく物事を主張するようなフリーランスは少数派だ。この辺やっぱり「実力が伴えば自分の存在がデカく見える」みたいな理屈の延長線上にある話だったりするのだろうか。
「あ、ナゲット落としちゃった」
「何迷ってんだアイツ」
「拾って食べますよ」
「……マジで拾って食べるじゃん」
適当こいたら本当に拾って食べてしまったし話の内容が飛んだ。何だっけ。まず舟木は何の用があって僕らに話しかけてきたんだ。
「……話を戻すが」
「あ、はい」
「お前じゃなくて。君。お嬢さん」
「ユーリ・シェルコヴィツァ」
「ユーリ。フリーランスを知ってどうしたい」
「女の子の好奇をその一言で暴くつもり?」
ご尤もだがその返しも些か棘があり過ぎだろと手を伸ばしかけ、丁度箸でほうれん草のソテーを掴んでいるのを思い出して若干腰を浮かすだけに留まる。誰にも咎められないよう静かに貪った。青臭い。茹でてバターに浸した雑草を食わせるタイプの拷問だ。塩気が圧倒的に不足しているあたり減塩を売りにしている商品なのかもしれない。マジで不味い。何だこれ。ここに来て一番不味いモノ食わされているのか僕は。何でどいつもこいつも歯の裏にくっつきやすいんだ。
「ご尤もだが棘が凄いな」
「さっきのは疑念じゃない。根拠のない否定だ。あたしにとってそれは攻撃の予告と何ら変わらない」
「上辺だけの攻撃は俺とて控えたいから改めて疑念をぶつけたわけだが、何を知りたいんだ」
「一言で聞き出すつもり?」
「質問を変えよう。君にとって超常フリーランスとは何だ」
「多分、本当のあたし」
「……」
雑草食ってる間に何か始まったし。人が下の前歯にクソ不味ほうれん草を挟んだ矢先何を話し始めているんだこの人たちは。何。黙って飯食っていればいいのか僕。蚊帳の外からこのギスギスしたディスカッション聞きながらクソ不味弁当でも食ってろと?何なんだコイツら。何のためにここに居るんだ僕は。さっき自認したばかりだが暇人だぞこっちは。暇潰させろよ。
こちらの逡巡を汲み取ったのか或いは単なる気まぐれか。舟木は若干の沈黙を挟んだのち、いきなり胡坐をかいて淡々と、ただ口にした。明らかに「僕ら」2人に対して。
「ロクでもねえな」
超常フリーランスなんてロクなもんじゃない。
奴の言葉だ。そういう瞬間が来る度に噛み締めている。ニット帽の左右から長い横髪をぶら下げたあの女の言葉。俺の殺すべきたった1人の女の言葉。
実際ロクでもなかった。事もあろうにそのロクでなしの1人が俺だった。死ぬにも生きるにも徹底的に運が無く、学が無く、能力が無く、ついでにツテも無ければライセンスも無い。そもそも他人と共に志せるほど夢が無く、人の夢を見守れるほど余裕のある人間でもなかった。それに反して胸に秘めた正義を本物と疑わなかったばかりに、気づけば古巣と袂を別ち、勝手に独りで足掻き続け、己の無力を知った。今俺に残されているのはあの女と、女が仕えた「先生」の殺害だけだ。
ユーリと名乗った方のガキはいわゆる教団お抱えの少年兵なのだろう。JAGPATO発足後の“鉄錆”は壊滅に次ぐ壊滅を経て常時人手不足と聞くが、提携している児童養護施設から秘密裏に何人か引っこ抜いて兵士に仕立て上げているという噂はどうやら本当の話らしい。事実この歳にしてはあまりにも殺し過ぎている。その割にあのニット帽女のような人間離れした脅威性を微塵も感じないだけタチが悪い。
外見的にはあれより多少若く見えるガキの前で胡坐をかき、とりあえず害意が無い事、そして一応こちらに対話の意思があることを主張するべく若干身を乗り出して話すことにした。
「今の自分は偽物か。ユーリ・シェルコヴィツァ」
「解らない。それを確かめるのは多分ヤナギバだ」
「客観の補填ってとこか」
「話が早い」
教団の飼い犬にしてはまあ聡明な方なんだろう。向こうのエリアで固まりながら黙って飯を食っていた他の少年兵たちにはない知性というか、とりあえず目の前の他人と会話を成立させようとする意志と、それに見合った思考判断能力が十分備わっているように思えた。
あの子たちには自分を象る思考が無い。言葉を編むという発想が無い。幼い頃から解釈の介在しない上辺だけの教義に支配され、物事を判断する機会を失いながら成長してしまった傀儡。それに年相応の心が宿っているのだからタチが悪い。一堂に押し黙って箸を運び、今夜には始まるであろう殺し合いを前に虚空を見つめるだけの彼らは、自分の抱える鬱屈をまともに言語化することすら叶わない。
その点この子はよくやっている。なるほど「本当のあたし」と来たか。
「面白いな。俺は兎も角ソイツの意見は客観足り得ると思うか?」
「少なくともあたしの主観には成り得ない」
「ごめんなさい僕は何をすればいいんですか」
「一回黙っててね」
「一回黙ってろとのことだ」
自分の客観視を頼んでおいて酷い言い草だ。そして単に口調が大人びているだけのガキとだけ想定していたが、やはり少年兵にしてはかなり成熟した物言いである。ああいう子供たちが増産される環境に身を置きながらよくぞといった具合に。
「本当の自分ね。なるほど」
「物事を議論するより先にあたしたちの前提条件から確認する必要がある。貴方は誰?お兄さん」
「無所属フリーランスの舟木カエリオだ。君は?」
鼻先目掛けて差し向けられた指を押し戻しながら答える。剣ダコだ。それも単一の基礎動作で磨り潰したタイプの。競技者でこういうタコを作る人間はまずいない。
少女はローブの中に手を引っ込め、背中をコンテナに押し付けたままふんぞり返って言い返す。
「鉄錆の果実教団関東支局所属。制裁者ユーリ・シェルコヴィツァ。ついでにどうぞヤナギバ君」
「……柳葉太一。ドリフター」
半分存在を忘れていた男の方が口を開く。何らかの罰則により記憶を抹消された状態でこんな前線業に送り込まれた人員だ。大方自分を待ち受ける結末が死以外に残されていないことも知らないと見る。工業廃棄物みたいな弁当を半分以上残したまま俺を見上げる双眸に、光は無かった。
「え、これ僕も参加するやつですか?」
「まあその距離で黙って飯食われても困るわ」
「それもそうなんでしょうけど。記憶無いんですってば僕。めっちゃ暇なだけで」
「じゃあ何だ。教団の少年兵とよく解らんフリーランスがQ&Aやってる横で飯食えんのかお前」
「わーもーやりますよ。やりましょうとも。やってやりますとも」
フナキ相手だと嘘みたいに喋るなヤナギバ。あたしが女子だったから上手く話せなかったやつ?いいけどさ別に。
ともあれ2匹目が引っ掛かったのは好都合だ。弁当渡さなくても向こうからフリーランスの事情について話してくれるのは有難い。その話っぷりや姿勢については初っ端からマイナスの印象しか抱けなかったけど。
「で、前提の確認?ってやつか」
「互いに立場が違う以上は必要でしょ。フナキはあたしを知ってるわけ?」
「本当に教団の少年兵か?コミュニケーションがここまで成立すること自体そこそこ驚いているぞ」
「他人と話し合うのは好きだよ。他の連中は違うらしいけどね」
実際の事情は少し違う。私は教団に“遅れて”入団した少年兵だ。14歳でようやく引き取って貰った身である以上、物心ついた頃から戦闘員としての教育を受けている少年兵たちとは物事の判断基準に相応の差があった。同じようにある程度俗世で成長してから教団入りした友達は財団のガサ入れであらかた死んでしまっている。ほぼ全ての同族を失った私が結果的にイレギュラーと認知されているに過ぎない。
もっと聡明で、もっと多くの事を考えながら生きている子はいた。一生かかっても追い付けないくらい、あたしに見えない何かを見ていた子は。
「共通項と相違点の照らし合わせってとこですかね」
「共通項ってお前な。弱小宗教団体の末端構成員と日雇いの殺し屋と記憶喪失の童貞だぞ」
「誰が童貞だコラ」
「沸点そこかよ。御免て」
「恐らく間違ってはいないので構いませんけど。僕らの共通項なら一個あるかもしれません」
「お、まさかのトップバッター?」
童貞なんだというリアクションも挟む暇も無かった。箸を握った手を顔の高さまで上げながらヤナギバは一度嚥下して続ける。
「3人とも仕事で人殺してます」
「間違っちゃいないな」
「やるじゃんヤナギバ」
「何かムカつくしすっげえ嫌なんですけど。次どうぞ」
あたしを差し置いてフナキなんかにパスしたよこの人。最初に話しかけたのこっちなのに。やっぱり童貞だからかな。女の子苦手なのかな。だとしたら最初に詰め寄ったのは若干申し訳なかったかもしれない。
フナキは腕を組んで目線を落とした後、大して間を置かずにヤナギバに言って返した。
「……俺とお前の共通項ォ?」
「その顔やめてください。3人言うとるでしょ」
「ええ……じゃあ何だろう。お前アーティファクト持ってる?」
「ないです。持ってるんですか」
「俺の場合コイツが無かったら仕事にならん」
「あたしも持ってるよ」
フナキが例のクソデカリュックサックを軽く叩く。あたしも制裁刀の柄をローブの隙間から見せて答えた。正直ムカつくけど、ようやっとあたしが期待している方のフリーランスと出会えたらしい。超常を取り扱う個人。人間という枠組みから脱しつつある存在。あたしの本来あるべき姿に近い人。
これでフナキが超常の使い手じゃなかった2人とも首飛ばしてたな。この際あたしだけが本物のフリーランスだあ!ってね。
「フナキとあたしは超常の行使者ってわけだね」
「超常フリーランスである事と超常の使い手である事はノットイコールだが、まあ少なくとも俺と君の共通項があったな。柳葉はマジで何も持ってないのか?」
「拳銃1丁だけ持たされています」
「草」
「随分俗物的なリアクションだ」
「世俗が好きなんだよ俺は。次はお嬢さん君の番だぞ」
お嬢さん呼びもいざやられると一々鼻に付くなあとは思いつつ、わざわざ噛みつくほどガキでも無かったから無視して答える。ヤナギバに後回しにされて忘れかけていたけどフナキのターンでまた思い出した。とりあえず確かめたいのはこの前提条件の是非だ。
「3人とも本当は人間性という枠組みから脱した、真に自由な存在」
「違うな」
「違いますね」
違うらしい。2人ほぼ同時に即答された。
待って。マジで待って。ヤナギバは兎も角フナキにこう返されるとは想定していなかったんだけど。
マジで弁当残したい。麻痺した味覚ですら食うのが億劫になってきたのと、あと単純にこの暇潰しにもう少しだけ意識のリソースを割きたい気持ちがあった。金を払ってでも残したいクオリティの弁当の蓋を閉じかけ、同席した他人の表情を見比べる。舟木は僕の口内事情を知ってか薄ら笑っていたし、ユーリはそれに関係なく、そしてようやく狼狽えていた。
「お前まさか『超常フリーランスが人間的な束縛や習俗から逸脱した孤高の存在』とか考えていないだろうな」
「そのつもりで聞いてたんだけど」
「帰るぞ柳葉。それに対する返答は等しくNOだ」
「アンタと来たわけでも無いだろうが」
しかし初対面とは思えないくらい話しやすくて助かるなこの人。ボケを振られたら自然とツッコミ返してしまう類のほんのりとした心地よさがあった。程度に依らずロクでもない生き方をしているのは同じだけど、今日死ぬつもりの僕とは違い船木はあくまで明日のために生きているからかもしれない。死人みたいな顔している癖に。
「まあ別に教えてあげてもいいんじゃないですか」
「お前の口から説明してやれ。僕らは全員その枠組みから逃れられませんってな」
「記憶喪失の編んだ文節に重さが宿るとでも」
「にしてはよく動く口だな」
「ちょっとちょっと」
置いてけぼりを食らったユーリが左隣から僕を揺らした。申し訳ないけど未成年子女からのボディタッチはマジで勘弁願います。
「何ですか」
「さも結論が出たかのように話すな」
「ユーリ。貴女は超常フリーランスという未知の実情を知りたかった。違いますか?」
「違わない」
ボディタッチを継続したままユーリは即答する。相変わらず覗き込まれっぱなしだが童貞(推定)故に見つめ返す度胸はない。鼻の穴を見せて返すつもりで、対面に座るフナキのデカすぎるリュックサックに目線を映しながら続けた。
「現実の超常フリーランスと貴方の思い描いた理想を照らし合わせることも目的の一つだった」
「違わないけどさ」
「照らし合わせた結果相違点はありました。理想とは程遠い存在だった。文句は?」
「ある。文句ある。納得のいく説明を求める特にフナキ」
「僕のいる意味よ」
舟木はやれやれと言わんばかりに背を伸ばす。どうせ夜まではこの貸倉庫の中で時間を持て余すしかないのだ。今解散したところで次にどう暇を潰すか考えただけで面倒臭くなるため、寧ろ話が長引く方がありがたくはあった。何だかんだで舟木もその魂胆でいるらしい。先ほどの離脱の素振りもユーリに対する意地悪だったのだろう。
「てか聞きそびれたんだけど何さ野良フリーランスって。フナキも廃桃源ギルドに登録されてるわけでしょ?」
僕よりフリーランスに詳しいらしい先輩を指さし、何らかの誤解を抱いたまま希望的観測の元僕に突っかかってきた少女は更に口を開いた。本当に元気だなこの子。年下の女の子に元気だなって思っても許される年齢なのかな僕は。
「一口に廃桃源ギルドのフリーランスと括っても色々事情がある。俺はそもそも廃桃源という余剰次元が本当に存在するのかを知らん」
「え、行ったことないの」
「そもそも斡旋業者と対面で接触した試しがあまりない。ユーリは鉄錆として……」
「廃桃源なら何回も行ってるよ。何ならこの倉庫の裏手に“窓”がある」
「……あの……廃桃源ってそもそも何なんですか」
廃桃源。何度か名前を聞いたことはあるが具体的に何を示しているのかは解っていない。斡旋業者のギルドを指しているのか、それとも全く別の何かを意味しているのか。
何せ目覚めたのが2週間前で、超常的な存在というのも数える程度しか接触した経験が無くてですね。業界のシステムは愚か自分を管理している斡旋業者が廃桃源ギルドと遠回しに敵対している状況しか解らんのですわ。教えて舟木先生。もうここまで来たらその辺ある程度把握してから死んでもいいと思うんですよ僕。
「このようにギルドの所在地が余剰次元にあることすら理解していない末端の絞りカスみたいなフリーランスもいる。俺も侵入方法は把握していない」
「すみません余剰次元って何ですか」
「閉じた異空間。無限に続く廃墟街。東アジアの各所に無数のポータルを持っているらしい」
「あぁやっぱりそういうのあるんだこの世界……人とか住んでるんですか?」
ユーリが真横から突っかかってくる。というかモロに体重をかけて絡んできた。本当に勘弁してくれないかな。そして体温高いなこの子。
「あたし廃桃源で戦闘訓練したよ。人はそこそこいる」
「そこそこいるんだ」
「教団の戦技教官がね。トイレ行ったと思ったらドアの前で真っ二つになって死んでやんの。そういう街」
「人……?」
まあ予想はついていたが、僕の想像が及ばない類の超常の存在も跋扈しているわけだ。間違っても踏み入りたいとは思えない。寧ろ踏み入る機会が無くて良かったと思うべきか。
弁当が不味すぎる。もう無理だ。縁日の焼きそばとか突っ込んでおくような薄いプラ容器を把持することさえキツい。内容物は半分以上残っているが、箸ごと閉じて一度考えることにした。不味い上に歯の裏にくっつきすぎだこのレシピ。味覚が麻痺しているとはいえ後半からは何食ってんのかすら解らなくなってきた。
「……その廃桃源にギルド?というものがあるんですよね?」
「あたしに聞かれても。どーなの舟木」
「そもそもこの国の二大斡旋ギルドがどんな組織なのかを知っているのかお前らは」
「何から何まで知りません」
「あんま知らない」
「モノのついでだ。フリーランスの実情含めて色々教えとくか」
ユーリと共に身を乗り出して聞く姿勢に入る。もう完全に先生と生徒だなこの構図。正直今の僕が何者で、何故この国に超常フリーランスという業態が発生しているのかを理解する暇はなかった。必要が無かったとも言えるが、ここまで来てようやく暇らしい暇と機会らしい機会が巡ってきたのである。死ぬ前であろうとも聞くに値する歴史の授業だ。
大人しく聞くことにしよう。その末端部に僕も多少は関わっているらしい、長い歴史を。
「国内で二大ギルドが立ち上がる遥か以前から超常フリーランスという概念は存在したわけだが、これをクソ真面目に説明し始めると16世紀スペインの傭兵団などから語る羽目になる。ある程度は端折るぞ」
「そんな昔からいたんですか超常フリーランスって」
「“現代の定義に則ればそう呼べる存在”は古今東西至る所に存在していた。そもそもFree Lanceって語彙そのものがフリーの槍、無所属の傭兵から生まれたものだ」
早速スケールから予想を外してきたな。16世紀スペイン?国外かつ500年前の話とか交わってくるのかこの話。語源から辿れば確かにそうなるわけだが、そもそも過去にも超常と呼ばれる存在と人類社会は隣りあわせだったわけか?それにしてはよく文明が滅びずに済んだな。
「その辺はこの際どうでもいい。俺たちを語る上で必要となるのは19世紀中盤以降のイギリスだ。産業革命真っ只中の大英帝国を発端に“対超常”の概念はあらゆる意味で飛躍的に変化する」
「ヴィクトリア朝時代ってやつ?」
「そのヴィクトリア朝が後の対超常史の運命を決定づけてんだよ。柳葉、バネ足ジャックは知っているか」
「記憶喪失にンなこと聞くなってば。当時のイギリスで発生した怪人事件ですね。飛んだり火を噴いたり……」
「知ってんじゃねえか。ジャックは英国王室に深く関連する超常フリーランスだ」
「嘘ぉ」
嘘だろ。ユーリはピンと来ていないみたいだけど僕としてはここ最近で一番の衝撃だったぞ。バネ足ジャックが?「切り裂き」ジャックに知名度で負けている方の都市伝説がイギリス王室に仕えた超常フリーランスだったと?どうなってんだこの世界。秘匿されっぱなしの歴史ばっかりじゃねえか。仮に真実だとしたらよくこの時代まで情報統制できたもんだな。
一応その存在だけは認知していたが、正常性維持機関とやらの実力もどうやら本物らしい。こんな僅かな「既存事実」でも迂闊に引っぺがされた日には世界中が大混乱に陥るだろう。本当によくぞ今まで普遍の日常を維持してきたものだ。若干の怒りと共にある種の敬意すら抱きつつある。正常性維持に携わっている世界規模の組織ってマジで実在するんだ。怖。カッコよ。怖。
「──ジャックは超常の義肢を駆り怪異を封じ続けたサイボーグだ。1839年には王室との正式な契約で財団の前身団体に協力している」
「えーフナキ質問」
「何だねユーリ君」
「フリーランスなのに正常性維持に肩入れしてたのソイツ?」
今は僕の方を見つめていないらしい。半ば脊髄反射でユーリの横顔に目を配る。大方予想通りではあったけどあからさまに不愉快そうな面持ちだった。さっきの物言いからすれば納得せざるを得ないが、しかしそこまで静かにキレる程の話なのか?これは。舟木は何も悪くないだろ。
ユーリの思う超常フリーランスとは何者にも縛られない自由そのものだ。少なくとも他人の、ましてや公僕の大義に尽くすような私人を意味していない。それ故に伝説のフリーランスの実態が政権の飼い犬だったという事実が頗る不満だったのだろう。不満なのは解るんだが舟木相手にその怒りを向けるなよ。
