何かが欠落していた。
警報音。同期訓練生2名との連戦を終えて0.75秒目。残り持ち時間8分51秒。
教官用ホワイト・スーツの靴底が曲面ディスプレイの全てを染め上げる。とてつもない衝撃と共に後方へ吹っ飛ばされた。
「白井か」
背中から倒れ込む勢いを利用してそのまま後転。何事もなく立ち上がって構え直す。
中身は奴で間違いない。最終試験4日前に総合戦闘演習で故障させてやった岡田教官の後輩。それ故かロクに殺気も隠さず飛び蹴りをかましてきた。
第13期ホワイト・スーツ運用人員選抜訓練の開始から299日目。火器アリ→火器+選択兵装アリと条件別に同期を倒し、最終的には火器ナシ徒手格闘のみのレギュレーションで教官機と戦うだけの、最終選抜試験第二部。その後半戦。
10分の持ち時間の内8分程度が残されている。それまでにこの腰巾着野郎と仲良くしていれば搭乗ライセンスが手に入るらしい。
健康優良のコンディションで整備調整済みのホワイト・スーツを纏う徒手格闘専門教官に対し、こちらはやや劣るスペックの訓練機『イエロー・スーツ』を纏ったそれなりの満身創痍。2戦目で負った膝の損傷が若干効いている。練度の差でも機体のスペックでも搭乗者のステータスでも全て教官に負けている。それでも
スーツ対スーツ戦で俺が負けたことは、一度たりとも無い。
全高240cm。全重量250kg。
人間の筋骨構造を凡そ1.4倍にスケールアップコピーした、マスタースレーヴ方式の対超常脅威用個人防護兵装、ホワイト・スーツ。そのシルエットに人間性が宿ることはない。
国内任務向けに縮小されたとは言えどやはりデカすぎる肩幅。VERITASを始めとした外界観測機能や射撃管制システムを搭載する頭部レドームユニット。その曲線とほぼ一体化する形で小高い山のように増設された首周りの人工筋肉と装甲は、人を象りながら人を捨てた悪魔を演じるに相応しい異質を宿していた。
「VERITAS」
音声入力。頭部から放射されたアクティヴソナーは、機体前方に滞留する第6生命エネルギーを元に教官機の内部を詳細に読み取る。
胸部裏側のモニタに投影される教官機の人工筋肉は、ほぼ直立静止の状態にありながら限界まで内側にパンプアップされていた。もう一歩出力を上げれば内部の搭乗者が潰れかねない程に。
来る。
爆音。予備動作のない完璧な縮地走法。凹凸の無いのっぺりとした頭部をこちらに傾け、教官機はたった3歩で21mも離れた俺に殴りかかって来た。最終的な相対速度は32km/s。こちらもまた前腕の人工筋肉を適切に膨張させて防御姿勢に徹する。一発一発が重機から繰り出される鉄球クレーン並みに重い。
元来、ホワイト・スーツは最前線に立つ兵士が超常と対等に渡り合うために開発された兵装である。この馬鹿デカい図体を駆使して2秒間の内に8発の正拳突きと3発のローキックを正確に叩き込むなんてのは操縦者の練度次第では朝飯前の芸当であり、これが現場歴6年以上の教官なら尚更の事であった。並大抵の訓練生ならこのラッシュだけでたまらず横転するだろう。俺とて最終試験まで生き残った身ではあるが、空手ベースの常に前に出続ける連続攻撃は進んで受け続ける気にはなれない。あと10秒もこの状態が続けば確実に俺の方が負ける。
教官機による猛攻が徐々にそのバリエーションを増やし始めた。ふくらはぎを外側から抉り人工筋肉の膨張状態を乱すカーフキック。左右のフック。ガードごと打ち上げてくるミドルアッパー。ビルでも背負わされてるような錯覚をもたらす超高威力のハイキック。スーツのみぞおち……その内側に位置する俺の胸部を確実に圧迫してくる中段前蹴り。
