アウターオーサカ・パープルバースその2の下書き
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『我々に豚の胎と猿の種なぞという穢れた材料は必要にあらず。天にそうあれかしと願い、全てを持ち、完璧なかたちで産まれた全能そのものである。なれど彼らは当てはまらず。』

『彼らは、茨より産まれ、棘にその身を苛まれ、紫の血潮を花弁のように撒き散らす、苛烈そのものである。』

「悪魔の眠る冷蔵庫」を持った男が悪人どもを殺しに向かう。O/Oアウターオーサカでこの頃噂のフレーズだ。

最初の犠牲はとある新興宗教団体の信徒だった。とても長い名称を持っているため省略するが「星教」という呼び名が最も短いだろう。宗教、と言っても階級や言動から「やくざ者を気取ったチンピラの集団」と言い直した方が正しい。「境界」が重視されるO/Oにおいて縄張りとプライドの誇示というものは物珍しいものではなく、該当する「星教」の支部は規模的にそこそこの集団だった。

信徒が謎の死(少なくとも他殺と断言できるものだったが)を遂げたことにより「星教」は下手人を探そうと躍起になっていた。捜索に下っ端が総動員され、そのうち一緒に探していた4人が同じ日、同じ現場で死体となって発見された。死因は信徒と同じ全身の殴打痕から、撲殺。

これには流石のO2PDマッポも我関せずの不介入ではいられなかった。組織同士の抗争ならまだしも目的が分からない。民間人が犠牲になるかもしれない。当局は鎮圧武装搭載ドローンやアンドロイドをパトロールに回した。そのような奮闘虚しく、暫く犠牲者の数は止まることを知らなかった。

記念すべき50人目の犠牲者は当局からだった。超高層ビルが200万lxのネオンライトで彩られるナンバ地区の大規模商業施設1階ロビーにて、会計監査の死体が天井のアドバルーンに吊るされた。監視カメラ時刻からして18時41分38秒から39秒までの1秒間のうちに犯行が行われた。発見された死体が地上に降ろされた瞬間、謎の煙を発し始めた死体がこう喋った。「悪魔の眠る冷蔵庫を持った男が、悪人どもを殺しに向かう。」と。

後のE.V.E.検証より人型脅威存在が奇跡論を行使した痕跡が発見された。また犠牲となった会計監査だが、ドローン等のパトロール強化による増額された経費を幾らかポケットマネーに忍ばせていたらしい。少なくとも表面は真面目な人だったと周囲は口を揃えて証言した。煙草の匂いがきつく残った死に顔を思い浮かべながら。













悪徳を成せ、死にたくなければ。

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アウターオーサカ タイショウ区画 レストラン&バー「スゲトラニ」 2046/04/03 22:19

このレストランに於いて1番大切なのは味ではないし、O/Oの住民で美食を生き甲斐にしている者はそうそう居ない。

まずスゲトラニの特徴で挙げられるのは安さである。O/O内部の有機物牛丼チェーン店の相場はおおよそ473エン(無機物の場合は392圓)と言われているが、スゲトラニのランチ限定提供メニュー「揚げ丼」は330圓、各種割引を使えば310圓である。

次に店長がハチャメチャに強い。O/Oにも秩序はあるが、あくまでそれは治外法権の無法者どもが作り上げた無法者の秩序である。いつどこで人間の悪意、もしくは異常存在によって危険に晒されるか分からない。それは寝ている時かもしれないし、風呂に入っている時かもしれないし、飯を食っている時かもしれない。そこに来るとこの店は店長が人間種の中では非常に大柄だしステゴロもそれに見合う強さである。

故に一切の邪念や不安なく飯を食いたい生物がここに集う。どんな悪事を頭で企んでいようが、どれほどの前科を持っていようが、神格だろうが機械だろうが、スゲトラニに来れば等しく料理を楽しむ1人の客となる。

「でもさ〜、それを補って余りあるデメリットあるよね。主に店長についてですが」

カウンター席、すっぴんのハゲワシが虚空に向かって、ため息と共に手元の南蛮定食を吐き出しそうに言う。

「まずさ、なんで煙草なんか吸ってんのアンタ。料理人が煙草吸うって、百歩譲ってそれはいいけど調理中にも手放さないのはないでしょ」

ハゲワシ女は箸で白い作業着の背中を指差し、その対象はゆっくりとカウンターに向き直り反論する。

「グチグチ言うならとっとと金払って出ていけよな」

「待った!まだあるんだわ、聞いて?」

「そこで出る待ったは普通胡麻すりの枕詞なんだがな?」

「その左腕!なんでカタワのまんまなんだよ!?」

箸で右手が塞がっているのでスープ用のレンゲを左で持ち、本来そこに腕があるはずの袖を差した。暖簾のようにペラペラと、立体感のないそれはある意味存在感を大きく放っている。

「それはワタシも前々から興味の対象でした。ですが深く追求してはいけないタスクかと思い口に出していませんでしたが」

女と同じく常連の男性型アンドロイドが話題に割り込む。敢えて液漏れさせている缶型電池杏仁豆腐は彼の大好物であり、彼が常連の顔として店長に覚えられた際に考案されたものだ。

「O/Oにはその手のジャンク品が大多数を占めているため慎重になるのは理解できます。しかし電動式の義手でなくてもアナログ品もありますし…近年ではホログラム実体化装置の小型化も目覚ましく進歩しています。何故そのままに?」

「これに関しては言い訳がある。なんで悪口を言われてる俺が言い訳をせにゃならんのかは甚だ疑問だが」

「ホー…?」

「興味深いですね」

2人の視線と、他の客も密かに聞き耳を立てる気配。

「この状況を見ればわかると思うが…俺は腕1本でも店を回せる。滞りなく。その証左である…ってところかな」

「…」

「…」

「…終わりかよ!?」

奥の方のテーブル席で海藻蕎麦を啜っていたゴロツキが思わず叫ぶ。

「質問の答えからも少しずれてるだろ!普通に喋りたくないでいいんだよ!」

「いやー…でもなあ」

店長がそう言いかけたところで店の玄関が弱々しい叩かれた。客がいつまでも入ってこないのを不審がり、慎重にこちらからドアを開けた。

店の軒先にいたのは男児であった。おそらく歳は12歳、中学生になるかならないか程度。彼の全身は刃物で切り裂かれたような傷跡があり、周囲にはパチパチッと帯電のサインがO/Oのネオンの隙間を縫うように弱々しく光っていた。

ドアの向こう、温かい食卓を囲む者たちから店長を心配する声。「どしたー?」「ゴロツキですか?」

「いいや、野良だ。この辺にしちゃあ珍しいな」

店長の返しに「何の野良だよ…」というツッコミはあったものの、言葉が足りないのはいつものことだろうし、何より店長が危険に晒される姿を想像できなかったため彼らは食事へと戻った。

隻腕の男が注目したのは前述のわかりやすい特徴ではなく彼の周囲に漂う、いや彼自身から発している紫煙であった。ゆっくりと漏れ出すそれはアメスピか、こないだYakushiから発売されたオポデという煙草に似たものかと算段付けた。

「…紫煙使いがウチに何の用事だ」

「しえん、つかい…?なんだそれ…」

「受け答えはできんだな?よし。タイプ・パープルって言えばわかるか?」

「…!」

「ビンゴか…パープルの名前聞いた途端ガタガタ震えやがってよ。後天的に発現のちGOCに追っかけ回された…んなとこだろ」

「助けてくださいなんて…高望みだってわかってる…ただ、生きてたいんだ…生きたいのに…」

「…おい」

「え…?」

「扉のこの電子板が、いいか?「CLOSED」って表示に切り替わるまでそこら辺で時間潰してろ。変わったら入れ。飯くらい食わせてやる。接客があるからじゃあな」

「待っ…!」

親切なんだかそうじゃないんだか分からない発言を残して店長…佐竹 殻辛は店へと戻って行った。


「お前、何日食ってねえの?」

「それ…どうでもよくない?」

「よくないんだなあこれが。人間長いこと食いもん腹に入れてないと胃腸が弱るから、その時はスープとか果物とか胃に優しいもので慣らしていかないとダメなんだ」

「…1週間」

「嘘つけ」

「嘘じゃない!喉も乾いてる」

「いいか?人間は1週間も…いやいい、そういう改変内容なんだろ…」

殻辛は聞こえないようにぼやきながら少年に味噌汁を手渡した。少年はこれだけ?と言いたげな表情をしたがすぐに啜り始めた。

「それ飲んだらでいいからお前の名前と目的を話してもらおうか」

「目的って…」

少年は手持ち無沙汰に椀をすすりながら考え込んでいた。それは誤魔化すというより何と答えればいいか分からないという当惑だった。

「別に…結構前からGOCに追っかけられて、逃げている途中に綺麗な声が聞こえるなって思ったらその声がする方に足が止まらなくなったんだ。そして気づいたらここにいた。何ここ?待っている間に見かけた看板の日本語はメチャクチャだし…こんなに治安悪いとかいつの時代だよ…」

いつの間にか少年は殻辛の作った味噌汁に夢中になりつつも、いやそのおかげで警戒心が溶けたのか饒舌に話している。

「ほーん…なるほどね…俺の知っていることを話したいけど、1個質問良いか?」

「ん?…ああ名前言ってなかったっけ」

「いや違う。お前煙草気にならんのか?」

「えっ、オッサン煙草吸ってたの…?まさか料理するときにも吸ってたりしないよね?…ハッ!俺は吸ってねえよ!?俺未成年だし!」

「説教のネタにするわけじゃねえ。気にならないんだな?煙草」

「うん」

途端に殻辛の目が鋭くなり、その警戒を隠そうともしなかった。

「…人型脅威実体の1つ、エーテル投射能力者。世界オカルト連合と財団ではタイプ・パープルという呼称が一般的に使われているが、ここO/Oでは紫煙使いと呼ばれている。何故だかわかるか?」