「良い質問だな。今から若干脱線するが君の理想に少なからず関わってくる話だ。よく聞いてくれ」
そういったユーリの怒りとは対照的に、「俺たちの職種は社会からの逸脱を意味しない」と、舟木はまるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。
俺は別に歴史の専門家じゃない。生き証人でもない。事の成り行きである程度の知識を仕入れただけだ。俺より深く俺たちの歴史を知る語り手は他にも存在する。あのニット帽女の先生がまさにそれだった。
二人して聞く姿勢に入ったのを確認しつつ、話の順番を頭の中で再度整理することにした。ダレても記憶の定着がうやむやになるだけだ。語り口は重要なファクターである。とりあえずこの辺から切り込んでいくか。
「ユーリ。俺たちが請け負う仕事についてどれだけ具体例を挙げられる」
「企業間抗争とかで動員される傭兵。あと代理決闘。グラディエーターだっけ」
「他には」
「……傭兵?」
概ねその認識で間違っているわけじゃない。俺も柳葉も、というか非公認かつ反JAGPATOサイドに与するフリーランスの半数近くがそういった暴力的な稼業でしか食っていけない連中だ。しかしそれらはあくまで「超常フリーランス」と呼ばれる者のごく一部に過ぎない。フリーランスは汚れ仕事を任される根無し草、という認識はあまりにも浅はかで御座なりすぎる。俺たちがこんな汚い仕事で金を稼げるのは俺たち以外の誰かが努力して活動基盤を築いた結果だ。
「超常的なコミュニティや社会に身を置きながら、関連するいずれの組織、団体にも直接的に属することなく活動する個人の総称の1つ。フリーランス、個人超常業、パラハンター、Dバイト等、組織や地域によって呼称は異なる」
敷島現代逸脱史の引用である。超常フリーランスの概要とその定義。何度も読むうちに勝手に暗記していた。
「……その定義は非常に曖昧であり、大半の超常フリーランスが報奨を目的に個人規模での事業に従事しているものの、何らかの信念や事情により金銭以外の目的のため活動する者もこれに該当する場合がある」
Dバイトも今じゃすっかり聞かなくなった。関西圏で活動していた財団の離反者がDクラス職員とやらになぞられて「1Day バイト」を略した語彙だったか。24年現在では死後も同然である。
俺たちを括る名辞だ。俺たち自身で言葉の意味するところを理解しておく必要があり、それは今日日わざわざ超常フリーランスなんぞに関心を寄せる未成年も同じことである。体育座りの少女と胡坐の眼鏡のどちらを見つめるわけでもなく。時々チラつく過去を何となく見つめながら言葉を編む。人と話す機会がそうそう訪れる生活習慣でもないせいで随分無理をしている自覚はあった。
「俺たち全員を括った場合、超常フリーランスの活動内容は多岐に渡る。例えばアーティファクトハンターだ」
「呪物の収集家といった認識でよろしいですか?」
「まさしく。蒐集家の富豪に献上したり、正常性維持機関への匿名通報を行いギルドから危険除去の賞金を貰う連中がいたりと、ハンターの中ですら活動内容や目的は細分化されている。日本だと10年にやたら目立つハンターがいたとか」
確かヤマトモとかいう活動名だった。日本各地で大小数十点の超常物品を回収しては突然行方を眩ませる怪人。その目的も経歴も一切が不明。業界内でその名を覚えている人間はもう数えるほどしか残っていないとのことで、俺が把握しているのもあくまでニット帽女から伝え聞きした内容に限られている。日本版ジャック。からくりおばけ。黒いサイボーグ。ジャックと違い派手な事件に関わっているわけではないため知名度も高くはないが、あの当時の日本では相当長い期間独立状態を保っていた方だと記憶していた。
最後は財団に収容されたとかいう噂もあるが、所詮は噂だ。英雄に限らず人の伝記には必ず尾ひれがついて回る。おおかた隠居してどこかに雲隠れしたか、作戦行動中に行方不明になったか。考えるだけ無駄だが夢は持たない主義だ。
「あとは聖職者などの宗教関係だ。超常フリーランスを語る上では外せん存在だな」
「あたしらみたいなカルトの戦闘員ではなく?」
「坊さんやら宮司やら、あと陰陽師か。普通に気になっていたんだが、制裁者ってのはあくまで神事や信仰に関連する役職なのか?」
「5年くらいいるけど解んない。命令されて人殺して金貰うのが制裁者」
鉄錆の教えに微塵も興味は湧かないが、それはそれとしてもう少し真面目に生きた方がいいなこのガキ。教育者の立場にあるわけでもないし黙ってはおくが。他人の職業に憧れる前に自分が何者なのかを把握しておけよ。
まあ自認がそれなのも悪くはないか。俺とてフリーランスである以前に立派な人殺しだ。肩書の崇高さで自分の本質から目を背けるよりは数段健全な状態なのかもしれない。
「体系ごと財団に吸収された連中も存在するが、日本国内だと対抗手段しての神事を行える人員は基本的に野放しにされがちだ。ああいうのは組織的に囲うと曲がるし穢れるから結果的に超常フリーランスという在り方に収まりやすい」
「日本人的な世界観だね。純潔を守るために組織で固める前に放流しちゃうんだ」
「在野の神職や霊能力者の上澄みは本当に凄いぞ。どうせ偽物とタカ括ってたんだが、真言の後背中を軽く引っ叩かれて全身の邪気?が晴れた時はその強大さを信じる他なかった」
「何かあったんですか」
「怨霊性不眠の治療で紹介してもらった」
廃桃源ではなく穴倉の組合に籍を置くよく解らんオッサンだった。表の職業は神主や研究者ではなくまさかの施工管理業者である。あの技術は工事前の地鎮プロトコルを想定してお師匠さんから学び、その後神社本庁が極秘に管轄する修行を経て会得したものらしい。極稀に財団や連合からの依頼も請け負うとのことだった。仏道の坊さん連中はキリスト教圏と同じく宗派ごとに固まって財団や連合の提携組織として役割を担うわけだが、この国における対超常の現場で出番が多いのは仏教徒でもキリスト教徒でもなく国家神道の系統に属する能力者、あとは一部の修験道、及び密教の信仰者である。
国家神道に系列する能力者の場合、大まかな体系や神社本庁を本部とする「裏」の資格制度こそあれど、宗教学的超常への対抗手段を会得するような修行者同士の繋がりは他の宗教と比べ意図的に細く、或いは小規模かつ疎らに構築されている。必然的に末端の能力者がフリーランス化して日本各地に溶け込み、有事の際のみ招集に応じるといった生活スタイルが定番化していた。デカく有力で歴史も古い神社の関係者等ならさておき、人によっては数年に一度、こちら側の案件に携わるか否かという活動頻度を強いられる。カタギの建築関係者やらトラック運転手やら、或いは地方の大学教員などを本業に、フリーランス稼業はあくまで副業として割り切った連中が大半である。
修験道及び密教に関連するフリーランスについては本当に未知数だ。正常性維持機関に肩入れして世のため人のために戦う本物の修験者もいれば、「こちら側」で思う存分に神通力を振り翳し、原義通りの天狗と化すクソ野郎もいる。そして情報が兎に角秘匿されがちなのと、活動範囲が二大ギルドの勢力の及ばない地域にあるため接触の機会が少ないのも特徴だ。そもそもクライアントに雇われて誰かと敵対するような連中でもないため本当に情報が少ない。二つの法流が天狗に対し完全に不干渉を貫いているのも神社本庁の連中とは対照的だ。
「──あの手合いが在野に疎らな根付き方をしたのは明治期に一斉リストラされた陰陽師の話、あと神仏関連の滅茶苦茶な法令なども同時に絡んでくるが、話が逸れすぎる前に軌道修正しよう。バネ足ジャックとヴィクトリア朝の話に戻るが概ねしてこの時代からだ」
「というと?」
「人類による超常への対抗手段が、宗教体系に基づく信仰から、組織的武力と科学技術にシフトしたのは」
「あー……」
18~19世紀間の産業革命。ヴィクトリア朝の栄華。日本の開国と新政府樹立etc。列強が我先にと近代化に挑み、人類全体が未だかつてない前進の只中に在ったこれら一連の時代を境に、人類の扱う対超常の術も大きく変容した。工業技術の発展や人口の増加と時を同じくして未確認超常との接触も激増し、それらはもはや祈祷や神事、聖別といった従来の宗教的プロトコルでは対処しきれない程に複雑化していく。
「人異共鳴論」の発端。人口増加や文明の発展と歩調を合わせる形で超常の総数や複雑性が変位する学説の根拠となり、実際UMAや宇宙人の類も激変する人類社会の輪郭へ誂えたように湧いて出た。ヴィクトリア朝が対超常の歴史の転換点であると論じたのはこれが理由である。
「明治維新より数十年手前。英国が旧来の王室付き対異常組織を解体し新たに王立財団を発足させた頃、未確認超常との接触を経て独自の活動に走る個人が彼の島国に複数台頭した。現代的なフリーランスの先駆けだ、盗賊稼業、傭兵稼業、医療従事者、祈祷師など様々な領域で各々が勝手に活動を始め、その多くは暗闇の中で我欲や独善を貫く道を選んだ」
「……聞いている限りだと」
「まさにユーリが夢見る、真に自由な超常行使者って感じですね」と、柳葉が誰にともなくコメントした。実際ユーリの目には光が戻っている。憧れという願望をそのまま具体化したような顔で俺の話に耳を傾けている。いくら他人とはいえガキが大人っぽさをかなぐり捨てて楽しそうにしているのを見るとちょっと気が楽になるな。
「自由そのものだな。その身一つで超常に対抗する者。超常の理解に挑む者。超常が齎す結果を追い求める者。神のお告げのままに正義を執行する者。これら全てが奇跡的で運命的な産物だ。未解明の怪異と偶然にも接触し、真正面から向き合うことを選んだ奴しかフリーランスになれなかった」
最初から組織的に囲われ安定したバックアップを受けているユーリには縁のない話かもしれないが、俺がその典型例だ。このクソデカい“兵装”はとある一団との接触を機に強奪した代物であり、恐らく彼らに出会わなければ俺の人生に超常の行使という選択肢は生じ得なかった。今より少し幸せだったか不幸せだったのか、変わらず鈍色の人生を送っていたのかは俺の想像の及ぶところではない。少なくとも向き合うことを選んだ結果を細々味わっているのは事実である。
認知のヴェールが長く聳え、正常な日常と未知の怪異が人為的に隔てられたこの世だ。大半のフリーランスはこのヴェールが取り零した、ほんの細やかな偶然の遭遇から生じた物語を歩んでいるし、それは約200年前に実在した同業者とて同じことである。
「ある者は世界中でUMAハントに明け暮れ、ある者は人類未踏の“空”を某兄弟の成功以前から独占し、またある者は失われた錬金術を科学的観点から再評価することで既存法則との互換性を持つ奇跡術の体系を確立した。そして」
「……そして?」
「ある日気が付いた。自分が人間であることに」
柳葉はとっくに弁当の蓋を閉じていた。よく頑張った方だ。あとで一緒に捨てに行ってやろう。
「“その邂逅”も本当に偶然の産物だった可能性が高い。1838年某日、紙面を騒がせ市民の注目を掻っ攫うことのみを活動目的としていたカス野郎ことバネ足ジャックは、当時ロンドン市民に扮し潜伏していた吸血鬼の1名を事情も把握せず脅かし、交戦状態に突入する」
「情報量が」
「吸血鬼は逃走。ジャックは負傷し行動不能となったところを王立財団の実働部隊であるスコットランドヤードのとある部隊に捕縛されるが、事情聴取後わずか数分で行方を晦ませた」
「情報量が、情報量がずっと渋滞している」
証拠ならいくらでも上がっている。何ならつい最近まで「実物」がとある場所に展示されていたのだ。地理的に展示場まで赴くことは叶わなかったが、何せ今まさに語っている内容を伝え聞きで把握してしまった身だ。いちフリーランスとしての関心はあったからずっと恋昏崎のニュースや関連書籍を追っていた。時には蛇の手の渉外担当と無理矢理交渉し、彼らの総本部が管理する資料も片っ端から借りていた。
ついでに「当時を生きた人」と直接話す機会もあった。今やあのニット帽女や先生よりも多くの真実を把握している。少なくとも日本人の非公認フリーランスでここまで英国のフリーランス史に精通した人間は極限られているんじゃなかろうか。書き残す機会ならいくらでもあったのに何もテキストデータ化していないのは単に俺の怠惰によるものなんだが。
「王立財団の実働部隊として吸血鬼残党の掃討を目論んでいたスコットランドヤードだが、本来の目標を取り逃がした挙句全く別の超常行使者、不明なフリーランスを確保、収容した事件だった。ちなみにジャックはその当時から王立財団に指名手配されていたそうだ」
「ツッコミどころ沢山あるんですけど実在するんですか吸血鬼って」
「吸血鬼もいるし吸血鬼狩りの機関も存在していたし、それとはまったく関係ないルーツで吸血鬼狩りを専門とする在野フリーランスもいたな」
なお2024年10月現在、オリジナルの1個体から生じた本流の吸血鬼はほぼ絶滅の常態にある。第七次オカルト大戦にて憎き英国を滅ぼさんとナチスドイツに肩入れした連中が連合国側の聖職者にあらかた殲滅されたとかで、始祖の吸血鬼亡き今日は4~5体の純血種が残存しているだけらしい。内半数以上は財団の管理下に置かれているとかいないとか。
吸血鬼狩りの方も当然ながらとっくの昔に絶滅しているし、恐らく今後この地球上に新たな吸血鬼が出現したところで「それ専門のフリーランス」は決して生じ得ないだろう。銀弾を用いずとも高初速のライフル弾で認知範囲外から脳幹を破壊すれば死滅することが確認されて以来、戦後の残党は本家本元の対策組織を差し置いてGOCの強化戦闘服部隊が駆逐してしまったのだ。廃桃源付きのフリーランスでも上澄みさえ集めれば対処できそうな脅威である。
また思い出したくもない女の顔を浮かべてしまった。最高までとは言わずとも実力自体は一級品なのが余計に頭に来る。まず何なんだあのやたら長い横髪は。
「──それでそれで、どうなったのさ吸血鬼とジャック」
「……超次元パルクールと人を驚かすこと以外に大した目的意識もない無い迷惑クソ野郎はさておき、取り逃がした吸血鬼の方が問題だ」
バネ足ジャックの前提知識も持たない素振りだったのがあっという間に食いついたなこのガキ。俺も好きだからその気持ちは十二分に解るぞ。極力噛まないように解説するからな。
「ジャック逃亡の翌日、スコットランドヤードは武装神父2名と封鎖部隊30名からなる包囲で今度こそ対象を小さな家屋に追い詰めたが、日没直後に決死の反撃が始まる。頼みの綱の神父は両方とも眷属化。内1名は精神が乗っ取られる前に自害。生身の警察官30名のみで2体の敵性脅威に対応する他なくなった」
「絶体絶命じゃん!」
「王立財団が支給した聖別済み銀弾も人間離れした吸血鬼の機動力には無意味だ。加えて向こうは眷属という強力な助っ人を調達し、最大弱点である太陽光からも完全に解放されている。案の定包囲網が崩壊し被害も拡大しかけたその時……」
「おっ!」
「どこからともなく現れた白銀の義手が、吸血鬼の心臓を貫いた」と大げさに腕を広げて見せる。ユーリどころか柳葉も聞き入ってやがる。男児が好きそうな要素しか詰まってない話だから仕方ない。
実際は脳幹を潰すか白木の杭で心臓を破壊しないと死なないらしいが、これら一連の事件を直接俺に供述してくれた「現場に居合わせた警官」が語るには決定打であったらしい。危険を承知でわざわざ英国まで乗り込んで仕入れた証言である。
「敵性脅威に対抗するには王立財団が専門の神父を用意したように理から逸脱したアプローチを必要としていたが、ジャックの義肢はそのアドバンテージ差をまた埋めたらしい。未確認フリーランスとスコットランドヤードの混成部隊による反撃が始まり、眷属化していたもう1人の神父と件の吸血鬼は死亡。犠牲は最小限に押し留められた」
「かっけー!すげー!」
「思った以上に読み切り漫画の文脈だった……凄いですね」
しかし強制的に記憶を封印されているとはいえどうなってんだコイツの語彙。読み切りの少年漫画の文脈は知っている記憶喪失とか初めて見たぞ俺。
ユーリには概ね好評だったらしい。とりあえずカッコよければ何でもいいらしいことは伝わった。カッコよければそれでいいんだけどね。俺も滅茶苦茶好きだけどねバネ足ジャックの話。憧れが年相応に浅いのも否定はしないんだけどさ。それでいいのかよ教団少年兵。真っ当に生きて就活とか挑んだら凄い勢いで迷走しそうで怖いよ。まだ若さで許せるだけマシだけどさ。
「しかしその……ジャックが助太刀した動機が不明なままですね」
柳葉。お前は本当に話していて疲れん。寧ろ体力と呂律が回復する。指をさして返してやった。
「神速の義肢を駆り紙面を騒がせる。それ以外に何の目的意識も持ち合わせていなかった自由の存在が、何ゆえに超常の最前線で戦う公僕へ手を差し伸べたのか。お前はどう想像する」
「スコットランドヤードの取り調べの中で心変わりがあったのは解るんですけど、でも協力体制が築かれる前に自力で脱走しているんですよね」
「だな。特筆すべき点としてジャックはその後も無実の婦人を驚かして気絶させるなどの迷惑行動を続けている。たまに火を吐いて大騒ぎを招いていたらしい」
「カスのYoutuberかよ」
似たようなものだ。今の時代にジャックが生まれたら確実にGoproカメラを頭に括りつけて夜のロンドン市街を飛び回るアホにしかならなかったと思う。表のwebサイトでパルクール配信とか始めて財団のお縄にかかるような雑魚で終わっていたかもしれない。
柳葉は無表情の顔面を一度手で拭い、眼鏡のズレを直しながら軽く手を挙げた。
「まあでも流石に想像はつきます」
「お」
「自分の人間性に従ったんですね」
「正解」
ユーリが俺と眼鏡を交互に見比べている。置いて行かれたこの子の反応も面白いが柳葉の洞察にも満足させてもらった。その通りだ柳葉。もう一度弁当食おうとしなくてもいいからな柳葉。置いとけ柳葉。
「え、何。どゆこと?」
「国語の授業受けたことあります?」
「小中学校のは。何根に持ってんのさ」
「……バネ足ジャックは確かに人間の理、というより限界を逸脱した存在ですが、同時に一切の理解者を持たない孤独な人でもありました。大した大義も目的意識もなく力を持て余していた日々の中で“大義ある人間の集まり”に接触した結果、社会的良心?とも呼ぶべき感情を自覚してしまった、というのが現状の推論です。人間性の話ですね」
「現代文のテストなら満点をやりたいところだが、惜しいな。とりあえず90点」
「わかんないなぁ」とゴネる少女の隣で眼鏡は軽くガッツポーズを見せる。ついに煽り始めた。しかし惜しい。お前の言う社会的良心が絡んでいること自体は決して間違っていないわけだが。
「ジャックはロンドン市内での迷惑行為こそ続けたが、スコットランドヤードから独立した対超常部署や英国海軍特殊セクションの対超常任務には都度乱入してこれを支援した。そして吸血鬼事件の1年後に王立財団のエージェントと接触し任意同行。ヴィクトリア女王と極秘裏に謁見する」