生身だろうがスーツ着用中だろうが、一発一発の全てが致命傷となる威力だ。攻撃のために防御を解けばたちまち喉部ハッチを打たれかねない。数少ない有効打点が発生する部位である以上、迂闊にガードを解いてポイントを取られるわけにもいかない。かといってただ距離を離しても縮地跳躍が来る。防御姿勢を継続したまま姿勢を下げれば頭部ユニットを叩き潰され、胸部サブカメラへの切り替えが終わる前に詰む。
勝つ算段を見出す余裕から摘み取るタイプの乗り手。俺と同じ類の嫌~~な体育会系の手口。「基礎的動作の連発で行動の余地を削ぐ」という基本的な戦闘思想の強さは、白井は勿論のこと過去の俺が実戦で証明している。この手の敵相手に後手に回れば、不利になるのは当然の事だった。
だからこうやって、思想の根底から折る。
前腕部の人工筋肉を緩め、予測通りに打ち込まれた右ストレートを故意受けてガードを解く。同時にモニタオフ。
喉部ハッチ全開放。スーツの喉が割け、俺の首から上が外界に露出する。目前60cm先に巨人の鉄拳。
静止する暇もなく突っ込んできた右ストレートをハッチの再閉鎖で辛うじて挟み込み、鼻先寸前で受け止める。
『石尾ォッ!!』
動きは半分封じた。
デカい声出さなくても聞こえてるよクソ教官。そのまま俺の頭を砕き切れなかった弱さがお前の敗因だ。
ハッチで咥え込んだ右腕を引きずり込むように身を捻り、ガラ空きになった敵機の喉元に渾身の右フックを叩き込む。ハッチを半分以上開放しているせいでモニタは見えていないが恐らく有効打。続けて敵機の脚を真正面から踏みつけ、動きを封じてからもう一発左フック。有効打は外したがレドームユニットがカメラごと凹んだ。もう一発。掠る前に教官機がよろけて倒れこんでくる。
咥え込んでいた右腕を離し、タイミングを合わせて膝蹴りを叩き込んだ。糸の切れたマリオネットのように転がる教官機を仰向けに寝転がし、馬乗りになって頭部ユニットへのパウンドを開始する。
何かが欠落していた。
恩師を叩きのめしたところで埋まるような空白ではない。ずっと前から解り切っていたことだった。喉部装甲板が徐々に歪む様をぼんやりと眺めながら、無意識の内にため息を漏らす。
いつの間にか乱入してきたイエロー4機に後ろから強制的に引き剥がされ、瞬く間に取り押さえられる。もう一度顔を上げた瞬間には、強制脱着した教官機からゲロまみれの白井が搬送されていた。
「だから通信切断の規約には反対してたんだ」
「全治半年だとさ」
翌日。18番ハンガーからイエロー・スーツを引き下ろして清掃作業を開始する。機付き整備員矢島は他人事のように語り始めた。
「何の躊躇もなく人間1人壊せるあたりは流石に流石だね」
「アレは敵だ。人間じゃない」
矢島のツナギポケットからボロ雑巾をひったくり、黄色い装甲を丁寧に乾拭きする。9ヶ月間の酷使もあってかなり傷が目立ってきていた。拭く度にどこかしらで摩耗箇所が引っ掛かる。
「敵なら人間じゃないって話?」
「ホワイト・スーツは人間じゃない」
「君も知ってる通り中身は人間よ」
「俺にはスーツしか見えない」
「VERITAS使ってバッチシ見てんでしょうよ」
機付き整備員のくせに俺より手を動かさないのは俺が手を動かし過ぎているせいでもあるが、それにしたって働かなさ過ぎだ。ベタ座りのイエロー・スーツから2個目の胸部装甲を剥がし終えた後、とりあえず後ろからケツを蹴り上げる。
「外装の水洗やっとけ。終わったら金繊維チューブ取り換え」
「バケツ持ってきま~す」
「何で持ってきてないんだよ」
「毎回君1人でやるから~」
ハンガー室の外へすっ飛んでいく矢島から目を逸らし、股間の擦り切れたインナースーツを手に取る。そろそろ修繕してやらないと任務中に裂けかねない。
丁寧に畳んで右の小脇に抱え、矢島のボロ雑巾をその辺に投げ捨てた後ハンガー室を後にする。俺以外に残っている搭乗者と機付き整備員は僅か7、8名程度だった。