「えっ知らない…ていうかタイプ・パープルって言い方自体変な奴らが俺のことそう呼んでたってだけで、よく知らんし…」

「ぱっと見未成年のお前が煙草の煙に慣れているってことは…随分と劇的な逃亡だったらしいな?現実改変を使った回数は両の足指でも足らんだろう」

「な、なんで…」

幾らかカマをかけた部分もあったが、この様子だと全部図星か。少年はもうすぐで飲み終わる味噌汁の椀にしか視線を合わせられない。

「どうすんの。これから」

「何も…考えてない…あのさ」

「いいよ、しばらくここで寝泊まりしてけ」

「え?ほ、本当に?」

「俺の店を手伝うこと、そしてお前のその力をちゃんと制御できるよう修行すること。その2つを条件にするなら衣食住は保証する。…まあO/Oここでの話だけだがな」

「えっ?条件みたいに言ってるけどこっちにメリットしかなくないそれ?最初はともかく修行までしてくれるのってさ」

「そうか?…まあそうだな。この腕だし人手が欲しいってわけよ。じゃあとりあえず食器洗え」

「うん」

温かい食卓のもうひとつ奥、店のバックヤード側に少年を招き入れる。

「そういや名前は?」

溶褪 大毅ようざめだいき

「オッケー、分かりやすい名前で助かるわ。佐竹 殻辛。よろしく」

殻辛は生返事しながら手首に取り付けた装置をいじりながら小声で誰かに連絡していたが、2杯目の味噌汁を手渡された大毅にはそこまで目を光らせることはできなかった。


「というわけでこちら、お前の師匠になってくれるマヨネーズさんです。情報将校って呼ぶと喜びます」

開店前のスゲトラニ、そのテーブルにて猫まんまを猛烈に貪っている男を師匠だと紹介された。室内でしかも食事中なのに藁の傘を被っており、みすぼらしさと珍妙さが同居している雰囲気はO/Oの住人の中でもなんだこいつはと思ってしまうような、一種の凄味を感じさせた。

「少年、煙止めはできるかね」

口にご飯粒をつけた食いしん坊は勢い良く席を立ち大毅の前に立った。

「えっと…溶褪 大毅って言います。あとすいません、煙止めが何かもわかんないです。というか自分のこの力が何なのかもほとんどわかってなくて…えっと…」

「おい」

マヨネーズは殻辛の脇腹を膝でこづく。

「ハイ聞いてますよ何すか」

「説明だよ、お前の方でどれくらいしたんだ」

「イヤ…?そんなしてないっすね。師匠の方で最初からやって貰った方がいらん知識つけずにアレかなーって…あと俺がこの世で1番苦手なのってホラ、わかりやすい説明をすることなんで」

「…言い訳。少年、ついてこい。特訓場に行く前に道すがら説明しよう」

服かと問われると疑問を呈すほどボロボロの布切れを纏いながらマヨネーズはスゲトラニを後にする。大毅は殻辛にどうすればいいかアイコンタクトをしたが、「黙ってついていけ」と言わんばかりに顎で返事をした。

「お前が説明するんだが…店をそんなに開ける気はないから安心しろ」

マヨネーズが大毅達がいる店に背を向けたまま答える。どうやって見たのだろう。何ならマジかよと言いたげな殻辛の顔すらも見通してそうな不気味さがあった。


「世界オカルト連合、略称GOCは異常存在の殲滅をスローガンに掲げている組織だった。まあポーランドの夜が起こったこの世界では調停役になったが、少なくとも大毅の元の宇宙ではまだヴェールが機能しているため、俺たちの知る連合とそこまで変わりはないだろ」

無人の店に後ろ髪を引かれながら殻辛は説明を始めた。

「奴らの獲物の種類で明確な知性を所持して異常を行使する存在、「人型脅威存在」はその傾向ごとに色分けされた分類を持つ。タイプ・グリーン、タイプ・ブルー、タイプ・レッド…その中でお前が分類される種類がタイプ・パープル、本分類「エーテル投射人型脅威存在」になるわけだ。」

「パープル…紫?」

「これをO/O、アウターオーサカで発達しているパープルどものコミュニティでは「紫煙使い」という俗称だか隠語だかで読んでる。まあローカル特有の言い方だと思ってくれていい」

「ま、待って!質問」

「オウ」

「ここ、コミュニティ作れるレベルで脅威存在って言う聞くからにヤベーことする奴らがいるの!?それに大阪って…ここが!?」

周囲には腐臭と錆臭を発酵させたような臭いが漂い、今立っている地面は高層ビルの上に高層ビルを乗せたような高さ、下を見れば底なしの奈落であり上を見れば天地逆さの同じような高層ビルがある。そのため太陽や月などの星々は確認できず、常に夜のようである。ちなみに今朝9時らしい。

ネオンを主流とした人工の明かりがギラギラと眩しいため光源には困らなそうだが、そこかしこから電気による発熱が漂っておりとにかく暑い。おそらく日本の猛暑日かそれ以上だろう。

「ヴェールが剝がれたこの世界でも大阪府はちゃんと別にあるよ。…そっから説明しないとダメすか?」

殻辛はさっきからマヨネーズの顔色を伺ってばかりだ。

「簡潔にな。この都市の成り立ちを話すとどこまで話せば良いか、どこまでが本当なのか話している側すらもわからなくなる」

「はぁ〜あ…ここはアウターオーサカ。元々の日本は色んな理由で土地が欲しくて、人造小型宇宙って言うモンに日本政府が手を出したわけだ。最初は順調だったらしいけどよ…土地神様をキレさせて空間の制御を失ってこうなってる。今もこのO/Oって言う空間は広がり続けてるし、人を別の時空から呼び寄せてる…お前とか、俺みたいな」

「へえ〜すっげえ〜…アレだ、マルチバースってやつだろ?マーベルで見たことある」

「まあそんな認識でいいや、重要じゃねえ。O/Oに人間を呼び込むのは土地神様の仕業なんだが…呼ばれるのは悪人、罪人、つまみ者。脛に傷持ったやつを望んでるらしい。そんな奴らにこそ紫煙使いは多く存在して、そんな奴からO/Oが望む「悪徳による繁栄と前進」が生まれるらしい」

「悪徳による繁栄と前進?具体的に───」

「着いた」

先導していたマヨネーズが人差し指で「静かに」のポーズを取りながら立ち止まる。何重にも重なったビル群の層の隙間。ギラリとした明かりが遠くに見えるからこそ眩しいと錯覚する蒸し暑さ。その向かいのビルの外付け階段踊り場に2人の人影が交渉している姿が見えた。

「オラよ、こ、これ昨日の電脳遊蕩サイコトリップで貰っちまった電子呪術ハックドペインなんだけど…コイツを処分するだけじゃなく、か、買い取ってくれるって?」

ウネウネした電気ケーブルを長髪のウェーブさながらにくゆらせて、ヘッドギアを付けた粗暴な男が両手首に付けられた禍々しい文様を相手に確認させる。白い服に身を包んだ相手は布ヴェール越しでもわかる満面の笑みで

「もちろんです!渴望星空的虔诚者ルナ・ジュペリの中でも我ら受诅咒的信奉者オンバシラ派は呪いを蒐集する集まりです。質や量を問わず生あるものの怨念が詰まった概念は良い燃料に…うふふ!」

と答えた。

「で!で、だ。どんくらい、貰えんのかなぁ?」

「あぁ失礼、そうですね…」

白服は狭い服の袖からアタッシュケースを取り出すという奇怪な技を行い、その中から数枚のお札を取り出した。

「こ、こんなにくれんのにハックドペインも貰ってくれんのか!?」

何も言わず微笑みながらカネを差し出す白服をヘッドギアは崇拝するような視線で見ている。そんな交渉劇をビルの隙間からその様子を見ていた3人の中で、最初に声を発したのはマヨネーズだった。

「あの2人殺してきなさい。殻辛、ついていってやれ。助けるかは任せる」

静かで簡潔な指示。え?と間の抜けた声を出す前に大毅の体は殻辛に恐ろしい勢いで引っ張られた。前述のように下は底が目視できない奈落である。安全バーのないジェットコースターは何個かの高層ビルを伝って、大毅を白服とヘッドギアの前に尻餅をつかせ到着した。

「ぼさっとしてないで殺せ。じゃないとお前の顔、目ェつけられるぞ」

殻辛はいつの間にかネックウォーマーを覆面代わりにしている。闖入者に交渉の邪魔をされた2人のうち、ヘッドギアが「だ、誰だ!?」と間抜けな叫びを上げている間に白服が距離を詰めた。手にはジャンク品で構成された、漏電気味のガントレット。こぶしを握るとよりバチバチと周囲に電気を迸らせる。

あ、死ぬ。死にたくない。先に殺せば、死なない。

大毅はほぼ無意識と思うほど自然に、まるでそれが当たり前だと思うように白服の手首部分を素早く握る。傷跡を電気コードで無理矢理縫合された指先から香るアメスピの味が、ガントレットの電気を全て「吸い上げた」。持ち主はぎょっとしながら慌てて態勢を整えようと手を引っ込める。引っ込められない。ガキの手が「まるで静電気のようにくっついて」手首から離れられない。

「死にたくない…死にたくない死にたくない!」

無意識から引き戻され恐怖を感じ始めた大毅が譫言のように繰り返し、その度に周囲に蔓延していた煙草の煙が一層濃くなったと思いきや刹那、電撃が白服と大毅の体を丸焦げにしながら濃霧を晴らした。

大毅は一瞬気を失いかけたがすぐに持ち直した。もう1人いる。もう1人殺す必要がある。ここで気を失えばもう1人に殺される。大毅の目標はすっかり怖気づいたヘッドギアの男に定まった。

「この札はO/O圓アウターオーサカ・エンっつってな、土地神様のご加護が乗っかったありがた~いもんだ」

後ろで殻辛が何か言っている。聞こえない。言葉として理解できない。男を殺さなきゃ。

「ひいいいい!やめてくれ!殺さないで!!」

「電撃出ろよ…何で出ねえんだよ!さっきみたいに出ろよ!」

ヘッドギアの足に蹴りを食らわせて頭に拳を入れる。相手は大人で、自分より背が高くて、ならまずは体勢を崩さなきゃ話にならない。

「土地神様はそのご加護を人間が使って自分を崇めてくれるのを望んでいた。実際O/O圓には貨幣のやり取り以上の、それこそ大量に集めれば「奇跡」を起こすことだって不可能じゃない。まあその必要量を貯める事ができる人間はここ数年で見たことがないから、今となっては普通のカネとしてやり取りされる以上の意味はほぼない」