「……それはアレですか。共闘を通じてその当時の権威と組織を、“バネ足ジャック”にとっての脅威と判断したが故のスタンス表明ってことですか。少なくとも現政権には楯突かず人間社会に与します的な」
「本当にそれだけだと思うか?」
「いや、同じく人間的な感情の変動に基づいた方向転換であることは文脈から解るんですけどこう……駄目だ僕には推し量れない。答え教えてください」
「素直でよろしい」
十分だ。寧ろよくそこまで推測できた方だと思う。再度身を乗り出し、目の前の床を指さしながら顔を上げた。
「バネ足ジャックの目的はある意味今日この場で達成されている。即ち彼の自由人は、忘れ去られることを何よりも恐れていた」
「それは……ああ、なるほど」
「死ぬより怖いかもしれませんね」と、柳葉は独り呟き、背後の壁に凭れ掛かりながら天井を仰いだ。
財団の人間は暗闇の中で死ぬと、アレは誰から聞いたんだったか。確かどこかの斡旋業者の口癖だった。財団に限らず正常性維持機関の人間というものは常にそういうものらしい。彼女もその運命に愛想を尽かして財団を見限ったが、結局のところあの当時の超常フリーランスも似たような存在であることを知って余計に絶望したんだっけ。
思い出した。あれも榊トラだった。連絡を絶ってから随分経つ。アイツのお陰で得た観点もまた非常に大きかったな。「ヴェールのこちら側で死ぬ人間は歴史に記録されない」という単純明快な当たり前を受け入れられる人間は決して多くない。バネ足ジャックとてそれを恐れるたった一人の人間だったと、彼女に出会ってから自然とその結論に辿り着いたのだ。
「──いうほど怖いかな?忘れられるのって」
「ユーリは……怖くないですか。誰にも記憶されずに朽ちていくのって」
「死んだ後のことは知らない。あとこの業界で死ぬのってそういう話じゃん?」
「そう言われると全部終わっちゃうんですけど、その」
「少なくとも俺はそれを恐れてお前らに声かけたんだがな」
紛れもない事実だ。二人とも最初は意外そうな素振りで俺に振り返る。ユーリは半笑いまで浮かべやがったが柳葉はすぐに納得したように頷き、ジェスチャーに連動していない不動の表情筋のまま申し訳なさそうに手を挙げた。箸といい手といい主張が解りやすいなお前。
「その場合結構申し訳ないんですけど、僕今日死ぬ予定です」
「えっ」
「あ?」
「そういえば言ってなかったなと。御免なさい」
解りにくいなお前。
そして手遅れだったか。恐らく今から説得したところで心変わりはしないやつだこれは。第一彼に死ぬなと説得する謂れが俺には無い。大人しく見送るしか選択肢が残されていない状態。となると今日この場に生きた俺を記憶してくれるのはユーリだけとなる。
「あの、何、何で死ぬ?の?ヤナギバは」
「人殺したんで。死んだ方がいいかなと」
「人ならあたしも沢山殺してるって。最初からどこかで死んでもらう前提でここに送り込まれてはいるんだろうけどさ。ヤナギバが自分で望むものじゃなくない?」
「かもしれませんね。すみません誰からも忘れられるのが怖いってのは今思い出せてよかったです。ありがとう舟木」
「それは何よりだが」
開いた口が時間差で塞がる程度の衝撃だったが、まあ死ぬつもりでいるなら仕方がない。最初に出くわした時の違和感の正体これだったか。風体から無理矢理この場に生かされているようなチグハグさを垣間見て、ドリフターと名乗られた時は一瞬納得しかけたが、アレは希死念慮と柳葉を取り巻く環境が歪に噛み合って生じた不和だったらしい。
ともあれ一度話をまとめよう。これでようやく語るべき内容の半分に達する筈だ。
「……王室への忠誠、王立財団に対する独立状態を保ったうえでの協力と引き換える形で、ヴィクトリア女王はジャックの要求するたった一つの約束を交わした。『独りで死なせない』ってな」
「本当にささやかな約束ですね」
「そして大いなる保証だ。たとえ時代の変遷と共に民衆がお前を忘却しようとも、民衆がお前の正義を知らずとも、大英帝国の偉大なる王家が死後もお前を記憶するという些細な口約束。……バネ足ジャックという孤独な超常行使者が、スタンドアローンの奉仕者となった伝説の序章だな」
語りにかなり脂が乗ったのは申し訳ないが、伝説は伝説なので仕方ない。尾ひれを極力つけないよう努めているのは解って欲しい。
柳葉は首をぐるりと回し、俺と同じように身を乗り出した姿勢で付け加えた。
「……『同じものを恐れ、同じような生き方に帰結するフリーランスは他にもいた』、ですね?」
「財団や連合が世界中に潜伏させている“フィールドエージェント”の原型でもあるな。単純に孤独を恐れたのも大きいが、社会的孤立から脱却し、人間社会と程よい距離で付き合う連中は多かったし、そうしなかった一匹狼の生存率は極めて低かった。正常性維持機関にもその敵対組織にも似たようなフリーランスたちが外部戦力という形で定着したわけだが、いいかユーリよく聞け」
「突然のあたしかよ」
「必然的にお前だ」
そもそもお前の好奇心から始まった話だ。お前に聞かせること自体に意味がある。目を背けるユーリを柳葉が肘でつつく中、中間点となる結論を勝手に述べた。
「少なくとも俺たちの原型は、社会構造に生殺与奪を委ねる形で歴史を生きている」
「あくまで原型だ。あたしは200年後を生きるヤナギバやフナキのことを聞いている」
ご尤もだな。俺は財団も連合も存在しない時代のフリーランスじゃないし、この二人とて同様である。だから語ったんだ。その次を、俺たち自身を知ってもらうために。
「日本のフリーランス史は長く、同時に短い。恐らくお前の実年齢と同じくらいには短い」
こっちの納得とか全然気にせず話進めるあたりは教団の指導官と変わんないなこの人。あたしに非があるとしか思えないのが最高に最悪なんだけど。まあ聞いてあげましょう。聞きますとも。あたしが始めた問答なんですから。聞きますよ。聞くから早くあたしの思うところを語らせてくれないかな。
「第二次世界大戦の裏で進行していた第七次オカルト大戦の終結と二大組織の上陸、“正常性”の再定義がそれ以前の日本逸脱史を白紙に戻した。多くの超常フリーランスは各組織に合流。残った連中は英国で絶滅した一匹狼よろしくその数を減らし続けた」
「具体的にどれくらい減ったんですか」
「元の数は定かじゃないが本当に文字通りの全滅だったんだと」
道理は解る。何せ自分の属する国が負けて他所の人間がヴェールの側面で統治を始めたんだ。生き残るために根無し草の身分を捨てるのも仕方のないことだったと思うし、少なくともあたしはその流れに身を任せると思う。今のあたしが夢見る「真の自由」は時代が許すものであって、自分の実力だけじゃ勝ち取れないことも自覚はしていた。
自覚はしていたけど、そっか。米帝相手に皆消えちゃったんだ。当時のフリーランス。
「同時に同業者の新たな出現にも繋がったがな。闇市、ヤクザ、蒐集院の解体に伴う一部封印物の喪失、世界中各地の要注意団体の上陸。それら諸々と連動して戦後フリーランスと呼ばれる連中も湧いて出た」
「興味深いですねそれ。今のところ一番詳しく知りたい内容なんですけど」
「これ以上脱線したくねえから今は端折るぞ。GHQと新日本政府、そして財団に吸収された我が国の正常性維持機関は60年代までに戦後フリーランスの殆どを無力化。以降2010年代に至るまで、僅かに取り零された先達は暗黒の時代を生きる」
「なるほど真逆ですね」
「真逆だな」
またあたしの追い付けない結論に至っている。ヤナギバの袖をつまんで合図した。解るように説明しなさい。君ら二人がやってるのは歴史の授業じゃなくてオタクの会話だよ。他人に理解されようとする会話じゃなくて内輪で理解力の確認をし合って気持ち悪くニチャついてるだけ。あたしそういうのが一番嫌い。
つまんでも無視されるだけだから揺すった。どうせこっちの言わんとしていることは理解しているんだ。ヤナギバがちゃんと優しければあたしにも助け船が来る。
「ユーリ。戦後/現代フリーランスとヴィクトリア朝フリーランスの決定的な相違点がありますよ」
「ちょっと待って10秒考える」
「カウントお願いします」
「ごぉー」
「10から始めてあげなさいよ」
ほんと御免助け船には乗せてもらうから。10秒だけ待ってすぐに結論出すから。待ってね。まずヴィクトリア朝時代のフリーランスは体制や組織との協調共存路線、あたしが一番ダサいと思いつつ納得したあのやり方で生き残った。
そして戦前の国内フリーランスは戦後のゴタゴタで吸収合併or素直に消滅。そして戦後フリーランスね。日本政府、GHQ、そして二大正常性維持機関が来て、協調……あれ?60年代に財団が無力化?
誰が、彼らと共存できたんだ?
「──にぃー」
「……世の中全部が敵、だ」
「どうでしょう舟木先生」
「大正解」
当たっちゃった。こんなサクッと導き出せるならあたしもオタクの会話について行けたのにコイツらは。どんだけ言葉の裏を考えながら生きてんだか。
でもなるほど。確かに逆だ。真逆だ。取り扱われ方が真逆なんだ。正常性維持機関にしろそれと敵対する組織にしろ、フリーランスは有益な外部リソースから転じて殲滅すべき外敵として扱われるようになっている。これは戦争の前後の相違、即ち時代の変化によるものだ。
「バネ足ジャックらヴィクトリア朝フリーランスの多くは、あくまで財団や他組織の原型と“共存”していた。組織は自前で賄いきれない分の人手と専門技術を、フリーランスは多額の褒賞や大いなる承認を求め最前線を共にしたが……」
「『世界大戦後の国際化とメディアの発達に対抗すべく正常性のヴェールがより強固となった今日において、超常フリーランスは体制では管理しきれないヴェール崩壊の火種になり下がった』。合ってます?」
「合ってる。お前凄いな」
ヤナギバも凄いな。あたし相手だとあんなキレの悪い受け答えしかできない癖に何なのその割り込み。こっちはこっちでちょいムカついてきたんだけど。記憶喪失とか絶対嘘じゃん何なのこの人。
まあいいや。戦前と戦後の事情の違いは納得した。納得したから次こそあたしの知りたい部分に触れてもらわないと困る。60年代の殲滅のあと。それをさっさと教えなさい。
「半世紀後かな。2010年代に何があったってわけ?」
「まず二大機関と日本政府が超常フリーランスを復活させた」
「はぁ!?」
「マジで!?」
サラっと一番怖いこと言われたんだけど。は?何?何言ってんの?ヤナギバが一切顔崩さずに驚いているのも怖いんだけど、それは置いといて本当に何を言ってるの?ヴェール崩壊の火種。最早協力する意味も謂れもなくなったどこにも属さない個人。絶滅を経て暗黒の時代を強いられたんでしょ?何で復活した?というか復活させた?
いや確かにヤナギバもフナキも、というか教団が今雇っている連中も現代日本を生きているフリーランスだ。現にこの国には相当数の非公認フリーランスとそれを受け入れる土壌がある。暗黒時代の後に「何か」が生じなければこんな未来には至っていない。何が起きたんだ。教えてフナキ先生。何が起きたんですか。
「あらゆる組織団体にとって共通の危険因子となったフリーランスだが、根本の問題は連中の行動を完全に管理しきれないという一側面であって個々人の能力じゃない」
「それ解るかも。『ヴェール保護の観点から野放し状態を良しとしないだけで、まともに運用すれば当然有益な外部リソースだった』とか?」
「大正解だ。特に戦後混乱期を生き残り高度経済成長期の陰で暗躍した、上澄みの中の上澄み連中はバネ足ジャックなんざ目じゃないレベルの戦績を残している。体制側でも、反体制の側でもな」
数こそ減ったし、情報規制の事情が変わって弾圧も厳しくなったけど、それはそれとしてフリーランスへの需要は無くならない矛盾が生じていたってことか。これは下手すると財団が無力化した「大半」に、財団やそれ以外が狙っていた本命のフリーランスたちが含まれていない可能性があるな。この場合建前上はヴェール保護のために危険因子の排除プロセスを決定的事実として残しておいて、有益かつ本人にヴェール破りの意図がないフリーランスとは秘密裏に契約を交わして大幅な行動制限を掛けながらその存在を許していた、みたいなシナリオは容易に想像が付いちゃうかも。
これが暗黒時代の本質なのかもしれない。フリーランスは文字通りに絶滅したわけじゃない。経験不足で欠陥だらけの双方が互いに手を取り合う協力関係から、理性ある主人と管理可能な飼い犬という関係にシフトしただけだ。野良の駄犬は安全管理の都合から無造作に殺されて当然か。非常に気落ちさせてくる事実なのはさておき、人の合理と時代のさだめって感じの話だ。嫌でも納得させられる。
「でもさ。確かに今は二大機関どころか反体制派の企業や団体だってヴェールの保護を推進しているよ。崩壊すれば今の市場が消し飛ぶ、どの組織もそんな激変に揉まれて生き残れるほど強大じゃないって。そういう環境で恣意的に生き残らせたフリーランスに頼るのって外面考えたら相当リスキーじゃない?」
「素晴らしい質問だぞユーリ。今のところ出会ってから一番良い質問だった」
「そりゃどーーーーーも」
「君の危惧する通りとてつもなくリスキーだが、まず正常性維持機関の方から解説する。……問題」
「王立財団に与したバネ足ジャックは、後の正常性維持機関における何の原型となった?」と、フナキが問う。早押しクイズだ。答えを浮かべるより早く地面をひっ叩いて手を挙げた。あとは記憶を掘り起こして脊髄反射で発声する簡単なお仕事だ。教団でのあたしの言い訳瞬発力舐めんなよ。あのハゲ相手に返答の瞬発力で押し切ったんだからな。
「行けるか?」
「フィールドエージェント!」
「その通り」
「へへん!……あ!?」
「外野や身内に何か言われてもヘッドハント前の実地訓練だったって言い訳つければ、解決!」と、これもまた先輩に説教された時よろしく脊髄反射で聞き返した。そういう事か!?そういうことだよねフナキ!?フリーランスの取り扱いを咎められても土壇場で同意そっちのけで雇用しちゃえば“野良の危険因子の除去”と戦力の確保も出来るもんね!?ね!?
「お前恥ずかしくねえのか柳葉」
「何ですかいきなり」
「ユーリに追い付かれてんぞギア上げてけ」
「対抗するつもりないんで」
「年下のガキ相手に意地張って対抗する童貞もよろしくないが、この手の童貞は一番伸びしろに乏しい。心に留めておけユーリ」
「僕の童貞の何が気に入らねえんだよアンタは」
やったやった。遠回しに褒められちゃった。一々ムカつくのは変わらないけどヤナギバがちゃんと受け答えしちゃうのも解る語りの軽快さがあるよねこの人。えっへへへへ。
えへへじゃないが。財団も中々アクドイことをするよなあ。今現役で活動しているフィールドエージェントの中にも「やむなくフリーランスとしての立場を返上し首輪を授かった人」が相当数紛れ込んでるかもしれないじゃん。フナキの話に出てきたアーティファクトハンターとか特にそうだと思うんだけど。何にせよますます夢が無い話だ。人間から脱した孤高の存在というより世間が殺生可能な犬としての毛色がますます強くなっている。非常に良くない。
「ようやく2010年代の話に移れるな。ちょいと日本全土のホニャララが絡む事件があったのち、2016年にとある条約がJAGPATO内で制定された」
「条約?」
「俺とお前には一生縁のない話だが、フリーランスの歴史上もっとも重要なターニングポイントとなる。財団、連合、そして一国の政府が“超常フリーランス”の存在について初めて言及したんだ」
逆に言うと2016年までは「そもそも存在しない者」、或いは「定義する必要のない処理対象」みたいな扱いを意図的にされていたってことかも。ますます酷いな。どの道あたしは体制クソ喰らえのスタンスだしもっとそういう方面で喧嘩売ってくれて構わないんだけどさ。やめよう。こういうのはあたしがフリーランスになってから抱くべき反骨精神だ。
で、何でいきなりそんな条約が持ち上がってしかも制定しちゃったのか。気になるな。ホニャララで済ませないでフナキ先生。
「それまでは “穴倉”の組合が人材斡旋を担い、二大機関と非公式に提携していた。組合と言っても古参フリーランスと在野上がりのフィールドエージェントが混在する少数精鋭の寄り合い所帯だが、その組合を介し財団にピックアップされた複数のフリーランスが主体となって“何か”に対処しヴェール崩壊を瀬戸際で止めたらしい」
「……飼い主の面目丸潰れですか?」
「主体となった連中の一部が当時女子中学生だった噂しか知らん。が、お前の言う面目はある意味潰れたのかもしれん」
「これを機に“国内逸脱個人営業者取締条約”が国家公認フリーランスという概念を史上初めて正式に定義した。半世紀かけて人手及び技術不足のボロを出した連中が開き直った結果だな」
「共存、表面的な敵対、からのヤケクソ共存宣言かぁ」
「財団や連合?が導き出したフリーランスとの付き合い方は理解しましたけど、僕ら非公認フリーランスは何なんです。余計に弾圧されそうなものですけど」
「あんま言いたくないんだが自分の立場忘れたか?」
「答え出たな」
「そら使い勝手良いですよね。滅んで当然の存在となれば逆に使い潰しが利く」
「提携組織間で貸し出し合って私刑と資源の有効利用を両立するドリフター方式は序の口だ。実験の検体、上位存在への献上品、未開拓余剰次元に投入されるカナリア、そして戦死前提の鉄砲玉。消耗しても構わん人間でしか実現できないな」
「お上が暗黙の了解でごく一部のフリーランスを運用していたのと同じく、反JAGPATOサイドの企業連もそれらの運用システムを共有していた。そして案の定問題はエスカレートした」
「問題?」
「ユーリ。ヤナギバの有罪を誰が証明できると思う?」
「……悪だなあ」
「2015年に生じた“何か”、16年の条約制定、そして17年、イズメが来る」
「誰」
「誰ですかそれ」
「イズメを知らずに超常フリーランスに憧れる奴初めて見たんだが」
「誰なんだよ」
「とある斡旋業者が偶然拾った元警官だ。非公認フリーランスを取り巻く悪しき現状を打破すべく有望な若手をスカウトし始めた矢先に最高レア度のキャラを引き当てたようなもので、穴倉勢力圏への遠征を経た1年後に廃桃源ギルドと白街を立ち上げた」
「200年前とは打って変わって根本から敵対し合い、同時に辛うじて共存してんのが日本の現代フリーランスと要注意団体だな。実際財団に限らずあらゆる企業が一定の警戒心を持って付き合っている印象はあったろ」
「あのさフナキ」
「何だねユーリ君」
「君付けやめろマジで。それは解るんだけどだったら猶更いたっておかしくないじゃん」
「何が」
あたしから始まった問答であることを忘れたらしい。思わず制裁刀の柄を叩いて立ち上がった。
「何者にも縛られない真に自由な超常の行使者!むしろ存在したっておかしくない!じゃん!」
「わっ」
聞き慣れない女の子の声に三人で一斉に振り返る。
緩くふわふわしたショートボブの女の子が固まっていた。さっき落ちたナゲット食べてた黒ジャージの子だ。なんか間近で見ると顔可愛いし指が綺麗だな。あと何なのその肌の整い方。何でこんな汚い場所にいるの?迷子?