極東支部列島方面隊 第13期ホワイト・スーツ運用人員選抜訓練第一訓練隊の合格者は25名。凡そ10ヶ月間で650名近い精鋭が間引かれたことになる。
関西の第二訓練隊は合格者16名。五行からの出向組を統括した第三隊は10名。新規増産された75機のホワイト・スーツの内予備機を除く51機は、これら合格者1人1人のために1機ずつ再整備された後、俺たちがこれから所属する予定にある6201搭乗予備班“戟”に順次配備される。
スーツ運用を前提とした排撃班への配属が未決定の者が所属する予備班。当然ながら全員がこの過酷な訓練と試験の数々を突破してきた猛者である。が、「訓練中に教官機を完全に倒した」訓練生は多分俺1人だけだ。少なくとも第1隊でそんな奴は見かけなかった。そんなわけで一応は第7期訓練生最強を自負している。
「……自負はしているが」
独り語る。恐山中腹の地下200mに位置する訓練施設は夏場でもやけに涼しい。空調設備は必須だが冷房は必要なかった。自販機で買ったばかりのプロテインゼリーを容器ごと握り潰しながら一気飲みする。
自負はしていた。事実訓練期間中にスーツ対スーツ戦の模擬戦で敗北を喫したことは一度たりとも無い。数年単位での実戦経験を持つ教官でさえ3人倒した。白井も含めれば4人。近接格闘、火器管制ユニットを用いた射撃戦、屋外機動戦等あらゆる状況と状態で幾度となく戦い、結局一度も負けずにここまで来た。
その事実が俺の欠落を埋めることは無かった。
何かが足りていない。
[加筆]
「総員着装」
新任副班長の合図で第一隊の全員が動く。どこぞのロボアニメで中学生の少年少女が着込んでたようなピッチピチのインナーで身を固めた15名は、各々のハンガーから手順通りに新品のホワイト・スーツを降ろし始めた。
外部起動装置でロック解除。主電源起動。メインシステム、起動。
バックリと開いたスーツの背部から両手両足を突っ込み、固定ベルトとバルーンロックを手順通りに作動させて肉体とスーツの境界を消し潰していく。
一時着装完了。背部搭乗ハッチ閉鎖。メインモニタ展開。喉部装甲の裏側に位置する曲面型複合ディスプレイが一斉点灯する。関節ロック解除。同時並行でセルフチェックプログラムを完了。全系統異常なし。
有視界操作モードに切り替えるために胸部装甲版を腰の高さまでズラし、頭部ユニットを後ろにはね上げてメインディスプレイを収納する。一足遅れて全員が自分と同じ状態に移行した。
「相互チェック開始」
直前にバディとなった合格者と相互に各点検部を指さし確認する。全点検部異常なし。終わるなり副班長を先頭に2列縦隊で疾走する。4階層下の総合訓練施設を目指して。
『北関東の第二隊、長野の第三隊は既に出立した。一番乗りで整列するつもりで走れ』
副班長がパッシヴモードのVERITASで周辺の生命反応の有無を確かめ、リアルタイムでその結果が全員に共有される。前方に生身の人間ナシ。壁一枚向こう側のスーツ着用者専用通路にて同じように総合訓練施設を目指す一団を発見。他はゴキブリ一匹いない。現在の走行速度は35km/h。更に加速する。前方に巨大な吹き抜けが見えてきた。
『先頭から順次降下開始』
副班長ともう1名が安全柵を開放して飛び降りる。2列目に立っていた俺ともう1人も下方の生命反応を探知し、安全を確認次第同時に飛び降りた。着地後に整列位置まで走る。誰が用意したのか整列位置を示すグリッドラインが外界映像に重ねて表示されていた。青く点滅するポイントに直立し他の整列を待つ。
一足遅れて若干青く再塗装された11機が1列横隊で一斉に飛び降りてきた。第三隊。長野県での選抜訓練を突破した五行結社の連中である。対して急いでいる風でもない偉そうな足取りで集合エリアにやってきた。
『薩摩隼人がいるそうですよ』