男を転がせてまずは両手を踏みつける。指がひん曲がるまで執拗に、武器なんて持たないように汚れたスニーカーで踏む。

「なんでか分かるか?」

「電気、電撃!出ろ、出ろ、でろ!でろよぉっ!!」

男の手が立ち上がる支えにすらならなくなったのでマウントの態勢を取る。顔面を拳で殴る。鼻が折れる硬い感触、眼球が潰れるしっとりした感触。血と頬の肉の感触。

「ハァ…ハァ…星教よ…我を導き給え…!」

「でろ…でろ…え?」

我に返った大毅が後ろを振り返ると、死んでいなかった黒焦げの白服がこちらに向かってきていた。マウントの態勢でしゃがんでいるので逃げ出すことも、迎え撃つために踏ん張る事もできない。ああ、ああ。ここで死ん───

「それはな、この街に蔓延している悪徳のせいだ」

ネックウォーマーの覆面男が白服の進行方向に移動し、タイミング良く脳天に拳骨を食らわせた。白服の体が───目視できる程度のコンクリートのひび割れと共に───勢い良く地面に叩きつけられた事から相当の威力だった事は間違いない。

「悪、なあ。そんなのは人間特有の価値観で、価値観の線引きは社会によって違う。じゃあ探せばいい。どんな時代や場所でも、どんな人間でも、満場一致で「それは悪だ」と咎められる行為を」

「何だか分かるか?ヤニくっせえガキ」

殻辛は両足のホールドで白服の体を固定し、片手で白服の頭をまるで固いジャムの瓶でも開けるように捻り始めた。見ればわかるが、殻辛は左腕がない状態で一連の動作を行っている。

「「奪うな」と「殺すな」」

白服の頭が恐ろしい万力によって胴体と分離した。周囲にごりごり、べきべきと首骨が折れる音が耳を塞いでも聞こえる。勢い良く血が噴き出す断面を少し辟易したように見た後、ポイっと下へと落とした。落下したと思われる音は、いつまでも聞こえなかった。

「この2つだけは時代が違おうが文化が違おうが、生物の種として違おうが絶対的な悪だ。故にO/Oでは強奪と殺傷が悪徳として何よりも肯定され、この都市に呼ばれた人間にとってそれらが何よりも前進するのに必要な燃料であると、まことしやかに囁かれている」

殻辛は大毅からヘッドギアの男の死体を奪い取り、それも奈落へと捨て去った。

「もう分かるな?O/O圓を大量に貯め込む前に奪われるか殺されるか、その道しか残されていないから普通のカネ以上の使われ方は存在していないも同然なんだ」

遠くからマヨネーズがこちらに向かっているのが見える。今この踊り場にいるのは殻辛と大毅と、無造作に転がったアタッシュケース。

「ところでO/O圓にはTL-1998、この都市を作ったクソッタレな平行世界への帰還が出来る権能があるらしい。それが出来たって事実は俺が知っている以上聞いたことないがね。さぁ~お前がこれから何をすべきか分かっただろ?」

殻辛と合流したマヨネーズがアタッシュケースの中身を確認すると、中には仕事道具やら霊銀洗礼済トカレフのジャンク品やらに紛れて何十枚かのO/O圓が存在していた。

「奪うために殺せ。そうしてお前は前に進める。そのためにお前は俺の店の手伝いとその力の特訓をしてもらう。返事は?」

マヨネーズと殻辛がこちらをじっと見る。恐怖から現実に戻ってきた大毅はおずおずと、しかし迷いなく答えた。

「奪って殺すのは、分かった。最初から逃げ道なんて1本しかないならそこを進むのはわかるけど…」

「けど?」

「O/O圓?の最初あたりなんて言ってたの?もっかい言ってもらえない…?」

マヨネーズが隣のネックウォーマー男を睨みながら詰問する。

「ちゃんと、説明、したんだよな?」

「うぇ~?当たり前じゃないっすか、話聞いてないこのクソガキが悪いんすよ」

「初めての殺しが終わって、落ち着いてから、したんだよな?」

「…っす、そりゃ…っすよね」

瞬間、目にもとまらぬ速さでマヨネーズは殻辛の顔面を覆っていたネックウォーマーを剝ぎ取り投げ捨てるモーションを大げさに取った。

「あー!あー!ごめんなさい!すいませんでした!」












アウターオーサカ

この世界の大阪府が更なる土地を求めて作成した小型宇宙。しかし土地神の暴走により無限の世界より住人を呼び寄せる無法の世界と化した。通称O/O。
様々な世界の住人を呼び寄せるためアウターオーサカそのものに言語翻訳機構が搭載されているが、精度はそこまで良くない。O/Oでタイプ・パープルを「紫煙使い」、エーテル投射実体を「紫煙体」と呼ぶのも言語翻訳の欠陥が原因と言われている。いわゆる「アウターオーサカ弁」。


爪弾きの紫という色が起こす現象と波乱に関して

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アウターオーサカ タイショウ区画 駅前ストリート 2046/04/07 08:52

「大毅、体調大丈夫か?飯は普通に食えてたみてえだけど」

O/O生活3日目。大毅はあの後体調を崩したため特訓はせず、死に物狂いで殻辛の店の手伝いだけをしていた。こちらの懇願も聞かず従業員としてこき使ったくせに今更心配とは一体どんな風の吹き回しだろう。

「なんとか…何でいきなりそんな心配、キモいんだけど」

「キモっ…」

青筋が浮かんだこめかみをトントンと叩き、努めて冷静に殻辛は説明する。

「…タイプ・パープルだけじゃねえ、現実改変者ってカテゴリに属する人型脅威存在はみんなバックラッシュを始めとした副作用を異常行使のたびに引き受ける。特にタイプ・グリーンなんかは脳を始めとした精神への激甚な影響があるんだ。お前が弱いわけじゃねえから安心し…」

「は!?脳への影響!?能力使うたびに!?先に言えよ!俺かなりやべえんじゃ…」

「最後まで聞けや!チッ…結局怒鳴っちまった。すまん」

一旦深呼吸、殻辛は説明を続ける。

「だがな、ここでタイプ・パープルは他のタイプカラーどもよりも圧倒的な利点がある。紫煙使い共は元来現実改変者としてその体に持てるはずだったエネルギーの全てをエーテル投射体…紫煙体に預ける事でそれらのデメリットをおっ被せることが出来る」

「う、うーん?」

「パソコンを想像しろ。他の現実改変者はスーパーハイテクコンピューターだ。ただし行う処理の全てを初期設備で賄わなくちゃいけねえ。一方紫煙使いはそれらのコンピューターとはグレードダウンするものの、外付けの空き容量が存在する。分野によってはこっちの方が優れていることもある。これでどうだ!?」

自分にしては会心の説明だと思ったのだろう。大毅に理解を求める殻辛の語尾は心なしか力んでいた。大毅は「まあ実際分かりやすかったし気を使う必要ないか…」と思いながら

「オッケー、理屈は分かった」

と返事した。ご満悦な殻辛の顔をぼーっと見ていると、あることに気づく。

「待って、じゃあタイプ・パープルって最強じゃね?デメリット無しに現実改変出来るんでしょ?」

「さっき言ったろ?グレードダウンしてるって。処理能力じゃなくできること改変範囲に限って言えばお前に出来るのはせいぜい計算とエクセルとワードとパワポだけ。でも向こうはゲームも音楽もエロ動画も音楽作り動画作成だって何でも出来る」

「何だそれ、ズリィ!俺だってエロ動画見てぇよ…!」

「例え話に乗っかってるだけだよな?なんか妙に真に迫った悔しさだけど例え話なんだよな?」

「てかさー、聞く限り紫煙使い以外の現実改変者はみんなそうなんでしょ?じゃあ紫煙使いって本当にそいつらの仲間なの?」

歩いている殻辛の足が止まり、顎に手を当て考え始めた。

「殻辛?」

「意外と…鋭い所を突くんだな。うん、そうだ。その通りだ。タイプ・パープルはその特性、何より発現経緯が他の現実改変者とは全く違う毛色であるためGOCの中でも「コイツらは全く別の異常存在なんじゃないか」って説が少数派ながら定期的に挙がるくらいだ」

「特性…発現経緯?」

「対象が非常に大きな心的傷害を負った瞬間から直後、もしくはそれを強く想起した瞬間から直後に神格存在との接触。それがタイプ・パープルの異常性発現の条件だと言われている」

「心的…傷害?」

「乱暴に纏めると、トラウマ。他の現実改変者は全能感に包まれながらその能力を思うがままに使うが、紫煙使いだけは違う。トラウマと後悔に苛まれながら異常を行使する」

「ああ…そっか」

大毅の声が少しだけ低くなった。当たり前だが大毅も紫煙使いである以上、そのトラウマを持っている。そしてそのトラウマで頭がいっぱいになりながら、O/Oに来てすぐ人を殺した。

今はあまり考えさせない方が良いと思い、殻辛は会話に集中させようと話を変える。

「まぁさっきの話からも分かる通りタイプ・パープルはエーテル投射体が、紫煙使いには紫煙体が最大の攻撃手段兼命綱になる。だがこないだのお前はどうだ?紫煙体を出さずに現実改変を行使しただろ?」

「あっ…だからそのバックラッシュ?ってやつを俺の体で処理しなくちゃいけなくなったから、具合が悪くなった?」

「その通りだ、いいぞ賢い。だからお前は紫煙使いとしてまだスタートラインにすら立ってないってことだウスノロのガキが!」

「急に情緒」

「で、まぁマヨネーズさんとの特訓内容はその紫煙体を自由に操作することと紫煙体の戦い方なんだろうけど…お前「紫煙」ってなんだか分かるか?」

「えっ知らん…ていうかそれ前に聞こうと思ったんだよ!」

「じゃあ覚えとけ、煙草の煙のことだ」

「タバコの…あーっ!初対面のあの時変な事聞くなって思ったら!」

大毅は驚愕しながら殻辛のニヤけた面を指差す。

「紫煙体の顕現を含めた異常を行使する際、必ず周囲に煙を発生させる。これがタイプ・パープル最大の特徴であり、その煙なんと煙草の煙なんだ。品種や葉巻、電子など具体的な成分量は個体ごとに差異こそあれど、紫煙使いが現実改変を行う際には例外なく地球上のどっかに存在する煙草の煙をまき散らす」

