超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。
何を掲げて何を携えようとも一度名乗ったが最後。何処で何をしようとも命は保証されず、行く先々で敵にも味方にも疑心の念を抱かれ、あらゆる不条理を受け入れながら生きる事を強いられる。
この業界で嘘を吐かないのは預金残高と死人くらいで、得られるものと言えば金と孤独の2つだけだ。
「──お前だなニット帽」
弱小宗教団体の軽い内輪揉め。それだけ聞いて軽く飛び入り参加したのが運の尽きだったらしい。残弾0。左脇腹から多量の出血。貧血が効いているせいか上手く立ち上がれない。
フリーランスと教団員の混成部隊同士で地獄のような乱戦を演じた結果がコレだ。ヘタクソな奇襲をヘタクソな待ち伏せで返された挙句、数秒足らずで敵味方とも壊滅した。残存戦力は俺1人。現在進行形でVz61の銃口をこちらに向けているハゲは一応敵陣営の教団員らしい。確かに襲撃前の顔合わせの時点でこんなハゲはいなかった。
俺を見下したまま動かないハゲの鼻の穴を銃口と見比べながら薄ら笑う。それだけしかできないからそれだけやっている。この状態から緊急蘇生は厳しい。失血が長引きすぎた。形勢は決していた。鼻の穴と銃口の暗さはどこか遠くで似通っている気がする。
「お前だよな」
ハゲは再び口を開く。ウンコ臭くて鉄臭い吐息で顔面がいっぱいになった。
「クソガキ。1人で4人も殺しやがって」
「テメーが5人目だウンコハゲ」
「……しかも女と来たか」
「バイオロイドと呼べ」
あからさまに顔をしかめるウンコハゲに血痰を吹き掛けた。顔から少し逸れて白いローブの胸元に付着する。
衝撃。当然の如く顔を蹴り上げられる。何も抵抗できないまま仰向けに倒れた。
「派閥抗争も!クソも!あったものか!!」
ご愁傷様。シンパが全員死んじまえば勝利もクソもあったもんじゃなかろう。お前らに相応しい最後だ。弱々しいサッカーボールキックを顔いっぱいに浴びながら、吐き出せる限りの皮肉を脳裏に羅列する。声帯にも血が絡み始めていて明瞭に声が出せないのが惜しい。しかしまあハゲのくせによく動く脚だ。的確に顔面ばかり蹴りつけられて徐々に視界もボヤけてきた。余裕ぶるのもそろそろ限界らしい。
超常フリーランスなんてロクなもんじゃない。あなたの言った通り本当にロクでもない生き方だったよ。先生。
殺したり殺されたり、騙したり騙されたり、死んだり死なれたりが常のくせに、そういう単純な2択の繰り返しは根本的な問題を何も解決してくれなくて。事実俺は何も変われなかった。自他の不条理を疑うことなく受け入れ続けて、いつの間にかこんなところで死のうとしている。これから俺が死んだところで何も変わらない。何も変えられない。俺は俺自身の死ですら無条件に受け入れるはずだ。本当にロクなもんじゃない。
途中から聞き取れなくなっていた罵詈雑言もようやく終わったのか、顔面を踏みつけられたまま再び銃口を向けられた。ド素人の構え方。遥か彼方に黒々と眠る薬室が俺を見つめていた。確かに鼻の穴に似ている。
最期の光景。32口径の湿気た豆鉄砲。見るに値しないから目を閉じる。
銃声
「…………あ?」
それは確かに鳴り響いた。
意識が残っている。何故俺は死んでいない?
思わず顔を上げる。ウンコハゲは鼻の穴を広げて仰向けに倒れていた。
残る力を振り絞って状態を起こす。仰向け死体の向こう側に人影。硝煙。
発砲直後の拳銃。そのやけに整った顔立ちと華奢な体格が物語る。
少女だった。上下黒ジャージ姿で拳銃握りしめた、妙にフワついた髪質のボブカットで、刃物のような切れ目の目立つ妙に顔立ちの整った、凡そこんな血生臭い場所には到底似合わない年頃の女が1人。拳銃を両手で真っ直ぐ構えて。寸分たりとも微動だにせず。
「……お前──」
「うわああああああああああ!!!!!!!!!!!」
唐突の絶叫。
黒ジャージの内腿を徐々に何かで染め上げながら膝をガタガタと震わせ、少女は尚も叫ぶ。
「うわあああああっっっはぁぁぁぁああ!?!?!?」
「……!?…………はッァァァアアア!?」
拡散する水たまり。それはまごうこと無き、正真正銘の大失禁だった。
垂れ流しの尿がジャージを伝い床を伝い、ウンコハゲの撒き散らした血液と濁り合い、螺旋を描いて溶け合う。少女は撃ち終えた拳銃を手放すわけでもなく、ただ独り泣き腫らしながら突っ立っていた。
「ご、ごべんなしゃ……」
“廃桃源”。別名は“横浜の抜け道”、もしくは“裏東京”。日中韓台の4ヶ国に未知数のポータルを持つ余剰次元空間。アジア圏の超常犯罪組織における緩衝地帯としては3番目くらいの規模を誇る、桃色の空とコンクリ造りの廃墟街で構成される街。
その一角に佇む半地下アパートメントの2階。6畳一間の片隅。ボロボロ泣きながら温い麦茶を啜る少女から目を逸らし、ニット帽のズレを正す。替えの服も持ち合わせていなかったらしいから一時的に私物のツナギを着せてみたが、ほぼ同じ身長なだけあって大した違和感は無かった。少なくとも首から下だけは。首から上が場違いすぎる。
「お風呂と服も恵んでいただいてこんな……こんなぁ……」
「一晩経ったら追い出すからな」
「うわあぁぁっっ……ふぁぁぁ~~~~…………」
号泣失禁少女の肩を借りて教団が普段使いしているポータルまで撤退し、辛うじてセーフハウスへ転がり込んでから2時間程経つ。弾薬の買い足しと晩飯の支度を予定していたが、他人の尿に濡れたジャージを洗濯機に叩き込んで血まみれの私服を捨てた直後だ。何も食う気になれない。手持ちの人工血液パックでどうにか失血死の難は逃れたが、左脇の負傷と極度の貧血もそれなりに後を引いている。得体の知れない他人を連れ込んでいる以上は緊急蘇生も出来ない。少女は相変わらず泣き腫らしていた。
しかしまあ、何でこんな場所にいるのか理解できない程度にはツラが良い。風呂に叩き込むまで血と埃と尿にまみれてたのが信じられないくらいだ。ツラが良いというかモロに育ちの良さが滲み出ている顔立ちである。
「色々聞きたいんだけどまだ落ち着かないか」
「……フタツキです」
「本名出せや面倒臭い」
「名乗ったら駄目って斡旋の人がぁ〜っ……!」
見るからにといった具合ではあるが、つい最近一般社会から流れ着いたばかりの素人らしい。物心付いた頃から反財団の側にいるような連中の回答じゃなかった。
実際のところ「名乗ったら駄目と言われた」という情報そのものがブラフの可能性もあるが、見た限り歳は16、7といったところか。同じ年頃の本物は揃いも揃ってとっくに涙腺を枯らしているし、一部方面での手練れでも無い限りはこの状況下で泣き腫らしたりなどしない。というかハゲの射殺程度で小便を漏らすことはない。正真正銘のド素人と仮定して間違いないだろう。
じゃあ暫定的に、コイツが元一般人で業務経験もロクに詰んでない正真正銘のド素人だと仮定して。何であんな最前線業務に叩き込まれていた?フリーランス堕ち早々契約金の高さを理由に冒険する類の馬鹿なのか、それとも何か良くないルートでこの業界に売られたのか。
「借金でもあったのか?」
「そ、そういうのじゃ……」
「廃桃源ギルドには属してるんだよな。どこの斡旋から回された」
「アクトク人材派遣……初めてならここがオススメって無理矢理……」
斡旋の問題だった。最近急に復活し始めたクソ斡旋業者の1つだ。ロクに現場経験を積んでいないフリーランスを格安で叩きつけ、人的ロス発生時の賠償請求で大金を啜るような連中である。一時期は国内最大手の傭兵派遣会社を自称していた。文武両方とも対した戦力にならないと判断された新入りをポンポン投入して肉壁を作り上げる様から「レンガ屋」とも呼ばれている。
となると──
「手遅れだな」
「……?」
「廃桃源フリーランスなら恋昏崎神託銀行の普通口座持ってんだろ。1日本円も振り込まれてないから確認してみな」
少女は若干落ち着きを取り戻しながらジャンクロイドを取り出す。しばらくすると表情ごと全身が固まって動かなくなった。的中したらしい。
「わ、わた、わっ私どうしたら……!」
「リサーチしなかったお前が悪い」
「私こういうの本当に、初めてで……!」
「……てかお前さ、今更だけどさ」
そう。本当に今更な上に本当に言いづらいんだが
「……味方殺して敵助けてるっぽいんだけどさ」
「はぇ!?」
「俺みたいなニット帽そっちの味方にいたか?」
「……!?ん……!!?……!!!」
「多分さっきまで敵同士。多分。俺とお前。お前クライアント撃ち殺してる」
両陣営とも教団員だけは敵味方の識別処置を怠っていた。起こるべくして起きた事故である。フリーランスだけは左上腕にテープを巻いているか否かで判断し合ってたが、どちらも教団員だけは見分けの付かないフード付きマントを羽織って戦ってた。これも今更な話ではあるが本当に馬鹿な連中だ。友軍誤射したところでとやかく言われるものでもない。
「え、あの、私どうしたら」
「どうするも何も俺らしか生き残ってねえからな」
「どうしたら……」
「忘れろ」
「忘れろと!?……忘れます……」
それ以外に何ができるわけでもない。間接的に殺し合っていた事実が変わらないにしても直接的には撃ち合っていないのだ。それで良かった。それだけで済んでよかった。今こうして俺が生きていることが何より重要だ。
それだけで済んで良かったから、これ以降は綺麗サッパリ忘れるに限る。絶対に不可能である点については兎も角これで手打ちに出来るならしておきたい。
少しの沈黙。フタツキは少し申し訳なさそうにした後
「……あの、今更ながらお名前をお伺いしても?」
「賽。サイコロの賽な」
「サイ……さん?」
「何だよ」
また黙りこくる。両手で腹をさすり、今度は更に恥ずかしげに顔を上げた。
なるほど。
「当ててやる。今日何も食ってねえな」
「あっ、昨日からです」
:
「──賽か」
「賽じゃ悪いかよ」
「良くはねえな。そっちのお嬢さんは?」
「さっき拾った」
ドブガワ。会社員時代に借金2000万円を抱えた挙句家族全員を捨てて逃亡した後、何故かこの余剰次元廃都市の片隅で中華食堂“げろまみれ”を経営するに至った男。一応コイツも超常フリーランスと定義される者の1人である。
「生2本?」
「未成年に酒飲ませんな畳んで埋めるぞ」
「怖。お嬢さん飲まないのね?」
「あ、え、結構、です」
「良い娘だ~奥の席行きな」
舌打ち気味にカウンター席へ腰掛け、フタツキには左隣に座るよう促す。それなりに遅い時間帯のせいか、店内には珍しく俺たち以外誰もいない。よくもまあこの時間まで365日ワンオペ無給営業が出来たものだ。
傷は痛むし貧血は多少尾を引いているが、あくまで俺は戦闘用バイオロイドだ。食わなければ体を修復できない。食事は業務の一環で生存の根幹だ。無理のない範囲で無理やりにでも食う必要がある。
「醤油ワンタンチャーシュー2倍追加の餃子セット」
「えと、同じやつを」
「あとコーラ2本」
セルフの冷水を注いで渡す。出会った当初と比べればかなり落ち着いてきたらしく、フタツキはさして指先を震わせるわけでもなくこれを受け取った。
「奢る。返さなくていい」
「本当に助かります……」
「アクトクには二度と近づくな。抗議しに行ったところで1円も帰ってこないし俺にも飛び火する」
「うぅ……」
「そもそも何でこんな稼業始めたんだよお前」
非公認フリーランスの大半は、食い扶持欲しさにこの世の深淵一歩手前まで流れ着いたクズ共と相場が決まっている。誰かに売られない限りはこんなガキがフリーランスになることはまず無いと言い切れるからこそ純粋な興味があった。他人の過去に触れる権利など何処にもないが、他者と関わる機会が限られているこの世界においてその素性は時にエンタメ性を帯びる。
それなりに躊躇った後、フタツキはついに観念したらしく口を開いた。
「……父を探しに来ました。探しにというか、探してもらうために」
「ここにいると?」
「母の遺品を整理してたら色々解って。その後高校退学して」
「警察か財団に保護して貰いな。ついでに連中に人探しを頼めばいい」
「先に餃子ね〜」とカウンター越しにドブガワが割って入る。5個盛りが2皿来た。2人同時に醤油を小皿に分け始める。
「JAGPATOが2016年に制定した条約知ってるか」
「……国内超常個人営業者取締条約ですか」
「反JAGPATOの界隈じゃまず通用しないけどな。20歳以下のガキが認可された親族の同意無しでフリーランス化するのは条約で禁じられている。無理矢理やらされましたって弁明しときゃ無条件で保護してもらえるぞ」
「……」
「今日見た通りだ。超常フリーランスなんて、ましてや前線業務の日雇いなんて本当にロクなもんじゃない」
酢とラー油を混ぜた後、割り箸を割って最初の1個を貪る。つい数時間前に初めての殺人を犯した割に、フタツキはそれなりのペースで餃子を食らっていた。肝が据わっているのかそうじゃないのかよく解らない。俺の話自体はしっかり聞いているらしいが。
「……で、何だ。探すために金貯めてたのか?」
「です。最近の教団は羽振りがいいからってことで参加させて頂きました」
「コブウェブ主催のフリーランス向け講習は受講したか?」
「台湾で訓練したのはホントらしいんですけど、何か記憶処理が施されたらしくて私あんまり覚えてないです」
「闇講師か。よく生きて日本まで戻ってこれたな」
「ちゃんと強くならないと売られちゃうらしいんですよね……」
「笑えねえ話だ。」
ワンタンが来た。麺より速く食えるから疲れてる時はこっちの方が好きだ。蓮華に1個掬って啜る。フタツキは少しばかり箸を止めた後、再び続けた。
「元は警察官だったらしいです」
「……よくある話だな」
「正常性維持機関と敵対してここに来たってことは知ってます」
「そら時々ある話だ」
ただし「肉親がフリーランス化したから」という理由からいきなりフリーランスを始める奴の話はそこまで聞かない。少なくともその実例を生で見るのは初めてだ。
フリーランスの出自やフリーランス化の経緯、及びその理由は多岐に渡る。
余剰次元での麻薬製造業を目論み天下りした警察OB。「本物の戦争がしたい」と格好つけて分隊単位で脱走してきた陸自崩れ。一匹の趣味人として生きることを選んだ正常性維持機関からの脱走者たち。帰還資金確保のため一時的に雇用された次元漂流者。無条件に爆発物を生み出すイカレた現実歪曲者。中国の人身売買市場で売れ残った少数民族。研修目的で投入された蛇の手準構成員。超常社会に多少の縁があっただけのハッカー崩れ。正体不明のロシア人発明家。刑期短縮をエサに超常の初期調査に駆り出された政治犯。財団による収容を逃れて保護された超常性保持者。超常に組した挙句正義感に流されて財団と敵対した元警官。
しかしてこの業界に辿り着く人間の本質は概ねして一貫していた。ほぼ全員が何らかの形で孤独を抱えている。
超常性故の孤独。出自故の孤独。本人の性格、性質故の孤独。経緯故の孤独。孤独故の孤独。
フリーランスをフリーランスたらしめる第一要因は当人たちの孤独にある。元来、超常社会とは一般社会以上に社会的弱者の淘汰が常であり、そういった淘汰から逃れるための最低条件こそが群れること、いわゆる要注意団体に属することだった。その最低条件すら満たせないような、しかし一概に無益と称するには中途半端に有益性を内包するクズ共の受け皿こそが、反財団の界隈における超常フリーランス制度である。
私兵を持たない企業系団体が傭兵として雇用したり、脚の足りない蛇の手分派、日本国内で言えば青大将などが現地の連絡員として一時的に徴用したり。鉄錆の果実教団のような弱小団体の弱小派閥が抗争の予備戦力として寄せ集めたりと、実際こういったクズ共の需要はそれなりにあったし、制度そのものが受け皿としての役割を為していることは確かだ。
対して財団やGOCも結構前からフリーランスの利用を継続しているが、日本国内に限ればJAGPATO傘下で働く神職やら超常軍事アドバイザーやら非実体型思考生命の探偵やら、或いはどこへとも敵対することなく、霊感を武器にエージェント紛いの調査任務に勤しむ学生なんてのもいる。連中は“公認フリーランス”として中立的な立場を維持することが多いが、非公認と比べて傾向が弱いにせよどこかしらが人として欠落している奴はそれなりに多い。
根本的に孤独な個人は群れることを知らない。知ったところで群れることは敵わない。群れたところでその本質は変わらない。俺がそうだったし、先生も結局はその内の1人だと自嘲していた。今まで業務を共にしてきた連中も、敵対してきた連中も、概ねしてその部類に収まっていた。フタツキもまたその手の炙れ者なのだろう。本質的にはまともな人間じゃない。まともな生き方を知っている奴は親父探しのためにわざわざ高校を中退したりなどしないし、銃の引き金に自ら指をかけない。
しかし今なら引き返せる。逆に言えば今しか引き返せないのだ。そのチャンスを逃して死んだ奴を何人か見てきたし、流石にこんな年若い、外見年齢的には俺とさして変わらん年の女を野垂れ死にさせるのは御免だ。明日以降の飯が不味くなる。少なくとも先生ならこんな不条理を許さないだろう。俺の中に残された先生譲りの倫理意識がそう叫んでいるのだから。
「悪いこと言わねえから明日にでも帰んな」
「…………7年前から戦い続けて生きてる人がいるって聞いたので、多分その人かなって……」
「もっかい言わねえと──」
思考より先に箸が止まる。元は警察官で7年前に失踪した?