ビターステップ、さっき組んだばかりのバディはクローズド通信で俺に呼びかける。
『ソイツも訓練生相手だと無敗だそうです』
「そうか」
『アンヴィルさんですよね。分隊違いましたけど噂は耳にしています』
よくしゃべる奴だ。スーツを着込む前はあんなに寡黙だった癖に。
『第三隊の彼はあくまで訓練生相手だと無敗だったそうですけどね。何か第二隊にも教官倒してる天才がいるとかで』
「何が言いたい」
『バディ以外の誰かを選んで徒手格闘するフェーズが必ず来ます。僕ら全員があなたに賭けている』
「なるほど」
俺の知らないところで勝手に輪が出来ているのは俺が輪に入ろうとしていないせいだ。賭けの件も初めて聞く。
[加筆]
第三隊の九州男児と、北九州訓練場で一番強かったとかいう第二隊のチビが睨み合う。というか九州男児の頭部ユニットが一方的にチビを睨みつけていた。
「……第三隊に3km」
誰かが声を挙げる。
「サツマ男児に6km」
「大将に2キロ」
「同じく5km」
選抜訓練参加者お馴染みの距離賭けである。負けた側は全員が負債の分だけ室内グラウンドを走らなければならないシステムらしいが、一度も誘われたことが無い故に参加したことは無い。
「同1km」
「同3km」
「五行に4km」
どちらかと言えば知らない内に賭けの対象になる事の方が多かった。模擬戦で勝ちすぎたせいでついにその対象から外されたという話は矢島から聞いている。訓練生の大量脱落に伴う2回の再編成を経て、今まで3つの分隊に所属してきたが、どの分隊のどの訓練生もそういった話は持ち掛けてこなかった。スーツ未着用で誰かと関わるつもりが無かったから仕方なくはある。
「アンヴィルさんは?」
「……どうすればいい?」
「今のベット状況はこんな感じです」
ビターステップからの画面共有。いつの間にこんなプラットフォームが作られていたのか知らないが、2本の棒グラフで示された双方の賭け距離は目も当てられないような差が生まれていた。九州男児への賭け距離が62km。チビには1kmも賭けられていない。
理不尽な話だ。多分互いに空気を読んで自主的にお預けしているのであろう。俺は
「この分だと不成立ですね。お見苦しいものを見せてしまっ」
「第二隊に62km」
無意識の内の発声。全員が凍りついたかのように言葉を失う。
「誰あれ」
「第一隊の人」
数秒遅れて自分の発言内容を理解した。始めてこの手の余興に誘われた反動かもしれない。衝動的に賭けた。何はともあれこれで賭けは成立したらしい。
「……副班長の皆さんは」
「さっさと始めろ」
「10km。第三隊」
「第三隊に20km」
反射的に「じゃあ追加で30km」と手を挙げる。
俺単独で92km賭けたらしい。また驚愕が遅れてやってきた。自分でも何故こんなところで張り合っているのか理解できていない。
「アンヴィル」
「はい」
結局賭けに乗らなかった第一隊担当の副班長がギシギシと歩み寄ってくる。先程から睨み合って一寸たりとも動かない2機を除く全機が、俺と副班長の一挙一動を注視していた。
「入隊期間中の訓練に支障をきたさないと誓えるか」
「誓います」
「場合によっては46kmを私が肩代わりする」
「必要ありません」
機付き長以外とのまともな会話が久しぶり過ぎて、何かを問われるたびに出任せで発言してしまう。フルマラソンを2周してもでも足りない負債をコイツら全員に吹っ掛けるか、或いは俺一人で背負うかの戦い。文字に起こせばより馬鹿度合いが増す。スーツ対スーツ戦以外で勝ちにこだわる必要は無いと決めていたのに退けないところまで来てしまった。
「よろしい」