「んじゃあマヨネーズさんが最初言ってたのは?「煙止め」ってやつ」

「紫煙使いは現実改変をしなくても日常生活で無意識のうちに紫煙を撒き散らす。特に発現したてのヤツは酷いって聞くぜ?そうなると正常性機関にバレやすくなるとか、色々不都合が起こるわけだ」

「だからそれを止められるようにする特訓ってわけか…」

「そゆこと。まあ無意識の時間を完全に無くせるはずがないし、完全に紫煙は止められない。そもそも煙止めだって一朝一夕で習得できるもんじゃねえ。ならどうするか」

ここまで駅前を徒歩で移動していた2人は目的地に到着した。キープアウト・テープを想起させるようなドギツい黄色と黒の雑居ビルは、見ているだけで目に痛かったので早々に中に入る。

そこには煙草、煙草、煙草…煙草の陳列棚が果てしなく続いているような店だった。

「この世に存在する煙草の煙なら、そいつと同じモンを吸えばいい。そうすれば「無から湧いて出た異常な煙」じゃないだろ?」


そこから殻辛は料理人の端くれである自分の鼻と嗅いだ時の記憶を頼りに、無人の店をかれこれ30分は探索してそれっぽい煙草を見つけた。

「なぁ~ま~だ~?」

「待ってろクソガキ!アメスピっつってもどれだ…?少なくともメンソール感は無かった…レギュラーの中から探すか…」

殻辛は陳列棚からオーガニックリーフを取り出し、箱越しにスンスンと匂いを確かめる。

「…これだ、間違いねえ。違ったら料理人やめてやるわ!」

「なんで煙草のチキチキクイズで料理人としての人生賭けるんだよ…もう帰ろう~」

「オゥ」

料金を床に置いて店を殻辛は後にする。作法がわからない大毅はあれでいいのかと疑問に思いながら後に続く。

「じゃあ俺マヨネーズさんと修行に行くから、付き合ってくれてありがとう」

「待て」

殻辛が大毅にヒョイッと何かを渡した。それはさっき買ったアメスピのオーガニックリーフと…新品の傷1つない銀製のジッポライター。

「俺から、個人的な餞別だから金はいらねえ」

「えっ、いいの…?」

「100圓ライターとかチャッカマンとかとは訳が違うぞ。点けれるか?」

「教えてくれ!なぁ頼むよ!」

「しゃあねえなあ…」

男は煙草を咥えた子供に寄り添い、子供にジッポを握らせたままチッチッと点火を教える。

「吸ってみ」

「ウワ!未成年に喫煙強要!」

「ほんで時間ねえから、吸いながらマヨネーズさんとこ向かえ」

「ウワワ!吸い歩きまで強要!」

「テンションがうぜえし小難しい言葉使うなガキが!」

子供は不思議な高揚感と共に、作法を教えてくれた男の前で見様見真似の悪徳をカッコつけながら敢行する。

「どうだ?感想は」

「ゲッホゲホ!こ、こんなの毎日…?」

「嫌ならさっさと煙止め覚えろ。煙草も次からはお前が買えよな」

「ふぁ~い…なんか無駄にテンション高くして損した気分…」

男は子供が別方向に歩み、ネオンと街頭ビジョンの煩わしい雑踏に紛れていくのを見ていた。見えなくなった後もしばらく、見ていた。


「どうだね大毅くん、ここでの生活は慣れたか…とまでは行かなくともここがどういう都市かはなんとなく理解できたかね?」

殻辛とタバコ・ショップに赴いたその足で大毅は天地返しの高層ビル群、そのうち1つの空き部屋でマヨネーズと合流した。

「はい、まだ信じられませんけど…」

「その割には順応が早く見える、謙遜しなくていい。話す必要のないことも話していいし、反対する意思も存分に表明しなさい、私の相槌なぞ気にする必要もなく自分のペースを崩すな。だが私には澱みのない真実を話せ」

澱みのない声色でそう返された。自分はこの人に何も隠し事をしているはずがないのに、何故だかこの人の前では全てを見透かされている気がしていた。

「さて…今回は実地指導ではなくあくまで基礎練習になる。君に要求するのは紫煙体の明確なビジョン化と煙止め、優先順位はない。両方同時に行えるようになりなさい」

「はい!…え?両方同時って?」

「文字通りの意味だ。紫煙体を出しながら煙止めを行う」

「どっちも出来ないのに!?」

「同時にやりなさい」

「だって!煙止めって「日常生活で紫煙使いってバレないようにする技能」で紫煙体って「戦場で紫煙使いが戦うための武器」ですよね!同時にやる状況って何想定ですか!?」

本人の許可があったためキレキレのツッコミを繰り広げた大毅にマヨネーズは感心したそぶりを見せる。

「君、目ざといな」

「ありがとうございます!説明してください!」

「急に情緒が…ちゃんと理由がある、何も煙止めを使用するのは日常生活だけではない。殻辛から聞いていると思うが紫煙使いは戦闘時、特に紫煙の漏出率が高まるのが常識だが、これは少し違う。いわゆる興奮状態でいる時が紫煙を激しく撒き散らす。戦闘時の高揚という常識はその一側面に過ぎないわけだ」

「はい、はい、そこまでは理解できます。筋も通ってる」

「つまり逆説的に言うと「煙止めは紫煙使いの精神を安定させる必須スキルになる」という事になる」

「…なんかそれ…前提と結果が逆転しているというか…嘘じゃないんですか?」

「故に逆説的だ。先人たちの経験談による口伝だが証拠はある」

「う、うーん…」

「…紫煙使いとして生きる、というのは茨の道だ。本来ならば「自分の思ったように世界が改変されていく」という感覚は全能感を持って行われるらしい」

「でも…紫煙使いが現実改変をする時、その心にあるのは、トラウマと後悔…」

「殻辛が話していたか。君も、そうだっただろう。人を殺した時、君の心は邪魔な障害物をどかすくらいの気軽さだったか?他の物事を考えられないくらい必死だったか?どちらもあり得る思考だ。だがその思考の片隅、もしくは中心に、必ずその力の源となったトラウマと後悔の念が存在していたはずだ」

「…その通りです」

「一説によると、紫煙使い…タイプ・パープルは他の現実改変者…カラータイプとは違う生物であると言われている。それは学術的というよりかは、タイプカラーがパープルを揶揄している側面が強い」

大毅はその時のマヨネーズの瞳がほんの少し、遠くを見ている気がした。天も地もコンクリートジャングルで満たされたO/Oに辛うじて空と呼べるほどの、残された空白を部屋の壁越しに見ているような感覚だった。

「それを端的に言い表した文章がある。財団と連合の合同作戦に狩られたタイプ・ブラックの言葉だ。」

『我々に豚の胎と猿の種なぞという穢れた材料は必要にあらず。天にそうあれかしと願い、全てを持ち、完璧なかたちで産まれた全能そのものである。なれど彼らは当てはまらず。』

『彼らは、茨より産まれ、棘にその身を苛まれ、紫の血潮を花弁のように撒き散らす、苛烈そのものである。』

「カラータイプが強奪、殺害をする時に血は流れない…正確には流す事もできるが必要ないという感じだろうか。彼らはあれが欲しいからあいつを殺したい、と思えばすぐに実行できる。自身と対象、どちらも一片の流血なしに対象をこの世から無かった事に出来る。文字通りに。そして最期はその精神や脳に迫った全能の代償にすら気付くこともできず、全能感に包まれたまま死ぬ」

「だが紫煙使いは違う。その極狭な改変能力は全能ではない。故に血を流しながら物を奪い、傷を負いながら殺す。その様子が全知全能からしてみれば「苛烈」と認識しているらしい」


「ハァ…ハァッ…ゼー…ゼェ…」

「素晴らしい、ここまで動ける想定では無かった。紫煙体関連はからっきしだが、逆に言うなら基礎的な戦闘訓練に割くべき時間をそれらに充てられるということ」

30分ごとに5分の休憩を挟み、特訓は3時間ほど行われた。肩で息をしている大毅とは対称的に、マヨネーズは最初から動いていないかの様に紙提灯を垂らしながら煙まみれの空間に佇んでいる。

「つ、強くないですか…?」

大毅は最後の30分、マヨネーズと「能力使用アリ」の模擬戦闘を行ったが触れることすら敵わなかった。

「冬場の金属程度にはビリビリきたので確実に攻撃は届いていた、落胆するな」

「正直だなぁ…」

「これからも特訓はこのくらいの時間で終わる。だが初回は…少しミーティングをしようか」

そういってマヨネーズは座り込んでいる大毅にスポーツドリンクと…見慣れたオーガニックリーフの箱を渡した。

「な、なんで分かったんですか…まるで、見抜いたみた───」

「さぁ…これだ」

マヨネーズは返答せず、左手首に填めた鉄製のリングを見せた。そのリングを上側にしてマヨネーズの手首にホログラムが…大毅も見慣れたスマホ画面のホログラムが映し出された。

「このアウターオーサカは大毅君も知っての通り、外からの侵入方法は容易ではない1つの独立した国のような振る舞いをしている。その中で「自分たちがこのO/Oという国家の政府だ」と主張しているのが、 脳樞クレイニアと言われる傀儡政府」

ホログラム画面は壁に大きく投影され、脳樞クレイニアと上に書かれた3分割の円を表示した。

「議会には右脳ヨウナオ左脳ヅオナオ小脳シャオナオの3派閥が存在し、それらにそれぞれ所属している神経官僚ニューロジェントがそれぞれ好き放題に司法/立法/行政を行使している」

「かいらい?政府っていうのは何ですか?」

「よりおおきな権力の言いなりに政策を行っている操り人形の政府ということだ。人形師の名前は 六頭体制ヘキサド。6の企業から成り、現在のO/O成立に大きな功績を残しているため誰も逆らえない」

「仮にもし逆らえるとしたら…その6の企業のどれかってことですか」

脳樞の真上に6つの柱が聳え立った。

「前時代的価値観の 東弊重工、倫理を投げ捨て進化を夢見る ニッソ医機、組織内の制御すら満足に行えない頭でっかち Yakushi、腐りきった 理外研、厚顔無恥 Ttt社、コバンザメ 神々廻重工

「すごい悪口だ…」

「この企業連もまた脳樞と同様、腐敗の温床であり統治とは程遠いやりたい放題をしまくる。その脳樞と六頭体制がなんとしても実権を握り、秩序を維持したい存在が 土地神ゲニウス・ロキ。俗にヒルコと言われている。」