「父と最後に会ったのが7年前のことですから、それ以外は──」
「──警視庁警備部、第9機動隊付銃器対策小隊」
フタツキも箸を止める。信じられない。というかあまり信じたくもない話だが
「……娘か。雑賀イズメの」
「……雑賀イツキ、です。本名」
同時に箸を置き、初めて互いに見つめ合う。フタツキは目を見開いて静止していた。多分俺もそんな具合で固まっている。
本当に信じられない話だ。
「“賽”はイズメ先生から授かった名前だ」
:
先生。
誰がそう呼び出したわけでもない。しかして彼を知る者は皆口を揃えて通称した。
本名『雑賀イズメ』。元は警視庁第9機動隊に所属していた銃器対策部隊の隊員。財団・特事課合同作戦で保護した超常性保持者を勝手に奪取して逃走した挙句何故かフリーランスとして生き残り、その後同じように最前線で戦う同業者の生還率を大幅に上昇させた張本人でもある。
主に超常性保持者の早期奪還や護衛、護送を専門としていたが、それ以外にも施設警備や弱小団体同士の抗争の鎮圧、賞金首の捕獲、悪質な斡旋業者の討伐、大陸系超常犯罪組織の駆逐、東弊やニッソの実働部隊の育成、対超常行動訓練のインストラクター等、前線フリーランスとしては他に類を見ない何でも屋、もとい独立単身戦力として活躍していた。1世代前の非公認フリーランスでイズメの名を知らない者はいない。
斯く言う俺も先生に保護された超常の1個体である。ニッソと東弊の共同開発プロジェクトで国外向けに開発されていた警邏用生体兵器の試作型であり、本来搭載されるはずだった火器管制システム、及び網膜投影型の視覚補助機構を完全にオミットされた中途半端極まりない人型戦闘兵器だ。廃棄直前で先生に拾われて今に至る。
「……じゃあ私の父ですね」
「どういう納得だよ」
「保育園の運動会で保護者対抗の綱引きした時にほぼ1人で勝つ父でした」
「じゃあ先生だな」
「道路で死にかけてたクマを背負って山に返しに行く父でした」
「先生だな」
2人してニヤニヤと笑う。なるほど先生だ。なるほど先生の娘だ。口角の上がり方がどことなく似ている。射撃姿勢の癖も今思い出せば少し似ている節があった。ほぼ空になった食器を寄せ、頬杖をついて久しぶりに過去を回想する。
「その先生も1年前から雲隠れしちまってな。廃桃源ギルドでも有志団体が探して回ってる最中だよ」
「あ、やっぱりこっちでも失踪してるんですね……そっか……」
「それまでは一緒にあのアパートで生活してた。お前の着てるツナギとか先生に買ってもらったやつだぞ」
「何か複雑な気持ちです」
「こっちの台詞だよ」
最後の教え子として必ず見つけ出すと息巻いていたのも丁度1年ほど前か。事実上の完全独立を果たしてからは兎に角先生を見つけることが第一目的になっていたが、ネームバリューを高め過ぎて危険な業務を委託されないよう細々前線業務に勤しむだけで精一杯だった。現在は単独での追跡調査を殆ど諦めかけ、1人の廃桃源フリーランスとして生きていくことだけが当面の目標となっている。
が、ここに来て俺以上に先生と縁のある奴が、よりにもよってこんな形で俺と接触するとは。世間狭しというか運命恐るべしというか。フタツキとは初対面の筈なのに物凄く懐かしいような思いが飽和している。
「先生……先生かぁ」
「俺にとってはな」
「どんな事教えて貰ってたんですか」
「歩き方と走り方。逃げ方と隠れ方。あと応急手当とか。人の見分け方とか。他にもいろいろ」
意外そうな顔をしている。もう少し泥臭い何かを想定していたのだろう。現場慣れしていないらしいから仕方なくはある。
「別に団体の代理でドンパチするだけがフリーランスじゃないからな」
「てっきりこう、格闘技とか銃とかそういうのを想定してました」
「逃げたり隠れたりが出来なきゃ死ぬ時死んじまうからな。射撃は安全管理と基礎的な動作だけ教わった」
「もしかして専門は戦う系じゃなかったりしますか?」
コーラを飲み干しながら首を横に振った。フタツキも俺もあらかた食い終えている。
「生憎こちとら米軍と戦うために製造された生体兵器でね。護衛と傭兵で食わせてもらってるよ」
「……護衛、ですか」
「半日2万の格安護衛な。そこのドブも1回護衛したことあるぞ」
閉店まではまだ時間がある。空になった食器をドブガワに引き渡し
「コーラもう2瓶追加」
「あいよ」
再びフタツキと向き合い、差し出されたコーラを注いで渡した。しかしまあ奇妙な話だ。こんなドブ臭い世界に頭突っ込んだ親子に2度も命を救われるとは。実際には2度どころの話じゃ済まないわけだが。流石に実の娘にまで助けられるとは思っていなかった。
「これまでの事実陳述について謝罪するつもりはない。お前が先生の娘であったとしてもな」
「大丈夫です。父は父で私は私ですから」
「先生の教えか」
「父の教えです」
フタツキに何を感じているのかは自分でもよく解っていない。先生と似すぎているが故の嫌悪感か。それとも高揚か。哀愁か。いずれにせよ奇妙な感覚だった。
改めて思えば先生以上に妙な奴だ。
聞いた限りではアレが初めての殺人らしい。その絶対的な体験から半日も経っていない割にはやけに落ち着いている、というか平静過ぎる。アッサリ目とはいえど、こうして醤油ワンタン1杯と餃子1皿をしっかり平らげてるのはある種の才能と言っても差し支えない。大抵の新人の場合2日間程度は何も口に出来ないし、結果的に患った栄養失調が祟って病院送りとなるケースもザラである。というかそれが普通だ。コイツは普通じゃない。
凡そ3年。業界に居座り続けたせいか感覚がマヒしかけていたが改めて確信した。確かに普通じゃない。泣き腫らしたり尿漏らしたり言い訳かましたり油断したりと一見すれば一般人上がりのカモなくせに、生殺与奪の一線を状況次第では軽々超えて、受け止めきれずに精神的なダメージを抱えたと思ったらいつの間にか平然と割り切っているあたりは普通じゃない。一般社会や世間で言う「普通」を忘れかけていた。フタツキはある意味フリーランスらしくはある。
そう。フリーランスらしくはあるのだ。そういう意味ではある意味俺と同類ともいえる。では俺と同類の、本質的にはフリーランスに近しいらしい、一般社会から到底受け入れられないであろう類の孤独や欠落を抱えているらしいこの少女を。少女の皮を被った殺人経験者を。潜在的脅威を。果たして本当に野に放って良いモノなのか?記憶処理して一般社会に解放とかやりかねない財団に預けて良いモノなのか?それを先生は良しとするのか?
小銭の音。自問自答から覚める。
フタツキはいつの間にか財布と、それから恋昏崎神託銀行の通帳を手にしていた。
「何で通帳?」
「……半日2万でしたよね」
「やめとけ」
反射的にそう答えた。数秒後に物凄く面倒くさい何かが降りかかってきそうな予感がしたからだ。
いや、確かにコイツの野放しはあらゆる意味で危険すぎる。衝動的な殺人がトリガーになった挙句、その後取っ捕まるまでに4人殺して死刑判決を受けた未成年犯罪者などが過去に実在する以上、コイツ自身にそういった潜在的脅威が一切存在しないなんて保証はどこにも無い。先程そう思慮した通りだ。
少なくとも俺は一般社会が超常の余波によって荒れることを良しとしていない。ヴェールの向こう側は先生が守って来た世界だからというのもあるが、それ以上に超常社会に僅かに残された俺たちの市場を何としてでも守りたかった。じゃあこれからこの危険因子かつ命の恩人かつ、先生の娘にしてある程度は役に立ちそうな情報源である失禁女をどう扱えばいいのかというと
「預金額。450万円しか無い、んです、けど」
「待て。止せ。やめろ」
本当に単純で簡単な話なわけで。
「父の捜索に際して護衛を依頼させてください」
自覚できる程度に顔を顰める。フタツキの選択は概ね間違っていない。というか大正解だった。本質とは根本から矛盾する話だが、結局どこまで墜ちてもフリーランスは人間なのだ。人間は群れてる瞬間が一番強い。自分より力のある存在と組んでいる時なら尚更のことである。フタツキ側にとってすれば俺と組んで行動する事こそが最適解だし、俺としても未知数要素を除外した場合そこそこの益が期待できるというのがまた痛い。
「そこそこ信頼できる実力者」としての面を見せつけ過ぎた。別に実力者と自称できるほどの実力は持ち合わせているわけじゃないが、仮にここで依頼を断った場合俺の側に結構な弊害が生まれる。
「……もしかして最初から護衛も雇うつもりだったか?」
「一応は考えてたんですけど……」
「いつの間にやら鉄砲玉にされてたわけね」
クソッタレだが依頼とあらば受けて立つしかない。
敵も味方もクソも無い墜ちたてホヤホヤなガキ1匹の護衛を断るなんてのは、ガキの素性を差し置いてもフリーランスとしての名折れだ。プライド云々の話ではなく、「どこの誰とも知らないガキの依頼を受ける底辺」と指さされる方が断るよりよっぽどマシなのである。「7桁詰まれてもハナクソみてえな護衛を断るような傲慢ウンコ」とでも噂されれば今後の斡旋に大きく響いてしまう。実に面倒くさいが噂は時に真実よりも重く作用する。
もう一つ厄介なのはここに来て発生した目的の合致だ。いずれ先生を見つけようと決意して1年、俺がせめてもう1人いればと何度も逡巡した。俺1人でさえなければ底辺フリーランスの皮を被って比較的ショボい前線業務を厳選して貰う必要も無い。高難易度の業務を継続的に達成できれば生活が今以上に安定するし、先生を本格的に追うための調査資金も一気に集まる。
それを踏まえた上で、仮にフタツキを単なる護衛対象ではなく作業のリソース元とした場合、資金集めと情報収集、及び日常生活の効率化が図れるかもしれなかった。正直フタツキから得られる先生の情報についてはそこまで期待していない。7年前の先生がこの先手掛かりになるなんて線は最初から薄いし、ましてや前線での戦力増強なんてのは以ての外だ。増えたのは足手纏いになりかねない謎の元一般人であって増援じゃない。武力的価値を求めているわけではなかった。しかしそれを差し引いても──
「先生が見つかるまでの間だけでも……」
「考えてるから少し黙れ」
──先生なら引き取る。ついでに「敵の誤射で生き残った」という何となく後に引きそうな屈辱と失態を「正式な契約の下で履行された護衛」という形で塗り潰したい。これらの条件がある程度達成される以上、現状では一番堅実な気がしてきた。
やるしかないかもしれない。護衛という形でイズメ先生の娘を囲い込み、先生捜索のための補助戦力として動かす。他のフリーランスじゃできない話だ。コイツでしか実現できない。2人揃った場合出来る事の幅が格段に広がる以上マジでやるしかない。
「……条件がある」
「!」
「それを飲んでくれるなら、了承する」
窓の外でこの世界の日が落ちた。ピンク色の空に青黒い影が降りる。
「起きろ」
翌日。セーフハウス居間。布団を顔まで被って寝こけるフタツキを爪先で小突く。3回目あたりで勢いよく飛び起きた。
「おはようございます!」
「飯作ってあるからゴミ出してこい」
部屋の隅にまとめた黒いビニル袋を指さす。どこから流れ着いたのかも解らない高校ジャージを翻し、フタツキは颯爽と扉を開けて廃棄動力炉の方に突っ走る。世間の高校生というのは起き抜けにあそこまで動けるものなんだろうか。
六畳一間。風呂とトイレとキッチンが付いてる分それなりに贅沢な賃貸ではある。おまけに基底現実への帰還用ポータルにも近い。そして6部屋もある癖に現状俺とコイツしか住んでいない。周囲は課金して手に入れた無人防衛サービスで固めているため、通常廃桃源に潜んでいるヤバい連中も好んでやってくることは少ない。
家賃も水道代込みで毎月4万程取られるから、それなりのインテリか最前線フリーランスでもない限りは居座れない物件ではあった。恋昏崎へ移住すればもう少しマシな部屋をもう少し安めに借りられるらしいものの、ポータルの通過手段に乏しいのもあって渋っている面もある。
「──終わりました!」
「布団干しとけ」
「はい!」
「返事は了解」
「了解!」
その隙に卓袱台を展開して飯を並べる。かぼちゃのポタージュとピザトーストとヨーグルトとミカン。いずれも廃桃源経由で中華系の闇行商団から仕入れたものだ。緩衝地帯の貿易市場までは若干遠いが、頭抜けて安い上に中国製とは思えないくらい美味いから重宝している。
本当に久しぶりに2人して食卓を囲む。以前は先生に作ってもらってばかりだったから少し新鮮な気分だ。
「……」
「口に合わなかったらスマンな」
「久しぶりに父を思い出してます」
「そうかよ」
先生が作ってくれた朝飯を真似ているから当然か。フタツキはずっと前から先生の飯を食っていたし、今日に至るまでの7年間は先生の飯を食ってなかったのだ。それはそれとして何か無性に腹が立ってきた気がしなくもない。これが嫉妬というやつなのだろうか。馬鹿馬鹿しい。俺は俺でコイツはコイツで、先生は先生だろうに。何を今になって境遇の違いに妬かねばならんのだ。
トーストを貪り、きちんと正座して飯を食うフタツキをヤブに睨みつけながら切り出す。
「サカキに次の斡旋頼むまで2週間近い猶予を設けた。それまでにやるべきことをやる」
「サカキさん?」
「手放しで評価していい斡旋だ」
「アクトクの人からサカキだけはやめとけって言われてて」
「去年の今頃に先生とサカキにボコされて店畳んでるからな」
コーンクリームスープを飲み干し、フタツキが急に詰め寄る。
「その人も父を知ってるんですか」
「先生を拾った張本人だからな」
「いつ会えますか」
「食ってからにしろ」
「食べ終わりました」
本当に全て食べ終わっていた。何も答えずに1人用の冷蔵庫から牛乳の500mlパックを取り出し、コップに注ぐことなく直飲みする。
「……食器片づけとくから着替えろ」
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
今の嚥下で何となく自覚した。脇の傷はある程度修復してきたが、念のため医療用ナノマシンを塗布しておきたい。台湾人の自治領まで買いに行く必要があるが背に腹は代えられない。
寝巻代わりに貸し出していたジャージを脱ぎ畳み、フタツキは一度下着姿になった後、昨日譲ってやったツナギに手足を通し始める。傷1つない綺麗な背中だった。見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらい生白い。
:
さて本題だ。業務の受注前に色々と試しておきたいことがある。結果によってはサカキへの斡旋依頼を更に数日間先延ばしにするかもしれない。ひとまずコイツの今現在の実力を測るべきだ。
「正式に護衛担当として雇用された身だ。お前から片時も離れるわけにはいかん」
「はい」
「ただし今回のケースに関しては特殊で、昨日の夜に改めて契約した通り『先生が見つかるまでは俺と行動を共にする』という条件が追加されている。勢いで1日5000円までマケる羽目になったしな」