訂正させてもらえる空気じゃない。ハッチを全閉じしておいてよかった。多分今の俺はとんでもない顔になっている。ここまで来たら例のチビの勝ちを全力で祈るしかなくなる。頑張れチビ。流石に生身で100km走るのは俺でもキツい。マジで勝ってくれ。それにしたって何でこうも切実に他人の勝ちを祈らなければならんのだ。何故ここまで上り詰めた挙句、訓練初日でこんな惨めな思いをせにゃならんのだ。
というか副班長がこんな余興を黙認して良いもんなのか?誰も止めに入らないのが今になって頭おかしく見えて来たぞ。
「両者待たせたな」
もう少し待っててくれても構わないのに。第三隊担当の副班長が振り向き、それにつられて他の隊員たちも睨み合っていた両者を注視する。
スーツは俺たちの頭上を舞っていた。
「は?」
衝撃音。障害物走用の小高く積み上がった土嚢を蹴散らし、スーツは小高いコンクリ構造の上に着地する。青みがかった装甲。五行仕様のホワイト・スーツだ。
スーツ対スーツ戦において、いわゆる柔道、柔術的な無力化手段はある程度成立する。元々が人間のスケールアップモデルであるため当然ともいえるが、実際生身で非異常な人間によるその手の技術が原因となった殉職事例が存在している。
最終試験で2番目に倒した奴も逆腕十字による搭乗者破壊で仕留めた。チョークスリーパーなどの首や頭部ユニットを狙った攻撃は基本成立しないが、要するにスーツが使うにしても、またスーツに仕掛けるにしても投げと絞めはそれなりの有効打となりえるのだ。
それにしたってこの高さと距離は、おかしい。打撃音が聞こえなかったから多分投げ飛ばしたんだと思うが。
『強かねェわい!?』
短刀を片手に薩摩男児が吠える。吠えた先にまたもや全員が振り向く。
第二隊付き副班長の腰部ラックから当然のように棍棒型近接兵装をひったくり、チビはゴツゴツと、丁度俺の目の前を素通りする形で薩摩男児に歩み寄った。
なるほど天才と言われるだけある。横から見た限りでは歩行姿勢が完璧のそれに近い。重心のブレが左右に生じない規則的な足運びは、並大抵の搭乗者では成し得ない業である。この練度の歩行をこなせる奴は教官と俺を含めて10人程度しか知らない。
『第三隊筆頭カヅチばい。名はなんと』
「……」
『答えやシバき殺すぞドチビ』
訛りがキツすぎて辛うじてニュアンスが掴めない。方やチビは仁王立ちで立ち止まり、左手に握った棍棒をホームラン宣言よろしく掲げて黙りこくっている。というかモロにホームラン宣言の構え方だ。チビはチビで凄い煽りに走っていた。
というかコイツら両方とも──
「両方とも、人工筋肉のリミッターを1段階解除している」
『えっ』
「見れば解るはずだ」
『制限ってインナーのですよね?』
「五行スーツの方は疑似的にそれを再現しているだけだが、女の方はインナーの圧を1段階高めている。」
『女ァ!?』
ビターステップを含め、第二隊を除くほぼ全員がどよめく。第二隊は兎も角コイツらそれすら解ってなかったのか。
ホワイト・スーツの人工筋肉には搭乗者の安全を保障するための出力制限機能が設けられている。ベルトとバルーンロックと内部筋肉の3要素が搭乗者の首から下を適切に固定するわけだが、この内部筋肉が必要以上に膨張した場合、搭乗者の肉体の強度次第では中の人間が潰れかねないのである。制限の完全解除を2度経験した岡田教官は2回ともどこかしらを派手に骨折する羽目になった。
スーツ搭乗者には3度制限の制限固定用筋肉に耐え切るだけの肉体が求められる。女の方は完全な2度制限。薩摩男児は疑似的な2度制限でスーツを着込んでいる。おおかた内圧増加を覚悟して駆動用筋肉のチューブを5本ほど増やしているのだろう。
「制限度合いの差が生まれるのは駆動時における搭乗者への負荷だ。中身が弱ければ防御動作だけで血管が破裂しかねない。それを代償に高い瞬発力とパワーが稼げるからこそ制限の1段階解除に走る奴も多い」
『そういやそんな座学受けてましたね……懐かしいな……』