円と柱を支える様に真下から 《 }{¡ЯบXØ 》と書かれた線引きが現れる。

「この空間を作り上げた張本人であり、O/Oにおける大半の宗教団体は我々O/Oの住人は “胎盘”プラセンタと言われるヒルコの体内に包まれて生活していると主張している」

「こんがらがってきた…」

頭を押さえる大毅にマヨネーズは軽く頭を下げる。

「前提が多くて申し訳ない、ここからが本題だ。しかし近年、そのO/Oにヒルコを神と崇めない宗教団体が頭角を表わした。それこそ君が相手した白服、 渴望星空的虔诚者ルナ・ジュペリ。直訳では「星空を渇望する者」だが、他世界では エルマ星教と名乗っているのを確認済みだ」

「エルマ…?」

「君が思っているエルマ外教の分派…と言うよりかは一方的に名前を借りている過激派らしい。星教が信仰するのはヒルコでも女神エルマでもない、 星神ティアマトと呼ばれる外来の神だと聞いている」

ホログラム画面の右上から黒いモヤモヤが現れた。これが星教の立ち位置らしい。

「こいつらを殺し回りO/O圓を奪う。彼らが犠牲になったとて先程の集団は気にしない。アウターオーサカ市警の O2PDは違うだろうがな」

「嫌われてる…んです?新参者だから」

「何故嫌われていると思う?まあ正直こう言った難問を吹っかける真似をしたくはないが、こうした方が覚えやすい可能性もある」

「んん…ヒント!ヒント下さい!」

「これまでの情報でわかるようにはなっているが…そうだな。ヒントその1、O/O圓は他ならないヒルコ自身が人間に使って欲しいと思っている」

「なる、ほど…」

「ではヒント2───」

「あっ」

マヨネーズが2本指でピースサインを掲げようとしていたが、大毅の声でピタリと止まった。

「えっと…ゲニウス・ロキであるヒルコは、悪徳とは別に人間からの信仰心が必要なんです。神様だから」

「そうだな」

「それでO/O圓の齎す「奇跡」というのは…人間が自分を信仰してくれるためにヒルコが行なっている事じゃないですか?だからO/O圓が貨幣以上の役割を持たなくなって長い時間が経っても、「奇跡」の噂は途切れていないし信じている人もいる。ヒルコがそう…いや、クレイニアとヘキサドがそう仕向けているから」

マヨネーズの片眉が釣り上がる。

「ヒルコの信仰心がないとO/Oに不都合が起こる…?いや違う、ヒルコとは別の神を信じる人間がいると目障りなんだ…とか、ですかね?」

ただでさえ静かだった廃ビルの空き部屋に沈黙が流れる。せめて何か言ってくれと大毅が不安に思っていると、返ってきたのは感嘆の声だった。

「素晴らしい」

「お…本当ですか!?」

「いや、本当に素晴らしい。想定以上だ、どこでその推理力を?」

「えっ…ええ〜?塾には通ってました、今も通えていれば中2です…」

「ウチのチャランポラン共もこのくらいしっかりしていれば…敬語とは言わん…せめて、せめてですます口調を…」

これまで超然的な態度で底の見えなかったマヨネーズだが、初めて人間らしい感情を見た気がする。

「失礼…ほぼ正解だ大毅君。ゲニウス・ロキ、即ちO/Oの土地神であるヒルコの在り様はこの土地に直結しているのだ。今は空間も少しずつ拡大し続けているが、これが信仰心が低くなるとどうなるか…その逆のことが起きるとクレイニアは想像している」

「さっき言った「不都合」がそれですね!?想像より大変なことになるじゃないですか!」

「ああ、現時点でもこのO/Oはこじれねじれた空間になっているため大事にしたくないのだろう。むしろ星教の連中を殺すことで感謝されるかもな」

「あはは…」

「む…冗談と思われたか。O/Oには 《霊柩者》デッドレッカーと呼ばれる遺体業者もいる。場合によっては彼らに売りつける死体も多くなるかもな」

「O/Oでは死体も売り物になるんですか!?」

「閉じられた空間で人間が所狭しと大勢いる際、燃料や材料に使われるのは人間だ。捨てる所が無いほどにそう言った物品には枯渇してるんだよ」

「へえ…ん?あれ?」

「どうした」

「マヨネーズさんや殻辛…さんが殺しをする時、死体は売ってるんですね?」

「私はそうだ。殻辛もカネが有り余っているわけじゃなかろうに、そうしているだろう」

「…なるほど?」

マヨネーズの目がゆっくりと細まった。

「大毅君、最初に言った通り私には澱みない真実を話して欲しい。何に気づいた?」

「いや…殻辛は死体を捨ててたなって…」

「…ああ、あいつは料理人のプライドというものがあるらしくてな、変な所で潔癖なのだ。こういうことは覚えておいた方が付き合い方もわかる」

「なるほど…」

確かに殻辛には料理人のプライドはある。だが、だが何か…

「では明日からも修行、定期的に私と殻辛が同伴で殺しを行う。我々2人という補助輪が外れるよう精進して欲しい」

「は、はい!」

「っとそうだ…最後に、もう1つ教える事があった。すまないね、これで本当に最後だ」

「なんでしょうか?」

「星教の出現と共に、我々と同様の思考で彼らに喧嘩を売るO/O住民も出てきた。しかし星教とて黙ってやられる奴らでは無い。信徒1人1人の戦闘力で言えば返り討ちに殺されることのほうが多い」

「そんなに…強いんですか…?」

大毅は固唾を飲む。あくまでも前回殺せたのはまぐれだと釘を刺されるのだろうか。

「そうでは無い、君は鍛えれば星教連中には何の問題もなく対処できるだろう。私が保証するよ」

「また心を見透かされたみたいに…えっ?星教連中、には…」

マヨネーズは大毅に向き合いゆっくりと頷く。左手首のリングを操作し、廃ビルに大音量でジングルとガシャガシャの声が鳴り響いた。

「グッモーニン!アウターオーサカ!便所蠅がたかる愛しき我が肥溜めの故郷!そこに住まう同類のウンコ野郎共に本日もホッカホカのウンコ・ホットラインをお送りするO/Oレディオの時間だ!」

「…早送り、全く教育に悪い」

キュルキュルと数秒音が鳴り、該当部分に近づくにつれて声のトーンが戻る。

「………というわけなんだが、この死亡人数を聞いてピンときたそこのお前?いいねぇ頭の柔らかいヤツだ、やわらかウンコだ!こいつらは全員例の「星教」野郎で死因も同じ、全身の殴打による撲殺もしくは圧殺!そうだ!「悪魔の眠る冷蔵庫を持った男が悪人どもを殺しに向かう」! O/Oでこの頃噂のフレーズだ!」

「悪魔の眠る…冷蔵庫?」

「冷蔵庫の平均重量知ってっか?1人暮らしのお手頃サイズでも30kg、ファミリーサイズだと100kgに迫る!タイマーやらナビやら便利機能をつければさらに重量ドンだ!そんな鈍器をなんと、鎖か何かに繋いでカンフームービー・アクターよろしくヌンチャクみてえに扱ってるって噂だ!こいつはもっぱら星教の連中を目の敵にしているが、殺しの現場に乱入したヤツにも容赦はしないってよ!お〜コワコワ!冷蔵庫に潰されて死ぬのと燈貪ドートンにきりもみ3回転でダイブするのどっちがいいんだろうな!ハッ!殺人現場の近隣住民の方はお気をつけて!じゃあ次のウンコラインだ!………」

ここでマヨネーズは音声を切った。

「この「冷蔵庫の男」…相当に用心したほうがいい。こいつはもう30人殺している」

「ま、マジですか…」

「遭遇したら逃走第一、スゲトラニに入るまでは他に気を取られるな。そのあと殻辛と私で対処する」

「対処するって…戦った事あるんですか?」

大毅の問いに、マヨネーズは声色を変えずこう答えた。

「ああ、強かった…洒落にならんくらいにはな」

「そうなんですか…」

大毅は考えていた。紫煙使い、紫煙体、殻辛が死体を捨てた意味、冷蔵庫の男。何か言語化できない違和感は、何度再思考しようと自分を拾ってくれたあの料理人の顔に帰結していく。

「料理人…佐竹 殻辛…」


些かダイジェスト気味な幕間「膨らむ疑念に足を止めて」

アウターオーサカ ヒラカタ区画 駅前ストリート 2046/05/14 23:28

「しつけえ…!」


Devil sleeping in the refrigerator.

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2046/06/01 アウターオーサカ タイショウ区画 路地裏の奥の奥

大毅が殻辛とマヨネーズに拾われて大体2ヶ月が経った。大毅の飲み込みはまあボチボチといったところ。煙止めは数秒だが安定してできる状態で、紫煙体はぼやあっと像が見えるくらい。四足歩行の何からしい。ただその技能習得以上に、大毅は殺しを手際よくやっていた。10人以上を殺し50万圓ほどのカネを手に入れていた。大毅は殻辛たちがそこから何割かハネるものかと思っていたが、殻辛は自分の店で働かせているため給料の代わりにとっておけと拒否している。

まあ言ってしまえば大毅の計画は順調であり、今日は珍しく特訓と店の手伝いどちらも休みの日であった。なのに大毅と殻辛は2人きりで何故か路地裏を歩いている。

話は数時間前に遡る。殻辛はいつものようにスゲトラニに屯するお客たちを適当にいなし厨房を回していたのだが、そこに大毅が店のドアを勢いよく開けてこう言った。

「殻辛!ちょっと来てくれよ!出来れば店も今日はもう閉めて欲しい!」

「あ゛?」

「怖っ!提案程度でそこまで怒る事ないだろ!?」

「いいか?料理というのは俺のアイデンティティだ。じゃあこの店は俺が俺であるための大切な舞台だ。それを中止にしろと言うのは観劇に来た客どころか主演の俺にも迷・惑・だ!」