「本当に何とお礼を言えば……」
お礼如きで済ませるわけが無い。金と成果でキッチリ取り立ててやるつもりだ。舌打ちを全力で押さえながら続ける。
「只ひたすらセーフハウスに閉じ籠っていてもお互い金は増えんし何時まで経っても手掛かりは掴めない。ということで、俺と一緒に現場に出て貰う」
納得はしているらしい。嫌な顔しやがったらぶん殴ってやるところだった。少し事実確認と現状説明をしておこう。
「“ラブラ”ってフリーランスには会ったか?」
「お噂は聞いてます。最初はその人も探してました。特定個人の捜索発見なら一流って」
「一流っつーかこの界隈じゃ一番だな。だが結局先生は見つけられなかった」
「むむ……」
先生の暗殺を目論む連中が何度か彼女の元を訪れたらしいが、結局めぼしい成果は上がらなかったとのことだった。日頃からPAMWACなんぞに入り浸っている奴ではあるが、仮にも日奉一族の血を受け継ぐ業界内屈指の人探しだ。奴で駄目なら愚直に働いて手がかりを掴みに行くしかない。
「最終的には関東圏を離れて関西の“穴倉”ギルド管轄区にも手を出したいが、この際移動やら何やらで更に金と手間がかかる。その前に北海道の連中にも用があるし、何にせよ当面必要になってくるのは遠征費用と相応の装備かな」
「むむむ……」
「到底俺1人じゃどうにもならんし、お前1人なら尚更の話だ」
ジャンクロイドを取り出し、何度も修正されたスプレッドシートのスクショを見せる。フリーランス向けの独自OSを廃品のスマホにねじ込んで再利用している端末だ。この課業に生きる上で最低限度の人権装備と言っても過言ではない。
「これから1年かけて全国遠征の費用とそれに見合った実力を勝ち取る」
「私の加入で叶うんですか……!?」
「そこはお前次第だが、単純に頭数が増えるだけで生活に割くべきリソースはお互い減るもんだぜ。どっちも頑張らなきゃならんが単独でやるよか数倍マシに事が進む」
「了解です……やるしかないですね」
フタツキは何度も刻々と頷く。嫌な話だ。一般社会への放流を渋った結果今度は幼気な少女を死と超常の最前線で連れ回す他なくなっている。昨日自分で割り切った話だからこれ以上の迷いや後悔も意味を為すことは無いだろう。きっと何度も後悔する羽目になるんだろうけど。
「というわけで護衛自体は貫徹するつもりだが、実質的には俺の予備戦力として俺の指示に従ってもらう。つーか今回に限ればそっちの方が安全だ。返事は了解で統一しろ」
「……了解!」
ふと見上げたフタツキの両目に迷いはなかった。殺人1日目。ひょっとしたら寝ている間に何もかもを忘れてしまったのかもしれない。そうとしか思えないくらい澄んだ目をしている。
:
では実証開始と行こう。押し入れから使い古したショルダーバッグを取り出し、フタツキに投げ渡した。
「お前の銃と予備弾倉4本、その他基底現実用の基本装備を詰めておいた。開けて確認してみな」
「はい!」
「了解だっての」
「了解……」
昨日の晩、フタツキを自分用の布団で寝かせてから準備したモノだ。慌てず丁寧にジッパーを開け、少女は内容物を1つ1つ確認し始めた。次々とその内容物が畳敷きの床に展開される。
「MCF製汎用救急救命キット、双眼鏡、ヘッドライトと替えのバッテリー……500mL飲み水、またMCF製戦闘糧食1食分……?と、発煙筒と銃と予備弾倉ですか」
「ちゃんと入ってるな」
総重量は2kgにギリ届かない程度。一番嵩張るのは救急キットだが、業務によってはこれに加えて虫よけスプレーや発煙筒、チョークセットが、更に物騒な業務の場合は手榴弾等の爆発物が追加される。今はこれでいい。以降の試行結果によってコイツの運用方針を決める。
「元通りに収納しろ。ホルスターはそこに転がってるライフルマガジン用ポーチで代用してくれ」
慌てて元通りに戻し始めるフタツキを他所に自分用のバンダリア型バッグを装着し、ドアを開ける。今日も今日とて空はピンク色だった。この空が原因で精神を病む者も多いとのことで、ニッソかどこかの企業が廃桃源専用の認識改変薬を開発中らしい。本当に需要があるのかについては大いに議論の余地がある。
午前7時。外気温は16度程度。『中華街』の送風装置が作るそよ風のおかげでそれなりに心地良い。灰色の廃墟と桃色の朝焼けが生み出す狂気を中和するにはこれで十分だ。この乾いた優しい風さえあれば認識改変薬なんて必要ない。
「ごめんなさいお待たせしました──」
フタツキは2分程度で降りてきた。昨日着せたツナギの上に寝る直前で譲ってやったウィンドブレーカーを羽織り、ショルダーバッグをしっかり引っ提げてトテトテと階段を下りてくる。3分以上かかるようならもう1回中身をぶちまけてやる予定だったし、割とそのつもりで靴を履きかけにしていたのだが、昨日も悟った通り「変なところでフリーランスに向いている」という予感が現実味を帯びてきたかもしれない。手先が器用とか云々以前に判断と行動が速いのは現場向きだ。こちらとしてもその2つを備えていない奴よりは余程有難い。
来たなら来たで次に進もう。何の合図も無く背を向けて走り出した。
「えっ、え~~!!!」
「同じペースでついてこい!!!」
数秒遅れてフタツキも走り出す。
:
時速12km。急勾配や階段の登り降りも含めて20分程走った。10代後半の、女性ではなく男性の平均的なフィジカルに合わせたランニングのペースで。あくまで「衣服以外何も身に着けていない状態」を想定した速度。昨日ドサクサに紛れてウンコハゲから鹵獲したVz61、その予備弾倉、その他諸々の追加装備や移送対象を伴って走れば更に走行効率は落ちる。
まずはどこまで出来るかを試す。実際の現場では俺がフタツキの速さに、というか生身の人間に合わせた速度で動くつもりであるため、フタツキが俺に付いて来れるか否かについてはそこまで問題にならない。が、これはあくまでフタツキが俺の想定する「生身の人間」として最低限動けることが前提の話だ。
仮に俺が人間の味方に合わせたところで、敵や環境がこちらの都合に合わせて動いてくれることは無い。一切無い。敵が雇われのフリーランスや財団職員といった普通の人間ならまだしも、ここは超常社会。規格外の超常存在やホワイト・スーツ装備のGOC排撃班を相手取る可能性もある。確実に勝てる奴としか喧嘩しないつもりで動く俺たちにとって、一定水準以上の逃走能力と都市機動能力は必須だ。戦闘用バイオロイドの俺とて例外ではない。
この段階で及第点にすら達していなければ業務受注は延期する。たとえコイツが先生の娘であろうが、コイツ自身が昨日そう宣ったように、先生は先生でフタツキはフタツキだ。忖度も同情も挟むわけにはいかない。最大で1ヶ月程度なら訓練期間を延期できるはずだが、それを超過しても駄目だというなら別の選択肢も視野に入れなければならない。
「──おっ、終わりっ、ですかっ!?」
……というつもりで走ったわけだが、フタツキは結局一度もペースを落とすことなく食らいついてきた。良い意味で期待以上だ。元吹奏楽部と聞いていたから一時はどうなる事かと思っていた。肩で息を切らして死にかけているとはいえ、この程度の有酸素運動に食らいつけるスタミナはあったということか。
申し分ない。車両やヘリ等の脚を考慮しなければフル武装の財団部隊相手ですら逃げ切れる可能性がある。逃げ方やフィールドにもよりけりではあるが、俺たちの仮想敵の大半に体力負けするよりはよっぽどマシだ。明日からは別の機動も試すとして今日のところは合格としておこう。その他の逃走技能については追々叩き込みつつ、更なる練度向上のためにも飯を食わせて継続的に走らせるべきと見た。
「終わりじゃない。これからが本番だ」
:
午前7時半。全高5mの外壁に閉ざされた非戦共同中立地帯“白街”南門へ到着。連合自制軍の検問所でボディチェックを受け、射撃訓練場までの間有効となる銃器類の封印措置を挟んで街へ入る。ドサクサに紛れて胸に触れてくるような連中だったのも2年前までの話で、自制軍も2度の大規模変革を経て非常に統率の取れた200人規模の民兵組織として成長してしまった。ある意味この街最大の脅威ではある。
有村組傘下から独立した土建屋と、それらが使役する西洋流ゴーレムによって急発展した街並み。それぞれの国家の穏健派フリーランスが手を取り合って整備した各種生活インフラ。そして街の大部分を埋め尽くす露店市とフリーランス向けの宿泊施設群。廃桃源ギルド所属者のみで構成された自制軍が日夜闊歩する、廃桃源屈指の人口密集地帯。反社会の根性と努力が産み落としたクズ共の街。今日はその少し奥地まで足を踏み入れる。
白街中央区に佇む半地下の巨大施設、中立総合訓練所“R&G”にランニング終了後間もないフタツキを引き摺り込み、訓練用の耳当てと射撃レーン1本を貸し切って奥の方へ突っ込む。早朝故に人影はない。Gpエクスプレスの社員連中が合宿に来ているらしいことは貸し出し表から辛うじて読み取れた。
「指示通りに撃てるか?」
「固定標的への射撃はいっぱい練習してきましたけど……」
「見せて貰わん限り何とも言えん。今日中に確かめたいことがいくつもある」
体力の次は現在の射撃戦闘能力、特に銃の扱い方についてチェックする。当たるか否かなんてのは二の次だ。敵味方識別措置もロクに出来ないような奴への友軍誤射ならまだしも、不意かつ意識外の事故を銃器で引き起こすようなアホは一応の火力要員としても連れ回すわけにはいかない。当人だけに留まるならまだしも俺に致命傷を与える可能性だってある。「どんな訓練を受けてどの動き方に落ち着いたのか」を把握し、必要に応じて俺かフタツキのどちらかが動作の共通化を測るべきだ。
防弾性能の向上より単純機動力と市街地での隠匿性を重視した結果、現在の俺の装備は遺体からパーツを剥ぎ取って自作したバンダリア型プラットフォームに落ち着いている。胸部と背部に追加装着するポーチによっては市街地でも目立たず、全力疾走しても体の表面からそこまでズレず、更にカスタム性が高いといった利点はありつつも、所詮はショルダーバッグの延長線。長期間の基底現実滞在を想定した場合、単純な積載能力には欠けていた。特に背部ポーチに手が届き難いのは難点だ。
ここで「予備の弾倉やツールを搭載した自走収納」としてフタツキを運用するのだ。先ほど見せてくれたフィジカルを土壇場でも発揮してくれるなら使い勝手の良いカバンとして利用できる。出会って間もない頃の先生とも同じ戦法を使ったし、結局それで一定以上の戦果を収めている。多少の条件の差異はあれども「動ける素人の有効な運用法」としては確実性が高い。まあこれが果たして護衛任務の一環なのかと言えばかなり怪しくはあるが。
「それはそれとしてお前自身に射撃戦闘能力があるに越したことはない。頭数が増えるだけでこっちの優位性は格段に跳ね上がるしな」
「な、なるほ……なるほど……?」
「さっさとやるぞ。距離20m固定。待機姿勢からの即応射撃用意!」
:
発砲。また発砲。甲高い破裂音がレーンいっぱいに次々と響き渡る。やがてモーター音と共に、頭部と胸部にだけ穴を開けた人型標的がワイヤーに吊り下げられ、ゆっくりとこちらに向かって移動してくる。
「あの、撃ち終わりまし……た」
マガジン除去。薬室確認。空撃ち後のセーフティ・オン。
綺麗な動作だ。短編アニメーション作品でも見ているような気さえした。ヘッドセットを外し、フタツキは不安げな目でこちらの様子を伺う。
SIG P230-JP。シグザウエル社が日本の私服警官向けに再デザインしたP230の派生形。.32ACP弾対応の8+1発装填オートマチックピストル。
俺が普段使いしているワルサーPPK/Sとは同じ口径のモデルで、昨日ハゲから鹵獲してきたVz.61もこの弾薬に対応している。どこぞの元地方警官が流したらしい品が巡り巡ってここまでやって来たのであろう。使用弾薬自体は時代遅れで威力不足な部類ではあるものの、2人とも共通弾薬で統一できるのは有難い上にそれなりの強みも持ち合わせている。
日本のフリーランス界隈において、32.ACP弾は比較的安い。同時に9パラや45口径と比べれば低反動で撃ち易い弾薬でもあり、その歴史もあって信頼性も十二分だ。「現代の防弾装備には無力」なだけであって、そういった防弾装備を一切身に着けていないような同業者連中や、そもそもロクな武装を身に着けていない弱小要注意団体の構成員相手ならしっかり斃しきれるだけの威力が保証されている。
これより一回り大きい.380ACPやリボルバー用の38.スペシャルの需要が絶えない理由の1つだ。防弾装備は出回らない上に高い。連合自制軍も恋昏崎製のデッドコピー品であるMAC11を共通装備としている。一昔前は旧ソ連の銃と弾丸が主流だったが、丁度俺がフリーランス化したあたりから徐々に西側企画に移り変わっていった。
ともあれフタツキの実力は垣間見えた。1度の射撃で3発か4発撃つ癖はインストラクターによる指導の影響もあるのだろうが、固定目標への射撃に関しては単純に練度が高い。速くて正確でおまけに安全だ。呼吸器系と頭部を集中的に銃撃できている。
日本の警察機構向けに安全装置を1段階、あとはグリップ下にランヤード用金具を増やしたモデルだが、いざ射撃を開始すれば機械的にそれらを解除して、迷わず撃つ。弾倉5本が空になるまで合計40発撃って7発しか外していない。銃口管理も様になっている。射撃直後の視界確保や周囲確認も熟練者一歩手前のそれだ。
もう1つ特筆に値する点もあった。例えただの人型ターゲットであるとしても、一度銃火器で殺人を犯した人間は再度銃を発砲するにあたって精神的な壁を乗り越えなければならない場合が多いが、コイツにはそういったハードルが一切存在しないか、或いは存在した上で自力で飛び越えているのか。何にせよ精神的な立ち直りの速さに関しては見習うべきタフネスがあった。同時に人として何か重要な欠落があるんじゃないかという不安もより一層増している。
「あの、先程からインストラクターさんは何と……?」
「ミャンマー語が解るわけねえだろ」
浅黒い肌のスタッフが手を叩いて笑っている。内輪の軍閥抗争で敗北し、中東や中央アジアから遥々流れ着いた軍人崩れの成れの果てが始めたのがこの店だ。インド人やパキスタン人も多い。一応英語と中国語、限定的ながら日本語で言語が統一されている。たまに世話になっている安全管理役のインストラクターもその1人だった。最もただのミャンマー人ではなくムスリムの被差別民だったらしいが。
「Excellentだとよ」
「あっ、あの、ありがとうございます……」
「英語喋れよ」
「勉強苦手で……」
そのレベルで勉学に適性が無いとは思わなかった。俺ですら1年死ぬ気で勉強したら喋れるようになったというのにコイツは義務教育9年と高校の数年で一体何を得てきたというのだろうか。
考慮したところでどうにもならない。32口径弾の詰まったケースを取り出して投げ渡す。
「次は平行移動する的な」