「その点五行スーツは関節可動域をある程度犠牲にする形で外側の筋肉を増設している」
『…………どっちが強いと思います?』
「……俺が賭けた方」
バットを胸の位置に掲げ、チビが片足を上げた。来る。打つべきボールがどこにも無いのに仮想のボールを見据えてバッティングフォームを取って
投げた。
フルスイングのサイドスローで一発。薩摩男児目掛けてバットをぶん投げやがった。
驚愕に値する神業である。
搭乗者の身体動作を拡張再現するパワード・スーツ的兵装ではあるが、ホワイト・スーツには例外的に「搭乗者の生身が収まっていない部位」がいくつか存在する。
1つ目はセンサやカメラ、VERITAS、通信機器、火器管制システム等を詰め込んだ、見かけ上の頭部を象るレドーム。搭乗者本人の頭部はスーツの喉のあたりに来る。イエロー・スーツを用いた模擬戦で喉の装甲板を有効打エリアとしているのは一応これが理由だ。
2つ目は高い衝撃吸収能力とあらゆる環境への適応能力を持ち、装甲補助用のボールローラーや電動タイヤ等を追加で搭載可能な足首。頭部レドームユニットと同じように、搭乗者の足首から先の動きをそのままトレスして駆動する。
3つ目が両のマニピュレータなのだが、これに関しては例外的に搭乗者の動きがトレスされない仕様となっている。理由は明白であり、手先の一挙一動を詳細にトレスするよかもっと重要な事項が複数存在することに他ならない。
火器操作用のマニピュレータ内臓アタッチメントと連動するメイントリガーや、メインモニタの選択欄を変更するためのスライドパット、その他諸々色んなボタンが組み合わさった操縦桿が丁度スーツの前腕中腹あたりに存在しており、脱着やハッチの開閉、VERITASの起動などは全てこれで行っている。これによりスーツのマニピュレータは基本的な開閉動作と武装の保持、あとは単純なハンドサインくらいしか再現する用事が無くなる。
それらの機能を一度オミットして手首から先の動作をを再現できるトレス用手袋がスーツ内部に標準装備されている場合もあるが、そんなモンが必要になるのは奇跡術行使のための術式展開やキネトグリフの行使、或いはそういった超常的な儀式儀礼を精密性を以て妨害する作戦くらいだ。
だからこそ断言できる。一連の動作は正真正銘の神業だった。ホワイト・スーツを着込んだ状態での投擲という時点でそもそも神業だった。
フランス支局に所属する60mm迫撃砲装備のスーツ部隊が縦投げ用の投擲コマンドを駆使し、500m離れた脅威存在へ直接砲弾を投げこみ戦果を挙げたという報告も聞くがそんな次元の話じゃない。一瞬手先が見えたが、あの女は只の標準的な開閉動作しか行っていない。0.9倍ばかり早めてはいたが、その動作と完璧にタイミングを合わせる形で、非ボール形状の物体を標的目掛けて投げたのである。
着弾。コンクリ造りの足場が粉砕し、破片が舞い上がる。棍棒の最終的な飛翔速度は240km/s。2度制限が生んだ瞬発力。薩摩男児のスーツは辛うじてこれを回避している。
狙うなら着地直前の瞬間。その思考を滑らかになぞり書くように、小柄なスーツが地を蹴って水平方向にすっ飛ぶ。
全てが決着した。着地寸前で身動きが取れない五行スーツ目掛けての体当たりは寸分の狂いなく直撃した。壁面にめり込んだ薩摩男児はピクリとも動かない。
「」
不明な声。その主があの女であることは明白である。
[加筆]
「アンヴィル」
『アクタ』
想定していたよりかなり声が若い。ここでVERITASを使ったら負けな気がしたからあえて封じているが、推定するにまだ20歳にも至っていないはずだ。
スーツにデフォルトで内蔵されている格納ブロックを全て展開。一切の武装を持たないことを
「」
[加筆]