「え、あ、え……と」
「……卵焼き美味しかったですか」
「あの……たまごやき……?」
「君さ。君もフリーランスだよね。あたし教団員なんだけどさ」
「やめとけお前ら。悪いなお嬢さん」
あたしと喋るときのヤナギバ以上にワタワタしながら、黒ジャージちゃんはとりあえず両足を固く閉じて深々とお辞儀した。ワンテンポ遅れて衝突音が響く。手のひら大の何かを床に取り落としていた。拳銃だ。小口径で時代遅れな、冷戦時代真っ只中みたいなやつ。ウチの共通規格と同じ32口径かな?380の可能性もあるけど
「あっ、わ、ごめんなさ……」
「……」
ヤナギバが無言でそれを拾い上げ、手渡した。やるじゃん童貞とか茶化す気になれないな。変に声かけて余計に警戒させちゃったかも。御免ね黒ジャージちゃん。本当にどうしてこんな場所にいらっしゃるの?
「柳葉太一です。作戦時はよろしく」
「……ふた……フタツキ、です」
数秒間の沈黙を挟み、フタツキと名乗ったフリーランスはその場を後にした。ヤナギバが舟木に向き直って座る。いい加減あたしの方見れば?ねえ。視線逸らしすぎじゃないさっきから。
「これから死ぬ予定の童貞がよくやる」
「アンタが拾わなかったから僕がやっただけだ」
「悪かったってば」
「……でさぁー、おかしくないじゃん」
「何が」
「何がですか」
「またやんのこの流れ!?」
二人して鼻で笑いやがってこの。このッ。こいつらッ。ムカつくッ。マジでムカつく。教団の連中よかマシだけどコイツらマジで。語彙力持ってかれる方向でムカつくなぁ。何かあたしまで笑えてきたんだけど。久しぶりに笑顔が戻ってきてんだけど何これ。責任取ってよほんとに。
「真に自由なアレだろ。解ってるよ」
「それいい加減略し方決めませんか長ったらしいので」
「真アレ」
「クソダサい略し方しないで」
「自由な人ってことでフリーターとかどうでしょう」
「ただの無職だそれは」
「略称とかどうでもいい!真に自由で人間の枠組みから逸脱していて!世の中なんか知ったことじゃないフリーランスが!実在したっておかしくないって話!解る!?」
「実在はしたぞ」
ヤナギバが手を挙げる。
明日の無い人間。彼はそう自称した。
「……協定で」
「む」
「協定で、禁じられたんだ。フリーランスは生贄に使っちゃダメだって」
当たったらしい。フナキは目を閉じて一度頷く。ヤナギバは口を半開きにして固まっていた。
鉄錆の果実教団は過去に何度も人間を用いた儀式を行っている。廃桃源の酒場で有村組の構成員を攫って邪神召喚に使ったりとか、あたしの場合は制裁訓練と憂さ晴らしも兼ねてその辺のヤクザの首を撥ねたりしたっけ。それこそ去年も信者を装って潜入してきた財団エージェントの四肢を捥いで献上したけど、「昔みたいに在野の人間が使えなくなって」みたいなボヤキは耳にした記憶はあった。だからようやく儀式が完遂できて良かったねと皆で安心していたのも。
ああ、そうか。それはあたしが、制裁者としてのあたしが誰よりも知らなきゃダメな話だったな。
「大規模な奇跡術の起爆剤、異常薬学の治験、神への献上品、永久機関型動力ユニット最後の1ピース。“ビデオ”の被写体。……二大ギルドが発足した今でこそ全滅した職種だ。超常フリーランスという名辞の意味するところは、時に独力で世の闇を駆る孤高の存在から、組織化された武力に食い潰される“残弾”へと変容していた」
フナキが指さした方向にはやはりヤナギバがいた。
明日の無い人間。今ならその言葉の本来意味するところが理解できる。単に明日が無いわけじゃない。彼は、彼らは、教団や他の組織にとってすれば只の消費可能な残弾だ。無条件に尊ばれる生命とはまるで違う。「ヤナギバタイチの明日は別の誰かが決める」し、それはヤナギバに限らず、この業務を受注した時点でフナキも変わらないことなんだと改めて知ってしまった。
少なくともこの人たちは真に自由な存在なんかじゃないし、真の自由を夢見ることも無いのだろう。
「……わざわざ死ぬことが解っていながら業務に応じるんだ?」
「別に死亡率100%の業務だけじゃないぜ。未確認の異空間を踏破し安全確保のための一番槍となるカナリヤ業、アプローチを間違えただけで即死するが手順に従えば問題なく対処可能な呪物の回収及び設置業、正常性維持機関の目を引き付け本丸の逃走を幇助するデコイ業。20世紀末から始まった超常の複雑化に応じて一気に増えた稼ぎ口だ。相応に金は出る」
「全部死にそうなんだけど」
「ああ全部死にそうだな。気を抜こうが抜くまいが運次第で生死が決まる仕事ばかりだ。だが、それがどうした」
それがどうしたって、当事者だろうがフナキは。それを何で他人事みたいに語ってんのさ。
「あたしたちは超常を行使者だ。本当はフナキだって本当は」
「この国に乱立する組織化された武力の大半が超常を取り扱う。今はヴィクトリア朝時代じゃない。お前の思う逸脱のためのアドバンテージは最初から存在しないに等しい」
「」
「……人間は元来孤独で自由な生物だ。同時に “一人では生きていけない”という致命的な矛盾を抱えている」
「それ故に各個体が、一定の自由と生来の孤独を失い社会構造の一端を担うことを求められます。“他人の渦の中で生きる”という最低限度の目的のためにね」
「……渦の中に存在しない個体は、たちが人間以下って言いたいわけ?」
「人間以下といえども、当事者は人権という幻想を追い求める人間の一個体だ。自分たちの問題は自分たちで解決するしかないし、その能力や可能性にはどこかの段階で気づくものらしい」
「2019年。1人のフリーランスが仲間を募り始めた」
「フリーランス間の緩やかな共同体という構想はそれ以前から一部の人員が計画していたものだ。バックアップの無い個人は正常性維持機関どころかチンピラの集まりにすら各個撃破されるのがオチ。籍はいらないので殺さないでくださいと必死こいて尻尾振っても劣悪な労働環境で飼い殺しにされる未来しか待ち受けていない」
「……同じ境遇の弱者同士で助け合える未来を、望む誰かがいた」
「榊トラとギルド構想に携わった古参業者、そして彼らが拾い上げたフリーランス……雑賀イズメが、廃桃源と穴倉の一部区画に秩序と共同体を齎した。」
「まあつまり、現代フリーランスの当事者として何が言いたいかというとだな」
「俺たちは社会構造に生存を許容された個人であり、巨大組織に媚び諂いながら緩やかに連帯を維持することで明日を保証されているだけの、弱者だ。本質はお前が忌み嫌っている存在の改悪版だぞ」
「柳葉がどう自認してんのかは知らんがな」
「僕はまあ」
「……僕は、死ぬためにここに居ますから」
「バネ足ジャックの話でも理解したんですけど」
「僕をこの場に導いたのは人間としての尊厳、あるいは社会的良心だ」
「本当にそれで良いんだな?」
「良い悪いの話じゃなくて、当たり前かそうじゃないかの話ですよこれは」
「だとすれば俺たち全員地獄行きだな」
「それはあまりにも今さら過ぎるでしょうが」
「僕にはもう帰れる場所がない。従うべき法も無い。無い筈なんですけどね。何でかこの体は人の理性に従うらしいです」
「どうにも出来んが贖罪の意志は尊重する。なるほどな」
「理解できないなあ」
「あ?」
「理解できないよフナキ。理解できないねヤナギバ」
「具体的にはどの辺が」
「前提から理解できない」
「二人とも自分の正体から目を背けすぎている」
「正体ってのは」
「フナキはさ。そのリュックの中身使った瞬間から人間じゃなくなると思うわけ」
「馬鹿言うな。七魔じゃないんだぞ」
「シチマってのが何かは知らないけど、あたしが言いたいのはねフナキ。超常と、超常フリーランスは、そういう既存の枠組みを脱する鍵だと思うの」
「さっきまでの話聞いてたか?」
「俺たちは社会の中の一個人に過ぎない」
「否だ。あたし達は社会構造から逸脱可能な存在足りえる」
「ユーリ。その場合僕はどうなるんですか」
「僕はお二方のような力を持っているわけじゃない。仮に持っていたところで立場が立場です。超常社会という檻から脱することは叶わない」
「」
「フリーランスの本質は世界に生存を許容された弱者なんかじゃない。自由そのものだ」
「本当の自分は何者にも縛られない自由そのもの。超常フリーランスという存在である」
「俺らの意見を踏まえた上で君が出した結論ってわけだ」
「ご理解いただけたようで何より。どうですか先輩」
「正気の沙汰を疑うが、そう思い至った理屈は理解した」
「仮にその、何にも縛られない本物の自由を本来の実力で手に入れたとして、ですよ」
「それは多分、もう超常フリーランスという名辞の意味するところから逸脱した存在だと思うんですよ」
「お前なら何と呼ぶ」
「何と呼ぶと言われましても。えー……」
「……怪獣?」
「あっ、それだ」
「それなんですか……!?」
「あたしもフナキもヤナギバも怪獣だ。怪獣になれるんだよあたしたち。きっと」
「ンなわけあるかい」
「試せばいいじゃんか」
「試すって何を」
「フナキのそれ?それで街とかぶっ壊してさ」
「アホくせえ」
「できないわけじゃないでしょ」
「その気になれば街の一つや二つ壊滅して差し上げるさ。その気がないってだけでな」
「怪獣だよフナキ」
「フナキを縛り付ける全部を、フナキ自身がぶっ壊せるんだ。やっちゃおうよ」
「そのつもりは今後もない。最後に一つ聞かせてくれ。仮にお前の正体が自由の怪獣であったとして、何故お前はそれを実行しなかった」
「何でだろう」
「帰るぞ柳葉」
「だからアンタと一緒に来たわけでもないだろ」
「じゃあ連れションしようぜ」
「さっきまで孤独云々を語っていた人とは思えない」
「制裁者ユーリ・シェルコヴィツァ。これは警告だ。間違っても怪獣にはなるな」
「理由は?」
「お前はどこまでも強くなれる。だが決して孤独にはなれない」
「ははッ!」
「ムカつくなあ~!」
「連れションに同伴しながら文句垂れないでください」
「てかトイレどこだよ」
「舟木さん」
「何だね柳葉君」
「防衛戦ってこういうものなんですか」
21時。教団の配置した先行偵察隊の報告によれば、浅田派一派と思わしき不審人物が複数名、それらに雇用されたフリーランスと思わしき者数名が、いずれも川崎市内の各所に集結しつつあるとのことだった。迎撃戦が近い。関東支局代表代理による指示でガレージの各所に即席バリケードを築き、フリーランス22名とハゲ派の15名で各所の防衛にあたることになった。なったはいいのだが。
「お前はどう思う」
「戦争を知らない人間の策に見えます」
「理由は」
「……何となく」
別に従軍していたわけでもないし、していたところで記憶は大体失っているため根拠ある意見を提示できるわけではない。それはそれとしてこう、聊か希望的観測に頼りすぎな陣形ではあるまいか。倉庫の搬入口シャッターを扇型に囲った陣形で待機し、ご丁寧に正面からお越しくださった敵に集中砲火を浴びせる算段らしいが、そもそも敵勢力が馬鹿正直にここからやってくるとは限らないだろというのが率直な意見だった。
その陣形に異を唱える人間が誰一人としていないのも中々凄い状況ではあるのかもしれない。殺し合いの現場に同意のうえで足を踏み入れているとはいえ自分の命とか惜しくないのかこの人たち。
「俺たちは軍人じゃない。軍人の設計する戦争を想定したところで無意味だ」
「趣旨が違う、この布陣で本当に大丈夫なのかと聞いているんです」
「大丈夫なワケがないわな」
裸足で胡坐をかきながら携帯食料を貪り、舟木は未開封の一つを僕に寄越した。弁当を半分以上残した僕への配慮なのだろう。社会不適合者を自称する割には随分他人を気遣える方だと思った。僕なら多分無事食せる保証も無い癖に夜食として大事に保管しておくだろう。
開封して一口齧る。やはり味はしない。代わりに例の弁当よりはマシな触感が口の中で爆ぜ、徐々に水分を奪っていった。
「つーかお前な」
「何ですか」
「自分でそうしたい思て死にに来とるんちゃうんか」
「死ぬためにここに来とるんはホンマですけど」
「やったらガタガタ抜かさんとちゃっちゃと死んだらええねん何が気になるんや」
「今更聞かないでください。何で関西弁なんですか」
「舟木さんはこの後どうするつもりなんですか」
「どうするって?」
「この稼業続けてどうするつもりかと」
「んー」
「個人的に殺さなきゃならん奴がいてな」
「ほう」
「ジャックやら何やら説明したが、あの辺の知識を俺に授けてくれたフリーランスの1人だ」
「どういう人なんですか」
「イズメの生徒」
「知り合いなんだ」
「……ユーリに後で伝えないとな」
「何ですかいきなり」
「怪獣の話あったろ。枠組みから逸脱した人間が行き着くアレ」
「ありましたけど」
「実力と素性から評価するならその概念に一番近い女がいた」
ユーリ以外の少年兵たちが揃って帯刀しながら歩いているのが見えた。直刀である点は共通しているものの、柄の造りや鞘の意匠にはある程度のバラつきがある。ユーリのように変なステッカーを貼っているような子は1人も見当たらない。
「舟木さんってもしかしてこう、業界内だと全然上澄みじゃないんですか」
「長生きくらいしか自慢のネタが無い」
「十分凄いですってば」
「雇ってみるか?楽に殺してやれなくもないんだが」
「金無いんで無理です」
「──ヒマ?」
眉の上でパッツリと前髪を切り揃えた少女が僕の顔を覗きこんでいた。ユーリである。
「……そりゃ暇ですけど」
「フナキは?」
「暇だが、お前な」
「あたしも暇ぁー。うぇーい」
「ンなワケあるか」と、舟木と同時に口走った。一塊になって整列している少年兵たちを指さしてまず舟木がツッコむ。
「アレ並ばなくてええんか自分」
「僕らみたいなのにかまってると上の人にドヤされるん違いますか」
「集団行動訓練で何かやった気になるためのイベントだからあの行進。何でエセ関西弁?」
「ほなええか……」
「何でエセ関西弁?」
そういうことならまあ、僕らと一緒にいても咎められる筋合いは無いかと勝手に折り合いをつける。どうせ何を言っても聞かないだろうし。
「いいじゃん別に。他の少年兵と一緒にいても気が滅入るだけなの」
「上の人たちと仲良くできない貴女の落ち度じゃないですか。何か舟木が伝えそびれたことあるらしいですよ」
「連絡先とか?あたしスマホ持ってないよ」
「俺だって正規の回線が使える端末は持っていない。さっきの話の“例外”について話すべきと判断した。どうせ俺たちも暇だしな」
舟木が徐に胡坐をかいた瞬間、またあの昼飯時みたいに三人で座り込むことになった。何だかんだユーリの理解不能な感じにも慣れてきた気がする。単にある程度の意思疎通を重ねた結果だ。
「賽という名のフリーランスがいる。漢字一文字。サイコロのサイな」
「どーいう人?」
「イズメと共にこの手の業務を渡り歩いてきた古参。他の“生徒”たちと違って、唯一最後までイズメと行動を共にし続けた“最後の生徒”だ」
サイ。多分偽名なんだろうけど、それ以上に意外だったのはイズメにサイドキックみたいな別のフリーランスが付いていたことかもしれない。少なくとも舟木の話を聞いている限りでは「他人に降り掛かった不条理を決して許さない独りぼっちの英雄」みたいなイメージで、廃桃源ギルドとの関りも非常に淡泊かつ希薄みたいなのを想定していたのだが。
サイコロのサイ。賽。コードネームがカッコいいな。どんな風体なのかは知らないけどとりあえず名前はかっこいい。
「イズメって他人と一緒に仕事するタイプには思えなかったけど?」
「別に全部の業務を2人でこなしていたわけじゃないんだが、傍から見れば相棒という関係に見えたかもな。2019年頃に出会ってから4年近く廃桃源の一区画に同居していたらしい。二条作戦の頃からの付き合いだ」
「恋仲的な?てかそもそも男の人なの?女の人?」
「女。詳しい歳は知らんが外見年齢はユーリと同じくらいだな。恋仲ではない」
この業界の男女比どうなってんだ。結構というかかなり女性の比率高いよな。こんなに血生臭い世界なのに。
「でそのぉ、何。賽?ってフリーランスがどうしたの?」
「お前が構想している怪獣にある意味一番近い」
「あっきれたー」
「何だとぉ」
舟木の反応を更に馬鹿にするかのように、ユーリは品性の欠片もなく倉庫の床に寝転んだ。流石に慣れたとはいえ無防備に横たわる女体が隣にあるのはちょっと困る。そして結構いい腹筋してるな。ローブで隠れているだけで女性としては相当鍛えこんだ身体に見える。この大きな剣を託されているわけだし当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど。
「それアレじゃん。それこそ舟木が言ってた、適応能力が欠落している癖に社会構造への順応を望む“人間性”の権化じゃん。自分より強い奴の隣に引っ付き続ける奴のどこが怪獣なのさ」
「イズメのスタンスは覚えているか」
「“人間はどこまで行っても究極的には孤独”?」
「その思想、というかある種の呪いを最も近くで、最も色濃く継承しているのが賽だ」
そうなると中々矛盾した存在同士だな。イズメと賽は。
仮にイズメと同じ思想で、イズメと同じ欠落、圧倒的な孤独で呪われた存在がもう1個体いたとして、それらが5年もの歳月を同じ空間で生きたのは何だ。彼ら彼女らの主張と行動が初っ端から破綻していたのか、それとも本当に、同じ時、同じ場所で「孤独な者たち」がそこに存在していただけなのか。……多分、否、個人的には、後者の方であって欲しいと願っている。少なくとも貴女はそう想っている筈だ。ユーリ。
「賽は完成されたフリーランスだった。前線業務から平時に至るまで全てが単独個人で完結するよう叩き込まれていたし、そのポテンシャルはイズメが隣にいなくとも100%の精度で発揮される。二人して並ばれるとまあ勝てる気はしなかったが」
「一応聞くけど人間?」
「では無い。俺には人間にしか見えなかったが」
「現実改変者だったりするわけ?」
「人造人間だ。どこかの施設からイズメが拾ってきたらそのまま懐いたんだと」
「じゃあ超常の行使者なんだ。イズメと違って」
「強いんだよね」と興味津々なユーリの目は、バネ足ジャックの時のアレに戻っている。寝転がった体制から一切の反動をつけずに起き上がり、舟木を両手で指さしながら問いかけた。
「……単体武力で賽を上回るフリーランスなんざ星の数ほどいるが、それでも奴は強い。負ってきた傷の数が違い過ぎるし、まず5年前から一切頻度を落とさずに前線業に出ている時点でイカれている」
「それはまあ……いや凄いか。あたしそこまで長く生きられるイメージ湧かないかも」
「早死に前提で人様の職に憧れんなよ……」
「……仮に僕がドリフターじゃなくて普通のフリーランスだった場合を考えたんですけど、多分半年経たずに死にますね」
「イズメが現れて以降は業務中の死亡率こそ大幅に下がったが、前線フリーランスの世代交代は大体2年周期だ。丁度今の時期だぜ。一昨年あたりに業界入りした連中が連続的に失踪したり戦死したり」
前線業ってやっぱり大変なんだなあという漠然とした感想は浮かぶが、確かにあの地獄を何度も経験しながら5年も業界に居座れるのはちょっと狂っているかもしれない。仮に五体満足でも数年たりとて心が保たないだろあんな仕事。人間の生き死に以外にも理外の存在とか国の闇とか散々見て回る羽目になるのに。寧ろ一周廻って狂い切って、自身が真に孤独な超常の行使者であることを誰よりも悟ってしまったから生き残れたのかもしれないけど。
以前の業務──僕が初めて人を殺し、“アパート”経営陣の思惑とは裏腹にまんまと生還してしまったあの現場──を共にしたフリーランス曰く、1回の業務で得られた報酬を上手いこと遣り繰りすれば0.5~1.5ヶ月分の生活費に相当する金が手に入るらしい。しかしその大部分は武器弾薬の調達や治療に消えるため、企業間紛争の解決手段としては今やメジャーとなった代理決闘、表の民間人が依頼する私人暗殺、要人警護、未確認超常の討伐、斡旋業者での下働きなどをこまめに捌きながら稼ぎを生む。差し引き最低でも年間30~40回は前線業務に出るとのことだった。そんな生活を5年。5年もやっている人が実在するなんて。
ニット帽の左右から長い横髪を伸ばした三白眼の女性が教えてくれたことだ。そういえばあの人も女性だったな。舟木みたいに太々しい物言いが目立ったし、若干日本人らしくない堀の深い顔立ちだったけど、妙に頼れる雰囲気があった。あの人も多分相当長いことやってるフリーランスなのだろう。1年か。下手すれば2年以上前線を生きてそうな貫禄だったな。
「でもまあ舟木が賽を挙げた理由は解りました。本人のスタンスがどうあれ、実力から考えれば世界の全部を敵に回したところで案外生き残っちゃいそうな気がしますね。そこまで来ると」
「そーかなぁ。そーかも。うーん」
「どうかしました?」
「あたしの定義した“怪獣”の実力にあたしが追い付いていないかもしれない問題」
「頑張りましょう!」
「頑張るからヤナギバも生きようよ」
それは本当にごめんなさい。僕は死ぬためにここに居るので。どうすることもできません。
舟木が倒れかけたリュックサックを抑え込む。どんな重量物を突っ込んできたのかは知らないがそれにしても重そうな装備だ。何突っ込んできたんだろう。話しそびれた内容も一通り語りつくしたらしく、何となく、全員が一様に頭の片隅に追いやっていた事を意識し始めた矢先だった。
「フナキってイズメには会ったことあるんじゃん」
「あるな」
「賽にも会ったの?」
何の気なしの質問だった筈だ。僕もそのつもりで聞き流していたが、予想外にも舟木の表情はここで固まった。僕の真似か?と疑いたくなるくらい表情筋が固まっている。流石にユーリも気づいたらしく次の言葉に詰まっている。どういう事だ。これについては完全に予想が付かないんだが。
「フナキ?」
「……舟木さん」
「会えるかもな」
訳が解らん。それはもっと語れ。アンタなら出来るだろうが。会えるかもってアンタ
会える?賽と?