「了解です」
「撃って走るのも、あと室内クリアリングもやってもらうからそのつもりで」
「了解…?です」
「終わったら俺と合わせて動いてもらう」
「……今日中に終わるんですかコレ?」
「お前次第だ」
:
事前に全力で疾走させた影響もあるのだろう。模擬戦形式の訓練には不慣れさとスタミナ切れを垣間見たが、それでもフタツキはかなり良い線の結果を叩き出した。後は2人で行動することに慣れてくれればどうにかなりそうだ。銃器の取り扱いにのみ注目して評価するなら「日頃から相手にしている実力帯の連中なら問題なく捌ける」といったところか。
ひとまず、火器取り扱いの腕に注目するなら随伴戦力として十分な実力とポテンシャルを秘めていると言える。並大抵のフリーランスと比べ、隣に立たれてもそこまで不快感や不安が無いというのも何気に評価すべきだ。自分で安全管理が完結している味方は頼るに値する。
しかし何事も順調に行くなんて甘ったれた展開がこの未確認ポテンシャル失禁少女にあり得るはずもなく。ここに来てようやっと問題は発生した。
「ちょっと待っ──」
顔面に1発。ヘッドギアで覆われていない鼻っ柱をモロにぶん殴る。少女の華奢な体躯が宙を舞った。
畳敷きの屋内修練場。その場に倒れ伏したフタツキは半泣きで上体を起こす。
「立て」
「あの、あの一回ストップで……」
「立て。早く」
徒手格闘がてんで駄目だ。射撃と都市機動は並み以上なくせに、どれだけ傷つけられようとも他人を1発も殴り返せない。殴るための構え方も知らなければ殴り方も知らず、殴った経験も恐らくは皆無であり、更にはこの期に及んで殴る気すら起こせない。ここに来てようやく育ちの良いお嬢ちゃんっ子気質が表れた気がする。どうも直接的に人を傷つけられないようだ。
冗談じゃない。対人格闘は万年金欠の底辺フリーランスとして常に磨いておくべき技能だ。死に物狂いで臨んでもらわないと困る。
「待ってって言った……」
「待ってるから立て」
「本当にやらないと駄目ですか……!?」
胸を蹴りつけてもう一度転がす。怯えて小さな悲鳴を上げるフタツキの背中を勢いよく蹴りつける。
昨日以来の号泣が始まった。放置したところで得があるわけじゃない。側頭部を素足で踏みつけたまま一気に体重をかけて黙らせる。
「このまま死にてえか」
「……っ!!……っ!!!」
足を退ける。数秒挟んでフタツキは立ち上がった。立ち上がることを許されたから立ち上がっただけという具合の風体であり、未だその姿勢から殺意や生存本能は感じられない。ふらつく足を外側から蹴りつけてもう一度その場に崩す。
声も上げずにボロ泣きするフタツキの襟首を掴み、もう一度立ち上がらせた。気道と血管を同時に強張らせて嗚咽を漏らす。埒が明かないから右の頬を平手打ちした後、顎を引っ掴んで無理矢理目を合わせた。
「前線フリーランス同士の格闘戦については昨日お前が見た通りだ。予備弾も弾倉も不足してる俺らみたいな底辺は事あるごとに強いられる」
「……!」
「銃が撃てなきゃ死ぬしか無いってか。甘ったれんなよ。生きて先生に会いたきゃ死ぬ気で生き方を知れ」
静かに涙を流し、ゆっくりと平時の呼吸を取り戻す。フタツキは両手を胸の前に掲げたまま刻々と頷いた。一応落ち着いてくれたらしい。ヘッドギアを装着させておいて良かった。素顔のままやっていたらしばらく基底現実を歩けない域まで加工してしまうところだった。
これを。この一連の流れを、あろうことかコイツ自身に助けられた俺本人がやってるのは本当に癪に障るが。一々キレたところで仕方がない。青筋おっ立てながら腰に手を当てて説教を続ける。
「逃げ隠れと射撃戦闘の技術が前線フリーランスの生死を分かつ要素の8割。残り2割の内1割がソレだ。いきなりブッ転がした上で俺がキレてる理由解ったか?」
「……理解しました」
「“死ぬ可能性がある”と“死ぬかもしれない”の違いを覚えろ。前線で死ぬ可能性を僅かでも意識しているなら努力を怠るんじゃない」
「そうしなかった奴は全員死んだ」と吐き捨てながら両頬を軽くさすった。意気消沈しつつも必死に納得しようとしているらしい。顔のせいか年齢のせいか出自のせいか、胸中に渦巻く罪悪感をフリーランスとしての自覚で押し潰し、フタツキの肩を小突く。
「惨めにくたばって当然の仕事だけどな。隣で誰かに死なれるのが一番困るんだよ」
本音だ。こんな形で知り合ってしまった以上、そしてこんな形でしかコイツの身の安全を保障できなかった以上、フタツキには死んで欲しくなかった。
フリーランスとしての矜持や、ある程度のプライドなら俺だって持っている。それに相応しい実力と貰い物の能力も備えている。それでも「絶対にお前を守る」と断言できないのは俺の弱さだ。それ故にフタツキ自身は極力強くあって欲しい。
「ミット打ちから教える。最低限打撃はしっかりやってもらうぞ」
「了解……です」
あの日と立ち位置が逆転しているようだった。満身創痍のフタツキを俺が見下ろしている。最初に出会った時の無機的な気配が微塵も残っていない。照準を定めた直後の刃物のような目つきはなりを潜めるばかりで、中退済みのか弱い女子高生が顔面殴られてメソメソしているだけだった。
出来る事なら平時でも可能な限りあのフタツキであって欲しい。もののついでだ。一度フタツキの殺人について、何故あの時赤の他人を助けるためにハゲを殺せたのかを聞いておこう。出来ることなら出会ったその日の内に問いただしておくべきだった。このラインを把握していないと後々とんでもない事故や事件に繋がりかねない。
「何で俺のことを助けた?」
「何で殺した?」とは聞かない。重要なのは目的であって手段じゃなかった。あと単純にこういう質問でメンタルやられると俺が迷惑する。真正面から見つめられていても回答に詰まるだけだろうから横に座って待った。フタツキは少しばかり考え込む。
「少なくともお前はあの時、生き残る以外の目的で引き金を引いた。何故撃てた?」
そんなシンプルな話じゃない。これは勘だ。彼女の射殺には俺の知らない行動原理がある。
「落ち着いたらでいいから」
「死のうとしていたから、です」
何て?
「死のうとしていたァ?」
「いえっ、その、私じゃなくて賽さんが」
「ミット打ち行くか」と強引に話を遮り、フタツキの手を引いて修練場の奥に進む。
原理は解らないが物凄く、気色悪かった。
俺は確かにあの瞬間、自分の死を受け入れていた。抵抗に抵抗を重ね成るべくしてなったと勝手に結論付けて、それを無条件に受け入れてウンコハゲの鼻の穴を見つめていた。それを勝手に、俺にしか解らないモノだと決めつけて。フタツキにはあえて打ち明けずにここまで付き合ってきたつもりだった。
コイツが今までどんな生き方をしてきたかなんてわかったもんじゃない。だが少なくとも、少なくともこれまでの17年間は、一般社会の家庭と、一般社会の環境に生きてきたはずだ。生きてきたはずなんだ。父親の失踪や母親の休止が彼女を変えたわけじゃない。もっと深いところで彼女は狂っている。
気色悪い。その一言ですべてを表せた。現状唯一にして無二。俺はコイツに、自分の孤独と死を覗かれている。
ミット打ちと帰りの体力作りも終わり、16時。ピンク色の西空が紫がかった赤に染まる頃、帰宅を開始する。明日からが本番だ。帰りがけに“げろまみれ”に寄り、具材ドカ盛りの肉丼を2杯頼んだ。
油分少な目でタンパク質マシマシな上にチャーシューが美味い。一度チャーシューとして完成させた後に炭火で二度焼きしているそうだ。食物繊維とビタミンはドブガワ特性の中華サラダで補い、これに加えて俺の造血能力回復のためにニラレバを大盛で頼む。
「業務開始2日前までは今日ほどキツくないトレーニングを日替わりで回して練度向上に徹する。やれそうか」
「やれます。徒手格闘が一番キツいですけど……」
「慣れてくれよ本当に」
「賽さん鼻が整ってて殴ったらどうなっちゃうか……!!」
「アホか」と後頭部を一発引っ叩く。ドブガワはいつにも増して上機嫌に丼を持って来た。
「イズメさんには世話になったからなぁ」
フタツキの丼にだけ特製メンマが追加トッピングされていた。俺には何も盛っていない。ムカついたのでフタツキに寄って告げ口してやった。
「アイツ元々大麻の売人目指してて」
「え~っ……」
「先生に私的にボコされてラーメン屋始めたんだわ」
「え~~~~……」
ドブガワは満面の笑みでダブルピースを返して来た。フタツキが困り果てたらしいので代わりに中指を立てて追い返す。
フタツキがまたモソモソと揺れ始めた。何か話したがってる時はこの予備動作が来るらしい。何となく聞く姿勢に落ち着いた。
「父……イズメ先生ってどんな人だったんですか?」
「聞きたいか」
「もちろん」
結構唐突だし結構今さらだったが、そういえば空白の7年間を賽は何も知らないのだ。得の有無に関わらずモチベーション維持のためにも教えておいてやった方が良い。一呼吸置き、俺が知り得る限りのエピソードを可能な限り脳内に羅列した。
「……拾われたのは5年前。そこから4年間だけ一緒にいた。その期間の先生しか知らん」
「ふむ」
「出会いに関しては長くなりすぎるから端折る」
「そこ端折っちゃうんですか」
無視してコーラを注ぐ。「どれだけ凄かったのか」を一発で示す逸話ならこれだ。
「現在この国で活動中の海外系超常犯罪組織、100人以下の規模ならどれくらいあると思う?」
「ご……じゅう?」
「惜しいな。凡そ60だ」
「昔はその3倍いたんだよな~」と、唐突にドブガワが割って入る。無理矢理押し返して話を続けた。
「残りの120を撤退か壊滅に追い込んだのがイズメ先生だ」
「……冗談ではなく?」
「10人そこらって規模の組織が大半だったけどな」
フタツキは一瞬でスタミナ丼を食い尽くしていた。昼飯抜きで運動させた分をしっかり補給して欲しいところだ。未開封のおしぼりを差し出す。
「人数に問題が無ければ1人で壊滅まで持って行ったし、規模的に太刀打ちできない場合は半壊させてから財団や特事課にぶつけて潰していた。黒社会に潜む退役軍人とか瞬殺してたな」
後半からは俺も加わったし、一連の戦いで実戦のやり方を身に着けた。
本当に色んな奴らを追っ払ってきた。遥々チェチェンから戦争史にやって来たヘモマンシー使いたち。台湾から来た自称傭兵団。川崎の工業地帯を乗っ取るべく送り込まれた某企業の手先。テロ目的で某国から送り込まれた余剰次元の開設業者。挙げ始めればキリが無いが、先生はその一切を悉く駆逐した。
実際に手を下したのは50組織程度ではあったが、何にせよそれだけの数の組織を非異常かつアーティファクトにも奇跡術にも頼らない人間がほぼ単身で潰したのである。結果的にあらゆる海外系の超常犯罪組織が日本国内から脱出する羽目になった。
「クソ壁」「非異常代表」「即日決戦兵器」。あらゆる異名が業務の度に追加されるその姿はまさに鬼神。本当にただの警察官だったのかとあらゆる組織が内偵を回すも、実際マジでただの警察官でしか無かったがために伝説は過剰にも加速し続けた。
「一番タチ悪いのは根っから一人っ子の癖に単独で戦うことに固執してなかったことかな。1人じゃ対処できないって判断したら正常性維持機関を投入するためのきっかけを作って、一般社会への被害を押さえながら自分だけは生きて帰ってくる。あの人のせいで今のフリーランスの間じゃ結構メジャーな戦術になってるし」
「なるほど」
「あと白街を作って廃桃源ギルド発足のきっかけになったのも先生だぜ」
「そっちの方が凄くないですか!?」
その後俺が目にしてきた事件も、ある程度割愛する形で話した。大陸から流れ着いた妖怪を遥々東北の僻地まで送り届けたこと。悪性ミーム媒介者として野に放たれた不法移民軍団を片っ端から殺して回ったこと。廃桃源ギルド全てが昨日のことのように思い出せる。
「お前の知ってる親父さんじゃないだろ」
「私の知ってる父では……ないですね」
「……フリーランスってのは、基本的に全員孤独だ」
最後の肉を食らう。そういえばナノマシン剤買うの忘れてた。明日は購入しないと不味い。
「社会性のあるなしとか性格の良し悪しとかじゃなくて。研修目的で一時的にやってるような奴でも無けりゃ皆何かしらが欠けてる。欠けているから群れることを知らない。群れたところで何もできない」
「……賽さんもですか?」
「俺もお前も先生もだ。ドブ!!」
肉だけお代わりを頼む。フタツキもそれに倣う。
「白街はそういう連中の寄り合い所帯で、廃桃源ギルドは一応のまとめ役で、色んな奴らに慕われ恐れられ、それでも先生は最後まで独りだった。俺が隣にいようともな」
「……イズメがフリーランスになった切っ掛けって……」
「財団に確保されかけてた異常持ちを助けたからだな」
「……やはり父なんですね」
頷き、空になったお冷を再び満たす。フタツキの眉間には若干の皴が寄っていた。
「俺と共同で動き始めた直後に古巣の連中と一戦交えてな。そん時ついでに貰った傷がこれだ」
フタツキの前で初めてニット帽を外して見せる。
「家ン中でも被ってたのはこれが理由だ。」
「……ッ!!」
火傷後の残るハゲ散らかった頭を凝視して、フタツキが固まる。瞳孔が縮こまる様を観察しながらコーラを飲み干した。再びニット帽を被る。
長く伸ばしたモミアゲと後頭部以外は枯れ山そのものになって久しい。3年前からずっと中途半端ハゲだった。このニット帽は当時先生から直接授かったものだ。
「そんなところかな」
「あの」
「何か」
「賽さんは何で父に着いていったんですか?」
単にデリカシーが無い奴よりは余程マシな質問だ。それはそれとして反射的に青筋が立つ。
一呼吸、深く置いて答える。
「先生に置いていかれた」
げろまみれ店内の秒針だけが音を鳴らす。ドブガワはしばらくその様を凝視していた。
追加の肉も食い切り、後は会計を終えて帰宅するだけ。財布に手を伸ばした瞬間。
「父には独りで死んで欲しくないから、私はここにいます」
フタツキは小さく呟いた。
ドブに現金で丁度の額を渡してフタツキの後ろを通り過ぎる。
「無理な話だな」
フタツキが帰って来たのはそれから2時間後のことだった。明日からも訓練があるんだからさっさと寝ろと促し、その日は日誌や帳簿もつけることなく寝落ちした。
開始2日目。朝っぱらから白街の内周を2周し、その後は午前をフルに使って体力向上のための基礎的なトレーニングを行う。昼飯休憩を挟んだ後は座学だ。奇跡術と超常についての理解を深めてもらいつつ、「逃げてどうにかなるなら逃げてどうにかしろ」という教訓を叩き込む。
結局対処法や理屈を知った上で干渉せずに逃げる奴が一番生き残りやすい。干渉してしまった際は特にそうだ。特にミーム災害と情報災害については重点的に仕込んでおくに限る。
3日目。白街内周ランニングの後は、トレーニングルームを貸し切って現場での連携について学ぶ。視覚外で動かれるよりも常に見えるところにいて貰った方が助かるという点から、何とフタツキが前衛、俺が後衛という、もはやどちらが護衛担当なのか解らん配置で動くことが決まった。