「ええ〜そん…ああいや、頭ごなしにそう言ったのは謝る。ごめん」

2人のやりとりを見ていた客の中で、背中にペンシルロケットを溶接した客が椅子の座り心地を試行錯誤しながらヤジを飛ばす。

「佐竹ちゃ〜ん、別にいいじゃねえかよ!大毅がこの店に来てそろそろ2ヶ月だろ?記念日って奴だよきっと!」

「俺らはカップルじゃねえ!どう見えてんだお前の目!」

「俺も若い頃はハニーと裏難波ウランバーナの上空を背面弾道飛行したものさ…ハァッ☆」

「自分の世界に入るな」

カウンター席で上品に煮付け定食を食べていた雪女も加勢する。

「隠し子として生きてきたから父性に飢えているのですよ…私たちはもうおいとましますから…おふたりの時間を大切にすればよろしくて?」

「どこをどう解釈したらそんな尾ひれがつくんだ…!」

「ヨイじゃないですカ、こんナ若い頃から親孝行したいなんテ!大毅クンは立派に育ちましたヨ」

「えへへ…立派だなんてそんな…」

「オイいいか?俺が自分の子供に最初に教えるなら料理のことって決めてんだ。こいつに最初に教えたのは何かわかるか!?」

「はいはぁ〜い、みんな今日は別の所で食いなおしましょ〜」

「「「「「さんせーい!」」」」」

こうして客たちは全員会計を済ませて帰っていった。こんな茶番のために米粒の1つでも残していたらキレてやろうと思ったが例外なく綺麗に完食しており、なんでそこは律儀なんだよと殻辛はそこでもキレた。

そうして大毅に「何も言わずついてきて欲しい」と言われてこの路地裏に案内されている状況だ。

「しっかしよお、こんな所何もねえぞ?」

「ああ、まあね…」

「サプライズなんかいらんぞ。というか久々に特訓が休みだって聞いたから手伝いからも外したんだ。今日1日くらいは英気を養って…」

「…ねえ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」

そう言うと大毅は道端で足を止めた。ネオンの光が届かない路地裏に、街灯に申し訳程度の設置をされている豆電球に羽虫が集まっている。

「んだよ…今じゃなきゃダメか?」

「なんで紫煙使いのこと、そんなに詳しいの?殻辛は紫煙使いなの?」

「俺とマヨネーズさん共通の知り合いにそう言う奴がいたからだ。その時もお前みたいに色々やってやったんだぜ?」

「なんであの時、白服とヘッドギアの遺体をドートンに捨てたの?デッドレッカーに換金して貰えば良かったのに」

「ばっちかったんだよ!マヨネーズさんがせかして店からエプロンのまんま出てきたから汚すわけにはいかんだろ?」

「…」

「オイ…こりゃなんの真似───」

「お前が」

大毅は後ろの殻辛に向き直った。豆電球に照らされて顔の輪郭がはっきり見える。目も口角も、追い立てられたような顔だ。

「悪魔の冷蔵庫を持った男なんだろ、佐竹 殻辛」

「待て!なんの話だ」

「もう100人以上殺している人間の噂を知らないなんて言わせない」

「冷蔵庫男は知ってるよ!でもそれが俺?ハッ!アレか?料理で使うからってか?」

半笑いで捲し立てた後、殻辛は憎悪のこもった目で見つめ直す。

「クソガキが考えたつまんねえ嘘ほど不快になるもんはねえ…お前の脳みそならもっとマシな嘘をつくと思ったんだがな」

「ああ…じゃあいいや、お前が冷蔵庫の男じゃなくてもいい」

「ハァ?」

大毅の声、表情、仕草、全てがあまりにも正気じゃない。

「問題はな…お前らが俺を始末しようとする奴らだって認定できればそれでいいってわけだ」

その瞬間、真上にあった豆電球から明らかに異常な放出量の電流が真下の大毅に流れ込んだ。咄嗟に殻辛は距離を取ったが、状況を完全に飲み込めていない。

「お前が遺体を残したくなかったのは、両方とも撲殺体だったからだ。冷蔵庫男の仕業だとあっという間に目星をつけられる。周囲の目撃者証言も多い以上そのまま遺体を置いていかざるを得ない場面も多かったんだろう。おそらくお前のリザルトは100人以上なんてちっぽけな数じゃない」

「ムチャクチャだ、筋が通ってない。お前自分で何言ってるか分かってんのか!」

「何より、なんでこんな奴を見返り無しで助けようと思ったかだ。俺のことを自分たちの手を汚さずカネを献上する召使いと思うならまだしも、金の何割かを頂いていくってことすらしないのは異常だと思わなかったか?」

「んなもん、カネはスゲトラニの給料としてあげてるに決まってんだろ!」

「最初に会った時からお前は確信してたんだ。自分の言うことを聞いてくれる能力持ちの異常存在、それも世間知らずの弱ったガキなら自分の悪事のスケープゴートに仕立て上げられるって…!」

「オイ…!いい加減にしろよ、それ以上言ったらもう謝っても許さねえ!」

大毅に流れ込んでいた電流が止んだ。正気に戻すために今は戦うしかない。左足を前に出し大きく踏ん張る。

「なら殻辛、最後の質問だ」

縮地の容量で出来る限り靴を地面から離さず一瞬で距離を詰める。狙うのは首───

「お前は、何のためにあの料理店をしている?」

「…!」

殻辛の手は喉にクリーンヒットした。したはずだが大毅は喋り続けている。彼の顔面から銅線やコードが心太のように溢れ出し、彼の体を飲み込んでいく。

瞬時に殻辛は手を引き剥がしたが、電気の線が寄生虫のように食い込み纏わりつき、そこから微弱な電流を感じる。

「バカな…お前はまだ紫煙体を出せないと…!」

「このO/Oで必要なのは悪徳、それこそが何より奨励されると俺に教えたのはお前のはず。それが何だあの体たらくは?」

ボトボトと落ちてゆくコードが全身を形成してゆく。蹄、胴、首、鬣、顔、そして角。

「律儀に価格設定をして、客と楽しそうに談笑して、それが悪徳?奪って殺すのがO/Oの住人じゃなかったのかよ」

電気を帯びた一角獣は主である少年と共に紫煙を周囲に撒き散らす。遠慮をすることなく殺すという、剥き出しの感情表現。

殻辛は素早く相手の死角、街灯よりさらに高い位置の電柱に張り付き闇に紛れた。出現させた紫煙体よりワンテンポ早く大毅が目で追う。路地の暗闇の中で殻辛の左袖が「まるで腕が存在しているかのように」揺らめいた。

「"ウエスト・エレクトリカル・グルーヴ"!!」

紫煙体の名前を大声で呼ぶと、紫煙体の角先から眩しいほどの電光が発せられた。それとほぼ同時に男と少年の姿が照らされる。

男が普段から風になびく旗のように靡かせている、腕のない左袖。そこから永久に伸び続けるかと思うほどの鎖が1本顔を出し、先端にはフィクションか精肉所でしか見ないような非常に大きな銀色の業務用冷蔵庫を付けていた。

少年の隠れていた額、そこに青白いシンボルが刻印されていた。目を凝らすと彼の双眸にもカラーコンタクトのように存在しているそれを確認できる。

「お前それ、星教の…!」

「は、ははは!」

大毅は紫煙体を一旦霧散させ、自身はバックステップで地面にめり込む冷蔵庫を避けた。

「やっぱり!お前が「悪魔の眠る冷蔵庫」を持った男!噓だったんだな!全部!何もかも!」

「星教の外法に身を染めやがったのか…!いつから、一体いつから…?」

「お前を疑い始めた時からだっ!星教にお前の身柄を明け渡すことを条件に俺は洗礼と、自分の安全を確保するための居場所を受けた!」

殻辛は考えを巡らす。まだ大毅に教えてない事が1つあり、それこそが対紫煙使いにおいて最重要事項。すなわち「紫煙体は紫煙使い、もしくは別の紫煙体にしか消滅できない」主であるその紫煙使いの手で意図的に消滅させるか、同じ人型脅威実体である紫煙使いが討伐するか、紫煙使いのエネルギーが尽きるか。そうしないと消滅することなく暴れ回るエーテル投射実体は正常性維持機関にとって面倒な相手だ。

「それは…どうにかするしかねえとして」

大毅の現実改変内容は「電気の吸収と放出」それで間違いない。問題はあの銅線や電気コードが未知の現実改変であること、そして電気の放出がどのように行われるのか。最初に大毅が放電しているところを見た時は全身から行っていた。その後「ショート」してしまったのかしばらく電流が出せなかったが。一方今は歪んだ形であるが紫煙体を完全顕現している。その紫煙体、一角獣の角先から放電しているように見えた。どこでも直接触れること自体危険か…?

「噓つき!噓つき!お前は俺の親代わりでも料理人でもない、人殺しだよ!」

コンクリートにひび割れが起こるほどの衝撃。そこに凶器である冷蔵庫がめり込むという奇怪な状況に大毅は一瞬地面に目を向けざるを得ない。殻辛の左腕から出て来る鎖の長さはまだ余裕があることを示すかのようにギャリリリと音を靡かす。殻辛本人は頭上を走り背後を取り、そのまま掃除機のコンセントさながら鎖を自身の体に収納する。殻辛と冷蔵庫に挟撃された大毅と"ウエスト・エレクトリカル・グルーヴ"はモロにその重量を体で受け止める。

「お前みすぼらしい食堂なんかをやっているのは周囲の目を欺くためだ!ぶっきらぼうで、でもどこか憎めないキャラの「味付け」!血の臭いを隠すための隠れ蓑に過ぎない!そこに俺という格好のスケープゴートが出てきたから本格的に通り魔殺人を開始したんだろう!?」

大毅の額に内出血の痕が出来る。それでもガキは痛みを感じていないかのように、男の噓を暴くことが最上の快楽であるように言葉を止めない。

「…!ウ、グッ」

「良かったあ、右手に潜り込ませた以上逆側に到達するのに時間がかかると思ったんだよ!」

力が入らない。水掃除用のゴム手袋でも持ってくれば良かったと後悔したのはほんの一瞬。もう一度冷蔵庫と鎖を操り、今度は周囲の壁面を利用しスーパーボールのように反射させて攻撃する。しかしここで、自分の総合的な速度を大毅が上回りつつある事に殻辛は気づいた。

「こっちの番だ」

今度は大毅がまるで線で引き上げられたように頭上に移動した。いや、「ように」ではない。"ウエスト・エレクトリカル・グルーヴ"の体毛であるコードが複雑に絡まったO/Oの電線に接続しているのだ。一角獣の切っ先からバリバリという轟音を轟かせ、大毅は星教のシンボルと共に歪んだ笑顔を見せる。