待った。お前今言ったよな。「会えるかも」って。そう口にしたんだよな。確信はしていないけど会う機会はあるだろうと。それも単なる独り言なんかじゃない。明らかに“僕ら”に対してそう伝えた。自分の洞察が嫌になってくる。考えずに済んだ筈の嫌な事ばかり想起してしまう。答えてくれ舟木。会えるかもって何だ。どういう意味だ。
「会えるんですか」
「早けりゃ今夜にでも」
「冗談ですよね」
「大マジだ」
来るのか。イズメの最後の生徒が。5年の歳月をあの地獄で生きた悪鬼羅刹が。敵方に雇われたフリーランスとして?
「……冗談じゃない」
「だから言ったろ。大マジって」
「フナキ」
ユーリの聲に振り向く。彼女の右手は直刀の柄にかかっていた。
「簡潔に答えて。“敵”についてどこまで知っている」
「“何も知らない”」
「信じる。だからもう一個質問。この業務に応じた理由は何」
「“賽が敵方に雇われたかもしれない”。その漠然とした予感に賭けた」
「もう一度答えて。“敵”についてどこまで知っている」
「何度でも答えるさ。“何も知らない”」
待て。お前ら本当に待て。せめて僕を挟まずやれ。ユーリの対応は至極当然の結果だ。彼女は今日この場に生じた僕らの交友とは無関係に、あくまで鉄錆の果実教団関東支局の少年兵として、“制裁者ユーリ・シェルコヴィツァ”としての任を全うしているに過ぎない。「敵方に雇われていると思わしきフリーランスの情報」を何故か知っている舟木は今この瞬間から危険因子と化した。
そしてその因子が孕む潜在的危険について、残念ながら僕は無関係の立場を維持できない。動かない顔面そっちのけで額に滲んだ脂汗を拭い、立ち上がって舟木に詰め寄った。
「舟木」
「ヤナギバは黙って。あとそれ以上近づかれると巻き込みかねない」
「彼の正体が敵方の密偵であろうが離反者であろうが貴女の思い違いであろうが、これから先訪れる未来は2通りになりました。。“賽”が来るか、来ないかの2択です」
「だったら何。信用してもしなくても無意味ってこと?」
「無意味ですね。僕らが今舟木から聞き出すべきことは他に在る」
「答えるさ。今日死ぬ予定の人間ではなくお嬢さん、君に対してね」
「フナキ!」
止める暇もなかった。ついにユーリが抜刀し立ち上がる。流石に目立ち過ぎだ。案の定待機中の人員の目が、おおよそ30名分の視線が一斉に僕ら三人に収束する。ヤバい。これは本気でどうにかしないと。
「ユーリ!」
「あたしは冷静だよヤナギバ。だから冷静な内に教えてね。フナキさん」
「何から知りたい」
「性別年齢以外で賽の外見的特徴」
倉庫内がざわつき始める中、舟木はまるでその現実をまるで認知できていないような素振りで立ち上がる。顎より少し下の高さまで手のひらを持ち上げてユーリに一歩近づいた。
「タッパは165cm程度」
「それ以上近づくな。あとは?」
「ニット帽の左右から長い横髪を生やした、若干中東系の血筋が入っている顔立ちで三白眼の女だ」
僕の口から零れた音節信号は「う-そ-だ-ろ」の連続的な4音から構成されており、それらが「Are you fuckin‘ kidding me?」なるニュアンスを内包した日本語語彙であることを理解するのに約1秒を要した。
そう零さざるを得なかった事情を理解するまでに更に1秒を要し、次いで「彼女」の顔を思い浮かべるため更に2秒を費やした。
「──会った」
「……あ?」
「フナキ。これが最後の質問」
ニット帽の左右から長い横髪を生やした、若干中東系の血筋が入っている顔立ちで三白眼の女。心当たりならある。僕に「僕以外のフリーランス」を教えてくれた最初の人。あの業務に同行した者の1人。敵の胸倉を片手で掴んで投げ伏せ、登山用のピッケル1本で人間の頭蓋を砕いていた女性。
女性。ニット帽。5年の地獄を生きた歴戦の超常フリーランス。あの人が──
「会って何するつもり?」
「この手で殺す。それだけを目的にこの依頼に応じた」
あの人こそが、賽だった。舟木が殺すべき人だったんだ。
「──何やってんだお前ら」
教団の人間が僕の肩を掴んでいた。寄りにもよって僕の肩である。この三人の中で一番殺気立っていなかったのに。一番殺気立っていなかったせいか。何ですかいきなり。
御免なさい冗談です。それはそれとしてクライアント側の対応が遅すぎる。ユーリが抜刀してから何十秒経過したと思っているんだ。
「ユーリ。それは流石に看過できないぞ」
「先輩じゃ対処できないと思います。退いてください」
「何があった」
「あたしが制裁刀を抜いてフリーランスと相対している状況で何も考えずに近づける無能だったんですか」
「何があったッ!」
僕のすぐ横で激昂するな馬鹿!うるせえし唾飛んだぞ今!手を振り払ってその場から退きつつ、半ば無意識的にユーリを庇う形で「先輩」とやらに相対した。
この人もユーリの自称する制裁者という役職の1人なのだろう。装備品は概ね共通している。唯一ユーリと違うのはサブマシンガンをホルスターで携帯している点だ。先輩という呼称、そしてユーリ同様遜色なく成立するコミュニケーションから察するに、下手したら現場指揮官クラスの人間だったりするのか。何にせよ僕らを見る目がこれだ。等身大に塗り固められた汚物でも目撃したような目で僕と舟木を見比べている。この状況で無警戒に近づける無能であることを証明しておきながらよくやるよ本当に。好きでウンコやってるわけじゃないんです僕らも。
「いや僕らマジであの、ユーリ、ではなく舟木。説明」
「パス。ユーリ」
「パス。ヤナギバ」
「これパス返しアリですか」
「あり」
「ユーリ」
心底めんどくさそうな素振りで“制裁刀”を鞘に納めながら、ユーリは数歩前に出て“先輩”の胸骨に指を添えた。
「交流の中で生じたすれ違いを彼が取り持ってくれました。問題は解決済みです」
「お前が抜刀するほどの諍いだと?ハゲにもそう説明をつけるつもりか?」
「あの、相棒がユーリさんにはご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ありません、僕から彼に言って聞かせておくので」
嘘交じりの補足を始めた瞬間、顔面の右半分に衝撃が走る。僕の意志とは関係なく体の左側面を視界が捉えていた。
あ、何か、久しぶりだ。親以外の大人に殴られるの。右頬にじんわりと広がる暖かさ。毛細血管の一斉破裂と軽い脳震盪が視界を溶かす。温かくてくらくらする。絶妙に眠気を誘われるデバフの重ね掛けと遠い痛み。食らった日は不思議と眠りが深くなるからある意味得だと思いこんでいた日々を思い出す。吹き出た鼻血がコンクリート仕立ての床を斑に染めた。眼鏡はレンズを下に向けたまま取り落とした。感情に関係なく片目から涙が滲んだ。
「先輩テメエ!」
「大丈夫か柳葉」
キレるユーリと平然とした態度で僕の鼻血を拭きに来る舟木。余計な横槍だったとはいえ僕が口を開いた瞬間反射的に平手打ちしてきたクライアント。時間差で湧いてきた怒りと落胆。どうせこれから死ぬだけの未来。それらの一切がどうでもよくなる程に、彼女の顔が瞼の裏に焼き付いている。ニット帽で三白眼の女。乾いた唇と妙に大きな目が印象的だった。今でも鮮明に思い出せる。あの偶に見せる寂しげな表情を。ピッケル1本で人体を破壊しつくす怪物じみた膂力を。
鼻の両孔から血を吹き出しながら咄嗟に舟木に掴みかかった。骨ばっていて肉の見えない上腕。しかし僕を遥かに凌駕する修羅場を潜り抜けてきた肢体。握り潰さないように揺らす。
「舟木」
「血ぃ拭け錯乱すんな。ユーリを止めるぞ」
「舟木、聞いてくれ、僕は」
「──フリーランス!」
ユーリの先輩がもう一度僕に殴りかかった。今度こそ舟木がそれを横から阻止する。滅茶苦茶だ。その細い体でよくソイツを止められるな。それどころじゃないんだけど。舟木を返してもらっていいですか。僕を殴った事とかこの際どうでもいいので。伝えないといけないので。
「教団の聖域を汚した!汚した!社会のゴミが!」
「そちらが殴って出血させた結果だ。文句あんなら上の人間呼んで来い」
「ごめんフナキこの人頭足りないだけだから」
「全員一気に喋んないでください。舟木、賽についてですが」
「言ってる場合じゃないで──」
全部言い切る前に金属交じりの摩擦音が迸る。ついに“先輩”が抜刀した。他人の抜刀を咎めておいて何なんだこの脊髄反射モンスター。ついにユーリまで抜刀したし、舟木はこの期に及んでまだ武装していない。僕の胸のすぐ目の前まで先輩の切っ先が迫っている。流石に周りのフリーランスや教団員たちも騒めき始めた。騒ぎがデカくなりすぎているし、元凶が誤解を招くような発言をした舟木と目立つ真似したユーリであったとはいえ九割九分の非はこのカスにある。どうすりゃ良かったんだよこの場合。なあ。
なあ、どうするというか今死んでいいかな。丁度胸の前にデカい刃物があるわけだし。どれだけ把持する力が弱くても全体重をかけて圧し掛かればいい具合に呼吸器系へ突き刺さるだろ。
正直もうウンザリしているんだ。「今日死ぬ」という現実から目を背けて明日のことを考えるのは。超常フリーランスの歴史を知れたのは嬉しかったよ。ありがとう舟木。アンタ本当に良い人だ。集団の中に居場所が無いことと良いヤツであることは両立するんだなって思えたし、正直バネ足ジャックの話はユーリ以上に楽しませてもらったつもりだ。機会があればアンタの参照した資料の類も閲覧したいと思っている。けど。もう駄目なんだ。考える必要のない明日を考えながらあと数分の余生に興じるのは。駄目だった。何か解らないけど完全に。情報量の急激な上昇に巻き込まれたせいかもしれない。僕の中で何かが折れてしまった。僕が賽と出会った事実が何かのヒントに繋がるかもしれないけど、それはきっと僕が死んだ後に回収される伏線だ。考えたくない。死んだ後のことなんか。
ユーリ。君にもありがとうと伝えたい。君のおかげで随分豪華な暇潰しができた。貰った弁当がクソ不味かったのは許しがたいけど、君があの時あの産業廃棄物を与えてくれなければ随分余計に死んでいたと思う。君が僕をこの瞬間まで生かしたんだ。本当は縁もゆかりも、助ける道理だってない筈なのに僕のことを庇ってくれたのも、嬉しく思う。
僕は君が怪獣になることを望まないし、同時に期待していた。君なら本当に世界の全部を敵に回して、真に自由な超常の行使者になってしまうのではと不安だった。やるなら悪名を残してくれ。その時既に僕はいないと思うけど。
駄目だな。やはりこれ以上何も考えたくないし、考えるべきじゃない。行くかそろそろ。
「下ろせクズ!シャレにならんのはアンタの方だろ!」
「ユーリ、お前そいつらの肩を持つのか」
「お前を止めてんだよ現実見ろゴミ!それを振り上げた瞬間あたしがお前を斬る!」
「双方とも一回離れた方が良い。アンタもそれ収めてくれないか」
ちょっと早いけどこれでサヨナラだ。申し訳ない。そしてありがとう。2人とも。
「柳葉?」
切っ先を胸に押し当てた直後、身体が硬直する。体重をかけるには理性と生存本能が重すぎたらしいので、仕方なく“先輩”の制裁刀の切っ先を素手で握った。ギョッとしたまま固まる使い手を同じ目の高さで見返す。頑張ってモテようと努力しているんだろうな、という背景事情が朧げに伝わってくる髪型だった。今時マッシュルームカットって。この人も組織団体といった構造の被害者なのかもしれないけど、どうせならもう少しマシな最期の風景が欲しかったなと思う。最後に見る顔がアンタの間抜け面なのは納得できないけど、迷うだけ無駄だ。躊躇いなく刃先を喉にめり込ませた。
柔らかい断裂の反動と共に、血を拭いて倒れた。
ユーリの先輩が。
「あ、そっち?」
我ながらすっとぼけたツッコミだが同調する者は存在しない。それどころか舟木とユーリ、それ以外この場に居合わせていた連中の全員が一様に押し黙っている。彼の刃は僕の喉元に触れただけでその内側に滑り込んでいない。どういうネタだそれは。なあユーリ。
「誰だ今撃ったの」
使用者が吐血してその場に寝転んだので、必然的に長剣本来の重みが手のひらいっぱいに降り掛かってくる。切っ先に追加された重量で指を切りかねないため思わず取り落としてしまった。当然ながらけたたましい落下音が響き渡った。誰かが発砲したせいでこの場の全員が動揺しているらしいのは辛うじて理解できている。そんな音が微塵も聞こえなかったせいで僕だけがすっ呆けていることも。何故このタイミングで発砲したのだろうか。正直このクズは今ここで死ぬほどのクズでもないと思っていたんだけど。
死んだんだよな。死んでるよなこの人。もう肩で呼吸すらしていないし。吹き出た血液が僕の爪先にまで達しているわけで。
「誰か撃ったんですか?」
「お前の知り合いじゃねえの」
「あたしの知り合いだね」
下手人はこの二人ではないらしい。舟木が指し示す方を見やる。広間の最奥に教団少年兵が3人。いずれも制裁刀の代わりに、“先輩”が装備していたのと同じサブマシンガンを構え横並びに立っている。銃口の向きはバラバラだけど、それらすべてが「僕ら」を捉えて離さないように見えた。
貸倉庫内に数発、乾いた破裂音が響き渡る。
「──おっと」
別のバリケードでその様を眺めていたフリーランスの1人が半歩ほどよろけてバリケードにもたれかかった。今度こそ待機中のほぼ全員が身を屈め、ある一部の人員はその発生源に目を向け唖然としている。僕は僕で口を半開きにしながら棒立ちするしかなくて、立ち上がったり身を伏せたりも出来ないまま、3人の少年兵の素顔を遠目に眺めるだけだった。
え、僕らのせいですかこれ。
「──内通者だ!殺せ!少年兵が裏切った!」
「お前らでどうにかしろ!」
状況の理解がようやく波及する。バリケードに身を隠す混成部隊を背後からフルオート射撃でハチの巣にする魂胆だったらしく、既にユーリの先輩を筆頭に相当数の犠牲者が出ていた。何の抵抗も出来ずに死んだ人も多い。彼らの足元には恐らく裏切りに関与しなかったのであろう別の少年兵の遺体が転がっている。先ほどの諍いに乗じた決行だったのかもしれない。少なくとも同僚のユーリを助ける魂胆でやっているわけではなさそうだ。倉庫内の人間を近い順から無差別に殺し始めたのだ。彼らは。完全にこちらの陣営を裏切るつもりだ。
ようやく意識が現実に引きずり戻された。ほんの数秒前まで他人の武器で自決を図っていたくせに生存本能が観念的なゲージの中でカンストしている。本当に余計なことをしてくれたな彼ら。何でそんな昼休みみたいな表情のまま銃撃てるんだ。まだ世間に保護されるべき子供が揃いも揃って。
「遮蔽物に隠れろ柳葉!狙い撃ちされる!」
舟木の叫び声に釣られて思わず伏せる。断続的に発生する軽快な銃声と着弾音に耳を裂かれ、途切れ途切れの文節を噛みしめながら匍匐前進で舟木の元へ進んだ。既に各所で応戦が始まっている。戦闘訓練の他、拷問やら儀式やらを想定して防音仕様に改造された貸倉庫らしいが何分この人数での銃撃戦だ。耳がイカれる。せめて使い捨ての耳栓が欲しい。助けてくれ。デカい音が途切れないってだけで死ぬほど苦しくなるなんて思わなかったんだ。せめて何処かでこの連鎖が鳴り止んで欲しいと切に願い、ただ進む。力の限り。
バリケードの表面に張り付き射線を切った舟木に半身で密着し、アパートで支給された拳銃を急いで取り出した。トーラス社製の38口径5連発リボルバー。残弾はポケットに突っ込んでいるのも含めて30発。僕が使ったところで味方か僕が怪我するだけの代物。でも無いよりはマシだ。舟木はこの期に及んで未だ非武装。アーティファクトであるらしいリュックサックの中身が頼るに値しないものだった場合、僕が戦うしかなくなる。
「ユーリは!?」
「一つ奥のバリケードに張り付いている!」
「ヤバいですよねこれ!?」
「負け戦だ!ここに居残る意味が無い!」
察しはついていたけど負け戦ですかそうですか。死ぬには絶好の機会なんですけどね。畜生が。こうなるくらいならもっと、あと数秒だけでも早く死んでおくべきだったのに。僕がもたついたせいで余計な地獄に付き合わされている。耳がイカれる。負けじと叫ぶせいで次は喉が痛む。
「負け!?」
「浅田一派が手間暇かけて仕組んだ爆弾だ!タイミングは偶然じゃねえ!恐らく数十秒で敵の本隊が来る!」
「一網打尽ってことですか!クソですね!!」
「クソだ!ここに残っても命の保証はない!」
何が「僕が戦うしかなくなる」だよ。戦う前から全部終わってんのかよこの業務。
そういうものか。全面戦争が始まる前に全てを終わらせる手法。馬鹿正直に正面切って戦うより遥かに効率的なやり方だ。少年兵を囲い込んだ手口自体恐らくロクなものではないと思うけど、この奇襲によって浅田一派の犠牲は恐らく最小限度に留められる。僕らのクライアントがまんまと出し抜かれただけだ。が、問題はそこじゃない。クライアントがこの通り不甲斐無いせいで雇われの僕らが要らぬ苦労を強いられている。クソだ。どうしろってんだこんな状況。どうするべきですか舟木先生。
「どうするつもりですか!?」
「少年兵とハゲを両方制圧して“窓”を奪う。廃桃源への切符さえ手に入れれば白街への保護を求められるかもしれない」
「冗談でしょ!?」
「連中に言え!俺はシラフだ!」