Vz61の利点であり問題点でもあるエジェクションポートの配置、つまるところ左右どちらでもなくいきなり直上にぶちまけれられる空薬莢の管理については以前からどうしたもんかとも思っていたが、水平方向の射撃においては基本的に後方へ排出されるらしい。仮に俺が前衛に出ても薬莢の衝突事故等でフタツキの行動を阻害しかねない。
あと単純にこの配置の方がフタツキのバッグを有効活用し易かった。現状一番怖いのは真正面で発生する不慮の接敵だ。敵はさておき俺たちは2人とも防弾装備を有していない。真っ先にフタツキが撃ち抜かれればすべてが終わる。
4日目。人んちの屋根を伝ってパルクール紛いの都市機動を行った。極端に狭い道、極端に急な階段、急斜面、未舗装道路、住宅密集地帯の閉所とあらゆる環境を走り回り、飛び続ける。それも只走るわけではなく鬼ごっこ形式で。
序盤はフタツキが鬼だ。地味に胸骨を圧迫し易い肩紐に苦しめられながらもフタツキは俺を追って来たが、この日ばかりは警邏用バイオロイド本来の運動スペックを発揮させて貰うことにした。階段の手すりを突っ走ったり壁面を駆け上がってショートカットしたりといった技術に付いて来れるわけが無かった。
後半は俺が鬼を務める。人間相応、というか歳相応のスタミナ切れを起こして死にかけるフタツキに容赦なく、何度も襲い掛かった。前後方向にしか道が伸びていない一本道の直上から唐突に飛び降りて逃げ道を塞いだり、並走しながらニヤニヤと嘲笑ってやったり、趣味と性格の悪い攻め方で統一しながら恐怖と逃げ方を刷り込み、最終的にはフタツキの号泣と飯で1日が締めくくられた。この日の肉丼は味が薄かった気がする。
7日目。フタツキの新しい下着と服の購入、及び弾薬の補給やVz61用マガジンの入手などに午前中いっぱいを使ってしまった。流石にツナギのまま基底現実に叩き込むわけにもいかない。私服として使用してもそこまでの違和感は無いらしい細身のタクティカルジャケットと耐久性重視のジーンズ、その他数点を購入し、午後はもっぱら徒手格闘訓練に打ち込んだ。
当て勘と距離の掴み方がクソすぎて本当に難を擁していたが、閉館間際でいきなり右のハイキックだけ上達するというワケ解らん成長を遂げてその日は終わった。
9日目。鬼ごっこでフタツキに一本取られた。取らせたわけじゃない。毎日その様子を見ていた連合自制軍の連中はいつの間にかフタツキの初勝利する日付で賭けていたらしく、中央公園で不意打ちのタックルを浴びた瞬間に一斉に歓声が上がった。マジモンの屈辱である。
ボロ勝ちしたらしい連中から日本円の現金束を押し付けられてフタツキは困惑していたが、これまで滞納していた飯代と家賃、そして護衛の費用は全てここから差っ引く形となり、結局彼女の手元に残ったのは2000円程度だった。帰りがけに食パンを買っていた。
11日目。フタツキの打撃精度が急激に上昇する。モノのついでに俺のピッケルを貸して武器アリの近接格闘を少し齧らせた。様になっている。
13日目。サカキから連絡が入った。出来ればもう1日休息を取りたかったが、いよいよ明日から業務再開である。
令和6年 10月30日
MC&D 日本支社東京支局
実地調査業務/発注確認書
- 登録組合番号 : ゐ680311/ゐ680456
- 姓名 : 賽 / フタツキ
- 生年月日 : 抹消済/抹消済
- 派遣地域 : 千葉県安房郡鋸南町
- 危険区分 : 別紙記載
別紙記載の施設内を探索し、以下の調査とその結果報告をここに依頼する。
調査対象目録
危険手当一覧
対象 特徴 備考 施設内外 立ち入り痕と監視機器の有無 侵入経路となる山道2箇所の調査も含む
障害 該当区分 備考 異常存在 遭遇 別紙参照 異常現象 遭遇 別紙参照 未確認組織 遭遇 別紙参照 機関介入 特別規定 別紙参照 情報災害 別紙規定 別紙参照
- 委託業者名 : サカキ斡旋
- 発注責任者 : [非公開]
問合先:
+82 108 566-99-XXX
「──何も無いことを確認しろ……ってことですか?」
「正解。早い話がちょっとハードな廃墟観光ってこったな」
サカキに頼って正解だった。発砲の機会を限りなくゼロにまで減らしつつ銃器を携帯したまま現場慣れさせるには最適な前線業務といえる。
「悪い組織の悪い奴らが時々集まりで使ってる場所だ。準備集合の前日にフリーランスを送り込んで正常性維持機関の目を調べる。その動きで当日に会合場所が割れるなんてのもザラだけどな」
「……これ、もし私たちの敵?が張り込みとかしてたら、捕まる可能性って」
「ある。あるから捕まったところで組織にダメージの及ばないフリーランスを使う」
言葉に詰まる前に両肩を叩き、少し揉んで解す。先生の真似をしたつもりが父親の真似になっていたらしい。フタツキはキュッと目を細め、小学生女児のような速さで反射的に身を寄せてきた。思わず手を離して軽くド突く。
「あっ、ごめんなさ……」
「仮に財団か特事課に捕まったとしてもお前なら助かる。警告1発目で投降したらな」
「賽さんは?」
「即時収容された後は靴でも舐め回して向こうさんの遣いっ走りに転身かな。その先一生自由を失うわけだが」
「じゃあ捕まらないつもりで動きます!」
「当たり前だ。あと声がでっけえ」
基底現実に転移してから約1時間。東京都墨田区錦糸町の駅前南側。ここから総武快速線を経由して県境を越え、鋸山の方まで遥々動くこととなる。電車内が比較的空きやすい午前10時頃の千葉行きを狙うことにした。
フタツキの体幹が以前よりかなり強くなっている。2週間前ならさっきので2、3歩後退していただろうに。
「持つもの持って基底現実を動くのに慣れてくれ。会敵時の対応マニュアルは丸暗記させた通りだからな」
「了解です。頑張ろう……」
「想定外の事態には自己判断で対応しろと言いたいところだが、今回は俺が指揮権を握っているものとして行動する。判断を仰ぎ行動に移せ」
最序盤は極力危険から遠ざけつつ現場には何度でも漬け込み、確実に回数を重ねて前線業務に慣れてもらう。フタツキもそのつもりで挑んでいるらしいから俺も気を引き締めなければならない。
丸2週間。ぶっ通しで運動させたし、ぶっ通しで知識と技術を叩き込んだ。発想や行動の方向性と速度は幾分か向上している。俺の努力は一応無駄には終わっていないらしい。寧ろたった2週間でよくぞここまで成長したと言える。問題はこれからだ。実戦で使えるか否かの証明は実戦でのみ成り立つが、その実証に初回投入される奴が問題なく動けるか否かについては神や仏ですら保証してくれない。揺らがないのはフタツキが「俺の前で片時も欠かすことなく訓練に及んだ」という事実だけだ。
「気張りすぎるな。挙動不審になるくらいなら俺の方でも見て落ち着いとけ」
「賽さんの方を……」
「胸をまじまじと見つめるんじゃない」
「あ痛っ」
額に手刀を入れる。両手で生え際を押さえながら震えるフタツキを引き連れ、改札を抜けた。
:
サラリーマン5、6匹の群れ。平日の癖にゲーム機片手にほっつき歩くガキ共。客の入れ代わり立ち代わりと乗り換えを挟んで2時間半。東京湾の淵をなぞる形で突き進んだその先、房総半島は南、岩井駅に到着する。
アクアラインを使えば都内からでも1時間弱で到着可能だが、生憎俺の見かけ上の年齢とフタツキの素性から考えても免許取得は絶望的だ。足を雇うにも金がかかるし、何より車は足が着きやすい。おとなしく一般人を装って動くに限る。
「自販機コンビニその他諸々はどこかしらで必ず証拠映像が残る。利用はしないか最小限に抑えろ」
「やっぱりそういう油断で捕まった人ってたくさんいるんですか?」
「当の捕まったと思わしき馬鹿共が全員帰ってこないんだ。詳細は知らんが原因ならタカが知れている」
白街で事前購入したサンドウィッチ1パックを2人でシェアし、手掴みで食らいながら移動を開始する。ゴミはフタツキのバッグにねじ込んだ。
「何を!?」
「基底現実に俺らのゴミなんざ捨てて行けるか。さっさと歩け」
不満そうに唇を尖らせるフタツキの背中を叩く。触感からして全身の筋肉も少しずつ出来上がり始めていた。拳銃にプラスして模擬専用のトレーニングライフルを担がせて走らせた成果だ。
筋肉だけじゃない。貧弱な二の腕に溜まっていた脂肪もある程度は削ぎ落されている。元からかなり痩せ気味ではあったが、順当に転がしまくった結果アマチュアの軽量級総合格闘家みたいな絞り具合で全身が引き締まった。特に足腰の主要な肉には目を見張る成長がある。
「筋肉痛や体調不良は?」
「問題なしです。本当にお肉食べて抑えられるものなんですね……」
「ドブに感謝しときな。あそこ以上に美味い食堂もあることはあるけど軒並み高い」
「賽さんは傷の具合……」
「ほぼ全回復してる。自分の心配だけしとけ」
通行人は少ない。平日の真昼間だから当然だろう。寧ろ平日の真昼間に高校生と思わしき年齢層の女2人が私服で出歩いていること自体が疑わしきに値するかもしれないが、今考えたって仕方の無い話ではある。
久しぶりの基底現実。青い空と日本の街並み。フタツキには少しばかりの気分転換になってくれたのだろうかと表情を伺ってみたが、特にそんな様子は見受けられず、何なら軽度の緊張状態が見て取れた。完全に周りが見えていない奴の目つきになっている。初めての共同任務であるとはいえコンディションがこれじゃ話にもならない。緊張緩和のために何か出来る事は無いのか。
「何だそのツラ」
「何か、ですね、拳銃が重たくなってきました」
「おーやっぱお前もそうなるか」
「重たいです。廃桃源いた時とは比べ物にならないくらい」
基底現実での本格的な前線業務を引き受け始めた頃は俺もこうだった。一定以上の危険性を孕んだ500g程度の塊が腰の何処かに常時ぶら下がっているという時点でストレスフルであることに違いはないが、結局廃桃源での生活で日常的に携行し続ければその重さも無いに等しくなってくる。では今現在フタツキが感じている嫌な感じの重さとは。
「認識の差だな。現代日本を拳銃隠し持って移動するとなりゃ嫌でも身体は強張る」
「なるほどそういう……重いというかゴツゴツして痛いかも」
「その不安やストレスを傍から悟られないためにも基底現実に慣れるんだよ」
「一応基底現実の生まれなんだけどなあ……」
「そういう話ではない」
「そういう話じゃなかった」
万が一誰かに聞かれたら不味い会話ではあるが、解像度低めの一般人を装って下手に演技しても寧ろ怪しさは増すだけだ。声量だけ落としてそれっぽく話せば誤魔化しは利く。誰かとこうして雑談しながら歩くこと自体がほぼ1年ぶりなせいもあるのか、何となく会話を辞める気にはならなかった。
20と数分程歩き、やがて目的地が所在する小高い山の麓に到着した。結構手入れ不足らしく、腰丈まで延び切った雑草が目立つ。事前に靴とズボンを新調していなければ進行に際してかなり難儀する羽目になっただろう。
素人複数人でこの手の山に侵入すると痕跡を頼りに財団から人数規模を特定され、場合によってはその情報を軸に一斉捕縛されるとも聞いていたが、正直どうだっていい。俺たち自身が取っ捕まらず、生き残ってクライアントから確実に入金してもらえるならそれで良しとする他無い。この場合悪評や馬鹿話が追加されるのは基本的にクライアントの側だ。その上で
「特定ルートでの侵入時にのみ遭遇可能なよう結界術が施されているらしい。前方と左側面の警戒を頼む」
「あっ、もう始まってる感じですか」
「当たり前だ。はぐれたら冗談抜きで一生下山できなくなるから気を付けろよ」
「一生……!?」
特事課や財団の気配は無い。人の気配を察知することに関しては一応それなりの実績と自信があった。デフォルトで両耳に搭載されていた収音機能を買われて哨戒任務に回されたことだってある。あとは俺自身が迷わず指定された経路で進行できるかが問題だ。
「え、あの、これ全然道じゃないっぽいんですけど」
「大丈夫だからさっさと行け」
「怖くないですか……?」
「俺の方が怖い。行け」
入山から更に3分近く、指定された箇所で曲がり指定された場所で引き下がりながら歩く。やがて木々の隙間から錆びれたコンクリの色が漏れてきた。目的地だ。
「──本当についちゃった」
「絶対に麓側からも確認できるデカさの筈なんだがな。この辺ちょっと静かだろ」
「空間が結界術で捻じ曲げられてるせいですか?何か太陽の高さもおかしいし……」
「大体その通り。日照時間まで確保できるんだから大した術師だぜ」
建物の名は『岩井荘』。横長2階構造の一戸建て。南(定義曖昧)に面した壁の西側に正面玄関、北面東側に対を為す形で裏口。正面玄関から少し東方向奥に進むと西側階段、裏口も同じような構造の東側階段が設置されている。サカキが事前に用意してくれた内部図面をジャンクロイドに表示し、各特徴が合致しているのを指差しで確認した。
立ち止まって感心しているフタツキを後ろから押し、とりあえず時計回りに外周を確認してみる。
「財団や連合が未だに要注意団体の拠点捜索に苦心しているのは日本古来の体系化された空間結界術に起因する。無駄に遠回りさせたり直線運動の定理を壊したり、マスターキーを持たない人間だけ閉じ込めて圧死に追い込んだりと最近は特に複雑化しちまった」
「廃桃源みたいなポケット宇宙や別次元は使えないんでしょうか……?」
「国内のポータルは戦後の徹底的な超常排斥運動で軒並み潰されてんだよ。廃桃源はマジの例外だし白街は更に例外」
「結果的に基底現実で結界術に頼る拠点運営が主流になったってことですか」
「組織団体の力だよな。大抵のフリーランスじゃ叶わん理想を平気で実現しやがる」
壁の汚れ具合に反して窓ガラスの破損が少ない。電気ガス水道のメーターに動きは無かった。あったら困る。というか立地から考えるにどんな経路で生活インフラを引いているんだこの建物は。
日照時間が極端に短く雨も届きにくい領域であることが幸いしてか、進行ルート内ではあれほど伸びっ放しだった筈の雑草はくるぶし程度の高さで成長を止めている。入山直後よりは断然動きやすい。外周異常なし。自分たち以外の数ヶ月以内における侵入の痕跡も確認できない。
「残るは建物内ですか」
「お前のテストも兼ねちゃいるが、それ以前に貰うもん貰っちまったからな」
「賽さんって仕事となると更に真面目になっちゃいますよね」
「どーいう意味だよ」
「あの、何か生存と安全確保第一みたいな姿勢を教えて貰って来たので、賽さんも適度に逃げる人なのかなと」
「最大の生存戦略は自分からリスクを負わんことだぞ」
フタツキのショルダーバッグに手を伸ばす。中に突っ込んでおいたVz.61と予備弾倉のセットを引き抜き、各箇所の最終チェックに移行した。改めて玄関の方まで歩みを進める。
「そういう意味ではお前の思う通り、わざわざこの身を危険に晒さないのが一番だな」
「じゃあ何で……」