「その冷蔵庫に何を隠してるのか見せろよ、人殺し」

これは逃げられない。咄嗟に殻辛は後方へ走ったが、その雷は周囲一帯を焼き焦がし、また殻辛も例外なく黒焦げにされ、血に伏せた。

「よし、殺そう。お前を殺す」

大毅は"ウエスト・エレクトリカル・グルーヴ"の角をもぎ取り、片手剣のように構えた。その断罪の剣にもまた、剝き出しの電気と紫煙が漂っている。

「最後に俺に教えておきたいことある?どーせ噓っぱちだろうけど」

「…大体、正解、だよ。俺は…噓に噓を重ねて、この地獄に逃げてきたんだ」

「でも、でもよ、1個だけ…間違ってる事がある…」

「あ?」

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・


203█/██/██ 京都府 ███ ████████ TL-████

「おかえり!パパ!今日も遅くまでごくろうさま!」

「おお、ただいまただいま!何だまた難しい言葉知ってるなあ███は!」

「おかえりなさい、上着ハンガーにかけて、手洗いうがいして、お風呂入ったらご飯できてるわよ」

「ああ、ただいま。いつもありがとうな」

まだまだ俺はこの業界では若造だ。しかしその若造の中でも比較的いい所についているのではないだろうか。

「ねーパパ?パパはお仕事で高いお魚とかお肉をお料理してるんでしょ?ママのごはんおいしい?」

「プッ!フフフ…」

「ン゛ッ…ゲホッゲホ!美味しいに決まってるだろ!?ママもなんで笑ってるの!」

「アッハハ!イヤーごめんね。そうだよね~パパの方が美味しいごはん作れるもんね~?偉そうなおじちゃんたちが絶品ですなー!って言ってるのテレビで見たことあるよね~?」

「はぁ…あのな?███に██、料理に大切なのは上手さとか、食材じゃないんだ」

「えー?」

「ふぅん?」

「例えば、すっごく嫌いなやつに料理を作ってくれーって言われた時…」

「ハイ!ハイハイ!嫌いな食べ物入れて不味くする!」

「学校でそういうことしてないよな!?…まあそうだよな、でもママが作る料理にそんなものはないよな?」

「この間ワカメとブロッコリー入ってたよ!?」

「それは早く食べるようになりましょうね~」

「口にするものを自分で用意するんじゃなくて、誰かに作ってもらうっていうのはお互いに信頼と愛情がないと出来ないことなんだ。思いやりの心って言えばいいのかな…どれだけ高い食材でも最高の料理の腕があっても、お客さんに振舞いたいっていう気持ちに噓があったら美味しくないんだ」

「ふーん?」

「だからおカネを貰って見ず知らずの人に作るパパの料理よりも、ママがパパと███に作ってくれるご飯のほうがずっと美味しいとは思うんだ」

「あなた…まーた上手いこと言って」

「よくわかんない!じゃあ今度の休みにパパがなんか作ってよ!私が「しんさいいんちょう」になるんだから!」

「おっいいぞお!その時に料理も教えてやるからな!」

「ホント!?絶対教えてね!約束だよ!」


「佐竹君..ちょっといいかな?」

「ハイ、なんでしょう舟越様」

「君の料理人としての腕前を見込んで、是非とも会合に呼んでほしいという俱楽部があってだね…私もそこに所属しているんだが、予定取れないかね?」

「もちろん!いつもお世話になっていますから、予定のすり合わせが合いましたら!」

「そうかそうか…ありがとう、信頼している君からそう言われると贔屓にしていた甲斐があったというものだ。嬉しいよ。是非とも調理してほしい食材があるんだ」

信頼、その言葉を胸に秘めるとどんな料理でもできそうな気がする。俺の心の拠り所だ。


「う…うう、ひぃ…」

「おやおや、どうしたのかね佐竹君?いつも通り頼んだよ」

「正気じゃない…あんたら、正気じゃねえよ…」

「「この食材」は可食部が少ない、雑食で肉は臭いと調理が難しくてねえ…君のような一流なら絶対にいけると思うのだよ?俱楽部の会員の手前、私に恥をかかせたらどうなるか分かるかね?」

「た、助け…」

「おぉい船越君。どうかしたのかね」

「いえ、今行きます。…では私は宴会場に戻るから、頼んだよ」


「パパ、明日の休み…」

「ごめんな…その日も呼ばれているんだ…今度埋め合わせを」

「ううん、そんなことどうだっていい。その代わりに、パパに質問があるの」

「質問…?」

「お料理を人に作ることって、優しいことなんだよね?今のパパを見ていると、とっても苦しそうなの」

「…」

「ねえ…答えて?」

「…もちろん、パパは料理ができて、とっても楽しいよ」

その日、俺は初めて料理で、自分の娘に、噓をついた。


「すいません…本当にもう勘弁してください…限界なんです…」

「ふぅむ…まあそうか、君の苦痛は料理の出来栄えを通じて痛いほど伝わってきた。今回で最後にしよう」

「ほ、本当ですか…?」

「ああ、ただ今回の「食材」はとても貴重なものだ。是非とも、君に料理してほしい」

やっとこの苦痛から解放される。その思考しかできないまま、俺は精肉用の冷蔵庫を開けた。

そこに横たわる2つの肉。そのうち1つの左手に、見慣れた指輪があった。


「何でっ!何故だ船越!!どうして妻と子を…!」

「お前を開放するのは噓だからだ。ついでに言うと、お前を信頼しているというのも噓だ。絶対にこのことを外部へ漏らすだろうからな?」

「俺が…俺は…おれに、うそを…?」

「いやはや申し訳ないな、前途があった若者よ。噓の味というのは1度味わうとどうしようもなく中毒になるのだよ」

微笑みを絶やさない船越、泣き崩れ錯乱する俺。

そこに、聞こえないはずの声がした。

「ねえフナコッシー?今日は晩餐はナシかしら?肝心の料理人がこうなんだし」

「おや、█████様。今度はその遺体を依り代になさるのですか?」

「うん、どーせ腐らせそうだしいいかなって。そこの彼はこのお肉を捌く気がないでしょ?」

「全く早計なお方ですな…ならしょうがない、佐竹君。ガキの方だけ調理しなさい」

妻の声で、妻の体で、誰かが喋っている。死んだはずの妻の腐肉に、蠅が手をすり合わせたかっている。

「ああ紹介しよう。こちらが我々俱楽部が幕末から今日まで存在できる最大の理由、我々に暴食の加護を齎してくれる神」

「よろよろ~、あなたの奥さんの遺体借りてま~す。気軽にベルちゃんって呼んでね~呼ぶ機会ないまま死ぬんだけど」

噓だ。

彼女の体を借りるな。彼女の声で話すな。全部、全部、嘘っぱちだ。この世に真実なんてひとつもない。

そうか。噓なら、噓なら。

俺はこうしてもいいよな?

「何…!?佐竹君、ついに狂ったかね!?」

「わーお、いい食いっぷり!あたしそういうの好きよ…ねえねえ!あたしにも食べさせなさいよ!」

子供だったものだと言われた人肉にかぶりつく。立つ気力はない。膝立ちで冷蔵庫の棚に頭を突っ込み、ぶんぶん、ぶんぶんと髪を振り乱し、噛みちぎり、嚥下する。妻だったものが人肉を奪おうとする。互いに渡さまいと肉を散らかし、啜り、胃に運ぶ。

調理なんて、必要ない。味付けなんて、要らない。ありのままを、素材の味を半狂乱で楽しむ。

ごめんな、███。もう2度とパパはお前に、噓をつかないから。

「ひっ、や、やめろ近づくな!」

「もうご馳走様?すごーいすごいね!いくら子供サイズだからって、その体のどこに骨まで入る胃袋があるの?」

「…現実、改変だ。俺には、それが、出来ると…」

「…どうしてかな、頭で分かっていた」

体中から煙が出る。冷蔵庫の冷気に混じって、周囲が見えなくなっていく。見えなくなった眼前に、俺をいたぶるためわざと外さなかった指輪を煌めかせて、悪魔は言う。

「どんな観測でもあなたみたいなイカレ見つけられなかった!ねえ、私のお抱えにならない?まだ会合前だから船越を殺せば逃げられるわ!」

「もう、殺した。そして───」

「お前は俺を支配しない。俺がお前を縛り付ける」

突然、周囲の煙が固まって四角を形成した。それはブチンっと俺と妻の左腕を食い破り、捕らえる牢獄になった。

妻の体はふっと糸の切れた操り人形になり地面に崩れ落ちた。煙の冷蔵庫は宙に浮かび、やはり指輪が依り代たる楔だったのか、中からわめく声が聞こえる。

「その中に入っている限り、お前は何も出来ない。外に出してやったとしてもずっと、ずっと力は落ちている」

「俺に従え、蠅の悪魔。そうすれば飯くらいは食わせてやる」

そう冷蔵庫越しに言うと、少しの沈黙の後、こう返ってきた。

「最初に口に出る言葉なんて、きっとみんな同じよね?」

冷蔵庫の中から、肉を貪る咀嚼音がした。


・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・


2046/06/01 アウターオーサカ タイショウ区画 路地裏の奥の奥

「俺にとっての、俺にとっての料理は…1つの意味だけを内蔵していない」

「ッ…!」

大毅は驚愕して後ずさる。黒焦げの男が立ち上がり、ぶつくさと何かを言い始めた。

「俺にとって料理は…存在意義であり、家族をつなぐ絆であり、過ちであり、呪いであり、後悔そのものだ」

殻辛が「傷1つない」冷蔵庫に縋るように触れ、興奮と異常な施術で思考が鈍っていた殻辛はその───

「鎖に繋がれた冷蔵庫」こそが紫煙体であると気づいた。

「俺の後悔は…俺の噓はここから始まったんだ」

涙声で、譫言とも会話ともつかないような声色で、料理人はまた1つ、これから生命を殺めるという罪を懺悔した。

「ごめん、ごめんな大毅…説明が下手くそで、噓ばっかりだ」

冷蔵庫の扉を開ける。

瞬間、大毅の顎に拳がヒットした。殻辛のものではない。左腕だった。左腕だけが冷蔵庫から勢い良く飛び出て宙に浮き、褪せたプラチナのリングを光らせている。

「こ~んば~んわ~!いや、こんにちわ?もぅ!O/Oって時間間隔狂うわ~!あたしたち悪魔には住みやすい瘴気で蔓延しているのはいいんだけど、ホラ!朝昼晩って決まった時間に食べるのがいいじゃない?」