アンタがラリっている姿は想像つかないけどシラフでトぶのもいい加減にして欲しい。ふざけんな。
でも、
「警察と財団の緊急出動まで時間はある!俺はやるからな!」
「ユーリは!?」
「知らん!」
「……助けられませんか?」
「柳葉。お前は超常フリーランスで、アイツは教団の人間だ」
「知ってますよそんなこと」
「お前の言う『助ける』ってのが本人にとっての救済になるとは思わない」
「知ってます。ここから廃桃源に逃げたところで今より酷い地獄が待ち受けていることも」
「それでも手を差し伸べたいか。ドリフター」
「所詮は僕より恵まれた境遇の他人です。貴方だってこの業務が終われば単なる無関係の他人だ。僕は死ぬためにここに居る。けど」
「けど」
「僕もアンタも自分の人間性を信じている。違うか?」
「フリーランスめ」
「祈るなら仏にしておけ」と言い放ち、巨大なリュックサックを盾のように構えながら舟木が立ち上がる。バリケードを超えて走り出した。酔っぱらっているわけでもトんでいるわけでもないが滅茶苦茶が過ぎる。滅茶苦茶だけど僕としてはそっちの舟木カエリオの方が好ましい。アンタの行動の軸は今時超常フリーランスなんかに憧れてしまった無軌道少女を導ける良心だ。その誠実性を僕は信じているし、信じたいと思ってしまった。
青いパーカーの靡く背中をワンテンポ遅れた中腰で追う。少年兵3名からなる弾幕の中を必死に追随する。精々7、8歩程度の距離を。耳のすぐ横を弾丸が掠めるが死なない分には問題はない。ドップラー効果と共に遠ざかる風切り音。意外と人の叫び声は聞こえない。代わりに最大限効率化された破壊の音色だけが全方位から無造作に鳴り響いている。今まさに足首を伝って着弾の衝撃が伝導してきた。シンプルでカオスだ。今この場には混乱と死のみが蔓延している。
「行け行け行け行け行け!!」
「うおぉぁぁッ!?」
リュックサックに弾丸が掠る音。男2人のダバダバ疾走。数分かけて走った気がするが時間にすれば10秒にも満たない移動だった。ユーリが単独で張り付いているバリケードの陰に滑り込み、0.何秒か遅れてやってきた流れ弾の振動に背中を揺らした。今のところはコンクリートの分厚さに助けられている。3人でミッチミチに密集しながら顔を寄せ合った。イツメンというやつである。
「狭い!邪魔!危ない!」
「コイツに言え!」
「何しに来たのさ!?」
「助けに来たんだよ!」
発砲音が複数近づいてきた。もうこのバリケードより手前側の人員はあらかた無力化されてしまったらしい。40人近く揃っていた混成部隊が既に10人以上削られている。
「──連中をどうにかしてから詳細を詰めるぞ!」
「どうにかするってどーやって!?」
「君のその剣でどうにか出来んのか!」
「出来るならとっくにやってる!」
三人寄れば文殊の知恵と言うし、弱小カルト教団の下っ端と日雇いの殺し屋と記憶喪失の童貞が一堂に会した今なら打開策が思いつくかもしれないという希望的観測は少なからずあった。無理だどう考えても。一発逆転を狙うにしても完全武装の少年兵たちを数段上回る武力が求められる。勢いで合流するもんでもなかった。
各所からの抵抗も10秒足らずでかなり散発的になってきた。他のフリーランスも教団員も、土壇場で生じた離反者たちに決定的な打撃を与えられないまま良いように頭を押さえつけられている。僕らのバリケードを掃討しにかかるのも時間の問題だ。疾走中に一瞬垣間見えた彼らは、2人が各バリケードの牽制、残った1人が被弾して行動不能となった人員を完全無力化するフォーメーションを取っていた。攻撃に転じるにも隙が無い。あの中の誰かに隙が生じたところで他の誰かに射殺されるのがオチだ。
甲高い破裂音がほぼ頭上で鳴り響く。あと数歩という所まで彼らが接近していた。
「アカンわ」
「アカンですわ」
「だから何でエセかんさい──」
ユーリの背後。車輪のような滑らかさで影が迫った。僕らを捕えた銃口と共に。ツッコミが追い付かないうちに金属製の筒に数度の角度調節が入る。
「ユ──」
遅れに遅れてユーリが抜刀する直前、少年は首から上を不自然に仰け反らせ、糸を斬られた操り人形みたいに倒れた。ありがちで使い古された比喩だが本当に直喩そのまんまの倒れ方をするのだからこれ以上記述のしようがない。混成部隊に属する他の誰かがついに離反者の1人を仕留めたのだけは理解できる。みっともなく命を助けられた3人で一斉に反対方向へと振り返った。
落ちたナゲットを貪る少女だった。上下黒ジャージに身を包んだ、やたらフワフワしたショートボブの女の子。相変わらずその表情はぎこちない。しかし昼間の印象とは打って変わって、その射撃姿勢には何らかの神聖が宿っているように見えた。肩幅まで開かれた両足、適切にグリップを把持した両腕、肩から腰元にかけてのしなやかなラインに見惚れたことを数秒遅れて自覚する。
フタツキ。彼女はそう名乗った。距離にして15mは離れた地点から立射で少年兵の頭部を打ち抜いている。まぐれにしたって出来過ぎているワンショットキルだが、当人がそれを噛み締める余裕を持ち合わせていないのは顔を見ただけで解った。青ざめ過ぎだ。舟木と同じくらい死人じみた顔色をしている。
静寂が訪れた。離反した少年兵による掃射も、混成部隊の残存人員による反撃も。彼女の一射を発端にほんの一瞬だけ停止する。僕らは3人揃って仲良く両者の様を見比べていた。
「……ッ」
「うぁ」
少年兵の残り2人が一斉にフタツキを照準に捉える最中、間の抜けた声を漏らしながらフタツキもそれに応える。再び発砲の応酬が始まった。少年兵が両方とも立ち止まりながら弾丸をばら撒く中、フタツキは両目をかっ開きながら横方向に移動して撃ち返している。互いに被弾しない。少年兵による流れ弾で見物中の教団員1名が即死する。
再開してからものの5秒で離反者の1人が跪いた。被弾によるものだ。顔を上げる暇もなく頭部へのトドメを食らい、今度は糸の切れた人形というより波に打たれた砂の城のような様で崩れ落ちる。1人目よりもハイスピードで血だまりが広がっていく様子が「人間の循環器系って凄いパワーだよな」と思わせてくれる。思っている場合じゃない。残っている少年兵は1人だけ。決死の裏切りを敢行した仲間を立て続けに2人失ったのだ。流石に苦悶の表情を隠しきれていない。サブマシンガンを握る右手がおぼつかなくなっている。
少年兵はここに来て初めて怒号を発し、言葉にならない言葉を並べながらサブマシンガンを投げ捨てた。フタツキ目掛けて投擲したつもりらしいが全く見当違いの方向にすっ飛んでいく。ますます極限状態と化した未成年は空となった両手を固く握りしめ、論理が成立しているかどうかも怪しい思考の後に走り出した。背を向けて逃げる道は断たれている。目指すは前方。スライドの後退した拳銃にぎこちなく装填している最中のフタツキ。
「……ユーリ!?」
その背中を追う形で更にユーリが飛び出した。制裁刀を下段に構えて。
フタツキの首元に少年兵の指先が絡みつく直前、銀色の刃が空を薙ぐ。少年兵の首から上が少しだけズレ始め、その瞬間まで命だったものが黒ジャージの首根っこを掴んで倒れ伏した。フタツキは何の抵抗も出来ないまま仰向けに倒れる。
これにて離反者3名全員が無力化されたと幕を下ろしたいところだが、終わりじゃない。間もなくやって来るであろう本隊の方が遥かに問題だ。そしてこれら少年兵を全員無力化したところで、この業務がクライアント側の不備により転んだ負け戦である事実に変わりはない。舟木と無言で頷き合った後、残存人員の混乱そっちのけでユーリの元へ駆け寄る。卒倒したフタツキをバリケード裏に移送していた。単独で2人も無力化しておいて、ただの転倒で意識を失ったらしい。やはりよく解らない人だ。
「ユーリ!」
「後にして!」
「今だ!廃桃源行きのポータルはどこにある!」
「今!?」
本当に今しかないので勘弁していただきたい。フタツキを抱えて移動しようとしていたのを慌てて止めに入り、舟木と共に詰め寄る。貴女が今介護している人は十分すぎるくらい功労者だがこの際本当にどうでもいい。今だ。今しかない。
「ユーリ。ここに残れば確実に死ぬ」
「何を根拠に!?」
「概算した。完全に死んでるのが11名、使い物にならなさそうな負傷者は約10人。五体満足なのは俺たちを含めて10人強。戦力差が覆っている」
「教団を捨てて逃げろって話!?」
舟木が勢いよく真横を指さした瞬間、正面搬入口のシャッターが轟音と共に引き裂かれる。砂埃の中辛うじて確認できたのは大型トラックのケツだった。荷台の扉を若干ゆがめて緩やかにバックしてくる。
あの扉の向こう側に浅田一派の本隊が犇めいているのは説明されずとも理解できた。事前情報が正しければ総数はフリーランスを含めても20名弱。全員が途中で死亡したなりに離反者組は仕事を全うしたということだ。形成は逆転している。勝ち目が無い。残存する混成部隊の各員はそれを把握しているのか何も考えていないのか、今度こそ一心不乱にトラックの荷台目掛けて集中砲火を開始している。開始したは良いものの、先の内ゲバのせいでそれぞれ弾が尽き始めた頃合いなのか。攻撃は一様にまばらで消極的だった。何なら銃すら握らずに棒立ちしている教団員もいる。一方の荷台の方は中で何かトラブっているのか一向に開く気配が無い。グダグダだ。これだけ内側から引っ掻き回しておいて、敵もまた盛大に奇襲をミスっている。銃声に交じって聞こえづらいが、観音開きの扉の向こうからは泣き声やら叫び声やらが多重に交じって零れ落ちていた。防弾加工なんかされているわけがないので扉に近い人たちからひき肉にされている可能性がある。付き合っていられないし、所詮赤の他人とはいえユーリにも付き合ってほしくはないと。僕らの人間性がそう叫んでいた。ので、引き下がるわけにはいかない。
「……善意に応えろとは言わん。俺たちは何としてでもこの場から逃げる。お前に声をかけたのは今日の縁があってのことだ」
「舟木はこう言ってますが僕は貴女に死んでほしくないと思っています」
「待って、一回待ってね」
「待たない!全部説明させないでください!どうするんですか!?」
「ポータルの開け方はハゲしか知らない!やるならハゲから押さえよう!」
「警察の到着まであと6分近くと仮定。ポータルが確保できない場合は俺の獲物で壁を破って戦線離脱、全武装を放棄して武蔵小杉方面に離脱するぞ。ハゲ何処だ。」
「フタツキはどうするんですか」
「基底現実にしか逃げ道が無い場合は捨て置く。あくまで最優先は俺たち3人の生存。ハゲは何処だ」
もう状況が状況すぎて舟木の一言一句に合理があるのかすら判別できないが、やるしかなかった。僕ら以外の一応無事な人員が必至こいてトラックのケツを穴だらけにしている中で、どこにいるのかも解らないハゲを探し始める。荷台扉は相変わらず開かない。軽くひしゃげた扉の隙間から微かに血液が漏れ出ていた。中はきっと地獄絵図だ。今からならワンチャン勝てそうな気もするけどハゲ一派がこのザマだ。勝ったところで得られるものなんか何もない。一方的な殺戮とも呼べる集中砲火を遠巻きに眺めながら縦一列で移動する。ハゲを見つけなければ。
「……止まれ!ソイツらは何だユーリ!」
棒立ちで口を半開きにしていた教団員が急に真横から突っかかってくる。舟木が強引に退けた後ユーリが首を飛ばした。離反組に続いて古巣を裏切ることが確定したとはいえ元同僚相手に躊躇が無さすぎる。
ハゲが見当たらない。下手したら突発内ゲバの段階で殺されている可能性も考慮しなければならない。マジで困るんだけど。
「生きてるかお前ら!」
「無事です!」
「なんとか!」
「うわぁゲロミンチだ」
ようやっと解放された荷台から飛び出したのは奇跡術爆弾だったが、次いで「零れ落ちた」のは更に予想外の、しかし理屈で考えれば想像の及ぶ範疇の代物だった。薄い金属製の開閉扉越しにあの物量の集中火力を叩き込まれたのである。直線飛翔能力と単純破壊力を大幅に削がれるとはいえ所詮は弾丸である。10人分はくだらない遺骸が塊のままコンクリートの床に広がった
「ハゲがいない」
「はァ!?」
「先に脱出されてるとか……?」
「うわ在り得る。あンのクソハゲ!」
「まだ在り得るってだけです!どうしますか舟木!?」
「ユーリを先頭にスタックを組んで引き返す。あのクソみたいな戦場にハゲがいれば後ろから刺して廃桃源行き!いなけりゃ基底現実を地道に逃げ斡旋に救援要請!」
「ハゲ見っけた!」
「マスターキーを携帯していない場合は!?」
「脅して差し出させる!結構人減ってきたな!」
1人のフリーランスが我々の側の教団員と殴り合っている。混成部隊同士の派閥抗争だ。その場に発生しえる事象が何の捻りもなく生じているに過ぎない。それは本当に、ごく当たり前の殺し合いでしかなかった。
この教団員自体が素人目に見ても相当な剣術の使い手である。逸材か秀才か、この世界の基準で考えればどれほどの実力者なのかは僕の知るところではないが、少なくともこんな互いに足引っ張り合って勝手に自滅し合うだけの内ゲバを生きるには余りに勿体ない斬り合いであったと。兎に角僕はそう思えた。
「……すげ」
僕が思わず見とれてしまったのは、そんな完成された近接格闘能力を持つ教団制裁者と互角で立ち会っているフリーランスの方だ。
真っ黒なニット帽とウィンドブレーカー。右手にカギ状の武器を、左手には小ぶりな盾を握っていて、回避やカウンターの一挙手一投足に連動して左右の横髪がせわしなく跳ねていた。前方に突き出された盾の直径はそれほど大きくなく、精々冷凍の汁なし担々麺を盛るのに丁度よさげな器程度である。しかしこの盾が、中々どうして飛び道具を失った戦闘員にはめっぽう効くらしい。教団員はやはりユーリの扱うような直刀で薙ぎ突き払いを繰り返しているが、あのカギ状の武器か盾で一撃目を逸らされカウンターを貰ってばかりいる。ローブの下のボディアーマーが無ければ先の胴への一撃で即死していたかもしれない。
その体躯は女性にしては少し大きめで、男性にしては若干小さめに思えた。多分ユーリより背が高い。摩耗して所々に変色が目立つウィンドブレーカーがはためき、一瞬“彼女”の横顔を拝むことが叶う。恐らく純粋な日本人ではない。少し堀の深い目元と高めの鼻。主電源を落とされた倉庫の中で遺体のように輝く肌とよく似合う。視線は生存本能と闘争心によってか、極限まで練磨された切れ味を誇っていた。
僕は、このフリーランスを知っている。
「……舟木」
「解っている」
そうだ舟木。アンタが一番理解している。「今闘うべきではない」と。アレとアンタにどんな因縁があったのかは知らないが、今ここで、少なくとも残り5分以内に現地警察が到着しかねないこの状況下で無理に交戦するべきではないと。僕らはあのハゲからマスターキーを奪い廃桃源に逃げる。逃げて、逃げた先は解らないけど、解らないなりに僕らは約束されなかった明日を勝ち取るんだ。その時はまた三人で胡坐でもかいて生産性があるのか無いのかもアヤフヤな座談に興じよう。少なくとも僕はこの先もずっと暇だ。今度こそ死ぬ瞬間まではアンタらに付き合っていられる。だから──
──行くな。舟木カエリオ。
「……あっ!」
数度の短い鍔迫り合いと一旦の離脱の後、教団員は床を揺るがす程の踏み込みで刺突に及んだ。渾身の不意打ち。目算でも4、5mは離れていたのに、その切っ先は確かに彼女の喉元へ達する見事な一撃だった。少なくとも数秒前まで首根っこが存在した位置には達していた。
人間の反応速度じゃない。前方から瞬き一回分の隙を突くように飛び出た刃を搔い潜り、低空跳躍の後、無防備となった懐へカギ状の獲物を二度突き立てる。ニット帽のフリーランスは間一髪で死地を脱し、教団員の見出した活路をその一瞬で自滅の道に変えていた。上半身から覇気を失い姿勢を崩す教団員を更にバックラーで殴打し、最後は身を捻りながらのアッパーカットですべてを終わらせる。教団員は後頭部からコンクリートに激突。全身が軽く浮いてからの落下にあの出血だ。恐らくは既に絶命している。
理から外れた存在の気まぐれで簡単に人が死ぬこの世界だ。彼女が特別に強いとは思わないし、思えない。こんな直接的な武力の練度とは別の方面で、もっと酷く、悪意を極限まで煮詰めたようなSCPオブジェクト報告書を僕は知っている。アレは最強じゃない。最凶でもない。それでも彼女は完成されていた。超常の裏社会を生きる一人の仕事人として、超常フリーランスとして。あの脅威が等身大のヒトガタに収まっているというだけで末恐ろしく思えた。仮に彼女が僕らの思うあのフリーランスであっとしても絶対に交戦すべきじゃない。
理由は単純だ。僕は彼女と出会い、一瞬だけではあったが肩を並べて前線を共にしていた。
「アレうちの隊長なんだけど」
「どうでもいいんですそれは。ハゲがやられる前に」
「……柳葉」
「舟木駄目だ。駄目だからこそ僕に教えてくれ」
「アンタはアレを殺すつもりなのか」。それを聞くしかないから聞いた。現実を直視できているのか定かじゃないフリーランスの、青白い遺体のような男の胸倉を掴んで。クソデカいリュックサックの重みを前腕部に感じながら。
