反転五芒と世断の幽鬼


2001年、ヴェール崩壊に伴い、世界オカルト連合は異常との融和を果たした。異常と正常の境は曖昧になり、彼らの存在意義は、次第に変わってゆく。
だが、それを許さぬ者達がいたことも、また事実。

— 五行結社。彼らの掲げた五芒星は今や反転し、その理念は暴走する。

財団よ、変遷する正常の番人よ。世界に仇なす五行の亡者を、討て。

五行結社

異常との融和を目指すGOCと袂を分かち、異常を許容した世界の破壊を目論む要注意団体。
複数の団体を吸収し、戦力はかつての何倍にも増強している。

ペイルバンド・カンパニー

元GOC構成員が7割を占める、敵性存在の掃討を行っている会社。財団の依頼を受け、五行結社との全面戦争に臨む。


2017年、日本において時代遅れと言う言葉を使うのは少しばかり不適切である。
だが『黄宝軒』の内装と焼き餃子の味に関してはヴェール崩壊以前の様式そのままであったためか、そう言われることもたまにあった。

夜を待たずして酒飲み達の喧騒が飛び交うはずのこの店は、しかし、何年ぶりかという静寂が支配していた。伽藍とした店内には厨房で忙しないリズムで打ち付けられる中華鍋と、カウンターにて一人の男が先ほど注文したネギ塩ラーメン(海苔三倍トッピング)を啜る音だけが聞こえる。

男……四弦寺夜鷹しげんじよだかは背後の山を一瞥する。痣の目立つ五あまりの躰。傍らには僅かに赤く濡れるナイフが転がっていた。
誰も移動していない事を確認してカウンターに向き直ると、夜鷹はチャーシューを一気に二枚、口に入れた。特製ダレで二日煮込まれた、薄味のスープとは対照的な濃厚肉汁が口内に広がる。厚さの割に、咀嚼の必要は全くと言っていいほど存在しない。

「夜鷹……ここまでやる必要あったんですか?」

静寂に溶け込んでしまいそうなほどに柔らかく、だが芯の通った声が響く。それを聞いた夜鷹は箸を止め、隣で餃子二種盛りをスマホ片手につまむ女……クラウゼ・トゥーフレスカに視線を送る。あくまで目だけ、顔は極力動かさない。

「大アリだろうがどう見ても。無辜の民がナイフ持ってとつってくるか、普通? そもそも全員締め落としただけだ、死んでねえ」

夜鷹が椅子を回し、革張りのブーツで山を小突くと、下敷きになった男が呻き声を上げた。
ほらな、とでも言うように彼は笑みを浮かべ、再び椅子を回しネギ塩ラーメンへ視線を戻す。それを見届けたクラウゼであったが、依然として彼女の表情は訝しげなままだった。

「もしかしてお前、非暴力主義か?」
「はい」

ラー油を皿に垂らしながら、クラウゼは冷たく答える。抑揚など微塵もない返事は、予め録音した音声を再生しているとしか思えない。暖房がガンガンに効いている店内で、彼女だけが氷塊の様に見えた。果たして赤い血は流れているのだろうか……それはそうとこの女、軽くニ十滴以上はラー油を垂らしている。しかも餃子に直で。夏祭りで子供がかき氷にシロップをかけるようなノリで、繊細な味付けの餃子を真紅に染めていく。

「それ、美味い?」
「はい」

夜鷹が思うに、クラウゼ・トゥーフレスカという女は機械の様でありながら実際には、人間らしい — と言うにはいささか粗雑すぎるような気もするが — 一面がある。これも含めて新型バイオロイドの一機能なのだと言われたら笑ってしまうほどだ。

「なあ、クラウゼ」
「なんですか?」
「お前、さっき非暴力主義っつったよな。じゃあよ、なんでここに入ったんだ?」

ぴた、と。スマホを弄る手が止まる。彼女のスマホから、古代中国風の店内には似合わない、朗らかなピアノのメロディが鳴り響いた。

「召集が掛かりました。向かいましょう」
「……なんでお前に来たんだ、今の電話」
「あなたがまともに反応しないからでは?」
「……勘定と通報は俺がやっとくから先行ってな」

クラウゼが去り、再び沈黙に包まれた店。通報がてら、夜鷹は電話の通知欄を三ヶ月ぶりに開いた。


超常に指一本でも染めた人間の中で、ペイルバンド・カンパニーP・B・Cの名を知らぬ者はいないだろう。
五年前のヴェール崩壊に伴って溢れ出た異常実体を


「久方ぶりじゃあねェか、最強」

ガムの如く、耳に張り付くダミ声。5年前と変わらない。
咄嗟に手を振り払い、得物を取り出す。

「テメェが生きてたなんて、信じたくも無かったがな……ヴェルゼ」
「オイオイ、そりゃァ酷いじゃねえか。五年前の旧友との再会だぜ?」
「敵でなきゃ酒でも買いに行きたいくらいだ」

ボサボサの茶髪、やけに分厚いネックウォーマー。ヴェルゼ・ボㇽグマンの服装は、五年前、そして寝食を共にしたあの時とまったくもって変化がない。だが一点、その記憶との間にある、唯一の齟齬。

「この目のこと、忘れちゃいねェぜ」

ヴェルゼは捻じれた枝の様な指でサングラスに触れる。余りに黒いレンズのせいで、その表情すら伺うことはできなかった。だがわずかに揺れる声音には、明確な殺意が宿っていることだけは読み取れる。