「俺がフリーランスだからだ」
正面玄関の施錠の有無を調べ、完全に開錠されていることを確認したら数センチだけ引き戸を開ける。ポケットに突っ込んでおいた歯医者用のデンタルミラーをその隙間からねじ込み、ブービートラップの有無を調べた。それっぽい仕掛けは無さそうだ。当然電気が付いていないから真昼間でも薄暗い。埃がかなり堆積している。
「雑魚で独り身だが社会に生かして貰っている立場だ。クライアントに対する誠実性なんざクソの役にも立たんが、誠実で得られる金と評価があるならリスクを背負う。その時初めて問われるのが生存第一の姿勢ってだけだぜ」
最後にヘッドライトを装着。点灯状態を相互にチェック。異常なし。フタツキも神妙そうな顔のままいつの間にか拳銃の点検を終えている。
「自分の心配しとけ。テメーの事どうにかしてから他人の事考えろ」
「りょ、了解です。頑張ります」
「銃は何のために持ってきた?」
「慣れるた……『偶発的遭遇時における優位性確保の為』!です」
「その調子だ。今回は内部に未知数の脅威が存在するものと仮定して動く」
今のところはさしたる不安要素も無いらしい。[加筆]
「終わったら精密探査して即時撤退、廃桃源まで一直線に帰還する。経路はこっちで指示するからな」
「了解。前方と左側面……」
「今は進行方向だけに集中しろ。用意」
突入。
出入り口の通過と同時に扉を閉め、胸部ポーチに仕込んでおいた警報機を引き戸の取っ手に取り付ける。振動を感知すればこちらの端末に情報が入る。正常性維持機関の連中に追跡尾行されている可能性を孕み、かつ出入り口を張ってくれる味方がいない以上、闖入者への対処などはこういったガジェットに頼らざるを得ない。フタツキを立哨とするなど論外だ。
「右手前の部屋」
「右手前了解」
手当たり次第だ。外開きのドアをフタツキが手早く開け放ち、一瞬の隙も与えずに俺が侵入する。侵入後は左手側の壁に沿い、射撃姿勢を維持したまま横歩きで室内を見て回る。フタツキは右手の壁に沿って同じようにする。友軍誤射が発生しないよう銃口管理は互いに徹底し、室内の死角という死角を潰すまで奥に進んでいく。
窓が小さくて少ないせいか、本当にどこもかしこも暗い。2人分のヘッドライトが視野の確保に繋がっているが、欲を言うなら銃本体にもライトが欲しい。2世代以上前の銃であるためアタッチメントの増設なんか少しも想定されていないのが悲しい。
フタツキは練習通りに動けている。俺は実戦通りに実戦をこなしている。施錠の有無を確認し、室内からの銃撃を想定した低姿勢で勢いよくドアを開け放ち、射線を確保しながら俺が突入して室内の安全を確認、確保。終わったらフタツキを先頭に廊下へ移動。向かい側に位置する部屋でまた同じようにクリアリング。その繰り返し。
共用の風呂場や男女用のトイレも開け放って確認した。危険要素無し。裏口にも感振センサーを取り付けて施錠し、2分足らずで1階全部屋の安全を確保する。玄関から入って以降は一直線の廊下に沿った構造が続くせいか簡単に作業が進む。
「上がるぞ。ゆっくりでいいからな」
「了解です」
やけに広い幅の階段は施設の東西にそれぞれ1本ずつ。行きは裏口に最も近い東階段を使う。上方警戒を維持しながら階段を上がるのはかなり難しい上にフタツキには教えていない。危なっかしいから転ばないように見守りつつゆっくり確実に登るに限る。
2階到着。1階に比べて多少は外部の光が差し込んでいる。
「もっかい右手前からだ」
「了解!」
「声がデカい」
後頭部に軽く手刀を入れて前進させる。1階のそれとほぼ同じ速度で宿泊用の個室を見て回った。合計8部屋程度。1部屋につき2人か3人が眠れる構造になっている。
「こっから先は全部屋Cパターンで漁る。行くぞ」
フタツキによる扉の解放に合わせて室内全域に射線を這わせ、射撃姿勢のまま侵入した。その間フタツキは部屋の外側に対し警戒態勢を維持しながら待機する。終わり次第向かいの部屋で同じことをする。潜伏脅威無し。このまま一気に全部屋を見て回る。
最後の部屋に突入した。ベッド上下段異常なし。机の陰異常なし。クローゼット内異常なし。1階よりも早く終わった。全部屋の見回りが完了している。今度は西階段から下りて正面玄関付近まで移動する。
安全を確保。一度行動を終了した。上出来だ。
「……ふぅ!」
「お疲れ」
「大丈夫でしたか!?」
「良く動いてくれた」
良く動いてくれた。もっと褒めてやりたい気分だがせっかく作ってくれた緊張状態を崩してやるのも可哀そうだ。敢えて黙っておくことにする。
鏡を使ったチェックの時点で予想していた通り、埃の体積具合から直近数週間の侵入者は皆無と判断する。一応危惧していた危険要素、それこそ張り込みの財団職員やブービートラップやよく解らん超常の住人が1人もいなかったのは有難い。尾行の気配も無かった。後は精密調査を挟んで別ルートから帰るだけだ。業務の大半は終わったも同然である。
「1階からですか?」
「1階だけだな。入口見張っとくから言われた手順でチェックしてみな」
「了解です」
とはいっても実際に会合が開かれるのは1階の広間だろう。窓が1つも無い上に部屋の3方に出入口がある。あからさまに撤収し易い。正常性維持機関が罠や耳を貼るにしてもそういった会合向けの部屋か、そこに隣接している部屋等に限定される筈だ。
とりあえず大広間から行こう。正面玄関に一番近い出入り口からフタツキを侵入させる。ドアは開け放ったままだがそれにしたって暗すぎる。うっすらとソファや接待用と思わしき机の影が見えるだけで他は本当に何も見えない。雨が届きにくい領域とはいえど、当然通気効率が悪すぎるせいで室内全体がカビ臭くなっている。
「ヘッドライト以外の光源とか無いですか……!?」
「ビビんな。まずドア付近確認しろ」
「流石に怖いですよぉ……」
「俺のライト貸すから部屋の隅にでも置いて作業しな」
正直埃の体積具合さえ調べればそれで十分な気もする。余程高性能の極所用探査ドローンか小動物、或いはアポートでも使わない限り、この放置環境を一切崩さないまま監視装置を配置するなど人間には不可能だ。というか今回のクライアントはわざわざそこまでして調査するほど重要な連中でもない。
「それはそれとして現場慣れチャンスだ。どうにかしてこい」
「暗くて広いのは狭いやつの次くらいに嫌~~~……」
「変な声出すな」
「だって暗いのは本当に嫌ですもん……」
「お前な。ここまで来て何で締まりよく──」
飽きれて振り返ったその時。
携帯端末が振動した。
同時に正面玄関の引き戸が勢いよく開く。
ギシギシと足音が徐々に、しかし確実にこちらへ近づいてくる。
「フタツキ」
呼ばれるまでもなくやって来た。俺を先頭にする形で射撃姿勢を取る。
正面玄関からの光を右半身にのみ浴び、“それ”はようやく全身を現す。
ボロの古着を着たオッサンだった。オッサンというかモロの浮浪者だ。
身長はやたらと高い。どこも見ていない目で俺たちを見ている。
「業務は破綻した。偶発的遭遇戦の対応マニュアルに則りこれ以降の危機に対処する」
「……!了解!」
後方警戒のハンドサイン。まずはコイツを利用して死角を潰す。フタツキは無言でそれに応じる。
「2回以内に従わねえなら撃つ。手を頭の後ろに組んでその場に伏せろ」
「……」
フタツキを後ろに下げる。傾いた日の光を右半身全体に浴び、それでも尚黒々と玄関先に聳え立つ浮浪者は依然微動だにしなかった。
タイミングは偶然じゃない。更に言えば下手人は正常性維持機関じゃない。
やり口と仕掛け時から想定して同業者か、或いはその上位互換である線が濃厚だろう。完全に奇襲された。この後何がどう動こうが、俺たちは完全に後手に回る。唯一絞り込めないのは「俺とフタツキのどちらが目的か」くらいか。
「後方警戒を維持。ケツ叩いたら階段の方まで撤退しろ」
「了解です」
「会敵時は警告なしの即時無力化を許可する」
万が一を考えるべきだ。仮にこのオッサンを先鋒とした不特定多数人の徒党が施設を完全包囲していた場合、裏口から別働体を差し向けない理由が無い。フタツキは今や唯一の死角補強要員だ。使ってどうにかなるかではなく、使わないと不味いからしっかり有効活用しておくに限る。
目的は俺か、或いはコイツか。それともクライアントか。まさかの人違いか。恨まれる理由ならいくらでも挙げられるがフタツキに関しては何も知らない。ともあれ
「最終警告だ。両手を頭の後ろに組んでその場に伏せろ」
「……」
このまま“敵”の思い通りになってやるつもりは、無い。
発砲。脳天に1発。男は膝から崩れ落ちて俯せに倒れた。無力化自体は完了したがどうにも嫌な予感がする。
「クソが」
「まだ後方警戒ですか!?」
「一度奥まで退く!可能なら裏口経由で脱出の──」
「──賽さん!!」
遠くなっていた意識を引き戻す。
胸中で心肺蘇生装置が作動していた。しばらく呼吸が止まっていたらしい。気が付けば両脇に手を回されたまま仰向けに引き摺られていた。胸部が死ぬほど痛むのは死んでいない証拠だ。フタツキがこうして無事なのは俺が何かに対する盾となったせいらしい。
訓練通りの救助姿勢。腰への負担を軽減しつつ、患部の悪化よりも危険地帯からの撤退を第一とした効率重視の運搬方法で俺を引き摺っている。フタツキに救護関連の技術と優先順位を叩き込んでおいて正解だった。教えていなければ俺諸共フタツキまで死んでいる。
玄関の方では濛々と粉塵が待っている。ただならぬ熱気と壁の所々に見受けられる焼き付き痕から察するに、俺の意識を飛ばした原因は十中八九アレだ。
「爆発か?」
「死体が破裂して玄関が吹き飛びました!!その後2人突っ込んできたので無力化してます!!出血は!?」
「無い。自分で立てる」
無関係の一般人を現地徴用して作った人間爆弾。存在自体は前から認知していた。悪性ミームをバラまいたり感染性兵器の中継器として機能させたりといった別パターンの徴用兵器の噂も耳にはしていたが、まさか本当にこの目で見る日が来ようとは。
Vz61は手放していない。チャンバーチェック。装填済み。収音機能を最大出力で発揮して足音と呼吸音を集積した限り、既に一部崩落した正面玄関のすぐ傍に何人かとりついているらしい。
「10人以上いる。完全に俺ら目的で来てんな」
「何でですか……!?」
「俺が知るか!!兎に角動くぞ!」
とりあえず西階段手前の曲がり角まで退くことにした。痛みはあるが歩行と走行自体は問題なくこなせる。俺が気絶している間に制圧したのか。廊下には確かに私服姿の2人と、何故か西洋風の両手剣が2本転がっていた。片方は完全に頭部を射抜かれているが、もう片方は弱々しくも這いずり回るだけの余裕があるらしい。こちらのことなど意にも介さず玄関の方を目指している。
「1人目と違ってこの人たちは爆発の気配無かったです!剣は多分アーティファクトなので触ってません!」
「アレ単体に特殊な攻撃能力は無いかもな」
セーフティ解除。生きてる方の脳天目掛けて3発叩き込む。今度こそ完全に事切れた。頭から大量出血しているもう片方にも追加で1発撃つ。
「超常の行使者とアーティファクト持ちは2度と動かなくなるまで攻撃しろ。意識さえあれば人を殺せる連中だぞ」
「あっ……!えと、賽さん助けるので失念してました……」
「だがよく撃った」
相変わらず判断自体は早い。味方1名の生命保護を最優先に動きつつ、その途中真正面からやって来た危険要素は早急に排除しようと動いている。おまけに今回は失禁も号泣もしていない。前回との相違点といえば「正しいことをした」と肯定してくれる誰かが隣にいることだろう。一番危惧していたパニック化と、それに伴う大幅な戦力喪失は回避できている。
殺人に正しいもクソも無い。殺人が齎した結果に正と不正が宿る。結局俺がトドメを刺したにせよ、フタツキの選択は俺とフタツキ自身を生かした。例え誰かがコイツを扱き下ろそうとも、その結果と正しさが変わることは無い。彼女自身がそれを自覚しているかはさておき、少なくとも最初期のような動揺や迷いは見受けられなかった。
「どうしましょう。裏口の方から逃げますか……?」
「この人数差でおっ始めて裏口固めない馬鹿がいると思うか?」
「あわ……!え、あの、あのもう私たち駄目では……!?」
「2階に上がって侵入経路を絞る。十分望みのある迎撃戦闘に引きずり込むぞ」
玄関の曲がり角に動く陰アリ。散発的な射撃で敵方の頭を引っ込ませる。同時にこちらも角のより安全な場所まで下がった。
「階段2本ありますけど大丈夫ですか!?」
「登り切ったらここを爆破して東階段側に敵を集中させる。敵の到達までにこっちの優位を確立しなきゃな」
「袋のネズミになりませんか……!?」
「そうならんよう袋に穴開けておくまでがセットなんだよ!次が来るぞ!」
玄関の向こう側まで何やら騒がしい。そろそろ煙が晴れる頃合いだ。このまま人数で押し切れば勝てる相手だというのに何をそこまで手間取っているというのだろう。
──と、逡巡していた瞬間だった。ドタバタとした足音。これまた浮浪者風の男を先頭に、先程と同じようなロングソードで武装した私服が2人。煙を突破してこっちに突っ込んでくる。2人で射撃体勢に移行する。
「奥の奴から撃て!!!」
「ぅ撃ちます!!!」
人間爆弾の発動条件は爆弾本人の生物学的な死と仮定しておく。今射殺しても足元に転がり込んでから自爆される可能性がある。というのをフタツキが考えているかどうかは解らん。故に俺が浮浪者を撃つ。斉射開始。32口径で統一された甲高い発砲音が廊下一杯に響き渡る。
腹部に数発打ち込み、とりあえず人間爆弾の方は廊下の中腹で転倒させた。が、それを軽々飛び越え、半狂乱で剣を振り回しながら突進してくる連中は──
「わっ、わ、わ!!」
フタツキが倒すつもりだったらしいが今回は一発も当たっていない。距離4m。Vz61の近距離掃射で1人斃し、今まさにフタツキ目掛けて刃を振り下ろしにかかるもう1人の横っ腹には回し蹴りを叩き込む。
「ボサッとしてんじゃねえ!装填!」
崩れ落ちた下手人の首を踵落しで叩き潰す。フタツキのすぐ足元で頭部を変な方向に捻じ曲げ、男は完全に事切れた。一瞬でも後悔や迷いの隙を与えないために装填作業を終えたまま目を見開く相棒を襟首引っ掴んで階段に促す。平時なら常にクレーバーでいてくれる以上何が何でも平静を保たせてやるべきだ。
「寝室から家具引っ張り出してバリケード構築!!かかれ!!」
「了……っ解!!」
クソッタレ!!本当に嫌な賭けになるがこれしか打開策はあるまい!!バリケードの構築なんか一度も練習させていないが、一応重量物の運搬作業自体は日常生活の中で何度もやらせた。鍋類の整理整頓、廃棄発電炉のフィルター交換……いやあまり重たくなかったかもしれない。常人の考える重量物ってのがよく解っていない。解っていないがここはフタツキを使う他無い。階下から断続的に迫る未知の脅威に2人して、またはコイツだけで対抗するには無理がありすぎる。