掌に涎を垂らした人間の口、手の甲に昆虫の羽を持って、左腕は女声を高らかに響かせる。

「食事だ、蠅の悪魔。あのガキを食え」

「え~?なんか電線ばっかでいつもより食べるところ少な~い!それに呼び方!」

「…ベル、俺は獣の方をやる。お前はガキの方を食え」

「そう来なくっちゃ!」

腕がパチンと指を鳴らすと、殻辛の傷跡が何もなかったかのように癒えた。その瞬間を目視した瞬間、腕と殻辛が視界から消えた。いや、目で追えないスピードで近距離戦を仕掛けてきたのだ。

「ガッ、アア…?」

実は大毅には殻辛に話していない隠された能力があった。一定以上外部から電気を吸収すると、その量に伴い「電撃と同等のスピード」を得られる。先ほどの大放電は実は見栄え以上に電力を消費しておらず、自分にはもう電気が残っていないか、もしくは「ショート」してしまっていると誤認させるためのフェイクだった。電力はまだ十分量あり、スピードもそれに見合った速さで動ける。

今、冷蔵庫の男と悪魔の左腕は間違いなく大毅の速さを凌駕している。

「ざんね~んこっち!」

加えてこの左腕が何よりも厄介だった。生命は等しく攻撃する際に何らかのモーションが入る。ぶん殴るために足を踏ん張ったり、拳と体を少し後ろに倒して「タメ」を作ったりする必要がある。だがこの左手にはそれがない。ノーモーション、つまり「どれだけ優れた動体視力を持っていても」それで視認するはずのモーションがないのなら、予想外の攻撃になすすべもなく的になるしかない。最悪なことにこの左腕は踏ん張りやタメがなくても人間とは思えない威力で殴り、はたき、目潰しをしてくる。

紫煙使いである殻辛も先ほどとはまるで動きが違った。常に行っていた煙止めというストッパーを外したのもそうなのだが、殻辛の紫煙体は「ベルの依り代を封印、制御する」という紫煙使いの中でもさらに限定されたシチュエーションでしか能力を発揮できない。その封印を一瞬でも解き余計な重量がなくなった今、その紫煙体はただの冷蔵庫同然であり、どれだけ縛る鎖が尽きぬとも暴れまわり続ける。

銅線コードを敵性生物の柔い皮膚に寄生させたいにも関わらず、固い金属の冷蔵庫と鎖で一定の間合いを完全に取られた"ウエスト・エレクトリカル・グルーヴ"。ノーモーションかつ超高速の拳になすすべもない大毅。一切の容赦なく周囲に紫煙と涎を撒き散らす苛烈な猛攻に、もはや勝機はない。


大毅の紫煙体は消失し、息も絶え絶えの少年がそこに残った。周囲に噛み千切られた後を残したそれを、殻辛はまるで最初のように、しかし手は差し伸べずに、じっと見ていた。

「…現実改変を行える人間は、逆に言うならば現実改変の物理的な余波に耐えられる肉体でなければいけない。他のカラータイプはその余波すら消してしまうよう改変すればいいが、俺たち紫煙使いは違う。紫煙使いに目覚めた場合一定の肉体強化は施されるものの、ある程度鍛える必要がある」

ベルはその話を退屈そうに、しかしいつ目の前の食事にありつけるのかソワソワして聞いていた。

「大人の時点で紫煙使いに目覚めた場合と、子供の時に目覚めた場合、肉体の強靭さはまるで違う。それでも生き延びれば非常に強い紫煙使いになるだろうが、大抵の子供は紫煙体の力に身を滅ぼされる」

「最初から…詰んでたって…言いてえのかよ」

「言うつもりなく、お前を見殺しにするつもりだった」

「ハハハ…サイッコー。ただ殺すだけじゃねえ、子供に罪を擦り付けて殺した方が「悪い」もんなあ?俺みたいな新参が…最初から適うはずなかったんだ…」

「…すまん」

大毅に馬乗りになり、右手で冷蔵庫を持ち上げる。後はこれを振り下げれば、すべてが終わ───

「死にたく、ない…」

「…!」

「死にたくねえ、死にたくねえよお…」

ぽろぽろと、濁ってしまった双眸から涙を流した姿を見て、殻辛は眼前の殺そうとしている人間が子供であることを再認識した。

「…違う」

何が違う?最初から大毅はそれしか望んでいなかった。感情を制御できない未熟な戦いで、トラウマと後悔が色濃くフラッシュバックする場面でそれしか言わなかった。「死にたくない」

「お前は違う…俺の子供ではない…お前を重ねたことなんて1度もない!」

───おっいいぞお!その時に料理も教えてやるからな!

───ホント!?絶対教えてね!約束だよ!

───100圓ライターとかチャッカマンとかとは訳が違うぞ。点けれるか?

───教えてくれ!なぁ頼むよ!

「煙止めを止めて全力で戦った副作用だ!俺は今錯乱しているだけなんだ!やめろ!」

「俺が…バカだったんだ…世間知らずで…大人の噓を見抜けないで…なんとなくで分かった時には…もう遅くて」

「…!!」

───いやはや申し訳ないな、前途があった若者よ。噓の味というのは1度味わうとどうしようもなく中毒になるのだよ

───その日、俺は初めて料理で、自分の娘に、噓を、噓を

「あ..ああ…」

殻辛はその重さに耐え切れず、冷蔵庫を離しかけた───

「佐竹 殻辛ァっ!!」

「…マヨネーズ、さん?」

はるか遠くの電線が千切れた電柱。その上に立ちながらよく通る声でマヨネーズは呼びかけた。

「私は言ったはずだ、「この街では悪徳とは、前に進むための足であり燃料だ」と。私は言ったはずだ!「悪とは後になって後悔し、不幸に足を取られ溺れ、耽るための快楽の道具ではない」と!」

心が叫ぶ、前に進むしかないと。悪魔が笑う、目の前のご馳走をお預けなんて出来ないと。

「亡霊元帥「魔米津」が命じる!その悪徳という快楽薬に飢えた餓鬼をお前の手で殺せ!殺せえーッ!!」

「う、うわぁああぁぁ!!」

鈍器が、振り下ろされた。


2046/06/02 アウターオーサカ タイショウ区画 駅前第4喫煙スペース

その性質上、紫煙使いは喫煙所に屯していることが多い。彼らにとってO/Oの喫煙所とは意見交換の場所であり、大事な作戦会議所だ。しかし今回そこにいるのは喫煙レストラン&バー「スゲトラニ」店長の佐竹 殻辛。そして職業不定の偽名:マヨネーズである。

「マヨネーズさん、申し訳ありません」

長い沈黙を破ったのは殻辛だった。

「何が。あのガキに情が湧いていたのはお前1人じゃないだろうに」

「そうじゃないんです。「元帥自身が命令した」っていう事実って、「責任はお前じゃなくて自分自身が負うから、辛いだろうけどやり通せ」ってことですよね。そう言わせたことが、何よりも申し訳なくて…」

「そうだな。だが大人の建前ってやつは触れないのがマナーだ。それを噓っぱちと片付けるのも、ナンセンスだ」

「…はい」

マヨネーズはふぅとため息をついた。

「私は残して進むべきだと思う。お前の料理も、あの店の雰囲気も」

「…ええ、俺も最初からそのつもりです」

「おお、てっきり昨日ので折れたのかと」

「それだったら片腕無くした時点でレストランやるぞなんて思わないんですよね」

「まあそれもそうか」

2人とも煙草を吸わず、ただゆったりと話しながら立ちぼうけである。

「俺の料理は噓の味で、料理人の俺は腐肉に群がるただの蠅だ。そもそもO/Oで外の世界みたいに安心して飯食える場所なんてのが噓に違いないんです。でも…どうせなら騙しきってやろうって。わざわざ飯食いに来るお客たちに、これ見よがしに俺の料理は噓の味ですって暴く必要ないでしょ?」

「それこそ、大人の建前ってやつか…ん」

マヨネーズが殻辛に煙草を差し出した。紫の箱のオーガニックリーフ。

「紫煙使いを殺した時は毎回これやってるけど…未成年は初めてだから変な心地だな」

2人は慣れない味の煙草を咥え火をつける。自分達がしてきた悪徳の弔いであり、墓前に供える煙であるかのように。どこか厳かな気持ちで煙を天地返しの宙に飛ばした。

「それにあれでしょ、俺のレストラン潰れたらどこで作戦会議するんですか」

「それもそうだ。あんな大所帯、ここにはとても入らないな。なら行くか」

「了解っす」

煙草を持った右手からパチパチと刺激が流れた気がした。だが銅線もコードも結局は紫煙体の延長で本体が消えればそれらもとっくに消えており、そこにあるのは鎖が巻き付き紫に変色した色だけだった。


そうして役者は全員揃い、悪人共の夏が来る。

アウターオーサカ タイショウ区画 レストラン&バー「スゲトラニ」 2046/06/03 00:25

基本的にスゲトラニは飯を食える安全地帯である、それは間違いはない。なにせレストランを掲げている以上、料理人のプライドに賭けて腹を膨らまし、美食を愛する者の憩いの場にするべきだと殻辛本人が熱意を燃やしている。

故に「&バー」という不要な3文字を付け加えたのは譲歩による譲歩の結果である。殻辛は今からでも過去に戻ってあの取引を反故にしたいと思う時がよくある。ちょうど今みたいに。















紫煙体名称: "AKUMA!"

紫煙体の使い手: 佐竹 殻辛

説明: 蠅の権能。能力としては非常に汎用性に乏しく、「暴食の悪魔ベルゼブブのさらに依り代を封印、制御する」といったもの。恐らく洗脳の領域に至るまでの制御は難しいらしく、実質ベルゼブブに気に入られないと宝の持ち腐れとなる。むしろ「冷蔵庫を自在に鎖と共に操れる」のほうが使いようがある。

総括: 回収は後回しでも良い。

現状: 信徒を送り込んだがこれを撃退。次の襲撃は現在画策中。

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