「大層な飾りじゃないか」

はらり、と。支えを失ったサングラスが落下する。ヴェルゼは惜しみなどないかのようにそれを踏み割り、顔を上げる。爛々と燃えるまなこは……ヒトのモノでは無かった。

「複眼……だと?」
「ご名答ォ」


夜鷹はあまりにも悍ましい敵の容姿に狼狽しながらも、しかし手の内を冷静に分析していた。

—— 右手のパイルバンカー……『鬼哭』は、実に彼らしい武器であると言えよう。肘までを覆う機構による打突と杭の一撃、そして先ほど喰らいかけた爆発。並みの手合いが使えばただの枷に過ぎないが、ヴェルゼ・ボㇽグマンという男の手にかかれば一瞬にして最強の武器に成るだろう。素の腕と変わらない速度で、その何倍もの衝撃が叩き込まれる。
 左手に握る『閻魔ヤマ』は、機関銃……恐らく小ぶりなサイズから察するに、弾薬は奇跡エネルギー弾だろう……と鉤爪を貼り合わせたような奇怪な代物。いくらヴェルゼの膂力が『鬼哭』の重量をカバーできるとはいえ、振り抜いた後の隙を完全に失くすのは難しい。それを補い、牽制する機関銃と、相手の武器に食らいつきへし折るための鉤爪。

フッ、と夜鷹の視界からヴェルゼの巨体が消える。五年も手合わせした人間だ、流石、死角は掴んでいる。
細い顎を切り裂かんと突き上げられる爪を、横に跳んで躱す。瞬間、側方から丸太と見紛う程の影が迫りくる。上体を反らして初めて見えたそれは、他ならぬヴェルゼの脚だった。

「へえ……んな芸当も覚えたのか……サーカスにでも取ってもらった方がいいんじゃないか?」
「笑わせるぜ。全部テメエを殺すためだよ。五年前の! あの時から! テメエの死角、テメエの避けかた、テメエの……全部だ、全部を研究した!」

(軽い、そしてはえェ‼ これでこそ最強、これでこそ四弦寺夜鷹ッ‼ だがよ……)
「軽すぎるんだよッ‼」

ヴェルゼは一喝し、白煙と唸りを上げる『鬼哭』を振るう。いくらカッターナイフが超質量のパイルバンカーを受け流し弾こうとも、それが吹き飛ばされた今では藁束も同然。

—— 狙いは腹、杭部が臓腑を貫いた瞬間に爆砕する。

五年に渡って求め続けた相手を、遂に粉砕できる昂揚のせいか、はたまた彼がヒトの目と共に失った何かのせいか。
ヴェルゼ・ボㇽグマンは忘れていた。四弦寺夜鷹という男の、数多の戦場に轟いた『幽鬼』の異名が持つ真の意味を。

「死ねやァッ!」

月光を照り返す『鬼哭』の鉄杭が捉えたのは臓腑でも脊椎でもなく、ただ霞がごとき『無』。花弁一枚ほどの残滓すらも無く、空しく虚空を切り裂く。

だがそれに対する逡巡をすぐさま振り払ったのは、やはり猛者の勘ゆえか。踏み込みからバックステップに切り替えたヴェルゼの躰を薙いだのは、最早風と見紛うほどに疾き一閃。44口径弾すら弾く硬化繊維と厚い胸板は深々と切り裂かれたにも拘らず、血は一滴も流れ出ない。

「あと十センチか、生きるも死ぬも……鈍ったな」
「ッ……クソがァ!」

背後から囁かれた刹那、ヴェルゼは『閻魔ヤマ』の機銃を乱射する。声から察するに距離はほぼゼロ、刃を振るう暇すらなく、夜鷹は分間三百発を越える十五口径弾の餌食に……
なると思った瞬間、今度は眼前に夜鷹が出現した。一瞬の内に無より形を成した彼に気を取られるあまり、夜闇を裂く白刃を認識できぬまま、ヴェルゼの左目は激痛に貫かれる。

残った右目が捉えた夜鷹の姿は、五年前とは恐ろしく変わって見えた。氷柱の如くに鋭く凍てついた眼光も、気流に同化してしまいそうな程に柔らかく、しかし触れる物全てを切り刻んでしまいそうな殺気も。全てが。

—— 四弦寺夜鷹の異名が所以。それは極度の筋弛緩による衝撃の完全な受け流しと、その衝撃を他の部位に移すことで生まれる、神速の一撃。切断面は一瞬にして焼灼止血され、骸の末期の景色に『赤』は映らない。

「来い」
「ファァアアアアアアアック!」

余裕も嗤いもかなぐり捨てて、『鬼哭』『閻魔』両方を構えてヴェルゼは突進する。
対する夜鷹はさらに冷静に、最後の一撃の為に、吸気と共にカッターナイフを弓のように引き絞り、構える。

「終わりだ」

最低限。足と同じで丸太みたいな首を切り飛ばすのに、最低限の振り幅。せめてかつての友に対する、慈悲だった。
だがそんな些細な感情を、当のヴェルゼが認識しているかと言えば……

(消えた……ッ⁉)

もちろん、否である。反応する暇すらなく、夜鷹の背に衝撃が走る。彼は地面に叩きつけられると同時に、不快な音を耳にした。エンジン音ともまた違う。そう、それは形容するならば……

「オイオイオイ、何が終わりだァ?」

突如上方から聞こえるダミ声に目をやれば、そこにはヴェルゼが居た。立っているのではない。浮いていた。

「……いよいよ虫か人間か分からなくなってきたな」

その背から生やした四枚の翅を震わせて。
夜鷹が啖呵を切るや否や、ヴェルゼは一瞬にして夜鷹の眼前まで迫り来る。



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