構えた。躰道使いだ。前後に長く構えて左右半身を不規則にスイッチしてくる立ち回りと蹴り技主体の変則的なスタイルが本当に厄介極まりない。岡田教官がこれの達人だった。
『合図はそちらに』
「断る。誰かタイマー共有頼む」
第二隊の副隊長が
[加筆]
「──ありがとう」
無意識の内に口から零れ落ちていた。たった5文字で語り切れるだけの俺の本心を君はどれだけ汲み取ってくれたのだろうか。
閉じて呆けていた目を開く。俺は初めてアクタと目を合わせていた。正面から見てもドス黒く薄暗くて好きだった。明けない夜みたいで。
どちらが先に笑ったのかは解らない。ほぼ同時に防弾バイザーが降りて、喉ハッチが閉じて、頭部ユニットが定位置に収まる。
胸部装甲の隙間に仕込んだ近接防御システムが一斉に炸裂する。
終わりかけの三拍子。今さら曲名を思い出した。ショパンのワルツ第9番“別れ”だ。“告別”だったかもしれないけど。
今はそれどころじゃないのに。引き抜く前から引き千切られた89式がスローモーションに空を切る。つい0.1秒前まで少女の掌に添えていた左腕が敵の頭部ユニットに真上から浅くめり込む。
残像と火花。間に生身の人間を挟んだら等身大のひき肉が完成するであろう手の取り合いを1秒挟んで、両足が床から離れた。オリンピックではご法度だったか、膝を落とした状態からの一本背負い、所謂韓国背負いをモロに食らって頭からコンクリに叩きつけられる。叩きつけられはしたがこちらも背部スラスタを最大出力でぶっ放して上下逆さまのままアクタに組み付く。すぐに正拳突きで突き放されて真後ろにすっ飛んだ。空中で体勢を立て直しながら片膝立ちで着地する。アクタは89式を左手だけで構えて、モビルスーツよろしく斜めの仁王立ちで俺に銃口を向ける。
ワルツの消え失せた鉄筋コンクリートの閉鎖空間にただ2機、これからどちらか片方が動かなくなるまで殺し合うつもりでいる2機のホワイト・スーツが対峙した。
アクリル壁の向こう側。200人分の大喝采が爆発する。肩に風を切って全てをガン無視しながら、膂力の限りをかけて全力で前方方向に跳躍した。膨れ上がった人工筋肉が腰から下の筋骨全てを噛み潰す。それでいい。今はそれでいい。おれはただの骨だ、人工筋肉機構のガイドラインで合って支柱ではない。俺ごと殺すつもりで、踊れ、戦え、俺の身体。俺のマシン。俺自身。イエロー・スーツ。
両肩部から訓練用弾頭に換装した小型対物ミサイルを12発全弾発射する。2発だけ喉の装甲に直撃したが他は全部直接的な射撃と手刀で叩き落された。それでこそだ。迎撃の最中1発だけ俺に叩き込まれた5.56mm訓練弾を着弾寸前でキャッチして野球投げで返す。89式の片手一振りでホームランされた。拉げて潰れた弾頭がアクリル壁の上の方に直撃してそのまま落ちる。互いにもはや慣れ切った完璧な煽り。生身のそれより明らかに速い速度で装填作業を済ませたアクタが、今度は2連ドラムマガジンに換装した89式をフルオートで射撃してくる。左手首から保護バリュートを展開。キノコの傘のように半球形状に膨張した風船は俺の全身を隠す。高高度落下時の身体保護を目的に装備される兵装だから当然防弾機能何て持っているわけがない。あっという間に1発目が風船のヘリを裂く。
直後、事前計算した感じだと恐らくは訓練場の半分を包み込むでのあろう爆炎が迸った。膨張用の非可燃性ガスをこっそりガチの可燃性のモノに取り換えて貰ったのはこれが理由だ。そもそも「パラシュート無しで高度500m地点から投下しても訓練さえしていれば無傷」のスペックを誇るスーツに落下時の身体保護目的でこんなもん搭載しようとする奴がイカレている。だが機構そのものは戦闘転用
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