「一週間前に彼女と出会いました。山荘を襲撃して金塊を奪還する任務で」
「それで?」
「あの日も同じ殺戮を見た。少なくともこちらから喧嘩を売るべき相手じゃなかった。勝つつもりなんですか」
「勝つさ」
「ユーリ!?」
叫んだ頃にはもう遅い。カルト教団の少年兵は切っ先を斜めに下げ煤けたローブを無駄に翻し、逃げも隠れもせず直進していた。
賽の銃口が彼女を捉え数度火を噴く。放たれた銃弾はユーリの体躯に掠ることなくいたずらに地面を穿つ。進行方向を大きく右にシフトし、斜め方向に直進していた。
「ハゲは!?」
「後だ!もう奴を無力化しない限り脱出の隙は生まれない!」
「あ、お前」
「……ご無沙汰してます」
「だよな。早死にぞこんな仕事ばっか受け持ちやがって」
「そのつもりで来たんですけどね。付き合いがあったというか」
「顔なじみの俺より眼鏡優先かよ」
「言うほど馴染んでねえだろ。知らねえのはそっちの女だけだ」
「はじめまして!」
「初めまして。死ぬか降参するか選んでくれ」
「お互い負け戦だ。どちらかの捕虜になった方が生存確率も上がるし、現場に立ち会った人間としてお前らを擁護できる。これ以上無駄に死ぬことは無い」
「……」
「お姉さんって“賽”だったりする?」
「サイコロの賽なら俺のことだな」
「色々聞きたいことがあるんだけどさ」
「聞きゃ良いだろ。と言いたいところだが時間が無い。今日のところはお開きじゃ駄目か?」
「賽。お前は今日この場で殺す」
「“超電着装”」
「Меч, покажите его смерть」
舟木が何かキャラに合わない単語を口にした瞬間、ユーリはロシア語と思わしき文言を発していた。同時に前方から熱風が迸る。
リュックサックが爆ぜた。熱風と共に展開されたのは複雑怪奇で純白な装甲である。それらは瞬く間に空中で展開され、熊の毛皮の開きのようなフォルムと化した後、大の字ポーズで待機していた舟木を背面から食らう。全身を装甲で覆いつくした舟木を
「……俺の知らん兵装だな」
「秘密兵器の兵器たる所以は固く閉ざされた秘密そのものだ。語り継がれるべきは死と恐怖の二つのみ」
「当てつけかよメタルヒーロー」
「その通りだバイオロイド」
「左腕の鎮圧執行ミームエージェント、右腕マスターキー、両踵の跳躍装置。そして特大デメリット付きの瞬間蘇生機能。貴様に残された“秘密”はそう多くない」
「5年も業界の世話になっているからな。無職のお前には解らん苦労だ」
同業者を無職呼ばわりするの無敵すぎるぞこの女。
「ユーリよく聞け」
「何さ」
「1on1で奴に勝てる道理はない。2人同時に仕掛けるぞ」
「気乗りしないなぁ」
「お前の語った兵法だな。バイオロイド」
「倒置法みてえなマネする前に要件話せやコスプレ野郎」
「『アタマの構造が人間止まりなら数的優位性で勝つ道理がある』と。あの男の受け売りを得意げに話していた。そっくりそのまま返してやる」
「受け売りの売り返しかよ!?」と素でツッコむバイオロイド目掛けて、もはや死体らしさの欠片もなくなったメタルヒーローと、ローブに直刀で武装したカルト信徒が同時に突撃する。仮にこの状況を俯瞰する存在がいたとするなら是非とも問いたい。西暦何年ですか今。僕は何を見せられているんですか。何でこの二人が「仮に日本に殺し屋稼業の基盤があったら」みたいな世界観をそのまま踏襲してそうな上下真っ黒の女性型バイオロイドに喧嘩吹っ掛けたんですか。
どの道この戦場において僕は部外者であり、またある種の俯瞰者でもある。状況の解釈は許されるが当事者への介入は許されない。精々脳内で実況解説するのが関の山だ。初撃はユーリが取った。盾でいなされたが大きく振りかぶっての一太刀。僕より背が小さいとはいえ剣があの長さだ。賽のピッケルよりはリーチが稼げているし、左手の握力だけで把持しているらしい小盾で防ぐにもユーリの全重量を加算した斬撃を凌ぐにはいずれ限界が訪れるとみた。頭頂部の保護のために左腕の位置が誘導されたのを見計らい、ユーリの陰から舟木のミドルキックが炸裂する。左脇をモロに打突された賽が蹴りのベクトルに沿って軽く飛ぶ。これもしかしてあのスーツを装着した時点でフィジカル面でのアドバンテージは皆無に等しくなったやつか?
「ユーリ!」
「フナキ!」
左脇に対処不能の一撃を食らいそのままグラついた賽を、今度は右側面から長剣の一閃が襲った。大振りで大雑把で、しかし戦死したユーリたちの隊長に負けず劣らず速度の乗った横薙ぎである。心地よい風切り音。上半身を背面側に限界まで逸らしこれを回避した賽だが、ユーリもただ闇雲に剣を振っているわけじゃない。長剣の一振りで得られた遠心力をそのまま利用したのか。この手の一瞬の美に添えるべき語彙が乏しいため「綺麗だ」としか形容できないことを許して欲しい。本当に綺麗だ。フィギュアスケーターみたいな煌びやかさすら覚える後ろ回し飛び蹴りが賽の腹部を捉えていた。
時々見えづらいアングルになるからその都度死体の海を泳ぐ羽目になる。スニーカーの隙間から生暖かい何かが侵入していた。何度も血だまりを踏んだし、血液とは別の液体も多く踏んでいる。関係ない。義務も義理も死者に対する道徳もこの際どうでもいい。僕は彼ら三人の戦いをこの目に刻まなければならないと感じていた。人の死体を踏んづけてでもこの殺し合いを観戦する理由だ。それで充分だ。
腹を強打しバランスを崩して転倒したニット帽女目掛けてユーリが剣を振りかぶる。しかし一撃の直前、今度はユーリの体躯が宙を舞い背中から墜落した。賽はあの体勢からほぼ逆立ちする形で、両足と肘のバネを使ってユーリを蹴り上げたらしい。勢いそのままに飛び起きてピッケルとバックラーを構え直す。腰の引けた妙にダサい低姿勢だったが、手放しにダサいと割り切るには余りにも洗練された引き腰である。前方に突き出されたバックラーに添える形でピッケルのヘッドがユーリに向いている。どのように有用な構えなのかはまるで想像もつかないが、こういうのはいざ立ち会ってみて初めて理解できるものなのかもしれない。先ほど歩いた道を逆にたどりながら、やはり他人の死体を時々踏み潰して後退する。
舟木の肉弾戦には目を見張る力強さがあった。変身前のあの体躯からは想像もつかない派手な攻撃にはどういう理屈か飛び散る火花が追加されており、空中からの二段蹴り、妙に画面映えのするパンチの一発一発が日曜午前のお茶の間のようなノリで炸裂し、しかし確実に賽の体力を奪っている。ユーリのブンブン剣法も冗談みたいな粗削りの割に相当厄介な代物だ。制裁刀での攻撃手段は左右のぶん回しと力いっぱい振りかぶってからの縦一閃、他は前蹴りと左右の後ろ回し蹴りしか持ち合わせていないらしく、刃の内側に潜り込んでも柄での攻撃と執拗な膝蹴りであしらわれる。距離ごとにやるべきことが明確化されているから迷いが少ないのかもしれない。
何より賽とあの2人の間には決定的な数的優位があった。三者共に五体満足で格闘能力はほぼ互角。賽が片方に対応のリソースを割けばもう片方の攻撃が必ず刺さる仕組みだ。流石に刃物での負傷を最優先で阻止しているらしくユーリの斬撃は一回も有効打を取っていないが、その分舟木の特撮じみた連打の数々が彼女の体を何度も揺らしている。
「──だらぁッ!」
舟木による背中目掛けての飛び蹴りで賽が数歩前進した直後、その正面から踏み込んだユーリが真下から、縦に円を描くように賽の顔面を薙いだ。本当に惜しい。顎を真っ二つに切り裂く直前あの小楯を挟まれたのか、辛くも致命傷には成り得なかった。代わりに小楯は2人の遥か頭上で真っ二つに空中分解している。厄介なツールは消えた。畳みかけるべきだ。
逡巡する暇もなく賽がユーリに飛びついた。両腕事上半身を抱きしめている。「掴まれたら終わり」と舟木が評していたのを思い出し一瞬焦るが、圧し潰される直前にもう一度舟木の飛び蹴りが炸裂していた。呼吸を取り戻したユーリを引きずってヒーロースーツが後退する。賽も肩で息を切らしながらピッケルを構え直した。
「──大丈夫か!?」
「相当出来てるけど解りやすい我流の動きだ!次で!」
我流。そのワードが出た瞬間、賽は何故かクツクツと笑って特徴的な構えを解いた。山荘から金塊を強奪する際に見せてくれたあの笑い方だ。今、この人は本気で彼女の発言を面白がっているらしい。
今見せつけられているのはあくまで彼女の余裕であって油断ではない。しかしどうやら向こうも僕ら流の雑談に参入する用意ができたらしい。先端部が他人の血で染まりきったピッケルで肩を軽く叩き、やけにリラックスした風にその場から歩き出した。完全に対話モードだ。今は不意に仕掛けるつもりが無いのか、ユーリたちも構えを解いて棒立ちしている。
「我流か。間違っちゃいない」
「あたしは好きだよ。フリーランスなればそう在れかしとすら思っている」
「名前は?」
「ユーリ・シェルコヴィツァ」
「本名出せや」
「шелковицаってな姓を俺は知らん」
「驚いたな。そこまでツッコまれたの初めてだよ」
「どうでもいい。繰り返すが停戦を提案する。これ以上の戦闘行為は等しく無意味だ」
また舟木とユーリが同時に仕掛けた。今度はユーリが先に接触する。振り回した重さに上半身を丸ごと持っていかれるような大振りの斬撃と、非常に変則的な後ろ回し蹴りのコンビネーション。時折背中を見せるという極大の隙を晒しながらいつ飛び出してくるかもわからない切っ先と足刀でカウンターを狙うスタイル。事実賽は何度も彼女の背中を刺し損ねて蹴りを叩き込まれているし、続けて反撃を踏み留まった瞬間には舟木の打撃を浴びている。ここから先は頼みの綱の小楯が無い。防御と回避の手段を大きく削がれた今、彼女は本当に劣勢の状況にある。
舟木による後頭部目掛けての裏拳でまたもや賽の足元がグラつく。チャンスだ。あとはユーリの一太刀ですべてが終わる
「……あ!?」
一瞬の出来事だった。その一撃ですべてが決する筈だったにも関わらず、気が付けば舟木が右肩を抑えて蹲っていた。
ユーリのとどめが何故か舟木に直撃していた。僕より一回り小さいとはいえ全体重の乗った斬撃である。直撃すれば相当なダメージとなりかねない威力だが、それを何故か舟木のヒーロースーツが喰らっていた。賽は辛うじて無事といった具合に危機を離脱している。一丁前に肩で息を切らしているが外傷らしい外傷がどこにもない。舟木のスーツに巨大な亀裂が走っただけだ。
「フナキ大丈夫!?」
「前見ろ前前々!!」
舟木の忠告も空しく、あの数秒で呼吸を回復した賽がユーリに躍りかかる。脊髄反射で放たれた大振りの横薙ぎを間一髪で回避し、白いローブごとユーリの体躯を腹から抱き留め、躊躇なく頭上まで持ち上げた。
ユーリの対応は実に速かった。全身を持ち上げられ最早地に足は着かないが、未だ両手に制裁刀は握られている。人間共通の弱点である後頭部と背中を幾度か乱打し牽制していた。しかし忘れてはならない。忘れるべきではない。アーティファクトの使い手であるユーリが人間からの逸脱を豪語し、舟木がヒーロースーツを以て人間の限界を突破したのに対し、彼女は純粋な超常そのものなのだ。先ほどから延髄や呼吸器系にバックブローだの飛び蹴りだの散々喰らっておきながら二本足で立っていられること自体まず異常である。人間ならとっくに限界を迎えている筈の猛攻を当然のように受け切っているのだ。「その程度では決して倒れない」という合理的判断がバグって停止する。彼女のあまりにも人間じみた素振りと、人間離れした身体能力のせいで。
何事もの無かったかのように方向転換し、立ち上がりかけていた舟木目掛けて制裁者の前身を投げつける。単純明快な暴力だがあの体勢からでは防ぎようがない。2人とも血だまりの中を数度転がって突っ伏した一方、賽は再びピッケルを肩に乗せて戦闘態勢を解いていた。余裕綽綽である。
「終わりだ。お前らじゃ俺には勝てん」
「」
「ここポータルあるんだよな。一回停戦して全員で逃げるってのはどうだ」
「ふざけろ」
「大真面目だボケ。お前ら全員ここで殺して俺だけお縄を頂戴すんのがアホだってんだよ」
「貴様を破滅に導けるなら本望だ。喜んで負けてやる」
「せめて廃桃源でやってくれねえかな」
半身を白から赤に塗り替えたヒーロースーツが、地を蹴り、走る。無防備な賽の元へ。あからさまに嫌そうな素振りの後、ニット帽女は徐に片足を後方へ振り上げ、何かを蹴り上げた。
サッカーボールキックで打ちあがったのは誰のものとも判別できない遺体である。数分前に出来上がった新品の肉塊。下手をすればまだ息があったかもしれない他人を平然と蹴り上げ、直進する舟木にぶつける。当然動きは止まった。その隙をバイオロイドは見逃さない。その場から掬い上げた血液をソフトボール式のアンダースローで投射し、舟木のヘルメットを濡らした。目潰しとしての効果は抜群だ。ピッケルのブレードは通らないと判断してか柄の中ほどで咥えたまま前進し、立ち往生するヒーロースーツの正中線沿いに超高速の連打を見舞う。スーツの耐久能力は恐らく超常由来であるため万が一にも中身が死ぬことは無いと期待するが、そういった期待を現在進行形の現実で捻じ伏せられた気がした。視界を潰され防御もままならなくなった舟木が今度こそ膝を付いて停止する。致命傷かはさておき十分効かされたらしい。
「これ以上の戦闘は無意味だ。ポータルを寄越せ」
「うるぁああ!」
2人とも余裕がなくなってきた。続けてユーリが攻撃に転じるが、賽の対処速度は寧ろ遅くなっているように錯覚する。跪いて朦朧としている舟木を挟むように立ち位置を変え、早くもユーリの初撃を迷わせた。彼女は既に舟木のスーツに傷を負わせている。彼が間に挟まるだけで無意識の心理的抵抗が生じるよう細工されてしまっていた。
兵法の差か。舟木が機能喪失している現在、ユーリ単独で彼女に対処するビジョンがまるで浮かばない。事実ユーリは賽が一歩左右にズレるだけで考え直し、考えるが故に思い切って攻撃できずにいる。
「」
「肩は外しただけだ。肘は圧し折った。手首は俺の一存で後遺症を残せる」
「停戦だ。異論は?」
「ありません」
「雑居ビル程度ならそれ1本で解体できるだろうな。最高速度で喰らえば恐らく俺も死んでいた」
「……何で勝てなかったの」
「サカキ斡旋という業者を当たれ。時間は空けてやるから」
うんざりした様子の賽と、口をあんぐり開放して思考停止しているユーリが、ほぼ同時に頭を掻いた。
この人が危険であることは断じて否定できないが、
「お前どうすんのこれから」
「……フリ……解んない。解りません」
「帰る場所は?」
「貴女たちが壊した」
ご尤もなんだけどその返答も棘が凄いな。双方とも一方的な自滅で機能喪失したのはさておき賽がユーリ直属の上司を殺害した事実も変わらない。
「で?義によって仇討ち致すってか?今から」
「……あたしにそういう正義は無い。と思う」
「廃桃源ギルドに推薦させろ」
「はぇっ?」
「実力は最低限度以上だ。成るつもりだったろフリーランス」
「成りたいけど。ずっと成りたかったんですけど。あたしは……」
「帰属するアテが壊滅した以上今からでも名乗ればいい。何を迷ってんのか理解できん」
「心の準備というものがありまして」
「今すぐに廃桃源行きのポータルを起動しろ。そろそろ警察が来る」
「ここを制圧して廃桃源に直行する算段だったもんでな。今となってはもうお前らだけが頼りだ」
「……単に賽さんが生き残りたいだけなんじゃ」
「入金も帰った先も期待できねえのにこれ以上殺し合うのが無駄だってんだ!それとも仲良くお上を待って一生財団の世話になるか!?」
「それは困る。困ります。一番困るかも」
賽の提案には理がある。彼女は浅田一派最後の生き残り。大してこちらは3人……正確にはどの道殺す予定のハゲと、まだ気絶したままバリケードの裏手に寝転がっているフタツキを含め5人生存しているが、実力差から考えると恐らくこのバイオロイド1人に全員で仕掛けてもこちらが負ける。そう思うしか無い。僕とハゲが当たらない鉄砲を撃ったところで彼らの足手まといにしか成り得ないだろうし、フタツキとやらの支援射撃が入ったところで戦力差が覆るとは思い難い。何せ教団少年兵との戦闘ではあのザマだったので。
第一に「数的優位を取れば勝てると説きながら多人数相手にあの大立ち回りは何なんだ」と文句を言いたいところだが、こちらに数の利がありながら彼女に勝てない理由は既に明確である。何ら難しい話ではない。ユーリの剣戟に対処した隙を舟木が打っていた序盤こそ数の利はあったが、この即席連携を同士討ちの誘発で乱された瞬間からすべてが狂っていた。終盤戦の構図は2対1ではない。実力差が明確な1対1を2パターン交互に繰り返されたのだ。一見すればあのバイオロイドの体躯より遥かに強力な超常兵装で攻撃しようにも、敵は歴戦の超常フリーランス。この手の状況を意図的に掻い潜る生活を5年続けた専門家。歴戦かつ現役の猛者。対処能力の精度が違いすぎる。
今でさえ「生き残るだけで必死なんです」みたいなツラで立っているが、僕からすれば本当にあの猛攻を耐え切る奴があるかと叫び返したくてたまらない。決して揺らがない実力を見てしまった。今の僕らで勝てるわけがない。そしてユーリも舟木もとっくに限界を迎えており、恐らく僕や他の生存者を変に足したところで連携は生じない。数的優位は二度とこちらに回ってこないと判断すべきで、この場合賽に全員殺される形で彼女の生還ルートを断つか、或いはハゲを処理して全員で生き残るかの2択を迫られることになる。