ドタバタと階段を駆け上るフタツキを尻目に、弾倉内に残る10発程度を玄関先目掛けて一気に吐き捨てた。終えた瞬間から4人がいっぺんに押し寄せてくる。やはり数で圧倒すれば一発でどうにかなる状況だというのに小出しに送り込みやがって。こっちの弾切れを狙って陽動作戦に走っているとするなら大した腕だ。人的ロスがデカすぎる。損害の交換比を考えればこちらの優勢としか思えない。
人の事を言える程出来たフリーランスでも無いが、少なくともこんなド素人集団相手に犬死になんてした日にゃ死んでも死にきれない。否、こんなところで死んでたまるか。
「──ニット帽だ!!」
「フタツキどこだよ──」
こちらと目を合わせるなりいきなり動揺し始めやがった。残弾も残り少ない弾倉を上着のポケットにねじ込み、ケツポケットに仕込んでおいた予備のマガジンを手早く差し込む。胴体ガラ空きの先頭1名をセミオートの数発で撃ち抜く。敵が利用できるような遮蔽物は無い。動揺のあまり立ち往生していたもう1人もまとめて撃ち殺す。慌てて外へ逃げ出そうとした奴をケツからハチの巣にする。
屈辱ではあるがフタツキ程的確に照準を定められない。弾が勿体なさ過ぎる。再び装填。その隙を狙って突っ込んできたらしい2人をまとめて撃ち殺す。
常に薄暗い屋内からでは玄関周辺の外壁沿いに待機している敵の予備戦力を大まかにしか把握できないし、フタツキの思慮した通りこのままじゃ俺たちは袋のネズミだ。加えてこちらは実包ありきの銃火器装備。「敵と弾薬のどちらが先に尽きるのか」という不安に終始晒されながら戦う羽目になる。そういう意味では無駄弾を吐かせる策としてある程度貶められている気がしなくもない。
「……終わりかカス共!!次はこっちから仕掛けるぞ!!」
流石に返事は無い。Vz.61の予備マガジンは今使ってるのが最後。フタツキのショルダーバッグには20発入りを4本預けてある。トータル140発も携行して動くなんてのは地味にコレが初めてだが、それでも弾薬が足りるかどうかは怪しい。本当に勘弁願いたいものだ。粉塵の目くらましがそろそろ切れる頃合いと見て、脇の下に忍ばせておいた煙幕手榴弾を投擲する。たちまち赤い煙幕が玄関付近に滞留し、外部での騒ぎが一層激しさを増した。襲撃開始から4分程度が経過している。
手の内はまだ明かし切っていない。まだ勝てる。勝ち筋はこっちで作れる。
「──賽さん!!」
「何かァ!?」
「もう少しで完成します!!」
ほぼ同時に携帯端末が振動する。敵も痺れを切らしたか、今になって裏口が突破されたらしい。未だ騒がしい玄関方向へ再度3発ほど叩き込み、ついでに別目的で忍ばせておいた白の発煙筒を裏口の方目掛けでフルスイングで投擲した。直ちに玄関方向へ振り返り、まだ生きているらしい人間爆弾の位置を再度確かめる。
この位置なら問題なさそうだ。
「撃つなよ!今からそっちに上がる!」
廊下の中腹で突っ伏していた爆弾の頭部を角越しに、撃つ。今度は着弾と同時に大爆発した。衝撃と熱で顔が焼けそうになる。急いで階段を駆け上がる。足場は崩れていない。玄関側に続く廊下のフローリングは結構な範囲で消し飛ばせた。
裏口に通じている通路からは既に複数の足音が近づいてきている。何だかんだで弾は結構消費してしまった。耳を立てた限り残る敵数は12、3人程度らしい。仮にこの襲撃を乗り切った先で更に別の攻撃を加えられた場合果たして生きて帰れるのか。
「フタツキ!!」
「こちらに!!」
今考えるべきは目先の脅威の無力化だ。クソッタレ。出来ることならさっきの煙幕で立ち止まれ別働隊。
踊り場まで上がり次第、2階廊下まで一気に飛び上がる。同時にフタツキから投げ渡された金属製の立方体を受け取り、そのケツから延びた布切れを取り外して踊り場へ投げた。壁で跳ね返り、踊り場を越えてそのまま階下に落下していく。
「──連中上に逃げたぞ!!」
視認は敵わなかったが敵の一部が真下に到着したらしい。直後に衝撃音。手榴弾が起爆した。怒号と呻き声がひっきりなしに聞こえてくる。
白街は日系人自治区で手に入れた奇跡術式爆薬D型。破片を撒き散らす従来の手榴弾とは異なり、爆発範囲内のあらゆる事象に破壊作用を齎す術式を施された名品。定価2500日本円。爆風や投手への被弾を極力抑えてくれる上に、コンクリだろうが鉄筋だろうが効果範囲内なら何でも破壊してくれるというかなり美味しい特性がある。例の人間爆弾にも恐らく同じ類の術式が施されている。
血と撒き散らされた臓物の臭いが充満する。階下からは未だに混乱の声が聞こえてくる。フタツキは第一に俺を助けた。それもあの状況下に置ける最良の方法で。新人で経験不足で自分の命は一丁前に惜しい癖に、真っ先に人命救助に走った上に立ちはだかる脅威にはたった1人で立ち向かった。それに比べてお前らは何だ。一周回って見てるこっちが辛くなってきたぞ。
「ド素人が!!」
人の事は言えない。俺だって階段の破壊を目的としていながらその成否を判断できていない。念のためもう一発手榴弾を投げた。これで最後だ。東階段の側から改めて敵が上がって来た場合はVz61とフタツキの拳銃でしか対応できない。
複数の怒鳴り声が次第に遠ざかって行った。完全に聞こえなくなったわけではないが、ひとまず侵入経路を絞る作戦自体は成功しているらしい。今のところ一番デカい規模の足音が階下から次第に離れていく。
「……使えなくなったみたいですね」
「向こうの階段から上がって来た連中の人数規模を見計らって、ある程度撃ち合った後に煙幕ぶん投げて飛び降りる。正面玄関から例の経路を逆走して取り合えず市街地に出るぞ」
「この状態でですか?降りた後の通報とか……」
「どの道ここに留まってりゃ後が無い。殲滅可能なようであれば全員殺してさっさと下山だ」
バリケードを見やる。勉強机と椅子で構築された簡素なモノだったが、腰の丈より少し高く積み重なった厚みのある構造は有難い。敵が銃火器ナシで近接格闘用の武器に頼り切りな弱小武装集団であるなら尚更だ。それに2人で籠城するには丁度いい広さが確保されている。構造の甘くなっている場所を指差し、中途半端に運び込まれていた別の家具類を手分けして積み上げていくことにした。
「悪かったな」
「……何がですか?」
「いきなり教えてもいないことを」
「合宿してた人たちの真似したら意外とどうにかなりましたね……」
なんだかんだで俺以外からもキッチリ学んでいやがった。予想外の返答に思わず笑ってフタツキのバッグに手をかける。
「お前フリーランス向いてるよ」
「初めてそんなこと言われました……」
「言ってなかったからな」
束になってまとまっていた予備のマガジンをズボンの隙間にねじ込んでいく。ついでに今の弾倉も交換した。これで手持ちは90発そこそこ。岩井荘に侵入した敵だけならフタツキの援護もあってかなり善戦できる。
「言ったら取り返しが効かなくなる」
「どういう意味ですか」
「この先一生戻る機会を失うぞ」
廊下を走り回る音が遠く響く。ここに来てようやく静かな時間が訪れた。
フタツキは黙々と予備弾倉の状態を確認していた。その横顔は未だに真人間のようにも思えて、同時に俺が今まで見てきた前線フリーランスと同じ暗さも垣間見える。
まだ、間に合う。それを何となく察した瞬間意図せず言葉を発していた。
「2週間かけてお前を変えた。捻じ曲げたともいえる」
「……私が望んでやったことです」
「俺も望んでやったことだ」
「何が言いたいんですか」
俺の影響なんだろうか。慣れ親しんだ奴にはいきなりこうなるのだろうか。フタツキの返しを少しだけ恐れた俺がいる。それでもこれだけは言うべきだった。
「経験した通りだ。超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。それでもやるつもりか?」
ついにその手元が止まる。
フタツキは無表情に自分の獲物を見下ろしている。照準の示す先は虚無だったが、既にその銃口は他人に向けられ、あまつさえその命を奪っている。それらを考慮すれば本当に今更の余計な一言だったわけだが、多分俺が本当に伝えたいのは、確認したいのはそういう話じゃない。
「お前の本質は確かにこっち側だし、それを承知で引きずり込んだのは他でもない俺だ。それでもお前には外道を選ばない道が残されている」
「……賽さんには無かったんですか。独りで戦う以外の道って」
「超常だぜ?俺は。それ以外に何が残されてたんだよ」
[加筆]
「生まれた瞬間から手遅れだった俺とは違う。何人殺そうがお前はバケモノになれない」
「」
無限にも思える沈黙。それを打ち破るかのように、前方から複数の足音と罵声が聞こえてくる。
お互い余計なことを考えている暇は無かった。切り替えて立ち上がる。
「斉射したら下がれ」
「了解!」
フタツキが牽制射を開始する。それが一段落したあたりで
「弾切れ!!!降参!!!投降する!!!」
わざと聞こえる声で叫んでやった。びっくりしたフタツキが軽く悲鳴を上げる。
敵は愚鈍で経験不足。案の定私服の5、6人が両手剣をガッチリ握り込んで一斉に突っ込んできた。全員素人とはいえど本当にとんでもない規模の部隊だ。10人以上の頭数を揃えて俺達2人を狙うなんざ馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
上等だ。来るなら全員ブッ殺してやる。剣や魔法が32口径に勝てると思うなよ。
「迎撃開始!1人も生かして返すな!」
「撃ちます!!」
身を乗り出してセミオートの斉射を開始する。バリケード手前で2人倒れた。交戦距離凡そ15m。フィジカル次第では2、3秒程度で走り抜けられる間隔。
大きな音を立ててバリケードに伸し掛かって来たもう1人に残弾全てを叩き込む。再装填。腰を抜かして撤退を始めた残党のケツを撃つ。それよりもフタツキの射撃精度が目に見えて向上していた。俺よりも圧倒的に少ない発砲で立て続けに2人殺している。そこらの軍人や自衛官崩れでもここまで正確な射撃は出来ないというのに。
突撃に及んだ6人全員を無力化した。いくらこの空間の周囲が歪曲していようともこれだけ発砲音を響かせれば周辺の警察や正常性維持機関にも気づかれかねないが、どうだっていい。生きてここから出た後に考える。中途半端に使い切った弾倉をフタツキに手渡し、この短いチャンスを使って空の弾倉に弾を詰め込ませる。その間にも散発的に弾幕を張って敵の頭を押さえ続けた。
「あと何人くらいですか!?」
「5人かそこらだ!火力でどうとでもなる!」
言い終えるなりフタツキは立ち上がり、両手でしっかり拳銃を構えて発砲した。階段付近の曲がり角から少しだけ露出していた頭部が後方の壁目掛けて血飛沫を吹く。衝撃のままにふらついて全身を露わにした敵を、今度は2回の発砲で正確に射貫いた。動かなくなった頭部に更に2発。
「……よし!」
「行けるなコレは」
頃合いだ。Vz.61を投げ渡し、こちらの階段のチェックに移る。
「セミで撃ちまくれ。10秒くらいかけて連中の頭を押さえ続けろ」
「何か策が……!?」
「階段飛び降りて逃げるんだよ。合図したら発煙筒ぶん投げて俺に続け」
「!……了解です!」
けたたましい発砲と排莢を背に踊り場一歩手前まで駆け降りる。1階から踊り場まで凡そ5段ほど削れていた。その周辺に血塗れ死体が3つ。フタツキを抱えたまま俺が飛べばどうってことは無い状況だ。どうとでもなる。
「どうでした!?」
「イケる。一呼吸入れたらやるぞ!!」
「了解です!!」
弾切れのVz61をこちらに投げ渡し、フタツキはP230-JPでの射撃にシフトした。床に散らかった使用済みのマガジンを回収し、装填中の肩を叩く。
「発煙筒用意できてるか!?」
「……駄目」
「は!?」
「──賽さん駄目!!!」
階段を降りかけていた瞬間。聞き返す暇も無かった。
背後。フタツキの真正面。幾重にも重なり合った爆発音がほぼ同時になり響く。
足裏の圧が消える。
意識が回復する。本日3回目の起床。またもや即時回復機構で跳ね起きる。
どうやらガチの気絶をやらかしていたらしい。胸部に加えて体の節々が痛んだが四肢の欠損は無い。床が床じゃなくなっている。瓦礫の上に寝転がっていた。
「……崩落したのか!」
転がっていた連中の死体が一斉起爆したらしい。結果的に2階床、もとい1階の天井は一部区画が完全に崩落し、階段を駆け下りかけていた俺はその余波を食らう形で1階に転落した。頭がグラグラする。出血はしていないが後に長びきそうな打撲箇所がいくつもある。一応防弾仕様の脳核の中で明らかに揺れてはならないモノが揺れている。
違う。そんなことよりもっと大事なものがあった筈だ。
「……フタツキ!!」
怒鳴る。返事は無い。周囲にそれらしきモノは落ちていなかった。
最悪だ。最悪に最悪が重なっている。俺が暫定的に『爆発しない戦闘員』と定義していた連中もまた人間爆弾だった。俺たちの中から「浮浪者を使用した人間爆弾」のカードが完全に消えるまで戦闘員を送り込んでからの一斉起爆。弾切れをエサにおびき寄せて射殺しまくった結果がコレだ。カオス・ゲリラみたいな真似しやがって。俺ら相手にここまで人員ロスが発生したらもう絶対に採算なんか取れないぞ。
違う。今はフタツキのことだけを考えろ。回収してさっさとこの場を退く。敵わないようなら安全が確保されるまで戦う。それしか道は無い。Vz.61はどこかにすっ飛ばしたが、まだ腰に忍ばせたPPKが残っている。その予備弾倉も3本。合計28発と近接戦闘用の兵装がある。
兵装はあるが、肝心の護衛対象が見つからない。
「どこだフタツキ!!!」
「──上ですよ上」
良く通る男の声。反射的に廊下の奥に振り向く。PPKを構えて待機した。
「貴女の真上です」
射撃姿勢を維持したまま直上を見上げる。辛うじて残っている2階廊下の一部区画、先程までバリケードで守られていたエリアの淵から、見慣れた足が2本揃ってぶら下っていた。
フタツキだ。
「……ッ!」
生死は確認できない。そしてこのまま放置するのは本当に不味い。万が一心停止でもしているようなら今すぐ蘇生しないと取り返しのつかないことになる。爆破によるダメージをどこまで受けているのかも不明だ。バリケードに凭れ掛かる形で死んだ奴が1人いたが、アレの起爆で椅子やら机やらの破片が撒き散らされていた場合、既に死んでいるか、早急に手当てをしなければ数分も経たずに死なれる線もある。
「『ニット帽でギョロ目で横髪が長い少女』……」
「……」
「イズメの教え子ですか」
何はともあれ位置が位置だ。コイツをどうにかしない限りはフタツキを回収できない。廊下の奥から徐々にその輪郭を表し、Tシャツ短パン七三分けのクソメガネはその姿を露わにした。
「本当に少女だったとは驚きです」
「バイオロイドと呼べ」
クソメガネがメガネの位置を直す。壊滅的に似合っていない水色のシャツと柄物のズボン。そしてサンダル。アホみたいにワックスを塗りたくったテッカテカの七三分け。