「お前があくまで教団員として教義に殉ずるなら俺は止めん。止めんが確実に俺が勝つし、生き残ったところで正常性維持機関の包囲網に食い殺されて終わりだ。遠回しに全員死ぬか今から全員生き残るか選べ」
「……そこの2人、そこの2人次第だと思う」
僕と舟木を指さし、ユーリは冷静さを欠いた声色で返答した。舟木は対応できる状況に無いらしい。ので、僕から答えることにした。時間も差し迫っているしだんまりが一番良くないのでね。
「……僕は別に、どっちでもいいんですけど」
「だろうな」
「ポータルへのアクセス方法はここのボスが保有しています。皆で行くつもりなら皆に合わせようかと」
「まだ生きてんの?」
「恐らくは」
「とりあえず棄権カウントな」
「はい」
適度にブラフを混ぜながらの返答。
「流されるなユーリ。柳葉」
「2020年初頭神戸市内。男女合わせて22体の遺体が頭部を著しく損傷した状態で発見された」
「二条作戦の最中に行われた民間人大量虐殺の犯人。それがこの女の正体だ」
「ああ。俺が殺した」
「俺が殺したんだが、親族でもいたか」
「一人としていなかったさ。知り合いすら含まれていない」
「俺を殺して償わせると?」
「賽。俺たちは超常フリーランスだ」
「俺もお前も、バネ足ジャックも、人間だ。人間は摂理の中に生きている」
「違いない。寧ろ大いに賛同する」
「“超電爆装”」
「摂理がお前を許容する世界で、俺だけがお前を許せずにいたんだ」
「……RCD」
『R*d C*oss☆Doping time!MODE: STEROID!オ゜ォォーーーーーーーーーーッッッ!!!』
スピーカーノイズ交じりの軽快な音声案内と共に、舟木の武装が赤く光る。同時にスーツの輪郭にあからさまな変異が生じた
明らかにシルエットが膨らんでいる。筋骨隆々とかそういう域を超えた、パンプアップというよりは怒張と形容すべき変形。中身がどうなっているのかなんて想像したくもないし、スーツの着装を奥の手としていた舟木の健康事情もここに来てより鮮明に想起してしまう。こんな滅茶苦茶な兵装を使い続ければ死体のような生者になって当然だ。ドーピングだのステロイドだの明らかに人体に負荷を与えそうな文字列がサラっと流れていったのを僕は聞き逃していない。
『──Lock-On!』
「……うお!?」
続けて賽の眼前から斜め上方向へ光輪の羅列が顕現する。筒状に並列した光のディスクたちが絶妙に回転しながら賽を捉えている。遺体の山に脛まで浸かったニット帽女を。一方の端は彼女の額に向けられ、傾斜角45°程度に延長した先のもう片方は地上4m程度の高さにあった。メインの照明が落とされ非常灯だけが転倒していたこの空間に現れた新たな光源。無数の光が彼女だけを照らしている。
直感的に悟った。この攻撃は回避不能だ。賽は未だ微かに身動きこそ取れるものの、どうにも両足が地面に強制固定されているらしい。初めて彼女に焦りの表情を見た。ひょっとするとこれは、これは、殺せるかもしれないぞ。
「──柳葉!」
この状況であろうことか僕を指名し、舟木はこちらに振り返ることなく叫ぶ。
「いずれ運命がお前を裁く!だから今はもう少しだけ、歩け!」
数歩の助走の後、スーツは物理的に考えて明らかに不自然な挙動で鉛直上方向に跳躍した。光輪の筒の端部で静止した後、まだ標的とかなり距離が離れている状態からいきなり飛び蹴りの姿勢にシフトする。
斜め45度下。舟木の足が指し示す先には賽が両足を拘束され藻掻いている。
「超電キック、レディ!」
『チョォーデン☆キィック!Ready-Set…………Gohhhhッッ!!』
多重の光輪を一瞬で突き破り、ヒーロースーツは爆音と共に賽の後方へ着地した。数秒遅れてニット帽女が跪く。決着となれば待ち受けるのはお約束の演出だ。次の一瞬で眩い光と共に爆発するのだ。こういう場合は。日曜午前のアレのように。悪が
「……フナキ?」
舟木の左足が斜めにズレて、2つに分かれた。
「さ…ぃ……」
微かに声を出しながら片足を抑えて転がり、
「……なんで解ったの」
「一番最初に殺した奴から仮説を立て、お前でいくつか検証した。このアーティファクトのカギは相対速度だ」
「反対票は0だな。どこだお前らのボス」
「賽さん」
「……マジで考え直してくれねえかな」
「賽さん」
「賽さんだよ」
「暇?」
「状況見てモノ言ってくれ」
「暇ならこの先で作れば良いだろ」
「あたしには今しかない」
「何でだ」
「ずっと間違っていた」
「あたしが成りたいのはフリーランスじゃない。怪獣だ」
「成るじゃないな。あたしは怪獣なんだ」
「聞くだけ聞いてやる」
「真に自由な超常の行使者」
「貴女を殺して、あたしが怪獣であることを証明したい」
「……敗因は?」
「縛りプレイだろ」
「『超常の行使者ならば』とかいう偏見まみれの先入観で命を危険に晒しておいて何が敗因だ。お前が始めたクソゲーだろうが」
「独りで戦わなければ、自己中心的に能力を行使しなければ、今俺に勝たなければ。真の自由だか怪獣だか知らんが随分不自由極まりない奴だな」
「社会だの宿命だのに何の恨みがあるのか知らんが、自分を縛り付けておいて俺に自由を求めんな」
「んで名前何だっけ」
「……名前?」
「忘れたからもっかい教えろ。入るぞ廃桃源へ」
「ゆりか」
「……真桑友梨佳」
「──クソが!」
「クソ!お前!」
「人を殺した。僕は死ぬためにここにいる」
「クズが」
「他人にそれを任せた時点でお前は破綻してんだよ」
「眼鏡野郎。」
「……柳葉太一。舟木カエリオの知り合い。ユーリ・シェルコヴィツァの友。そして」
名辞の根幹を自分で外し、恐らくは視力0.5以下の両目でもう一度ニット帽女の相貌を捉える。
「弱い人間だ」
極微量ながら赤の混じったニット帽。日本人にしてはやけに大きく、手放しに美しく思えてしまう瞳。長く伸ばした横髪。左胸を抑えながら震えるその姿を、ただ受け入れる。
僕らは孤独だ。孤独であるが故に個としての純粋な強さを試され、いつしかその連鎖の過程で予定調和の敗北に終わる。そういう生き物だった。このバケモノはそれを、舟木やユーリとは比べ物にならない程理解し、理解しながら苦悩してきた。理解しながら今日まで抗い、今日この瞬間まで戦い、孤独に壊れながら自分の脚でここに立っていた。否定のしようもない決定的な事実だ。それだけにある種の爽快感が無傷の身体を満たしていた。
謝礼は口にしない。噛み締めて飲み込めるだけの絶望を与えてくれたことはその瞬間まで忘れたくないし、実際コイツのお陰で悔いや疑問が残らなかったのは素直に感謝していた。火器を握り絞める微細な摩擦音が頭上数十センチの距離に近づき、脳髄が1秒先に待ち受ける決定的な破壊を、1秒足らずの時間を賭して幾度となくシミュレーションし、そしてそれを放棄した。
眼を閉じる。
眼を開く。
「俺さ」
唐突な切り出しに若干身構えながら振り向く。バッキバキに割れたスマホの画面を伏せながら、tashiroさんはカラオケのリモコンを手に取り続けた。
「次のコンテストで撤退するわ」
「撤退?」
「財団から一旦身を引く」
「何でまた」
この人の選曲はいつも長い。そして選曲中は自分が何を喋ろうとしていたのかを忘れる癖がある。故に僕からもう一度質問しないと返答も返ってこない。
面倒くさいけど何かに熱中して我を忘れる人は好きだ。そんな絵に描いたような作家に出くわす機会が少ないのもあるが、彼はあくまで作家だった。サイト外でも作品を描いているし色んなイベントに同人出版しているし、ナンチャッテなネット物書きの僕とは根本から違う。
「何でまた」
アクティヴなサイトメンバーというのはどいつもこいつも癖が強い。その上で大人として最低限持ち合わせるべき社会性はちゃんと兼ね備えているのだからタチが悪い。僕もこの人のことを根っから悪い人だとは思わなかった。たまに煩くて性格がひん曲がっていて、骨髄が人間じゃなくて作家。そういう人だ。
「消えたいと思った」
知り合って5年。気づけばお互い大学3年生だ。順当に必修単位を回収すれば半年後4年生になる。彼の方はどうなっているか知らないが、少なくとも僕はすでに就職活動を始めていた。そのタイミングでこのカミングアウトかよ。
「何かあったわけ?」
「何もないよ」
「なら僕からは何も言えない。今までありがとう」
今度は選曲の方を頭からすっぽ抜いてるなコイツ。自分で何握ってんのか把握できてない横顔だぞそれ。記事書く以外の色んな所で時々心配になるんだよなこの人。こないだもわざわざ真正面から電柱にぶつかったりと天然ボケが炸裂しまくっていたけど。
横からやんわりとリモコンをひったくり、次の発言を促す。検索欄には「なまえのな」とだけ書きかけていた。今日歌うの4回目だな。履歴から漁れマジで。友達とはいえ非効率な人間は見ているだけでイライラする。
「会話を続ける努力をしてください」
「君がぶつ切りにしたんだろうが」
「」
tashiroさんは同じ20年参加の同期で、JPコミュニティにおいては既に古参と称される側の著者である。僕はその夏行われた第3回新人王戦で銅賞を受賞、tashiroさんは半年後に開催された大長編コンテストで優勝している。「伏線回収のtashiro」と「どんでん返しの僕」は事あるごとにセットで語られた。同期かつ実力も拮抗した上で相互に交流があったわけだし、当然といえば当然のことだった。
お互い高校を卒業してから生活圏も近くなり、最近では月一で酒を飲む仲である。インターネットサブカル文学崩れのコミュニティから始まった貴重な交友だ。不可抗力で互いの名字を把握し合ったあたりから一気に打ち解け始めた。
「イチ。俺は別に」
なるほど提案は理解した。いつもの癖で検索欄の文字をすべて消し、ホーム画面に移行した上でリモコンを置いた。午後4時である。
互いに前提からすり合わせる必要があるらしい。少し間を置いてから答えることにした。
「商業には行かない。SCPで満たされている」
「ハングリー精神の欠如」
「ぶっちゃけそこに金銭絡んだらマジで創作出来なくなると思う。てか1年以上スランプ引きずってるんだわ」
「それはお互い様じゃんよ」
「サンドボックス見てくれ。出さない下書きで埋まってる君と違って僕は何も書いていない」
大手出版社に取材されて以降の僕は落ちに落ちたというか、ぶっちゃけた話燃え尽きていた。
目を覚ます。全身に鈍く刻まれた痛みを奥歯で噛み潰し、今横たわっているこの場所がまぎれもない現実であることを把握した。後頭部に残された生温い湿り気は血溜まりによるもので、頭蓋の中で反響する衝撃はあの女の銃撃で生まれた幻覚である。
何故僕は生きている。そしてさっきの、さっきの夢は、何だ。
立ち上がる。激痛に反して肉体は軽快に動く。壊れそうなのは僕の頭の方だった。
眼前には変わらず2つの現実が転がっている。真っ二つに裂けた舟木の亡骸。顔を半分消し飛ばしながら座して静止するユーリ。そして敵味方合わせて50を軽く超えた死体の海。血液の赤と非常灯の緑で染まった貸倉庫の床。鉄錆の果実教団 関東支局の本拠。僕の死地。死ぬために訪れた場所。
瞼を閉じ、更に奥歯で嚙み締めた。tashiroさんとカラオケでオフ会に及んだ際のどうでもいい思い出が一気にフラッシュバックする。セキカズさんと収デンで出会った日のことを思い出す。チームマッチキャンペーンで迷惑かけた詫びだとDopp0さんに高めの菓子を渡しに行ったあの通路を思い出す。自宅で僕の帰りを待っていた猫を、僕に関係なくクリエイティヴな活動に目覚めた弟を、僕の正体を知らない両親の顔を、初めてサイトに記事を投稿したあの日を、惰性で生きていた日々の全てを、思い出す。
「何だこれ」
目を見開く。死体の海の向こう側。シャッターを突き破りケツから突っ込んできたトラックが静寂に包まれていた。あと例のハゲが仰向けに転がって死んでいた。
賽はどこだ。
あの、あの女。あの女はどこに消えた。どこに向かった。どうして僕は生きている。この場にいる。この場に留まっている。この場に流れ着いている。僕が、僕の全部が
「何だこれ」
僕の全部が噛み合わない。全部噛み合っていない。あの日の僕らの記憶は本物だった。今僕が見ている現実も本物だ。噛み合わない。財団創作。超常現象。フリーランス。隣人の死。僕の死。僕がここにいる理由。全部噛み合わない。たった今辛うじて捻り出した声すらも。
何だこれ。確かにそう発声した。知らない女の子の声で。知らない身体で。薄く発光する純白の肢体で立ち尽くしながら、簡素な造のミニスカートを揺らして僕はそう言った。僕は。柳葉太一は確かに発声した。
僕は柳葉太一なのか?
「……あっ──」
足元に目を移す。やはり微弱に発光する純白のヒール靴が二足揃っていて、その向こう側、ドス黒い鏡面の向こう側から、蒼い双眸が僕を見つめていた。
白髪でツインテールで、見覚えのあるアニメ面の美少女だった。それは絶えずリアルタイムで僕の挙動を再現していた。
「つ……ッ!ァ……!?」
アニメ面が紅く歪む。その醜く歪んだ口元を塞いでしまおうとでも思ったのか、今度は慌ててかざした両手の白が僕の呼吸を奪った。奪ったというより「呼吸せずに生きている自分」を始めて認識させてくれた。呼吸できない。否、呼吸せずに生きている。脈拍の無い身体を呼吸せずに動かしている。死んだ実感はない。「そういう構造」にすべてが書き換わっていた。身体の制御を一瞬失い膝から崩れ落ちる。知っている作画の顔が更に近づいた。
身体に輪郭線が宿っている。どの角度でどう見つめても黒い細線がリアルタイムで体の輪郭を形成している。この世界に無理矢理書き起こされたライブアニメーションのように。その線の癖が余計に物語っている。
「……たし……ろ……!?」
お前の描いたアイコンだ。著者の擬人化とかいうトチ狂った試みの産物。僕はこの意匠を知っている。知っているから辛うじて狂えずにいる。
新たに構築された肉体、人間でいうところの頭部を人間らしく掻き毟り、正気を失うことなく正常に稼働する思考を何度もセルフチェックした。全てを思い出し、同時に全てが破綻していながら、全てを理解するに至った。
僕は、僕の正体は──
「──時間ないからさ」
聞き慣れない男の声に振り向く。僕本来の肉体から一回り小さくなったらしい肢体を制御しきれず、軽く転びかけながらも立て直した。
後方数歩先。僕と同じく自ら発光する性質らしい。翼とヘイロー。そして若干の浮遊。私服姿の天使がそこにいた。
「時間ないから手短に行きたいんだけどさ。Bataichi0612に合致するユーザーネームは存在しません君で合ってる?」
シンプルな円形の光輪が直下の顔を照らす。若く美しい。そう形容すれば終わってしまうような簡素な美を帯びた青年の顔。強いてそれ以外の特徴を挙げるとするなら、まず右肩から先に在るべきものが綺麗に欠損していた。残った左腕で僕を指差しながら天使は続ける。
「合ってるってことで進めさせてもらおうか。現時点での疑問は」
「……僕がバタイチ0612だとするなら、アンタは何なんだ、“腕無し”」
片腕の天使はケラケラと笑った。笑える程度に僕の顔が歪んでいるらしい。表情筋の挙動を自覚できないのがここに来て一層不愉快に思える。
生物学的に正しい呼吸が出来なくなっているせいか、頭ではやはり混乱しつつ、しかし妙に落ち着いた気持ちを持て余しながら天使を睨み返す。一通り笑い終えた天使は人間らしく呼吸を整え、無駄に挙動しがちな左腕を胸に宛がいながら切りだした。
「“腕無しカイナレス”で合ってる。君に道を示しに来た」
「神の啓示ってやつで、アンタは神格の使いってわけか」
「創作人としては面白みに欠ける解釈だね」
「今はただの人殺しだからな」
「時間が無いならさっさと要件を言え。カイナレス」
「真に自由で、何者にも縛られない孤独」
「超常フリーランスという存在に関する俺の解釈だが、これはあくまで俺が立証する事柄じゃない」
「……僕に」
口走る。
無意識下での事象であり、肉体の選ぶ唯一解でもあった。理屈は必要ない。僕という存在が、僕を形作るすべての過去がそうさせたまでだ。
ローブをまとった少女の不満げな顔。死体のような青年の不敵な笑み。その一瞬だけは同じ道を歩いてくれた同志の背中。ツインテールと蒼い瞳。超高速で入り混じるイメージを胸中に圧縮し、本能で残りの文面を吐き出した。物語を描くように。物語を演じるように。誰かの夢見た現実に、僕自身が加筆修正するように。
「……僕にやらせろ。カイナレス。アンタの想像すら及ばないような怪獣になってやる」
「話が早すぎない?」
「時間が無いんだろ。それに無条件とは言っていない。」
二つの遺体を同時に指差しながら付け加える。
「同じ景色を彼らに見せろ」
「どちら様?」
「読者」とだけ補足し、1歩踏み出す。[加筆]
「──或いは登場人物だ」
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