そして全長30cm程度の小ぶりな杖。恐らく、というか十中八九奇跡術ユニットだ。
「どっちが目的だか知らねえけど好き勝手やってくれたな」
「賽、フタツキ両者の殺害を作戦目標としています。好き勝手はさせていただきました」
「大赤字扱いてまでやるかよ普通」
「彼らは実質タダ働きみたいなものですから。頼みの綱の“殉教徒の剣”がポンコツ過ぎて少し手間取りましたが、まあ結果オーライとさせてください」
「誰に何の評価を求めてんだメガネ。七三。ダサTシャツ」
ムカつく野郎だ。いつでも確実にフタツキを屠れるであろうこの局面で平然と俺に話を吹っ掛けている。舐めやがって。
そしてよく見れば装備品の規格が違いすぎる。フリーランスの奇跡術者が一式揃えているような武装じゃない。握られたタクトタイプの杖は以前カタログで見かけた200万円相当のモデルだ。加えて人数分の洗脳用アーティファクトと、赤字覚悟であの頭数を揃えるだけの余裕。そこから予想される答えはただ1つ。
「……フリーランスじゃねえな?」
「申し遅れました。わたくしトラロック傭兵団第三特務小隊所属の」
言い終える前に1発ブッ放す。弾丸が着弾手前で爆発した。敵は無傷だ。
「……砂利如きが下手に手を打っても無駄ですよ」
敵はフリーランスじゃない。広域指定超常組織。要注意団体だ。
何だって俺達2人相手に天下の要注意団体様がこんな大規模攻撃を、と事情を知らない奴ならツッコミかねない。事情を知った上でツッコんでやりたかったのはさておき、大部隊を投入したがるような連中とその理由について心当たりが無いわけではない。
おおかた「7年前に行方不明になった元機動隊員を探している少女」の遭遇情報そのものが巡り巡ってコイツらを寄せ付けたのだろう。イズメの娘が超常界隈に殴り込んできたと解釈されても不思議じゃないし、実際それは先生の娘だった。ついでに俺達はほぼ毎日早朝の白街を走り回っている。顔や素性がいつ特定されたっておかしくは無かった。
非異常最強の伝説。その血を継ぐ実の娘が最後の生徒たる俺を伴い、1年間の空白を破って突如この世界にやって来た。危険因子と判断するのも当然だ。イズメ先生が齎したパワーバランスの変遷、それに伴う各組織の勃興や壊滅、改革は、アジア圏に蔓延るあらゆる悪へ少なからぬ辛酸を舐めさせることとなった。連中にとって先生はトラウマの根源だ。過剰火力を以てしても消し去りたいのは解らんでもない。
コイツらもその類だ。広域指定超常組織“トラロック”。拠点は台湾。主な稼業は傭兵と用心棒とフリーのパラテロリズム。コブウェブ・インターナショナルグループの自称宿敵。強力な資金源を有しているらしいが、進出後間もなかった日本支社は先生の襲撃と財団による追撃で壊滅している。
壊滅しているが敵は自腹を切らずに高精度の奇跡術ユニットを振るう傭兵。それでもやるしかない。何もかもが桁違いってわけじゃない。奴は奇跡術者で俺は超常兵装を多数搭載したバイオロイドだ。超常性を武器にしているという点では同じ土俵に立っている。
「フリーランスってのはどうにも苦手でしてね。貴女みたいな中途半端に強い弱者は特にそうだ」
「そのフリーランスが怖くて人間爆弾の大量投入に踏み切ったってか呪術師」
「アレについては単純な見せしめも兼ねています。ついでに商売敵の処理もね」
「商売敵?」
「貴女も良く知っている方々ですよ」
術師傭兵が何かをこちらへ投げ込む。
フローリングを凹ませて転がり込んでくるボーリング玉サイズのそれを注視した。そして目が合う。
「マジか」
アクトク人材派遣の社長じゃねえか。
開け放たれたままの近場のドアに飛び込む。爆風を壁越しに受けながらPPKを再装填した。残弾数21発。ヘッドライトを点灯状態のまま部屋の片隅に投げ捨て、半開きのドアのすぐ横に待機する。
「貴女がたフリーランスのおかげでこの十年、アジア全域の傭兵稼業は市場を圧迫されて久しい!!我々は認可済み企業団による傭兵業界の整備と独占を目指す!!」
「アピールがてら格下のフリーランス狩りかよ下らねえ!!国に帰って本土防衛でも考えてろ!!」
久方ぶりの対超常戦。セオリーはただ2つ。「全力で逃げる」か「火力で押し潰す」の2択。今回は両方とも敵わないから経験則頼りの一発勝負で戦う他なくなっている。
半強制の肉体操作はアーティファクトによるもの。敵本来の能力は遺体の爆弾化、そしてユニットによる未知数の奇跡術的な攻撃。そして当然のように持ち合わせている弾丸の無効化術。以前単独で仕留めたスシブレーダーの“銃弾の握り”にはかなり苦戦した。指向性を持った一定値以上の速度と質量が射程圏内に入ると自動発動する類の技。同じ理屈で作動しているならブレーダー同様に近接格闘が刺さるかもしれない。拳速なら術の発動条件を満たさずに済む。
フタツキの情報収集ついでに用済みと判断したのだろうか。今まで殺して来た連中はアクトク人材派遣の社員やその周辺人物だったらしい。トラロックなら一斉に拉致して徴用なんて真似は朝飯前だ。連中はシリアやカザフスタンで訓練された人攫い専門の特殊部隊を抱えていた。
ドアを蹴破る脚。先程ぶん投げたヘッドライト目掛けてクソメガネが杖を構える。見事に釣られやがった。真横から手首を蹴り上げて獲物をハジく。
「あっ」
最大脅威であった奇跡術ユニットを空中でキャッチし、室内の更に奥の方へ投げ捨てた。
今の挙動で何となく把握したが、装備品と術自体はそれぞれシャレにならない反面コイツ自身が単純に弱い。そして実戦慣れしていない。銃口や術ユニットを出入り口からそんなに露出すれば奪われて当然だろうに。フリーランスへの私的な恨みはほぼ逆ギレなんじゃねえのかこれ。
「不覚!」
「うっせえボケ!!」
決して当たらないとは知りつつ拳銃の連射で牽制し、その隙に空いた左手で顔面を1発ぶん殴る。辛うじて防がれた。しかし右前腕は派手に折ることが出来たらしい。手首が変な方向に曲がっている。
次で仕留めてやる。土手っ腹に蹴りを叩き込んで廊下まで押し返し、背中に隠し持っていた折り畳み式の登山用ピッケルを展開して突っ込む。火器持ちを発砲せずに無力化する上でずっと重宝している装備の1つだ。鎌のような形状は敵に慣れる隙を与えることなく攻撃を成功に導いてくれる。
壁に凭れ掛かった標的の脳天目掛けて一振り。互いにガタが来ているせいか頭蓋は外れた。外れたが左鎖骨のくぼみには突き刺さっている。もっと深く刺されば致命傷だ。2撃目は無い。あとはこっちの筋力だけで押し切る。
「フリーランス如きがこの私を……」
「この期に及んで痛覚遮断魔術かよクソメガネ」
流石に焦り始めたか。傭兵はまだ動く左腕でこちらを掴みにかかる。その指先に噛み付き、手のひら側の肉を顎の力1つで引き千切った。ピッケルを手前に引く形で体制を崩し、、中段前蹴りで胸骨のすぐ下を叩き潰す。内臓系は恐らく全損した。崩れろ。倒れろ。今突き刺さってるモン肺まで捻じ込んでブチ殺してやる。
「大間違いだ!!」
膝の力が抜け落ちる。
「……?」
「……惜しかったですね。本当に」
クソメガネの腰元。硝煙。コルトガバメントの銃口。
至近距離で45口径弾2発を叩き込まれた。ここに来て初めて銃のご登場らしい。
味方全員に両手剣を装備させて“銃”というありふれたカードを思考から完全に消し飛ばし、このタイミングで確実に致命傷を叩き込む。浮浪者爆弾のブラフとミスリードを食らっておいて更に手札の読みで負けた。常日頃から銃の脅威を想定して銃に頼って来た結果がコレかよ。
──フタツキ
「フタ……ツキを……」
「お!?」
違う。まだだ。まだ意識を飛ばすな。
互いにほぼ膝立ちの状態で銃口と目が合う。腹から下の再起動はまだ間に合わない。ウンコハゲの時ほど復旧に時間はかからないらしいが、それでも全力で動けるように構造変更が為されるまではあと30秒近くかかる。
銃口に手のひらを押し当てた。内側の肉を噛み千切られた手で握り込んでいたせいかすぐに抜け落ちる。引っ掴んで廊下の向こう側にぶん投げてやったが、代償として顎に頭突きを食らう。今ここで平衡感覚を失うわけにはいかない。
いや失ってもいい。しかしどうせ俺が失うくらいならコイツにも同じデバフを吹っ掛けてやるべきだ。
左腕武装解放。光音波複合型鎮圧ミームエージェントを執行。
小規模な空気放電のような音を放ち、俺とクソメガネは同時に頭を抱えて跪く。
「何を──」
「こっち向いてんじゃねえボケ!」
プロトタイプで半ば失敗作の俺には抗ミーム措置が施されていない。よって対人用の速効性鎮圧ミームを一度使用すると俺にまでダメージが入る。とんだクソ設計だがクソなりにクソミームの性能は良い。クソメガネがしっかりゲロを吐き散らかしている。俺も負けじとゲロを吐く。2人して撒き散らしたゲロがマーブル模様を描いて床を舞う。
修復終了。腹の傷は痛むが神経系と循環系のバイパスは即席で最適化された。立ち上がり、目の前でゲロを吐き散らかすゲロメガネの頭を蹴り上げる。ゲロ飛沫と共にメガネが宙を舞う。マジで似合っていない水色のシャツにゲロの飛沫がプリントアウトされる。ゲロメガネからただのゲロに成り下がった。
ほぼ垂直に突き刺さっていたピッケルを強引に引っこ抜き、振りかぶる。これでトドメだゲロ野郎。
「死ねやゲロカス!!」
「貴様こそッ!!」
頭を叩き割りにかかった瞬間だった。顔面に肉っぽくて骨っぽい何かが撒き散らされる。
計5体分。ハツカネズミの死体。
死体。
同時に起爆したそれは俺の顔面を漫勉なく温め、小型の死体爆弾は周辺酸素を巻き込む形で奇跡術的破壊作用を齎した。
形成が逆転する。もう互いにゲロまみれで形勢逆転もクソもあったもんじゃないが、2週間前のアレと同じだ。僅差で敵が勝っている。僅差で俺が負けている。
完全に詰んでいた。次のネズミ爆撃、或いはそれに相当する攻撃で、俺は完全に斃される。
万策尽きた。拳銃弾は恐らくこの距離でも防御される。ピッケルを振る余裕も体力も無い。Vz61も無い。D型手榴弾も全て使い切った。
フタツキは来ない。
超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。
何を掲げて何を携えようとも一度名乗ったが最後。何処で何をしようとも命は保証されず、行く先々で敵にも味方にも疑心の念を抱かれ、あらゆる不条理を受け入れながら生きる事を強いられる。
あなたの言う通りだったよ先生。俺の言った通りだったろフタツキ。
ロクでもないよな本当に。散々偉そうな口叩いておいてコレなんだから。
目の前の脅威から逃げ隠れするだけで根本的な原因に抗うことを知らず、自分で抱え込んだ孤独と不条理を疑わず、環境と時間に流されるだけ長されて今日まで生きてきた。それが俺だ。それが超常フリーランスだ。俺たちは何時だって孤独に戦い、孤独に解釈し、理解し、孤独に死ぬしかない。
「フタツキは来ない」じゃない。俺が殺したんだ。
フタツキ。俺は死ぬ。お前に一生続く孤独を刻んでしまう。先生が俺に刻み付けたような孤独を。お前に。
俺はお前を守り切れなかった。
「──ざっっけんなッッ!!!!!」
瞬間。
術師傭兵の右眼孔に、灰色の銃口がめり込む。
P230-JP。鬼神の如き風体で鮮血を撒き散らし、術師傭兵の肩に覆い被さる形で
“それ”ははるか直上から飛来した。
マズルフラッシュ。術師傭兵の右目が消し飛ぶ。短く野太い絶叫と共にふらついて後退する。同時に強襲者も俺の真横に飛び退く。
まだ生きている。術師は脳死に追い込まない限り純粋な脅威であり続ける。最悪の場合外界観測手段とその認識機構だけが残っていれば術が撃てる。今ここで確実にブッ殺さなければならない。
「フタツキ!!!!」
無意識にそう叫んでいた。無意識にピッケルを投げ渡していた。
視線の交差も無ければ、口頭での打ち合わせも無い。無自覚に完成された連携と判断。1つの戦闘機構としてその真価を発揮する、2者間の信頼。
味わうのは1年ぶりだ。孤独以外の感情。利用や誘導ではない他者との関り方。
今、俺の隣にはコイツがいる。
同時に駆け出した。フィジカルの都合から先に俺が接敵する。大量出血しながらも予備の奇跡術ユニットを構える術師傭兵の顎を掠めた。平衡感覚を奪ったのち後方から組み付き、頭部に絡みつかせた両腕を無理矢理広げる。術師の顔面は180°回転した。後頭部が身体の真正面に晒される。観測範囲を極力潰すように顔面を極力胸に押し当てる。
一閃。すれ違いざまにピッケルのブレードは首の付け根から深々と突き刺さる。
術師は即死した。死亡後の爆発も覚悟していたが、どうやら自分自身の爆弾化は怠っていたらしい。遺体をその場にほっぽり出して大きく息を吐く。
ボロボロに千切れたタクティカルジャケットをマントのように羽織り、フタツキは頭部からの流血を押さえながらこちらに振り返る。無言で右手を上げてこちらに近づいてきた。
「フタツキ、ごめ──」
「馬鹿か貴女は!!」
思いっきり左頬を引っ叩かれ、軽く後退した。
眩暈がする。何だコレ。高くなった天井が回って見える。ハイタッチとかそういうのじゃなくて?そもそもアレだけ床が崩落してるのに何で直上から奇襲なんか出来たんだ。というか
お前ちゃんと生きてんのかよ。
「1度ならず2度までも!!私の目の前で!!!」
「待て。待てって」
再び左頬にダメージ。予想外のグーパン。追加の肘。鼻血を吹き出して床に倒される。
胸倉を掴まれ、そのままお構いなしに引き起こされた。びっくりしすぎて腹の傷の痛みを処理し切れていない。フタツキは額の殆どを血で染めながら一気に顔面を寄せる。
「貴女はもう孤独じゃないだろうが!!!」
返す言葉が見つからない。
彼女の言葉が正しいと、少なくともその瞬間は、そう思えてしまったのだから。
少しだけ嗚咽した後、フタツキは俺の患部スレスレの位置に腰を下ろす。
「やめてくださいよ。独りで死ぬなんて」
言い終えたとたんに顔をうずめて泣き出しやがった。反射的にその頭を抱き寄せてしばらく固まる。
クソメガネの血で濡れた手の平。埃と出血でボロボロになった後頭部をさする。
初めて触った自分以外の女の髪の毛。抱き寄せた他人の体躯。鼓動。
温かい。
先生とは少し違う。コイツは何か生きている感じがする。
誰かと生きている感じが、する。
:
超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。
何を掲げて何を携えようとも一度名乗ったが最後。何処で何をしようとも命は保証されず、世界の全てに疑心の念を抱かれ、あらゆる不条理を受け入れて生きることを強いられる。
そんな世界でただ1人。嘘も吐けないまま銃を手に取り、他人の生き死如きに泣き腫らすような奴を守らなければならないとするなら。
金と孤独の連続しか知らない俺は、どうやってそれを抱き締めるべきなのか。
死臭とカビの臭いに包まれ、埃っぽい暗がりの中で座り込むだけの俺には、まだ何も解らない。
── 01 ──
ENCOUNTER-S
文字数: 61419